かみゅキャン△ ── Camus Canp ── 作:Towelie
小平口駅は蛍と燐が通学に使っている路線の終着駅である。
片面の単式ホームがあるだけで、それに合わせたように乗降客もそれほど多くはなかった。
それでも駅舎はそこまで古いものではなく、数年に一度は補修工事が出来るほどには住民の足となっている。
良くも悪くも小平口駅は普通程度の駅だった。
そんな代り映えのない駅のプラットフォームを足元を確かめるようにゆっくりと進む。
月明かりさえない漆黒の闇が空を覆いつくし、黒い雲は泣いたような雨を落とし続けている。
屋根があるおかげか思っていたよりも雨に身を晒されないが、それでも横からの雨は避けられないはずだった。
水はけがやたらと良いのか、それとも停まっている電車が雨除けになっているのか、プラットフォームの床は不思議なほどドライで、水溜まりすら出来ていなかった。
歩きやすいのは良いのだが、妙な胸騒ぎを覚えるのは気のせいだろうか。
ホームに停車してある電車がもっとも気になるが、まずはホームが無事かを調べる必要がある。
燐ちゃんの話だと、ホームも線路も地震で陥没して大惨事らしいのだが……。
足元にランタンの明かりを当てていないと、危なっかしくて仕方がない。
いきなり暗い穴のなかに落ちて真っ逆さまとか考えただけで鳥肌が立つ。
……まあ、
本当に自分の体かと思うほどに重い、勘弁してくれよ……。
「ひぃぃぃ! こわいよぉ……暗いよぅ……」
「……なでしこ。怖いなら蛍ちゃんたちと一緒に待っててもいいんだぞ」
(むしろそうして欲しい。マジで)
後ろからしがみついたままのなでしこに何度目かの声をかける。
威勢よく改札を出たのまでは良かったのだが、結局いつものなでしこに戻っていた。
「り、リンちゃんだけに怖い思いはさせられないよっ! 私だって名誉ある野クル部員なんだからっ!」
なでしこは恐怖のせいか意味不明な事を堂々と言ってくる。
なでしこが一番怖いのはお化けとかゾンビではなく、この光さえ通さない暗闇なのではないかと今更ながら思い始めていた。
夜の雨の中ではランタンの灯りなど、気休めにもならないだろう。
だからこそ、あの時もむやみに歩き回らずにテントを張ってステイしていたのだから。
強がりを言っても恐怖は収まりきらないのか、更に強く抱きついてくる。
お腹の辺りに力が加わってそこを押されると、色々とヤバイんだけど……?
「分かったから、いい加減離れてくれないか? お腹が圧迫されて、その……なんか」
「無理だよぉ! だって怖いんだもん!」
リンの言葉を遮るように、なでしこがさらに強く抱きついてくる。
ただでさえ雨で蒸し暑いのに、こんなに体を密着されると、暑さと気持ち悪さとで意識が朦朧としてしまう。
「はあ、やっぱり帰ってくれよ……」
「一人で戻るのも怖いよ~! リンちゃ~ん、一緒に来て~!!」
二人はべったりとくっついたままで、ふらふらと蛇行を繰り返したが、なんとかホームの端まで辿り着いた。
はぁ、はぁ、リンは息を荒くしたまま、ホームの端っこに立っていた。
ここまで見て来たがプラットフォームには陥没どころか亀裂一つもなかったはず。
暗くて見落としている可能性もあるが、普通にここまでこれたのでホームには問題はなさそうだった。
横に伸びている線路も異常はなさそうで、むしろ新品の同様に磨きこまれている印象が見受けられた。
かなり古くからある路線のはずなのに……。
線路は普通に奥の暗闇まで続いているようだったので、少しだけ安心する。
だが線路の先は目を凝らしても、灯りで照らしても何も見えない。
隣の町の存在すら隠すように、黒い壁の様なモノが線路の先で立ちふさがっているみたいに見えて単純に怖かった。
リンはホームの端で振り返り、改めて電車の顔とも言える前面部を確認しようと……しようと……しようと……重くて動かん……。
「なでしこ、いい加減離れてくれよ。ここまで何もなかったじゃないか。もう大丈夫だって」
プラットフォームの先端まで来れたのは良かったのだが、ここまでは屋根は無かったので二人の髪も体も雨で濡れそぼっていた。
「とりあえず離れよう。このままだと風邪引いちゃうし」
腹部にぎゅっとしがみついているなでしこを振りほどこうとリンは腰を振ってみるが、かなり強い力でしがみ付いているのか微動だにしなかった。
それどころか変な場所にまで手を伸ばしてきて、リンは思わずギョッとした声をあげた。
「ちょっ、なでしこ! お前どこ触ってるんだ! やめろ、そこは……くすぐったいっ!」
常闇のプラットフォームで雨にうたれながら少女たちは意図しないじゃれ合いを見せていた。
それは美しいというよりかはどこかの民族の奇妙な
「だってだって、怖いもん! またゾンビとか幽霊列車とか出るんだよっ!!」
目をぎゅっと瞑りながらなでしこはいやいやと被りを振った。
涙も鼻水も涎も、すべてリンのジャージの背中の部分にべっちょりと付いている、リンはものすごい嫌悪感を覚えた。
(クリーニングしたい。帝○ホテルでクリーニングして、お風呂にも入りたい……)
リンの意識は別方向にいっていた。
一度も泊まったことはない帝○ホテルのサービスに意識を向ける。
そしてお風呂といえば温泉! 今度のソロキャンは温泉入りに行こう! どこがいいかなぁ……また長野か静岡かそれとも……リンの現実逃避はより深く進行しようとしていた。
だが、背中の重さと熱さと雨の冷たさはリンを情け容赦なく現実へと引き戻す。
「もー! とりあえず離れてくれよ~!!」
情けない声を上げるがそれでもなでしこは離れない。
”妖怪、小泣きなでしこ”が誕生した瞬間だった。
はあっ……リンは深いため息をついた。
なんでこんなところで無駄な労力を使ってるんだろう。
訳も分からず暗い空を見上げる、雨が目に入るが不思議と不快な感じはしなかった。
………
……
「ねぇ、ここから出たくないの?」
二人の背後から不意に声が聞こえてきた。
リンは反射的に燐か蛍のどちらかだろうと判断し、振り返ることなく背中のなでしこを指さす。
「さっきからこの調子でさ……悪いけど引っ張ってくれない?」
リンはため息交じりの呆れ声をあげていた。
「う~、だってさっきから嫌な感じが収まらないんだもん! なんかピリピリするよぅ!」
なでしこはしがみついたまま涙声で反論する。
やれやれ、リンはまたため息をついた。
少しは成長したかと思ったけど、やっぱり怖がりはそう簡単に治らないか。
まあ、そこがなでしこの可愛いところかもしれないのだけれど。
声の主は一向に動いてくれないので、焦ったリンは少し疑問に思いながらも再度
「ごめん、手を貸してもらえる? この体勢だと私一人じゃ無理みたいなんだ」
かなり情けないお願いだったがこの際仕方がない。
怖がりなでしこには後でチョップを食らわせてやろう。
「見えない恐怖と見える恐怖、あなたはどちらに怯えているの?」
謎かけのような言葉が返ってきた、それも聞いたことがない声色で。
少女の声であることは間違いないが、少なくとも蛍や燐の声ではない。
リンは思わず舌打ちをする、さっき気づくべきだったのだ。
「ひぃぃぃぃ!!」
声の方をちらりと振り返ったなでしこが悲鳴を上げながら即、顔を背けると背中に押し当ててくる。
さっきよりも激しく抱きついてくるので一瞬息が止まりそうになった。
なでしこが小刻みに震えているのが背中越しに伝わってきて、否が応でも緊張せざるを得なくなった。
そこまで怯えると何がいるのか気になって仕方がない。
リンも背後を振り返りたいが、腹部やらなんやらを押さえられたままなので思う様に体が動かない。
(これって詰みなんじゃないか……どうする?)
