欠陥人生 拳と刃 作:箱庭廻
祈り、積もらせる。
ただ平和に暮らしたいだけなのに。
ただ何事もなければいいのに。
どうして許されないんだろうか。
どうして終われないんだろうか。
世界はいつだって残酷で。
運命はいつだって皮肉でしかない。
火曜日。
今日は学園都市全体で停電のある日。
その日の朝になっても……長渡は帰ってこなかった。
僕が食事を作り、風呂に入り、布団に入り、寝て起きても帰ってこなかった。
直感。
何かがあったのだろうと思う。
「長渡、どこにいったんだ?」
朝の六時に起床し、帰ってきた形跡がないことを確認すると、僕は身支度を整えた。着込むのは学生服ではなく、私服。
学校が始まるまで時間がある。
探そうと思った。
財布と携帯を持って出ようと一瞬考えたのだけれども、何故か僕は太刀を入れた予備の竹刀袋を背負って学生寮から出ていた。
何故かそのまま出るのは不安だった。
素手ではいけない、武器を持たなくてはならない。
とっくの昔に終わった二年前、思い出したくも無い過去を呼び覚まされるような嫌な感覚。
硬く、冷たく重い太刀の重みを肩に背負いながら僕は走り出した。
心当たりのある場所を全て探す。
それしかやれることが見当たらなかった。
コンビニ、学園、道場、ゲームセンター……僕は知っている限り長渡が行きそうな場所、知っている場所を歩き回ることにした。
どこかで長渡がひょうきんに笑っていることを祈って、探しに行った。
だけど。
こんな時ほど学園都市の広さを恨んだことはない。
肺が痛くなりそうなほどに駆け足で探し回り、一つ一つの場所を確認していく作業を終えた僕がもう思いつく場所を無くしたのは数時間後だった。
……そして、結局長渡はいなかった。
どこにも。
どこにもいなかった。何度も長渡の携帯に電話をかけたが、そもそも長渡は携帯を学生寮に忘れていったことを思い出したのは探し終えた後だった。
徒労だった。
疲労と共に込み上げるのは激しい後悔。
なんでもっと僕は彼のことを知らなかったのだろうか。
こうして彼の行けるだろう場所、行くだろう場所もこれ以上は思いつけない。
なんて薄い付き合いだったのだろうか。そのことを思い知らされる。
荒い息を吐き出しながら、僕は胸を押さえて深呼吸をしながら歩いていた。
額からは汗が止まらず、体はべたつき、足は軽く痛みを覚えている。
肩の竹刀袋はふがいない自分を責めるように金属音を響かせる。
「今は何時だ?」
早朝の商店街。
ちらほらと朝錬の学生が歩いている姿も見られて、僕は携帯で時間を確認した。
既に時刻は午前8時に達しようとしていた。
「……連絡の必要があるよな」
警察に捜索願いを出したほうがいいかもしれないけれど、冷静に考えればまだ一日も経っていない。
なんにせよ、担当教師になり連絡したほうがいいと判断して、僕は携帯に登録した学校への電話番号を呼び出した。
この時間なら事務の人なりは既に来ているはずだから。
「……こんなものなのかな」
学園への連絡を終えた後の対応は待機だった。
警察への連絡は少し待つようにという指示、一応広域指導員に探してくれるようにはしてくれるといっていた。
そこまで聞いて、僕は明日の朝になっても帰ってこなかったら捜索願を出しますと一方的に告げて電話を切った。
嫌な予感は収まっていない。
一応僕は出来る限りのことをやるつもりだった。
とはいえ……
「あとどこを探せばいいかな」
思いつく場所は既に探し尽くした。
後は当ても無く探すぐらいだけど、それはあまりにも効率が悪すぎる。
「……タマオカさんにでも聞いてみるかな?」
知り合いの刀工の名前を思い出す。
あの人ならば何か分かるかもしれない。
そう考えて僕は踵を返して歩き出した。
距離にして三十分ほどの場所。
麻帆良都市の市街地を越えて、幾つもの商店街や町並みを通り過ぎながら、いつしか何の構造物かもよく分からない場所に出る。
色彩に溢れ、建造物が入り混じり、まるで無数の絵筆で描いた油彩画のように混沌としていて、どこか整然とした街路。
その中を歩いていく、まるで歩くものを選ぶかのようにどこか神聖じみて、けれどもどこか気持ち悪い道。
