欠陥人生 拳と刃 作:箱庭廻
0時にもう一話です
蹴り潰す。
呼吸を整える。
頭の中では何度も何度もやるべき行動をシミュレートする。
前に踏み出しながら、爪先だけを床に付けて、踵だけは上げる。
顔を上げる、目を見開く。
迫り来る四つの人影。
人間ならざる魔法使いの傀儡、遠慮は要らない。
人間の形っぽいだけの玩具、人形。それなら――"容赦はしない"
仮面を着けた連中が踊り狂う。間合いをお互いに詰め寄り、仮面の奥から錯覚にも似た視線を感じる。
奥に立つグッドマンさんは何も語らない。
ただ両手を垂らし、酷く静かに見つめているだけだった。
呼吸を止めて、ずきずきと身体のあちこちから響く痛みを我慢しながら。
「死ねよ」
思わず吐き出す、本音。
殺意は確かに湧き上がり、僕は――間境いを踏み越えようとする一体を見て。
全身を突き動かす、駆動を行なう。
体を倒す、膝から力を抜き、縮地法。
間合いを潰し、頭の位置を変えないままに、視界だけは一気に距離が埋められる。
繰り出す、後ろから前へと連動、一直線に何度も何度も繰り返し、頭の中で再現した通りに打ち出した。
打突。
足を踏み締め、腰を僅かに曲げて、僕は木刀を持って"喉"を貫いた。
最速で一体を潰す、数減らしの刺突。
「っ」
人間の形をした相手の喉を裂く。
剣尖から貫いて、泥を裂く様にも、肉を砕いたとも思えない奇妙なぬめる様な手ごたえが返ってくる。
怖気が走る、嫌な感覚。
「邪魔だ」
手首を捻る、刃先を横に捻じ曲げながら、僕は足りない筋力分を体の遠心力で補い――仮面人形の喉を裂いた。
ぶちぶちっと何かを裂いたような手ごたえと共に振るい抜き、体を反転させる。
首の半ばからもげて、奇怪な状態で頭を倒しながら人形が仰向けに転倒したのが見える。
後悔は無い。
ああ、やはり人間じゃねえなとしか僕には思えない。
同時に確信、木刀効果か、それとも純粋に脆いのか分からないけれど。
急所になら普通に威力が通じる。
――そんなことを考えていたせいだろうか。
体が引き倒された。
「っ!?」
左側に体が傾げて、咄嗟に足を踏ん張らせる。
目を向ければ、左腕が掴まれていた。真っ黒い手にギリギリと握り締められて、感覚のないそこから牽引される。
同時に襲ってくる、二つの影。
それぞれ手を伸ばす、前から襲い来る脅威。
不味いと思いながらも、僕は体を後ろに倒し、腰を落としながら足を出した。
「どけっ!」
左腕を掴む仮面人形。
その膝関節に向かって、折るように蹴りを入れた。関節の曲がる方角とは真逆に向かって、蹴り込んで。
ぐにょりと奇妙な、骨を折るとはまた違う小枝を折るような反動と共に人形が体勢を崩す。
左腕は掴まれたまま、後ろから床に背中をぶつけて――頭の真上を拳が通り過ぎた。
風が吹いた。
黒い手が伸びていて、僕は右肩から肘までで全身を支えて、足を伸ばした。
「おらぁ!」
蹴り込んだ。
鳩尾に入れるように蹴りをめり込ませて、足首を捻りながらより威力を篭める。
ぐにょりとゴムを蹴ったような手ごたえが返ってきたけれど、僅かにたたらを踏んだ。巻き込んでもう一人も足を僅かに止める。
だから、僕はその隙を利用して、体を回す、左側に旋転し。
――左腕を掴み続ける、そいつに柄尻を打ち込んだ。
顔面から仮面に向かって木刀の刀柄を叩き込む。
堅く、木の板のように固かったけれど。
「放せよ!」
吼えて、次はぶん殴った。
仮面を真正面から殴りつけて、拳から血が流れた。痛い。けれど、左腕を掴んでいた手が離される。
弱点だったのか、それとも違うのか。仰け反るように頭を後ろにぶっ飛ばし、左腕の仮面人形の束縛から解放される。
よしっと思った刹那。
――背中から激痛が走った。
「がっ!」
衝撃が背中からお腹にかけて響いた。
何かは分かる。
背中から蹴りを入れられた。体が軋む、痛みが全身に響いて、歯の付け根が合わなくなる。
思わず痛みを憶えて、うずくまりそうになって――次の瞬間、僕は腹に響いた熱い痛みと共に吹き飛んだ。
引っ張り上げられたかのように、宙を舞う。
黒い脚先から蹴り上げられて、僕は転がった。ゴロゴロと背中から、肩から、右手から、全身ぶつけて。
痛みでズキズキする。
「うぐっ! が、げほっ!」
口から胃液が洩れる。
呼吸が出来ない痛みに耐えながらも、僕は決して離さなかった木刀を握り締めて、目線を上げる。
其処には脚が折れた仮面道化が一体に、健在な姿の仮面道化が"一体"?
