国家解体戦争より幾らか時を戻した、ネクスト開発ただ中のBFF。
リンクス発掘や軍部への貢献で、すでに軍中に権勢を奮いつつあった王小龍は、自ら見出した天才的な操縦技術を持つリンクス、メアリー・シェリーに、ある辞令をつきつけようとしていた。

「技術開発研究所への配置転換を命ずる」

それは事実上、彼女のリンクスとしての未来を剥奪するに等しい処置だった。

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極夜の旭日

 

「わたしが、技研に? どういうこと?」

 

 相対する女の射竦(いすく)めるような視線。それを気にする素振りもなく、男は書類に目を通していた。

 彼の執務室に差し込んでいた日は少し前に完全に落ちていて、室内灯の不健康な光と瀟灑(しょうしゃ)なデザインのテーブルライトの人工的な光によって、彼のデスクに彼自身の影を落としていた。

 男は相変わらず紙束を流れる字を追うばかりで、詰問(きつもん)する女の顔を見ようともしない。暫くの沈黙の後、なんでもない雑談のように口を開いた。

 

「財団は、お前がネクストのパイロット……接続者(リンクス)として不適格であると判断した。そういうことだ」

「……なぜ?」

 

 辛うじて、という印象で冷静を装った女は、厚手のオーク材でを削って組まれた年代物の机を挟んだ向こう側から、男が書類を捲るのを苛立たしげに見ている。

 

「AMSへの適正値。戦闘シミュレーションでの操縦技術。……誰ひとり、わたしに勝てるやつなんていなかった」

 

 女は少しずつ口調に怒気を含ませながら、それでも努めて男に言い聞かせるようにした。そういう態度をとっていなければ、湧き上がるような怒りを抑えていられない、とでもいったように。

 

「……」

「お前が求めるままに、わたしは力を示した。全てわたしが一番だった。他の誰にも不可能だと思われていたことも、わたしにならできた。そういう存在が必要だとお前が言った通りに、結果は出したはず」

 

 欧州一帯に勢力圏を築くコングロマリット、バーナード・フェリクス財団──BFFに、メアリー・シェリーの存在がどれほどの恩恵を(もたら)してきたか。未成熟だったAMS関連の技術的蓄積と、接続者(リンクス)の調整方法の確立。なにしろ新しい技術ゆえに活用できるノウハウなどもなく、長く手探りのまま停滞が続いていたそれらの技術は、ある時を境に格段の進歩を遂げた。破格の適性をもつメアリーという天才が見出され、AMSのテスターとして献身的に協力しはじめてからのことだ。そんなものは、BFFにおけるネクスト開発に縁あるものならば誰もが知っている。

 すでに支配体制としての体をなさず、腐敗しきった国家というシステムを打倒し、そこに新しく企業による管理体制を作りだす。国家の堕落により力を持ちはじめた強大ないくつかの企業たちの密かな計画。はじめは夢物語にすぎなかったそれは、彼女を含めた極めて少数の選ばれた存在(リンクス)と、彼らが搭乗するまったく新しい人型兵器(ネクスト)の理論によって、(にわか)に現実味を帯びはじめていた。

 

「それで、あのウォルコットとかいう家柄だけのやつらに、わたしの代わりをやらせるつもり? ……バカげてるわ。ふざけないで」

 

 王小龍(ワン シャオロン)は、いまだ書類に視線を落としたままだった。新型のアーマード・コア、ネクスト開発を進めるBFF軍部のエージェントとしてメアリー・シェリーを見いだし、彼女が最高のパフォーマンスで力を奮える舞台を作り続けてきた男だ。自らも優秀なAMS適性を持つ選ばれた存在(リンクス)であるという事実を無視するかのように、メアリーこそがBFFの希望だと内外に発信し続けてきた。

 メアリーは自らの優性が絶対無比のものであるという確信を持っている。他人など見下す対象ですらなく、目端にとまることすらない。そんな彼女ですら、このくたびれた初老の男が、どれほどの労力をかけて自分のために働いてきたかという一事だけは理解していた。あるいはその労に報いて、期待に応えてやるのもやぶさかではない、とメアリーをして思うほどに。

 だからこそ、この男が自分は必要ないと告げた事実に、メアリーは(いきどお)っていた。

 散々わたしの才能を利用するために這いずり回り、艱難辛苦(かんなんしんく)()めてきのだろう。その結末が、これなのか。

 ウォルコットという名を聞き、王小龍は僅かに書類を眺める目を止めた。やがて息をするついでといったように口を開く。

 