何としても背後を見ようと、首だけを必死に回してリンは力を振り絞る。
とても他人には見せられない表情になってるだろうが、それでも背後にいるものの姿を一目見ておきかった。
すでに背後を取られているとは言え、何者か分からないのはあまりに怖すぎる。
血走った目を限界まで動かして無理やり背後を視界に入れる。
足の様なものが微かに見えたので少しだけ安堵する、これで幽霊の線は消えたはず……。
だがあの白いゾンビの可能性もあった、むしろその方が高いだろう。
リンは少し大げさに鼻を鳴らし、周囲の匂いを嗅ぎとってみる……いちおう例の悪臭はしない、雨の匂いと汗の匂いが強く鼻に届いた。
これ以上は見ない方がいいのか、全部見た方がいいのかリンの感情がせめぎ合う。
体さえ動けば何とかなるのに……。
「人と話すときは背を向けない方がいいわ。”目は口ほどに物を言う”、あなた達でも意味は分かるはずよ」
背後からため息混りの声がする。
なんとなく馬鹿にされた気がするが、今のリンにはどうにもならない。
何か反論しようとするが、変な体勢の為かそれとも恐怖の為なのかまともに言葉が作れない、口をパクパクさせるのが精一杯だった。
「そういえば……
思いも寄らない言葉が返ってきてリンは思わず目を見開いた。
なでしこの心臓の高鳴りがハッキリと聞こえてきて、どくんどくんと早鐘を鳴らしている。
「いやぁぁぁぁ! リンちゃんだずげでぇ゛!!」
これまで聞いたことのない、ダミ声でなでしこが助けを求めてくる。
だがなでしこが離れてくれないかぎり、リンにはどうすることもできない。
「そんなに怖がらなくてもいいのよ……貴女、さっきから下着が見えているわ」
その声を聞いてなでしこの顔からさあっと血の気が引く。
唇を戦慄かせてひっ、ひっ、と、今にも泣き出しそうな声を上げていた。
リンはその前兆を読み取って咄嗟に耳を塞いでいた。
別に悪気があった訳ではないが、こんな近くで泣き叫ばれたら鼓膜がどうにかなりそうだった。
「うぎゃぁぁぁぁ! リンちゃん! 早く私のズボン上げてっ! セクハラ、セクハラだよぉぉ!!!」
「じ、自分で上げればいいだろ!」
なでしこの絶叫が耳に入ってくる、耳を塞いでも意味のない大音量。
その声に対抗するようにリンもつられて叫び返していた。
「むりむりむり! リンちゃんあげて、あげてぇー!」
半狂乱状態で喚き散らすなでしこ、もはや自分でも何を言ってるか分かってないようだ。
「ふぅ、仕方ないわね」
軽くため息をつく声。
少女はすっと近寄ると、膝まで下がっていたなでしこのズボンを引き上げた。
リンの位置からだと綺麗な黒髪が見えるだけで顔までは確認できなかった。
「女の子はむざむざ下着を晒すものではないわ。いくら初夏といっても雨の中ではお腹が冷えてしまうわよ」
明らかに年下のような声にたしなめられる。
なんともむずがゆい気分だった。
「あ、ありがとう……」
予想に反した行動だったので、戸惑いながらもなでしこは後ろを振り返ってお礼をいった。
「あ!」
驚いたような声があがると、リンのお腹を締め付けていた両手がぱっと解かれる。
突然バランスを失ったのでリンは前のめりに倒れそうになる。
器用に体を捻って、その場でターンを決めて踵を鳴らした。
振り返ると不意に目が合った、黒い大きな瞳。
ランタンの灯りに照らされた見知らぬ少女が姿勢よく立っていた。
不思議な模様の着物を纏い、華奢な体に似使わない毬を手にしている。
細く長い足に少し大きめのぽっくり下駄を履いていた。
何となくだが似ている。
背格好が違う以外はとても良く似ていた、あの不思議な世界で出会った同じ様に着物を着た女性と何もかも、雰囲気さえも。
もしかしてオオモト様の……?
「ふっふっふっ、私は二度も騙されないよっ! オオモト様はそんなにちっちゃくないからねっ!」
決め台詞? とともに少女に指を差すなでしこ。
初対面の幼い少女に対して無礼すぎる行為だったので、リンは思わず呆れてしまう。
「……何言ってんの?」
「何を言ってるかしら」
リンと少女は同じようなことを言って、同じようにため息をついた。
「えっ? えっ? 私がおかしいのっ? だってこの子はオオモト様のコスプレをした妹さんじゃ……えっ!?」
雨の中立ち尽くす二人の少女と困惑したように目をきょろきょろとさせるなでしこ。
漆黒の闇と雨の中、ようやく電車の全面は把握できたが、もはやそれどころではなかった。
この少女は何の為に現れたのだろう。
黒く止まない雨が、今のリンの心とマッチングしているようだった。
「うわぁぁーん! 私を無視しないでよ~! リンちゃ~~~ん!!!」
「うん? なんか声、聞こえなかった? 叫び声みたいなの」
燐はひそひそとした声色で改札口の方に首を伸ばす。
枠に切り取られたような黒い空間に色すら分からない電車が停まっている、ここから見えるのはそれだけだった。
電車の機械的モーター音は無く、しとしとと降りしきる雨の音色だけが待合室の屋根を叩いていた。
「カナブンの鳴き声じゃない?」
「……蛍ちゃん、カナブンは鳴かないでしょ~。もう、たまに変な事言うよね」
「そうかなぁ? カナブンだって鳴きたいときもあるかもよ」
蛍は基本頭のいい子なのだが、時折こう言った
悪気があって嘘をついているとはそういうのではなく、本人としては軽い冗談のつもりなんだろう。
蛍は自覚していないのか、普段の物腰とその儚げな声色で割と本気にしてしまう人が多かった。
そのせいで誤解を受けやすい蛍、でも燐は蛍の一面をとても気に入っていた。
(なでしこちゃん達に何か遭ったのかも)
最悪の考えが燐の頭の中に浮かんだが、すぐには行動に移さなかった。
何か大きな力の働きがあるのか、それとも蛍の寂しそうな瞳のせいなのか、どちらにせよ今蛍を置いて改札を抜けるのには抵抗があった。
行くなら蛍と一緒が良い。
でも今の蛍には何を言っても断られそうな気がした。
改札口を挟んで待合室とホーム、なぜだか分からないけど、見えない壁で区切られた隔たりがあるように思えた。
「そういえば、今、電車って駅に来てるんだよね?」
「うん、そうだけど……?」
唐突な蛍の問いに燐は慌てて改札口を振り返る。
ガスランプのほのかな明かりが、停車したままの車両を微かに浮かび上がらせて、不気味さに拍車をかける。
叫び声のようなものはもう聞こえなかった。
なでしことリンのことが少し気掛かりだったが、物寂しそうな蛍の横顔に燐はなにも言い出せなかった。
「燐、わたしね……」
蛍も暗い改札の方に視線を向ける。
その淡い瞳の奥には改札口の暗い世界がだた広がっているだけ、他には何もない。
燐は少し首を傾けて、蛍の瞳をちらりと覗き込む。
蛍の瞳には電車の影は映り込んでいない、そこには雨の中の暗いホームしか映っていないように見えた。
「え!? 蛍ちゃんまさか!?」
燐は慌ててベンチから立ち上がると、蛍の頬に手を当ててて瞳の奥を強引に覗きこんだ。
一切の穢れもなく、鮮やかな金色の瞳。
その水晶のような瞳の奥に映るのは慌てふためく自分の滑稽な顔だけが鮮明に映っている。
「大丈夫、燐の顔はちゃんと見えるよ」
でも、と蛍は前置きして話を続ける。
「わたしは切符……ううん、出る資格がないから見えてないだけなんだと思う」
「資格って、そんなのおかしいよっ!」
燐の言葉を遮るように、ふわりと蛍が抱きついてきた。
暖かく柔らかい胸元から、蛍の鼓動が伝わってくる。
少し焦ったように早鐘を鳴らす鼓動。
口調こそはいつもの蛍と変わらなかったが、その心中は鼓動が示す通り焦っていた。
(蛍ちゃん、すごく怖がってる……わたしが何とかしなきゃ!)
