スゥイートホーム ―涼宮ハルヒの慟哭―   作:はせがわ

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涼宮ハルヒの慟哭

 

 

 赤ん坊の、笑い声が聞こえる。

 キャッキャと笑う、嬉しそうな声が――――

 

 

 暖かな表情で我が子を見つめている、お母さん。

 母に見守られながら、嬉しそうに声を上げている赤ん坊。

 

 そんな幸せな光景を、あたしが眺めている。

 

 

 ベビーベッドにいるその子が見つめる先には、代わる代わる現れる、沢山の動物たちの姿がある。

 

 影。これは手で形作る影絵だ。

 お母さんは見事な腕前で両の手を動かし、まるで生きているかのように動く沢山の動物たちを、次々と赤ちゃんの前に作り出していく。

 

 

 ――――わんわん、わんわん。ぼくは犬だよ。

 ――――コンコン! ぼくはきつねだよ。コンコン!

 ――――ピョンピョン。私はうさぎよ。いっしょに遊びましょう?

 

 

 時に愛らしく、時にコミカルに。

 赤ちゃんは影絵の動物たちに夢中だ。キャッキャと笑いながら小さな手を伸ばしている。

 そんな微笑ましい我が子の姿に、お母さんはとても幸せそうな笑みを浮かべている。

 慈愛に溢れた、とても美しい笑顔を。

 

 

 ――――カサカサ。ぼくはカニだよ。

 ――――ワオーン! 僕はオオカミだよ。遠吠えが得意なんだ!

 ――――めぇぇ~。あたしはヒツジよ。友達になりましょう?

 

 

 代わる代わる現れる、生き生きとした動物達。

 そんな中、やがて赤ちゃんの前に、一羽のハトの姿が現れた。

 手影絵で作られた美しいハトが、いま大きくその羽を動かし、優雅に大空を飛んでいく。

 

 その幻想的な光景に……赤ちゃんは口を大きく開けて、キラキラと目を輝かせる。

 

 

 ――――ハトは飛んでいく。自由に、どこまでも。

 ――――――高く高く。この上なく優雅な羽ばたきで、空を昇っていく。

 

 

 この子の幸せを、祈るように。

 この幸せが、いつまでも続きますように。

 

 そんなお母さんの願いを、空に届けにいくようにして。

 

 

 愛に満ちた、母と子の姿。

 そんな幸せな光景を、あたしはただずっと、見つめ続けていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スゥイートホーム ―涼宮ハルヒの慟哭―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―1―

 

 

 

「 遅いッ! 罰金ッ!! 」

 

 強い風が吹きつける、大きな建物の門前。

 いま腰に手を当て憤怒の表情を浮かべる涼宮ハルヒの怒声が、辺り一帯に木霊する。

 

「まったく! いつまでかかってるのよっ!

 こんなのただちょちょい~っと行って、パパ~ッと許可取ってくるだけでしょ!?」

 

「す、涼宮さぁん……。落ち着いてぇ~……」

 

 ハルヒがムキーと地団駄を踏んでいる。

 朝比奈みくるはビクビクしながらもなんとか諫めようと奮闘しているが、彼女の怒りはとどまる事を知らない。

 

「まぁまぁ涼宮さん、お役所というのは時間のかかる物ですよ。

 仕方ありません」

 

 SOS団副団長の古泉一樹も、苦笑しながらフォローを入れる。

 彼もいま頑張っている、もうしばらく待ちましょうと、優しく団長を諭していく。

 

「あたしは早く間宮邸に行きたいのよぉーっ!!

 こんな所にいても、ちっとも面白くないじゃないっ!

 ……まったくキョンったら!

 せっかく今回は雑用じゃなくプロデューサーにしてあげたのに、

 ちっとも使えないんだからっ!」

 

 今ハルヒの左腕には“超ディレクター“と書かれた腕章がある。今回SOS団で制作するドキュメント企画、その全権を取り仕切るのが彼女の役割だ。

 そして今回彼は、そのプロデューサー。

 この企画を発案し、珍しい事に自分から「やってみないか」とハルヒに提案したのが、他ならぬ彼なのであった。

 

 ……この話が出た時、ハルヒは非常にご機嫌であった。

 散々彼に対しグチグチと文句は言ったものの、隠し切れない程にニマニマと緩んだその表情に、SOS団のメンバー達が微笑ましい気持ちでいたのは言うまでもない。

 なにせ普段は無口で消極的に見える彼からの、初めての提案(おねがい)だ。

 それに気を良くした彼女は「キョンのくせに生意気よ!」などと言いつつも、実質その場で案を即決した。

 

 そして本日、無事その企画は決行されるに至る。

 皆は今、今回のSOS団企画【伝説の画家、間宮一郎。その謎に迫る】というドキュメンタリー映画を撮影する為、間宮邸に入る許可を取りに役所まで来ているワケなのだ。

 

「もう我慢できないわっ! あたしちょっと行ってくるっ!」

 

「だっ……ダメですよぉ涼宮さ~んっ!

 ここで待ってろって、キョンくんに言われたじゃないですかぁ~っ!」

 

「えーい離して頂戴みくるちゃん!

 行かなきゃ! 行かねばならないのよあたしはっ!

 やっぱり二人には任せておけないわ!」

 

 必死に腰にしがみ付くみくるをズルズル引きずりながら、役所の門へ猛進していくハルヒ。慌てて古泉も加勢に入る。

 

「……なぁ、俺の記憶が確かなら、

 キョン達が出かけてから、まだ10分と経ってねぇんだが」

 

「元気だよねぇ涼宮さん。きっとパワーを持て余してるんだよ。

 それか……キョンに置いていかれちゃって寂しい、とか?」

 

 ワーワーと騒ぐSOS団の様子を車中でのんびりと見つめながら、谷口が大きく欠伸をする。その向かいに座る国木田も、のほほんとジュースに口を付けている。

 

「相手はお役所だぞ? あの涼宮が行ってもややこしくなるだけだっつの。

 キョンもそれが分かってたから連れていかなかったんだろ」

 

「うん。ハルヒを見張っといてくれーって、みんなに念を押してたもんね。

 代わりに鶴屋さんを連れて行った事も、もしかしたら気に喰わないのかも」

 

「なんであたしじゃなくて鶴屋さんをー! ってか?

 いつも一緒にいるじゃねーかお前らは……。ちっとは我慢しろよ……。

 どんだけキョン好きなんだよアイツ」

 

「心配しなくても、キョンは涼宮さんしか見てないのにね」

 

 国木田は苦笑しながら、谷口の手から一枚カードを抜き取る。それは見事に当たりだったようで、谷口が「げっ!」と変な声をあげる。トランプ勝負は国木田の勝ちのようだ。

 

 やがてそうこうしている内、二人とは離れた席に座っていた長門有希がトテトテとバスを出ていき、外にいるハルヒ達の方へと歩いて行くのが見えた。

 今までひとり静かに読書をしていた彼女だったが、表の状況を見かねたのだろうか。

 

「むきぃー! 離してよみくるちゃん! 離してちょうだいッ!

 ……確かにあったかいわ! すっごく良い匂いする!

 でもハグのぬくもりなんかで、あたしをどうにか出来ると思ったら大間違……、

 って、ん? どうしたの有希?」

 

「これ」

 

 ジタバタと暴れていたハルヒに、有希がよいしょと何かを差し出す。それは“サクマ式ドロップ“と書かれた、キャンディーの缶だった。

 

「ん? 蓋が開かないの? おっけおっけ! あたしが開けてあげるっ」

 

 ハルヒが缶を受け取り、気合を入れて「ふんっ!」と蓋を開ける。パカッという良い音がした。

 そして優しく微笑みながら有希と目線を合わせ、缶を渡してやる。

 

「はい」

 

「あら、ひとつくれるの? ありがと有希っ。

 ……ん~っ♪ おいしっ! やっぱりメロン味は至高ね!!」

 

 キャンディーを貰い、幸せそうに頬張るハルヒ。有希といっしょにコロコロと舐める。とてもご満悦の表情だ。

 

「私もトランプがしたい。相手をしてほしい」

 

「トランプ? いいわよ有希! やりましょやりましょ♪

 よ~し、それじゃあバスの中に戻りましょっか♪

 ほらみくるちゃーん! 古泉くーん! 行くわよ~」

 

「……」

 

「……は、はぁ~い」

 

 有希と手を繋ぎ、ハルヒが「ルンルン♪」とバスに戻っていく。

 先ほどまで汗だくになりながら彼女を止めていた両名は、若干脱力しながらも慌てて後に続いた。

 

 

………………………………………………

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「……なにぃ? 間宮邸ぇ?」

 

 役所の応接室。不機嫌そうな男の声が響く。

 

「駄目に決まってるだろうそんなの。あそこはもう数十年も閉鎖してるんだ」

 

「はい課長……。私もそう言ってはおるんですが……。

 しかしあの子たち、どうしてもと言って聞かなくて」

 

 職員の男が困った顔で自らの背後を指す。

 そこには今「ふふ~ん♪」とのんきに鼻歌を歌う鶴屋、そしてペコリと頭を下げるキョンの姿がある。

 

「なんでも、間宮一郎のドキュメント映画を撮りたいんだそうで。

 あの屋敷には間宮一郎の残した絵が沢山あるハズ、

 それを世間に伝えるのが私達の役目だ、と言って……」

 

「それでこんな田舎町までやって来たっていうのか。

 まったくご苦労な事だ……。他にやる事は無いのか都会の子たちは」

 

 靴を脱ぎ、中に入っていた砂をサラサラと落としながら、話半分に部下の言葉を聞く課長の男。

 

「ほら、いいから帰って貰え。可哀想だが、あそこはずっと立ち入り禁止なんだ」

 

「しかし課長……? 実はあそこにいらっしゃるお嬢さんは、

 なんでも鶴屋財閥の一人娘だそうで……」

 

「なにぃ?! つ……鶴屋財閥のぉ?!」

 

 男の顔色が変わる。そして何かを考え込む仕草をした後、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 

「……えっとぉ、君達? 間宮邸を撮影したいんだって?」

 

「あ、はいっ! 間宮邸に入る許可を頂きたくて、伺いました。

 ドキュメンタリー映画を撮って、間宮一郎の絵の素晴らしさを伝えたいんです!」

 

 思わず“気をつけ“をし、キョンは緊張しながらも必死に伝える。普段は飄々とした所のある彼であるが、どうやらこういう交渉事には慣れていない様子だ。

 横にいる鶴屋は、のほほんと微笑みを浮かべているが。

 

「あー……。まぁそりゃ立派な事だとは思うがね?

 まだ若いのに大したもんだと、感心せん事もないよ。

 ……でもなぁ。残念だが間宮邸への立ち入りは禁止してるんだよ。

 ひどく老朽化もしてるし、何かあったら困るだろう? 君たちはまだ子供だし」

 

「いえっ、そこはちゃんと気をつけてやるつもりです!

 今回は俺たちだけじゃなく、信頼出来る大人の人にも協力してもらってて。

 だから決して危ない事はしませんし、建物にも充分に配慮してやるつもりです!」

 

「ん~……」

 

 目の前の少年は、熱意を持って必死に訴えている。その気持ちは分からないでもないし、出来る事なら叶えてやりたくもあるのだが……。

 課長の男はウムムと頭を抱える。

 

「別に間宮邸じゃなくてもさ? 映画だったら他でも撮れるだろう?

 ドキュメンタリーもいいが……ほら、恋愛映画とか、アクション映画とか。

 君達は学生だし、そういうのの方が好きなんじゃないのかい?」

 

「は……はぁ」

 

「……ん~。間宮邸なぁ。ん~……」

 

 やがてウンウンと唸り声をあげ続けていた男は、「ふぅ」とひとつため息を付いた後、意を決したように背中を向ける。

 そして後ろにある小さな金庫の前に立ち、おもむろに鍵を差し込んだ。

 

「ちょ……課長?! 本当によろしいので!?」

 

 慌てて職員の男が傍に駆け寄り、ヒソヒソと問いかける。

 

「仕方ないだろう、あぁまで言っているんだから。

 それにあのお嬢さんは、アレなんだろう? ……流石に無碍には出来んよ」

 

「しかしっ! しかしあの間宮邸ですよ!?

 もし何かあったら……どう責任を取るおつもりで……?」

 

 職員の男は冷や汗を流している。それに対し、ゆっくりと振り返る課長の男。

 

「何かって……何だ?」

 

「い、いえっ! あの……! その……」

 

祟り(・・)、か?」

 

「…………はい……」

 

 男の口元が歪む。ニタァと醜悪な笑みを浮かべる。

 

「――――なら丁度いいじゃないか。確かめてみよう」

 

「!?」

 

「あの子らが無事に帰って来たなら、あの屋敷は大丈夫って事だ。

 いい機会だ、確かめてみようじゃないか」

 

 

 もう数十年も閉鎖したままだという、間宮一郎の屋敷。

 今まではこの地に伝わる噂話を恐れ、ただただ触らぬように閉鎖してきた、古い屋敷。

 

 しかし、もし何事もないなら(・・・・・・・)、あの屋敷は大変な観光資源になる。なんと言ってもあそこは伝説の画家、間宮一郎の屋敷なのだから。

 この何も無い寂れた田舎町に、さぞ多大な利益をもたらす事だろう。

 

 

「なぁに、もし何か起こっても、それは“超自然現象“という物だ。

 誰も責任の取りようがないさ――――」

 

 

 幾重にも厳重に保管されていた、さび付いた古い鍵。

 それを金庫から取り出し、男がゆっくりとキョン達の方に向き直る。

 

「ほら、これが間宮邸の鍵だ。

 撮影頑張ってね。応援してるよ」

 

 

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 長い雑草が伸び散らかす田舎道を、SOS団を乗せたバスが元気に走って行く。

 

「やれやれ……流石に気疲れした。

 まぁ許可は取れたんだから御の字だが」

 

「お疲れ様です。

 すいませんでした、貴方に任せきりにしてしまって」

 

 辺りは一面、雑木林だ。ひたすら間宮邸を目指してバスは走る。

 今回運転手を買って出てくれた新川さんに感謝しつつ、いま皆は思い思いの席で寛いでいる。

 そんな中で古泉一樹が、彼の隣に腰掛け、ジュースを手渡した。

 彼は「サンキュ」とそれを受け取り、ゴクゴクと飲んでいく。冷たい飲み物が身体に染み渡り、生き返る心地だ。

 

「いいさ、こういうのはいつもお前にばっかやらせてたんだ。

 たまには俺達がやるのもアリだろ」

 

「恐縮です。しかし、貴方には本当に感謝している。

 これで間宮一郎最後の絵が、見られるんですね……」

 

「おっ、珍しくテンション高いじゃないか古泉。

 まぁ俺も似たようなモンさ。こんな機会、滅多にあるもんじゃない」

 

 嬉しそうに微笑む古泉、そしてそれは彼も同じだ。二人は祝い合うように、コツンと拳を合わせる。

 

「正直な? 今ドキドキしてる。こんなのはホント久々かもしれん。

 いったいどんな絵があんだろうって……、昨日はあまり眠れんかったくらいだ」

 

「僕としては、ここまで貴方が間宮一郎のファンになるとは、少々意外でしたよ?