「確かにお前は、今いる候補者の中では誰よりも高いAMSへの適性と、しなやかなネクスト操縦センスを持つ。それは疑いない」

 

 王小龍の言葉に感情の抑揚はない。彼がその言葉から感情を読まれてしまうような脇の甘い人間であったら、BFFで権勢を築くことなどなかっただろう。

 メアリーにとって貴族的権威主義が蔓延(はびこ)るBFF中枢の政治の汚濁など、穢らわしいという思いしかない。そんなものに触れるのだって堪え難い。その汚濁を(たた)えた政治闘争に、彼は自ら飛び込んでいったのだ。彼がメアリーにそれらを語ることはないが、漏れ聞く噂に眉を(ひそ)めたのは一度や二度ではい。そして今も、その怨念が渦巻く汚濁の中心に近い位置で戦いともいえない戦いを続けているのだろう。彼の凍り付いたような表情から、やはりなにがしかの感情を察する事は難しかった。

 しかし、それがいっそう、メアリーを苛立たせるのだ。メアリーが音を立てて机に両手をつくと、王小龍は一度だけメアリーに視線を投げ、すぐに書類へと戻る。一瞥(いちべつ)された、とメアリーは思った。

 

「……お前は優れている。お前の後を追い、今も調整を続けるウォルコットの姉弟よりも。既にレイレナードで頭角を表しているベルリオーズよりも。傑物(けつぶつ)と噂に聞こえる、オーメルの寵児(セロ)よりも。無論、私などよりもだ。……なりふり構わずに完成を急ぐアクアビットの候補者どもとなど、比較するまでもない。奴らがその命を(なげう)って求めても不可能だったネクストでの実戦も、お前ならば易々とこなすだろう」

「……わかりきったわたしの評価を聞かせろと言った覚えはないわ」

 

 焦れたように王小龍の言葉を遮った。今、自分の中を駆け巡る、行きどころのない怒りが失望にかわらないように努めている。そういう努力が必要なまでに、この男が次に何を言うか、メアリーは察してしまっていた。

 

「ゆえに。……だからこそだ。だからこそ、おまえにネクストは相応しくない。技研にいき、テストパイロットとしてその資質を活かせ」

「……納得、できない!」

 

 思ったより大きな声が出た、とメアリーは内心驚いていた。この男に対して感情をぶつけてしまうような未熟さを、少し憎む。だが、それはもう抑える事ができそうもなかった。感情が、言葉を彼女の内側から押し流すように。それは、ほとんど呪いにさえ近い言葉に思えた。

 

「……わたしを鳥籠(とりかご)から連れ出したのは、お前だ」

 

 王小龍が視線を上げた。薄暗い、湿ったような眼で、メアリーを見据えてくる。

 ……まただ。メアリーは憤った。この男の癖だ。こうやって眼だけで人を黙らせようとする態度が、昔から嫌いだった。拒絶ならば、怒鳴ればいい。否定ならば、言葉で自分を傷つけようとすればいいのだ。他のやつらは、なるほどその眼で睨みつければ萎縮して黙ったのだろう。百戦錬磨の謀略家が発する威圧の視線には、それだけの力がある。

 ……そんな他のやつらと同じように、わたしを眼だけで黙らせようというのだ、この男は。だからいつだってメアリーは、この男の、この眼に対して黙りはしなかった。それがメアリーの王小龍に対する向き合い方だったし、そんなことはこの男もとっくに知っているはずだ。それなのに。その上で、まだこいつは、わたしをあの眼で黙らせようとする――。

 

「お前がわたしを必要だと求めたから……わたしに(こいねが)うお前を憐れんで、わたしはお前についていく事を決めたの。それなのに、もう要らなくなった? 用済みだから引っ込めと? ……(ゆる)せない。わたしは、認めない!」

 

 メアリーは(まく)し立てた。(おり)のように沈み込む怒りを精神力でかき乱して、そのままこいつにぶつけてやるのだ。そうしてわたしにひれ伏して、許しを乞うがいい。

 

「……お前はわたしをあの屋敷から解き放つと言った。……それはお前が、わたしが飛ぶに相応しい空を用意できると思ったからではなかったの……?」

 

 ……ああ、なんて見苦しい! 自己嫌悪に引き裂かれながら、メアリーは吠えていた。相対する(くら)い眼をした男は、そんなメアリーの昏い叫びでさえ、なんでもない事かのようにメアリーを見ている。机を挟んだ数歩の距離がもどかしかった。この男がわたしのたった一歩前にいたなら、すでに殴っていただろう。そのまま押し倒して、わからせてやっただろう。自らの吐いたうかつな言葉を後悔するまで、酷くしてやったに違いない。

