欠陥人生 拳と刃   作:箱庭廻

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四話:迷う暇なんてこの世にはない

 

 迷う暇なんてこの世にはない。

 

 

 

 

 抜刀。

 ――太刀を抜く。

 一閃、二閃、血払い。

 ――手首をしならせ、体を踏み込ませて、刃を奔らせる。

 納刀。

 ――前を見たまま視線をそらさず、太刀を鞘に納める。

 これを繰り返す。

 手に持つ太刀を納刀し、冷たい板張りの床に爪先をめり込ませながら僕は息を吐いた。

 

「ふぅ」

 

 汗が噴き出す。

 それを胴衣の袖で拭い、焼けたように熱を帯びる肩を無視して、再び太刀を握る。

 柔らかく、されどもきつく雑巾を絞るようなイメージ。

 己の握力を持って柄糸に編みこまれた握り手を掴み取り、腰を深く沈める。

 目を見開き、道場の中の広さを実感し、距離を把握し、振り抜く軌道を呼吸するように追順する。

 鞘を左手で支えるように指を絡めて握る。

 親指で鍔を押し上げて、鯉口を切る。

 そして――抜刀。

 爪先で床を蹴り、飛び上がりながらも腕が、手が、指が全ての感覚を使って刃を押し出して――大気を切り裂く。

 

「ぇえいッ!」

 

 気合声が喉から迸るよりも速く振り抜いた刃、手首を返し、足首を返し、タタンと床を踏み込みながら刃を切り下ろす。

 軌道は対峙する相手の腕を両断するように。

 刀身が大気の抵抗に唸りを齎す。

 一の太刀で首を切り裂き、二の太刀で腕を両断し、さらに回した手首で刀身を風車のように回転させて血を払う。

 そして、納刀。

 鞘にカチンと収まる小気味のいい音が鳴り響き、支えた鞘にずっしりとした重みが圧し掛かる。

 日本刀は重い、肉厚の太刀ならばなおさらのこと。

 体をしっかりと鍛えて、足腰を重点的に強くし、その重みが当然のようにでもならない限り、四肢は悲鳴を上げる。

 刀とは所詮鉄の棒。

 重く、振るい慣れなければ単なる重しに過ぎない、鉄パイプにすら劣る道具。

 刃筋を立て、剣速を保ち、切り込まねば単なる切れ味のある鈍器に成り下がる。

 だからこそ腕を落とさぬように、乱れないように、ひたすらに刃を振るい続ける。

 

 か細く崩れてしまいそうな道筋から外れないために。

 

「はぁっ!」

 

 僕は今日も懸命に太刀を振るい続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜も更けて、黄昏すらも朽ち果てたように輝きを失った暗い景色の中。

 腕は重く、脚も重く、体は乳酸漬けの疲労の極み。

 夜の心地よい風を汗臭い体で浴びながら、僕は電車から降りて真っ直ぐに宿舎へと向かって歩いていた。

 

「……疲れた」

 

 日曜日、週に一度の道場への通い稽古。

 今はそれの帰り道だった。

 先生の紹介で知り合った麻帆良近くの市にある剣術道場に、僕は麻帆良に移ってから通っていた。

 師範の人も良い人で、流派の違う僕でも嫌な顔一つせずに教えてくれる。それがありがたい。

 なんとなく気が引けて、剣道部にも居合部にも入っていない僕は日ごろ太刀を振るう機会が少ない。

 一応毎日早朝と深夜に、鉄心を仕込んだ木剣で修練はしているもののやはり太刀が良い。

 治安国家日本。

 物騒なニュースが日ごろ流れるこの国で許可持ちとはいえ、往来で刀を振り回していると通報されるのが目に見えているからだ。

 ルームメイトの長渡は気にしていないみたいだけど、あまりそういうのを持っていると言いふらすわけにもいかないし、興味本位の盗難にでもあったら目も当てられない。

 太刀を入れた竹刀袋を手に持って、僕はぶらぶらと学生寮に帰るべく公園の横を歩いていた。

 

 

 その次の瞬間、僕は自分の業を思い知る。

 

 

 例えば人生に予兆というものが起こる事象はどれだけあるだろうか。

 例えば朝に黒猫を見かけて、放課後にバナナの皮で転ぶ。これに関連付けなんて出来るわけが無い。

 例えば、朝に靴紐が切れて、十年後にバイクで事故って怪我をしてもそれが予兆だなんて分かるわけが無い。

 預言とは認識出来る形と明確なルールに従う事象でなければ当たったとしてもそれは当てずっぽうに成り下がる。

 そして、予言や予兆などはそもそも絶対的な事象数に比べてどこまでも希少だった。

 故に何の前触れもなく不幸が襲い掛かったとしても何も出来ない。

 ただ、運命を罵るだけしかやれることはなかった。

 そして、不幸は当たり前のように僕に牙を向いて襲い掛かってきた。

 

