欠陥人生 拳と刃 作:箱庭廻
正しいことを見つけるのはとても難しいです。
今日も晴れた空です。
今日も平和です。
今日も授業がありました。
普通の日常でした。
「夕映、どうしたの?」
「あ……なんでもないですよ」
のどかの声に我に返りました。
教室の机から目を離し、のどかの方へと目を向けます。
最近は積極的に髪型の工夫に励んでいるのどかの目がこちらを心配そうに伏せていて、少しだけ反省。
「のどか、大丈夫ですから。少し気が抜けているだけです」
「そ、そうだね。あれからまだ一週間だし」
のどかが目を伏せて、ぼそりと呟いた言葉を私の耳は捕らえました。
あれから。
雨の夜にネギ先生を、そして私たちを襲ったヘルマンと名乗る悪魔の襲撃から一週間が経ちました。
たかが一週間、されどもう一週間。
いつまでも鮮明だと思っていた記憶も、日々の中で劣化し、色褪せてしまいます。
人間の心は便利に出来ています。
あんなにも恐ろしかったことが、悔しかったことが、時間の流れと共に薄れていってしまうのですから。
それに。
「大丈夫ですよ、のどか。ここは安全ですから」
体感時間だけならばもう二週間も前になる。
空に見えるのは青空、そして陸に見えるのは"浜辺"。
私たちがいるのは、エヴァンジェリンさんの【別荘】
現実の一時間が一日になる"魔法という技術の産物"。
まるで南国のビーチのような環境に、私たちは度々集まっていました。
魔法という技術を学ぶために。
或いはただの時間が欲しいために。
逃避かもしれません。
迫る現実の問題から少しだけ余裕を広げたいだけかもしれません。
そんな自分が情けなくなる。
「ネギ先生はまだ訓練ですか?」
私は読んでいた初心者用魔導書から目を離すと、別荘の奥で詠唱を続けるネギ先生を見た。
真剣な顔つきで、何度目になるかもしれない詠唱を行なう。
「来れ(ケノテートス)!」
踏み踊る、汗まみれの身体で杖を握り締めて、石畳の上を進みながら、ネギ先生は声を上げていました。
握った杖の先から紫電が奔って、痛々しいほどに懸命に前を向いて。
「虚空の雷(アストラプサトー) 薙ぎ払え(デ・テメトー)!」
虚空から電流を持って、振り下ろす。
「雷の斧(ディオス・テュコス)!」
轟音。
目が痛くなるほどの電光が、石畳に叩きつけられて、粉塵を撒き散らしました。
後に残ったのは黒ずんだ石畳に、消し屑になった空き缶。
三日前には残骸は残っていたはずですが、今日のはもはや炭でした。
「凄い……また大きくなってます」
何度見ても感嘆の声を上げるのどか。
それに私は同調するように頷いて――指先から、顎から、髪の先から汗を滴らせながら、必至に咳き込むネギ先生の姿を見ます。
そして、少し経つとまた詠唱を始めて、先生は魔法を使い始めます。
哀しいほどに愚直に魔法を使って、自分を鍛えようとしていました。
「ネギせんせい……」
「のどか。邪魔はしてはいけないですよ」
その姿に目を潤ませるのどかに、私は言いました。
あの日から、ネギ先生はずっと焦った調子で自分を鍛えています。
エヴァンジェリンさんは別荘に来るたびに面倒くさそうに必要なメニューだけ伝えて、ネギ先生はそれを実行する。いつもへとへとで、魔法が撃てなくなるまで使っています。
古菲さんからは積極的に指導をお願いして、魔力が切れた体を動けなくなるまで手足を動かし、私から見ると不思議な動きで地面を踏み締めたりしていました。
それでいて、学校では熱心に授業を行なっているのですからいつ倒れてもおかしくありません。
私たちはその事実を知ってから止めようとしましたが。
――放っておけ。体を壊す前に、限界を知るだろうさ。身の程を知るいい機会だ。
そう告げるエヴァンジェリンさんに止められました。
ネギ先生の師としての言葉に、私たちは抗議は出来ても、訂正させることなど出来ません。
出来るとしたら、先生のためにタオルやスポーツドリンクの用意ぐらいしか出来ません。
「……そこそこマトモに雷の斧は撃てるようになったか」
安楽椅子に腰掛け、足を組みながら古めかしい本――おそらく魔法書を読んでいたエヴァンジェリンさんが欠伸をしました。
パタンと本を閉じると。
「そろそろうるさいな。茶々丸」
指を鳴らすと、女中服の茶々丸さんがお辞儀をして。
『ハイ』
静かに音も立てずに、ネギ先生へと歩き出しました。
未だに杖を振り回し、必至の形相で魔法を行使する先生がそれに気付いて。
「え? なんで――」
『ア』
懐から取り出したどでかい鉄槌で、ドガンッとネギ先生の頭を殴り倒し――って、ええ!?