 だが、王小龍と自分の間に横たわるその数歩という距離が、辛うじてそうした行動を押し留めさせていた。

 やっと読み終えたのか、王小龍は手にしていた書類束を揃えて机の上に戻し、椅子の背に少し体重を預けた。

 その姿がようやくメアリーに対して会話をしてやろうという気になったとように見え、やはり彼女を苛立たせた。

 

「……お前が、どういきり立ったところで、財団の判断は覆らない」

「財団なんかはどうでもいい。――お前よ。お前がどう思っているのかを聞かせなさい」

「私がどう思うかは、重要ではない」

 

 いいか、と王小龍は続けた。メアリーに対して、含むところなど何もないかのように。それが、論ずる必要さえない説明であるかのように。それは、親が子を(さと)すように。

 

「私たちが始めようとしている戦争の要旨はわかるな。力を失い、権力に腐った国家どもを撃滅し、我々が新たに支配階級として君臨し統治する。それが基本となる。そしてそれを為すために、我々が求めるのは不撓不屈(ふとうふくつ)の“旗”だ。なにがあろうと折れず、(たお)れずという象徴。BFFの庇護下にある全ての民衆がそれを見上げ、その旗に憧れるような。財団こそが自らを支配するに足る存在なのだと世に示し、その旗の下にすべての民衆が集う。そういう燦爛(さんらん)と輝く“旗”として、お前は相応しくない」

 

 メアリーの強く(とが)めるような視線を無視するように、王小龍は語る。いつもより饒舌(じょうぜつ)だ、とメアリーは思った。世間がよくいう”口先だけで出世した陰謀屋”という評は彼に対してのものだが、実際の王小龍は口数の少ない、考えの掴みにくい男だ。そんな男が、今これだけの言葉を尽くしている。この男なりのメアリーに対する誠意というものなのだろうか? ふざけるな、とメアリーは思う。

 

「お前は劣る。ローゼンタールでいう、レオハルトに。或いはイクバールのサーダナに、レイレナードのベルリオーズにも」

 

 言葉を一度切って、王小龍は息を吐いた。わずかに語気が沈んだようにも聞こえる。

 

「確かに私は、我々の“旗”はお前であればよいと思っていた。そうあるためならば、私はどのような労も惜しみはしなかっただろう。しかし結局、戦士として、兵士として……お前には相応しくなかった。それは複合的な判断だ。お前に咎はない。ただ、そうであったというだけの話だ」

 

 崩れるものか、とメアリーは(たけ)った。体中の血という血が燃えるような怒りだった。思えば、メアリーの魂が初めてこのような燃え盛る怒りを覚えたのも、あの日のこいつが原因だった。

 あの日、あの屋敷で、朽ちゆく枯れ草のようだったメアリーの手を引いた王小龍の、眼の奥で昏く燃える(おぞ)ましい炎。それは今でも、メアリーの身体の奥で熾火(おきび)のようになって燃えている。今こそ、その熱を、血の熱さを叩き返してやる時ではないのか。

 

「ああそう。結局お前まで、わたしを利用したという事ね。あいつらのように!」

 

 メアリーは二人の間に横たわっていた数歩の距離(ルビコンの川)を踏み越えた。テーブルに乗り出し、呼吸を感じる距離にまで顔を近づけた。右手で王小龍のスーツの襟を掴み強く引き寄せる。王小龍はされるがままにしていたが、やがて迷惑そうにメアリーの腕を払い、襟の乱れを直した。

 メアリーはほとんど机に乗り上げるような形のまま、王小龍の顔をねめつける。感情のゆらぎ。飲み込んだであろう言葉。引きずり出してやる!

 

「……企業に取り入り、軍で権勢を得るためだけに。わたしをあそこに捕えていた両親や兄妹たち(あいつら)のように……わたしを!」

「……私は」

 

 王小龍の語気が突然強くなった。そう感じてメアリーは黙る。ようやくそうなった。

 ……そうなのだ。お前ごときに、道理や正論でわたしを言い負かすことなどできるはずがない。おまえ自身の言葉で、自分に何を言うつもりなのかひとつ聞いてやろう、という気になった。

 王小龍は椅子に預けていた体を持ち上げ、机に両肘をついた。身体を前に乗り出して、メアリーに近づける。まっすぐ、あの射竦めるような目でメアリーを見ていた。

 

「……私ははじめから、お前の“襤褸人形(フランケンシュタインの怪物)”などではなかった」

「……ッ!」

 

 メアリーは、一瞬息が詰まるような気分になった。過去、初めてこの男と出会った頃の記憶が、一瞬でメアリーを駆け巡る。あの森。あの館。あの、死んだような日々。慟哭(どうこく)すら絶えたような、闇の日々。……棄てたはずの名!