「っ!?」
視界が一瞬暗くなる。
「短崎ぃ!」
「先輩!!」
「避けるんや!!」
――三つの声が聞こえた。
それに気付いて、僕は横に無理やり転がった。
轟音。
僕の倒れていた場所にめり込む靴底、黒い衣を翻した影が降り立つ。
もう一体の仮面道化。跳躍し、止めを刺すつもりだったのか。
『セーフ! 短崎選手、ギリギリのところで回避に成功していましたー!』
朝倉さんの緊迫した声が聞こえる。
僕は口から涎が流れるのを自覚しながら、未だに濡れそぼる木刀の布から手を離し――袖に手を隠した。
「――進みなさい」
声が放たれる。両手を舞い躍らせて、グッドマンさんの肢体が踏み踊る踵と共に弾んだ。
黒のコートを翻し、その乳房を激しく揺らし、命あるもののように濡れた金髪を流しながら、歌声のように声を響かせる。
大気が揺れる、不可視の気配。背筋を舐めるような熱気。
来る、来る、来る。
着地した仮面傀儡の二体がバネの様に跳ねた。
前のめりに、床を蹴って、両手を振り上げて。
「これで、どうだ!」
その顔に、喉に、胸へと目掛けて。
"水に濡れた手で抜いた"、棒手裏剣を打った。
三本同時、だけど三メートルも離れていない距離で外すほど腕は鈍っていない。
「っ!?」
走っていた黒衣が、棒の直撃と共に身じろいだ。打ち込んだ部位に尖っていないはずの棒手裏剣は突き刺さり、ジュージューと白い煙を上げていた。
まるで焼けた火掻き棒を押し付けられたような反応。
苦しそうに体を震わせて、脚を止める。それを支えるもう一体の健在道化。
それに、僕は木刀を拾った。
「――っ」
呼吸を吸い上げて、血の混じった唾を吐き出し、床を蹴った。
勢いに任せて、ただ速度を出す歩法。
踵から踏み込み、体を前に突き出しながらつま先で蹴る。
ただの特攻じみた、速さだけの動きで、僕は木刀から伸びる布に指を絡め、その手を離さぬように力を篭めて。
――解き放つ。
一瞬遅れて、両手でガードしようとする仮面黒衣の前一体。
その手をすり抜けるように、ただ真っ直ぐに伸ばし、横に刀身を傾けた突きを入れた。
深く、ただ深く。
ずぶりと、人体ごと貫くような意志を篭めて――二体同時に貫通した。
『おっと、これは決まったか!?』
呆気ない。まるで人型のゼリーを貫いたような感触。
硬度はそれほどでもないのだろうか。奇妙なものだと思った。
体を落とす、体重をかけて脇腹から抜けるように振り抜いた。
千切れ飛ぶ、呆気なく。
仮面たちの上半身が裂き、でもそれはまるで豆腐みたいな手ごたえで現実感がない。
だけど、それでも。
「どうだっ!」
僕は吼えた。
撃破三体、残り一体も使い物にならない。
それが現実だった。
『短崎選手! あの圧倒的な数の差で四体の人形を撃破! タイ捨流剣術使いの意地を見せたぁ!』
朝倉さんのマイクから声が響いて、歓声が痛いほどに聞こえた。
うるさいほどに聞こえる。
身体がビリビリと震えて、心臓の鼓動がはち切れそうに響いていた。
呼吸するのすら辛い。
息をすれば生臭い味がする。
「……驚きました」
そんな中で、グッドマンさんが静かにこちらに目を向けた。
豪徳寺さんの声が発せられているような気がしたけれど、耳に入らない。
「なにが?」
僕は見る。
その手に持った杖を指先で回し、いつの間にか羽織り直していた黒のコートを押さえながら、見惚れるほどに美しい彼女が息を吐き出す。
ゆるゆると息を吐き出し、汗に濡れた眉間に皺を寄せる。
「――評価を改めますわ」
手から杖が零れ落ちる。
カツンッと音を立てて、落とした杖が転がりながらステージの端へと回る。
武器を捨てた。
いや、違う。
「短崎さん、貴方は強いです」
目には光を宿し、グッドマンさんが真っ直ぐにこちらを射抜いた。