 確かにきっかけを作ったのは僕ですが……まさかここまで好きになって頂けるとは」

 

「あぁ、お前に付き合わされて間宮一郎展に行ったのがきっかけだったもんな。

 まぁ俺も芸術なんて高尚なモンには興味なかったし、

 未だによく分からん部分も多い。ちゃんと理解出来てるとは思わんよ。

 実際あの時も、暇つぶしのつもりでお前に付き合ってたんだから」

 

 そう苦笑しつつ、ジュースをもう一口。

 

「……だが間宮一郎の絵、ありゃ問答無用だったな……。

 一目みた瞬間、電気が走った気がしたよ。一目惚れってヤツかもな」

 

 彼が“一目惚れ“という言葉を放った時、なにやらどこかで〈ガタッ!〉という音がした気がするが、それに気づかず話を続けていく二人。

 

 

「なんて言うか……“生きてる“って思ったんだよ。

 よく美術品には生き生きとしたって表現が使われるが……、

 でも間宮一郎の絵は違う。本当に“命がある絵“なんだよ。

 こんなあったかくて、強くて、心にガツンとくる絵があるもんなのかって――――」

 

 

 どこを見つめるでもなく、彼は間宮一郎の絵に想いを馳せる。

 あの日、心に感じた衝撃を追想する。

 

「ええ。僕も間宮一郎氏の絵を見た時は、震えました。

 生命への賛美、そして途方も無く大きな愛を感じたんです」

 

「というか、こういう時に自分の語呂力の無さが嫌になるな……。

 なんとか言葉を探してはみるんだが、お前みたいに上手いこと言えん」

 

「いえいえ、貴方らしい素敵な表現だと思いますよ。

 少なくとも僕は、すごく共感していますから」

 

 通路側の席に座る古泉は、今ふと目線の先でコソコソとこちらを伺っているハルヒの姿を発見。

 彼女は隠れているつもりなのだろうが、座席の上からカチューシャとリボンがチラチラと見えてしまっていた。大変残念な事に。

 

「というか、俺はハルヒがこの企画をOKした事の方が意外だったけどな。

 別にアイツは絵になんて興味なかったろ? 間宮一郎を知ってたワケでも無いし」

 

「ああ、涼宮さんの場合、芸術よりも“ミステリー“の要素に惹かれたのでしょう。

 間宮一郎は生前、ずっと人里離れた山奥で暮らし、

 そして若くしてひっそりと息を引き取った、謎の多い画家ですから。

 ドキュメンタリーを撮り、その謎に迫る、というのが本願なのではないかと。

 こうして皆で撮影をしに行くというのも、この上なく楽しいですし」

 

 まぁ一番は、他ならぬ貴方の提案(おねがい)だからですけどね――――

 そう言いたいが、古泉は言葉を飲み込んで笑顔を作る。彼にはこの企画の為に頑張って貰った恩義があるのだ。

 我慢ガマンである。この朴念仁め。

 

「うーん。俺が思うに……、

 アイツにとっちゃ幽霊屋敷にでも行くような感じなんじゃないか?」

 

「ふふっ。間宮邸は数十年も放置されてきた屋敷ですから、さぞ雰囲気はあるかと。

 不思議探索は我々の得意とする所。そちらの方でも、楽しんで頂けそうだ」

 

「まぁ不思議はともかく、ハルヒがおばけを怖がってる姿なんぞ想像できんがな。

 アイツはそんな可愛いモンじゃない。

 大はしゃぎで屋敷中を駆けまわる姿しか浮かばんよ」

 

「あのっ……えっと……」

 

 古泉が言葉に詰まる様子に気付く事無く、彼は話を続ける。

 

「おばけをふん捕まえるわよ! なんてバカなこと言い出さなきゃいいけどな。

 いくらSOS団でも、流石におばけの団員が増えるのはごめんだ。やれやれ……」

 

 ……あぁ僕の友人よ。どうかその口を、閉じては頂けませんでしょうか?

 ふと古泉が目線をやれば、そこには例のカチューシャ&リボンがブルブルと怒りに震えているのが見える。座席がギリギリと軋みを上げている音も。

 

 となりに座るみくるは「あわわわ……」と怯え、谷口などは恐怖で目をひん剥いている。

 

 まぁその後なんだかんだとあったが、なんとか古泉一樹の携帯から、閉鎖空間発生の知らせを聞かずには済んだ。

 

 

 

 

 

 

―2―

 

 

 

 元気に走っていたバスが停止し、やがて皆の前に、ここから先が間宮邸の敷地である事を示す大きな門が現れた。

 

 運転手の新川さんには車内で待っていてもらい、門の千錠を解きに一旦バスを降りる一同。

 

「よっし、ちょっと待ってろお前ら」

 

 門にグルグルと巻かれている、錆びた鎖と南京錠。彼がそれにガチャガチャと触れ、解除しようと試みる。

 しかしサビついていて、なかなか上手く外れない。

 

「キョンくぅん、大丈夫ですかぁ?」

 

「おや、これは厄介だ。

 まぁ何十年も雨風に晒されていた物ですからね」

 

「俺がやるかキョン? 鎖を切ってやろうか?」

 

「いや、せっかく許可とったんだ。出来るだけそのままにしときたい。

 えっと……油か何かを差せば……」

 

 そうこうしている内、なにやら後ろの方から〈ズンズンズン!〉という勇ましい足音が聞こえてきた。

 嫌な予感がし、彼が咄嗟に後ろを振り返った瞬間……、辺り一帯に凄まじい轟音が響き渡る。

 

「うりゃぁぁああーーーーーっっ!!」

 

「 ッ!?!? 」

 

 ――――吹き飛ぶように開く門、粉々に砕け散る鎖。

 そう、いま涼宮ハルヒ渾身のドロップキックにより、間宮邸への門は見事開かれたのだ。数十年ぶりに。

 

「 お前なにしてんだッ!! なに無茶してんだッ!! 」

 

「うっさいわね! アンタに任せてたら日が暮れちゃうでしょうが!

 あたしは早く中に入りたいのっ!!」

 

 プイッと顔を背け、ハルヒがズンズンとバスに引き返して行く。その姿を呆然と見送る一同。

 

「涼宮さん……すごく機嫌悪いですぅ……」

 

「どうやら、先ほどの一件が尾を引いているようですね……」

 

「……」

 

 すでに座席に戻り、有希を抱きしめながらツーンと口を尖らせているハルヒ。

 その姿にため息なんかを漏らしつつ、彼らもゾロゾロとバスに戻っていった。

 

 

………………………………………………

 

 

「ここが……間宮邸……」

 

 ハルヒが門を開けて(破壊して)からすぐ、バスの窓から間宮邸が見えてきた。

 遠くから見えるそれにも感心させられたものだが、今こうして目の前にしてみると、その巨大さに圧倒されてしまう。

 間宮邸はそれ程に大きく、立派な屋敷だった。

 

「すっげ……俺洋館なんて、初めて見た」

 

「確かに……。ぼくもこんな立派なお家、見た事ないよ……」

 

「良いお屋敷だねっ! アタシも洋館とかは久しぶりっかな~♪」

 

 谷口、国木田が驚嘆の声をあげる。鶴屋に関してはのほほんとした物だったが。

 

 長年放置され、辺り一帯を森に囲まれた廃屋ではあるが、その風格は健在だ。

 大きな噴水や、天使をかたどった石像。そして屋敷の玄関には、装飾の施された大きな扉。

 

「ここで、間宮一郎は……」

 

「あぁ、絵を描いてた。俺達が見てきた、あの絵を」

 

 驚嘆、そして感慨深さが入り混じった瞳で、彼と古泉が屋敷を見上げる。

 

「そりゃあ、あんな凄い絵を描いてたんだ。

 当然だが、スケールが違うな」

 

「壁画やフレスコ画の作成には、非常に広いスペースが必要です。

 ……しかし、いやはや驚きました。ここで間宮一郎の感性は、

 磨かれていったのですね」

 

 二人並び、まだ見ぬ間宮一郎最後の絵に想いを馳せる。

 ……しかし、そんな彼らの様子を、少し後ろの方でブスッと見つめている少女の姿があった。

 

 SOS団団長、涼宮ハルヒ。

 彼女は今回快く(?)彼の願いを了承したものの……、しかし現在は少しばかりご機嫌斜めであった。

 

(キョンったら……古泉くんと絵の話ばっかり)

 

 過去に美術部に仮入部し「君こそハルトマン鈴木の再来だ!」とかなんとかワケの分からない褒められ方をした経験はあるものの……、彼女には芸術に対する興味は無い。

 そりゃあ絵を描くのは楽しいと思うし、自分だって美しい絵を見れば心が躍る。……しかしキョンや古泉のような憧れも情熱も、抱いた事は無かった。

 

(なによキョン。……ちょっとくらい、こっち向きなさいよ)

 

 彼らについていけない。中に入れない――――

 今も目の前で、嬉しそうに語り合っている二人。その背中を、どこか寂しい気持ちで見つめていた。

 

 

「?」

 

「……ん、あら有希。どうしたの?」

 

 気が付くと、裾をクイクイとひっぱる有希が隣にいた。

 有希は「どうしたの?」とコテンと首をかしげ、悲し気な顔をするハルヒを心配している様子が見て取れた。

 

「たべる?」

 

 はい、と差し出されるキャンディーの缶。その愛らしい仕草に思わずハルヒは苦笑いだ。

 有希の頭をワシャワシャと撫でてやり、とびっきりの笑顔を返す。

 

「平気よ。ありがとね有希♪

 よ~し! それじゃあそろそろ撮影を始めましょうか!」

 

 有希と手を繋ぎ、皆に向かって大声で指示を出す。そして一気に動き出していく時間。

 メンバー達が慌ただしくバスと玄関を往復し、照明やカメラなどの機材の荷下ろしを行っていく。

 

「それはこっちに運んでちょうだい! あ、谷口それはまだいいわ。積み直しといて。

 ほーら時は金なりなんだからねっ、みくるちゃんっ!

 さっさと着替える着替えるっ!」

 

 

 繋いだ手の暖かさ。有希の優しさ。

 それを強く感じながら、ハルヒがあーだこーだと指示を出していった。

 

 

………………………………………………

 

 

「あっ……あのっ……! これ本当に着るんですかぁ……?」

 

 朝比奈みくる。彼女はSOS団の専属女優である。

 過去に彼女を主演にして映画を撮影した事もあり、そのオロオロとした愛らしい演技と何とも言い難い味のある歌声は、今や北高においてちょっとした伝説となっている。

 

 そして今回のドキュメンタリー映画でも、彼女をメインとして作成する。

 女優ではなく“リポーター“という役柄ではあるが、おっかなびっくりと廃屋を探検していく彼女の姿は、さぞ観覧者諸君の共感を呼ぶ事だろう。呼べばいいなぁと思う。

 

「そうよみくるちゃん! 今回の映画はホラーなの!

 ならこれしかないってピンときたわ!」

 

「ふ……ふぇぇ~~っ!!」

 

 例によって、ハルヒにより“衣装“にお着換えさせられるみくるちゃん。ただのコスプレとも言う。

 そして今回彼女が着用させられる衣装は、過去に例を見ない程、えっちぃ物となった。

 

「――――ん゛ふ゛っ!!」

 

「――――こ゛っほ゛ぁ!!」

 

「みっ……見ないでぇ! 見ないで下さいぃ~~っ!!!」

 

 お着換えタイムを終え、ハルヒに伴われバスから降りてくるみくる。その姿を見た彼と谷口が思わず噴き出した。

 

 ――――それもそのハズ。今みくるが来ているのは“ビキニ“だ。

 それも何故か星条旗の模様をあしらった、大変に生地面積の少ない水着である。いわゆるアメリカ水着である。

 みくるの肉付きの良い女性らしい身体は、もう色々と食い込んだり、はみ出したりしちゃって大変な事になっている。ぷるっぷるしている。

 

「キョンくん見ないでぇ! 見ちゃダメぇ~~っ!!」

 

「いやあのっ……! ちょ……!」

 

 なんとか屈んだり覆ったりして胸元を隠そうと奮闘するのだが、悲しいかなその仕草は、ぷるぷる、たゆんたゆんと大変えっちぃ事となっている。

 後の谷口の言葉を借りるなら「来て良かった。生まれてきて良かった」、そう言わしめる程のお姿であった。

 こうして恥ずかしがる姿や、そのウルウルとうるんだ瞳も、存分にみくるのエロさを際立たせている。

 映画に18Rが付かなければ良いのだが。ドキュメンタリーなのだし。

 

「お、お前っ! 朝比奈さんに何着せてんだっ!」

 

「良いでしょキョン! コレすごいでしょ!?

 あたし今回、すっごい自信あったの!」

 

 なんとか衝撃から立ち直った彼が詰め寄るも、ハルヒはニコニコと満面の笑み。「いやぁ~良い仕事したなぁ」と満足気な表情だ。笑顔が眩しい。

 

「ホラーと言えば、エロは必要でしょ?

 ん~っ! いったい誰が考えたんでしょうね! この組み合わせ!

 恐怖とエロの親和性……、これってホントとんでもないレベルよ!」

 

「お前普段どんな映画観てんだ! 今すぐ止めさせろ!!」

 

「ん? なによ、気に入らないの?