そんな燐の強い決意をからかうように蛍は耳元にふっ、と息を吹きかける。
「うひゃあ!」
予想だにしない不意打ちに、燐は変な声を上げてしまった。
あまりに可愛らしい声だったので蛍は笑みを堪えきれなかった。
「ほ、蛍ちゃーんっ」
戸惑う様に非難の声をあげる燐。
わりと真剣に悩んでるのにこんな意地悪するなんて──。
「うふふ、ごめんごめん。燐の耳が小さくて可愛いかったからついイタズラしちゃった」
拙い悪戯をした少女のように微笑む蛍。
その顔は抱きしめられているため燐からは見えないが、その明るい口調からいつもの蛍だと少し安心する。
燐の微笑む声が聞こえるとつられて蛍も微笑んだ。
そして耳元で囁くようにことばを紡ぐ。
とても、とても大事なことだったから、落ち着いて話した。
「この町から
その言葉を聞いて燐は口から心臓が飛び出しそうな衝撃を受けた。
思ってもみなかった告白。
そうだ、まだ耳に余韻が残っているから変な誤解をしちゃってるんだ。
もう一度聞き返そうと、燐はやわら丁寧に蛍から離れると、両手を握って蛍の顔を見つめ直した。
少し唇を震わせながら先ほどの言葉の真意を問いただす。
「ねぇ、蛍ちゃんさっきのことって……!?」
蛍は燐の顔を見つめ返しているだけ、ただそれだけなのに蛍の顔がまともに映らない。
厳密にはちゃんと見えているのだが、燐の瞳には蛍の顔にノイズの様なものが走り、正常な視界にさせてくれなかった。
(また、これなの──?)
目に異常があるのかと燐は何度か瞬きをしてみるが、今度は一向に直らない。
脳が見ることを拒否させているかのように、蛍の顔を隠すように灰色のノイズが視界を遮っていた。
燐はぎゅっと目を閉じる。
目か頭、あるいは別の場所で何かを異変があるのかを体に聞いてみるように感覚を研ぎ澄ます。
自分の体の異常に燐はパニックで逃げ出したくなった。
「大丈夫だよ」
優しい蛍の声と手が燐を暖かく包み込む。
そのぬくもりは燐の焦燥感や灰色の感情をすべてかき消してくれた。
とても穏やかな微笑み。先ほどまでのノイズが嘘の様に消え失せて、蛍の姿を五感で確認できた。
「蛍ちゃん、わたし……」
「燐はこっちの
燐の背中を擦りながら、蛍は窓の外の黒い空に何かを探す。
黒い雲に覆われて、絶え間なく雨が振り続いているだけの漆黒の世界。
外灯さえ灯っていない、闇の中に何があるのだろう。
「わたしが行かなきゃダメなのかな……」
「行くって……?」
蛍の温もりに包まれたまま燐は聞き返す。
暖かい感情、ずっとこうしていたいすべてを忘れて甘えたいほどに心地よかった。
「……多分、あそこ」
蛍はロータリーから先の道に視線を向ける。
その方角は雨煙に包まれて何も見えないが、それは二人が良く知っている方角だった。
「まさか蛍ちゃん、また戻る気なの!?」
夢見心地から目覚めたように燐が顔をあげる。
ノイズはすっかり消えていたが、それに安堵する余裕もなかった。
「うん……でも、ちょっと違うかな、多分だけど」
「ふぇ? じゃあ、何処なの?」
「あのね。これはわたしの憶測なんだけど……」
蛍は静かに語り出した。
青いドアの家にいた、あのどこか憂いのある柔和な人のように穏やかに。
それはいつもの蛍のようで何処か違っていた。
変わったものと変わらないもの。
わたしたちは、何を変えようとしているんだろう。
…………
………
……
漆黒の闇の中、雨だけが主張するように降りしきっていた。
ホームの上で三人の影だけが枝葉の様に伸びていて、まだら模様を写し込む。
流石にここに居ると雨に濡れるだけなので屋根のあるところまで移動した。
当然あの少女も一緒に。
こちらをじっと見つめている幼い少女。
前髪は短く切りそろえていて長い後ろ髪は大きな
幾何学模様の着物を着て、素足にぽっくり下駄を履いている。
そして手には目を引く印象的な模様の手毬……その出で立ちは確かにそっくりだった。
外見は似てると言えば似ているのだが、何かが違う気もする。
単純に妹というには何かが違う、その何かまでは分からないけど。
「どうしたの? 迷子になっちゃったかなぁ?
