欠陥人生 拳と刃   作:箱庭廻

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四十八話:僕は君と……

 

 僕は君と……

 

 

 

 

 足を動かす。

 ゆっくりと前に踏み出し、体が軋むことを確認し、憶えている限りの人体関節図を思い出しながら肩を廻し、肘を曲げて、手首をしならせる。

 びゅんっと風を切り裂く剣音。

 弧を描くような剣閃、刻んだ軌道を手首と目で確認しながらゆっくりとまた振り被る。

 飽きるほどに素振りを繰り返し、ボタボタと滴り落ちる汗にも構わず僕は竹刀を振るっていた。

 剣道着の重みすらもうざったい、全身が熱くてたまらなくて、息が切れる。

 手足が腫れ上がったように熱くて、それでも素振りはやめられない。

 ブラブラと揺れるだけの左腕、それの感触を忘れるように竹刀の刀柄を軋むほどに握り締めて振り下ろす。

 上げて、振り下ろす。

 掲げて、打ち放つ。

 振り被り、繰り出す。

 ただそれだけの行為なのに何故こんなにも苦しいのだろうか。

 そう考えながらひたすらに素振りを続けていた時だった。

 耳に聞こえたのは電子音のチャイム。

 

「……終わりか」

 

 部活時間の終了のチャイムを聞いて、素振りをやめた。

 ブンとまだどこか納得のいかない風切り音を響かせて竹刀の剣尖が床の前で停止する。

 その途端、全身から燃え上がるような熱が染み出してくるようだった。息苦しさを感じて、軽く目を閉じながら深呼吸した。

 口から零れる息吹はまるで蒸気のように熱い。

 

「ふぅ」

 

 喉が渇いてしょうがない。

 汗が止まらない。バクバクと心臓がうるさいし、酷く蒸し暑い。

 少しだけ目を閉じて体力が回復するのを待つ。

 他の部員たちが騒がしく、練習を切り上げたり、雑談をしている音を聞きながら四回ほど息を整えなおして。

 

「おーい、短崎。さっさと上がろうぜ」

 

 柴田の声に、慌てて目を開いた。

 声がした方向を見れば、竹刀を肩にかけてあちーあちーと手団扇をしている柴田が立っていた。

 疲れきった顔で、こちらと同じように汗びっしょりだった。

 

「あ、うん」

 

 頷き返し、柴田と一緒に更衣室に向かう。

 野郎だらけの更衣室は酷く汗臭かったけれど、さっさと窓を開けた賢明な部員や、更衣室に置かれた古ぼけた扇風機が全力稼働していて、臭いや熱を吹き散らしていた。

 消臭スプレーやコールドスプレーなどのシューと空気が抜けるような音や、ぺちゃくちゃと雑談をしながら着替える部員たちの音をバックコーラスに、自分の鞄の前で僕は剣道着を脱いだ。動かない左腕側から乱暴に胴着を外していく。

 

「うわぁ、汗まみれだ」

 

「この季節だからなぁ。帰ったらちゃんと洗濯しねえと色々と終わるわな」

 

 同じように剣道着を脱いで、トランクス一丁でゲタゲタと笑っていた柴田がこちらに目を向ける。

 

「ところで腕の調子は大丈夫か?」

 

「大丈夫だよ」

 

 念を押すように気遣う柴田の態度に苦笑する。

 左腕の接合部分に走った醜い傷跡。

 部活前の着替えの時にも少し驚いていたけれど、やっぱり心配になるのだろうか。

 他の部員も柴田の態度か、それとも偶々見かけたのかこちらに目を向けているのが分かる。

 

「おわー、大丈夫か? 痛くねえの?」

 

「あ、大丈夫。腕ちゃんと繋がってるから」

 

「ほへぇ~」

 

 名前を覚えてない部活仲間からの質問に、僕は気軽に答えた。

 そのまま鞄から取り出したスポーツタオルで体を拭くと、畳んでおいた学生服に着替え直す。

 多少は慣れてきたとはいえ、やっぱり右手だけだと時間が掛かる。

 僕がシャツを被っている間に、すでに柴田は着替え終わって。

 

「短崎ー、途中でコンビニでなんか買ってこうぜ」

 

