欠陥人生 拳と刃 作:箱庭廻
大人になりたかった。
抗っていた。
抗おうとしていた。
だけど、それでも届かないものがあった。
「ぐぅっ!」
接触して放った雷の矢も。
連携して回り込んでも。
ただ殴られて。
ただ蹴られて。
弾き飛ばされた。
ただ届かないという言葉を教え込むように激しかった。
「がっ!!」
「小太郎くん!!」
ヘルマンのフック、それがめり込んで吹き飛んだ小太郎君の背中を抱き留める。
ズルズルと雨に濡れた石畳は滑りやすくて、押さえきれずに吹き飛びそうになったけれど魔力を流して踏ん張りを利かせ。
「友愛もまた美しいが」
轟っと暴風巻き上げて迫るヘルマンの圧力を僕は見た。
腰が回る、足が躍る、引き絞った弓のような鋭く無駄のない構え――古菲さんから学んだ武術知識がなければただ腕を引いただけとしか思えなかっただろう動作。
ビリビリと震えるほどに力強い魔力を発して、それは跳び込んで来た。
「友を救えぬ無謀は愚者の行いに過ぎない」
障壁に魔力を流し込み、僕は詠唱する暇もなくただ小太郎君を庇いながら後ろに跳んだ。
打撃音が激しく聞こえて、全身が砕けたと思える衝撃があった。
弾き飛ばされる、殴り飛ばされる、たった一撃の激痛がぶつかってきた。
爪先が地面から離れたと思った瞬間には、気が付けば地面を見ていた。
「ぅ、ぅぅ」
息が出来なくて、僕は痺れて動かない手を必死に胸に当てる。
少しでも痛みが和らぐように無意識に押さえつけるけれど、痛みは引かない。
ただ苦しくて、泣き出したくなる。
「寝るのには少々夜は浅いのだが」
声がした。
ヘルマンのどこか退屈そうな声がして。
「もう、限界かね?」
「 !」
僕は反論したくて、けれど声が出なかった。
視線を向ければ、小太郎君も前のめりに倒れていて動かなかった。
「ネギー!」
「ネギせんせぇ!!」
泣きそうな声のアスナさんたちの悲鳴が聞こえる。
頑張らないといけないのに。
立ち上がらないといけないのに。
何故か手は震えて、脚は力が抜けて、体は休みたいと悲鳴を上げていた。
喉が渇く、水が口の中に入って、苦い味がした。
それが血の味と自分で分かるけれど、どこか認めたくて、ずぶ濡れのままに僕は声を殺すことも出来ない。
ズキズキと走る痛みに、チャプチャプと揺れる泥の水面に、僕は額を押し付けながら歯を噛み締める。
「僕は――」
拳を堅く堅く握り締める。
だけど、唇から零れる言葉は雨音に負けて自分の耳にも届かない。
でも、それでも僕は必死に声を上げるために息を吸った時だった。
「すらむぃ、あめ子、ぷりん。止めたまえ」
ヘルマンの声が聞こえた。
どこか違う誰かに話しかけているようだった。
「やれやれ、君たちには用はなかったのだが……勇ましい救いの王子気取りかね?」
「――白馬には乗ってねえけどな!」
この声は、長渡、さん?
