欠陥人生 拳と刃   作:箱庭廻

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失ってまた戻った日常編
四十四話:後悔なんてしたくない


 後悔なんてしたくない。

 

 

 

 

 目が覚めると、いい目覚め方か悪い目覚め方か何故か起きる前に分かることがある。

 いい目覚め方はすっきりと目を見開き、すぐに背伸び出来る。

 悪ければ二度目したくなり、瞬きが限界で、ぐずぐずしてしまう。

 けれど、今回のは多少頭が重いだけがすぐに起きれると思った。

 

「あれ?」

 

 だけど、開いた視界には見覚えのない天井があって。

 吸った空気には消毒薬の臭いが混じっていた。

 ゆっくりと首を廻せば白いシーツに、無機質な白い壁とベット。

 

「びょう、いん?」

 

 何でこんなところに?

 記憶がうろ覚えで、僕は頭に手を当てようとして……違和感を覚えた。

 

「え?」

 

 左手、それがどこか冷たく痺れていた。

 体を起こす。患者服を着ている自分の体に気が付いて、そこからかけられていたシーツが滑り落ちる。

 痛まない脇腹、斬り付けられたはずの脚も痛まない。

 そして、僕はおもむろに左手を見て――息を飲んだ。

 左手はちゃんと存在した。

 だけど、肘から先の部分、そこには縫った痕があって……"指が動かない"。

 指を動かそうとしてみるけれど、動かない。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。

 動かすけれど、動かない。僕の左腕は動かなくて、それどころか感覚すらもなくて。

 ただ重たくて、気持ち悪くて、たまらなかった。

 

「          !!」

 

 込み上げる胃液を、慌てて口を覆った右手で防ぐ。

 胃が痛かった。えずいて、お腹が痛くて、内臓が締め付けられるようで息が出来ない。

 僕は涙を堪えきれない。

 ボロボロと涙が零れる、止める方法も思いつかない。ただ溢れ出る。

 悲しくて、悔しくて、気持ち悪くてただ泣いた。

 

「なんで」

 

 こんなことになってしまったのだろうか。

 そう続けようとして、言葉を飲み込む。

 死ぬことだって考えていたのに。

 なんでこんなに後悔してる。悲しくて、辛くて、耐え切れない。

 情けなかった。ただ僕はシーツを右手で握り締めて、うずくまりたかった。

 その時だった。

 

「――起きたか、カケル」

 

「え? ……ミサオさん?」

 

 見上げた視界、そこには見覚えのある白いコートに、白いバンダナを頭に巻き付けた精悍な顔つきの男性――ミサオさんが立っていた。

 いつもの目つきの悪い目を吊り上げて、不機嫌そうで、どこか心配そうな目。

 

「な、なんでこんなところに」

 

 僕は慌てて右手で涙を拭った。

 

「お前らを病院に運んだのは俺だから、な」

 

「え?」

 

 どういうことだ?

 

「正確には他にも何名かいるが、まあそこらへんは重要じゃないだろう」

 

 そういってミサオさんはいらついた態度でベット横のパイプ椅子を広げて、腰を下ろす。

 いつになく荒っぽい態度で、少しだけ怖く感じた。

 

「――安心しろ、治療費は俺が払って置いた」

 

 ボソリとミサオさんがそう言った。

 

「え?」

 

「金だけは無駄にある、気にするな。それとお前の友人、コウセイとやらも無事だ。セツナもな、死人は出てない」

 

「……あぁ」

 

 その言葉に安堵の息を吐き出した。

 僕の大切な親友が無事で、知り合いも無事で、誰も死んでいなければそれは幸いだった。

 だから、僕は本当に心から安心した。嬉しかった。

 自分の行動が少しでも報われたのだと信じられた。

 

「……手は動くか?」

 

「え?」

 

「左手だ」

 

 ミサオさんが平坦な口調で尋ねてくる。

 ジロリと嘘を許さないとばかりに向けてくる視線に、僕は目を逸らした左下を見る。

 手。僕の左手。

 体温が伝わってないみたいに、血が流れているのかも分からない、ぬるま湯のような感覚。

 肘下からの縫合箇所、そこから先は"ただの肉"だった。

 指があって、皮膚があって、骨があって、筋肉がある。ただの接続部品。

 それが憎たらしいぐらいに気持ち悪い。

 無いよりはマシだと頭では分かるのに、思えるのに、見たくもないぐらいにイラついた。

 

「動きません」

 

「うごかない?」

 