 にこやかに笑みを浮かべてそう告げた柴田の誘いに、僕は一瞬頷こうと思ったのだけど。

 慌てて用事を思い出し、首を横に振った。

 

「ごめん。ちょっとこの後用事あるから、先帰ってて」

 

「あ? ん、まあそれならそれでいいけどよ」

 

 軽く小首を傾げながらも、承知したとばかりに手を振って柴田は学生鞄を背負って出て行った。

 

「……」

 

 僕はのそのそとワイシャツを羽織り、適当に前ボタンを止めて、ズボンを穿いた。

 ベルトを締め、忘れ物が無いことを確認し、学生鞄に入れておいた携帯で時刻を確認する。

 午後七時半。

 丁度いい頃合だと思い、更衣室を出る。

 まだ残って練習をしている熱心な部員たちと部長の様子を横目に見ながら、道場玄関で靴を履いて。

 数歩歩いて、外に出て。

 

「待たせた?」

 

「いえ」

 

 道場外で、可憐に佇む桜咲に声を掛けた。

 女子用に用意されているシャワーを浴びたのだろう、軽く濡れた黒髪。

 初夏とはいえ、既に日が暮れている。

 暗い空の下で、僕らは歩き出した。

 

 まあ適当に話せる場所を探そうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の暗がり、電灯が並び立つどこか幻想的な光景。

 アスファルトの歩道を歩きながら、僕は後ろから付いてくる後輩の少女に軽く目を向けた。

 

(――桜咲 刹那、か)

 

 名前は憶えているし、顔も知っている。

 同じ部活に所属し、何度か練習もしている。

 けれど、僕はそれ以外を知っている。

 まずタマオカさんの関係者だということ。

 続いて得体の知れない実力を持っているということ。

 そして、月詠に狙われているということ。

 大まかなこととしてはこの程度だ。神鳴流剣士ということや、剣道部の仲間だということもあるけれど。

 

「で、どこで話す?」

 

 僕はクルリと振り返りながら、そう訊ねた。

 桜咲は戸惑った顔で。

 

「え、そうですね……今の時間ならファミレスとかが開いてるはずですが」

 

 小首をかしげ、人差し指を顎に添えながらどこか遠くを見る目つきでそう言った。

 しかし、それに僕は眉をひそめて。

 

「――ジョーンズとかなら開いてるだろうけど……遠くない?」

 

 僕は首を廻しながら、一番近場にあるファミレスの位置を思い出す。

 ここからなら十五分もかかる。

 それに問題がある。

 

「あまり遅くなると補導されそうじゃない? いや、その気は無いけどね」

 

 ぼそりと洩らした言葉に、桜咲が一瞬キョトンと目を丸くして。

 

「……あ」

 

 慌てた様子で顔を真っ赤に染めていた。羞恥とかその類でバタバタと軽く手を振っている。

 軽い冗談のつもりだったんだけれど、どうやら耐性は低かったらしい。

 最近の中学生は進んでるって聞いたんだけど、まあセクハラと言われるよりはいいかな?

 

「まあ話をするぐらいだったら、そうだね」

 

 見当を付けていた方角に足を向ける。

 

「えっとどこに?」

 

「まあ公園かな?」

 

 そういって僕はここから三分も離れていない公園へと足を向けた。

 桜咲を連れてゆっくりと向かう。街頭にブンブンと虫が集っている、夏の近づいた証拠。

 

「お?」

 

 僕は途中の自販機で足を止め、財布から取り出した240円を放りこんだ。

 

「桜咲さんは何味がいい?」

 

「私はコーヒー以外なら何でも……」

 

「じゃあ、リンゴジュースでいいね」

 

 ガコンッと落下したジュースの缶。

 続いて点灯する缶コーヒーのボタンを押し込む、マナー違反の取り出し無しの缶購入。

 流れるように滑り落ちた缶同士が激突する、透明な蓋の下で滑るのが見えた。

 

「はい、これ君の分」

 

 蓋を開けて、右手を突っ込んで掴んだジュースの缶。

 それを無造作に投げ渡すと、桜咲は落ち着いた態度で受け止めた。

 

「ありがとうございます」

 

「まあこの程度はね」

 

