─────古代において、蟲の群れというものは得てして全て災害と同義であった。
神の奇跡によりエジプトを襲った蝗は飢饉により国を傾けた。洪水ともにやってくるブヨと蚊の群れは疫病を媒介し、世界を薄暗い絶望の中に引き摺り込んだ。
それに、黒い渦雲のようにやってくる蟲の群れはそれだけで人の恐怖を煽る。小さくて蠢いているものというものはそれだけで生理的嫌悪感を想起させ、正常な判断を失わさせる。
つまるところ、私の“これ”は極めて合理的に何かを苛めるのに役に立つというわけだ。
空を覆う程の群れ、一つ一つが訓練された軍人を容易に殺害出来る殺傷性を持たされた蟲たちがたった四人の化け物に襲い掛かる。
数分前、それらを送り込んだ石楠は数百メートル離れた場所、山の稜線の岩場に座り込み、ニヤニヤと笑いながら慌てふためいているノーブルレッドと忌々しそうに顔を歪めている訃堂を眺める。ヴァネッサの内臓火器を面制圧に適した物に再構成、エルザも同様にテールユニットによる迎撃を行う。
そして、訃堂により四方八方に放たれた剣圧による結界でどうにか雪崩のような群れの襲来を抑え込んでいるが、討伐には至らない。石楠の腹から生み出された大量の異形の蟲達、その一つ一つが
「私の
そう言って石楠はケタケタと笑いながら岩肌に寝転がる。しかし、終わるまで雲の数でも数えていようかと思った石楠の脳裏にミラアルクの姿が過ぎった。
「……あれ、あの子どこいった?」
“数分前まで視界に居たはずの後輩がいない? あ、もしかして”とそこまで思考が及んだ時、声が聞こえる。
「ここなんだぜ……!」
視界外からの急襲、石楠の顔面に身体の容量を限界まで膂力の強化に回したミラアルクの拳が捻じ込まれる。どごん、と鈍い破砕音が響いた直後、頭を鷲掴みにし再度地面に叩きつけようとするがミラアルクは掴んだ頭が全く動かないことに気づき、困惑した。
「──は!?」
頭を地面に叩きつけられ、ブリッジのような姿勢でのけぞった石楠がその体勢のまま全身をロック、唯一付いている足元だけの力でミラアルクの膂力を上回り体を固定したのだ。無論物理法則を無視した力の使い方である、通常ならばふくらはぎの筋肉が断裂するが……そもそも
力の行き場を無くしてつっかえたミラアルクは体勢を崩し、ぐるりと身体が回転、空中に無防備な形で身を放ってしまう。
「……やばっ!?」
「ん〜50点、よく知らない相手を掴んじゃダメでしょー」
板バネのように身体を跳ね上げるその勢いのまま、強烈な平手打ちがミラアルクの鳩尾に叩き込まれ……その衝撃で肉体が血煙となって四散した。
「あれ、まだ生きてるよな、ん?」
「なんつー……化け物……!」
「あ、生きてた」
ミラアルクは霧散した身体を再構成して再び目の前に現れる。明らかな怯えを帯びた視線に、ニタリと石楠は笑った。
「んふふふ、そうとも。化け物の先輩だぜ? ……霧になって一人だけ抜け出して来ちゃったか、あの子たちの感覚器の共有は切ってたから、わからなかったな」
軽く背伸びをして、ふぅと息を吐き、
「じゃ、遊ぼうか。今度は壊さないようにするからさ」
ジャージ姿のままニコニコと笑顔を崩さず、両腕を前に緩く突き出すように構える。
「
「正直、ありがたいぜ……!」
目の前の化け物が手を抜いてくれている、その事実はミラアルクの内心に少しの安心感を覚えさせた。しかし、直後彼女はそれが大いに間違いであったと思い知る事になる。
全身の再生を終えたミラアルクが地面を踏みしめ飛び出すと拳を叩き込む。しかし、顔面を捉えた筈のそれがそっと添えられた石楠の手によって捕らえられる。
「ほいっと」
ミラアルクはくるりとベクトルを変えられた腕を掴み取られ、ダンスのターンの様な動きで身体を投げられ、地面に叩きつけられた。
「────かはっ」
急速に収縮した肺から空気が追い出され、意識が混濁する。何をされたのか分からぬままどうにか反撃をしようと体を起こしたところに喉元に石楠の腕がするりと入り込んだ。
「──大昔、アメリカの女軍人に教わった技でな。CQCとか言ってたっけ、まぁ殺さずに人間を大人しくさせるのに便利でさぁ」
石楠はギリギリと首を絞め上げながら世間話をする様に話を始める。ミラアルクは必死で腕を外そうともがくが、一寸たりとも動かず、ただ服の繊維が指先で破けていく。
