欠陥人生 拳と刃 作:箱庭廻
それならしょうがない。
頭は冷えていた。
チリチリと頭のどこかで燻っていた感情がさっきの衝撃で消し飛んで、クールに頭が冷えていた。
ぬるぬるとこめかみのどこかから生温い感触がするが、どうせ血だ。気にしなくていい。
ただ構える、呼吸をする。ずっと無視していた折れた肋骨の痛みに咽そうになりながらも右手を微かに前に、脚場を踏み変えて、腰を安定させる。
必要なのは重心の安定。
少しでも揺らげばすぐに崩される、それが目の前の奴の技量だ。改めて実感する。
(あの時見ていた光景は幻じゃなかった)
思い出す。あの雨の日のことを。ただ一人、超常現象も起こさずに誰も太刀打ちできなかったヘルマンと互角に渡り合ったエヴァンジェリン。
雨の中で一人踊り、誰も太刀打ちできなかった悪魔と名乗る老紳士もどきと戦っていた少女。
人体駆動技術の芸術品。
そう感じさせるほどの強く、しやなかに、極められた動きにどう思った。
――業物。
宝石細工などではない、鋼を打ち鳴らし、鍛え抜いた日本刀のような存在。
一度見せてもらったことのある短崎の持つ太刀、それにも似た感慨。あまりにも鍛え上げられすぎて、本来違う用途であるはずの武器が芸術に思えるほどの美しさ。
それが奴だ。
山下が遊ばれるように倒された化物だ。
(阿呆か、俺は)
自分に呆れる。
あのエヴァンジェリンに無意味に突っ込んで、一矢報えると思ったのか。
余裕がない。動きに余裕がなければ、いなされるだけだというのに。
呼吸をする。
血の味しか知らない息を吸い込んで、つま先から踵までを地面にこすり付ける。
ゼヒゼヒとまともにならない息苦しさに吐き気を覚える、目の前にまたつく火花のような揺らぎにわずわらしさを憶えながらも目は閉じない。
往くぞ。
「来い」
笑みを浮かべる、金髪の餓鬼。
エヴァンジェリンが踏み出す、無造作に手を跳ね上げて――鉄扇が目の前に飛び込んでいた。
縮地。
距離感がゼロになっていた、魔法のような移動術。
「?!」
首を曲げる、が。頬を掠める。
頬を削る熱い感触。痛みを感じるよりも早く、足元を見た。
――刈り足。
一瞬避けようと前足を上げようとして察知、エヴァンジェリンの手の平が僅かにわき腹に触れている。避けるな、軸足だけにした途端、投げられる。それが分かる。
だから逆に足を強く踏みつけて、体重を変えた。
衝撃、前脚が蹴られる。予想よりもずっと軽いが、鋭い痛みが走る。
僅かにでも判断が緩んでいれば刈り取られていた、足が食うに浮いていた。
「やるな」
褒められるような少女の笑みと囁き。可愛い分マジむかつく。
それをぶち壊したくて踏み込んだ体重をそのままに肩から前に、肘から腕を繰り出す。
――沈墜勁。
体重を後ろから前に流す、重力の力を借りて動かない左手を下にしつつ、右手を振り下ろす。
触れていたエヴァンジェリンの身体を弾き払う、彼女は数歩横に退く。
当たっていない、触れてすらいない。
見切られているから俺は動いて追撃する。余裕のある動きで、遊びを残して駆動する。
そうでなければ即座に負ける。
「退け」
右手を前に軽く突き出しまま、慎重に足を動かす。
すり足、余裕を持って、けれども全力で右手を打ち伸ばす。
打撃、エヴァンジェリンの顔を目掛けて撃ち出した拳は空を切った。