 それは、もう二度と誰にも語るまいと決めていた、彼女の決意だ。自分と、あるいはこの男だけの。……そうだったはずだ。

 恥辱だ、とメアリーは思った。自分の中にある一番深い、芯の部分を暴かれて穢されたような。

 

「お前が私に何を期待していたのかは知らんが……いいか、メアリー」

 

 名を呼ばれた。いつ以来だろうか、となぜかそんな事を考えた。王小龍は深く息を吐いて眼を()せ、やがてメアリーに視線を戻した。出会った頃よりも、いくらか老いた眼だった。

 

「お前が私を信じたのはお前の勝手。私が、お前を裏切るのは私の都合だ。つまり……それだけの話なんだ、これは」

 

 王小龍は椅子から立ち上がる。束の間呆然とするメアリーの横をすべるように通り過ぎて、部屋の出口へと歩を進める。これで話は終わりだ、とでもいうようにだ。

 

「恨めばいい。その権利は残る」

「まだ話は……」

 

 終わっていない、と言おうしたメアリーに、顔だけで振り向いた王小龍の視線が突き刺さった。もう黙れとでも言いたげな、あの眼だった。

 

「私は忙しい。……お前と、違ってな」

 

 

……

 

 この時期の南極は日が昇りきらない極夜(きょくや)であり、防寒対策が施された二重窓の外は今日も薄暗い。とはいえ輸送機が問題なく着陸できるほどには晴天であるから、窓の外に広がる凪いだ氷海のような雪原には、月の光が淡く反射していた。

 王小龍は部下から上がってきた報告書と、技術部からの図面に殴り書きされた数値を(ため)(すが)めつしてから受領報告書にサインし、バインダーごとテーブルに放り投げた。普段の彼の所作からは少し乖離(かいり)した、粗雑でありやや疲れたような仕草だ。それを見て、対面する青年は少し苦笑したようだった。

 新型アーマード・コア、ネクストは未だ未完成の兵器だった。いずれ来たる戦争で、国家軍への決定打となるものであるから、当然その存在は国家に対して厳重に秘匿されている。そんな性質の兵器ゆえに、当然それを整備できる工廠(こうしょう)はまだ多くなく、その場所もやはり厳しく隠されていた。王小龍が滞在するこの基地もそのうちの一つで、BFFが南極に所有する軍事実験施設だ。

 南極には、コジマ技術の黎明(れいめい)とともにBFFが莫大な費用を投じて建設したコジマエネルギー発電施設・スフィアがあった。そのスフィア建設の際に国家の査察団の目を(あざむ)いて建設されたのがこの工廠であり、BFFが所属する英国情報局にもにも、その存在は伏せられている。

 BFFをはじめとする企業連合にとっての“来たるべき時(国家解体戦争)”のため秘密裏にネクストを開発する……その最前線のひとつである。

 その基地に定められた王小龍の執務室(オフィス)に受領のサインを求めに男がやってきたのは、午後を少し回った頃だった。

 

 「メアリー・シェリーの件はどうなった、王小龍?」

 

 名を気軽に呼んで、青年はソファで脚を組み替えた。精悍(せいかん)な顔立ちをした白人だが、髪はわずかに赤みを帯びた黒。軍服に階級章はなく、デザインもBFF企業軍のものとは意匠が異なっていた。

 王小龍がサインした受領書を受け取り、内容を改めている。特に興味はないが、時間つぶしに訊いてやろう、というものの言い方である。王小龍は僅かに眉を上げた。

 

「貴様の知るところではない、ベルリオーズ。目当ての商品(ライフル)を受け取ったのなら、さっさと消えてもらおう」

 

 ベルリオーズと呼ばれた男は王小龍の言葉に何か感じ入ったという様子もなく、息をひとつ吐いただけだ。そうしたいのだが、と吐く息に混ぜて続ける。

 

「積み込み作業にはまだしばらく時間がかかる。何しろ、お前たちのライフルはやたらと精密機器(デリケート)だ。作業する連中も慎重になっているのだろう」

 