「っ、がっ、ひゅ……!」
「人の感覚が残ってると苦しいよな〜気絶も死ぬことも出来ないって大変なんだよ」
「──────」
口端から泡を吐き、必死でもがくミラアルクを見ながら、石楠はニコニコとした笑顔を崩さず、絞め上げる力を一定に保ち続ける。
「ああ、どうして霧散して逃げられないかって? お前の脳を私の髪を経由してジャックしてるからなんだな、これが。早めに慣れるかどうにか力尽くで外すのがおすすめだぞ」
「────!? ──ゅ──っ──」
窒息の苦しみで混濁する意識の中、絶望の表情を浮かべて暴れるミラアルクを見て、何かを思いついた様な顔とした石楠は腕に軽く力を篭めた。
「ちょいさ」
ぺきょ、と気の抜けた音がしてミラアルクの首が折れ、直後激痛と共に粉砕した首の骨が再生、元の姿へと復元される。
「一瞬の衝撃で体がバラバラになるよりこういうのが痛いって、勉強になったろ?」
「───こ────す」
「ん?」
「───こ──ろ─す」
苦しむミラアルクの口から微かに漏れる殺意の言葉に石楠はニンマリと笑顔を溢す。
「ようし、いい子だ。めげない子は好きだぞ?」
諦めない限り無限回の試行を繰り返して勝ちを拾う、それが不死者の基本的な戦い方である。無論、ミラアルクの肉体は完全な不死ではない、生体内のエネルギーを完全に失えば肉体の維持すらままならなくなり崩壊するだろう。実際のところ、4時間も脳への血液供給を遮断すれば脳神経の再生が追い付かずに死に至るというのが石楠の目算であった。
「さて、4時間もすれば脳が腐ってゾンビになるだろうけど……殺し合いじゃないからね」
ごきり、とミラアルクの首の骨を再度へし折る。再生までの一瞬、意識が落ちている彼女の身体を放り投げる。
「そうだな折角来てくれたんだ、格闘技の基本くらいは仕込んでやるよ。あ、飛ぶなよ?」
先ほどの軽く手を開いた構えからギリィと拳が軋む音を立ててファイティングポーズをとる。そしてすたん、すたんとステップを踏み体を揺らし始めた。
「ゲホッゲホッ……ぺっ、今度はボクシングかよ、多芸な奴だぜ……誰が付き合うかなんだぜ、逃げ……あれ?」
付き合ってられないと一旦飛んで逃げようとするミラアルクだが、翼が先ほど拘束を逃れようと腕を強化した状態から戻らない。
「こちとら紀元前生まれよ、拳闘ならパンクラチオンが生まれる前から知ってるとも。あ、脳に刺さった私の髪がまだお前の身体操作は制御してるから。霧とか蝙蝠になったりあと飛ぶのも禁止な」
「はぁ!?!?」
「では試合開始〜!」
「────ああもう! ヤケクソなんだぜ!」
顎を両拳で挟むように構えた石楠が右足を軽く踏み込む。数度のリズムを刻むようなステップ、左右に淀みない動きでダッキングする石楠の顔面を捉えようとミラアルクの振りかぶった拳が打ち込まれた。
しかし、最後の一ステップのリズムが
石楠の頬を撫でるようにミラアルクの拳がすれ違う。そして容赦なく打ち込まれた石楠の左フックがミラアルクの顔面に突き刺さる。
「へぶっ!?」
「おっと、まだだ」
即座に怯んだ顔面に右ストレート。そして、のけぞった体を浮かすような左フックが胴部にねじ込まれる。
「がっ!?」
「反射神経は人間と比べ物にならないからと油断すると、ああいうフェイントが刺さりやすいぞ〜次から気をつけろよ」
そう言ってニタニタと笑う石楠は構えを解くと、ちょいちょいとミラアルクを挑発するように手招きする。
「じゃ、実戦だ。今度は気の向くままに打ち込んでみろ、顔面に1発でも当てられたら今日は許してやろう」
「1発と言わず100発叩き込んでやるんだぜ……!」
ミラアルクの返答に石楠は悪戯っぽく微笑んだ。
と、このように心温まる(七岐視点)トレーニングが始まっていた頃、無数のラフムに囲まれている訃堂達3人は一向に勢いが緩むことのない異形の群れに四苦八苦していた。
既にヴァネッサとエルザは満身創痍とまではいかないがかなりの手傷を負い、訃堂は無傷ではあるものの絶え間なく襲い掛かる異形の群れを迎撃し続けその場に釘付けにされている。
しかしラフムの群れはどんどんと減り続け、その総数は最初にぶつけられた時の1/3程になっていた。しかし主要火力として大きく役立ったヴァネッサの火器の残存は既に底を尽きていた。
