-壱-
「ごめんね、エリカさん……もうすぐだから少し待ってね」
「そうね、良くなったらまた戦車に乗りましょう。
でも急がないで。
ゆっくりと落ち着いて休みながらでいいんだからね。
最近はちゃんと食べているし、体の方も肉がついてきてるんだから、焦らなくてもきっともうすぐよ」
肉がついてきたなんて女の子に酷いね、とみほが笑った。
……そう、笑ってくれたのだ!
みほの笑顔を見るのは久々だ。
身体だけではなく、精神も回復に向かっている兆しといえるだろう。
「……あのね。私、山か海に行きたいんだ。
だからね、こんなに痩せていたら外も歩けないから体力を付けないといけないと思って」
「……っ!ええ!ええ!山でも海でも何処でも行きましょう!
どんな所でもついていくから!」
私がそう言うとみほは少しだけ困った様に笑って、ゆっくりと目を瞑り夢の中に落ちていった。
あの決勝戦から大分が経つが、それでもみほはまだ完全には回復していない。
だけれども食欲も戻りつつあり、外に出かけたいなんて言葉もでてきた。
笑顔も見れた。
これなら本当に"もうすぐ"元のみほに戻れるかもしれない。
-弐-
……最初にみほを見つけた時は本当に心臓が止まる程の衝撃を受けた。
尤も、比喩表現ではなく現実的にみほの心臓が止まっていたかもしれないと思うと寒気がする。
あの10連覇を逃した日から黒森峰の戦車道は一定期間の休息日となった。
決勝の次の日からみほは実家に帰り、数日してから学園艦に戻るとみほは寮の部屋から一歩も出てこなかった。
最初の頃は精神的ショックもあったのだから無理もないだろうと思い、そっとしていた。
しかしながら、二日も経つと私はある嫌な予感がした。
「……ねぇ、副隊長の事なんだけど誰か姿を見た人はいる?」
私は同僚達に聞いてみたが誰一人として姿を見ていないと応えた。
1年生から最上級生まで、深夜まで夜更かししている人から早朝から活動している人まで誰も。
私は血の気が引くと共にゾクリと背筋が凍り、みほの部屋まで走った。
みほは自分で食料を買って冷蔵庫に仕舞ったりなどはしない。
何時もはキチっとしているのに、あの意外な所でずぼらで家事も出来ないあの子はコンビニで弁当を食べるか、見かねた私が食事を作ってあげて私の部屋で食べるのだ。
ならば、それならば!
この二日間はどうしていたのだ!部屋に食べる物はない。外に出てもいない!
「みほ!いる!?」
私はみほの部屋のドアを乱雑に叩くが返事は一向にない。
それは半ば予想済みだったので、みほから貰っていた合鍵で開けて中に入る。
そこにはフローリングの床にうつ伏せで体を投げ出していたみほがいた。
顔は此方側を向いていたので、みほは首を動かさず眼球だけをギョロリと動かして私を見てこう言った。
「……あっ え、ぃあしゃん」
体はだらりと弛緩させていたのに、その目だけは不気味な程に爛々と輝いており、
その姿は奇妙な程に退廃的な何ともいえない不穏な存在感を醸し出していた。
「みほ……みほっ!」
慌ててみほに近づき体を起こす。
服装はあの決勝戦の時のままで、入浴もしていなかった様で臭気が鼻をついた。
見ると唇が異常に乾いており、皹割れて血が固まった跡がいくつも見られた。
肌もガサガサで潤いは全くなく、その手足は明らかにやせ細っていた。
ともかくとベッドに運び、どうするか混乱する頭の中で必死に考えた。
この二日間にまともに食物どころか水分すら摂っていないのは明らかだ。
確かスポーツ飲料が脱水症状には効果的だったはずだ。
違う!それは汗によって塩分が失われたときではないか?
だけど栄養素も入っているから適切でもある筈だ買いに行くか。
いや、それも違う!
今はそんな時間すら惜しい!