「動かないん……です」

 

 右手を握り締める。

 ブルブルと体が勝手に震えて、叫びたくなる。

 目を逸らしても現実は変わらないのに、逃避したくて。

 叫びだしたくなって。

 ただ左手が、手が、動かない。

 それだけで、なんで、なんで、こんなにも不愉快なんだろう。

 

「っぅぅう~!」

 

 胃がまた痙攣を起こす。

 えずいて、胃液が零れて、吐き出したくなる。

 全身の筋肉が震えだして、痛くて、痛くて、たまらなかった。

 

「おちつけ」

 

 ミサオさんの手が背中を擦ってくれていた。

 それが暖かくて、でも羨ましくて。

 

「おちついてなんか、いられないよぉ……ぁあぁああああああ!!」

 

 気が付けば僕は叫んでいた。

 右手を振り上げて、ベットを殴りつけていた。

 絶叫していた。

 涙と鼻水がボロボロに零れて、止まらなかった。

 静かな室内に、自分のものとは思えない泣き声が響いた。

 喚き散らしていた。苦しくてたまらなかった。痛みを吐き出さないと、何もかも苦痛で嫌になってしまいそうだった。

 気が付けば振り上げた手で、ミサオさんの胸板を殴りつけていた。

 八つ当たりの一撃だった。

 

「あ」

 

 掌に返ってきた感覚で、やったことに気付いた。

 だけど、ミサオさんはいつもの顔で。

 

「幾らでも泣け。泣いても俺は責めん」

 

 平然と言ってくれた。安心しろとでもいうかのように。

 そのミサオさんの言葉に、僕は涙が終わらなかった。

 どれぐらい泣いたのか、分からないぐらいに泣いた。

 そして、声がガラガラになった時だった。

 

「カケル」

 

「なん、ですか?」

 

「お前の左手は――"治っている"」

 

「え?」

 

 だけど、動かない。

 指一本動いていない。

 

「神経は繋がっている。骨も、筋も、肉も、血管でさえも接続させて、接合は完璧だったはずだ。現代医学の接合手術に、ありたっけの回復魔法で組織復元をさせた」

 

 ミサオさんは淡々と告げていた。

 ゆっくりと染み込ませるように柔らかく、静かに、言葉を紡いで。

 

「ただ失ったのは、"お前の心"だ」

 

「ここ、ろ?」

 

「【失った事実】だけは変えられない。お前は腕を刎ねられた記憶がある、元に戻るわけが無いという覚悟を決めた。だから動かない」

 

 失った事実。

 腕が動かないのは、僕の所為?

 

「元の動作を取り戻すには二つ方法がある」

 

 ミサオさんがことさらに冷徹な顔――感情を押し殺したような顔になった。

 

「一つは失った記憶ごと……あの晩の記憶を消去する」

 

「え?」

 

「タマオカから聞き出した。ついでにいえば、お前の友達とセツナから大体の事情は聞いた」

 

 そこまで告げて、ミサオさんはイラついた態度で顎を撫でた。

 

「……ある程度の想像はあるだろう? 世の裏側にはそういう不条理な技術がある」

 

 そういって指を動かし、ミサオさんはこめかみに指を当てた。

 

「心を弄ることも、記憶を操ることも、やりかたによっては可能だ。万能、というほどに優れているわけじゃないが――ある程度は処置が出来る。それでお前の記憶を抉り、傷を負ったという事実を記憶から排除すれば、あとは五体無事な体と何一つ"失っていない心"が残る」

 

 それは癌を排除するようなものなのだろうか。

 忌まわしい部分を削るために、正常な記憶まで必要最低限として切り取る。

 理屈としては分かる。

 

「時として辛すぎる記憶は消したほうがためになることもある……個人的には好かんがな。まあ手段としては無いよりはあったほうがマシな方法だ」

 

 消さなければいけない記憶も時にはあるのだろう。

 事情を知らない僕でも多少の想像は出来る。

 生きていれば辛い記憶なんてたくさんある。

 だけど。

 

「もう、一つは?」

 

 思考を途中で打ち切って、訊ねた。

 最後の選択肢。

 

「――再獲すること」

 

「さい、かく?」

 

「安易なことじゃない。時間もかかる。取り戻せないかもしれないが、その喪失感を抱えたまま――再び手に入れる」

 

 一言で言えば、リハビリだとミサオさんは告げた。

 

「普通の医学よりも上等な処置はさせた。肉体的には殆ど元通りだが、心……精神が失った喪失感を埋めるのは並大抵のものじゃない」

 