歩く、進む、踏み出す。
道を体が覚えているから、迷うこと無く歩き通す。
そして、五分ほども歩いた頃だろうか。
不意にその場所に辿り着いたことに気付いた。
「着いた」
ガッシリとした工房。その横に作られた木造住宅が、西洋風の建築が多い麻帆良の中では違和感を放っている。
チャイムなんて洒落たものは付いていないし、名札も出ていないどこか時代に取り残されたような感覚。
けれども、僕は気にせずに工房の開いている入り口に踏み入ろうとして――中から響いた笑い声に足を止めた。
「カ、カッカッカ。よく来たな、タン坊」
それは美しい声だった。
工房の奥、轟々と火を絶やさない炉の傍で一人の女性が座っていた。
彼女には左腕はない、隻腕。
男物の作務衣をだらしなく身に纏い、豊満な乳房を惜しげもなく露出させた美貌。
鍛冶を打つときには縛る艶ややかな黒髪も今は解き、黒水晶を溶かしたかのように薄暗がりの中でもはっきりと分かるほどに綺麗。
震えが走るほどの白く艶かしい顔、燃え盛る鉄のように真っ赤な唇。
人の世を越えたかのような美しさに初めて出会った時は緊張したものだが、今はなんとか普通に話すことが出来る。
「短崎です。短崎 翔(たんざき かける)。変な呼び方で呼ばないでくださいよ、タマオカさん」
タマオカ。
初めて出会った時からそれだけを名乗る女刀工だった。
「そうだったかな? まあいいさね。ヒトなんて区別が出来ればそれでいい、真名を呼びかける必要は今はないさね」
そういって彼女は傍に置いておいた竹のお椀から水を飲んだ。
僕は知っている。
それが付近の川水から汲んできた水だということを。
彼女ともう一人の相槌師にして、鍛冶師である男は一切の科学化合物の混じった食物と肉を口にしない。
穢れが避けるため、とどこか修厳者のような生活を送っていた。
「ミサオさんはどこに?」
「アイツなら今は京都に出かけてるさね。ぶつくさと文句を言っていたから、どうせシンメイリュウの奴らの刀でも叩き直しに行ってるのだろうさ」
「そうですか」
いるのならば挨拶をしておきたかったのだが、いないならばしょうがない。
そして、僕は用件を繰り出そうとして――先に発せられた言葉に発言権を失った。
「んで? 何か困っているようだね」
「分かりますか?」
「ははは、この時間帯は平日のお前は学校に行ってるはずだろう? 八卦に頼らずとも軽く読み取れるものさ」
そう告げると、タマオカさんは水の入った器を置くと、傍に立てかけてあった筮竹を手に握った。
八卦。
易占とも呼ばれるそれをタマオカさんは不気味なほどによく当てた。
本来ならば両手を使わなければいけない易占だけど、彼女は独自のアレンジをしているのか右手に握った筮竹を床に放って占っている。
いや、もしかしたら本人は八卦といっているけれど、もっと別の占いなのかもしれない。
オカルトなどの実在は信じる以前に好きでは無い自分だったが、それでもこの人の腕は信用出来るし、不思議と顔も広い人物だった。
「お願いがあります。実は友人が一人昨晩から行方不明なのですが、何か心当たりはないでしょうか?」
「……友人。ふむ、詳しい経緯を話してみな」
ニヤリとタマオカさんが楽しそうに微笑んだのを見て、僕は事情を話した。
昨夜まで自分が車に撥ねられて入院したこと。
それを見舞いに来た長渡が食事を作ってくれることを約束して帰ったこと。
そして、自分が帰ると長渡はいないで、結局朝まで帰ってこなかったこと。
それらを話して終えると、パラパラと筮竹を握っていたタマオカさんが薄く唇を開いた。
「カカカ。なるほど……中々厄介なことに巻き込まれているようだな」
「え?」
「心当たりは、ある」
パラリと筮竹を傍の地面にタマオカさんが放る。
そして、その本数と角度を見つめると、ジロリと僕の顔を見た。
どこか鋭く、射抜くような視線。
観察されているような気がした。
「心当たりって、長渡の居場所ですか!?」
だけど、僕は先ほどの言葉を聞き逃すことは出来なかった。
「……さすがに場所までは分からんさ。しかし、見つける方法は思いつく」