兎も角、今は水分を摂取させる事だ。
私は急いでキッチンで水をコップに入れて、みほの上体を起こし口元に持っていった。
「……いあない」
だが、みほは顔を逸らし、声は掠れていたが明確な拒否を示した。
「な、何言ってるのよ。飲まないと駄目でしょう…?」
「……」
「飲まないと…し、死んじゃうでしょう!」
「………」
「あ、貴女…まさか!」
無言の肯定だった。
この子は死にたがっていた。
刃物で自分を突いたり、首を括ったり、飛び降りたりといった能動的な自殺は勇気が持てないから、何もしない事での消極的自死を待っていたんだ。
そう気づいた時、私の手は震えだし、それはたちまち全身へと伝播した。
いや、落ち着け逸見エリカ!ここで呑まれてどうするのだ。
私は左手で自分を抱くように右腕を力強く掴み、無理やり震えを抑えると水を自分の口に含み、みほの顔と顎を両手で掴んで無理矢理此方に向かせ、口付けした。
「……ん!むぅ!」
みほは驚きもがき、私から離れようとしたが私は其れを許さなかった。
まともに食事も取っていなかったみほが私の力に適うはずも無く、その弱弱しい抵抗を力ずくで押さえ、顎を手で強く締め付け、その唇を舌でこじ開けて中に入れた。
「ん!」
僅かに痛みが奔る。
舌が歯で噛まれた様だが構うものか。
そのまま口の中の水をみほの咥内に注ぎ込んだ。
暫くそのままであったが、私が口を塞ぎ続けていると諦めた様で喉をごくりと鳴らし水を飲み込んだ。
それを確認して私は口を離した。
離れる時に、明らかに水の其れではない粘性を含んだ赤の混じった銀筋が、互いの唇の間を一瞬だけ繋いでいた。
「はぁはぁ……」
互いに酸欠気味になり息を荒くしていたが、特に何かを言う事はなくそのまま時が過ぎていった。
私は息が落ち着くのを待つと、再び水を口に含んでみほに口移しをした。
此方に向かせるのに腕を使ったが、今度は然したる抵抗も無く、素直に受け入れ飲んでいった。
今度は酸欠になる事も無いので直ぐに次へと移り、コップを空にするまで繰り返した……。
-参-
その後、何杯かのコップを空にし、簡単な流動食を作って同じ様に口移しで食べさせた後、隊長に報告と相談をした。
隊長は知るなりみほの部屋へと走り、その姿を見ては愕然とし、泣きながらみほを抱いて謝り続けた。
私は……その光景をいやに冷静にその姿を見ていた。
あれほど尊敬し、慕って、好きだった隊長のその姿に私は「何を今更……放っておいた癖に……」と暗い気持ちを抱いていたのだ。
ふと視線をみほに移すと、みほは自分にしがみ付いて泣いている実姉を……、あれほど慕っていた筈の彼女を興味が無い様などうでも良さそうな目で見ていた。
その後、みほは医者に診せられ肉体的には脱水症状と診断された。
栄養に関しては人間は二日くらいならさほど危機的ではないが、水分に関しては非常に危険であり、正しく紙一重だったらしい。
一方で精神的には心的外傷後ストレス障害つまりPTSDと診断され、通常の日常生活を送るのは難しいとされた。
病院への入院や自宅療養の話がでたが、入院はみほが頑として聞き入れなかった。
勿論、隊長も強く勧めたが、あのみほが酷く暴れて「病院へ入院するくらいなら死んでやる!」と鬼気を孕んで叫んだのだ。
その尋常ならざる様子と自殺の前科がある事から、とてもではないが冗談やハッタリと楽観的に受け取る事は出来なかった。
次いで自宅療養だが、自宅と言っても実家である本家ではなく、別荘での療養でと話は進んでいた。
みほの母親である家元は事情を聞くと動揺し、そして最初は実家での…つまり手元での療養を主張した。
これには隊長も同意したが、私が「実家ではみほは気が休まる事無く落ち着いて療養などできないのでは?」と言うと家元は跳ねる様に立ち上がり私を睨めつけた。
以前の私ならばこの様な事態に陥れば萎縮していただろう。
いや、それ以前に家元に向かってあのような事を言える筈がない。
しかし、今はそんなことを言っていられない。
かかっているのはみほの命なのだ。
そんな悠長で優柔不断な事をしていれば取り返しのつかない事になってもおかしくないのだ。
だから、私はその視線を正面から受け止め、睨み返してやった。
しばらくそのまま睨みあっていると、家元はふと力を抜き、静かに座ると独り言ちた。
「私は……確かに母親として失格だったのかもしれないわ。娘がああなるまで放っておいたのだから…
でも母親であると同時に西住流の家元でもある。
大勢の門下生を抱える身としてその義務を果たさねばならないのよ。
……だけどもうみほはそんな事をしなくていい。
もう戦車道もやらなくていい!