後ろに下がるのではなく、体を半身に倒した見切り。
「断る」
だろうな。
だから俺はすり足から前に出していた足を開き、体重を変えていた左の軸足を曲げて、さらに拳を落とす。
"僅か紙一重に躱して見せた顔に、捻った手の甲をぶち込んだ"。
「!?」
エヴァンジェリンの顔が仰け反った。
声が上がる、どこからか叫び声が上がる。驚きの声。
「触った、ぜ」
確かにエヴァンジェリンに触れた、一撃入れた。
驚愕に一瞬揺らいだ奴の顔を見て、俺は笑みを浮かべる。
「どうした、くそ餓鬼。退かないんじゃなかったのか?」
彼女と俺の間合いが開く、僅か数歩。
引き下がった奴を見て、俺は嗤う。
自分を嗤った。
渾身の小細工でやってもその程度しか出来ない力量に自嘲した。
完璧なタイミングと狙って行った一撃、なのにまるで手ごたえがない。
反応されて、避けられた。
「……なるほど」
金髪がなびいて、視界を覆う。
豪奢な黒塗りのドレスがふわりと浮かび上がり、艶かしい色白の太ももが僅かに撓んで。
「ならば手を変えようか」
見える動きで飛び込んできた。
エヴァンジェリンが――拳を繰り出した。
「っ?!」
とっさに弾く、しなる鞭のような動き。手の甲から滑るように流れ込んできて――顎と歯に激痛。
顎先から歯が揺れる、めまいがした。
「ぶっ?!」
視界がぶれる。
目の前が揺らいで、足元の感覚が消えて――
エヴァンジェリンの肢体が現れる、その手首から肘が回り、その裾が廻り、その全身が旋回し、足元から一つの金色の旋風となったかのように綺麗に駆動した。
それは俺のよく知る中国拳法のそれにも似て、合気道における合気の動作。
思い出す、発勁の概念と合気の概念。
それは等しく同一に近い使い方だけが違う質量移動動作。
(纏絲勁?!)
トンっという感覚があった。
――全力で後ろに跳ぶ、転がるように跳ぼうとして。
「流せよ?」
「あ"ぐ"っ!!!」
それ以上に腹部から響いた発勁の威力にぶっ飛び、たたらを踏もうとして転がり墜ちた。
舞台の床に叩きつけられる、身体の自由が利かずに墜ちた。
手足が動かない、胃の中身も勝手に吐き出される。
動けない、動けない。
胃も破裂したかのように痛くてたまらなくて、呼吸も出来ない。
声が聞こえる。
悲鳴のような声、騒ぎ出す歓声の声。
だけどどれも遠くて、聞こえ辛い。
「……直撃だけは避けたか。やはり真似事では不十分だな」
誰かの靴が目の前に出される。
吐き出した俺の胃液を踏み締めて、目と鼻の先に靴が見えた。
真赤な靴の、エヴァンジェリンの足。
「意識はあるか? カウントはやめろ、どうせ……――」
声が聞こえ辛い。
見下ろされているのはわかるが、それすらも定かなじゃない。
気絶してないのが地獄のように辛くて、涙が出て、口から変な味しかしなくて、泣きそうだった。
一瞬で、たった数秒で叩き伏せられた。
それが現実だった。
「聞こえるか、凡人」
頭に衝撃、視界が暗くなる。
どこかからか大きな声がした。叫ぶような声がした。
頭にギチギチと痛みが走る、踏みつけられている。
「お前は私に歯が立たない」
それは今さっき証明された。
「お前は私に倒されている」
それは今まさに証明されている。
「だが、今の私は超越者ではない。お前たちが吐き気を覚えて、憎むような超常存在ではない」
それは、どういう意味だ?