 自分の分を掴んで、僕は苦笑した。

 しゃがんで肩から滑り落ちそうな竹刀袋の掛け紐、それを掛け直す。

 左腕の脇に缶コーヒーを挟みこんで、右手だけは開けたままにしながら僕は公園に入った。

 多少薄暗いけれど、ベンチなどの付近は街灯もあるし、十二分に明るい。

 学生アベックの類も見当たらないし、話をするには問題ないだろう。

 

「まあここらへんでいい?」

 

「はい」

 

 そういって僕は意識的にベンチの端に浅く座った。

 学生鞄を足元に下ろし、竹刀袋は右手ですぐに掴める位置に立てかけておく。

 桜咲はベンチの逆側に腰掛けた。

 距離はそれなりに離れているが、まあ近づこうと思えば近づける距離。

 やらないとは思うけれど、戦うことになったら竹刀を抜けるかどうかも怪しい。まあ竹刀で勝てる相手とも思わないけれど。

 

「で、ええと……話ってなにかな?」

 

 僕は嘆息を洩らしながらも、緊張している自分の指先を握り締めながら声を発した。

 桜咲はこちらに目を向けた。

 緊張した面持ち、少しだけ潤んだ瞳、少しだけ荒んだ息遣いで。

 

「……すみませんでした」

 

 そう静かに告げた。

 桜咲が頭を下げていた。

 

「え?」

 

 予想だにしない光景と言葉に、少しだけ戸惑った。

 

「えっと、なにが?」

 

 謝られることに思い当たりが無い。

 

「――月詠のこと、その腕のこと、全て私の所為です」

 

「っ」

 

 月詠の名前で大体想像が付いた。

 ああ、そうか。

 きっと彼女は……

 

「僕が怪我したこと、桜咲さんは責任を感じてるの?」

 

「……」

 

 彼女は無言で頭を下げていた。

 その肩は、その手がプルプルと震えていて、怯えているようだった。

 罵倒されることを覚悟しているのか

 それともただ思いを吐き出すことに躊躇っているのか。

 どちらにしても。

 

「――いらないよ、そんなの」

 

 僕は左腕を握り締めながら、言葉を紡ぎ上げる。

 口の中が乾いていく。唾液が不味い。

 納得しようとしていたことが、また諦めきれなくなりそうだった。古傷が掻き毟られるような思い。

 

「ですけど、私のせいで貴方の左腕が……」

 

「――僕を斬ったのは貴方じゃない。月詠だ」

 

 泣きそうな桜咲の言葉、泣きそうな僕。

 

「君が、何で謝る?」

 

 ジクジクと頭痛が湧き上がるようだった。

 何も感じない左腕。

 左腕の肘から先の手。そこを強く握り締めても何も感じない。爪痕が残りそうなぐらいに強く握っても何も感じないのだ。

 指一本動かない。虚無めいた欠落感、ただの重い鉛、僕の一撃を奪った全て。

 それをまた突きつけるつもりか。

 

「関係ないだろう! 君が、僕の腕を奪ったとでもいうのか!!」

 

 気が付けば絶叫していた。

 理性的になろうとして、一瞬にして沸騰していた頭。

 声が荒くなる、自分の声とは思えなかった。

 

「ごめん、なさいっ」

 

 ボタボタと何かが滴り落ちる音がした。

 見れば、桜咲が泣いていた。

 

「ごめんなさい……何度謝っても意味なんてありません、けれど、私には、謝ることしか、できませんっ」

 

 握り締めた拳は震えて、怯えているようで。

 流れる涙は留まらずに、可愛い顔をぐしゃぐしゃにしていて。

 僕は息を飲む。少しだけ頭を冷やして。

 

「謝らないで」

 

「けれど」

 

「――謝るな!」

 

 右手をベンチに叩き付けた。

 バシンッと乾いた音が鳴り響き、荒っぽい音が静けさを砕いた。

 桜咲が顔を上げる。涙で歪んだ顔。潤んだ瞳。

 それを真っ向から見つめて。

 

「謝罪すれば僕の腕が治るのか?」

 

「そ、れは」

 

「治らないだろう。そして、僕は君に謝って欲しくなんかない」

 

 謝る理由なんてないんだ。

 なのに、謝られても意味なんてない。

 あれは、ただの。

 

「ただの――自業自得なんだから」

 

 僕の愚かさで、自分の弱さが招いた事態。

 強さが足りなかった。

 覚悟して、人を殺すつもりで向かって、それで返り討ちにあった。

 ただそれだけの情けない話。

 

「本当に、必要ないんだ」

 

 搾り出すようにただそう言った。

 言い切った。

 恨みなんてたくさんあるし、泣き叫びたい事だってまだまだある。

 だけど、それでも、年上の人間としてのプライドがあって、泣いている女の子に責める罪悪感もあって、なによりも。

 

 ――互いに助け合えばいいじゃない。親友だろう?