 ぐるぅ。

 

 聞こえたのは野犬の唸り声のような声。

 

「ん?」

 

 僕は近所の犬でも鳴いているのかと聞こえてきた公園の方に目を向けた。

 夜の帳は幕を下ろし、薄暗い電灯の明かりが公園の中を薄暗く照らしているだけで闇も同然。

 しかし、その闇を覗き込んで――全身の産毛が逆立つのを感じた。

 

「な、なんだ?」

 

 何かが見えたわけでもないのに、冷や汗が噴き出す。

 喉が渇いて、全身の筋肉が縮こまるのが分かった。

 不味い、何かが不味いと感じる。昔味わった感覚、思い出したくも無い過去を思い出しそうな予感――何かが来る。

 光が、月光と電灯の光が徐々に遠くなっていくような違和感。

 ざわめく、幾重にも小さな風の音が積み重なって、波の音のように、唸り声のように錯覚してくる。いや、それは錯覚なのか。

 来る。

 来る、来る、来る、来る。

 闇の奥から唸り声を上げて、荒い息を吐き出し、爛々と闇の中で剥き出しに輝く漆黒の瞳を動かしながら駆け来たり――

 

「         !!!」

 

 想像は現実の肉を被りて襲い来る。

 バッと旋風のように、それは僕の目の前に飛び込んできた。

 殺意を篭めた、憎悪すら感じられる、鈍い色を放つ巨大なグロテスクな犬。

 一瞬の対峙で認識したのはそんな光景だった。

 そして、僕は認識したのと同時に吹き飛ばされていた。

 車に撥ねられたかと錯覚しそうな衝撃、己の意思ではない宙を舞う感覚、それが吐き出しそうなほどに恐ろしく、近くにあったゴミ箱に背中から激突した時には傷みと共に安堵したほどだった。

 ガラガラとけたたましい音が鳴り響く、耳がうるさい金属音に悲鳴を上げたくなるほどに。

 

「なんだ、っ」

 

 ゴミ箱に残っていた缶ジュースの残り汁が服にかかり、最悪な気分になりながら体を起こそうとして、肩の痛みに気が付いた。

 見ればざっくりと肩の肉が抉られていて、現実感がないほどに熱く、痛い。

 

「―― !!」

 

 声にならない悲鳴を自分は上げたと思った。

 痛いという感覚がないのが恐ろしかった。

 けれども、そんな暇も与えずに、恐怖の対象は鞭のようにしなる尻尾で地面を叩くと、闇の中でも分かるほどに気持ち悪い瞳でこっちを睨み付けていた。

 ぐちゃぐちゃとおそらくは口に当たる部分で湿った音を立てながら、そいつは僕を見る。

 訳も理由もなく、感じた。

 そいつは僕を殺す気だと。

 喰らうつもりだと。

 何故か確信し、そして僕は一瞬だけ痛みによる叫び声止めて、近くに転がっていた竹刀袋を握り締めた。

 

「ァアアア!」

 

 ギリッとポリエステルの竹刀袋を握り締めた瞬間、そいつは鎖でも外れたかのような勢いで飛び込んできた。

 迸る唸り声は何故か赤子の泣き声に似ていた。

 僕は足元に転がる缶ジュースを踏み潰し、叫び声を上げながら真っ直ぐに竹刀袋を振り上げた。

 アルミ製の缶を踏み潰し、僅かにバランスが崩れているが、しっかりと体に染み込んだ動作は僕を裏切る事無く袈裟切りに竹刀袋を振り下ろす。

 けれど、そんな大の大人でも悶絶する太刀の重みと鉄製の鞘の硬度による打撃がそいつは通じることは無かった。

 ガンッと岩でも叩いたかのような重い反動と共に振り翳した一撃は弾かれて、そのままそいつは僕の腹部に激突した。

 咄嗟に腹筋に力を入れる。けれども、それは自動車両の突撃も同然の威力で僕は再び宙を舞って、世界が回転した。

 激痛と共に血反吐を吐き散らしながら、受身も取れずにアスファルトの上に叩きつけられた。

 背中からぶつけて、今まで体感したことも無い痛みが響いてくる。

 

「あ、がっ、ぶぅぅ!!」

 