「ネギせんせぇー!?」
「あわわわわ!? あれは死んだのでは!?」
死んだーと涙を零して泣き叫ぶのどかに、茶々丸さんがこちらに振り向き、親指を立てました。
サムズアップ! じゃなくて!
「あの程度で死ぬか。ぐらついていた脳ごと震わせて、意識を落としただけだ」
煌々しい金髪を細い白指でかき上げながら、エヴァンジェリンさんが透き通るような声で私たちに言います。
「汗でも拭って、そこらへんに寝かせておけ。どうせ半日は目を覚まさんだろう」
「あ、はいですー!」
のどかが慌ててネギ先生に駆け寄る。
用意しておいた濡れタオルで先生の顔を優しく必至に拭って、見かけよりも力のあるのどかはネギ先生を起き上がらせていました。
そして、私は指示だけして、また本を開きなおしてのんびりと読書を続けるエヴァンジェリンさんに尋ねました。
「いつまで、あれをやらせるつもりですか?」
「……綾瀬夕映、私の方針が納得出来ないのか?」
こちらに目も向けず、エヴァンジェリンさんが返事をします。
口調にはどこか面白がっているような気がしました。
「まだ、戦いの技術などは素人程度ですが、明らかにネギ先生が体を痛めつけていることだけは分かります」
過剰な魔法の行使。
休息の足りない修行の繰り返し。
最近は血を吸われていないようですが、ネギ先生の顔色が悪いことは誰もが見れば明らかでしょう。
あれでは強くなるどころではありません。
近代スポーツ医学を見ても、やりすぎたトレーニングや運動は超回復による向上を超えて、逆に体にダメージを残してしまいます。
「もっと細かく指導するべきじゃないのですか?」
「――ふむ」
そこまで告げたとき、金色の瞳がこちらを睨みました。
「まあ一理あるな」
「え?」
エヴァンジェリンさんの口から零れた言葉に、私は思わず驚きました。
そんなこちらの態度に、彼女は少しだけ不愉快そうに眉を上げて、赤い唇を震わせます。
「綾瀬夕映、質問だがお前は強さとはなんでで構成されていると思う?」
「え? こう、せい、ですか?」
強さとはなんだ。
とかならば、小説や漫画ではよく聞きますが、構成となると発想が違います。
「そうですね。大まかに言えば武器や個人の技術、後は人員でしょうか?」
武器によって強さとは変動します。ナイフを持てば大人の人でも怖がらせられますし、銃ならば私たちでも格闘家のような強い方でも倒せます。
あとは個々人での強さ、鍛えた体や格闘技。それとどれだけの人がいるかで、強さは変わります。
と、思ったのですが。
「それはどちらかというと兵力に対する考え方だ」
エヴァンジェリンさんが口元を歪めて、笑ってます。
私の見解は些か的外れだったようで、自分が恥ずかしいです。
「私はな。強さとは三つの要素で大体決まると思っている。一に経験、ニに装備、三に素養という名の才能だ」
本を閉じ、軽く体を起こしたエヴァンジェリンさんが指を三本立てました。
「この国では心技体という言葉があるが、まさにそれだ。経験とは心と技、体は素養と装備に依存する」
三本の指が二本になり、まるで何かを数えるような動作でエヴァンジェリンさんが呟きます。
「それでだが、よく心技体のうち心が持て囃されるが、ぶっちゃければこれらの必要な比率は同一だ。三割ずつということだな」
「ですが、それでは一割余るのでは?」
三割が三つでは九割になるだけです。
十割には満ちません、と思わず疑問に思ったのですが。
「心技体で"大体"決まると言っただろうが。運のよさや環境、まあそれらも変動する因子だな」
その程度のことは気付いていたらしく、エヴァンジェリンさんは少しだけ考えるように視線を上げて、一度閉じた口を開けました。
「まあ話は戻すが、お前が一番疑問に思っている指導のことを教えてやろう」
そして、彼女は口を開きます。
「"はっきりいって、意味が無い"」
「は?」
「今のボウヤに教える気はあまり湧かんしな」
「って、どういうことですか!?」
私は思わず立ち上がりました。
あんなにも一生懸命に強くなろうとするネギ先生に、教える気が湧かないなどというふざけた理由で教えない?