唇には微笑、その目は真剣みを帯びた凛々しい顔つき。
細く滑らかな指を折り曲げて、彼女が踵を踏む。タップダンスのように音を鳴らし、妖しく指を動かし、腕を跳ね上げた。
「っ!」
空気が変わる。
よく見れば、その足元の影が色濃く、どこか泡立っているような気がした。
「いいですわ! 認めましょう、その力を! 貴方の意思を」
そう叫び、彼女は纏っていたコートに指をかけた。
同時に引き剥がす。
「なっ!?」
其処にあったのは先程までの格好ではなかった。
ただひたすらに艶やかで、息を飲むほどの漆黒のドレス。
大きく張り出した乳房を強調するように露出の多いデザイン、指先から肘までを覆う貴婦人用らしい黒の長手袋に、革製のベルトを両肘に巻き付けた格好は妖艶としか言いようがない。
黒いブーツは少しだけ形を変えて、ヒールを高くし、カツンッと甲高い音を奏でた。
身を引き締めるような黒の衣装にあって、きめ細かく、西洋人ならではの抜けるような白い肌が浮き彫りになる。
黄金の髪が汗に濡れて、決意を秘めた鋭い眼光と相まり、そして――それは其処に佇んでいた。
「なんだ、それ」
そう呟くしかない。
理解出来ないものが、渦巻く彼女の背後から現れていた。
一瞬だけ泡立った影から噴出す様に現れた巨体、巨躯、先程までの仮面を着けた何かが巨大化し、彼女を懐に収めている。
背後から伸ばした巨腕はグッドマンさんの両手に添われ、大きく広げた黒衣は彼女の背から前面へと広がっている。
「スタンド? じゃないよね」
それともどこぞの憑依霊マンガか。
いずれにしても、現実感がないほどのふざけた光景。
『な、ななな、なんとぉ!? なんかスゴイの出たー!?』
朝倉さんが驚きの声を上げる。
「なんだありゃー!? ペルソナ!?」「なんだ、あれ?! 魔法!?」 「ばっかじゃねえの、あれスタンドに決まってるだろ!!」「違うね! 悪魔持ちだ! カプセルだー!」「CGだー! 映画みてえ!」「すげえー!」
観客からも同じような叫び声。
けれど、非難するような響きは無く、ただ楽しんでいるような熱狂があった。
――中断は無い。
「それが、君の本気か」
僕は構える。
痺れて、感覚が薄れ来た右手で木刀を握り締める。
ズキズキとさっきから引っ切り無しで手の甲が痛い、手首が熱い。
「ええ、そうですわ。使うつもりはありませんでしたけど――」
グッドマンさんは冷たい声音で告げる。
「私も必死になります、故に」
その体を一度抱きしめるように両手を重ねると、背中の影も同様の動きを重ねた。
連動し、黒衣を揺らめかし、言葉に出来ないほどの威容と共に風が生じた。
生温い風が吹いて。
「夜想曲を奏でましょう」
緩やかに手を掲げて、指揮棒を振るうように振り下ろした。
「――アダージョ」
それは緩やかに、という意味だったか。
黒い長手袋に包まれた指が突き出されると同時に、彼女の背後から無数の影が跳び出した。
「なっ!?」
迸るそれは黒のワイヤー。
鳳仙花のように広がったそれは誘導されたように舞い上がり、方物背を描いて真っ直ぐに直進してくる。
「踊るようにヴィヴァーチェ!」
指が揺れる、虚空を叩く、大気が泡立つ不可視の風が吹いた。
速度が跳ね上がる、突き迫る黒、黒、黒。
体を運ぶ、横へと。
降り注ぐ影のワイヤーが、次々と、大地を抉る、床を砕く。轟音、爆音、破砕音。
「なんて――でたらめだよ!!」
僕は逃げるしか出来ない、上から降り注ぐそれに後ろに跳んで、顔を狙うように飛来するワイヤーにはしゃがみ、それでもかわせないそれには体を畳んで捌くしかない。
激痛が走る、身体が裂かれた。
「がっ!」
脇腹から灼熱感。
