欠陥人生 拳と刃   作:箱庭廻

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三十六話:涙は流れない

 

 

 涙は流れない

 

 

 

 息を吐き出す。

 息を吸い込む。

 雨よ、雨よ、水よ。

 空よ、空よ、土よ。

 地面を踏み締める自分がいる。

 大地を踏みつける自分がいる。

 流れる涙の感触はしない。全身は既に濡れている。

 雨水が頭から顎先に流れ落ちているから。

 手に握る白刃の峰も刃も水滴に濡れて、滝のように空から降り注ぐ雨水を流すだけ。

 流す涙すらも雨水に溶けて、混じって、足元の泥と入り混じるだけだった。

 

「あら~? 先ほどのお人ですねー」

 

 カラカラと笑う目の前の存在。

 黒い傘を廻しながら、その右手に血に染まった小太刀を握り締める狂人。

 少女は吐き気がするほど美しい笑みを浮かべていた。

 ポツリ、ポツリと全身に真っ赤な染みを付着させ、幾つか裂けた豪華絢爛だった格好がどこか荒々しいものになっている。

 

「いややわ。そんなにジッと注目されても恥ずかしいですわー」

 

 顔色一つ変えずに、降り注ぐ雨音の中で戯言をほざく月詠。

 状況が違えばおかしくもない言葉だったろう。

 だけど、その手に血塗りの小太刀があって、その付近の地面が"真っ赤に染まっている"ことを考えればどうしたって吐き気しか込み上げてこない。

 僕は顔を流れる雨水を口に含んで啜りながら、舌を動かした。

 

「あの人は、どうした」

 

「ん?」

 

「僕を助けた人はどうしたぁっ!」

 

 姿は見えない。

 ただ地面に残る血液だけが嫌な予感を湧き立たせて、ジャブジャブと泡立つ水溜りの氾濫が足元を濡らす。

 僕は雨に濡れた手に力を篭めて、抜いた太刀の柄を堅く握り締めた。

 ギュリィと飾り気の無い柄が僕の焦りを受け止めてくれるように、軋む。

 

「あー、あの魔法使いやね」

 

 少女が僅かに空を見上げて、不意にポンッと手を叩いた。

 ようやく思い出しかのようにこちらを見て、口を開ける。

 

「――切り刻んでやりましたわ」

 

 朱色に塗られた唇からあっさりと言葉が飛び出した。

 僕は言葉を失う。

 

「えらいしぶとい方でなー」

 

 喋る。

 

「中々くたばらんかったから何度も何度も斬りつけましたわ」

 

 喋る。

 

「おかげでちょっと小太刀の刃が欠けてしもうて、ウチとしてもいい迷惑ですわー」

 

 喋る。

 

「折角刹那先輩に会うためにおめかして来たのに、こんな有様で本当に邪魔くさくて――」

 

「……黙れ」

 

 喋る、それに僕は割り込んだ。

 僕は息を吸い込む。

 雨を啜りながら、歯を噛み締めた。

 

「?」

 

「お前は……」

 

 怒りで脳髄が爛れそうだった。

 全身を濡らす冷たい水がなければ体が燃えてしまいそうなほどに熱く。

 手足の冷たさが掻き消えて、沸騰した血液が血管を巡っているような圧迫感。

 陶酔にも似た激怒。

 腹の底から許すなと吼え猛っている。

 アドレナリンが分泌されて、体温が上昇する、怒りによって力が湧き上がる。

 

「    !!!」

 

 絶叫だった。

 喉から破れそうなぐらいに声がもれ出て、もはや声にならなかった。

 堪えきれない。

 耐えられない。

 破裂しそうだった。これ以上の我慢は肉を砕け散らせるだけだった。

 ただ手首が軋んで、心臓がうるさいぐらいに鳴り響き、僕は水溜りを踏み砕いた。

 泥が撥ねる。

 脚が跳ねる。

 骨肉を軽く、息を吸い込み終えて――鋭く踏み出していた。

 右足から突き出し、斜めに入り込むような歩法。

 右手を硬く、左手を柔らかく。

 斬も技も織り交ぜ、紡ぎ上げ、行使出来るように。

 

「っ!」

 

 体を開いて、運足の全てで体重を運び、狙うがままに体を加速させる。

 剣術歩法。泥を弾き、射抜く矢のように疾走の直線移動。

 距離は一刀一足。

 腕をしなせて、手首を返し、僕は全身を捻り上げながら逆袈裟に太刀を振るった。

 雨を切り裂くように、その肉体ごと両断する覚悟で。

 けれど、打ち込んだ刃は――不自然な位置で停止した。

 

「いい踏み込みどすなぁ」

 

 刃の軌跡に割り込んだのは広げられた傘。

 石突を突き出すように、親骨を旋回させながら傘布が前面を覆っていた。

 そして、それに"刀身"が受け止められていた。

 

「なっ!?」

 

