欠陥人生 拳と刃 作:箱庭廻
詫びるな、僕の選択だ。
どこまでも笑い声が響いているような気がした。
べったりと頭の裏側に張り付いているような気持ち悪さ。
痛みがそこにある。
包帯が汗に濡れて、肌に張り付いて気持ち悪くてたまらない。
喉が渇いて、呼吸すらもめんどうになる。
「はぁ」
一分が経っただろうか。
僕は抱き抱えていた近衛さんからゆっくりと手を離して、膝を落とした。
全身から力が抜けている。
「センパイ、大丈夫」
「そっちこそ大丈夫? あと、桜咲も……」
緊張と恐怖のせいか、呼吸が乱れている近衛さんが目を潤ませながら心配してくれる。
指先はまだ震えている。
当たり前だ、あんな狂人を目にして震えないはずがない。
「はい……大丈夫です」
周囲に目を向けてから、桜咲は決められていた肩を押さえて立ち上がる。
真剣な顔つき、でもそれは頭に付けたままのネコ耳でかなり台無しだった。
「あまり大丈夫そうに見えないけどね。あ、そうだ。この惨状どう説明すればいいんだろう? うーん」
「――短崎センパイ」
看護の先生にどう説明するべきか、僕が右手で顎に手を当てて唸っていると。
「なに?」
桜咲がジュースに濡れたスカートを握り締めながら、僕に目を向けていた。
申し訳なさそうに。
「……責めないんですか?」
そう呟いた。
今にも泣きそうな顔で。
「なにが?」
「せっちゃん?」
近衛さんが戸惑ったように慌てて、腰を上げようとして。
「あぶっ!」
バタンッと転がった。
ビタンッと前のめりに身体を打ち付けて、あいたぁー!? と声を上げている。
「お、お嬢様!?」
慌てて桜咲が、近衛さんを抱き起こすが。
抱き起こされてしがみ付いたまま、彼女は情けない声を上げる。
「うう、こ、腰が抜けてしもうた」
「お嬢様。え、えーと取りあえず治るまで座っていてください。椅子ならここにありますし」
「うう、ごめんなぁ」
バタバタと慌てて椅子に座らせる桜咲に、べそを掻きながら謝る近衛さん。
いい友情だと思った。
重くなっていた空気が柔らかくなる、少し気分が楽になった。
――まさか狙った? と思ったけれど。
(計算ずくで出来るほど、近衛さんは狡猾じゃないか)
すぐに否定する。
動こうとしたのだろうけど、ここまで狙ってはやれないだろう。
……と、そこまで考えて、僕は自嘲した。
(あれだけあって、マトモに考えられるってのもおかしな話だよな)
アドレナリンは回っている。
身体は熱いし、胃が焼けるようにむかついているけれど、まだ理性がある。
いや、そう思っているだけでブチ切れているかもしれないけれど、最悪のパターンにはなっていない。
「……桜咲」
「っ、はい」
僕の問いかけに、桜咲はすぐに顔を向けて。
「とりあえず教えてくれる? 僕の左腕、原因知ってた?」
月詠は告げた。
斬魔剣、魂すら切り裂く斬撃。
――刹那センパイから聞いてなかったんですかぁ? 神鳴流の剣は肉を切り、骨を断ち、魂まで裂くんですよ~♪
神鳴流。
どういう流派なのか、今まで月詠が使ったものと、桜咲が先ほどの試合でやっていたものぐらいしか知らないけれど。
とんだトンデモ剣術だとは分かる。
衝撃波が飛んでくる、雷が出る、何かよく分からない圧力があるし、皮膚が鋼鉄並みに硬くて斬れなくなったり。
何処が限界なのかは知らないし、知りたくもないが。
……自分の怪我に関わることなら別だ。
「……」
桜咲が沈黙する。
答えづらいという顔で、痛々しい表情を浮かべるけれど。。
「どうなの?」
僕は尋ねた。ここで答えを得なければ前に進めない、そう思ったから。
「……知ってました」
「せっちゃん……センパイの腕の原因、知ってたんか」
近衛さんが反応する。
当たり前だ、この腕の動かない理由は心因性のトラウマが原因だと僕自身思っていたのだから。