細長い棒で抉られたような痛みに呻きを零した瞬間、足首が跳ね上がっていた。
視界が反転する。
「っ!?」
脚払いを受けたような視界、浮遊感と同時に腰から床に落ちて。
痺れるような痛みに悲鳴を上げる暇もなく、視界に飛び込む影が見えた。
「落ちなさい!」
グッドマンさんが跳び込んでいた。
踏み込み、その背に背負った巨大な何かの手を広げて。
「 !!」
僕はただ防ぐことだけを考えて、木刀を突き出し――それごとぶっ飛んだ。
声すら出ずに、あまりにも痛くて、何が痛いのか分からなかった。
転がる。
上下も分からないままに、身体が衝撃で痛んで、手が、肩が、膝が、肘が、胸が、叩き付けられた。
固い床に、滑りながら、擦り剥けて、焼け付くように痛かった。
「ぅう、ぐぇっ」
吐瀉物を吐き出す。
喉から僅かに漏れ出る胃酸、舌が焼き焦がれるようだった。
熱くて、不味くて、内臓が裏返っているような気がした。
わけの分からない痛さ。
体験したことがない……いや、ああ、似た様な経験はあったか。
指一本動かしたくないような、こんな阿呆みたいな痛み。
――"あったなぁ、もっとデカイ奴に殴られたことが"。
「っ」
あの時、よりは、マシだろうか。
腕が折れて、骨が飛び出して、泣き叫びながら、左手で太刀を握ったあの時よりは。
「センパイ!!」
声が聞こえる。
近衛さんの声だろうか、それとも桜咲? いや、どうでもいい。分からないから。
「くそったれ」
頭がグラグラする。
口からは胃酸の味か、血の味しかしない。
クソ不味い息を吸い込みながら、僕は右手を動かした。
ゆっくりと、慎重に、動かすだけで凄い痛みを突き刺してくる体を罵りながら、一気に体を起こした。
「――!!?」
身体が熱い、奇跡的にあばらは折れていないようだけど、打撲で痛くない場所が見当たらない。
脳天まで刺激する激痛に絶叫する。
涙が目尻まで滲んで、泣き叫びたかった。
「うぇっ」
喉まで込み上げた液体を、なんとか飲み込んだ。
鼻で息をしながら、僕は目を向ける。
其処に、彼女は佇む。
背筋を伸ばした姿勢と共に、目を細めて、グッドマンさんが立っている。
「諦めたほうがいいですわ、剣術使い。純粋に私は、貴方より強いですわ」
耳に染みるような声だった。
思わず頷きたくなるほどに真理。
ああ、僕は弱い。今にも倒れてしまいそうだけど。
――唾を吐く。
「悪いね」
その提案を吐き捨てる。
「僕は、届く。越えられなくても、越える」
諦めきれない理由がある。
勝たなければいけない理由がある。
突き進むための約束があるから。
――瞬き分だけ、目を向けた。
選手席の皆に、桜咲に、目を向けて。
熱帯びて、紅潮し、それでも真剣な眼差しでこちらを見る少女を見る。
僕は。
「踏み越える」
決着を。
彼女を"斬るために"。
「蹴り潰してでも!!」
前に突き進む。
腹の底から息を吐き出した、喉に詰まった胃酸を吐き捨てる。
吼えて、吼えて、吸い込むための嘔吐を発した。
「 !」
声を上げすぎて、喉が痛い。
歯が揺れて、舌が痺れて、唇が震えまくって。
歓声も何もかも聞こえないぐらいに息を上げて、気合を充足させながら、僕は右手を下げた。
息を吸い上げる、ひたすらに酸素を貪りながら、指を動かして、巻き付けていた布を解くように捻る。
そして、僕は背筋を伸ばし、咽ながら構える。
これに全てを賭ける。
『あれは、無形の位ですね』
この無形の位に。
『柳生新陰流の構えの一つです。隙だらけに見えますが、その構えは後の先を取る活人剣。
人を動かし、敵を斬るそれが活人剣です。
そして、これは使うべきものが使えば変幻自在の動きを可能にする構えです』
豪徳寺さんの説明が続く。
精一杯に目を開き、口から息を吸い上げながら、僕は立つ。