 軍服の襟元、階級章の代わりにレイレナード社の徽章(きしょう)をつけたベルリオーズは、暗い窓の外を視線で示してみせた。ここからは見えないが、外の工廠では受領書に定められたBFF製試作ネクストパーツの積み込みが行われているのだろう。彼はそれを監督するため、わざわざこの南極にまで足を運んだのだ。

 レイレナード社は、王小龍やメアリーが所属するBFFとは密接な関係にある協力企業だった。この二社にアクアビット社を加えた企業同盟(アライアンス)(盟主の名をとってレイレナード・グループと呼ばれている)は、国家解体という一大目標を実現させるため社の垣根を超えた提携関係にあった。

 王小龍はBFFの軍内外に顔が利く。同じ適性を持つものとして、他社のリンクスと顔を突き合わせることも度々あった。

 経営に口を出さない軍人畑の出で、それでいて軍政を理解し、ネクストやリンクスといった新技術に通じている……という特殊な事情もあり、軍内でも各派閥に対して便利なパイプ役といった立ち位置にある。目立たないがある程度の権限を行使できる立場だった。無論たまたまそうなったわけではなく、彼自身がそうなるように慎重に立ち回ってきたのだ。

 

「不機嫌そうだな、小龍(シャオロン)

 

 下の名で呼ばれた。普段のベルリオーズは特別無口な男というわけではなかったが、真面目で、軍人らしい振る舞いを好む男だ。それなりに付き合いは長いが、あまりこういう(たわむ)れのような口の利き方をする印象はなかった。無論、他社の軍人とそこまで親しくしてやっているつもりもないので、そういう一面があったとしても不思議はないのだが。そして、彼が言うように自分が不機嫌かどうかなど、彼に言われるまでもない。

 

「……勝手な推測はよせ。それこそ不愉快だ」

 

 いつのまにかソファから腰をあげていたベルリオーズは、王小龍の執務机の上の資料を勝手に拾い上げる。それを流し読み、すぐに卓に戻した。王小龍は咎めるでもなく、窓の外、薄ぼんやりと光る氷原を眺めた。極夜の氷原は美しいが陰鬱で、今の自分の心のありようを表しているかのようだ。

 

「……異常なまでに敏感なAMSからの信号受信適性か。それが、機体被弾時、搭乗者への致命的な精神過負荷を引き起こすとはな」

 

 ベルリオーズは己の掌を広げて、一度握る。新型兵器に搭載されたAMSによって、ネクストはこれまでの戦場において主役だったアーマード・コアとは一線を画すほどに精密な機体操縦が可能となった。例えば、これまではあまりに複雑ゆえ、コンピュータ制御による複数パターンの組み合わせでしかなかった機体マニピュレーターの操作なども、ネクストでは人が自分の指を意識せず動かすように緻密に行える。

 だが、それは今のところまだ未未成熟な技術だった。無理もない、どう考えてもAMS接続技術はまだ生まれたばかりのもので、ようやく理論が成立するか否かという過渡期にあるにすぎない。選ばれた人間にしか扱う事ができない技術とは、そういうことだ。

 ……選ばれた、という意味では、メアリーはまさにAMSに選ばれた人間だった。

 ネクストと接続されたリンクスが、脊髄を通して機体から送られてくる電気信号を脳内で情報として処理するためには生まれ持っての才能が不可欠であり、またその性能には個人差がある。適性が低ければ機体の操作は鈍重になり、また適性がまったくないものは、いくら訓練したところでネクストの操縦は不可能だ。

 そして、メアリーはその点において完璧だった。メアリーがAMSを通して出す命令は極めて精緻に機体へと伝達され、また機体からの情報はほとんど齟齬(そご)なくメアリーへと戻ってくる。

 発見当初は技術者たちを激震させたメアリーのAMS適性だが、その技術の解明が進んでいくほどに、やがて彼女が抱える致命的な欠点を浮き彫りにしてしまった。

 その繊細なAMSとの接続能力ゆえに、機体に齎された衝撃やダメージなどの機体情報が、メアリーの脳内に、あまりにもロスレスで”届きすぎて”しまうのだ。

 ……本来感じるはずのない機体への被弾情報は、メアリーの精神をダイレクトに揺るがし、まるで自らの身体が攻撃に晒されたかのように錯覚する。それは彼女の精神にとって大きなストレスだった。

 例えば一撃で機体が大破するような大きな損壊を受けたとして、その際にメアリーの脳が耐えられるかどうかという保証がないのだという。

 