……ここで母親として傷ついた娘に優しくして守ってあげたいの……」
あの家元が泣いていた。
今までみほに母親としてしてやれなかった事をしてあげたいのだろう。
だから言ってやった。
「今更もう遅いんじゃないですか?」
隊長が私の名前を叫ぶのが聞こえる。
家元は……西住しほは私の言葉にゆっくりと項垂れ、
「そうね……そうかもしれないわね……」
とだけ言った。
-肆-
こうして実家での療養は見送られ、療養地にある別荘での静養が候補にあがった。
しかしながらその話も流れた。
みほが一切の食事を取らなかったからだ。
唯一、私の口移しからだけ食事や水を摂っていた。
無論、そうしなければ、みほはただ単に何も摂取せず、ただ死んでいくだけであろう事は火を見るより明らかだろう。
「エリカにそんな事まで頼む訳には行かないから。家族である私に任せてくれ。」
その様子を見て隊長は自分がと、その役割を買って出た。
だが、みほは決して隊長からの"看病"を受け入れなかった。
「何故だ?お願いだ……。食べてくれ……お願いだから……」
最初は説き伏せる様に説得し、そしてそれは懇願へと移っていった。
いよいよ焦れた隊長は最初の私と同様に無理矢理みほの頭を掴み無理矢理口移しをしようとしたが、
みほは「嫌っ!」と叫び思いっきり隊長の顔を叩き拒否した。
隊長はあまりの事に後ろによろけて倒れ、呆然とした表情でみほを見上げていた。
その顔にはありありと最愛の妹が、自分を何時も慕っていた筈の妹が、その自分に暴力を振るった事が信じられないと書いてあった。
「どうして……どうしてなんだみほ!何故私は駄目で何故エリカはいいんだ!」
隊長は泣きながら叫んでいた。
そしてそんな隊長をみほは怯える様な目で見ていた事に気づくと、隊長は泣きそうな顔をした後に私を一瞬だけ睨むと静かに部屋から出て行った。
私は隊長が役割を引き継ぐと言った時は焦りを覚え、みほに拒否された時は自分だけがみほにとって許された特別の存在である事を嬉しく思い……
……そして隊長に睨まれた時には優越感を感じていた……。
みほは黒森峰学園艦内に一室用意され、そこで静養する事になった。
元々は西住流が興した学園であり、その程度の"優遇"は造作もないようであった。
私は休暇中はほぼ付きっ切りで食事を与えたり、入浴させたりと看病をしていた。
休暇が終わると隊長には戦車道の休止届けを出し、みほの看病に専念することを申し出た。
其れを受けて隊長は泣きながら謝ってきたのだった。
「すまない……エリカには本当にすまない。
私は駄目な姉だ。妹が一番苦しんでいる時に何もしてやれなかった。
辛かっただろう。苦しかっただろう。
なのに私は隊長だからと言い訳して、みほは強いから何とかなるだろうと……。
……エリカ、みほを……妹を宜しく頼む。頼みます。お願いします。どうか、どうか……」
-伍-
幸いながら事情を考慮され、また西住しほが動き最大限の便宜が図られた。
通常の学業に関しても自宅学習などの非常に多大な配慮がされたので、かなりの大きな時間をみほの看病に充てられた。
看病と言っても肉体的には一時的に脱水症状になっただけで、暫くすると問題もなくなったのでそれほど大変ではなかった。
自分に求められる事はトイレ以外は自発的にしようとしないみほの手を握ってやりながら話しかけ、食事を口移しで食べさせ、手を引き一緒に入浴してやる事などだ。
最初は朝になったら通い、学校に行って昼に戻って夜に帰るという生活をしていたが、目に隈ができていたみほを問い詰めて、夜に一人で寝ていると悪夢で飛び起きてまともに寝れていない事が判明してからは、一緒のベッドで手を握ってやりながら寝る事になった。
そうして看病していると徐々に改善の兆しが見えてきた。
流動食でしか食べれなかったが、暫くすると精神的に回復してきたのか固形物を食べるようになった。
みほから話しかけてくるようになった。
か細かった食欲が少しずつ増えてきた。
そして今日は遂に笑顔を浮かべるようになった!