肉体の再改造によって理論上無尽の内蔵火器を使用できるヴァネッサだが、最大火力での面制圧砲撃を絶え間なく続ければエネルギーは一時的にでも枯渇する。それはエルザも同様である。寧ろ増設されたテールアタッチメントが肉体にかける負荷は尋常ではなく、既になんとか立つのがやっとという有り様であった。
「ぬぅん!」
一方、風鳴訃堂は一切の疲労を見せぬまま群れを捌き切っていた。むしろ群れを一息に吹き飛ばしてしまわないよう手加減すらしていた。
訃堂はそもそも石楠七岐という生き物の性格をそれなりに理解している。身内に甘いあの生き物だ、宣言通り本当にあの3人を殺しはしないだろう。その上で“お前一人で全部潰さないように手加減しろ”という言外のメッセージを込めて放たれた群れに対して、訃堂は若干飽き始めていた。
なにしろこの男、齢100歳を超えておきながらが筋金入りの女好きの阿呆である。可愛い女子に修行にかこつけてあわよくば尻の一つでも触ってやろうと思っていた所にこの仕打ち。万が一本当に命の危険があった場合のために警戒と発破をかけたものの、その心配も完全になくなった今、訃堂のやる気は完全に無くなっていた。
(ふうむ、数も十分減ったとなれば……)
訃堂は飛んでくる無数のラハムを木刀と拳で叩き潰しながら欠伸をする。
「ふむ、大分減らしたしもうよいか。じゃ、儂帰る」
「「…………は!?」」
突然の発言にヴァネッサとエルザは呆気にとられる。
「だって儂、カワイコちゃんと修行ついでにキャッキャウフフするつもりで来たのにあの若作り女の蟲に囲まれて段々やる気失せたし喃……」
「ちょちょ、待って!? 待って! 私たちだけで残りの相手したら死ぬわよ!?」
「死なん死なん。あの女身内には甘いから宣言通りに死にはせんよ、死ぬより酷い目に遭うかもしれんが」
そう言って訃堂は木刀を上段に構え、右手で九字を刻む。そして霊験あらたかなる焔を纏わせ振り下ろし、灼熱の斬撃を以て帰路を斬り開いた。
「じゃ、儂屋敷で夕飯仕込んどくから。洋食にしとくから心配せずともいいぞ」
「え、いや、ちょっと待つでありま、痛っ!」
思わず引き留めようとしたエルザが伸ばした手を咎めるようにラハムが一匹掠めるようにして肉をかじり取る。
「では然らば、何、戦場で限界を迎えることなどよくある。そこからどのように生き残るかを学ぶのもよかろうて」
「えっちょっ、ああもう!」
脱兎の如く訃堂は駆け出し、目にも止まらぬ速さで屋敷へと戻っていく。
そして、この場における最大の強者が欠けたこのタイミングでラハムの群れは二人に一斉に襲い掛かった。
「━━━━━━ええい! やってやるでありますよ!! ええ!! ヤケクソであります」
「━━━━━━ああもう畜生! やるわよ! なんて自分勝手な人達なの!?」
─────この後、ヴァネッサとエルザがラハムの群れをほぼ素手で殲滅するのにかかった時間は3時間。
その間にミラアルクは肉体が爆散する事37回、複雑骨折374回、過度の損傷による感覚麻痺、顔のタンコブ無数、というボロ雑巾のような有様となっていた。
ラハムの全滅の少し前、余裕そうな表情でゆらゆらと揺れる立ち姿の石楠に対し、青痣とタンコブだらけになったミラアルクがふらつきながら拳を構えていた。
(ん〜頑張ってるな、あの子たち。訃堂の奴は夕飯の準備にいったし、もうちょっとかかると思ったけど……こっちも
一見足元も覚束なさそうなミラアルクだが、一瞬体を倒し、ふらついたように見せかけたその時、タタラを踏んだその足を強化し間合いを一気に踏み潰した。
一歩、二歩、あえて途中で二の足を踏む事でタイミングをずらすステップで拳の間合いに入り込む。
「オラァ!」
身長176cmの石楠と比べて、ミラアルクの身長は二回りも小さい。そしてダッキングによってより低い体勢からカイロプテラによって強化された拳がコンパクトな動きで連打される。
一般に人型は、自身の目線より著しく低い場所からの攻撃は避けることが困難である。しかし、事も無げに乱打を掌でいなすと胴部へ鋭い爪先蹴りを射し込んだ。比喩ではなく胴体を貫通し得る威力で撃ち込まれた蹴りは虚空を裂くのみだった。
「────ヒュウ、やるぅ」
「くたばるんだぜ……!」
蹴りが差し込まれた瞬間、ミラアルクは
(ちょっと吃驚したが、まだ避けられ────!)
