欠陥人生 拳と刃 作:箱庭廻
震えるのは僕が弱いからだろうか。
視線。
桜咲刹那に見られている。
見て、見詰めて、観られて、視ていた。
一瞥にも似た短い時間。
ジロリという感覚すらもないほどに短くこちらに視線を送り、すっと外された。
圧迫した錯覚は瞬く間に掻き消えた。
少し拍子抜けするぐらいにあっさりと。一瞬身構えたのが馬鹿らしくなるぐらいに。
何故反応されなかったのだろうか?
数秒考えたけど、答えは出ない。
僕はさらに推測を深めようとして――パシンと頭を小突かれた。
「おーい、短崎ぼぅってしてるなよ」
「あ? ごめん」
柴田の手の平が僕の頭を叩いていた。
そして、そのまま僕の首に腕を廻すと、ぎりっと締め付けてきた。
「んー? ありゃあ、桜咲じゃねえか。なに? 見学しに来たってのは建前で、可愛いギャル探しか? コラッ!」
僕が向けていた視線の先、手ぬぐいで顔を拭いて休憩している桜咲刹那の姿を柴田は発見したのだろう。
ギリリと首に掛かった腕の圧力が増した。
「いや、ち、違うから!」
絞まってる、絞まってる!
普通に痛いんだけど!?
「まあ気持ちは分かる。オレも男だ、お前も男だ。可愛いギャルにはムラムラ来て、ドッキュンハートになる気持ちも日常茶飯事だ。しかし、結構相手が悪いぜ?」
なんか勘違いされているんだけど、僕は話の続きを促した。
「悪いって?」
「桜咲は滅茶苦茶強ぇえ。中学生とは思えないぐらいでな。うちの男子でもまともに勝てるのは藤堂部長とか数人ぐらいだわ。まあ、オレとかいう天才もいるけどな」
「え?」
「あ? 何、その目? 疑ってる? 言っておくけど、俺強いほうだぜ?」
天才だとか、強いなんて言葉はどうでもよかった。
だけど、意外に思ったことがあった。
"桜咲刹那は――剣道部で最強ではないのか?"
その一点に尽きた。
あの目にも止まらない速度の動き、かつて合間見えた時には僕は反応すら出来ずに背後を取られていた。
そんな彼女が普通の人間に負けるのだろうか?
疑問。困惑。謎だけが膨らんで、僕は胃に重いものでも飲み込んだような気分になった。
が。
「おいこら、柴田ぁ! さっさと来い!」
藤堂さんの大きな声が、鳴り響く打突音も凌駕して耳に届いた。
「あ、やべ。逝こうぜ、短崎」
なんか発音が少しおかしかったような気がしたが、僕の首から腕を外して慌てて急ぐ柴田。
それを僕は首を擦りながら追った。
素足でペタペタと道場の床を歩く冷たい感触が心地よかった。
そして。
「よし、柴田。さっさとお前は面と竹刀取ってこい。後で稽古だ」
「うへ~。了解ですわ」
「短崎は準備出来たか?」
「あ、はい」
僕は柴田に教わりながら、なんとか面と篭手を着けて、竹刀を握っていた。
しかし、視界が結構狭い。
顔を保護するための網のような部分に慣れてないせいか少し違和感を覚える。
体が重い。
だけど、慣れないといけないだろう。昔、稽古で鎧を被った時を思い出す。
あれよりは軽い、あれよりは動き易いのだから。
強く、強く篭手越しに竹刀を握り締めた。
「……構えは分かるか?」
藤堂さんが僕に尋ねる。
面を被り、こちらを見下ろしながら告げる姿はまさしく巨漢だった。
壁のように、山のように、大きく威圧的。
その動き一つ一つに滲み出る迫力が、そう思わせるのだろう。
そして、その手に持った竹刀の長さ――後で聞いたのだが、大学生としては制限サイズギリギリである120センチの竹刀はその迫力に似合う威圧感の塊だった。
「あ、はい。正眼ですよね?」
他の稽古を続けている部員たちをお手本に、正眼に構えてみせた。