「分からないか? 貴様はただの――"常人同然の身体能力保持者に倒されている"」
指を動かそうとした。
だが震えるだけで動かず、俺はただ靴底の向こうの顔を見上げようとして、目を上げた。
黒く染め上げられたスカートの向こう、マジで似合わない黒いパンツなんてどうでもいい。
そこに居るのは俺を見下し、嘲笑う……くそむかつく餓鬼の顔だった。
「筋力は貴様ほどにない。体力もおそらくそこにいる太刀使いの餓鬼にも劣る。ただの十歳前後の女子供に過ぎん」
語る。
淡々と語られる言葉の意味の殆どが理解出来ない。
ただ思ったのは……
(十歳なら中学生ですらないだろ)
なんていうどこかおかしな感想だけで。
「故に笑ってやろう」
三日月のような笑みで、見下しながらそいつは言った。
「情けないな。お前は同類にすら負ける――弱者か?」
そう告げた。
そう、言いやがった。
誰よりも、どんな奴よりも言われたくなかった。最悪なまでにむかつく野郎に。
俺の人生を冒涜した奴に。
許せるわけがない。
「 !!!」
怒りが口からこぼれ出た。
絶叫を上げたくて、ただ声が出なくて、だけど指が動いた、痙攣するだけだった手足が僅かに軋んだ。
限界なんてどこにあるんだろうか。
目の前のくそ餓鬼をぶちのめすためならばなんでもする。
だから、動け。
動け! 酸素が足りない、痛みが足りない、視界が足りない、調子が足りない。
だからなんだ!! だからなんだというんだ!
「 ぁ ぁあ!」
声が出た、声が出た。もうすぐだ!
もうすぐ動く、動かせる!
指が動いた、足が動いた、それだけで気合が入る。
視界の端で俺を見ている朝倉の顔が引きつっているがどうでもいい。
奴をぶっ飛ばす、奴をぶん殴る、それだけのために動け! 動かす! 手を伸ばす、膝を立てる。
悲鳴のような声が聞こえた。だがどうでもいい。
舞台の床に指先を立てる、
もうすぐだ、もうすぐ立ち上がれる。今俺を踏みつけているくそったれに強烈なのをぶちこめる。ただそれだけでいい。
「ぁああああああああああ!!!」
だから吼えた。
色んなものが同時に溢れ出た。
未だに乗っていたくそったれな赤い靴に噛み付こうとして――すっと逃げられた。
「それでいい」
同時に頭に乗っていた重みがなくなっていた。
とたんと少し外れた場所に着地するつま先が見えていた。
「お前は本当に才能がないな」
嗤う、楽しげに嗤う奴の全身が見える。
揺らぎなら手を伸ばし、止まらない汗の混じった涎を手の甲で拭いながら、立ち上がる。
まるでカモシカみたいだ、生まれたての。
「ここまでやっても気に目覚めん。まるで物語にならん」
ひでえ言い草だ。だがそいつは笑っていた。
「だがそれでこそ人間だ、その肉体だけを頼みにする、探求者のあるべき姿だ」
だから、俺は立ち上がる。
声が聞こえる、罵倒染みた歓声を。
いいから倒れてろ、死ぬぞ、みっともない、美少女に踏まれるなんてご褒美じゃねえか。そんな非難とアホ臭い声が聞こえた。
確かに限界。
気合と根性で立ち上がったものの、マジでどうにもならない状態。
(腕……あがらねえなぁ)
体力を使い果たしたのか、指先は痙攣するだけで腕が動かない。
左手は古菲の試合から多分折れてて元々動かなかったので問題はないが、右手もダメだった。
起き上がるために体力全部使い切ったのか、それともまだ痺れてるのか動かない。
足もガクガク、震えが止まらず、気を抜けばそのまま倒れこむだろう。
朝倉が視界の端でOKかどうか手を振っているが、ファイティングポーズは取れない。ボクシングだったら間違いなく判定負けだ。
声もマジで出ないのでどうやって返事をしようかと迷っていたら、エヴァンジェリンが口を開き。
「やらせろ。そいつは戦う気だ」