 アンタだってホラー映画借りたのにおっぱい出て来なかったら、

 ブルーレイディスクを叩き割るんでしょう?」

 

「割らん! ちゃんと丁寧に扱う! レンタル期限も守るッ!!」

 

「この頭悪そうなアメリカ水着にしたのも、あたしのこだわりなの!

 そしてこのブロンドのカツラ! もうどこからどう見てもアメリカ人女性よね♪

 ……あ、関係ないけどみくるちゃん、今回の舞台が屋内で良かったわね?

 もし海ならアンタ、ぜったいサメに喰われてるわよ?」

 

「朝比奈さんをサメのエサにすんな!!

 確かにサメ映画じゃ、喰われる用の女優さん達いるけどっ!!」

 

 もしサメ映画において、いきなり導入部でセクシーダイナマイトな女性が出てきたら……その人は十中八九、サメに喰われる。

 むしろ喰われる為だけに出てきた、通称“サメのエサ“と呼ばれる役どころの人達なのだ!

 しかし今回の撮影は屋内。決してサメ映画では無い。

 

「わっ……わたしどうなるんですかぁ~?

 たべられちゃうんですかぁ~?」

 

「大丈夫よみくるちゃん! ……今回はね。

 さぁさぁ! それじゃあ早速始めていくわよ!」

 

 なにやらハルヒの目が一瞬〈キラッ!〉と光ったような気がするが、奇しくもそれは皆に気づかれる事は無かった。

 なにか次回作の構想でも思いついたのだろうか?

 

 何故か間宮邸を訪れた、アメリカンビキニの女――――

 そんなシュールとエロさをもって、撮影は開始されていった。

 

 

………………………………………………

 

 

「はい、みくるちゃん。これ鍵」

 

 間宮邸の扉の前。そこに今みくるが立っている。

 いまハルヒが懐から間宮邸の……彼から預かった大切な鍵を取り出し、みくるに手渡した。

 

「さ、カメラまわして。

 みくるちゃん、そのまま開けちゃおっか?

 よーい………………アクション」

 

 谷口がカメラを構え、国木田と古泉が反射板を受け持つ。

 鶴屋、有希、プロデューサーであるキョンが見守る中……ゆっくりとみくるが扉の前に歩いて行き、鍵を差し込んでいく。

 

「……あ、あれぇ? ……あれぇ?!」

 

 緊張しつつも、しっかりと鍵穴に差し込む。しかしどれだけガチャガチャと回そうとも、鍵が開く様子は無い。

 みくるの困った声だけが、静かに辺りに響く。

 

「カットぉ! ……どうしたのみくるちゃん? 開かない?」

 

「えっと……あれぇ? あれれ?」

 

「ふむ、古い建物ですからね。中が錆び付いているのかもしれません」

 

「鍵は合ってるハズなんだが……。

 ちょっと貸して下さい朝比奈さん。俺がやります」

 

 鍵穴には入る、サイズから見ても決して間違ってはいないんだろう。

 しかし、やはりどれだけやっても開かない。あまり無理にやると鍵が壊れてしまいそうだ。

 

「んっ! んっ! このッ!!

 ……うーん、イカンな」

 

「あらら、だいじょぶにょろキョンくん?」

 

「一度サビ取りスプレーを試してみますか? 確か車に積んでいたハズです」

 

「うん、それが良いよ。

 壊しちゃってもつまらないもんね。ぼく取ってくるから」

 

「おう、すまんな国木田」

 

 扉から視線を移し、国木田に礼を言おうと振り返ったその時……。

 ふと彼の視界の端に、なにやら「おいっちに! おいっちに!」と準備運動をしているらしきハルヒの姿が映った。

 

「――――――取り押さえろッ!! ハルヒがアップをしている!!!!」

 

「「「 !?!?!? 」」」

 

 突然の声に驚きつつも、即座に行動を開始するSOS団のメンバー達。

 今にも扉に向かって突進しようとしていたハルヒに勢い良く組み付き、くんずほぐれつしながら取り押さえる。

 

「……ちょ! なによアンタ達!? なんで分かったのよっ!?」

 

「うるさいバカたれ!! 無茶すんなって言ってんだろうが!!」

 

「落ち着いて下さい涼宮さん! 殿中です!!」

 

「ドロップキックはダメですぅ! 危ないですぅ!」

 

「だめ」

 

 キョンが羽交い絞めにし、みくると有希は腰にしがみつき、古泉が通せんぼ。

 SOS団の勇気ある行動が今、見事涼宮ハルヒの蛮行の阻止に成功したのだ!

 

「離してよ! 離してよキョン!

 あたしのこの手が光って唸るッ! 扉を破れと轟き叫ぶのよっ!!」

 

「破らんでいい! 落ち着け! 仮にも人様の家だろうが!!」

 

「この衝動を大切にしたいの! いつだって心に従って生きてきたのよ!

 そんな人間が一人くらいいたって良いでしょう?! ねぇキョン!!!!」

 

「かもしれん! だが扉は壊すなッ!!

 お前ただドロップキックしてぇだけじゃねーか!!」

 

「なによ! いいじゃないっ!

 激情に身をゆだねても良いじゃない! こんな時代だもの!」

 

「何がお前をそうさせんだッ!!

 暴れんな! 止まれっ! やめんかッ!!」

 

 三人がかりで拘束されるも、がんばって「ふんぎぎぎ……!」と振りほどこうとするハルヒ。額に青筋が浮いている。

 

「いい? 人間はね? 普段は全体の30%ほどの力しか使う事が出来ないのっ!

 しかしあたしは残りの70%を引き出す事に成功したのよ!

 ぜったいに振りほどいてやるわっ!!」

 

「どこの北斗神拳だお前!! ユリアに殴られろバカ!!」

 

「むきぃー! 離しなさいよアンタ達! ……なによ! あったかいじゃないっ!!

 こんなみんなに抱き着かれたってね? ハグされたってね?

 別にあたし『あったかいな……嬉しいな……』とか思ってないんだからねっ!!!!

 ほら! もっと来なさいよほら! ギュってしなさいよ!」

 

 ギャーギャー喚きながらドタバタと暴れるSOS団のメンバー達。辺りに騒がしい声が響く。

 

 

「面白いよねぇ、SOS団って」

 

「だねっ。けどアタシは見てる方が好きっかな~?

 そっちの方が、きっと面白いにょろ♪」

 

 

 国木田と鶴屋の両名は、少し離れた場所でみんなを見守る。

 

 やがて扉が駄目だと知った谷口が窓から侵入し、中の方から玄関を開けてくれた事に気が付くまで、このドタバタは続いた。

 

 

 

 

 

 

 

―3―

 

 

 

「……わぁ。広いですぅ……」

 

 ギギギギ……と音を立てて、大きな扉が開いた。

 肩を寄せ合って扉を抜ければ、そこにあったのは広大なエントランスホール。

 

「本当に城だぜコリャ……。

 いったいなに考えて、こんなバカでかい家建てたんだよ?」

 

「豪華だね……。とてもいち家族が住む家とは思えないや」

 

 一歩屋敷の中に入った途端、驚嘆の声を漏らす一同。各々が手にある懐中電灯やランプで、中の様子を照らしていく。

 

「さすがに埃っぽいな。それにカビの匂いもする」

 

「老朽化に加え、どこかで浸水もあるのかもしれません。

 この数十年、誰一人として入る事が無かった屋敷ですから。致し方ないかと」

 

「有希、あんましウロチョロしちゃ駄目よ? 暗くて危ないからね。

 ……じゃあみくるちゃん、とりあえずそこの階段に上がってみてもらえる?

 ゆっくりと階段を歩きながら、屋敷の印象をリポートする感じで」

 

「は……はいっ!」

 

 装飾の施された、曲線を描いて二階へ続く大きな大きな階段。そこをビクビクしながらみるくが上っていき、ちょうど中ほどあたりの位置で立ち止まる。

 

「そうね、そこらへんで良いわ。じゃあカメラまわすわよ、みくるちゃん。

 よーい………………アクション」

 

 心細い薄明かりだけが照らす暗闇の中、ハルヒの声がエントランスに響く。

 今、SOS団の間宮邸ドキュメント映画の撮影が、開始された――――

 

 

 

『え、えっと……。わたしは今、間宮邸にいます。

 すごく暗くて、とても埃っぽい匂いがしますぅ。こわいですぅ……』

 

 

 縮こまりながらも必死にマイクを持ち、少しづつ階段を降りながら、みくるがリポートを行っていく。

 その様子を、皆が固唾を飲んで見守っている。

 

 

『天才画家、間宮一郎は……数十年前ここでひっそりと、息を引き取りました』

 

 ギギギ……。ギギギギ…………

 

『以来、間宮家は……後を継ぐ者もなく断絶』

 

 ギギギギギ……ギギギギギギギ……!

 

 ザザザ……

 

 

「……ん?」

 

「おい……何だ?」

 

 何かが軋む音。何かが崩れていくような音がきこえる――――

 

 

『この数十年もの間……誰ひとりとしてっ……』

 

 ギギギギ……ギギギギギギ……!!

 ギギギギギギギギギギ…………………!!!!

 

 

「……おい、何の音だこれ!」

 

「!?」

 

 音が大きくなる。

 屋敷が揺れるような、轟いているような音がする。

 

「いかん! ハルヒッ!!」

 

「ッ!」

 

 何者かが、うめいているような(・・・・・・・・・)――――

 

 

『足を踏み入れるものは……なかったのですぅ!!』

 

 

 ギギギギ……ギギギギ……。

 

 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ!!!!

 

 

 

『き―――――キャァァァァアアアアアアアアア!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みくるの叫び声――――――

 

 その瞬間、凄まじい轟音と共に、天井が崩れ落ちた。

 

 

………………………………………………

 

 

 

「……」

 

「…………」

 

 目を見開き、放心している一同。

 頭を抱え、その場で蹲っている、みくる。

 

「…………ハルヒ。大丈夫か」

 

「……ッ」

 

 気が付くとハルヒは、キョンに覆いかぶさられ床に倒れ込んでいた。

 その胸にしっかりと、有希を抱きしめたまま。

 

「……えっ。……あ、あたし……」

 

「どこか痛む所は? 怪我は無いか二人とも」

 

 分からない。何が起こったのか――――

 ただ突然轟音が鳴りびいた瞬間、ハルヒは咄嗟に身体が動き、傍に居た有希を抱きしめた所までは憶えている。

 必死で。この子を守るようにして。

 

「天井が崩れやがった。お前と長門の上に落ちてきたんだよ。

 焦ったぜ俺は……」

 

 鼓膜を揺らす程の音を立て、突然崩れ落ちてきた瓦礫。

 もし彼が助けてくれなければ、抱きしめていた有希ごと床に押し倒してくれなければ……今頃どうなっていたかなど想像もしたくない。

 それ程に、巨大な瓦礫だった。十二分に人を殺せる程の。

 

「ほら、立てるか? 歩けるか二人とも」

 

 やがてゆっくりと彼の身体、ぬくもりが離れていき……そこでようやくハルヒは思考を取り戻す。ぼんやりしていた思考が晴れていく。

 

 

「みんな、気をつけていこう。

 この屋敷、相当ガタがきてやがる――――」

 

 

 立ち上がり、彼が声をあげる。

 その途端、止まっていた時が動き出したかのように、皆が彼の下に駆け寄った。

 

 

………………………………………………

 

 

「大丈夫だって言ってんだろ。ただの擦り傷だって」

 

「し、しかし……」

 

 彼が怪我を負った。落ちてきた瓦礫が肩に直撃し、軽度ながら打撲を負ったようだった。

 いま皆はいったん明るい外へと出て、心配そうな顔で彼を取り囲んでいる。

 

「ちゃんと腕も動くし、大した痛みじゃないさ。

 まぁ荷運びとかはしばらく勘弁して貰いたいが……谷口、頼めるか?」

 

「お、おう! 任せとけよキョン!!」

 

「ねぇ、車もあるんだし、念のため病院で診てもらった方がさ……?」

 

「大丈夫ですって鶴屋さん。ほんと何でもないです。

 でももし腫れてくるようなら、ちゃんと鶴屋さんの言う通りにしますから」

 

 嫌がる彼の服を無理やり引っぺがしたハルヒが、彼に処置を施していく。

 どうやら彼の言う通り本当に軽度の打撲で済んだようなので、患部を冷やして湿布を張る程度で済んだが、先ほどの事を思い返すと身体が震えてくる。

 

 彼の健康的な肌や、意外とたくましい身体を見ても、今は赤面などしていられない。ハルヒは真剣その物だった。

 

「ごめんなさい、僕が付いていながら……。

 貴方と涼宮さんを危険に晒すなど、あってはならないというのに……」

 

 奥歯を噛みしめ、古泉が痛恨の表情を浮かべる。

 彼の肩に施された治療の後を見つめ、思い詰めている様子だった。

 

「お前なぁ……堅苦しく考え過ぎだぞ。

 せっかくの間宮邸だろ? もっと気楽にやったらどうなんだ。

 あんなに楽しみにしてただろう」

 

「し、しかし……」

 

「それにな? 言いたか無いが、これは俺が勝手にやっちまった事だ。

 ……俺なんぞが出しゃばらんでも、長門なら絶対に、ハルヒを守ってくれた。

 なら俺がやったポカなんだから、お前が気に病んでんじゃない」

 

 古泉にだけ聞こえるよう、ささやき声に話す。

 ふと視線をやってみれば、有希もいま心配そうな瞳でこちらを見ているのが分かり、彼は苦笑してしまう。

 

「ほら、お前もだぞハルヒ? いつまでもしょぼくれてるんじゃない」

 

「でも、キョン……」

 

「お前ディレクターだろ? お前以外の誰が指揮するんだ。誰が皆を引っ張るんだ。

 いつもみたく、元気にやらんでどうする」

 

 いつもらしからぬ、シュンとした顔。

 そんな彼女を元気づける為、彼が出来るだけの、精一杯のあたたかな笑みを浮かべる。

 想いを託すように。

 

「な? 頼むよハルヒ。

 今回の企画、全部お前にかかってるんだ。……任せたぞ?」

 

「――――う、うん!!