そして。
「だとしても、剣が届かなければ怖くありませんわ!」
彼女が手を突き出す。
ぞわりと背後の巨影が包帯まみれの巨腕を突き出し、漆黒のワイヤーが迸った。
遠距離から、迫る襲撃。
「短崎、すすめえっ!」
声が聞こえた。
長渡の声。親友の叫びに僕は笑って。
「往くよ」
息を止めた。
突き進む、前へ向かって。
痛みだらけで、怖がる恐怖心もどこか麻痺しているような気がした。
(前に二歩)
大気が砕ける。
鞭の如きワイヤーの襲来に、僕は全身を捻りながら、四肢を翻す。
――剣は腕で振るい、脚で繰り出す。
薙ぎ払うように斬り捌く全身全霊の刀剣斬撃。
代償は衝撃が迸り、それで右手から血が零れた。濡れた布が焔を消し止めるようにワイヤーを裂いて、代償に千切れていく。
蒸気が上がる、白い煙、ドンドンと乾いていく。
(斜め前へ、大きく三歩)
踏み込む。
体を捻りながら、踏み踊るように突き進む。
ワイヤーの軌道を肌で感じる、突き進むのは直線、薙ぎ払うのは曲線軌道。
斬撃と刺突の乱打、そう考えればまだ気が楽だ。
半身から入り身、重心を変えて、足を踏み換え、僕は絶対に目を瞑らないと決めて見開き続ける。
世界は黒い斬撃領域の豪雨だった。
――躱す、進め、下がるな、避けろ。
切り裂かれた風が耳を打つ。
迸るワイヤーが服を裂く。
叩きつけられる衝撃が羽織から届いて、皮膚が粟立つ、痒いほどに怖くて。
だけど、それでも。
目だけはグッドマンさんを――いや、高音・D・グッドマンを見続ける。
彼女が揺れる、手を伸ばす、指を曲げる、肢体を躍らせる。
その動きを注視し、ワイヤーに頬が裂かれて、痛みが伝わってくるけれど。
(綺麗だよなぁ)
――二分の見切り。
大仰に躱すのは諦めて、当たることを覚悟しながら、全身を動かす。
血が流れる、痛みが走る、熱がある。
けれど。僕は彼女に見惚れた。
純粋なまでに綺麗だと思った。
高音さんが輝いて見えた。
憶えてもいない初恋のように胸が高鳴って、痛みすらも忘れて、彼女に見蕩れて。
(嗚呼)
轟音。
背中から打ち付ける破砕音を聴きながら、胸が高鳴る。
「――斬りたいよ」
愛しさにも似た激情が込み上げる。
憎悪にも似た憧れが胸を焼いて。
怒りを覚えた。
激熱が体を動かす、アドレナリンが脳を焦がしているのが分かる。
さっきからスローモーションに見える世界の中で、僕は右腕を折り畳んだ。
視界に見える高音さんが手を振り下ろす、それに合わせて僕は最後の一歩を踏み出す。
後ろ足で蹴り、滑る。
「なっ!?」
床すれすれに視界が這う。
体を折り畳み、膝を抜いて、地を這うように倒れこみ。
僕は上から薙ぎ払うようなワイヤーを避けて――剣戟軌道に捉えた彼女に刃を翻す。
合気道の転換にも似た体軸移動、それに押されて逆風の軌道を持って切り上がる一閃、鞘無しの抜刀術の即席応用。
狙うは逆胴、あばらを砕く。
「っ」
返ってきたのは固い感触。
弾かれる衝撃、剣撃がいつの間にか飛び込んだ巨影の衣に弾かれた。ゴムを殴ったような手ごたえ、めり込むそれに。
「しゅっ!」
僕は跳ねた。
床を膝だけで跳ね上がる、膝行で鍛えた跳躍力。殆ど座った姿勢での抜刀居合い、その応用。
驚愕する高音さんの顔を見つめたまま、横薙ぎに刀身を振るい抜き。
「ちぃつ!」
二発目の刃も、すかさず繰り出された背後の奴の両腕に弾かれる。
硬い、鉄のようだ。
木刀じゃ無理だと確信し、その反動を喰らったままに着地して。
――大きく巨腕が振り被られた。
「!!」
着地で痺れた足を、無理やり左右に開く。
下半身分だけ頭上を下げて、フックの軌道で振り抜かれた巨腕が頭上をすり抜ける風を浴びながら、左肩から後ろへと捻り落とし、その反動で右足を振り回す。