背筋を伸ばし、柔らかく、けれどしっかりと前に竹刀を握り、構える。
あまりやらない構えだが、一応どういうものだかは理解していた。
「構えは……出来てるな。少し素振りをしてみてくれるか?」
「あ、はい」
竹刀をしっかりと握り、軽く足を踏み出すような感覚で"振り抜く"。
上から下へ、振り抜いてみせた。
びゅっと風を切るような感覚。
イメージするのは脳天から股間までの切断。
先ほど教わった通りに、竹刀の弦――いわゆる刃筋に当たる部分もズレのないように気をつけた。
そして、振り抜いたのだが……五回ほど振ったところで、ストップが掛かった。
「短崎」
「あ、はい?」
「床まで振り切る必要は無いぞ。大体胴か腰辺りまでで一端振り下ろしを止めてくれ」
「え?」
「剣道ではそんなもんだ」
そういって藤堂さんは自分の竹刀を握り締めると、手本を見せるように振り下ろした。
空気を切り裂くように、しなやかに重い一撃を振り抜いて――ピタリと水平になる位置で止めた。
あれほど鋭かったものを、まるで最初から止まっていたかのように停止させる。
完全に制御していた。
「肝心なのは手首の切り返しと、切り込みの早さだからな。お前のやり方も間違いではないが、剣道向きじゃない。まあ一長一短で憶えておいてくれ」
教え方の違いか。
"僕は最後まで振り切るようにずっと練習していたから"。
戸惑いはあるが、抵抗は特になかった。
そのまま何度か竹刀で素振りする。
何時も使っている木剣や太刀とは違う重さのそれを、風を切る感触が僅かに違う道具を、けれど確かにそれは剣だった。
楽しい。
振るうのに喜びを覚えない剣士がいるだろうか。
居るわけが無い。
だから、僕は単純に喜びながら竹刀の手ごたえを貪っていた。
真新しいオモチャに喜ぶように、或いは見知らぬものを楽しむように。
振るう、振るう、振り抜く。
そうして振っていた時だった。
「おー様になってるじゃん、短崎」
柴田の声がした。
一端素振りをやめて声の方角に目を向けると、そこには面を着けた柴田らしき人物の姿があり、その両手に竹刀が握られていた。
ただし、"二本"。
「え?」
「お? 珍しいか? ふふふ、これはなぁ」
「――柴田、久しぶりだ。俺が相手してやる。短崎、折角の見学だ。うちの部活のレベルを楽しんでいけ」
「うへー。地獄がきたぁ」
僕が柴田の説明を受け終わるよりも早く、藤堂さんが竹刀を持って試合場に佇んだ。
傍で休んでいた部員が慌てて旗を取り、審判役になっている。
そして、それと相対する柴田の手には右に大刀、左手に小刀を携えた――【二刀流】だった。
「……二刀流か」
珍しいと思った。
実際のところ、僕も剣術においては二刀流の流派とは片手程度しか稽古したことがない。
そして、剣道で二刀流があるというのはテレビでも見たことがなかった。
だけど、柴田は右手の大刀を上段に、左手の小刀を腰に備えるように低く構える。
その構えには何のブレも迷いもなかった。構え慣れている、それだけがはっきりと分かる。
だけど、相対する藤堂部長はその柴田を目の前にしても何の動揺もせずに巨岩のように佇んでいる。
構える二者。
打突音は道場内に鳴り響いているというのに、何故か音が途切れたように心臓の鼓動がはっきりと聞こえた。
痛いほどに。
震えるぐらいに。
空気が張り詰めて――破裂する。
「始め!」
合図と同時に藤堂部長が踏み込んだ。
二刀という壁にも等しい構えに恐れもせずに愚直に、ただ速く突撃する。
「オォオオッ!!!」
裂帛の気炎が噴射炎のように炸裂したと思った。