「彼女の持つ天性のセンスが、彼女の搭乗者への道を鎖してしまうとはな」

 

 惜しむような口調でベルリオーズが言ったのを、王小龍は背中で聞いていた。このベルリオーズという男は、メアリーと同様にAMSに……そしてネクストに選ばれた男だった。最優のAMS適性。メアリーのように過敏すぎる反応を起こすこともなく、かといって他の粗製どものように鈍感でもない。バランスが非常に高いレベルで安定しているという報告は聞いていた。

 長時間にわたるAMSへの接続によって生じる、身体拡張に対する違和感。それに耐えられず不安定な精神状態になるものもいる、という噂もアクアビットあたりから流れていた。

 だがベルリオーズはAMS接続による精神負荷に対する耐性も高く、また純粋な機体の操縦技術という点においては……たぶん、メアリーより上だろう、と王小龍は思っていた。

 理想的なリンクス。それは彼か、ローゼンタールの騎士か。漏れ聞こえる声ではそのようなところだろう。

 ……だが、と王小龍は否定する。王小龍はメアリーこそが最も優れたリンクスだと確信していた。

 すべてを、彼女の素質に賭けてきた。彼女の素質を信じ、その才能を閉塞した世界に叩きつけて、証明する。今の自分の地位は、そうするために掴んだといってもいい。

 

 だが、その才覚は、失われた。

 ……失われてしまうのを、恐れた。

 

 ネクストに乗れば、メアリーは見事に戦うだろう。

 BFFが目指す“国家解体”を達成するだけであれば、たぶん彼女でも不足はない。いや、それだけならば彼女こそが相応しい。

 国家という存在の次代を担う支配体制の、その“旗印”として君臨する女帝を見るのは、ほとんど王小龍の夢といってもよかった。

 

「とはいえあれほどの……勿体ない、と私などは思うがね」

 

 ベルリオーズの溜息混じりの独白に、王小龍は応えない。

 王小龍は、国家解体の……その後の世界を考えた。

 圧倒的な物量を持つ国家軍を易々と凌駕する、ネクストという兵器。

 企業は戦後、倒すべき敵がいなくなったその力をどこに向けるだろうか?

 ……彼女同様に、選ばれた接続者(リンクス)を抱える支配企業間での殺し合いになるとして。

 ただの一度も被弾できないという致命的な欠陥を抱えた女帝は、いずれ他社のリンクスに打倒されてしまうのではないのか。

 それではいけない、と王小龍は思った。

 旗印は、不撓不屈(ふとうふくつ)でなければならない。それは折れてはいけない象徴(きぼう)だからだ。

 そのように不安定なAMS適性で、旗印たるメアリーを……BFFのネクストを、ネクスト同士の戦場に出す訳にはいかない。それが、王小龍とBFFが下した結論だった。

 

「開戦までには、代わりを立てる。問題はない」

 

 ベルリオーズは再びソファに背を預けていた。彼が自分の言葉を聞いているのかどうか、王小龍には判断がつかなかった。

 自分の口から、自分の本意ではない言葉を絞り出されているようで、嫌悪を覚えた。

 誰に向けて、私は弁解しているのか。

 

「君のプランは、彼女を主軸に据えていたのではなかったのか? 彼女の生命を(おもんぱか)る君や財団の下した判断も、理解はできるが……」

 

 一度言葉を切ったベルリオーズは、少し逡巡(しゅんじゅん)して、核心に切り込んできた。

 

「彼女を失ったこの状況で、国家軍を相手取って戦争を仕掛けるのは、難儀な仕事なのではないのか」

 

 なるほど、と思った。

 ベルリオーズは、王小龍、そしてBFFがこの先どのように戦うつもりなのかを問うために……つまりBFFがレイレナードの同盟相手に相応しいかどうか、計りに来たのだ。

 それも恐らく、レイレナードの意を受けてだ。いつもより妙に饒舌で、人の言葉を引き出そうとするベルリオーズに感じた違和感も、そうならば説明がつく。

 ベルリオーズやその背後のレイレナードを批難はできまい。リンクス、そしてネクストは戦力において圧倒的劣勢な企業軍が、国家を圧倒するための切札なのだ。

 緒戦においてその才能を嘱望(しょくぼう)されていたパイロットが脱落したとなれば、BFFの対国家戦略を根本から揺るがしかねない。

 

(つい)えた未来を語るのは好きではない。あの姉弟(ウォルコット)もいる。問題はない」

「代わりになるのか、彼女の?」

 