――上半身が叩けなければ、足はどうだ。
故の足払い。
「甘いですわ!」
だけど、放った足払いは空を切る。
高音さんが舞い上がっていた。
ふわりと、後方へと重力を忘れたような跳躍力で、そのままステージから離脱しそうになり。
「――影よ!」
跳び過ぎたことに気付いた高音さんが、ワイヤーを繰り出した。
舞台の床に突き刺し、粉塵を巻き上げながらその身体が固定され、ギリギリのところで停止する。
ブレーキを掛けたように甲高い音を散らし、爪先から彼女は着地した。重力を思い出したように豊かな胸部が打ち震え、広がってた金髪が舞い降りるよりも早く旋転。
ステージの端に降り立ち、漆黒のドレスの裾を舞い上がらせ、その大人びた美脚を曝け出しながら、彼女が叫んだ。
「フォルテッシモ!」
猫の手のように折り曲げた手が、横薙ぎに振られる。
影が連動し、旋回しながら巨腕を振り抜いた。
地面を削り上げ、粉塵を巻き上げながら、ステージの三分の二を切り裂くような数十条のワイヤーが迸る。
躱す場所はない。
『うひゃあ!』
避けるのは無理だ。
横端に立っていた朝倉さんが、退避しているのを確認し、僕は残った僅かな布を巻きつけた木刀を握り締めた。
「頼む!」
体を捻り、入り身の姿勢で床を踏み締めて、縦に木刀を構える。
右半身に盾にするように握り締めて。
「切り裂けぇええ!!」
目を閉じた。
僕は己の木刀を信じ――衝撃が激突した。
前のめりに傾けたはずの全身が後ろに滑り、構えた腕がズタズタに引き裂かれたと思った。
右半身から血が噴出す、足が裂かれた、手が痛い、頬が焼けたように痛い。
粉塵が鼻から喉にへばり付く、膝が崩れそうになる。
汗以外のヌルヌルとした熱いものを感じながら。
(凌いだ)
後ろから聞こえる破砕音と水の弾ける音に確信する。
目を開く。
そこにはもう千切れた布がへばりついただけの木刀が、切り傷だらけで、でも原形を留めていて。
――もう一撃ぐらいなら繰り出せると思えた。
(ありがとう)
耐えてくれて。
そう思う。だから、あと一刀。
届く、届かせ、斬り付ける。
だけど、ただの一撃じゃ届かない。威力が足りない。
それ故に。
「おぉ!」
跳び出す。
視界を覆う粉塵を突き破り、僕は左肩を前に入り身になって駆ける。
右手を背中に巻きつけ、蜻蛉にも似た構えを行なう。
「しつこい、ですわ!!」
一歩、前に跳び出した次の瞬間、見えて聞こえたのは高音さんの姿と叫び。
彼女が待ち受ける、その右手を拳に固めて、振り被っているのが見えて――軌道を確認する。
(1)
――テンポを脳裏で数える。
四瞬で、間に合う。
(2)
息を吐き出し。
――前に踏み出す。
(3)
息を吸い込んで。
――高音さんと同時に巨腕が大気を突き破りながら迫り。
「4!」
叫びながら足を上げた。
――蹴り足で床を跳びながら、"巨腕の拳を踏みつけた"。
いつかの先生が行なった跳躍、それを真似て踏んで――跳ね上がる。
高く、跳んだ。
巨腕の引き戻す勢いを借用し、僕は知らない世界へ舞い上がる。
高い高い場所、高度にして十メートル近い馬鹿げた高さ。萎縮してしまいそうな高み。
そこから見下ろす下には、彼女が居て。
「一刀」
僕はそれをゆっくりと認識しながら、跳躍した時に掛けた旋回のままに、繰り出す刀身に体重を乗せる。
頼りない浮遊感から、吐き気がするほどに怖い加速度を感じながら。
見上げる彼女に宣言する。
「両段」
――真っ直ぐに振り下ろす。
上位討ちの斬撃、脇を締めて手首から指までをもしならせる大上段からの振り下ろし。
真っ直ぐに、対象を睨みつけたまま、その全てに引き切るような"切断力"を乗せる。