 分かったわキョン! まっかせときなさい!!」

 

 花のような笑顔が咲く。

 彼の想いを受けて、ハルヒが自分らしさを取り戻していく。

 

「とにかく、あの暗闇の中で大人数が歩き回るのは無茶よ。

 老朽化も酷いし、床が突然崩れるかもしれない。ランプを頼りに歩くのは危険だわ。

 見た所、ここ電気も電話も通ってないみたいだけど……、

 でもこれだけ大きな屋敷だもの、きっとどこかに“発電機“があると思うの。

 あたしの勘だけどね」

 

 ハルヒがバスまで歩いて行き、積んであった小型のガソリンタンクを取り出し、谷口に手渡す。

 

「谷口、何人か連れてって良いから、発電機を探してきて頂戴。

 きっとおっきな機械だから……屋敷の中というより、この敷地内のどこか。

 小屋か何かの中にあるんじゃないかと思うわ。行ってきてくれる?」

 

「了解だぜ涼宮! うっし、そんじゃあ行こうぜ国木田!」

 

「うん! じゃあ行ってくるよキョン。しばらくじっとしててね?」

 

「アタシも行くよんっ! 屋敷の周りを探検っさ!」

 

 

 意気揚々と駆け出して行く三人。

 その頼もしい背中を、SOS団のメンバー達が微笑んで見送った。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「あっ、きっとこれだよ! 涼宮さんが言ってたの!」

 

 草や木の伸び散らかした、間宮邸の中庭。

 そこをもう泳ぐようにして必死こいて歩き、やがて三人は、古びた小屋のような建物を発見するに至った。

 

「あー鍵かかってんな。

 よっし、ちょっとどいてろ? ――――ふんぬっ!!!!」

 

「おぉ! すっごいねぇ谷口くんっ! 力持ちっだね!」

 

 小屋の扉には錆びた南京錠が掛けられていたが、気合一発。谷口がそれを破壊する。

 風化寸前だった扉の金具は、谷口によってあっさり引き千切られた。

 無事に扉を開ける事が出来た三人は、ゾロゾロと小屋の中に進んでいく。

 

「……ビンゴだぜ、アイツの言った通りだ」

 

「うん、間違いない。これが間宮邸の発電機だよ」

 

「にょろね♪」

 

 中にあったのは、予想通り、大きな機械。

 さっそく手分けして機械を確認し、中に燃料となるガソリンを注ぎ込む。そして機関部にベルトを巻き付けていき、最後に勢いよく始動の為の紐を引っ張る。

 

 古びた機関部からブワッと埃が舞うと共に、大きなエンジン音が辺りに響く。

 彼らは見事、発電機を動かす事に成功したのだ。

 

「うお゛っ! ……おぉ電気つきやがったじゃねーか! 眩しっ!!」

 

「うん、これで屋敷の中も、今ごろ明かりが灯っているハズだよ」

 

「やるねぇー谷口くん国木田くぅんっ! お姉さんちょっと見直したっさ♪」

 

 発電機が始動した証として、小屋の内部に明かりが灯り、一気に視界が明るくなる。

 これでもう、暗闇とはおさらばだ。思う存分屋敷を探検できる。

 そう三人は笑い合い、皆の待つ屋敷へと引き返していった。

 

 

 

 

「………………あれ? ねぇ二人とも、あれ何だろう?」

 

 任務を終え、堂々の凱旋。

 そう誇らしい気持ちで帰還している道中……国木田が二人に声をかけた。

 

「ん? なんだありゃ? 石かぁ?」

 

「石が……積んであるのかぃ?」

 

 国木田が指さした方を見てみると、そこにあったのは、積みあげられた石で出来たオブジェ。

 その姿はどこか、小さな“塔“のように見えた。

 

「気味が悪ぃなコレ。まるで墓じゃねーかよ」

 

「いや……これお墓かもしれない。石を積み上げて作ったお墓なのかも」

 

「ホントに……? でもな~んでこんな場所に、お墓があるのかなぁ?」

 

 近づいて見てみれば、明らかにそれは人工的に作られた物。何かしらの目的を持って建てられた物だという事が分かる。

 だがその意図も分からなければ、名前を示す物も見当たらない。

 

 彼らがこの塔をお墓だと思ったように、これがどことなく“物悲しい雰囲気“をしている事……。それだけが三人に分かる、全てだった。

 

「……ちょ! ふたりとも!」

 

 塔を観察しながらウンウンと唸っていた二人の意識を、国木田の声が呼び戻す。

 

 

「――――この塔、崩れてる(・・・・)。壊されてるよこれ!」

 

 

 ふと見渡せば、辺りには恐らく塔の一部であったであろう、いつくかの大きな石が転がってしまっているのが見えた。

 

「なにぃ!? お、俺ぁ別になんにもしてねぇぞ!? 悪さはしてねぇ!!」

 

「分かってるよ谷口、ぼくらずっと一緒にいたじゃないか。

 でも、なんで壊れて……」

 

「ここには何十年もの間、だれも入ってないんでしょ?

 なら嵐や台風で崩れたのかもだけど……。ひどいよ……」

 

 

 元の形なんて、分からない。これがどういった物だったのかも分からない。

 けれど三人は辺りに転がっていた石を集め、せめてもの想いで、塔のそばに集めておいた。

 勝手に触れてしまったけれど……どうか許して下さい。そう想いを込めながら。

 

「なんまんだぶ、なんまんだぶぅ……。成仏してくれぇ……!」

 

「谷口……なんだよそれ。これが何なのかも、ぼくら分からないのに」

 

「でも大事だよ。こういうの。

 よし、アタシもや~ろおっと! う~ん、なむなむ……」

 

 

 手を合わせる。せめて、祈りを込めて――――

 しばらくの間、そうして三人はこの場で佇んでいた。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「キョン、埃ついてる、埃」

 

「ん、まだ付いてるか? まぁ構わんよ、家に帰ったら洗うさ」

 

「何いってんのよアホキョン、ちょっとそっち向きなさいな」

 

 ハルヒが彼の背中をパンパンと叩き、服に着いた埃をはたいていく。隣にいる有希もそれをマネし、一緒になってパンパンとはたく。

 なにやら女の子ふたりに甲斐甲斐しくお世話され、若干気恥ずかしい気持ちになっている彼だった。

 

 そうこうしながらSOS団の面々は、間宮邸の中を歩いていく。

 先ほど谷口らも帰還し、無事に屋敷中に明かりが灯った事を確認。彼らに労いの言葉をかけた後、行動を再開するに至った。

 まずは一階を探索してみる事となり、いま皆で屋敷の廊下を歩いている最中だ。

 

 明かりが灯り、彼らの目に屋敷の全貌がハッキリと映るようになった。

 やはりそこは途轍もなく広く、そして古びてはいても美しいと感じられる、まるでお城のような洋館だった。

 一同は興味深く辺りを見回しながら、みんなで固まって歩いて行く。

 

 先ほどの撮影時に怖い目に合い、未だビクビクとしている朝比奈みくる。そんな彼女の傍に今も優しく付き添っている鶴屋の姿が、とても印象的だった。

 

「おっ、ここ入ってみるかハルヒ?」

 

「そうね。目につく所は、全て入っていくわ。

 扉という扉を開け放つのよ! 開けずにはおかないわ!

 あたしを誰だと思ってんのよ!」

 

 なにやら妙なテンションになっているハルヒはさておき……やがて一同はひとつの扉の前に辿り着く。

 ハルヒが率先して前に出て、ゆっくりとノブを回す。

 そして扉を開けた先。そこには学校の教室よりも大きく作られているであろう、ただっ広い空間があった。

 

「おい古泉、あれ……!」

 

「ええ。間違いありません」

 

 壁画だ。

 部屋に入った途端、視界いっぱいに広がる、大きな大きな壁画がそこにあった。

 

 

「やはり、あったんですね。

 間宮一郎、最後の絵が――――」

 

 

 

 その壁画は長い年月の経過により埃に覆われており、未だその全貌はハッキリとは伺えない。

 しかし、それは間違いなく、彼らが追い求めてきた物。

 

 伝説の画家、間宮一郎が描いた、生涯最後の絵。

 

 その大きさ、その迫力、その神々さ。

 子供たちはただただその光景に圧倒され、呆然とし、その場に立ち尽くすばかり。

 そんな中――――

 

「おっけ! いったん探索は中断! ここを拠点としますっ!!

 とりあえずこの部屋に機材を運び込むわよっ!

 照明、モニター、ケーブル、脚立、掃除道具……その他ぜんぶ!

 じゃんじゃん持ってきなさいっ!」

 

 

 ハルヒの指示の下、一転してまた慌ただしく動きだすメンバー達。

 ついに目的の物を発見し、みんなの志気が最高潮に高まっていく。

 

 それに釣られておもわず彼も動こうとしたのだが……、ハルヒにゲシッと蹴りを入れられ、その場にあったソファーに押し込められてしまう。

 

「――――アンタはいいのよ! じっとしてなさい!

 一歩でもそこを動いたら、タダじゃおかないからねっ!」

 

 ハルヒの命により、有希がチョコンと彼の膝に座る。

 まるで「ここを動くな」と言わんばかりに。重しの代わりなのだろうか?

 

 

「さぁ忙しくなるわよみんな!

 いっちょ最高のドキュメンタリー映画、撮ってやろうじゃないっ!!」

 

 

 威勢よく手をパンパンと叩き、みんなを鼓舞するハルヒ。

 その大きく元気な声が、間宮一郎最後の壁画の間に、響いていった。

 

 

 

 

 

 

 

―4―

 

 

 

「長門、コーヒーでも淹れようか?

 最近ちょっとハマっててな。コーヒーメーカーを持ってきたん……」

 

「私がやる。座って」

 

 椅子から立ち上がろうとする彼の肩をグッと押さえ、無理やり座らせる。そうしてから有希は携帯式コンロを使い、コポコポとお湯を沸かし始める。

 その姿に、彼はもうため息しか出ない。

 

「はぁ……。まさか部屋を追い出されるとはな」

 

「安静にするべき」

 

 探し求めていた絵を発見し、早速作業に取り掛かっていったメンバー達。

 現在は古泉が絵から埃を取り除く作業を行っており、次第に全貌があらわになっていくその様子を撮影している所だ。

 

 ちょうど屋敷に放置されていた車椅子を見つけたので、カメラマンの谷口を乗せ、それをハルヒが後ろからグリグリと押していく事により、思い通りの映像を撮っていく。

 他のみんなも照明を担当したり、機材を運んだり、食事の準備をおこなったりと大忙しである。

 

 しかしそんな中、彼は現在、別室にて待機させられている。

 頑張っている皆の姿を見てか、どれだけ注意されようとも隙を見てはちょこちょこ働こうとするので、ついに堪忍袋の緒が切れたハルヒにより部屋を追い出されてしまったのだ。

 

 ここは例の現場とは別の、休憩用に宛てがわれている部屋である。

 どれだけ彼がごねようともハルヒは意見を曲げず、おまけにお目付け役として、しっかり有希まで付けられる始末。くちおしい事この上ない。

 

「長門、許してくれよ。もう無茶はしないって」

 

「だめ」

 

「なぁ頼むよ……。あいつら頑張ってんのに、俺だけ休んではおれんよ。

 な? 俺たちもあっちの部屋にさ」

 

「だめ。今回は涼宮ハルヒの指示を優先する。許可出来ない」

 

 そして有希はポスッと彼の膝に座る。「動いちゃダメ」とばかりに。

 その様はもう「つーん」というような感じで、まったく彼の願いを聞くつもりは無いようだ。

 とても愛らしくはあるけれど。

 

「やれやれ……参ったよ。俺の負けだ。

 んじゃあ俺たちはコーヒーでも飲んで、まっくりしとくか」

 

 やがて完全に兜を脱いだ彼は、改めて椅子に深く身体を預ける。

 有希を膝に乗せながら、一緒にまったり寛ぐ姿勢に入った。

 

 彼女がとても気遣ってくれているのも分かるし、流石にずっとこのままというワケでも無いだろう。

 恐らくは今の作業がある程度終わり、そして絵の修復が無事に済んだ頃には、自分も現場にて撮影に立ち会わせて貰えるハズだ。

 故にこれも今だけの辛抱と、お言葉に甘えてのんびりしておく事にした。

 

「けが」

 

「……ん、なんだ長門?」

 

「いたむ?」

 

 やがてコーヒーメーカーのコポコポという音を聞きながらまどろんでいると、膝に居る長門がボソリと喋り出した。

 この態勢では、彼から表情は伺えない。しかしその声色が、とても悲し気な色を帯びているのが分かった。

 

 

「ごめんなさい――――」

 

 

 あの事故を阻止出来なかった事。彼に怪我を負わせてしまった事。

 有希を良く知る彼でさえ今まで聞いた事が無かった程の、悲し気な声が……静かに部屋に響いた。

 

「……ったく」

 

 気にするな、と言いたかった。

 お前のせいじゃない、俺が勝手に怪我したんだと、そうおどけたかった。

 しかし今の有希の真剣さ、その沈痛さを感じ、彼はごまかしの言葉を口にする事が出来ない。

 だからせめて、万感の想いを込めて――――頭をヨシヨシと撫でてやる。

 

「?」

 

 有希はキョトンとした顔で彼を見上げる。対して彼は、優しい笑みで有希を見つめている。

 それはまるで、お父さんがするみたいに――――

 

「ほら、そろそろ出来たみたいだぞ? 頼めるか?」

 

 有希がコクリと頷き、コーヒーを注ぎに行く。

 僅かに眉をハの字にし、「ムムム……」という感じで真剣に作業する様子を、彼は微笑ましく見守る。

 

「……む、美味いな。俺が淹れたヤツよりよっぽど美味いかもしれん。

 やるな、長門」

 

 なにやら複雑そうにしつつも、自分の淹れたコーヒーを美味しそうに飲んでくれる。

 そんな彼の姿を見つめながら……、有希は今、ひとつ心に決めた事がある。

 

「旅先においては、見知った相手が特別に見えてくるものだ、という話を聞いた」

 

「ん?」

 

「これは好機。逃す手は無いと思われる」

 

 マグカップを可愛らしく両手で持ち、なにやら真剣な顔の有希。

 対して彼はポカンとしてしまっている。

 

「この機会に、貴方たちの距離を縮める事を推奨。

 私は二人への協力を約束する」

 

「長門?」

 

 有希はいつも通りの無表情だ。しかしその瞳は、何故が燃えるような使命感を宿しているように見える。

 