 

 "親友と交わした言葉"だけが支えだった。

 あの時の言葉を、決意を、約束を、僕は嘘になんかしたくなかった。

 ただ誰かの所為にして憎んでも、何も解決なんかしないのが分かりきっていたから。

 

「……だからね。まあ別に気にしないで」

 

 ぽんっと丁度いいところにあった桜咲の肩を軽く叩いて、僕は頑張って笑みを浮かべた。

 

「っ」

 

 桜咲は泣きそうな顔で、言葉を堪えて、瞬きをして、葛藤しているようだった。

 何を言えばいいのか分からないようだった。

 頭の中がゴチャゴチャになって、言葉にならない時なんて沢山あるから想像が付く。

 だから。

 

「ねえ、桜咲さん」

 

 彼女の肩から手を離して、僕はベンチに深く腰掛けなおして、遠くを見ながら訊ねた。

 

「……は、はい」

 

 掠れるような返事。

 桜咲の相槌に、僕は一番気になっていたことを確認する。

 

「あの夜、僕は"皆を護れたのかな"」

 

 それだけが聞きたかった。

 夢見るような気持ちで、目を覚まして、月詠を斬った。

 そこに桜咲がいたような気がするし、長渡もいたような気もして、後で聞かされた時には確かに皆いたのだと知った。

 だけど、僕は何が出来たのだろうか。

 ただ剣を振るって、無様に倒れただけだったのだろうか。

 そして。

 

「はい」

 

 小さな声がして。

 

「短崎先輩は」

 

 桜咲が涙を零したまま、必死に微笑んで。

 

「護ってくれましたよ、皆を」

 

「それなら、いいや」

 

 僕は報われた。

 動かない左腕だけの甲斐があったのだと信じられた。

 

「ほんとに、よかったよ」

 

 目頭が熱くて、右手を目に当てて。

 

「        !!」

 

 ただ一瞬だけ泣いた。

 声にならない声を洩らした。

 

 人は嬉しくても泣けるのだと、思った。

 

 

 

 

 

 

 帰り道。

 結局飲む暇のなくなった缶の蓋を開けながら、また少しだけ暗くなっている夜道を歩いていた。

 

「ごめんね、ちょっと当たって」

 

「い、いえ。私こそ、本当に迷惑ばかり」

 

「まあ脅されたりしたけど、別に気にしてないよ」

 

「……ごめんなさい」

 

 軽い冗談交じりの会話をしながら、女子寮と高等部の男子寮へと分かる道の分かれ目まで歩いていた。

 夜更けだから誰ともすれ違わなくて、少しだけドキドキしたけれど、まあそういう気持ちは無いので問題は無い。

 

「あ、じゃあ。僕はこっちなんで」

 

「それじゃあ、さようなら。先輩」

 

 軽く手を振ってさようならをする桜咲に、頭を下げて別れを告げる僕。

 その時だった。

 不意に思いついて。

 

「あ、桜咲さん」

 

「? なんですか?」

 

「もしよかったら――今度勝負してくれない?」

 

「? 別にいいですが? 打ち合いですか」

 

 桜咲の態度は自然体で、だから僕もなるだけ平静に告げてみせる。

 

「いや、6月20日の麻帆良祭で」

 

「え?」

 

 僕は振り返る。

 軽く息を吐き出し、構えながら。

 

 

「そこである武器持込可能の格闘大会、それで僕と勝負してくれ」

 

 

 そう告げた。

 

 桜咲の戸惑った目と態度に構わず。

 

「あえていうなら、それが――」

 

 

 僕が納得出来るただ一つの方法だから。

 

 君と戦ってみたい、ただそれだけの願望を秘めて告げた対決の約束だった。

 

 

 

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