更に外出がしたいという積極的行動も求めるようになった事もあり、もうすぐ前のみほが帰ってくる希望が見えたのだ。
……そしてそれはもう私だけのみほではなくなるという事だ。
もう籠の中の小鳥ではなくなる。
私からではないと満足に食事も取れない不完全な生き物ではなくなる。
私がいないと生きる事すら出来ないお人形じゃなくなるのだ……。
-陸-
「じゃあ行って来るね!エリカさん!」
「気をつけるのよ?何かあったら絶対に連絡するのよ?」
「もう心配性だねエリカさん。えへへ、でも心配してくれて嬉しいな」
「あったり前でしょう!…まったく、じゃあ楽しんできなさいね」
「うん!それじゃあね!いってきます!」
みほが笑顔を浮かべてから3週間がたった。
あれからみほは順調に食事をし、リハビリを兼ねて部屋内でできる簡単な運動をする生活を続けた。
精神面でもよく笑い、よく喋るようになった。
その様子はもう昔の私が良く知っているみほだった。
いや、あの頃以上に元気で朗らかになっている気がする。
あの時は……思えば私も西住の副隊長として壁を作っているように思える。
みほに話しかける人もいたが、その人たちも私と同様に友達としての態度ではなかった。
今から考えれば本当の意味でこの子の笑顔を見たのは初めてだったかもしれない。
そんな中で学園艦が熊本に寄港にする事になり、みほはそのタイミングに合わせて外出がしたいと言ってきた。
勿論私は大歓迎だ。引きこもっていたみほが外に出たいというのだから喜んで付き合おう。
しかし、みほは一人で行きたいと言ったのだ。
「エリカさんには申し訳ないんだけど……。外で自然の中を歩きながらちょっと一人になりたいの。
ごめんね、エリカさんには何時もお世話になっているのにこんな事を言い出して……」
私は渋った。
正直な所、もうだいぶ回復したとはいえまだ一人にするのは心配である。
それでもみほがせっかく意欲的な事を言い出したのだ。
その望み通りにしてやりたいのも確かだ。
いや、解っている。
もうみほは以前の通りなのだ。
私はただ其れを認めたくないだけなのだ……。
私の支えなく。一人でその足で立っていて欲しくないのだ……。
でもみほを何時までも縛っている訳には行かない。
何時か籠から出して空の中に飛び立たせないといけないのだ……。
だから認めた。
条件として車には絶対に気をつける事、知らない人にはついていかない事、水辺には気をつける事……等と言っていたら「もう!解ってるよ!エリカさんなんだかお母さんみたい」と言われてしまった。
そして当日、心配していた天候は晴れであってくれた。
まるでみほの笑顔を表しているかのようだ。
あの日、暗く風が吹き荒れ大雨だった空模様から爽やかな希望あふれる快晴となったのだ。
私は手を振ってみほを送り出してやろうと笑顔を浮かべる。
だが、内心の寂しさを隠せなかったのか、みほはちょっとだけ困ったような表情を浮かべた。
しまった、快く送ってあげようと思ったのだが……。
そうすると出かけようとしたみほが此方にとことこと寄ってきて、私の耳元に首を寄せると
「今度はエリカさんと二人っきりで行こうね……」
と囁くとばっと身を翻して離れた。
……顔が熱くなる。鼓動が激しくなる。
そうか…籠に囚われていたのはみほじゃない。
鎖で縛られていたのは私だったんだ……。
「まったく……楽しみにしてるわよ!」
「うん!それじゃあ今度こそバイバイ!」
そう言ってみほは笑顔で手を振ると靴を履いて出て行った。
さて、帰ったらみほも久しぶりの外出で疲れるだろう。
きっとお腹も空かしているに違いない。
ハンバーグでも作って待っていてやろう……!