目の前で叫ばれたら鼓膜が痺れるだろう大きな声と迫力のある方向。
ダンッと踏み込んだ前足が道場を震わせ、迫る藤堂部長の体が風を切り裂き、熱風を纏いながら突き進んだように思えた。
だけど、柴田はそれを理解しながら、左手の小刀を震わせて――閃かせた。
「胴!!」
一直線に風切る藤堂部長の胴打ち、それを小刀で受け止める。否、逸らした。
弾けるような炸裂音。
小刀が藤堂さんの打撃で怯んだかのように吹き飛ばされていた。どれだけの威力、まともに受け止めることも出来ないのだろうか。
だけど、その隙を突いて、右手の大刀が上段から面を狙って打ち込まれる。小刀で捌いたのとほぼ同時の動き。片手だということをまったく意識しないほどに鋭い斬撃。
ダンッと左手をそのままに、踏み込むように打ち込まれたそれを――不可思議な現象が襲った。
弾かれた、下から切り上げられた"竹刀"で。
「え?」
「っ!?」
柴田の咆哮、それに困惑が混じる。
当たり前だ。同時に繰り出したはずなのに、追いつかれて防がれるなんて想像出来ない。
種は簡単だ。
胴打ちで打ち込んだ竹刀、その反発をそのまま利用し、手首を返し、反射したかのように綺麗に上段防御に回しただけ。
だけど、その速度がおかしいぐらい速い。
竹刀同士がぶつかり、同磁極同士がぶつかったように二人共下がる。
ステップを踏むように、滑らかに、滑るように、足元の動きは迷いない。
そして、次は柴田から攻め込んだ。
「リャア――!!」
怒声にも咆哮。身体を奮い立たせるように、踏み込む。
鋭く、大刀で切りかかるように足を踏み出し、裂帛の気合で振り下ろすが。その竹刀の半ばに藤堂部長の斬撃が叩きつけられた。
ここから見るだけでも容易に想像出来る重量級の一撃。
鍛えているだろう柴田の腕力でも、所詮は片手。両手で握るよりは緩く、撥ね飛ばされやすい。
体重の差が有りすぎる。
グラリと柴田の足元が揺らいで、次の瞬間にはその胴体に竹刀が炸裂していた。
「胴あり!」
バッと旗が上がる。
藤堂さんはそのまま柴田の横をすり抜けると、すっと滑らかに後ろを向いて構えを整えた。
柴田も振り向いて、鋭く構える。
そして、再び激突した。
それからはまるで戦場のようだった。
竹刀が振り下ろされて、横薙ぎに放たれて、時には篭手を狙って鋭い一閃がある。
それを防ぎ、躱して、何度も何度も小さな試合場の中を移動する。
僕の知っている剣術では刀同士は滅多にぶつけない。
精々が鍔迫り合いや、捌きぐらいで、そうじゃないと刀は簡単にへし折れるからだ。
だけど、竹刀はへし折れない。武術ではなく、武道としてのルール。決め方。目標の違いがある。
けれども、剣を振るうことは同じなのだろう。
僕は息を飲みながらその光景を見つめていた。
違う体系、違う武術、武道は刺激になるからだった。
そして、二人の稽古が終わったのは柴田の脳天に五回目の打突がめり込んだ後だった。
「ふぃー、きっつー」
「おつかれ」
次の相手を元気に探す藤堂さんから、ふらふらとした足取りで戻ってきた柴田に、僕は労いの言葉をかけた。
どっかりと腰掛けながら、彼は面を外すと、その下から汗に濡れた顔が出てきた。もわっと熱気すらも感じられるぐらいに。
「まったく、相変わらず部長化け物なんだよなぁ」
「そうだね。専門外の僕でも凄いと思ったよ」
先ほどの藤堂さんの動きを思い出す。
反応速度、竹刀の振り速度、威力、体格。
どれも並外れていると思った。
まさしく剛剣と呼ぶに相応しいぐらいに。
「……まあ、あれで結構手加減してくれてるんだけどな」
「え?」
てか、げん?