「まかせて。今をもってこの身は修羅となり、二人の想いを繋ぐ架け橋となる。

 愛の修羅」

 

「長門?」

 

「まずは、今から屋敷の中の探索に行く事とする。

 舞台となるこの場を把握しておく事は、作戦行動において非常に重要。

 許可を」

 

「お、おう?」

 

 

 有希が意気揚々と扉を出ていく。「いざ出陣」といった面持ちで。

 

 後にはあっけに取られた顔の彼と、未だ湯気の立つマグカップだけが残った。

 

 

………………………………………………

 

 

「どうキョン? しっかり安静にしてる?」

 

 有希が出かけていってからすぐ、彼が寛ぐこの休憩室に、ハルヒが現れた。

 恐らく撮影の方もひと段落着き、現状は古泉の作業待ちに入ったのだろう。

 

「おう、お陰様でな。のんびりさせて貰ってるさ。

 お前もコーヒー飲むか?」

 

「ありがとっ。頂くわっ。

 ……ってあれ? 有希の姿が見えないけど、あの子は?」

 

「あぁ、アイツさっき、ふらっと出ていったよ。

 屋敷の中を探索してくるんだとさ」

 

「そうなの? あの子がアンタから離れるなんて、珍しいけど……」

 

「心配せんでも、勝手に動いたりはせんよ。

 長門の言い付け通り、ここで大人しくしてるさ」

 

「ふむ。でもまぁ、そっか……。

 多分あの子も、思う所があるんだと思う」

 

 確かに彼の傍を離れるというのは有希らしくない行動だが、ハルヒにはその気持ちが少し分かるような気がした。

 なぜなら彼は、自分とあの子を守る為にこそ、この怪我を負ったのだ。

 

 あの子が責任を感じているであろう事は自分にも分かるし、もしかしたらこれ以上彼に危険がおよばないように、少しでも危険を減らす為にと、屋敷内を確認しに行ったのかもしれない。

 フムと腕を組み、ハルヒはそう結論を下す。

 

「いい子よね、有希って」

 

 どこを見るでもなく、ハルヒは微笑を浮かべる。

 

「なんだ突然? まぁ俺も、その通りだとは思うが」

 

「無口で大人しいけど、あたしあんな良い子を他に知らないわ。

 とっても優しい子だもの、有希は――――」

 

 思い出すのは、今日までの日々。いつも有希は傍に居てくれた。

 嬉しい時も、悲しい時も、寂しい時も。

 いつも静かに寄り添ってくれたのだ。手を握ってくれた。

 

「だな。アイツにはいつも助けられてる。

 もうアイツの為だったら何でもしてやりたいって、そう思ってるんだ」

 

「あら、なによ優しい顔しちゃって。

 有希のお父さんにでもなったつもり?」

 

「お前こそ、人の事は言えんぞ?

 いっぺん鏡でも見てみろ。お母さんみたいな顔したヤツいるから」

 

 憶えている。あの時まっさきに長門を守ろうとしたのは、ハルヒだ。

 長門を瓦礫から庇うようにして、目を瞑りながらも必死に抱きしめていた事を、彼は憶えている。

 咄嗟の瞬間に出た、我が身を顧みない姿。それは正になんじゃないかと、彼は思う。

 

「こんな若い身空でお母さんなの? ふふっ、お互い大変よね♪」

 

 

 しばしの間、向かい合ってコーヒーを楽しむ。

 そんなハルヒとの心地よい時間を、彼は楽しんでいった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 屋敷の廊下を、トコトコと歩く。

 

 長門有希は現在、間宮邸を探索中である。いわば長門有希探検隊ともいうべき雄々しき姿であった。

 いつもの如く無表情だが、どことなくフンスフンスと勇ましく廊下を進んでいく。

 

 明かりは灯ったものの、この屋敷は老朽化が酷く、どんな危険があるか分からない。ゆえに有希は注意して歩き、床や周りの状態などを確認しながら進んでいく。

 もう二度と、彼と彼女を危険に晒すような事は、あってはならない。

 そうしかと心に刻み、探索をおこなっていった。

 

 ……あの事故の瞬間、自分は統合思念体の力を行使し、天井が崩れる事を阻止しようとした。

 大切な彼女の身を守るべく、確かに動いていたハズだったのだ。

 

 だが出来なかった(・・・・・・)。有希が行使したハズの力は発揮される事無く、結果天井は崩れ落ちてきた。

 その原因が、分からない。未だに判明していない。

 

 確かに不気味な屋敷だ。長く放置され、老朽化の進んだ危険な屋敷である事は分かる。

 だがそれを差し引いても、この屋敷には、何かある――――

 有希は備わった力ではなく、自身の直感として、そう感じていた。

 

 

 

 やがて有希は、恐らく寝室か何かなのであろう一室へとたどり着く。

 中を覗いてみると、そこには豪華で大きなベッド、そしていくつかの家具類が見える。

 窓からの光が薄く差し込み、落ち着いた雰囲気を醸し出しているように思えた。

 

「……」

 

 トコトコと中へ進み、何気なくそこにあったベッドに触れ、ポフッと腰掛けてみる。

 ふと傍にあるテーブルを見れば、そこには恐らくはこの屋敷の夫人の物であろう、古びた宝石類がいくつも見られた。

 

「?」

 

 何気なく手に取ってみる。

 それは真珠だと思われる、まるでお姫様が身に付けるような豪華な装飾のネックレス。

 古くはあってもその輝きを失わない、目を奪われるような美しさのネックレスだった。

 

 一瞬これを付けてみようかと考えた有希だが、すぐに思い直し、元の位置に戻す事とする。

 後でハルヒやみくるにでも教えてあげれば、さぞ喜んで貰える事だろう。その時までこれは、このままにしておこうと思う。

 

 思わず手に取りはしたが、これは自分にはきっと、必要の無いもの。

 何故なら自分は、欲しいものは“持っている“。大切な人達がいつも傍に居てくれるのだから。素直にそう思える。

 

 ふと目線をやってみると、ベットの傍らには何やら小型の機械。恐らくは写真などを投影する“映写機“らしき物が置かれているのを発見。

 有希は何気なく映写機に歩み寄り、軽く状態を確認してから、スイッチを入れてみた。

 

「……」

 

 薄明かりの中、前方の壁に映像が映し出されていく。

 

 これは、女性の姿だろうか? 恐らくこの屋敷のどこかで撮ったのであろう、女性らしき人物の姿が目の前に現れた。

 有希はその映像を、暫しの間、ただじっと眺める。

 

「ッ!」

 

 

 ――――片目が無い(・・)

 

 

 長い髪に隠れて分かりにくいが、確かにその女性の右の目は、何者かに抉られたかのように存在しない事に有希は気付く。

 とても美しく、母性を感じさせる佇まい。しかしその一点だけが、痛烈な違和感を持って訴えかけてくる。

 

「――――ッ」

 

 

 燃えていく。メラメラと――――

 

 

 いま有希の眼前に映し出されている女性が、突然溶け出すようにしてジワジワと燃えていき、その美しい姿が炎によって侵食されていく。

 

「……ッ! ッ!」

 

 目をやれば、いま映写機から煙が上がり、ブスブスと音を立てているのが分かった。

 彼女らしくない慌てた様子でスイッチを切り、急いで火災の恐れが無いかを確認。窓を開け放ち煙を外へ逃がしていく。

 部屋にドタバタという音が響く。

 

 

 

 パチパチと燃えていく、片目の無い女の人――――

 

 いま見た物を気にしている余裕など、有希には無かった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「見事だ……。端正で、しかも命がある」

 

 古泉が小さく頷く。

 いま彼と古泉の二人は、顔を寄せ合いながらモニター画面を眺めていた。

 

 そこに映るのは、間宮一郎の絵。

 今しがた、ようやく埃の除去を終え、その全貌を表した壁画であった。

 

「これは……女神か? 俺には母親のようにも見える」

 

「えぇ、この微笑みは、胸に抱いた我が子へと向けた物でしょう」

 

「なんにせよ、あったけぇな……。

 俺には構成だの色使いだの、そんな難しい事は分からん。

 ただこの絵が物凄く“やさしい“って事……それだけは分かる」

 

「慈愛、ですね。僕もそう思います」

 

 絵を見つめ、放心している様子の二人。その後ろからハルヒが腕を組んで覗き込み、ウムムっと唸り声をあげている。

 あたしもなんか上手いこと言いたい……。仲間に入りたいっ!

 そんな悩みと葛藤が見て取れるが、なかなか上手くはいかないようだった。

 

 やがてそんな風してに三人が絵を眺めていると、なにやらモニター内に〈ニュッ!〉っとアップになる谷口の顔。

 なにしてんだお前、そこをどきなさい。そう声をあげるも、現場にいる谷口に聞こえるハズも無かった。

 しかし……。

 

『なぁちょっと! みんな来てくんねぇかな?! ……なんかおかしいんだよ』

 

 

 モニターを通して語り掛ける、谷口の声。

 それを聞き、不思議そうに三人が顔を見合わせた。

 

 

 

 

「ほらっ! こんなトコにも絵が出てきちまったんだよ……」

 

 谷口に連れられ、食堂らしき広い部屋へとやってきた一同。

 そこにはすでに国木田や鶴屋達の姿もあり、キョロキョロと部屋の中を見回している様子が見て取れる。

 

「ほらこっちにも! 朝比奈さんトコにも! いったい何なんだよコレ……」

 

 言われるがままに辺りを見渡す彼ら。

 確かに谷口の言う通りだ、あの修繕を行った壁画だけでなく、この食堂にも壁画が施されている。

 間宮一郎が残したのは、あの絵だけでは、無かったのだ。

 

「……食堂全体が、絵になってるんだ……」

 

 彼がボソリと呟く。

 いま彼らの視界は、四方八方を巨大な絵によって囲まれていた。

 

「う~ん……これって何だろう?」

 

「何かの扉ぁ……なのっかな?」

 

 国木田が指さした先。そこには壁画に描かれた扉のような物が見える。

 年月の経過によりその全貌は伺えないが、かろうじて埃を逃れている絵の部分部分が、断片的にではあるが見る事が出来る。

 

 国木田の言うその扉は、いわゆるドアのような物ではなく、丸い円型の物。

 金庫、かまど……いやまるで“焼却炉“にあるような、鉄製の扉に見えた。

 

「ねぇ、こっちは炎かしら?」

 

「炎……か? それにしちゃあ黒いが……」

 

「あぁ? これ木じゃねぇのかよ? なんかそれっぽくねぇか?」

 

 思い思いに絵を観察するメンバー達。しかし突然古泉が、驚いたような声を上げる。

 

「……違う、これは人間(・・)です!

 ほら……あれが髪で、顔がコレで」

 

「人間、だと……? なら目は……どれだ?」

 

「この黒い穴みたいなのが目かしら?

 なんでこんな風なのかは、知らないけど……」

 

「なっ? 気味が悪ぃだろキョン? なんかヤベェんだよココ。

 ……ほらっ、こっちにあんのは墓なんだ……!」

 

 促されるまま視線を動かすと、そこにあったのは彼の言う通りの物。

 大きな穴の前で、幾人かの人達が祈りを捧げているような様子が見て取れる絵。

 

「ねぇ! これ見てよキョン!」

 

 国木田に促され、指さす方を見る一同。

 そこに描かれているのは、石で作られているらしき、何かの紋様の施された物。

 

 

「棺桶だ――――」

 

 

 彼が小さく息を呑む。

 その言葉を聞き、ハルヒは目を見開く。

 

「棺桶……? でもこれ、小さ過ぎない?」

 

「赤ん坊の棺桶、なんだ」

 

 二人は言葉を無くす。そしてただただ、絵の前で立ち尽くす他ない。

 

 未だ絵に込められた意図は、分からない。

 しかしこの絵が決して普通の物ではなく、何か常軌を逸した感情や意図によって描かれた物だという事が分かる。

 彼が今まで見てきた間宮一郎の絵とは、まったく違う物なのだと。

 

 その時――――

 

 

「――――イヤァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

 

 

 突如としてこの場に響き渡る、みくるの叫び声。

 みくるは両手で顔を覆い、声を上げてその場に蹲る。

 

「ど! どうしたのさみくるっ?! ちょ……!」

 

「赤ちゃんがっ……!! 赤ちゃんがあああぁぁぁぁああああああ!!!!」

 

 慌てて駆け寄る鶴屋。しかしそれを意に介さずにみくるは泣き続ける。

 肩を抱こうとする鶴屋の手を振り切り、ただただ彼女は叫ぶ。

 

 

「あ、赤ちゃんが半分、焦げてる……!」

 

 

 今みくるの目の前にある絵。それを見つめるハルヒが呆然と呟く。

 そこにあるのは炎に焼かれ、半身が黒焦げになってしまった、赤ん坊の姿――――

 

 

 

「 ああああああぁぁぁぁぁぁあああああああッ!!!!

  赤ちゃんがああぁぁーーッ!! 赤ちゃんがあああぁぁああーーーッッ!!!!

  ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああッッ!!!! 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食堂に、みくるの声が響く――――

 

 狂ったように、何かに取り憑かれたかのように泣き叫ぶ彼女を、彼はただ見ている事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―5―

 

 

 

「どう思われますか? 貴方は」

 

 あれから暫しの時が経ち、今は夜の帳も落ちた時間帯。

 一同はみくるが落ち着いた頃合いで食事を摂る事にし、今はそれぞれが思い思いの時間を過ごしている所だ。

 

 今日はいったん撮影は打ち止め。それぞれ充分に身体を休めておくように、との事。

 ハルヒの指示である。

 

「ん? どう思うって、何がだ古泉?」

 

「はい、これは食堂で出てきた絵なのですが……」

 

 古泉が先ほど撮影しておいた食堂の絵の写真を、彼に手渡す。

 甲斐甲斐しく彼をお世話するハルヒと有希も、一緒になってズイッとそれを覗き込む。

 

「恐らくこの絵は、下絵無しで無計画に描かれた物と思われます」

 

「うむ、それで構図が取り留めないんだな。

 俺みたいな素人にも分かるくらいだ」

 

「しかし通常、一人のフレスコ画家が製作途中でガラリと計画を変えるなど、

 有り得ない事なのです」

 

「なるほど……確かに変ね。あたしでもそんな事したりしないもの。

 これってどういう事なのかしら?」

 

 ここでさりげなくハルヒが会話に参加。

 内心「よっしゃ!」とガッツポーズしていたのは、彼にはナイショだ。

 

「恐らくは、書いている途中で、何か予期せぬ事態が起こったか……。

 あるいは何らかの精神的ショックを受け、

 作風を大きく変えざるを得なかったのではないでしょうか?