少しだけ顔を上げて、小太郎君の方を見る。
彼もまた少しだけ顔を上げて、さりげない程度に頷いていた。
「那波さんとそこにいる全員を返してもらいたんだが、いいか? 今なら警察は呼ばずに済ませてやる!」
強い声。
降り注ぐ雨にも負けない大きな言葉。
僕では出せないどこか渋くて、男らしい声だった。
「ふむ。心をへし折るつもりで叩きのめしたつもりだったのだが……勇気がある」
ヘルマンの声はどこか弾んでいた。
だけど、それに気を取られている暇は無い。
彼らが来た。
間に合った。目を閉じる。水を啜る、泥の味がして、埃の味がして、けれども構わずに飲み込んだ。魔力を啜る。
少しでも回復したかった。
「彼らほどに力も無く、勝算も無く、ただ突き進むことは勇気ではない――無謀だ」
ヘルマンの声。淡々と続ける言葉。
少しだけ見上げた目には得体の知れない恐怖が湧き上がる黒い格好が見えて、怯えてしまいそう。
「勝算、か」
だけど、だけど、聞こえる長渡さんの声はどこか切なく、力強く響いていて。
僕は諦めたくなかった。
ただいつかの後悔をしたくなくて。
「ネギ、小太郎! テメエラ起きやがれ! 救いたいんだろうが!!」
――長渡さんの手の振りと同時に跳ね上がる。
【戦いの歌】
終わりかけていた魔力供給を再開し、ギシギシと痛む体を動かして、僕は叫んだ。
「はい!」「おう!」
動け、動け、動け。
立ち上がり、跳ね飛んで、前を見た。
――視界に飛び込んできたのはヘルマンが吹き飛ぶ姿。
足元から破砕され巻き上げられた土砂礫、それに僅かに怯んでいた。
長渡さんたちの援護。
見ればどこからか飛んでくる――小太郎君の気弾にも似た光弾が飛来してきた。油断無く、僕の生徒たちを救おうと。
「ぬっ!? 気の使い手を、潜ませていたのか!」
けれど、ヘルマンはすぐに落ち着いた態度で立ち直ると、水牢に飛んでいく気弾を邪魔しようと歩き出す。
それに、僕は駆け出した。
「させません!」
「踏ん張るで、ネギ!」
「ハハハッ! 計算づくか!」
笑ってる、楽しげにヘルマンは地面を踏み締めて僕らを見下ろしていた。
視線が違う。
高さが違う。
子供と大人の差があって、それがどうしょうもなく悔しかった。
魔力を編み上げる、術式を紡ぎ上げる、ただただ力が欲しい。
だから。
「サギタ・マギカ!」
魔法の射手を発生させながら、僕は濡れた水溜りを蹴り払った。
直接的には魔法が効かない。
それなら――間接的に放てば?
「離れて、小太郎君!」
雷の一矢。舞い上がる水の飛沫を掌に集めて、僕は薙ぎ払う。
バチリと電流が流れる様を見ながら、僕はその掌を振りぬいてくるヘルマンの掌に合わせて叩きつける。
「ぐぅつ!?」
「ぬっ!?」
魔力でガードしても一瞬痺れるような衝撃。
ヘルマンが一瞬だけ動きを止めた、痛みに引きつったように腕を震えさせた――小太郎君の蹴りが顔面にめり込む。
足首を捻る、膝が曲がる、肩を廻しながら小太郎君は僕には決して真似出来ない動きで、一撃、二撃、三撃と蹴りつけている。
やっぱり小太郎君は凄い。
「これで、どうや!?」
蹴りつけた顔を足場に舞っていた小太郎君が旋回しながら足を振り回し、最後に伸ばした靴底。
それが深々とヘルマンの目元にめり込んだ――と思った瞬間、小太郎君が顔色を変えた。
当たっていない。スウェー、ヘルマンが後ろに体を倒して、さらに捻る。
「良い蹴りだが」
旋回、黒衣を翻しながらのステップ。
腰を利かせた拳が飛んでくると僕は愕然と理解して、ゆるゆると息吹を上げながら。
「風よ!!」
ラテン語を用いて精霊に呼びかけた。
「おううつ!?」
ヘルマンのブロー。雨雫を蹴散らす嘘みたいな拳打、それを小太郎君が避ける。
精霊が起こしてくれた強風、それに両手を広げて上手く乗った。
ジャパニーズホビーで聞いた凧、それにどこか似ている動きで舞い上がり。
「シュッ!」
「舐めんなやっ!!」
乱打で放たれたヘルマンの拳打を小太郎君は捌いて見せた。
弾き、捌き、叩いて、受け止めて、クルクルと回りながら着地する。
それを見ながらヘルマンは足をさらに踏み出そうとして――不意にバチリと走った光に、飛び退いた。
「ほうっ?」
ヘルマンのいぶしかげな顔。
「すこーしは、タイミングが合ってきたでオッサン!」
ボタボタと手の皮を擦り剥けて血だらけだったけど、小太郎君は無事で哂っていた。
「そのようだな。動きに無駄が減ってきている」
どこか拳の具合を確かめるみたいにヘルマンは拳を開いては、握り締めながら、僕らを見る。
その瞳は見るたびにやっぱりどこか怖くて吐き気がする。
涙が零れてしまいそうになる。
嬉しいわけでもなく、悲しいわけでもなく、どこか苦いものを食べたような嫌な感覚がした。
「――アスナさんたちも解放出来ました! もう僕たちに戦う理由はありません!」
小太郎君の横に僕は並び、恐怖を隠そうと父さんの杖を突き出しながら叫ぶ。
視界の端ではアスナさんたちが長渡さんの仲間によって解放されていた。ペンダントも外されて、魔法はもう通じるはずだ。
もう無駄に戦う理由は無かった。
「おい、ネギ!? ここまで来てなに腑抜けたこと――」
小太郎君の声が途中で途切れた。
何故だろう。わからない。
ただ歯が鳴っていて、体が震えて、たまらなかった。
一刻も早く逃げ出したい気持ちを押さえつけて、必死に前を見ていた。
全身が汗を掻いていた。
「……怯えているのかね?」
帽子の唾を押さえて、淡々とヘルマンが言っている。
おびえている?