俺の言葉を代弁した。
そうだ、俺はまだ戦う。戦える。
だからありがたくも、余計じゃないお世話でいらっとした。
「や、ぅ、ぜ」
声を出そうとして、声にならなかった。
だから構える。腰を落とし、足だけで構える。両手は動かない、だが前を見る。
鉄扇を広げて、優雅に佇む少女を見る。
まだろくな一撃もぶち込んでない憎むべき相手を睨んだ。
「両手も動かず、勁を練れるか?」
答える必要はない。
ただ一撃、それで倒すしかないのならばやるだけだ。
だから体重を動かす、呼吸を練る。勁息を整える。
血と胃液と砂利だらけの味にも慣れてきた。
「お前に気はない。笑えるほどに凡人だ、逆転の目は殆どない」
答える必要はない。
やることは変わらない。
だから少しでも体力を回復させる、たった一撃をしくじらない為に。
「なのに上を見上げる。歩みを止めない」
広げていた鉄扇が畳まれる、ぱちりと。
そして隠されていた口元は……微笑だった。
「だから人間は素晴らしい。愚かしくて夢を見る」
それは歓喜だった。
一瞬熱帯びた全身が寒気を感じるほどの美しい笑みで、背筋が凍りついた。
真赤な瞳が俺を見ていた。恋する乙女のような、古菲の浮かべる目にも似てそれよりも艶かしい目が俺を見た。
"憧れる瞳だった"。
遠くで見ていた朝倉が思わず後ろに下がるほどの笑顔だった。
恐ろしすぎて泣き出しそうだった。
「駆け上がれ短命種、強くなれ小僧。私を絶望させるな、もっと意地を張れ」
ゆっくりと踏み込んでくる。
ゆっくりと歩いてくる。
その両手を無手に、黒いスカートを揺らしながら、太陽の光を浴びて煌く黄金の髪が風に靡いて、絶世の美貌を飾り立てる。
それは吸血鬼だった。
それは十歳程度の少女のはずだった。
「来い、私の領域まで」
両手を広げて、迎えるように彼女は構えた。
それは優しい笑みで、心底微笑んでいた。ドキリと不本意にもときめいてしまいそうなほどに美しく。
「 」
――すぐに追いついてやるよ。
そう叫んだ。声にはならなかったけれど、俺は一歩目を踏み出した。
踏み込んで――跳び込んだ。
渾身の力で大地を踏み締め、足首を廻し、肩を突き出し、勁を練り上げてぶちかます。
箭疾歩からの鉄山靠。
両手は動かない、だから体当たり。自分を信じて出したたった一つの得意技で――
俺は、墜落した。
堅い床に叩きつけられ、力尽きて、倒れていた。
エヴァンジェリンに触れたのも認識出来ず、気がつけば倒れていた。
身体は動かない、痛みも衝撃と限界で今度こそ動かなかった。
「何故お前が私に勝てなかったかわかるか?」
声がした。
返事は出来なかったが、声だけはしっかり聞こえていた。
「格が違う、経験が違う、体調が違う。だがなによりも――」
歓声の中でその声だけは耳に届いた。
「"お前と私とでは努力の量が違う"」
ああ。
「才能ではなく、お前よりも私のほうが努力をした。それだけだ」
それならば。
『二回戦 第十二試合、勝者は――エヴァンジェリン・A・K・マグダウェル選手です!!!』
しょうがない。
俺は負けた。
主人公敗北。
百年以上こつこつと修行をしていた少女と二十にもならない根性だけの少年ではこういう結果になりました。
なお、エヴァンジェリンは十歳少女の身体能力と言ってますが嘘です。
全身のバネやしなやかさ、最低限の筋力やバランス感覚などは鍛え上げていますので十歳の少女の肉体ではあっても身体能力は普通じゃありません。魔力がないだけで、ただの子供だと思うほうがおかしい。
魔力なしのネギと殴り合えば確実にリンチに出来るぐらい。
多分エヴァの腹筋は割れています、触れば分かるはず。
次回 三回戦 クウネルVS短崎になります。
次回はようやく魔法が久しぶりに出るはず