欠陥人生 拳と刃   作:箱庭廻

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本日三話目
閑話二本投下済みです


四十二話:さあ、涙を止めよう

 

 《b》さあ、涙を止めよう。《/b》

 

 

 

 

 怨嗟、怨嗟、怨嗟。

 苦痛、苦痛、苦痛。

 寒さだけが其処にある。

 熱さだけが其処にある。

 

 涙は止まらない。

 

 涙腺から零れる熱ではなく、顔を打つ雨水の滴りが血に染まる。

 呼吸が出来ない。

 血の味がして痺れるようで、不快。

 腐ったかのように、臓腑の一片までもが腐り果てたように不愉快。

 何一つ笑えることなんてなく。

 何一つ救えることなんてなく。

 何一つ達成出来ない絶望からの鼓動はただ生温く、ぬめる。

 

 空から降り注ぐのは誰かの涙だろうか。

 

 空は泣き虫で。

 一生分の悲しみに嘆き散らす。

 声が響く。

 風の吹く音かもしれない。

 痺れて、焦がれて、凍り付いて、指先の果てまでもがドロリと溶けたように力が入らない。

 焼けた網膜は外を濁った川底のように曖昧に写して、何一つ鮮明にならない。

 夢のようだ。

 悪夢のようだ。

 地獄のように冷たく、冥府のように誰も知らない、煉獄のような熱さ。

 だけど、それでも。

 指を動かそう。

 流れるぬめぬめとした感覚を無視して、指を動かそう。

 

「     」

 

 誰にも届かない息吹を漏らす。

 だらだらと口に溜まった雨水を吐き出す、舌で掻き出す、泥の味、雨の味、血の味。

 鼻腔を開く、鼻水が溜まっているけれど、なんとか息を吸う。雨の臭い、こびり付いた血の腐感。

 全ては呼吸を遮る障害。

 全身が鉛のように重く、硬く、固まっていて。

 心臓を動かすことにも時間を掛ける必要があると思った。

 ドクリ、ドクリと血液ポンプが稼働する。血が溢れ出る、痛み――は不思議と感じない。

 濁った視界の中で、何も見えず、川底に溺れるような気がした。

 黒いうねり、黄昏よりも暗く、闇のようにおぞましい。

 

 

「    ……!」

 

 

 どこかで何かが聞こえた。

 眼球は動かない、濁った視界の中に見えるのはしぶく雨、揺ら揺らと体が揺さぶられる。

 眠くなる。

 意識が一種落ちかける。

 

「       アアアアアアアア!!」

 

 たった一つ聞こえた叫び、それに再び目を見開き。

 鼓動を上げる。

 指を動かす。

 血を流す。

 誰かが呼んでいた。

 何の根拠もないけれど、呼んでいた。

 彼岸の闇の果てから誰かが叫んでいた。

 雨の音にも負けず、雷鳴にも負けず、ただ声が響いていた。

 だから。

 

「キャハハハ!」

 

 耳に届いた笑い声と。

 

「この、ちゃんっ!」

 

 届く悲鳴にも似た哀願に。

 

 

 

 ――"僕"は手を握り締めることに成功した。

 

 

 

「      !!」

 

 感覚が戻った刹那、僕は見えぬ視界のままに体を起こす。

 誰かが驚いている気配がした、影が揺らめき、ぼやけて見えない。

 だけど、それでもそれが親しい人だと気付いて。

 

「  ぁ」

 

 笑いかけながら、体を動かす。

 手を動かし、聞こえた悲鳴に飛び出した。

 あらゆる場所が悲鳴を上げて、あらゆる箇所が嗚咽を漏らして、あらゆる肉と皮が軋みを響かせていたけれど。

 四肢は軽くてたまらず。

 血は流れ続けるだけで。

 されど骨だけは変わらずに重みのままに動かせる。肉と皮など骨の添え物。

 瞬く、眼球に溜まった雨水と泥水を削ぎ払い、たった一度だけの呼吸を行い、筋肉に頼らぬ重心移動で体を運ぶ。

 濡れた雨海の中を泳ぐ。

 今までの生涯でもっとも上出来で。

 

「とどめですー」

 

 無様な動作で。

 

「え?」

 

 悲鳴の持ち主を押し倒し。

 

 ――ブツンと何かが断たれた音がした。

 

 左の腕が妙に軽くなる。大切なものがごそりと抜け落ちた気がしたけれど、停まれない。

 夢の如く、現実の如く、眠っている気がして。

 

「ぁ」

 

 声がした。

 驚く声がして、僕は一瞬だけ悲しみと驚愕に揺らいだ彼女の顔を見た気がした。

 桜咲 刹那。

 忘れもせぬ少女の顔を見て、僕は息を停める。

 肺の動きは邪魔だ、全て止める。

 そして、ただ右手を以って。

 

「」

 

 ――ただ斬った。

 

 空を仰ぐ必要も無く。

 地を駆ける必要すらも無く。

 人の弱さを嘆く必要すらも無く。

 天地人和合の幻想を紡ぎ生み出し。

 間境いを踏み越え、其処に佇む者を斬る。

 刹那の時を持って肉体の位置を運び、六徳のズレもなく四肢を繰り出し、虚空の刻を捉えて穿つ。

 力は要らない。

 無意識裡に放った脇差の剣尖は愚直に直進しながらめり込み、衣を、皮を、肉を、骨を抉りて、逆袈裟に裂いた。

 女子を犯すような蕩ける手ごたえと快感。

 斬響感覚の恍惚とした瞬間、消え去る刹那の蝋燭の火の如く、一瞬だけ精気が湧く。

 肉と骨と皮と21グラムの魂の重みを乗せて、振り抜いた鋼刃は空を指していた。

 

 天への一刀。

 

 雨粒が一瞬だけ停止する。

 

「一の太刀」

 

 嗚呼。

 

 冷たい雨が止む。

 

 代わりに今日は紅い雨が降る。

 

 咲き誇るように裂いた白い肌から血の雨が吹き出し、空を、地を、人を染め上げる。

 

 真っ赤な真っ赤な雨が降り。

 

 べちゃりと落ちた"左手"に、僕は笑った。

 

 

 

 笑って、倒れた。

 

 

 

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