 腹の中身が全部吐き出る、全身が痛い、熱いぐらいに痛い、吐瀉物を吐き出し、鼻水を流しながら、その中に血が混じっていることに気付いた。

 胃液の熱で喉を焼いて、みっともないぐらいにゲーゲー吐いていた。

 呼吸が出来ない、吐き気が酷くて、痛くてたまらなくて。

 頭が真っ白になっていく、呼吸が出来なくて、息が吸いたい、息が吸いたい、苦しい苦しい。

 なんでこんなことになっているんだ。

 どうしてこんな目に会わなければいけないんだ。

 

「ァアアアンン!!」

 

 赤子のような唸り声。

 夜泣きにも似た悲しくもおぞましい声が響き渡る。

 だけど、僕はそれどころではなく、恐怖よりも苦痛に、苦痛よりも混乱に、混乱よりも絶叫を上げていた。

 

「」

 

 ざけんな。

 ふざけるな。

 どうして、どうして、どうして、僕が。

 

「アアアーン!」

 

 大気に散らばる咆哮の旋律。

 酸素不足と激痛に乱れる視界で、見上げればサイズにして一メートル近くもある化け物犬だと今更気付いて。

 僕は吹き飛ばされても決して手放さなかった太刀の柄を強く、強く握り締めた。

 十数年振るい続けた柄の感触。

 冷たくて、金属のひんやりとした温感。

 硬くて、柄糸を巻きつけたしっかりとした質感。

 指を動かし、手が動くことを今更のように実感する。

 竹刀袋は無残に切り裂かされて、その下の鞘はまるでハンマーでも叩き込まれたように砕けていたけれど、刀身だけは見えていた。

 夜の中でも重厚な太刀の輝きは薄れる事無く目に焼きついて、それは触れればモノを切り裂く凶器だと僕は知っている。

 動く、げろまみれで、ザリザリと硬いアスファルトで、誰も見てない、誰も助けてくれない場所で、熱を持ち続けるお腹を片手で抑えながら体を起こす。

 許さない――酸素欠乏故の壊れた思考。

 殺してやる――八つ当たりにも似た殺意。

 

「ごろじ……」

 

 最後まで言葉にならずに、僕は喉に詰まった血と吐瀉物の塊を地面に吐き出した。

 血とげろの匂いが鼻腔に満ちてくる、最低な感覚。

 びちゃりと耳にへばりつくような気持ち悪い音だった。

 犬が動く。

 化け物がぐちゃぐちゃと音を立てて、こちらに牙を剥き出しにした。

 そして、今更のように気が付く。

 鼻水を啜りながら、臭ってくる悪臭に。吐き気をさらに催しそうなそれは腐臭だった。

 夏場に生ゴミを放置し続けた時のように耐え切れない腐臭をそいつは放っていた。

 目を凝らせば、そいつは手足に蝿が集っていた、なんていうことだろう。

 そいつは腐っていた。頭から上を除いて、ヘドロのように汚れて腐っていた。

 どうして腐乱していて動けるのか。

 腐乱したそれは動かすための筋肉は千切れて動かず、神経を介した電気信号も通らず、骨のみではどう足掻いても動かないはず。

 高校生として当たり前程度に覚えている生物の科目内容を思い出しながらも、どうでもいいかと吐き捨てる。

 竹刀袋を引き千切り、ひび割れた鞘を引き抜き、僕はふらついた足で太刀を構えた。

 最初は慣れた八相に構える。

 けれども、腐乱犬は乾いた黒い瞳――多分本当に乾いている眼球でこちらを睨んでくるのを見て、刀身を下に下げた。

 汚れて滑る足元で足を開き、腰を落とし、正眼の構えから中段脇構えに入る。

 僕の一番得意な構え。

 先生から習った剣術の根本――タイ捨流独特の斜め後方に刀身を突き出し、自身の体で刃を隠した捨て身の構え。

 命を捨てるのが怖いわけじゃない、ただ信じられるのがそれだけだった。

 ボロボロと涙を流しながら、鼻水を啜りながら、汚れた格好で僕は太刀を構える、柄を握り締める、足りない酸素でクラクラする頭で叫びを上げた。

 

「  」

 

 なんて叫んだのか自分でも分からない。

 犬が飛び出そうとしたような気がして、僕はそれよりも早く足を踏み出し、太刀を振り上げたような気がした。

 そして、痛みにやけくそになりながらも、手首を返し、腕を捻り、肩を廻し、腰を下ろし、膝を曲げて、爪先で地面を蹴り飛ばし、全ての重みを刀身に篭めた。

 腐汁に濡れた巨大な牙が見えたような気がしたけれど、僕はただ袈裟切りに刃を振り下ろし――

 

 

 一生忘れることの出来ない肉を断ち切る感覚を味わって、意識が途絶えた。

 

 

 

 

 そして、僕は次の日、車に撥ねられて病院に入院していた。

 

 

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