なでしこはすっかりオオモト様の妹して接している。
その様子にリンも少女もほぼ同じようにため息をついた。
そんな呑気ななでしこに構うことなく、リンの方をまっすぐに向いて少女は話し始めた。
「ねぇ、この町から出たいんでしょう?」
同じような質問、声のトーンもどことなく似ていた。
他人の空似というレベルではないのは分かる。
体だけ子供になったとか、そんなマンガ的な事が短期間で起こるのもおかしな話だし……。
リンが直ぐに答えなかったので少女は少し不審な顔を向けてきた。
その大きな瞳は非難を訴えているように見えたので、リンは少女に意識を戻し慌てて返事を返す。
「あっ、ご、ごめん。うん、私たちこの町から出たいんだけど、何か方法あるのかな?」
少女と視線を合わせるように、やや中腰の姿勢になる。
普段のリンにしては珍しく温和な態度だが、ご機嫌を取っていると言うわけではない。
本来リンは小さい子と接するのはそれほど嫌ではなかったし、それにリンもこの少女のことをオオモト様の妹、もしくは姪のようにしか思えなかった。
初対面だがどこか顔見知りの子、その印象が強かった。
「歩いて出ることだけは無理ね。だからこれを使うしかないわ」
雨に打たれる鉄の列車を少女は指差す。
そのためにここにあるのか、リンはようやく理解出来た。
「使うって? あなたが運転できるのっ?」
女の子がなかなか目線を合わせてくれないので、華奢な両肩を掴んで強引に自分の方に振り向かせる。
可愛いなあ、視線の合ったなでしこが頬を緩ませてそう呟くと、女の子は少し顔を赤らめて俯く。
恥ずかしさを隠すように手にした毬だけを見つめていた。
「わたしは……出来ない。あなたたちが運転するの」
「えええっ!!」
「……っ!」
突拍子もない事に心底ビックリするなでしこと、言葉すらまともに出せないリン。
普通の学生にはあまりにも無謀な
「で、でもっ! 鍵っぽいのがないと動かないよ、ね? それに免許っぽいのも? いるよね……なにより動かし方が分からないよぉ!!」
なでしこは困惑しながらも妙に冷静な思考で、運転に際しての必要な事柄を指折り数えていた。
リンも同じような事を考えていたが、現状では明らかに無理だった。
「鍵なら持っているわよ、ほら。それにある程度の操作手順なら分かるわ」
少女は着物の袖から可愛らしい巾着袋を取り出して、軽く振って見せる。
ジャリジャリと鈍い金属音がするので何かは入っているのは分かった。
少女から巾着袋を手渡されて中を確認する。いくつかの鍵の束が入っていて、少女の言っていることが本当だと知った。
この電車用のカギなのかは分かってはいないけれど。
「でも、運転方法を知っているのなら私たちじゃなくてもいいよね? その、悪いけどお願いしちゃっていいかな」
リンは小さい子にお使いを頼むような明るい声で少女に手を合わす。
明らかに年下の少女に頼むのには気が引けるけど、この際仕方がない。
それでもずぶの素人が運転するよりかはずっとましなはず。
でもこの少女は何処で運転技術を知ったのだろう? 色々知っているようなので見た目と違って鉄道マニアとか……さすがにないか。
「わたしでは無理なの」
「どうして?」
「……」
リンの問いに少女は少し憂鬱そうな表情のまま唇を引き結んでしまった。
何か癪に障ることでも言ってしまったのだろうか。
「あっ! そっか!」
閃いたようになでしこがぽんと手を鳴らす。
そしてにやにやと意味深な表情を浮かべながらリンの肩をばんばんと叩いてきた。
何となく不快な態度だったのでリンは怪訝な顔を向ける。
「もう、リンちゃん鈍いなあ。ほら、こんなに小っちゃいんだもん。背が届かないんだよね?」
なでしこは無遠慮に少女の足先から頭までの長さを図る動作をした。
その子ども扱いの行動に、少女は憮然とした表情のままそっぽを向いてしまった。
その様子からなでしこの言うことは当たっているのだろう。
そういえば電車の運転席が高くなっているのはこういった子供のイタズラ防止のためのものかもしれない、リンは少女の態度で突然沸いた疑問が解決してしまった。
「はぁ……そういうわけで運転は任せるわ。教えるから運転席に来て」
大きなため息を一つつくと、少女は踵をかえして電車の側面にある運転席と思しき扉を指差した。
まだ正体も分からぬ少女に電車の運転を任される、それはひどく滑稽なことに思えた。
ただでさえおかしな世界なのに更に現実感がなくなりそうな事例が舞い込んでくる。
それにはリンもなでしこも普通に気後れしてしまうことだった。
「その、さ。無理に電車使わなくてもいいんじゃない? 線路が無事なら歩いて出ればいいことだし……ね」
リンは言葉になでしこも、うんうん、と大げさに首を振って同意する。
この路線は確か大きな川に平行して走っているので、箇所によっては電車が通ることしか考慮してない箇所もあった。
それでも素人が電車を動かすよりはリスクが少ない気がするのだ。
歩けさえすれば何とかなる、そうやってここまで来たのだから。
過去の経験と照らし合わすのは理屈じゃなく人間の本能だった。
「さっきも言ったけれど歩いて出るのは無理よ。もうこの世界は限界を迎えている。ただ歩くだけでは出れないのよ」
「じゃ、じゃあ、もし歩いて出ようとしたらどうなるの?」
恐る恐る尋ねるなでしこ。
怖い予感がするが、とりあえず聞かないことには納得は出来ない。
「何かが邪魔をするかもしれないし、あるいはあの連中のようになるかもしれない。どちらにせよ命の保証はないわ」
怖い事をさらりと言ってのける幼い少女。
あの連中……間違いなく白いゾンビ達の事だろう。
何の根拠もない発言のはずだが、この女の子が言うとなぜだか説得力があるように聞こえてくるから不思議だった。
それにその真意を問わずとも、リンとなでしこに底知れぬ恐怖と徒歩での脱出を断念させる効果はあったのだから……。
「開けてみて」
「うん」
リンはごくりとつばを飲み込んで扉に手を掛ける。
金属製のドアは雨に濡れているせいかつるっとして握りづらい。
錆びついて開かないのかと思い少し強めに引いてみるが、案外簡単にドアは開いた。
立て付けの悪さを示す不快な金属音すら出すこともなくスムーズに。
なでしこは怖がって中に入ってこようとしないので、リンが先に中へと足を踏み入れた。
薄暗い室内には当然のように誰も居ない、外との区別がつかないほど暗く縦に狭い場所だった。
リンは手頃な場所に持っていたランタンを置くと、中の様子がぼんやりと浮かび上がる。
見たことのない計器がそこかしこにあって、思わずこめかみを押さえてしまった。
(これ、やっぱり無理じゃないか)
リンは電車に興味はないので車両ごとの運転席の違いなど分かるはずもない。
それでもこの車両が相当古いことだけは分かる。
地元でもここまで古い車両はもう使ってないだろう、それだけレトロな装備だったのだ。
「こことここにその鍵を刺すの。その後、このスイッチを入れてみて」
薄暗い明かりの中でも気にすることなく少女は指示を出してきた。
この少女には恐怖というか、感情の起伏が少なくみえる。
その辺りもやはりあの人に似ているのだ。
リンは言われるがままに鍵を取り出して、少女の指示のままの手順で進めていく。
最後のスイッチを入れる際、何となく緊張してしまうが、この少女を信じて実行する。
ごごん!!