-了-
-漆-
日が傾き、窓から差し込んでいる光が赤くなってきた。
みほが外出してから結構な時がたったが、久しぶりの外出だ。
きっと時も忘れて楽しんでいるのだろう。
それでもそろそろ帰ってくるだろうから夕食の準備に取り掛かろうとした。
少し早めだがきっとみほも久しぶりの外出で空腹になっているに違いない。
……おっと、その前にゴミだけ明日の朝に出す為に纏めておこう。
そう思いながらゴミ袋を縛ろうとすると傾いて中身が毀れてしまった。
また、やってしまった。
これだからギリギリまで溜め込むのは止め様と思うのだが中々そうはできないのだ。
錯乱したゴミを戻そうとすると……その中に見覚えの無い小さなノートがあった……。
……何だろうこれは。私はこんなものを見た事が無い。
ゴミ袋へのゴミ捨ては自分が全てやっていた筈なのだが……。
そう思って中身を確認してみた。
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生きている事に意味が感じられなくなった。
死に恐怖を感じなくなった。
となれば自然の帰結。当然の結論から自殺を選択する事にする。
死への恐怖こそ無いが、苦痛への恐怖はある。
故に包丁等を使った自傷等はできない。
首吊りならどうだろうか?アレは苦痛を感じずにゆっくりと意識を失って死ねるらしい。
……だが絞殺死体は糞尿を垂れ流し見苦しい物極まりないらしい。
自分の遺体がそうなるのは気が引けるし、何より発見者や掃除する者等に負担がかかるだろう。
他の者に負担がかかるという点で言えば電車や自動車など交通機関への飛び込みもできない。
飛び降り自殺も同様だろう。
……すると飲食を絶っての衰弱死がいいのではないだろうか。
幸い今は休日期間だ。部屋に閉じこもっても誰も気づかないだろう。
……気にもしないだろう。
誰も気にしないと思っていたが、まさかこんな私を気にかける人がいたなんて。
エリカさんのせいで私は死ぬ事が出来なかった……。
……でも、もし誰かが私の部屋に踏み込んで来るとしたらお姉ちゃんだと思っていたのに…。
あれからエリカさんは私を甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
嬉しかった。暖かかった。
黒森峰に来てから……いや、西住の物として生を受けてから初めての暖かみなのかもしれない。
……でも、私の所為でエリカさんは戦車道を休止した様だ。
駄目だ。そんな事は駄目だ。
あってはならない!
私等の為にエリカさんが人生を浪費する必要など欠片もない!
……機会を逃し、そのままつい惰性で生きていたが再度自殺をする事を決意する。
それもなるべく早くにだ。
これ以上、エリカさんの時間を奪う訳にはいかない。
それに、このままだと死にたくなくなる。生きていたくなる。
こんな優しくて暖かいエリカさんに何時までも一緒にいたくなる……。
早く、早くしなくては……。
……死にたくならなくなる前に……。
……死ぬのが怖くなる前に。
苦痛を感じない。他の者に迷惑をかけない。死体を見苦しい物にしない。
これらの条件に少し変更を加えて、死体が見つからない様にする。
私が自殺したと知ればエリカさんやお姉ちゃんが悲しむだろう。ショックを受けるだろう。
自分のせいだと自責するかもしれない。
それは駄目だ。絶対に駄目だ。
死体が見つからなければ……ただの行方不明と思えばそれほどではないだろう。
むしろほっとするかもしれない。
誰も知らない土地で静かに暮らすとでも書置きを残せば、自殺したと思わないかもしれない。
山や海がいい。誰も人が来ない様な山奥で土に埋もれて睡眠薬でも飲むか、または獣が食ってくるかすればまず見つからないだろう。
海流を調べて死体が打ちあがらないような所に身を投げるのも良い。
兎も角も体力をつけて一人で移動できるようにならなければ、そしてエリカさんに精神的にも大丈夫だと思われなければ……。
笑顔を……エリカさんが安心できる様に笑顔を浮かべよう。
前の私みたいに……前の私?前の私ってどんなのだっけ……。
私はどんな風に笑っていたっけ……思い出せないよ……。
……そもそも私は笑っていたかな?
---------------------------
「な、なによこれ……」
私は読むとその場にへたり込んだ。
手足に力が入らない。思考ができない。
まるで頭の先まで泥沼に漬かっている様だ。
それでもみほの言葉が"思い出"として蘇る。
『ごめんね、エリカさん…もうすぐだから少し待ってね』
『…あのね。私、山か海に行きたいんだ』
「……うっ!」
私は吐き気を覚え、その場に戻してしまった。
『本当の意味でこの子の笑顔を見たのは初めてだった』
何を思っていたのだろう私は。笑顔……みほの笑顔?
そんなの見たのは……何時だったっけ?
一通り吐き、胃の中を空にすると最後に見たみほを思い出す。
『うん!それじゃあ"今度こそ"バイバイ!』
みほがそう笑顔で私に手を振っていた。
笑顔……笑顔だった筈だ。
でも記憶の中のみほの顔は……黒く塗りつぶされていた。
窓の外では既に日が落ちていた。
まだみほは帰ってきていない。
携帯にも連絡は無い。
-了-