 これは僕の想像でしかありませんが……」

 

「いえ、的を射てるかもしれないわ。

 普通にやってたら、せっかく書いた絵がこんな風になるなんて、有り得ないもの」

 

 腕を組み、ムムムと唸る二人。

 彼の方は、有希から「のむ?」と紅茶を受け取り、朗らかにお礼を言っている。

 

「うん! 伝説の画家である間宮一郎に相応しい話ね!

 でも事件っていったい何なのかしら……?

 これは面白くなってきたわよ! みくるちゃん!」

 

「……ふぇ?」

 

 突然話を振られ、思わず間の抜けた声を出すみくる。

 先ほどまでは酷く取り乱していた彼女だったが、鶴屋が献身的に付き添ってくれていた事もあり、現在は落ち着いた様子を見せている。

 

 ごはんもちゃんと食べていたし、少し物静かではいるものの心配は無かろうという皆の判断なのだが、いまハルヒの輝くような顔を目の当たりにし、なにやら少し呆けてしまっている。

 

「明日からは、本格的に屋敷内の探索をしていきましょう!

 何かあの絵の謎を解くカギが見つかるかもしれないわ!

 みくるちゃんに色々な場所を探してもらって、

 だんだん謎が明らかになっていくその様子を撮影するの!

 これは絶対おもしろい映画になるわよっ!」

 

 みくるの肩を抱き、目をキラッキラさせながらハルヒは熱弁する。未だポケッとしているみくるにもお構いなしだ。

 

「おいハルヒ、あんまし朝比奈さんに無理はさせるな?

 あんな物を見ちまったんだ、朝比奈さんが参っちまうのも仕方ない」

 

「分かってるわよ! 図太いあんたと違って、みくるちゃんは繊細なのっ!

 もちろん無理なんかさせないわ。休憩もいっぱい挟んで、

 みくるちゃんが疲れないように少しずつ撮っていきましょう。

 撮影はみくるちゃんメインだけど、みんなにも手分けして探索してもらうからね! 

 しっかり探すのよ!」

 

 ハルヒの声の下、皆が「承りました」「うん!」「了解っさ!」と声を上げる。

 しかしハルヒがみくるを気遣う気持ちは感じるのだが、その優しさは今回の衣装には適応されなかったのだろうか?

 明日もアメリカ水着で屋敷を歩き回るみくるの姿を想像し、なにやら涙が出そうになってくる彼である。

 今更だが、何だこの映画。どういう主旨なんだハルヒ。

 

「まぁホントは落とし穴に落っこちるみくるちゃんとか、

 おばけに追っかけられてるみくるちゃんとかも撮影したかったんだけど。

 致し方ない事だわ……」

 

「ヤラセじゃねーか! ドキュメンタリーどこ行ったオイ!!」

 

 関心していたのも束の間。この団長様には、容赦という物が無かった。

 

「なによ? 大衆が求める物を撮るのがディレクターという物でしょ?

 アンタだってみくるちゃんのポロリとか見たいんでしょうが! この変態!!」

 

「勝手に変態認定すんな! マジで18R付いちまうぞ! 止めんか!」

 

「えっ、でも綺麗よ? みくるちゃんのおっぱい。

 正直お着換えしてる時、ちょっとだけ揉ませて貰ったわ……」

 

「お前何してんだ!? 揉んだらイカンだろうが!」

 

「たまに揉みたくなるの。無性に揉みたくなるのよ。

 部屋で寛いでる時とか、何気なくテレビ見てる時とかに。

 あ~、みくるちゃんのおっぱい揉みたいなぁ~って。……そんな事って無い?」

 

「俺に訊くな! これからどんな顔して朝比奈さんと会えっていうんだ!」

 

「あたしも悪いな~とは思ってるのよ? でもこれって理屈じゃないのよ。

 ……心の奥の方から声がするの。決して抗えない声が聞こえてくるのよ。

 そう、『みくるちゃんのおっぱい揉みたい』って。

 気が付けばその声に従っているわ」

 

「おっさんかお前は!!

 抗えよ内なる欲望に! 大切な友の為に!」

 

「でも良い声で鳴くみくるちゃんの方にも、責任あると思うわ!」

 

「ねーよ!! お前それ犯罪者の発想だからな?! ホント気をつけろよお前!?」

 

 どれだけ説教をしようが悪びれない様子のハルヒ。

 おっぱいが悪いのよ! 全部おっぱいが悪いのよ! そう言って憚らない。

 

「―――うぉとととと! どどどいてくれぇぇ~~~ッ!!」

 

「えっ……ちょ! うわぁぁーーー!!」

 

 そこで唐突に、部屋の扉を突き破って現れる谷口の姿。

 なにやらその手に大きな物を抱え、皆に突っ込みそうになりながらヨロヨロしている。逃げまどうSOS団の一同。

 

「おっ、キョン! これ良いだろコレ!

 物置っぽいトコで見つけたんだよ!」

 

「お前なに持って来てんだ谷口! 危ねぇ!!」

 

 谷口が今持っているのは、その身の丈よりも長い、斧のような物。

 中世の騎士が持っていそうな、いかにもお金持ちが飾っていそうな立派な斧。

 ゲームなんかで見た事のある、ハルバードと呼ばれる斧なのかもしれない。

 

「とととっ! ちょっとそこどいてくれ! おとととッ!!」

 

「危ねぇっつってんだろ!! お前マジで……ってオイ!!」

 

「きゃっ! ちょっと何してんのよアンタ! いやあぁぁ!!」

 

「うわー!! うわぁー!!」

 

「にょろぉぉ~~っ!?」

 

 谷口が斧を持ってヨロヨロと歩き回り、慌ててそれから逃げまどうメンバー達。混乱の極みだ。

 やがて有希がスタスタと歩み寄り、ハルバードの柄を〈がっしり!〉と掴んでくれたおかげで、騒ぎは一応の沈静化を見せた。

 

「このアホ谷口っ!! どういうつもりよアンタ! そんな物持ち出してきて!」

 

「いや……なんかカッコいいと思ってよ? ……凄くねぇかコレ?」

 

「バカ!! 誰か怪我でもしたらどうすんだ!! んなモンしまって来いアホたれ!!」

 

「谷口……これは無いよ……」

 

 やがて皆からの批難を喰らい、谷口がすごすごと斧を持って引き返して行く。

 その様を見てため息をつくメンバー達。

 

 おっぱいだの斧だのと、短いながらもう嵐のような時間であった。

 彼は肩の痛みも忘れ、ぐったりとした様子で椅子に腰かける。

 

 

「とりあえず……屋敷ん中を荒すのは無しな?

 せっかく許可を取ったんだ、節度を忘れずにいこう……」

 

「ええ、そうしましょ……」

 

「……了解です」

 

「うん……」

 

「……」

 

 

 皆がうんうんと頷く中で、どことなく気まずそうな表情をしている有希。これは彼にしか分からない程の小さな変化なのだろうが。

 

 まだバレてはいないものの、先ほど寝室でやってしまったプチ火災未遂を思い出し、さりげなく冷や汗を流す有希であった。

 

 

………………………………………………

 

 

「……ったくよぉ。あーんな怒んなくたって良いと思うんだよなぁ……」

 

 薄明かりが照らす屋敷の廊下を、大きな斧を持った谷口がえっちらおっちらと歩いて行く。

 

「カッケェんだけどなぁこれ。なんとか持って帰れねぇもんかな?

 ……まぁ持って帰ったって、何するワケでもねぇけど。

 でもやっぱ男ならよ?」

 

 グチグチと不満を漏らしながら歩く谷口。斧の重さにフラフラしながらも、ゆっくり気をつけて進んでいく。

 

「お゛……ん゛っ……! いけねっ、もう腕が限界だ……!」

 

 やがてその重量に耐え兼ね、谷口はいったん斧を床に下ろす。

 これがあった倉庫までの道のりはまだまだあるのだが……、この疲労し切った腕の力では、そこまで運ぶ事は無理だと思える。

 

「まぁ分かりやすいトコに置いときてぇし、ここら辺でいっかな」

 

 そして谷口は、最寄りにあった広めの空き部屋らしき所に入り、最後の力を振り絞り注意して斧を運ぶ。

 斧は部屋の角となる場所の壁に立てかけ、しっかり刃の部分を壁に沿わせるような形でもたれさせた。

 これで万が一にも、この斧が倒れてしまうような事は無いだろう。

 

「うっし、こんなモンだろ。……しっかし何べん見てもカッケェなコレ。

 間宮一郎って人とは、なんか気が合いそうだぜ俺」

 

 手をパンパンしつつ、最後に確認するように斧をもう一瞥してから、谷口は部屋を後にする。

 

「そんじゃあ戻って寝る準備でもすっか。

 まぁ男が4人いるんだ。夜通し騒ぐ感じになるかもしんねぇが」

 

 

 せっかくの旅行、せっかくの同部屋。これはただ寝るだけで済むハズもあるまい。

 野郎4人で騒ぐ楽しい夜を想像しつつ、谷口は戻って行った。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「あら有希、来てくれたの?」

 

 ランプと月の薄明かりが照らす、間宮一郎の壁画の間。

 沢山の撮影機材やお手製の企画ノートに囲まれながら、ハルヒはひとり、明日の撮影の為の作業をおこなっていた。

 

「これ」

 

「まぁ! ありがと有希っ。

 でももう遅い時間よ? あたしの事は気にしないで、寝ちゃっても良いのに」

 

 軽い食事、そして温かいコーヒーを持って、有希がハルヒのもとに訪れた。

 皆の為に頑張っているハルヒを労う、そんな優しさを感じる。

 

 今夜、男達4人は一緒の部屋で、鶴屋とみくるが同室で寝る事となっている。

 これに関しては鶴屋たっての希望で、食堂の一件でのみるくの心労を気にした彼女が、自分が傍に付いていてやりたいと申し出てくれた事により決定した。

 クラスメイトでもある彼女が付いていてくれるなら、みんなも安心である。

 

 そしてハルヒと有希には、同じ部屋が宛てがわれている。

 別に部屋は沢山あるのだし、ひとり一部屋でも構わないのだが、せっかくの機会なのにわざわざ別々に寝る理由など無い。

 ハルヒは有希といっしょに寝る事を楽しみにしつつ、早く有希の待つ部屋に行くべく作業をがんばっていたワケなのだが……。

 

 しかし優しい有希は、こうして自分を労いに来てくれた。

 もうかなり遅い時間だというのに、寝ずに自分の事を待っていてくれた。ハルヒはそれを思い、胸が暖かくなる。

 

「うん、おいしい!

 なんで夜なのにコーンフレークなのかは分からないけど、おいしい!

 ありがとね有希!」

 

 ハルヒはいったん作業の手を止め、勢いよくガガガッとコーンフレークを掻き込んでいく。

 夜食のチョイスはともかく、その気遣いが嬉しいのだ。文句などあろうハズもない。

 

「それ」

 

「ん? なに?」

 

「その服」

 

 お皿に残ったミルクをズズズッと飲み干していると、有希がすっとハルヒの着ている服を指さし、コテンと首をかしげる。

 ハルヒはいったんお皿を床に置き、柔らかい笑みを浮かべ有希に向き直る。

 

「あぁこれ? これお母さんの服なのよ。綺麗でしょ?」

 

 いま彼女が着ているのは、美しいフリルのあしらわれた黄色いドレスのような洋服。

 決して流行りのデザインではなく、その生地も決して真新しい物では無い。しかしその洋服は花のような明るさ、そして柔らかな暖かさを感じさせる物。

 

 普段は制服やカジュアルな服のイメージが強いハルヒだが、その洋服はとても彼女に似合っているように思えた。

 

「あたしが子供の頃、よくお母さんが着てた服なの。古い物よ。

 でもとっても綺麗だったから、あたしよく『ちょうだい! ちょうだい!』って、

 お母さんにねだってたのよ。

 小さかったあたしには、着られるハズも無いのにね」

 

 ハルヒは苦笑を浮かべつつ、遠き日の思い出に、想いを馳せていく。

 

「それでお母さん、ハルヒが大きくなったらあげるわって、

 その時までちゃんと大切にするからねって、言ってくれて。

 あたし大喜び」

 

「ずっと思ってたわ……、早く大きくなりたいって。

 早くお母さんのあの服が着られるようになりたいって……。

 それであたし小っちゃい頃から、ずっと牛乳ばっかり飲んでたのよ」

 

 思えばそれでお腹を壊したり、無理して飲んでいる所をお母さんに窘められたり、我ながら猪突猛進な子供だったなとハルヒは思う。

 

「でも思えば……あたしきっと、何でも良かったんだと思う。

 この服が綺麗だったのはホントだけど……、

 でもあたし別に、この服じゃなくても、何でも良かったんだと思う」

 

「ただあたしは、“お母さんみたいになりたかった“。

 この服を着たお母さん、とっても綺麗だったから――――

 だからあたしも、あんな風になりたいって……そう思ってたんだと思うわ」

 

 ハルヒの笑み、それを有希が静かに見つめる。

 普段のハルヒとは違う、とても柔らかな優しい笑みを――――有希は目に焼き付けていく。

 

「ちょうどこの前くれたの。お母さん、ずっと約束を憶えててくれたのね。

 大きくなったねハルヒって、そう言ってくれたわ……。

 それであたしもう嬉しくなっちゃって! 今日も持って来ちゃった!