地鳴りにも似た高い音がしてことのほか焦りをみせるリン。
だが後は微かなモーター音がするだけとなったので、ほっと胸をなでおろす。
死んだように停まっていた電車に命が吹き込まれたようで、リンはなぜだか少し感動してしまった。
「凄い音がしたけど、大丈夫っ? リンちゃん!!」
何事かと思ったのか、なでしこが運転室に駆け込んでくる。
それでも薄明かりしかないのがまだ怖いのか、入り口で周りをキョロキョロと見るだけで奥へは入ってこなかった。
「多分……」
リンはたった一言だけ返した。
原付バイクだってまだ一年も乗ってないのに電車の調子など分かるはずもない。
エンジンが掛かったことだけは分かるが……。
それに今更だがとても気掛かりなことがあったのだ。
(電車って勝手に動かしたりしたらヤバイやつじゃなかったっけ? もしかしたらけーさつに捕まっちゃったり……)
今、考えなくてもいい事で頭を悩まされる。
とりあえず後のことは後で考えよう! うむ。
リンはとりあえず事後の事は置いといて、現状を脱することに専念した。
ランタンの灯りだけだとさすがに危ないので、リンは照明のことを尋ねようと、こちらを見つめている女の子と向かい合った。
淡い光に照らされた大きな目と視線を合わせる、すると女の子はふいに顔を背け運転台の窓にとてとてと近寄ると、興味無さそうに外の景色を眺めてしまった。
(変なところで子供っぽい)
車両前面にある大きな二枚のガラス窓からは、鬱蒼とした黒い闇と止むことのない雨の景色だけが映るのみであった。
「……あとは良くわからないから適当にやって」
少女はこちらを見ることなくそう一言だけ呟いた。
真面目で気難しそうな少女からの投げやりな言葉。
一瞬の間をおいて、リンもなでしこも口を開けたまま絶句してしまった。
「ここに来て丸投げ……」
リンは思わず口に出してしまっていた。
慌てて口を閉ざすが、少女の耳には聞こえているだろう。
怒りだすかもしれない、その思っていたのだが。
「丸投げは悪い事じゃないわ」
「えっ?」
少女の小さな呟きになでしこが耳を澄まして聞き返す。
「だって、地球は丸いもの」
なでしことリンは再び絶句してしまう。
少女の言葉は本気なのか冗談なのか分からなくなった、これぐらいの年の子の感性が掴みとれない。
そんなに年は離れていないはずなのに二人は世代のギャップを感じていた。
二人は手分けして色々なボタンに手を触れてみる。
さすがに二つの重要そうなハンドルには触れなかったが、誤って警笛を鳴らしたときは飛び上がりそうなほどに驚いてしまっていた。
暫くした後、無人の客席にパッと蛍光灯の明かりがつぎつぎと付いていく。
それでようやく電車が動きそうな実感が湧いてきたのか、なでしこは嬉しそうに車内を駆け回った。
「わぁ……!」
まるでイルミネーション見た時のような声でなでしこが感嘆する。
小平口町では殆ど見ることが出来なかった、豊かでくっきりとした明るさ、それが今ここにあるのだ。
リンは黙ったまま光の有難みを噛みしめていた。
「そろそろ運転の仕方を教えるけど準備いいかしら」
女の子は照明を気にすることなく、流れ作業のように話を進めてきた。
もう少しこの安心できる明るさに浸っていたかったが、ここからが肝心なので二人は後ろ髪を引かれる思いで運転室へと戻っていった。
……ブレーキにアクセル、構造はバイクや車と同じようなものだが感覚が全くつかめそうにない。
なでしこは一つ一つ口に出しながら覚えようとするが、自転車しか乗ったことのない人間にはスタートラインに立つ事すら難しいものだった。
リンだってなでしことそこまで変わりはない、バイクと言っても所詮は原付バイクなのだから。
なんとか進むことぐらいは出来そうだが、停車というか減速には全く自信がなかった。
まあ最悪、速度を極限まで落として走行すればいいのだけれど、それはそれで別の怖さもある。
例えば、狭い橋梁でゆっくり走ることは早く走ることよりも怖いことだった。
以前吊り橋を渡ったときのように、バランスを取ることも出来ない。
誰だって怖いことからは早く逃げ出したいのは本能だった。
少女の講義が一通り終わったところで、なでしこが疲れたようにため息をついた。
それはリンも同じことで、二人はぐったりと広い座席にもたれ掛かった。
知らない言語の短期講習を受けているような気分になり、脳が休息を欲しがっているようだ。
このまま寝てしまいそうな雰囲気のなか、なでしこが怠そうに呟く。
「そういえばさぁ……電車の明かりついたのに蛍ちゃんたち来ないよねぇ~?」
「うん。そうだね……」
短い間に色々な事がおきたせいなのか、何故か忘れていた燐と蛍の事。
この少女と出会ったときに、戻って声を掛けることも出来たのに何故だかそうしなかった。
だがそんなことすら考えるのが億劫でリンは瞳を閉じて休憩しようとする。
「リンちゃん! 私、ちょっと行って呼んでくるね~!」
言うが早いがなでしこは開かれたドアからホームに出て改札口まで走り去ってしまった。
リンはなんとなくその一部始終をぼーっと見ていたのだが。
あっ、と今更に気づく。
(逃げられた……)
なでしこに体よく逃げられてしまい、リンは一人客室に取り残される……。
と言う事は……。
「あの子は行ってしまったのね」
背後から可憐な声。
振り向くまでもないあの小さな女の子だろう。
「友達を呼びに行ったんだよ。すぐ戻ってくる、はず」
リンはため息交じりに口を開く。
なでしこは多分、少し時間をおいてから戻ってくるだろう、運転したくないだろうし……。
リンは自分にすべての責任が掛かったみたいになり、憂鬱な気分になってしまった。
そんなリンの苦悩に気にも留めずに少女は横に立って話し続ける。
「行っても無駄かもしれないわね」
「え!?」
その言葉を聞いてリンは今の悩みがすべてどこかに行ってしまった。
それぐらい嫌な感じが瞬間的に頭の中に過ぎってきたから。
「だって、あの子たちはもう……」
────
───
──
「わわっ!」
「きゃっ!」
突然地鳴りのような音が待合室まで響いて、燐と蛍は同時に驚いていた。
何か爆発の様な音したと思うとそれっきり音は止んでしまっていた。
「なんだろう? やっぱり何かあったのかな?」
燐はステンレスの改札に手をかけて懸垂をするような体勢でプラットフォームの奥を覗き込んだ。
暗くてよく見えないが、二人の姿はホーム上にいない気がする。
「う~ん、ホームの下に降りたってわけはないよね……」
「燐、気になるなら見に行ってみれば」
「もう、蛍ちゃん。まだそんなこと言うし~」
燐は改札からぴょんと身を離した。
ふわりとスカートが翻り、可愛らしいストライプのショーツが闇に映える。
「行くなら、蛍ちゃんも一緒だよ」
「でも……」
それ以上言葉を紡がせないように燐は蛍の手を握る。
力強く、でも包み込むような優しさで握っていた。
「燐……」
ガスランプの炎が二人の心を落ち着かせるように優しい燈火を湛えている。
「蛍ちゃんがさっき言いたかった事なんとなく分かるよ。でもあそこに行ったってもう……」
「うん、それはわたしも知ってる」
蛍の家の近くにあるという小さな旅館、そこが多分蛍の行きたい場所だろう。
女人禁制であることを義務付けられたそこで何が行われていたのか、もう二人には具体的な事まで良く分かっていたことだった。
「ねぇ、燐。覚えてる? 三間坂家が無駄に広いのは昔から増築を繰り返したからだ、って言ったこと」
「うん、そのせいで旅館みたいに広くなっちゃったって言ってたよね」
それはこの変わった小平口で蛍の家に行ったときに蛍自身が話してくれたことだった。
「あの時、離れまで行こうとしたけど、オオモト様の影みたいのが見えてそっちに行っちゃったじゃない? 考えてみたんだけどあれってわたしたちを遠ざける為だったのかなって……」
蛍と燐は家に人が居るのか探し回っていた。
蛍の提案で奥の離れにも行こうとしていたのだが、そこから色々なことが立て続けに起こってしまい、結局有耶無耶になってしまった。
「えっ!? じゃあ蛍ちゃんは……」
「うん。オオモト様はわたしの家の近くにあるって言ってたけど、それは多分わたしの家の敷地内を差してたんじゃないかって思ってるんだ」
蛍は待合室の天井をなんとなく見上げた。
いつも使っていた駅なのに今は嘘の様に静まり返っている。
嘘なのは駅だけじゃない、駅から見えるお茶屋さんも、あのお店も、何もかもが嘘の世界で出来ていた。
そしてそれは自分の家だって例外じゃなかった。
「考えてみたんだけど、家の離れって一度も行ったことなかったなぁって思って……」
「じゃあ、わたしたちをそこから遠ざけるためだけに、蛍ちゃんの家から追い出されたってこと!?」
「分からない。でも今になってみるとそんな気もするの」
蛍は燐の考えに曖昧な返事を返す。
(でも、それならオオモト様も関係してるってことなの?)