納得なんて出来ません。
ズカズカと歩み寄り、彼女がまた開こうとした本を私は奪い取りました。
「む?」
「ふざけないでください!」
返せ、と言おうとする彼女の言葉に、先に私は叫びました。
その声に、びっくりしたのどかや、浜辺で木刀を交えていた刹那さんやアスナさんに、浜辺にいるこのかさんが目を向けたのが分かりますが、落ち着いていられません。
怒りが頭の天辺にまで噴出していることが自分でも分かります。ええ、怒ってますとも。
「……まったく、最近の餓鬼は早とちりが多いな」
ですが、エヴァンジェリンさんは大げさなため息を吐き出すだけでした。
「早とちり?」
「人の言葉はよく聞け。そして、咀嚼してから訊ねろ。私は、"今の"と言ったんだぞ?」
「っ。確かに、そう言ってましたが」
「――ボウヤは子供だ」
「それは分かってます。ネギ先生は十歳の子供で、ですけど」
「……時期尚早という言葉を知っているか?」
まるで知恵を知らない子供に教えるような年長者の顔つき。
外見からは分からない、六百年という年月の重みを感じさせる表情で、エヴァンジェリンさんは手の平に顎を乗せて。
「成長期にもなってない餓鬼に、幾ら多くの術を仕込んだところで所詮付け焼刃にしかならん」
それに、と付け加えると。
「今のボウヤは身の程を知らん」
「身の程、ですか?」
「そうだ。はっきり言おう、常識的に、いや、私自身の判断から考えても――伯爵級の悪魔には普通は勝てん。それを心で納得していない、だから諦めずに努力している」
私でもまあ封印から解放されないと、少しばかりきついな。
と、自信満々のように見えて、エヴァさんは冷めた目つきを浮かべました。
「幾ら天才という才能があろうが、ボウヤは"ナギのような化け物"ではないしな」
「……化け物、ですか?」
エヴァンジェリンさんはナギ、ネギ先生の父であるサウザントマスターに好意を抱いていた。
と聞きましたが、告げる彼女の顔からは人間らしい温かみはありませんでした。
冷静に、正しく、判断するだけの計算です。
「まああれは例外だとして、まともに修行を積んでも二十年。ボウヤレベルの才能があれば、まあ五年もあればいい勝負は出来るだろうな」
言っておくが、才能があるほうで十年だぞ? と、彼女は嗜虐的な笑みを浮かべて言いました。
「五、年ですか」
五年の重み。
まだ生まれて十五年程度の私たちにとっては三分の一の年月、とても長いです。
「当たり前だ。なんだ? 必死に修行すればすぐに勝てるとでも思ったか?」
「いえ、そういうわけではないですが」
今目に見えるネギ先生の必至さ、見る見るうちに上達していく速度から強くなっているということを実感していました。
努力は報われて欲しい、そう願っているだけでしたが。
エヴァンジェリンさんは一笑します。
「強さに対する最大の重みは年月だ。どう足掻いてもそれは変わらん。十センチも背丈が足りんのに、一日二日で伸ばそうとするようにな」
その例えは身長制限でもされたんですか?