ぐるりと空中で回転するミラアルクと
「しまっ────!?」
その時、吸血鬼のもう一つの能力、
轟音をたて、蹴りが炸裂。石楠の肉体は地面に叩きつけられる形で崩れ落ちた。
「━━━━━━よっしゃぁあああああ!! ざまぁみやがれだぜ!!!」
ミラアルクはぴょんぴょんと跳ね回り、喜びを露わにする。地面に叩きつけられた石楠がすぐに起き上がり心底驚いたという表情でその様子を見つめていた。
「…………ぐぇ、ぺっぺっ。まさか本当に出来るとは」
口に入った砂を吐き出して石楠は微笑む。
(ガッツがあるとは思っていたが、なるほどこれはいい子達を見つけた……)
ミラアルクの一撃と同時にラハムが全滅している事を確認し、懐から出した煙草に火をつける。紫煙を吐き出し、小さく伸びをする。
却説、満身創痍の状態ではしゃいだおかげで全く動けなくなったミラアルクを担ぎ、石楠は残りの二人と共に屋敷に戻る。そして締め括りとしてこう宣言した。
「──────ようし、お疲れ様! これにて
「「「第 一 回 ?」」」
「心配するな、第二回以降は未定だ」
ほっ、と安堵する声が響く。その様子に石楠はケラケラと笑う。
「まぁ何、今日はお前達の試運転と休暇も兼ねててな」
「休暇? 私たち別に働いてないんだぜ?」
「違う違う、お前たち今まで追われててゆっくり休めてないだろう? だから温泉のある別荘借りてきたんだよ、あ、夕飯は訃堂と私の交代でやるから」
屋敷の縁側に座り煙草をふかす。
「あと、お前らの戸籍と家用意するのに一週間くらいかかるからそれまで暇だしせっかくだから遊ばせとこうって話よ、いや〜私って後輩思い〜」
「……はい?」
ノーブルレッド達は一様に首を傾げる。
「つまり今日から一週間は自由時間です、屋敷にボドゲとゲーム機もあるし、山遊びするなら訃堂が得意だぞ。釣竿とかも納屋にあるし」
「私達、騙されてるのかしら……?」
「いやぁ……どうなのでありますかな……?」
「……あれ、結構お節介焼きだから多分本当に休暇だと思うんだぜ」
コソコソと目の前で相談を始めるノーブルレッドを見て石楠はもしかしてこいつらは天然なのだろうか? と笑った。
そうしているとスパンと襖を開き、鍋をを持った訃堂が現れた。
「夕餉の時間だ、儂特製ビーフカレーを食うがよいッッ! 我が子らは全員これを食べて育った防人のための栄養素を兼ね備えた完全食よッ!」
「うちの後輩を防人にするなこの護国バカ」
ぺしりと訃堂の脳天にチョップが入る。その様子を困惑しながら眺めるノーブルレッド達を二人は屋敷の食卓に引っ張り、食うだけ食わせたあと石楠の『泥塗れで汚ねぇ』という本人の行動を完全に棚に上げた発言により全員を温泉に叩き込み、石楠の第一回後輩育成計画のメインイベントはこれにて終了した。
ちなみに、5人は翌日丸1日を桃太○電鉄で潰し反省のタメゲーム機の使用制限をかける事になる“桃○事件”や、山での熊との乱闘後の和解など些細なトラブルがあったものの無事休暇を完遂した。
それと、この合宿兼休暇は仕事をサボりたかった石楠と訃堂の結託により生じた物であるというのは永遠の秘密である。
風鳴訃堂のキャラ違いすぎない?問題に関しては後々理由を過去編とかでやる可能性がないわけではないです。