燐は様々な情報を纏めきれず、頭の中で撹拌されているような気分になった。
「ちょっと、燐大丈夫?」
「うん……じゃあ結局何なんだろうね”マヨヒガ”って」
「そうだね。でも、あんまり行きたくないところかもね」
蛍と燐、二人はベンチに座ったまま蛍の家の方角を見つめる。
あのときは単なる目的地だった蛍の家、でも、それはすべての始まりで終わりの場所なのかもしれない。
二人がぼんやりと考えを巡らせていると、突然それが起こった。
二人の背後からぱっと閃光が走ったのだ。
あまりのことに燐は咄嗟に振り返ると、改札口が明るく輝いていた。
電車の窓から零れでる光、客室の上部に備え付けられている照明の光だった。
それがホームを抜けて待合室まで照らしている。
忘れていた
「蛍ちゃん見て! 電車、明かりがついてる! この電車動くんだよ!」
燐は興奮して蛍の手を握ったまま、手を上にぶんぶんと振った。
蛍はそんな燐の楽しそうな様子に嬉しくなって、薄く微笑んだ。
燐はそんな蛍の儚い表情にあることを思い出した。
「あ、ごめん……蛍ちゃん見えないんだったっけ……」
燐は小声で呟いた。
そして蛍の気持ちを考えずにはしゃぐ自分がとても恥ずかしかった。
(やっぱりわたしはまだまだ子供なんだ……)
「ううん、気にしてないから。それに燐が楽しそうにしてるとわたしも嬉しくなるんだ」
「蛍ちゃんごめんね。電車が動いても蛍ちゃんと一緒じゃないとわたし乗らないから」
「わたしのことはいいから燐は電車に……あれ?」
改札口をみた蛍の動きが止まる。
あれだけ見ることが出来なかったはずなのに今はなぜか見ることが出来た。
「電車が……見える!? 緑色の電車……」
蛍光灯の光に浮かび上がる深い緑色のレトロな車体。
2両編成のそれは胴体部分に一本のラインが入った、親しみやすいデザイン。
例えるならその配色も相まってカエルのような車体が蛍の瞳にも確かに映っていた。
「蛍ちゃん、本当!?」
瞳を滲ませながら燐が興奮気味に見つめてきた。
「うん。見えるよ燐。今ははっきりと電車が見えた」
「蛍ちゃん良かったぁ! これで一緒に町から出れるねっ」
「え? そうなの?」
「そうだよきっと。わたしは蛍ちゃんも切符を手にしたんだと思う」
「そっか……燐がそう言うなら間違いないよね」
蛍は思わず目元を拭った。
電車が見えたことだけじゃない、燐と同じものが見えたのが嬉しかった。
「きっと、リンちゃん、なでしこちゃんが何とかしてくれたんだね。二人に感謝だね」
「うん。お礼言わないとね」
「それじゃあ、行こうか。あ、でもみんなの荷物ここに置いてってるよね……さすがに全部持つのはちょっと難しいか……」
そう呟くと横目でちらりと蛍の方を見てしまう。
蛍と目が合うと一瞬びくっとしたが、すぐにか細い笑みを返してくれた。
「やっぱり、二人が戻ってくるの待ってよっと」
燐はすこし慌てたように蛍の隣に腰かけた。
余計な事を言って蛍に迷惑な思いをさせたくなかった。
「そんなに気を遣わなくてもいいのに」
申し訳なさそうな蛍の声。
「ダメダメ、あの二人にはちゃんと自分たちの道具を持ってもらわないとね。これはアウトドアでの常識だよっ」
人差し指を横に振って持論を展開する燐。
形式張ったその態度が可愛らしい声とのギャップでなんとも愛おしかった。
「……ねぇ、燐。燐は今まで何かを諦めたことってあるのかな?」
「えっ!?」
突拍子のない質問に燐は目を大きく見開いて膠着してしまう。
「あ、ごめんね。突然変なこと聞いて。出来ればでいいから聞いておきたかったんだ」
頬に手を当てて申し訳なさそうに眉を下げる蛍。
燐は首を軽く振ると小さくため息をつく。
「大丈夫、ちょっとビックリしただけだから」
「そうだね……前はそんなことなかったんだけど……」
燐は複雑な顔で遠くをみるようにランプの明かりを見つめている。
ガラスの瓶に閉じ込められた炎は自身のように見えて、寂しい気分に駆られた。
「あはは、なんか……急に諦めることがいっぱい出来ちゃってさ、どうしてこうなっちゃったんだろうね」
「わたし変な事で悩んでるのかな? みんな上手くやってるように見えるのに」
自身のやるせなさを表すように燐は握った両手を何度も擦り合わせる。
上手く気持ちがコントロール出来ないことがとても歯痒かった。
「わたしはね」
握りしめた両手の上から蛍の手が被せられる。
暖かく柔らかい感触にはっとなった。
「わたしは燐のそういうとこ好きだよ。すごく可愛い」
「んもー、蛍ちゃん。人が真剣に悩んでるのにぃ。それに大体、蛍ちゃんから聞いてきたんでしょ~」
「ごめんね。でもわたし、本当は燐に嫉妬してるのかも」
「え?」
さっきから恥ずかしい反応しかしてないと燐は思ったが、それだけ蛍の言ってることが見当もつかないことばかりだった。
「だって燐は色々悩めるでしょ。両親の事、友達の事、そして好きな人のこと……色々悩めるのっていい事だと思うんだ」
「そう、なの?」
「だってわたし、燐の事しか考えてないから」
「でもっ、蛍ちゃんはっ」
「うん。確かにね……でも燐の悩みに比べたらちっぽけな事だよ。それに今に始まったことでもなさそうだしね」
「それは……」
「わたし、もう一度自分の家に行ってみようと思ってるの」
蛍は駅舎の窓の外から見える暗い景色に目をやった。
ここからでは蛍の家は見えないが、それでも体はその方向を向いていた。
「だって、もう」
「うん。今更行ったって意味ないと思う。でも燐の心が少しでも晴れるなら行ってみる価値はあると思うんだ」
「それにこの町だってこのまま放っておいたらどうなるのかなって……もしかしたらこの町が地図からなくなっちゃうのかなって思うと可愛そうって思っちゃったんだ」
「わたし、一応ここで生まれたんだしね」
「蛍ちゃん……」
蛍はくるっと回ってこちらを振り返る。
寂しそうな瞳、それでも笑顔を絶やさなかった。
そんな蛍の顔にレースのような灰色のノイズが降りかかる。
蛍の顔を見る資格すらないと言わんばかりに、白と黒のノイズがちりちりと蛍の姿を消していく。