 握力が戻る保証は無い。

 元通りに動く保障も無い。

 いつ治るのか誰にも分からない。

 衝撃的な記憶は何度も夢に見るかもしれない。

 治るまでの生活は健常だった時とは比べ物にならないほどに辛くなる。

 不具の人生なんて一口に言われても想像も出来ない。

 

「片手を失う。人の四肢が一つでも欠け落ちた時、失うものはでけえ。タマオカだって切り落としてから数十年以上経って、ようやく支障ないぐらいに慣れたんだ」

 

 だから、と一端言葉を置いて。

 ミサオさんはじっと僕の目を覗き込んで、目を逸らさずに言った。

 

「カケル。お前が選べ。捨てるか、得るか。過去を捨てて、まともな過去を取り戻すか。過去を捨てずに、まともな未来を捨てるか。お前の人生だ、他人には選ばせねえ」

 

 一言一言、短く、強く、分かりやすく伝わってきた。

 僕は目を閉じて、息を飲み込んで、唾を飲んで。

 カラカラに渇いた喉を動かして。

 ――決めていたことを告げた。

 

「僕は捨てません」

 

 歯を噛み締める。

 唇を結んで、右手でシーツを掴んで、ダラダラと零れる汗の感触に気持ち悪くなりながら叫んだ。

 

「僕はっ!」

 

 思い出す。

 思い出す。

 嫌になるぐらいに辛くて、泣きたくて、冷たかったあの夜を思い出す。

 雨の音を思い出す。

 振るった刃の重さを思い出す。

 

「僕の記憶は――僕だけのものだ! 僕だけのものなんだ!!」

 

 泣きながら誰かを護りたくて。

 不味くてたまらない泥の飲みながら、負けたくなくて。

 泣きながら誓った覚悟も記憶も、僕だけのものだった。

 誰にも汚してなんか欲しくなかった。

 何度だって後悔するだろうけど。

 多分消して欲しいと思うこともあるだろうと思う。

 言っている今にも消してしまえと思う。

 

「誰にも奪わせない! 絶対に、絶対に奪わせません……!」

 

 だけど、今の僕にとっては何よりも大事だった。

 動かない左手はただ重くて、気持ち悪くて、たまらない気持ちになるけれど。

 

「だから、ぼくは――ゴホッ!」

 

 叫んで、叫びすぎて噎せ返った。

 思い切り叫びすぎた。言い過ぎた。馬鹿みたいだった。

 噎せ返って、涙目になって、目の端が熱い。

 思わずうずくまって、必死に息を整える。

 そして、ゆっくりと、何も言わないミサオさんに感謝しながら僕は顔を上げて。

 

「……だから、僕は捨てません、捨てずに、取り戻します」

 

 腕はここにある。

 まだ動かないけれど、分からないけれど、まだ繋がってるから。

 取り戻せるかもしれないから、諦めたくなんかない。

 捨ててしまえば、もう後悔すら出来ない。

 

「……そうか」

 

 見つめたミサオさんが少しだけ笑った。

 

「辛いぞ?」

 

「後悔が出来ないよりはマシです。それに――」

 

 一瞬脳裏に浮かんだ人がいた。

 

「それに?」

 

「いえ、なんでもないです」

 

 言葉を切る。

 口に出す必要なんてなかった。

 片手を失う。それを経験した知り合いは二人いる。

 片手を失わせた。そんなのは経験済みだった。

 

 ――"兄さんの片手を奪ったのは僕だ。"

 

 嘆く資格すらもない。

 治るかもしれない手があるのだから、泣く権利なんてなかった。

 

「さて、と。まあ他にも言いたいことがあるんだが、まあ鼻を拭け」

 

 ミサオさんがティッシュを引き抜いて、僕に渡してくれた。

 僕は右手で鼻水を拭って、涙を拭い、適当に丸めて置いておく。

 

「それでな」

 

「?」

 

「もっと話すべき奴が来るぞ」

 

 そういってミサトさんが不意に指を外に向けた。

 部屋の外、気が付けばカツンカツンとどこからか足音がしていた。

 

 そして。

 

 止まった足音と共に現れたのは。

 

「たん、ざきぃ!」

 

 慌てて走ってきたと思える親友の姿だった。

 

 

 長渡 光世がいつかの入院と同じように現れて。

 

 

「やぁ」

 

 

 僕は笑顔を浮かべて、挨拶をした。

 

 

 

 

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