そうだ。僕は怖くて、怖くて、たまらなかった。
泣き叫びたかった。
顔を伏せて、逃げ出したかった。
「恐怖を恥じる必要は無い。"君たちは私を恐れるのが自然なのだから"」
「あ? 何を言ってんのや?」
小太郎君が吼えた。
眉を吊り上げて、犬歯を剥き出しに叫んだ。
「ふむ。それだ」
ヘルマンがパチンと指を鳴らした。
「今の君たちには理解出来ない。それが私はとても哀しい、狂おしいほどに」
苛立つように指を曲げた。
「確かに。千年前と比べて君たちは格段に強くなっただろう。技術を、魔法を、気を修得し、生物としての存在強度は確かに上がった。しかし、私は疑問を生じるよ。」
ただそれだけだったのに――
「いつから蟻が象に対して工夫もせずにぶつかることを許容したのかね?」
何故か一瞬時が止まった気がした。
ドクリと体が勝手に震え出した。
「へ、え?」
「な、なんや!?」
ガタガタと体が震える。勝手に脚が逃げ出したくなる。
さっきまでの込み上げるような恐怖じゃなくて、どこか本能的な怖さがある。
ただ立っているだけなのに。
「……犬は猫に対し跳躍力では叶わない、猫は犬に対して速度では劣る、馬は速いが象よりも小さい、象は大きいが器用ではない。考えたまえ、覚悟したまえ、敬意を払いたまえ。あらゆる生物よりも弱く、されど工夫し、覚悟するからこその霊長類なのだと」
胃液が込み上げてくる。
何故か僕らは立っていられない。
小太郎君がブルブルと震えて、髪の毛を逆立てていた。
僕も全身が寒くなったみたいに鳥肌が立って、たまらなかった。
「だというのに、当然のように勝利できる。それこそが今の人間の驕りだ、そして他生物への侮辱だ。私は憤怒を超えて憐れみすらも感じるよ」
ヘルマンが頭の帽子に手を掛ける。
怖い、怖い。
ゆっくりと顔を隠して、その向こうの顔が見えなくなる。
それが怖くて。
「さて、これでも」
震える僕らの前で帽子が外される。
――そこにあったのは。
「"コレ"でも怖がらないかね?」
――ヒトの顔なんかじゃなかった。
球体のように丸みを帯びた顔。
ハロウィンのカボチャ細工のようなキバ。
爛々と輝くランタンのような瞳。
捻らた発条のような角。
「ぁ……ぁあ」
「怯えるかね? イイ顔だ。些か心に負った傷が大きいようだが、すこぶる我々好みの顔だ。今時の子供には"悪魔"じゃーと出て行っても驚いてもらえないからねぇ」
「あ、あなたは……」
喉が渇く。
体の痛さを忘れて、ただお腹が痛かった。
「憶えているかね? そう、あの日――かつての雪の夜以来だ」
汗が止まった。
「あの日の夜、召喚された中でもごく僅かな爵位級の上級悪魔の一人だよ」
雨の冷たさを忘れた。
「君のおじさんや村の仲間を石に壊滅させたのも、まあ私が関わっているな。あの老魔法使いには封印されてしまったが、実に立派な行為だ」
頭が真っ白になって。
「私は感謝したいぐらいなのだよ? 君という"英雄の息子"を遺して貰えたのだから」
拳を握り締める。
息が出来ない、どうしてだろう。苦しい。とても苦しい。
「どうかね? 私を憎みたくなっただろう?」
「おい、ネギ! 落ち着けや!!」
「ネギ!」
「坊主!!」
「兄貴!」
声が、声が、声が。
「ネギせん !!」
……聞こえない。
「 !!!!!!!!!!」
僕は飛び出していた。
限界なんて忘れていた。
疾走。
「ぐっ!」
目の前の誰かの腹を殴っていた。
ギチギチと嫌なぐらいに固いそれに僕は泣きながら、手を上げて。
「 !!」
ただ壊れろと叫んだ。
掌が裂ける、血が出る、だけど構わない。
手に持つ長い杖を足場にしてその足を抉る。めり込んだ爪先にヘルマンの動きを止めて、僕は強引に回転しながら、その腹部に肘をめり込ませた。
「ぬっ!?」
発動・雷の一矢。
魔法を叩き込む。
体が覚えている、意識もしないで発動する。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル」
殴る、殴る、殴る。
何もかも忘れてただ殴りつけて、蹴り飛ばして、目の前の誰かが消えることを願って。
「ケノテートス・アストラブサトー デ・テメトー!!」
叫ぶ、叫ぶ。
蹴り上げる、ただ力いっぱい殴るだけで吹き飛んだ。
追撃で雷の矢。一発、五発、十発、放つ放つ放つ。
全弾直撃。さらに吹き飛ぶ奴。
それを追う。消さないと、消さないと、消さないと。
あの記憶を消さないと。
僕は、ぼくはぁああああああああああああ!!