「言い訳をするつもりはありませんが……正確に言うなら推測でした。神鳴流剣士でも斬魔剣を使えるものは多くありませんし、それに月詠が該当しない可能性の方が高かったのです」
けれど、と桜咲が言葉を継ぎ足して。
「霊視し、短崎先輩の左手の霊体部分が切断されていたのは検査で分かっていました」
そこまで告げて、桜咲が目を伏せる。
所詮言い訳だと、自分でも分かってるのだろう。
どう足掻いても、それを僕に伝えなかった事実があるから。
そして、少しだけ納得する。
"嗚呼、所詮は全て同情か"と。
あの雨の夜から寄せてくれた優しさや、親切さも全て罪悪感がなせるものだったのだろうかと心のどこかで納得する。
物事には理由があるものだから。
「……ふーん」
僕の声音はどこか渇いていた。
先ほどまでの疲れが残っているのだろうか、それとも喉が渇いているのだろうか。
どちらにしてもどうでもいい。
ただ聞きたいのは。
「まあいいや、君が知っていたってことは……ミサオさんも知ってたの?」
「はい。私は、珠臣から教えられたので」
桜咲はうなだれて、悲痛さすら感じる気配を纏わせていた。
少しだけイラつく。怒りすら覚える。
何故、君がそんな態度なのか。
「じゃあ、これで最後だ。率直に答えてくれ」
「はい」
「僕の左手は治るの?」
それだけが知りたい。
ミサオさんから教えられた時、可能性は低いが確かにあった。
そして、今なおたった三度だけだけど動いたのだ。
可能性がないわけじゃない。
僕の左手は廃肢じゃないのか?
「……難しいです。確かに霊魂を斬られて、動かなくなった四肢が治った例はないわけではありません」
桜咲は淡々と、言葉に迷うような言い回しで言葉を紡いだ。
「長い時間をかければ元通りとはいきませんが、肉体に影響を受けた霊体が修復される可能性があります。あるいは高い気、即ち霊力となる活力を持って新しく霊体を"再構築"する方法がないわけではありません」
けれどと、桜咲は一瞬喉を詰まらせて、搾り出すように言った。
「前者はかなり稀有な例であり、後者はあくまでも理論上の空論です。人よりも圧倒的に再生力が高い妖物でも、斬魔剣での傷を治すのに二十年以上掛かった例もあります」
「つまり、結論は変わらないわけだ」
治るかどうかは分からない。
ミサオさんに教えられたとおりに、希望は薄い。
「……ハイ」
桜咲が頷く。
肯定した事実は正しいと証明された。
「そう」
僕は少しだけ目を閉じて、ため息を吐き出した。
胃がジクジクと痛む。
頭痛すらする。
桜咲の悲痛な顔を見て、そしてその横でハラハラした顔で泣きそうになっている近衛さんを見て。
嗚呼、なんでまったく。
「じゃあ、いいや。ありがとね、桜咲」
僕は得心がいったから、桜咲に礼を言ったのだが。
「…………え?」
桜咲が顔を上げて、目を見開く。
驚いた顔。
何で驚くかね。
「何でそういう顔するの?」
「いや、あの……私は隠していたんです。真実を、短崎先輩の左手のことを知っていたのに」
「ミサオさんもでしょ?」
やっぱり誤解していると、僕は思った。
左手の魂が切断された。
きっとこの事実を教えれば、絶望すると思ったのだろう。
実際目の前が暗くなったし、怒りも湧いた。
そう、"月詠に対する怒りが"。
「真実だろうが、建前だろうが、結果は変わらないし、待遇も変わらないんでしょ?」
ガリガリと右手で頭を掻いて、僕は桜咲に言う。
「あのね、僕は……僕のためにやってくれた優しさに文句をつけるほど恥知らずじゃないよ」
大きなお世話。
いらぬ親切。
何も考えない善意という名の迷惑。
それらの類なら怒るし、文句も言うし、注意もするだろう。
けれど、彼女は、あの人は心底僕のために事実を隠してくれたのだ。
絶望させないために。