と、訊ねたくなりましたが、私は口を閉じました。
「命を賭ける? 体を痛めつけてまで修行する? どれも下らん」
彼女は皮肉そうにクスクスと声を上げて、ネギ先生に目を向けました。
「必死になって修行をし、命を賭けるような修練を積んで、誰もが強くなれるのならこの世は強者だらけだ」
そして、それはまるで私たちへの警告のようにも思えました。
「時間の積層を重ねず、経験を時を持って馴染ませず、にわかの力を振り回せば焼けるのは己の手だけ」
歳を取れない。
歳を取らない。
永遠に若いままの彼女が告げる言葉はどこか自嘲にも思えて。
「私は一度振り回せば折れるような硝子の剣は認めん。求めるは研究を、情熱を、狂気を、願いを、注ぎ込んだ業物が欲しい」
どこか興奮し、己を酔わせる。
欲しがる玩具を前にして、指を咥える子供のような悲哀を保って。
「私は強大なる力を、狂想なる武具を持ちえようとも、己のものにし、習熟もさせないで振り回す阿呆に価値を認めない」
そして、最後に告げる。
「強さとは、性能と同義語ではない」
静かに、聞く者の耳に響かせるように。
「最強と無敵は違う。最高と最強もまた異なる。強さは変動する、環境に、体調に、装備に、状況に」
言葉を連ねる。
単語を重ねる。
「私の性能向上は限界に近い、人外の中程度。侯爵級の悪魔にはさすがに劣る」
されど、私は最高を目指しているわけではない。
「無敵は要らん。技はまだ改善できる、心は腐らん限り発展をやめん、体は忌々しいこの封印が解ければ必要程度は手に入る」
故に。
「敗北と最強は矛盾しない。いずれ私は全てを打ち負かす、そうなれば最強のままだ」
己を最強だと。
敗北を知りながらも、弱体を知りながらも、いずれ自分が勝つことを彼女は当然のように告げた。
そう、エヴァンジェリンさんが言葉を切った時でした。
「やほーいっ」
赤毛の見覚えのある顔――朝倉さんが、別荘の外からこっちに駆け足でやってきました。
「あ、朝倉さん」
「ゆえっち元気? エヴァちゃんは、まあいつもの通りね」
「……ほいほい来られても迷惑なんだがな、まあいい。勝手にしろ」
朝倉さんの挨拶に、エヴァンジェリンさんが私の手から本を奪い返して、再び安楽椅子に背を預け始めました。
指を鳴らし、茶々丸さんがいつの間にか準備をした紅茶のカップを手に取っています。
「セレブだね~」
完全にこっちへの注意をやめたエヴァンジェリンさんにそう洩らす朝倉さん。
本当に怖いもの知らずですね。
「朝倉さん、どうかしたんですか?」
ベットに連れて行ったのどかが帰ってきて、朝倉さんに声をかけます。
「あ、のどか。ネギ先生は?」
「大丈夫、寝てるだけみたい。アイスノン頭に乗せていたから」
「何々? 宮崎、ネギ先生をベッドに連れ込んだの? やるね~♪」
朝倉さんが口笛を吹いて、そう言いました。
「え!? ええー!? ち、ちが、いや、でも、間違ってないし、ふええ!?」
「のどか、落ち着くです。朝倉さんも、まぎわらしい言い方はやめるです」
真っ赤な顔で慌てふためく親友の頭を撫でながら、私は朝倉さんをじっと睨みました。
快活な凛々しい顔つきを、少しだけ反省tばかりの額に手を当てて、ごめんごめんと言ってきます。
反省しているようには見えません。まあ、3-Aの大半がこんなノリですからもう諦めてますが。
「で、どうしたんですか?」
エヴァンジェリンさんの別荘に遊びに来たのでしょうか?
「んー、ちょっと調査が終わってね」
「調査?」
「そっ」
朝倉さんが少しだけ真剣な顔を浮かべて、手に持った手帳を叩きました。
「この間の一件。私たちがろくに知らない男子たちについて、調べをね」
そう告げて、取り出したのは"六枚"の写真。
あの雨の夜に見た、私たちの知らない人たちの顔でした。