 防刃繊維とでもいうのか。

 傘如き両断するはずの手加減抜きの斬撃が、その剣先が、まるで硬い鋼にでも撃ち込んだかのように衝撃を返してくる。

 不可解な感触。布状の鋼にでも触れたかのような反発力。

 斬れない? ありえないはずの感触に、僕は止めたままの肺を震わせて――背後に跳んだ。

 ――傘布の向こうから飛び出す刃があった。

 

「!?」

 

 僕が振り抜いた斬撃では切れなかったそれを容易く貫いて、二振りの刀身が生え出し――

 旋回。

 刀身が踊る、風車のように雨を千切る。

 

「しかたないですねー」

 

 四散。

 傘が切り刻まれる。僕の目にも見えない。

 それだけの剣速で振るい抜かれた刃が傘を切断し、両断し、分断し、分解された。

 破片が飛び散る。

 まるで花吹雪のように舞散らせ、少女が雨の下で二振りの小太刀を握る。ゆらりと、血塗れた刀身を脱力し切った手の延長線のように構えられていた。

 

「真っ二つか、ダルマ、どっちがお好みですかー?」

 

 のびやかな言葉。

 土砂降りに降り続ける雨水に溶け込みそうなゆったりとした声。

 

「どれも嫌いだよ」

 

 数歩後ろに歩いて、間合いを開きながら僕は言った。

 吐き気がする。

 本気で告げているのが分かるからこそのチリチリとした頭痛があった。

 視線の温度差、口調の声音、佇まいの姿勢、流れる空気、眼球の光。

 それら全てを統合し、解析し、全感覚機能の統合名称として第六感と称する。

 気配とは全ての感覚を用いて解する違和感のざらつきだ。

 魔法じゃない。

 人としてありふれた機能。

 それらを磨き上げて、工夫して、使いこなそうと足掻いているだけだった。

 圧倒的アドバンテージがある目の前の殺人者との性能差を埋めるための工夫と足掻き。

 故に判る。

 彼女は――"僕をまるで見ていないと"。

 視線の意志力が違う。

 口調の強さが違う。

 佇まいに虚ろさが混じり。

 流れる空気は張り詰めていながら燃え上がらない。

 眼鏡の奥に隠れた眼球は退屈そうに動かず、無造作。

 やる気無し。

 路傍の石を見つめるような仕草。

 だから。

 

「ま、どうでもいいですわー」

 

 さらりと粘ついた空気を掻き混ぜるように、右の小太刀の剣尖がクルリと翻る。

 ただそれだけ。

 牽制にもならない、予備動作にすらなりえない、ただの握り直し動作。

 けれど、僕は"水の飛沫"を視て――膝を抜いて、横に跳ねた。

 大げさに、数十センチ以上に渡って移動する。

 泥を撥ね飛ばし、"回避"する。

 

「おやー?」

 

 月詠の間延びした声がざわめいて――"大地が裂けた"。

 泥が抉られる。

 泥水が飛沫を上げる。

 つい数秒前まで僕が立っていた場所を【不可視の剣閃】が割断していた。

 獣が唸るような斬響音。

 距離にして目測八メートル。

 如何なる秘術、秘剣、奥義だろうが到底届かない距離という絶対防護。

 しかし、それを容易く凌駕して僕のいる場所を斬り裂いた一撃。

 荒唐無稽。

 摩訶不思議。

 笑うしかないが、笑うだけの心の余裕は無い。

 

「ウチのざんくうせん、躱しはりましたかー」

 

 ざんくうせん。

 斬空閃とでも読むのか。

 あの時見た一撃。

 彼は渦巻く風で防ぎ切った。漫画に描かれているようなカマイタチ。

 しかし、それよりは遅い。

 本物のカマイタチならば目にも見えぬ、捉えるのも不可能、情け容赦のない斬撃の理想。

 

「当たっていたら既に死んでるから」

 

 僕の言葉を証明するように、背後から重く響く音があった。

 振り向くような愚は犯さない。

 ただ思う。

 ああ、確かあちらの方角には――樹が生えていたな、と。

 地面が揺れる。

 チャプチャプと止まない豪雨に泡立つ水溜りに、一際大きな波紋が生まれた。

 ……樹を倒す刃。

 人体に当たれば結果は想像するまでもなく――両断。馬鹿げた威力。泣きそうになる。

 けれど。

 

「つまり、当たらなければ死にはしない」

 

 当たれば死ぬのは刀も一緒だ。

 開き直れ。

 逆切れしろ。

 怯えを忘れて、逃げ出そうとする本能を荒れ狂う感情で凌駕し、理性の賢さを愚の道で埋め尽くせ。

 愚かの中の賢さを選び取り、死の中で生を見つけ出せ。

 勝つとはそういうことだ。

 戦いとはそういうことだ。

 

「それだけなら脅威になりえない」

 

 我ながら虚ろな言葉だった。

 

「真理ですなー」

 

 僕の虚勢を見抜いたかのように、月詠が笑みを浮かべる。

 ニタリと。

 花も恥らうような優しい笑みで。

 

「っぅ!!!」

 

 ビリビリと全身が粟立った。

 来る。

 来る! 来る!!