「え?」
「タン坊。お前は、誰かを斬ることは出来るか?」
「……どういう意味ですか?」
僕はその言葉に目を細めた。
肩に背負った竹刀袋がずしりと重くなったような気がした。
痛み。胸を締め付けるような痛みがある。
「私は知っているぞ。お前は既に人斬りだ」
「――僕は人を殺してなんかいません」
そう、"ヒトは殺していない"。
「ならばお前の太刀はなんだ? 昔告げたな、貴様の太刀には血肉がこびり付いていると。穢れを孕んだ骨を、肉を、血を浴びた太刀だと私は告げたはずだ」
「――昔の話です」
僕には兄弟子を斬った過去がある。
そして、"夢のような悪夢を切り裂いた過去がある。"
けれども、後悔はしてない。兄さんを斬った時は嘆いた。けれど、悪夢を切り裂いた時には僕は後悔などしていない。
ただ対峙したから斬り捨てた。
「穢れ孕みし、修羅の道よ。この身は刀作りに捧げてはいるが、ミサオは穢れを許容していない。だが、私は既に血を含む淫猥だ」
そう告げると、タマオカさんは隻腕の傷口を握り締めた。
するりと袖を捲ると、そこには二の腕から丸みを帯びた腕があった。
どれほど鋭く切り裂かれたのか、まるで元からそこに腕は無かったかのように肉が骨を包み、皮膚が肉を包んだ艶かしい肌。
そして、僕は露出した腕から、彼女の胸を見る。
そこには鋭く刻まれた真珠色の傷跡。
彼女はかつて告げた。
ある刀を愛したのだと、誰もが魅了される大太刀に自ら抱きしめ、切り裂かれたのだと。
刀身陵辱。
斬ることだけを目的に産み出された刀、その存在だけで誰もが狂う一刀。
それが彼女を犯したのだと笑ったのだ。
「タン坊。友のために穢れを被る覚悟があるか?」
「――それは、は」
何をするのだろうか。
穢れを被る。血を被る、皮膚を切り裂く、肉を裂く、骨を断つ。
誰かを斬ることになるのだろうか?
犯罪行為。人生の終わり、前科者、日本の法律は決して人殺しを許容しない。
だけど。
けれど――僕は――
「友達を救えるなら被る。後悔なんてしたくないから」
一度人を斬ったこの身。
誰かを救えるなら穢れてもいいだろう。
自己満足。
浅はかな考えかもしれない。だけど、それでいい。
後で後悔することになっても、今は後悔したくない。
「カカカ、いい顔だ。人間の顔をしているぞ、タン坊。清濁併せ呑むのが人だ、美しいままではいられない。情に流されろ、罪を被れ、既に穢れているのだからな」
タマオカさんは嗤うと、工房の奥に入っていった。
そして、直ぐに出てくる。二本の鞘を持って。
「これをやる。ナマクラだが、お前には丁度いい」
ぽいっと投げられたそれを受けると、一つはただの鞘であり、もう一つは――脇差ですらなかった。
身幅は短く重ねが極端に厚い菱形の刀身であり、刃長は九寸五分前後の短刀。
見覚えがあった。これは確か。
「鎧通し? あと、この鞘は?」
鎧通しと呼ばれる短刀の一種だった。
組み打ちの際に甲冑を付けた相手の隙間から刺し貫くための武具。
「おそらくお前に必要なものだ。それにその竹刀袋を見れば分かるさ。鞘が壊れているのだろう?」
なんて鋭いのだろうか。
「恩に着ます」
僕は竹刀袋を開けると、シーツに包んだ太刀を取り出した。
そのままヒモを解いて、巻きつけたシーツから太刀を抜き出し、渡された鞘に入れていく。
カチンと太刀が収まる。ピッタリのサイズ、まるであしらえたかのように。
「それで準備は十分だろう。後は今夜、そうだな。午後八時ごろから学生寮を出て、適当に歩き回れ」
「え?」
午後八時。
停電の開始時間。
「それでお前なら気付ける。立ちはだかる全てを斬り捨てて、友を助けにいきな」
……私が出来るのはそれまでだ。と、タマオカさんは告げると、背を向けた。
さっさと去れと手を振るっている。
「ありがとうございました!」
僕は頭を下げて、竹刀袋に二つの刃を仕舞いこみ、走り出した。
何かがある。
何かが待ち受ける。
けれど、僕は進まないといけない。
それが僕の後悔しない道だと思うから。
だから、僕は今一度人を斬ることになっても後悔なんてしない。
――絶対に。