「別に手を抜いているわけじゃねえんだけどさ。部長、威力落として振ってるんだよ。じゃねえと」
――砕け散るからよ。
そう――告げた。
柴田は静かに、嘘一つなく、平然と告げた。
「砕け散るって……?」
「腕力だけじゃなくて、踏み込みとか、技のキレとかあるんだろうけどよ。昔、一度だけど他校との練習試合で部長がマジで竹刀振っちまってな。その時、相手の竹刀がパーンとぶっ壊れたんだ」
爆発したかのように。
咲き乱れるかのように。
原型すらも残さない。
握った拳を柴田はパッと開いて、その様子を表現する。
「慌てて部長も止めたんだけどよ。相手の面が裂けたらしいぜ? 掠っただけでな」
それは人間技なのか。
漫画じゃあるまいし。夢じゃあるまいし。
びっくりどっきり人間劇場じゃないのだ。
思わず僕は息を飲んで、少しだけため息を洩らす。
「でも、別に悪い人じゃないんだよ、ね?」
「――まあな。思い切り振れないのは辛いだろうけどよ、その分手首の返しとかが半端ないから滅茶苦茶強えし、皆も嫌ってないな」
そういう柴田の顔は嘘一つ無い本音のようだった。
忌避感はなかった。
だから、嘘じゃないのだろう。
僕は深く知らないので判断はまだ出来ない。
「そうなんだ」
なので、当たり障りの無い返答しか出来なかった。
「さてと、んじゃ。短崎の見学練習にでも付き合いますかね」
「え? いいの?」
「当たり前だろ。どうせ、お前。入部するだろ?」
ジッと柴田が僕の目を覗き込みながら言った。
「まだ打ち合ってないからなんともいえねえけどよ。お前の素振りは綺麗だったぜ」
だから、入ってくれると嬉しい。
「同級生みたいだしな」
と、苦笑するように笑って告げ足された言葉がどうしょうもなく嬉しかった。
そして、僕の気持ちも大体は決まっている。
「そうだね。入ろうかな」
安易な決定かもしれない。
しかし、僕はそれをほぼ確信していた。
堂々と剣を振るえる環境に、競い合う人たちに、なおかつあの桜咲刹那がいる。
拒む理由などない。
危険には踏み込まないほうがいいのかもしれないが、割り切れないものが多すぎる。
納得が出来ないのだ。
何もしないで過ごせるならいい。
だけど、"そんな保証すらも無い"。
超オーナーの意図は分からないが、どう考えても桜咲が剣道部に居ることを知っていたとしか思えない。
そうでないと、不自然過ぎるのだ。
無理が多すぎる。
まるで誘導でもされているかのような疑心があった。
でも、そんなのは目の前の人たちにはまったく関係がなくて。
「お? そうか。なら、後で藤堂部長にでも言っておけよ。入部届けを出すにしても、剣道具とか買い付けは面倒だからよ」
ニカッと柴田は楽しげに笑った。
「まあその時は少し教えてくれる?」
「別にいいぜ。用紙に書き込むぐらいだからな」
ケラケラと嗤うと、柴田は軽く髪を掻き上げた。
髪を茶に染めて、どこか不良っぽい雰囲気だったが、柴田は多分長渡と同じタイプなのだろう。
口では色々いっても、世話焼きだ。
最近の流行だと……ツンデレだったかな? まあ柴田は会ったばかりの時の長渡ほど口は辛辣じゃないみたいだけど。
などと、考えながら僕は柴田と雑談を開始し、剣道の詳しいルールや手順、さっきの試合で気になったことを聞いていた時だった。
「おいこら、柴田と短崎ぃ! いつまでも休んでるんじゃねえぞ!!」
「は、はい!」
「わっかりやした!」
藤堂さんの怒声に、反射的に立ち上がる。
見学者でも扱いは変わらないようだった。
「……反応はいいな。よし、短崎。見学ついでだ。少し打ち合ってみるか?」
「え?」
「細かいルールはまだわからんだろうが、大体の形式はさっきので分かっただろ? 雰囲気を掴むだけでもいい、ちょっと出てみろ」
そういって手招きされた僕はそのまま竹刀を持って試合場に出た。
まさかいきなり藤堂さんとやるのか?
先ほどの柴田の言葉を反芻して、思わず唾を飲み込んだ。
しかし、それは早とちりだったらしく、僕が前に出た途端、藤堂さんは周りを見渡して。
「おーい、誰か手を空いている奴はいないか? こいつと打ち合いをやって欲しいんだが」
そういった。
タオルで顔を拭いているものや、スポーツドリンクを飲んでいるもの、軽く息をついているものなどが僕に視線を向ける。
少し緊張する。
そして。
「なら、私が」
その時、手を上げたのは一人の少女だった。
見覚えがある? 当然だ。
知っている? 名前だけは。
桜咲刹那が手を上げていた。
僕は自然と厳しくなる顔つきを抑えることは出来なかった。
警戒と戸惑い、それに面の下の自分の顔が歪む。
藤堂さんが頷くと、桜咲は慣れた手つきで面を被り、篭手を嵌めて、竹刀を携えてきた。
「桜咲か。よし、相手は剣道入門者だ。多少ルール違いのところは見逃してやってくれ」
「分かりました」
「ただし、反則行為は厳しく指摘しろよ?」
そういって藤堂さんは離れる。
試合場に残ったのは僕と桜咲だけだった。
空気が凍るようだった。
そして。
僕は桜咲と対峙し――敗北した。
剣道部への入部届けを出したのは、桜咲刹那が修学旅行で居ない水曜日の午後だった。