刹那、飛び込んだのは真っ黒な壁。束ねられたワイヤーと黒布。
――接触。
木刀が、大きく広がった衣に食い込んだのが見える。
じゅわりと蒸気が迸り、絶叫じみた反応があり、それでも――直進する刃が減速し、高音さんが確信したように唇を歪め。
「――斬鉄!」
その顔が硬直した。
その程度では止まらない。
――元始の切断。
"片手だけではない力で"、自重を峰に乗せて――引き裂いた。
「らぁあああああ!」
両手で切り開く。
斬撃が、心地よく手ごたえを返し――巨影の頭部から肩口までを切断した。
袈裟切りに、硬い衝撃が返ってくる。
呻きを洩らす高音さんが膝を着き、裂かれた頭部から黒い炎にも似た黒煙を噴き出す。
そして。
指先から流れる痛みと痺れに、歯を食い縛りながら。
「……僕の勝ちだ」
膝を崩した高音さんを見下ろしながら、勝利を告げた。
『きょ、巨大人形が消滅! こ、これは決まったぁああああ!』
「――うぉおおおお! すげええええ!」
「かっけええええ!!」
「最高だぁ!」
『柳生新陰流の一刀両段! そして、そこから日本剣術の最大特徴である引き切りに繋げた!! 素晴らしい一撃でした!』
歓声が聞こえた。
騒がしいほどの音が鳴り響いて、僕はしばし目を閉じて。
「……見事ですわ」
膝を落としていた高音さんの声が聞こえた。
見下ろす、そこには――
「完敗ですわ、短崎さん」
「 ?」
……ありえないものが見えていました。
「まさか私の黒衣が破られるなんて」
目に飛び込む――肌色。
瞬きする余裕も無く――ピンク色のものとか見えて。
ついに狂ったかと半ばパニックになりつつ、紅潮した顔で笑顔を浮かべる彼女に。
「本当におどろ――「ストォオオオオプッ!!!!」ハイ?」
『ワアアアアアアア!』
観客からの声が響く。色めき踊るように。
「え? え、あ――キャァアアアア!?」
彼女が首を傾げるが、即座に気付いた。
悲鳴を上げて蹲る。
それもそのはず――だって全裸だもん。
(何故に脱げる!?)
と、叫びたかった。意味が分からなかった。
たゆんたゆんと揺れている乳房とか、艶かしい肢体とか、薄く噴き出した汗にぬめっていて、紅く色付いて唾を飲むような白い肌とかに思わず目を向けたい衝動を抑えて。
「司会! 毛布かなにか! あと観客、後ろ向けぇええ!」
叫びながら、僕は体を曲げて、なんとか羽織を脱ぐ。
朝倉さんが慌てて、『シーツか着替え持ってきて!!』とか叫んでいるのを見ながら、両手で胸を隠す高音さんに羽織を着せた。
けれど、到底足りない。
「はぅ、あぅ……」
涙目でプルプルしている高音さんが茫然自失で。
せめてコートでも羽織っていればよかったんだろうけど、しょうがないから。
「しばらくじっとしてて」
とりあえず抱きとめる。
こうすれば見えないよ、ね?
「ァアアアアアアア!?」
「おわー」
なんか観客席とか選手席から変な声が聞こえたような気がするが、気にしない。
気にしたら負けだ。
ていうか、観客席から主に男子でブーブー言っている声が聞こえるが。
死んでくれ。
「っ~~~!!?」
『おお、これはラブロマンスの誕生か!?』
「んなわけないでしょ! 馬鹿司会!! で、グッドマンさん? あ、歩ける?」
顔まで真っ赤になって、打ち震えている彼女。
どう見てもショック状態だけど、速く移動させないと。
「……え」
そんな声が聞こえ。
「え?」
「――エッチイイ!!!」
次の瞬間、世界を狙えるアッパーカットで殴り飛ばされた。
「ぶふうううっ!!」
顎から激痛が走って、僕は仰け反った。
最大ダメージだった。
痛みすら感じる余裕も無く、意識が吹っ飛んで。
「せ、責任取ってくださーいっ!!」
薄れ行く意識の中でそんな声が聞こえた気がした。