燐は俯いたままベンチから立ち上がると、蛍のことをぎゅっと抱きしめた。
突然の事に目を丸くする蛍、それでも無意識に燐の背中に手を回していた。
「蛍ちゃん、一緒に行こ?」
「でも燐は……」
「わたしは蛍ちゃんと一緒じゃないとこの町から出ないって決めてるから。それにわたしの我儘で蛍ちゃんをずいぶん振り回しちゃったから今度は蛍ちゃんに付き合わないとね」
「燐……いいの?」
「うん」
燐は力強く頷く。
蛍の顔を見えなくしてるのは自分自身の弱さが作用してるんだ。
弱いなら弱いなりにやりようはある、今度は蛍のやりたいことにつきあうんだ。
「蛍ちゃん!! 燐ちゃん!!」
ばたばたと、けたたましい靴の音とともになでしこが改札口に滑り込んできた。
「電車、ばっちり動くようになったんだよ……って、うわぁ! ご、ごめんなさいっ! な、何も見てないからっ!」
駆け出してくるなり矢継ぎ早に話すなでしこだったが、燐と蛍が抱き合っているのを見て、顔を赤らめると両手で素早く目を隠した。
「あ。ちょうど良い所に、って……なでしこちゃん、誤解与えるようなこと言わないでよ~」
「そうそう、わたしと燐にとってはこれが普通なんだから」
蛍はしれっとした顔でハグを正常な行為として認定しようとする。
「もう~、蛍ちゃん~」
燐は抱き合いながら横目で抗議の目を向ける。
「それより電車、大丈夫そうだね。でも運転手さんとかいるの?」
「うん。リンちゃんが今、運転を教わってる、はず、かなぁ?」
目を隠したままのなでしこがたどたどしく答える。
別にやましいことはしてないし、そこまで刺激の強い行為なんだろうか。
妙なところで価値観の違いに気づいてしまう。
「え、リンちゃん電車の運転できるの? それに教わってるって誰に?」
「ええっと……オオモト様の妹さんっぽい子かな?」
指の隙間からこちらを見ながらなでしこはそう答える。
オオモト様の妹? 二人はシンクロしたように顎に手を当てて考え込んだ。
「もしかしてわたしたちが前に見たのと同じ子なのかな?」
「そうかも、しれないね……」
二人の脳裏にあの時見た、幼い頃のオオモト様の姿が思い浮かんだ。
見ていないので確信はないが、他に該当しそうな人はいないので間違いないだろう。
でも何で……今ごろになって?
それに……。
蛍と燐はオオモト様がどういう目に合っているかを知っているので、あの幼い頃の姿のままだったらと思うと複雑な気分になる。
二人が黙ってしまったので、不安に駆られたなでしこは少し声を大きくして呼びかける。
「リンちゃんならもうベテラン運転手レベルになってるから大丈夫だよっ。私たちも行ってみようよっ!」
なでしこはようやく目隠しを取ると、元気よくガッツポーズを決める。
割と無責任な発言だったが、燐と蛍を現実に返すほどに力強い言葉だった。
つねに元気で明るいなでしこを見ると、二人の心にも伝播したように元気が湧いてくる。
だからこそ今、言わなければならなかった。
「あのね。なでしこちゃん」
「うに?」
キャンプ道具を背負ったなでしこがちょっとおかしな返事をする。
蛍と燐はそれを気にすることなく話を進めてきた。
「わたしたち、その……」
なでしこの無垢な表情を見てると言い出せなくなってしまう。
分かれ道のときだって上手くいえなかったお別れの言葉、それをまた言おうとしている。
そう思うと蛍は急に胸が苦しくなってそれ以上言葉を紡げなかった。
「あ! もちろん、分かってるよん!」
「えっ? 分かるって……なでしこちゃん?」
口をぱくぱくさせる蛍を見てなでしこは何かを察したのか先に口を開いてきた。
心の内を見透かされたようで燐が驚きの声を上げる。
「ちゃんと二人が並んで座れるラブラブシートを用意しておいたよん。目印にブランケットを引いておいたからそこに座ってねぃ!」
なでしこは口に手を当てて、分かった風な口調のおばさんキャラになっていた。
「あ、いや、そうじゃなくて……」
「いいから、いいから。ほら遠慮しないでリンちゃんも妹ちゃんも待ってるよん」
燐と蛍の両方の手を取ってなでしこが強引に引っ張ってくる。
決して強い力ではない、それでも二人は振りほどくことが出来なかった。
悲しみを無邪気に包み込んでくれる暖かい手、それを無下に出来る程二人の心は強くない。
でも──これ以上甘えることも出来なかった、だから。
「わたしたち行くところがあるんだ。だから、ごめん。一緒に行けなくなっちゃった」
「……えっ?」
突然立ち止まる蛍と燐になでしこは顔を見上げる。
複雑な表情で見つめている二人の姿があった。
「せっかくここまで一緒に来たのにごめんね。わたし一人でも良かったんだけど……」
蛍は未だに抱き合っている親友の顔を見る。
意思の強い瞳、蛍の好きな燐のきらきらとした瞳が近くにあった。
輝きの奥にある深い悲しみ、燐が必死に隠してきた本当の気持ちが霧が晴れたようにハッキリと見えていた。
「わたしは蛍ちゃんと一緒に行くよ。何があっても一緒に」
強い瞳の輝きと力強い語句、燐の気持ちには迷いはなかった。
「燐は一度決めたら梃子でも動かないもんね。だからごめんね、なでしこちゃん」
「ごめんね、リンちゃんによろしく……」
「嫌だっ!!」
蛍と燐、二人の体を包むようになでしこが抱きついてくる。
肩を震わせて嗚咽を押し殺しながら顔を押し付けていた。
「そんなのダメっ! もう二人はどこへも行かせないもん! もしどこかに行くなら私も一緒に行くっ!」
「なでしこちゃん……」
蛍は堪らずなでしこの頭に触れる。
小刻みに震えるその体をいたわる様に撫でてあげた。
「もう帰ろう……みんな一緒に……後のことは後で考えればいいんだよぉ……」
何も言えなかった。
正しいとか間違ってるとはではなく、燐も蛍も何の言葉も選べなかった。
「なでしこ~、準備できたか~」
静寂を破るように、ことのほか暢気な声が駅舎に響く。
「ぐずっ、リ゛ン゛ちゃ~ん!!」
「お゛うっ!?」