「デイオス・テイコス!」
雷の斧!
ブチブチと千切れる血管、血飛沫、どれもこれもが綺麗で。
光が溢れて、僕はこれならば消せると確信し、吹き飛び続けるヘルマンに振り下ろし。
「これでは駄目だ」
放ったはずの軌跡からは悪魔が見えなかった。
「え?」
手ごたえも無くて。
「ネギ逃げろぉ!!!」
小太郎君の声に、僕は我に返って。
「悲しいかな。ここが人間種の限界かね?」
見上げた場所。
其処に大きく手を振り上げる――"アクマがいた"。
一目見ただけで恐怖に泣き叫びたくなるような迫力。
笑って、哂って、嗤って。
どこまでも大きく凄惨に嗤うおばけがいて、僕は飛び出してきた小太郎君と一緒に。
「墜ちろ」
叩き潰された。
「……ぁ」
「ネギ! 気が付いた!?」
気が付けば地面に倒れていた。
ずぶ濡れで、アスナさんにのどかさん、朝倉さん、ゆえさんが見下ろしていた。
視線を動かせば、横に倒れている小太郎君。
「馬鹿ネギ、が。熱くなって飛び出す阿呆がおるかいな」
額に怪我でもしたのだろう、血を流していた。
「ごめん」
痛さと共に思い出す。
ただ僕は我武者羅に飛び込んだ。
皆のことも何もかも忘れてただ飛び込んだ。そして、無理やりに魔力を搾り出して、ぶつかって。
そして、そして。
「兄貴ぃ」
「カモくん、ごめんねぇ」
痛くて、痛くて、全身が燃えているみたいだった。
無理な使い方をしたせいで、ズキズキと両手が痛い。血が出てる。爪も割れてる。
だけど、もう涙は出てこない。
「ここが限界かね?」
声がした。
ヘルマンが空に浮かんでいた。
冷たく、醒めた目つきだった。失望されている、そんな気がした。
「君たちの抗いはそこまでかね?」
声が届く。淡々と、淡々と。
何故か優しい口調だった。
雨に混じって聞こえるようで、耳に届く。
優しい声がとても怖かった。
「ア、アンタは一体何をしたいのよ! 長渡さんも巻き込んで、こんなことをして!」
アスナさんは誰かを指し示したようだった。
だけど僕からは見えなくて。
ただ震えるアスナさんの手が見えているだけだった。
「――私は君たちの実力を知りたかった」
ヘルマンが言う。
そして、視線をずらして、僕らとは違う方を見ると。
「覚悟を決めた人間は素晴らしい。敬意を持つよ、まさか君が傷つけられるとはね」
呼びかけた声。
返事は僕には聞こえなくて。
「まあいい。仕事を考えるのなら、本来ならば私の手で全て殺すべきなのだろうが」
殺す。
その言葉に僕は起き上がる。右手が動かなくて、でも、なんとか脚と左手で動かして。
だけど、転んだ。
手が動かない、体が起き上がらない、ブルブルと震えて。でも、それでも。
「……させ、ません!」
「……させるかぃな!」
僕と小太郎君は声を上げる。
護りたい。
強く、強く願い続けるから。
「ネギ!」
「ネギ先生!小太郎くん!」
僕らは必死に見上げて。
「どうやらその暇はないらしい」
「え?」
ヘルマンが僕らから目を背けた。
その瞬間、どこか僕は泣きたくなった。
相手にされてない、そんな態度だったから。
「光栄だな、闇の福音。君と殺し合えるとは」
次の刹那、始まった。
「ほざけ。面倒くさいのでな、ヘルマンらしく詩でも歌いながら死に逝け」
最後の殺し合い。
ヘルマンとマスター――エヴァンジェリンさんの戦いを見ることしか今の僕には許されなくて。
ただ悔しくて僕は泣いた。
僕はただの子供でしかなかった。