希望を捨てさせないために。
感謝はしても、恨むなど筋違い過ぎる。
感情で腹が立つ気持ちはあるけれど、理屈では正しいと理解出来る。
ふざけんなと叫びたいのは山々だけど。
――それはただの最低だ。
僕にも安っぽいものだけどプライドはある。
誰かが、誰かのために尽くしてくれた善意を踏み躙るなんて絶対にやらないし、否定させない。
「だから気にしないでくれ」
僕は苦笑し、ただ罪悪だけで気を使わせてしまった少女達に出来るだけ明るく話しかけた。
過剰な好意はもういらないから。
「許せないのは月詠だけだ」
「……はい」
と、頷く桜咲の顔を見ないようにして、僕は思考を再開させる。
殺すと決めた。
何時かの時とは違う。
"両手をもぐだけでは許さない"。
「……センパイ? 怖い顔しとるで」
近衛さんが心配そうに上目遣いに目を向けてきたので、僕は慌てて顔を手で押さえた。
口元に手を当てて、初めて気が付く。
軽く笑っていたことに。
(気持ち悪いな)
笑顔は本来攻撃的な行動だというらしいけど、自覚すると吐き気しか覚えない。
今更だけど興奮が収まってきたのか、全身がズキズキと痛い。
「まあいいや。桜咲、取りあえず誰か呼んで――」
その時だった。
「近衛さん。彼の状態は……って、どうしたの? これは」
吹き飛んだ障子などの向こうから、白衣を着た眼鏡の女性が現れる。
学校医の先生だった。
「あ、これは――」
桜咲が慌てて事情を説明しているのを見ながら、僕はベッドに座り直し、深々とため息を吐き出した。
真っ当な日々にはとっくの昔に戻れない。
そんな気がしたから。
で、どうやらそっちの事情に精通している先生だったらしく。
桜咲が色々と事情を説明すると、携帯を取り出して、スタッフらしき人たちが救護室の片づけをしていた。
その間に僕は解けた包帯を、何故か近衛さんに手伝ってもらって巻き直して。
「……包帯の量、過剰じゃない?」
右半身が半ばミイラ男になってました。
手首から肩上まで包帯に覆われて、一応関節部分だけは緩くやってもらったけど、きつくしばられている。
再消毒もやってもらったし、傷口が焼けるように痛い。
「これぐらいせえへんと、傷開くわぁ」
「酷い裂傷でしたからね、普通なら病院で手当をしてもらったほうがいいんですが」
「止めておくよ」
桜咲の言葉に僕は左右に首を振った。
まだリタイアするつもりはない。
目の前の彼女との決着、それが付けられるのが決まっているのだから。
この程度の傷で棄権なんて馬鹿らしい。
「そういえば、そろそろ会場に戻ったほうがいいかな?」
月詠の襲撃から十分ぐらい経っている。
もうネギ先生の試合は終わっているかもしれない。
そんな風に考えながら立ち上がり、僕は右手で汚れた羽織を羽織った。
ズタズタだし、渇いた血が染みになっている部分もあるけれど、中の和服よりはマシだ。
包帯姿に羽織だけって、どこぞの全身火傷の人みたいな気がするけれど気にしたら負けか。
「そうですね、そろそろ戻ったほうがいいでしょう。この時間なら小太郎さんと楓さんの試合かもしれません」
「せやな。じゃあ、途中まで一緒に行こうや」
近衛さんが率先して障子の前に立って、笑顔で手を振るうが。
その明るい笑顔が虚勢だと僕たちには分かっていた。
先ほどまでの月詠、それを考えれば集団で行動したい気持ちはある。
「はい、お嬢様」
桜咲が少しだけこちらを見て、スカートの裾を払いながら歩き出す。
そして、僕は木刀の入った竹刀袋を掴んで担いだ。
「頑張ってね」
そんな保険医の女性の声を聞きながら、僕たちは三人並んで廊下を歩いて。
会場に戻り――
『第六試合! ナゾの少年忍者犬上 小太郎選手 対 長身忍者口調の長瀬 楓選手の試合を始めます!』
誇りを賭けた、一人の少年と少女の対決が始まろうとしていた。