 BFFには、メアリーと王小龍の他に、才能を見込まれたリンクスがまだ何人かいる。もちろんメアリーのような隔絶した才能を見せてはいないし、まだ調整、訓練が必要ではある。しかし、他企業と比較してもリンクスの総数自体は少なくはないのだ。

 ローゼンタール社のように、素晴らしい調整が施された単一戦力に依存しているというわけではない。……だが。

 

「……」

 

 沈黙。王小龍は、シミュレーションで見た、メアリーの駆るネクストの挙動を思い出していた。

 しなやかで、繊細。そして果敢。押すも引くも自在の、あの挙動。戦況を冷静に俯瞰(ふかん)する眼。人を蠱惑(こわく)させるような、あの存在感。ああ、あれこそが、となんど感嘆しただろう?

 

「……なるものか。代わりになど、なるわけがない。……メアリーは、私の描く未来のすべてだった」

 

 俯いたまま、吐き捨てるように言った王小龍の二歩先に、ベルリオーズが立っていた。

 ネクスト運用計画の根本からの見直しの必要があるとわかった以上、レイレナードはBFFとの提携から手を引いてしまうかもしれない。だが、そんなことは今はどうでもよかった。自らの判断によって失われたものは、自分が想像していたよりももっと大きかったのかもしれない、と王小龍は思っていた。それは、非物質的な面でだ。

 

「……と、彼は言っているが?」

「……なに?」

 

 ベルリオーズは、王小龍にではない誰かに顔を向けていた。いつのまにか執務室の入口に誰かが立っている。

 猫科の動物を思わせるしなやかな体躯。染め抜いたような黒髪。()んだ血のような赤を湛える瞳。メアリー・シェリー。

 

「ふうん。お前、そんなにわたしのことが好きだったの? 気持ち悪いわね」

 

 王小龍はソファから浮かしかかった身体をなんとか抑え、首だけを彼女に向けた。本来なら、メアリーは技研のテストパイロットとして今はレイレナード・アクアビットとの共同試験場にいるはずだ。

 

「……何をしに現れた、メアリー」

「何をしに? "私の描く未来のすべて"とまで言った相手に随分な口の利き方ね。ふん、まあいいわ。これをお前に叩き付けるために来たのよ。ありがたく拝読しなさい」

仮想戦闘(シミュレータ)の……戦闘ログ?」

 

 つかつかと王小龍の眼前まで進み出たメアリーが押しつけるように差し出した紙束は、共同試験場に設置された、仮想戦闘のバトルログだった。

 かなりレベルの高い仮想敵と、厳しい条件下での戦闘をくり返しているのが見て取れる。メアリーのような天才的なセンスを持つパイロットであれば、その数値自体に不審な点はない。……だが、これは。

 手にした武器の射程ギリギリからの、精緻(せいち)な射撃。奇襲の痕跡(こんせき)。撃ち返してくる敵。呼吸を読んだかのような後退。交戦場所の選択。プライマルアーマーによる弾殻消滅距離の調整。狙い澄ましたようなクイックブーストによる回避。誘導兵器に対する対応。光学弾の距離減衰の計算。

 

「想定機体ダメージ……ばかな、この数値は。被弾なしだと? これも、ほぼ無傷……仮想とはいえ……ネクスト相手だぞ」

 

 食い入るような格好で、信じられないものを見るような王小龍を真正面から見下ろして、メアリーは不快そうな表情で手を顔の前で二、三度振ってみせた。

 

「お前、いままでわたしの何を見てきたというの? ほんとうに、愚図なやつ。散々、わたしを好き勝手担ぎ上げてきたくせにね」

 

 ベルリオーズは、いつの間にか姿を消していた。室内灯の不健康な光が、メアリーの表情を逆光にして影を落とす。僅かに笑っているのかもしれない。王小龍は、喉の奥で思わず少し唸った。

 

「わたしのAMS適性については、勝手に調べたわ。はあ、まったく、これも生まれもった才覚(センス)というやつね。とはいえ当然だわ。わたし、他のヤツと同じような作りは、していないのよ」

 

 ツカツカと靴音を立てて、メアリーは王小龍の座るソファの前に立つ。そして王小龍が読んでいた書類をひったくるようにして奪った。顔を上げた王小龍の顔を、真っすぐに睨みつけている。

 

「お前みたいな劣性の愚図が、たまたま奇跡が起こってわたしと同じ種類の才能を覗かせたせいで、その性能差を目の当たりにして、怖くなってしまったのね。測れないほどの優性を自分の矮小な枠にあてはめて、つまらない心配をしてしまうのも、わからなくはないわ。でもね」