 

「ああ、そうですなー。あんさんの名前を聞いておきましょうかー」

 

 濡れたゴシック風の服が何故かはためいた。

 降り注ぐ雨水が何故か弾かれて、水滴からさらに細かい粒子となって砕け散る。

 霞。

 そう霞のような飛沫の残骸を纏いながら、月詠という少女は微笑んだ。

 艶やかに、誰もが魅了されそうな魔性の笑顔。

 

「――短崎 翔」

 

「流派はないんどすか?」

 

「僕の剣術に名前は無い」

 

 教わったのはタイ捨流の構え、心得、技法。

 学んだのは示現流の構え、稽古、斬法。

 他にも色々学んで、今は天然理心流の道場で握りを学び、闘い方を教わっている。

 固有流派の名前はなく。

 雑多な混生技術の塊で。

 不純物しかないけれどその全てが尊くて、技術を教えてくれた村越先生には感謝がある。

 

「ただ――村越 瀬馬(むらこし せいま)を師に仰いでいる」

 

 師の名前を告げた。

 僕に闘う術を教えてくれた人の名前を。

 

「へー、知らんなぁ」

 

 だろうね。

 そこまで名の知られている人だとも思ってはいない。

 ただ僕には誇れる人物というだけで十分だった。

 

「ま、ええですわー」

 

 風が吹いた。

 雨が顔に当たる。冷たくて、痛い雨が。

 

「あんさんの首、刹那先輩に見せたら喜んでくれるやろかぁ」

 

 けれど、それ以上に冷たく苛烈な殺意が噴出した。

 全身が冷や汗に濡れていく。

 ぬるぬると油っぽい汗が全身の毛穴から吹き出して。指がぬめる。

 言葉は終わりだ。

 会話は終わりだ。

 だって、目の前の存在は必要なことを、僕から聞き出した――「え?」のだから。

 

 

 目の前に月詠がいた。

 

 

 雨水引き裂く、目にも止まらぬ弧月があった。

 殺意の塊、僕は考える余裕もなく一歩引いて、斜めに体を傾いだ。

 服が切れる、痛みが走る、肩口が切れて――僕は生き延びた。

 月詠は両手の刃を地面の切断にまで振り抜いていた。衝撃波、信じられないことに斬撃の剣風が肌を打っていた。。

 よくぞ躱せたと自分に感嘆し、僕は袈裟切りに腕を跳ね上げた。

 真正面、距離は二メートル未満。

 狙うのは容易い月詠の顎から頭蓋まで切断する一刀。

 

「おっとー」

 

 しかし、それを月詠は軽く顎を引き、つま先で跳躍。

 地面を滑りながら僕の刃を眼前で見切り、次に振るった打ち下ろしの刃を、小太刀で受けた。

 火花ではなく、散るのは水の飛沫――水華。

 斬撃の衝突音は濁って大気に響き、手ごたえだけは肉を通じて聞こえてくる。

 

(斬る!)

 

 僅かな痺れ、鋼を打つ硬い手ごたえが指先に走るより早く、僕は手首を廻した。

 ――引き斬る。

 言うなれば日本刀の斬法、技法、その全てがそれに終着される。

 引いて斬るのだ。

 押して斬るのは西洋剣。

 ただひたすらに切れ味を考えて、如何に無駄なく切れ込みを入れて、どのように刃の負担を与えずに切断せしめるのか。

 技法を極めて、斬法磨けば、刀で鉄を斬ることなど造作も無い。

 鉄は折れるのだ。ならば、斬れぬ道理はない。

 手首を捻り、肘をしならせ、肩を回転させて繰り出す、斬るための肉体駆動。

 女子の乳房を愛撫するような手つきだと教わるそれ――女性に殴られてもしょうがない言い回し。

 しかし。

 

(はじかっ、れ!?)

 

 刀身打ち込んだ小太刀、生半可な技法でもなければ軋むはずの小太刀の鎬、その剛性限界につけ込む刃が"押し退けられた"。

 まるで侵入することを許さないように。

 "衝撃"にも似た圧力で弾かれた。

 

(なんだ!? 硬い皮金の手ごたえじゃない。弾性の高い心金でも使ってるのか!?)

 

 通常ならそこまで触れ合った太刀の構成、弾性、剛性、手ごたえになど思いを馳せることなんてない。

 けれど、あまりにも異質な手ごたえに、僕は動揺し。

 

「――神鳴流」

 

 体重移動で体勢を立て直した僕の耳に届くのは凍りつきそうな剣気の息吹。

 

「おうぎ」

 

 大地が揺れた。

 

 

「――ざんてつせん」

 

 

 圧倒的な暴力が、視界を塗り潰した。

 

 

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