鼻水を垂らしながら泣くなでしこと、困った表情で立ち尽くす蛍と燐。
場違いな場所に来たことへの驚きでリンは思わず変な声を上げてしまった。
………
……
「そっか……」
なでしこは二人を離すまいと顔を埋めながら嗚咽をあげていた。
そんななでしこの頭をリンは優しくなでてあげる。
「ごめん。わたしたち自分勝手だよね」
燐はなでしこの手に自分の手をそっと重ねた、振り払うわけではない。
ただ重ねたかった、小さく暖かい手の感触に触れていたかった。
「もう、そんなに謝らなくていいって。それにさ」
リンは待合室にあったパンフレットを見ながら呟く。
「行き当たりばったりを楽しむのも旅なんだって、ウチのお爺ちゃん言ってたんだ。だから寄り道するのもありなんじゃないかな。私もそういうの好きだし……」
「リン、ちゃん……」
リンの意外な言葉に蛍は少し驚いていた。
てっきり反対されるとばかり思っていたから。
「でもね」
リンはなでしこの両肩をポンと叩く。
なでしこはびくっと体を震わせるが、
「行くなら私たちも一緒だよ。待つのは苦手だしね。これでいいだろ、なでしこ?」
「リンちゃん……いいの?」
「四人で行けばなんとかなるよ、きっと」
「うん! 私、たとえ地獄の果てまでもついていくよっ!」
なでしこは両手で目を拭って元気よく答える。
今更、進むも戻るもないのかもしれない。
どっちみち目的地は一つしかないのだから。
「地獄っていうか……」
「ブラックホールの、底って感じかなあ」
燐と蛍は顔を見合わせて苦笑いする。
あのテーブルクロスの例えで蛍が何気なく言ったこの町の歪んだ原因。
ブラックホールのような途方もない力が町や人に影響をあたえていた。
その”穴”が多分あそこにある、そんな予感がしていた。
それを塞ぐ術があるのかは分からない、行ってみるまでは分からないことだった。
「ふぉぉぉぉ! ブラックホール、良いねぃ! 何か盛り上がってきちゃうよん!」
さっきまで泣きはらしていたはずのに、SF的な言葉を聞いた途端なでしこはテンションMAXとなっていた。
(怖がりなくせに好奇心だけは人一倍強い、見てて飽きないよ本当)
ため息交じりの表情を浮かべるリン。
だからこそ惹かれたのかもしれない、常に全力で楽しむなでしこの存在に。
「
熱くなった空気を冷ますように静かではっきりとした声が耳に届く。
いつからそこに居たのだろうか、改札口の先に一つの影があった。
電車の窓から零れる光がその影と形を浮かび上がらせる。
それは幼い少女。
リンとなでしこはそれ程驚かなかった、でも蛍と燐は蛇に睨まれた蛙の様に膠着していた。
それは良く知っているはずの人なのに、初めてあった人だったから。
なでしこの話から何となく分かってはいたものの、実際に見ると衝撃が凄かった。
その姿はおとぎ話の座敷わらし、そのものだったのだから。
「あなたは……オオモト様、なんですか?」
蛍は前にも同じことを聞いていた、けれども今は相手が違う。
声の震えを抑えきれなかった、目の前の人物を信じ切れなかったから。
四人と一人の少女。
それは銀色の改札口を挟み込む様にして対峙していた……。
───
──
─
急に暑くなってきたのでアイスを食べる機会が増えてますよー。
チョコミント味のPINOをコンビニで見かけて大変気になったが、結局定番のチョコミントぎっしりカップにしちゃったなぁ。
それにしても、ピノのASMRっぽい触感って何だろう? 気になった以上、今度試してみようと思ってみたり。
でも何かチョコミント系って強気な価格設定のイメージがあるんですよねー。何ででしょう?
そのせいでシーズン(多分夏の商品扱い)が終わると在庫一掃セールとかで安く売るんですよーーー、いや、安く買えるのはいいですけども。
後、変な商品がたまにあるんですよね……。アイスはまあ鉄板として、ドリンクはどうだろう……ものにもよりますが結構微妙かな? ドロッとしてるのは良いんですけど、ストレートな感じの飲み物は結構ヤバめですね。
あとはパンとかチョコとか……この辺は好みがはっきり分かれますね。チョコミントポッキーは結構良かったです、冷蔵庫で冷やすと上手さが増していくらでもいけるかんじでした。無限チョコポッキー出来るほどに。
それにしても暑いぃぃ。マスクを着用するのはそれほど抵抗ないけど、髪切りにいきたいなあ……。
5月中に終わらせる予定だったのに気づけばもう6月……6月は青い空のカミュの舞台設定月? なので何かもう一つ話を書きたかったんですけど……これが終わらないことにはなんともねぇ……自分はマルチタスクも無理だしデュアルタスクなんて余計に無理っぽいし……。
そういえばDL版も配信一周年みたいですねー。
で、すっかり恒例? の半額セールやってるみたいですねーー。なんかもうここで告知するのが当たり前になってるようですが。
それよりも……萌えゲーアワードあるものがあったのですねー! 私はすっかり知らなかったので何処でどういう形で集計してたのか分からないのですけど……。
青い空のカミュは受賞できなかったのかぁ……うぅ~、残念……微力ながら投票しておけば良かったよ……。
受賞こそは惜しくも逃しましたが、私の中では間違いなく2019年ナンバーワンタイトルである”青い空のカミュ”今なら一周年記念価格で50%!! そう考えるとお買い得感が……いつもと同じですか済みません……。
ですが、まだ未プレイの方がおりましたら、ぜひぜひチェックしてみてください!!
(……なんかもうテンプレになってる気がするなぁこのフレーズ)
あ、〆鯖せんせい書き下ろしの燐~。キュートでいいですねえー。(でも正直、線画のままかなとか思ってたのでちゃんと仕上げてくれて少しびっくりだったり)
そういえば両目のサトくんって初めてですかねー。片目状態を見慣れてるからかちょっと違和感があったり。
何でこの時期にと思ったら、上記の通りDLの一周年に合わせたんですねー。自分で書いておいて気がつかなかった……。
素敵な一周年イラストありがとうございます。
それではではーー。