 

 メアリーは、座っている王小龍のスーツのネクタイを躊躇(ちゅうちょ)なくひっつかんで引き寄せ、彼を無理矢理立たせた。メアリーは女性として背は低くないが、王小龍と並ぶとさすがに見上げるようなかたちになる。

 視線の角度は変わっても、それでもメアリーは、王小龍を叱りつけるような強い眼をしていた。

 

「わたしは選ばれたの。この……アーマード・コア(ネクスト)に」

 

 いくらか動揺したものの、王小龍はメアリーの行動にどういう意図があるのか、そのだいたいを理解した。だが、それが正しい選択なのかはまた別の話だ。王小龍は逡巡した。

 

「要はわたしが優秀すぎるせいでAMSが過敏になったということ。そのせいで被弾してはいけないのであれば、被弾しない戦い方をすればいい。まったく単純な話ね。そのやり方は、お前がわたしを失って思ったよりショックを受けて、ここでめそめそ泣いている間に覚えたわ。(しゃく)だけど、あの男がそれなりに役に立った。……もういないけど、あいつよ」

 

 ベルリオーズが出ていったであろう執務室(オフィス)の扉をメアリーは視線で示した。なるほど、この実践的な数値の根拠は、ベルリオーズ達とのシミュレーション結果というわけか。当然だが、レイレナードからも、所属しているBFFの軍部からも、王小龍にそのようなシミュレーションを行ったという報告は上がってきていない。

 ベルリオーズが手を回したのか、メアリーが脅したのか。それともその両方だろうか。ともかく、ベルリオーズをはじめとする、レイレナードの精鋭たちと、シミュレーションで戦闘訓練を繰り返していた、ということだ。

 それは、自らの才覚に無上の誇りをもつメアリーの性格を考えれば、どれだけ屈辱的だったことだろうか。ほとんど泥を(すす)るような心持ちだったはずだ。

 

「いい? もう一度言うわ。私は選ばれたの。ネクストに……AMSに。そして、お前に。だから私は、それにひとつ条件をつけて叩き返してやった」

「……機体を、遠距離戦闘に特化させるというのか」

 

 やっと理解したのか、というふうにメアリーは(あざけ)って、そして少し笑った。それは今度は王小龍にも見えた。

 

「そうよ。いい考えでしょう。だから、そのようにしなさい。お前が、全て整えるのよ。いい? わたしの“襤褸人形(フランケンシュタインの怪物)”」

 

 メアリーは背伸びするように身体を伸ばして、王小龍に顔を近づけた。俯く王小龍と、視線が水平に交差する。いつも何かに対して怒っている、いつものメアリーの顔だ。

 

「お前がなにを考えているのかなんて知らないけれど、お前がわたしを必要としているというのはわかる。まあ、わたしにはお前なんかこれっぽっちも必要ではないけど」

 

 メアリーの目に、炎が灯っている。昏い、世界そのものを芯から焼き尽くすような炎。自分というものが持つ価値を世界に示すためならば、すべてを壊しつくしても構わない。そう確信しているような目だ。

 

 

「……でも、あの日、わたしをあの屋敷から拾い上げたのが、たまたまお前だった。それだけの理由でわたしはお前に使われてやることに決めた」

 

 だから、と言ってメアリーはまた王小龍のネクタイを引っ張り、王小龍の頭を自分の眼の位置まで下げさせた。

 

「お前がわたしを途中で放り棄てるなんて……できると思わないことね」

 

 ふん、と思い切り息を吐いて、メアリーは王小龍に背を向け、乱暴な足取りで執務室を出て行った。

 部屋中に散らばったメアリーの戦闘ログ。その書類束が不健康な室内灯に照らされているのを、王小龍はなんとなく見ていた。

 

 極夜の南極に、未だ旭日は来ない。寒く、暗い氷の世界の中、王小龍はやがて登る太陽を夢想していた。

 燦爛(さんらん)と輝く太陽の下、(きら)めくように戦うメアリーのネクストを。

 BFFという新たな支配体制のもと、風を(はら)んで(ひるがえ)る、われらの旗。

 

 ――いま少し、日よ沈んでいろ、と王小龍は呟いた。

 

 ああ、そうだ――。

 やるべき事は山積しているのだ。

 

 そう、たとえば、差し当たっては――。

 

「狙撃兵装の開発、か」

 

 そんなところだろう。



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