 流石にキョンの前で着たりはしないけど……でもせめて、寝る時に着ようかなって」

 

 この服を着ていると、お母さんを感じる。お母さんに包まれているような気がする。

 まだ自分は子供だし、あの頃のお母さんのように綺麗ではないけれど……。でも憧れていたお母さんになれたような気がして、とても幸せな気持ちになる。

 元気が、勇気が湧いてくるのだ――――

 

「おかあさん」

 

「ん?」

 

 静かにハルヒの話を聞いていた有希が、静かに口を開く。

 

「……どんなの?」

 

 

 

 

 時が、止まったかに思えた――――

 

 有希の綺麗な瞳に見つめられ、ハルヒは言葉を紡ぐ事が出来なくなる。

 心臓を掴まれたように、動けなくなる。

 

「有希……アンタ……」

 

 真っ直ぐな目がハルヒを見つめている。

 まるで子供のように純粋な瞳が、ハルヒに問いかけている。

 

 

「――――おかあさんって、どんなの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、飛びついていた――――

 

「 こんなのよ! 」

 

 

 飛びついて、力いっぱい抱きしめていた。

 

「こんなのよ有希! お母さんってこんなの! ……こんなのよっ!!」

 

 顔を見られたくなかった、のかもしれない。

 今まさに決壊し、涙が零れ落ちそうになった自分の顔を、この子に見られたくなかったのかもしれない。

 ゆえにハルヒは有希に飛びつき、力いっぱいに抱きしめていた。

 

「有希っ! 有希っ! …………有希ぃっ!!」

 

 言葉など、出ない。

 自分など、まだ年端もいかない小娘である自分などがこの子にかけられる言葉など、あろうハズもない。

 

 だからもう、抱きしめた――――

 それしか出来る事が、見つからなかった。

 

 だからハルヒは抱きしめる。

 ギュッと、力いっぱい、縋りつくように。

 

 貴方を、決して離さない。そう言うようにして。

 

 

「……おかあさん?」

 

「そう、お母さんっ! お母さんなの!」

 

「これが……おかあさん?」

 

「そうよ有希! これよ!! これがお母さんっ……!!」

 

 

 もう自分が何を言っているかも分からない。

 まだ16の小娘が何を言っているのかと、そう思われても仕方ない。

 

 それでも有希の純粋な声に、心に応える為、ハルヒは声を振り絞る。

 

 もう有希に見えないのを良い事に、その目からボロッボロ涙をこぼしながら。

 声だって嗚咽で震わせながら、ハルヒは有希を抱きしめる。

 

「有希ぃッ! ……有希ぃぃーーっ!!」

 

 

 

 ぬくもりを。

 

 どうかこの子に、ぬくもりを――――

 

 

 

 

 お母さんがくれた、お母さんの服。

 それにハルヒの涙がこぼれ、染み込んでいった。

 

 

 

………………………………………………

 

 

「じゃあ有希、明かり消すわよ?」

 

 二人に宛てがわれている寝室。

 いまハルヒと有希の二人は、これから一緒に寝ようとしている所だ。

 

「まって、まって」

 

「ほ~ら消すわよ~? 早くしないと真っ暗よ~? 消しちゃうわよ~?」

 

「まってほしい。まって、いじわる」

 

 部屋にある大きなベッドの上、そこに二人で寝袋に入って眠る事にする。

 なにやらベッドに大きなミノ虫が二匹並んだような恰好となっているが、楽しければもうなんでもアリなのだ。

 

 いま有希があわてて寝袋の中に滑り込み、ワチャワチャと急いで寝袋のチャックを締めようと奮闘する。

 その微笑ましい姿を、ハルヒが傍でニヤニヤしながら見つめていた。

 

「おわった。いい」

 

「おっけ! それじゃあ消すわね。おやすみなさい、有希」

 

 有希の合図と共に、ハルヒが明かりを落とす。そして有希の隣に並んで寝袋に入った。

 本当はこんなミノ虫みたいな状態じゃなければ、今日は有希と手を繋いで眠りたかったのだが……。

 何なら一緒の寝袋に入って寝たりもしたかったのだが……こればっかりは仕方ない。流石に二人で入るには無理のあるサイズだから。

 

 でもこうしていると、有希の息遣いを近くに感じられる。

 すぐ傍に有希がいる。そのぬくもりと心地よさを胸に、ハルヒは目を閉じる。

 

(思えば、さっきのは結構な失態だったわね……。

 まさか有希の前であんなに泣いちゃうなんて。示しが付かないという物だわ……)

 

 団長ともあろう自分が、この子の前で号泣。

 そんな若干恥ずかしい想いはしたものの……それでもさっきの出来事は、きっと有希との大切な思い出になる。そんな気がしている。

 

 団長として、そして有希を大切に想うひとりの女として……、この子の前では強くありたいものだ。

 でも、今日ばかりは許してもらおう。この子のぬくもりに甘えちゃう事を、どうか許して欲しい。

 

(有希の隣……ここがあたしのホーリーランド*1なんだわ……)

 

 そんな事を想いながら、ハルヒは心地良いまどろみに、身を任せていく。

 

「おかあさん」

 

「ッ?! ……えっ有希? なに?」

 

「おかあさんは、わかった」

 

 そんな時、ふと有希の声が聞こえ、ハルヒはちょっとベッドの上で飛び上がってしまう。

 いま一瞬、有希が自分の事を“おかあさん“と呼んだのかと思い、ちょっとビックリしてしまう。

 

「抱きしめてくれる、あったかい物。……それがおかあさん」

 

「有希……」

 

「なら、おとうさんはなに? おとうさんは、どんなの?」

 

 暗闇の中、有希がこちらに顔を向けた気配が分かった。見えずとも、ハルヒの顔をじっと見つめている事が分かる。

 寝袋の中だから何ともし難いが、動揺を取り繕うように手をワチャワチャさせていたハルヒも、そっと有希の方に向き直る。

 

「お父さん……かぁ。

 どうかしらね? あたしのお父さんはなんか……印象薄いというか。

 なんかいつも、頼りないというか……」

 

「?」

 

「正直、あんまりカッコいい感じではないわね。

 ウチではお母さんの方がよっぽど強いわ。ちょっと情けない感じの人よ」

 

「おとうさんは、おかあさんより、よわい?」

 

「そうね、正直そんな感じかも。

 ……でもいつも、優しいわ。

 いつも傍で、あたしを見守ってくれてる。そんな感じよ」

 

 有希に優しく語りかけながら、ハルヒは想いを馳せる。

 確かに頼りないけれど、いつもお母さんの尻に敷かれているけれど……お父さんは優しい。

 あたしは結構な破天荒な子らしいのだけど、それでもいつもニコニコと、あたしの話を聞いてくれる。

 お母さんとはまた違う暖かさを、いつも感じるのだ。

 

 そんなハルヒの言葉を聞き、それを噛みしめるように熟考していた有希が、やがてその口を開く。

 

「彼?」

 

「ん? なに?」

 

「彼は、おとうさん?」

 

 先ほどとは違う衝撃に打ちのめされ、軽く寝袋の中でフリーズしてしまうハルヒ。

 

「やさしい、いつも見守っている。

 なら彼は、おとうさん」

 

「まって。ジャストアモーメントよ有希。ウェイウェイ」

 

 思わず有希の肩に手をかけようとするが、寝袋の中なのでそれは叶わなかった。

 中でグイーンとなるだけだった。

 

「貴方は、おかあさん。彼は、おとうさん」

 

「ちょっと! ちょっと落ち着いて有希!? ちょっと?!」

 

「貴方と彼は、おかあさんとおとうさんに、なる?」

 

 今度こそ寝袋の中で〈ピキーン!〉と固まるハルヒ。

 有希の言葉に頭は真っ白になり、もう絵に描いたような“絶句“という状態に陥る。

 暗くて見えないが、有希の純粋な瞳を感じて痛い。

 

「……ならない? おとうさんとおかあさん……だめ?」

 

「いやその……あ、あのね有希? あたしね……?

 別にキョンの事がどうとか、今はそういうことを言ってるんじゃなくてね?

 あ、あたしね?」

 

 

 物っ凄い綺麗な瞳(見えないが分かる)で「だめなの?」と見つめられ、もうしどろもどろになってしまうハルヒ。

 

 なんとかお茶を濁せないかと頭を捻るのだが、混乱した頭ではなかなか良い言葉も浮かんでこない。

 その後も可愛く「?」といった感じの有希に問い詰められ、ハルヒの受難の時は続いていく。

 

 

 昔よく聞いた憶えのある「いいからもう寝なさい」

 

 今は使えないが、これは正に至言であったのではないかと思う、ハルヒだった。

 

 

………………………………………………

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「うにゅ~。めがっさにょろにょろ……。zzz……」

 

 鶴屋が幸せそうな表情を浮かべ、クゥクゥと寝息を立てている。

 そんな彼女のベッドから、今みくるが音も立てる事無く、静かに起き出した――――

 

 

………………………………………………

 

 

「おや? これは朝比奈のお嬢さん、どうされましたかな?」

 

 皆が寝静る時刻、夜の間宮邸。

 新川はひとり屋敷の見回りをと、月明りの照らす廊下を歩いていた。

 

 懐中電灯と月明りを頼りに歩いていると、向かいからひとりの女、古泉の友人である朝比奈みくるらしき人物が歩いて来るのが見えた。

 新川はその人柄に合った柔らかい物腰で、優しくみくるに声をかける。

 

「もう夜も更けております。

 ここは古びた屋敷ですので、夜分に歩くには少々危険やもしれません。

 どこか行かれるのでしたら、私めがご一緒致しましょう」

 

 暖かな笑みを浮かべ、新川はみくるの方に近づいていく。

 この企画の撮影の一切は子供たちの手で行うが、こうして子供たちを守る事こそが自分の役目。

 新川はその決意を新たにし、みくるの方へと歩いて行く。

 

「私の赤ちゃんを返して」

 

 項垂れたように下を向き、長い髪が顔に垂れていて、その表情は伺えない。

 しかし今みくるがボソリと……何かを呟いたのが、分かった。

 

 

 

「私の赤ちゃんを、返して――――」

 

 

 

 今、みくるが静かにその顔を上げ、新川の方を見据える。

 

「――っ!?」

 

 

 ――――片目が、無い。

 

 新川に向き直ったみくるの顔には、そこにあるハズの右目が、何かでえぐり取られたかのようにして、存在していなかった。

 

「あ……朝比奈さん……?」

 

 驚愕に染まる瞳で、新川はみくるを見つめる。

 そんな中、ゆっくり、ユラユラと、みくるが歩み寄っていく……。

 

 

 だらりと垂れ下がった両腕。

 

 纏められる事無く、無造作におろされた髪。

 

 まるで石膏のような……生気のない顔――――

 

 

 

 

 

 

「赤ちゃんを―――――返して」

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ザッ……! ザッ……! と、土を掘り返す音が聞こえる。

 

 延々と、止む事無く、女が地面を掘り返す音が辺りに響く。

 

 

 

 

「――ッ! ――ッ!」

 

 髪を振り乱し、服を泥まみれにしながら、素手で地面を掘り返していく。

 

 

「――ッ! ――ッッ!!」

 

 傍に転がっている、大小様々な石。倒された塔の残骸――――

 それを気にする事もなく、女が夜の闇の中、一心不乱に土を掘り返ていく。

 

 

「ッ! ……あぁ。……あぁぁ」

 

 

 やがて女はその手を止め、泥と血にまみれた指で、それを撫でる。

 

 掘り返し、地面から現れたのは、()

 精巧に石で形作られた、ちょうど赤ん坊が入る大きさの、石の棺だった。

 

 

「あぁ……あぁぁ……」

 

 割れた爪の痛みも感じる事無く、ただ恍惚の表情を浮かべ、棺を撫でる女。

 やがて女は棺を穴から取り出し、うめき声を上げながら、力を込めて棺をこじ開けていった。

 

 

「 ふふっ   ふふふふ     ふふふ   」

 

 女は棺を開け放ち、中の物を取り出す。

 そしてそれを胸に抱き、あやすようにして、小さくユラユラと揺らし始める。

 

 

 雨の降る暗闇の中。

 

 母が、子を慈しむように。

 

 いつまでも、いつまでも、嬉しそうに、ユラユラと。

 

 

 

 

 

 ――――死んだ、赤子の身体を。

 みくるが、慈愛に溢れた表情で、見つめている。

 

 

 母親のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―6―

 

 

 

「ひゃっほーい! 駆け抜けろSOS号! かっ飛ばすのよーっ!」

 

 お日様の眩しい、真っすぐ伸びた山道。

 現在ハルヒと有希の二人は、空のガソリンタンクを括りつけた自転車に乗り、爆走中であった。

 

「思った通り! きっと軽いサイクリングくらい出来ると踏んでたのよ!

 自転車を積んできて正解だったわ!」

 

 FU~♪ なんて声を上げ、開脚なんかしながら坂道を一気に下る。

 いまハルヒの隣を走る有希も、心地よい日差しの中のサイクリングに、どことなくご機嫌の様子だ。

 

 ひととき屋敷を飛び出して来た二人が向かうのは、ガソリンスタンド。

 ここに来る途中で見かけた、間宮邸から自転車でも10分くらいの場所にあるガソスタであった。

 

 本当を言うと、新川さんに車を出してもらって行こうと考えていたのだが……、古泉くんいわく「いま所用で外しているようです」との事。

 だがこんな些細な困難でへこたれていては団長の名が廃るとばかりに、屋敷の発電機に使うガソリンを購入すべく、ハルヒ自らがお買い物に名乗りを上げたワケである。

 

「キョンを置いて来たから、探索の指揮に関しては問題無し!

 あたし達が帰る頃には、ある程度進んでるでしょうし、

 その報告を聞いてから今後の方針を決めましょうか♪」

 

(こくり)

 

 二台の自転車はまるで競うようにして、山道をかっ飛ばしていく。

 運動神経の良いハルヒに負けず劣らず、有希の自転車の速度も大した物。これはハルヒにとって望外の喜びだ。

 

 ひとときあの辛気臭い屋敷を抜け出し、こうして有希とサイクリング。

 これも大切な思い出となりそうだと、ハルヒの口角はニマニマと上がった。

 

 

 

「すいませーん! すいませぇーん! もしもーし!」

 

 やがて二人の乗った自転車が目的地であるガソスタに到着し、ハルヒが大きな声で店員さんを探す。

 ここは正に“寂れたガソリンスタンド“といった感じで、こんな山奥にある事を考えれば納得の光景だった。

 都会にあるガソスタとは根本的な何かが違う。元気の良い店員さんが「いらっさぁーせーぃ!」とか言って飛び出してきたりも、もちろんしなかった。

 

「ハロー! どなたかいらっしゃいますかー? 誰かー?

 ……あら、誰も居ないわね」

 

「いない」

 

 まるで無人島に流された人が、偶然通りかかった船に向けて「おーい!」と手を振るくらいの元気さでハルヒは店員さんを呼んでみたのだが、一向に返事はない。

 仕方ないのでガソリンスタンドの敷地をウロチョロし、事務所だか詰め所だかの小さな建物の中を、ちょっと覗いてみる事とする。

 

「ん?」

 

 駅の立ち食いそば屋さんくらいに狭い建物の中にあるのは、ちょっとしたカウンターらしきテーブル、そしてどうやら今ラグビー番組を放送しているらしき古臭いテレビくらい。

 ハルヒは何気なくテーブルの上を眺めたが、そこに置いてあった明細書だか領収書だかの紙切れに、人物名らしき文字を見つける。

 

 “山村 健一“

 

 ……まぁ特にどうという事も無い、ありふれた名前。

 恐らくこれがこのガソリンスタンドの主、そのお名前なんだろう。ハルヒは何気なく思った。

 

 

………………………………………………

 

 

『おーう、いけいけぇ! いけぇーい!』

 

 同ガソリンスタンド内に停めてある、車の下(・・・)

 そこに潜り込んで整備をしているらしき男が今、なにやらラジオから流れるラグビー放送を聞いて興奮し、機嫌良さそうに声を上げていた。

 

 ラジオから流れる、今どこどこの選手がタッチダウンを決めたという実況に、男は大興奮だ。

 もう「~♪」とばかりに

 

 しかし、ついあまりにも興奮しすぎてしまい……、ふと身体を揺らした途端に、整備していた車に足をぶつけてしまう。

 すると車のボンネットの上に置いてあったラジオが〈ツルッ!〉と落下し……なんと今まさに車を持ち上げている途中であるジャッキのレバーに、直撃してしまった。

 

 まるで、ピタゴラスイッチもかくやという、見事な塩梅であった。

 

 

………………………………………………

 

 

『――ぐぅあぁぁ~~っ!!』

 

「「!?」」

 

 ふぅ、とため息なんかをつきながら、ハルヒ達がガソスタ内で店員さん待ちをしていた時……突然どこかから野太い悲鳴が聴こえてきた。

 

「えっ……! ちょ、なになに?! これどこから?」

 

「?」

 

『ぐぅあぁぁ~~っ!!』

 

 二人が慌てて外へ飛び出すと、なにやら停めてある車の傍らからシューシューと蒸気の吹き出す音。

 そして車の下で「ぐわー!」とか叫び声を上げちゃってる、男性の足らしき部位が見えた。

 

「ちょ……! どうしたのよアンタ!? 大丈夫?!」

 

『苦しいっ! 息が出来ーん!!』

 

「ホントに!? リアリィ!? ……え、これって車に挟まれてるの?!」

 

 車体を持ち上げていたジャッキのレバーが倒され、男の身体に今、車の重量がのしかかっているのだ。

 車の下に潜っているので顔は見えないが、ジタバタとしているその脚の様子から、男がとっても苦しいんだろうなぁというのは伝わって来た。

「息が出来なーい!」とか言っちゃってるし、今。

 

『レバーを! そこにレバーがあるぅ!!』

 

「えっ?! ……あ、レバーってこれね!」

 

『そうだっ! それをぉぉ~!』

 

 言われるがまま、勢いよく「ふんぬっ!」とレバーを下げるハルヒ。

 すると車が〈ゴゥン!!〉みたいな音と共に、さらに下にさがった。

 

『――――ぬぅおぉぉーーーッ!!

 ……違う違う!! 上げろぉ~っ!! 上だぁぁ~~!!』

 

「左肋骨2本の損傷を確認」

 

「きゃあぁぁー!! ごめんなさいおじさん! ごめんなさいっ!」

 

 

 男の身体が一瞬、さらに圧迫されてえらい事になる。

 

 でもなんやかんやあった後、ハルヒ達は無事、男の救出に成功。

 ガソリンを入れてもらえる事になったのだった。

 

 

………………………………………………

 

 

 まるでカウボーイみたいな茶色の帽子、同じくカウボーイみたいな茶色のチョッキ。

 ガソスタの店員らしからぬ、とても渋い恰好をした、白髭の中年男。

 

 彼がこのガソリンスタンドの主、山村さん。

 いま彼はハルヒ達の為にジュゴゴゴ……っとガソリンを入れてくれている所なのだが……その咥えタバコは大丈夫なものなのだろうか?

 見ていてちょっと心配になるハルヒである。

 

「あれ? これって何かしら?」

 

 待っている間、手持ち無沙汰で停めてある車なんかを眺めていたハルヒ。するとふと車の窓の辺りに、なにか見慣れない感じの人形らしき物が引っかけられているのを見つける。

 

「石? いえ木かしら? ……変わった人形ね」

 

 年月の経過からか、その色は黒ずんでしまっている。材質もよく分からない。

 ただそれがただの民芸品とかではなく、何か不思議な雰囲気を持った物のようにハルヒは感じる。

 なにか神聖さや、力のような物を感じるのだ。

 

「そいつが気になるか? お嬢ちゃん」

 

「あ、ごめんなさい勝手に見て。……終わった?」

 

 やがて「ふむふむ」とそれを眺めているうちに、満タンになったタンクを抱えた山村が、ハルヒのもとに歩いて来る。

 そして今見ていた人形らきしものを掴み、スッと自身の懐にしまった。

 

「ねぇねぇ、それって何? なにか不思議な感じがする人形ね!

 あたしそういう不思議な物が大好きなのよ!」

 

「こいつか? こいつは土偶。まぁお守りみたいなモンさ。

 だがそんじょそこらにある物とはワケが違う……“本物“だ」

 

 山村が片眉を上げ、どこかひょうきんな表情を浮かべる。

 彼は白髭の渋いおじさんという風貌なのだが、茶目っ気のある感じの人なのかも。

 自分達はまだ子供なのだし、そのいかつい見た目に反して意外と子供好きな優しい人なのかもしれないと、ハルヒは思う。

 

「ほら貸せ、荷台に積んどいてやる」

 

「ありがとっ! 助かるわっ」

 

「たすかる」

 

 山村が彼女達の自転車にガソリンタンクを乗せ、紐で固定してくれる。

 多少の重さはあるが、これで走ってる時もグラグラしたり、落っことしたりする心配は無いだろう。

 

「それじゃあ、おいくらかしら? 領収書とかは特に必要ないわ。いくら?」

 

「あぁ? いらんいらん、そんなモン」

 

「えっ……いや山村さん、それは困るわ?」

 

「だめ」

 

「わっはっは! 名前を覚えてくれたか、お嬢ちゃん達!

 だが命の恩人から金は取れんさ。ほら、さっさと出た出た!」

 

 山村が車道に出て、車が来ていない事を確認、「オーライオーライ」とハルヒ達を誘導してくれる。

 ハルヒ達が乗っているのは自転車なので必要なのかどうかは怪しい所だが、これもいつもやっているクセなのかもしれない。ありがたく誘導してもらっておく。

 

「それじゃあね! ありがとう山村さん!」

 

「また」

 

「おう、またな! 気ぃつけて行け!

 というかお嬢ちゃん達、そんなガソリン買って何に使うんだ?」

 

「今あたし達、そこの間宮邸で映画の撮影してるの!

 これは発電機に使うのよ!」

 

 山村はわざわざ帽子を取って、ハルヒ達を見送ってくれる。その気遣いに感謝しつつ、ハルヒは力いっぱいペダルを踏み込んだ。

 

「…………なに? 間宮邸?」

 

 だが“間宮邸“という言葉を聞いた途端、山村の表情が一変する。

 目を見開き、思わずハルヒ達を呼び止めようと声をかけるのだが……

 

「おいお嬢ちゃん、ちょっと待……」

 

「――――あっ! ガソリンスタンドから火の手が上がっているわ!!」

 

 呼び止めようとしていた手を戻し、思わず山村が後ろを振り返る。

 すると本当に自身のガソリンスタンドの方から、煙が上がっているのが見えた――――

 

 

「 !?!? 」

 

「さっきの車の所から火が出てる!

 どうしよう!? もし燃料タンクに引火しちゃったりしたら!」

 

 

 そう言った途端、眼前で大爆発を起こすさっきの車。〈ドゴォォォォーーン!!〉みたいな凄い音がした。

 恐らく、きっとメイビーなのだが……山村が吸っていた煙草が原因なんじゃないだろうか?

 ポイ捨てしませんでしたか山村さん?

 

「 !?!?!? 」

 

「あっ! 爆発の衝撃で、崖崩れが発生しているわ!」

 

 そう言った途端、ガソリンスタンドのすぐ傍の山が、なんか〈ゴゴゴゴゴ……!〉という音を立てて崩れていく。ガソスタの方に向かって。

 暫く、というか瞬く間の間に、山村のガソリンスタンドは見事に土砂で埋まった。

 

「 !?!?!?!? 」

 

「崖崩れの影響で、緩くなった地盤が崩れ出しているわ!

 このままじゃガソリンスタンドが谷底に!」

 

 ハルヒの言葉のすぐ後、山村のガソリンスタンドがその地盤ごと〈ズガァァァーーン!〉みたいな轟音を立てて谷底に落下していく。

 映画でも滅多に見られないような、一大スペクタクルだ。

 

「――――!?!?!?!?」

 

「あ! 崖崩れや地盤崩壊で吹き飛んだ岩が、

 いっぱいこちらに向かって飛んでくるわ! 山村さん危ない!」

 

 そしてハルヒの言葉が終わると同時に、いつくもの岩が山村の頭上に降り注ぐ。

 それを必死こいて避けていく山村さん。

 

「――――ぬ゛っ! の゛っ!! お゛ごッ!!」ゴインゴインゴイン

 

「当たってる! どんどんヒットしてってるわ山村さんに!

 すんごいゴスゴスいってる!」

 

「左腕負傷、胸骨粉砕、および頭蓋骨陥没を確認」

 

 それでも必死こいて落ちてくる岩が無くなるまで動き回る山村さん。

 最後に山から流れてきた土砂に巻き込まれ、一瞬にして遠くの方までどんぶらこと流されていく。

 

 

「――――うぉぉお!! ぬぉぉぉおおお!! ……お、お嬢ちゃん達ぃぃぃ!!!!」

 

「山村さん! レスキュー隊を要請しておくわ山村さん!

 助けが来るまで頑張るのよ! 生き延びるのよ!!」

 

「流木による打撲、骨折、捻挫、靭帯損傷を確認」

 

 

 

 

 訊きたかった――――本当は「お前たち、間宮邸に居るのか?」と訊きたかった。

 しかしそれが叶う事無く、山村はどんぶらことばかりに、どんどん下の方へと流されていく。

 その手に、土偶を握りしめたまま。

 

 ……ちなみに、この一連の流れに関しては非常にコメディタッチな印象を受けるので、次に会う時に山村さんは、何事も無くケロッと復活している事だろう。

 恐らく怪我ひとつ無い状態で、また自分達の前に現れるハズだ。間違いない――――

 

 しかしハルヒと有希は一応の礼儀として、流されていった山村さんの無事を「なむなむ」と祈っておく。

 

 

 彼女らはその後、とりあえずレスキュー隊に電話をした後、「出来る事はやった」とばかりに間宮邸へ戻った。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 新川が姿を消した。

 それを古泉は、ハルヒに伝えずにいた。

 

『深夜以降、新川さんの姿を見た者は居ないようです。

 僕にも新川さんの行方は分かりません。忽然と消えてしまった……としか』

 

 彼が古泉にそう伝えられたのは、ハルヒ達がガソリンスタンドへと出かけていったタイミングでだ。

 いわく、新川と携帯も繋がらなければ、置手紙らしき物も見当たらないという。

 

『まぁあの新川さんの事です、心配は無用かと思うのですが……。

 とりあえずこの件は涼宮さん達には伏せ、暫く様子を見ようと考えています。

 事を荒立てたくはありませんから』

 

『最悪の場合、運転であれば僕にも出来ますから。どうぞご安心を。

 これは職業柄身につけた技能の一つです。……でも今は、内緒でお願いしますよ?』

 

 

 

 そして現在はハルヒと有希も戻り、今は共に現場で打ち合わせをしている所。

 ハルヒはあーだこーだと指示を出していき、皆も忙しく動き回っている。……まぁ彼は未だ、無理やり座らされているが。

 

「それじゃあまず、絵の全体をグルッと撮るから!

 谷口はみくるちゃんが歩くのに合わせてゆっくりカメラを……、

 いや車椅子に乗っけて、あたしが押していくわ!」

 

 撮影現場に、ハルヒの元気な声が響く。

 先ほど古泉から聞いた話を気にしつつも、彼はいったん頭を切り替え、撮影に集中していく。

 

「それじゃあ撮影を始めるわよ!

 みくるちゃーーん!! おねがーい!!」

 

 奥の部屋で控えていたみくるが、ハルヒの声を聞いてゆっくりとこの場に姿を表す。

 彼女はいまバスローブのような物に身を包んでおり、その髪はなにやら乱れているというか、手入れのされていない荒れた印象を受けた。

 

 現在みんなは慌ただしく準備をおこなっており、それを気に掛ける者はいない。

 ただ未だ椅子に座らされている彼だけが、その違和感を感じ取っていた。

 

(なんか朝比奈さんの様子がおかしいような……。

 ポケッとしてるし、表情に生気を感じない気がする……)

 

 みくるは言われるがまま、ゆらゆらと指示された場所まで歩いて行く。

 心ここにあらず……。目の焦点すら合っていないように見えた。

 

「あ、ごめん有希! 車椅子をとってきてくれる?

 たしか奥の部屋にあったと思うから!」

 

 有希はこくりと頷き、テテテと走って行く。ハルヒがその後姿をニコニコしながら見送る。

 みくるとすれ違うようにして、代わりばんこのようにして、有希が奥の部屋に入っていった。

 

 

 

「……?」

 

 有希はキョロキョロと車いすを探し、部屋に入ってすぐに見つける事が出来た。

 しかし、その車椅子の上に“何か“が乗っているのを発見する。

 

「?」

 

 車椅子に近付き、有希はその何かを観察する。

 石造りで、何かの紋様の入った楕円形の物体。大きさは有希の上半身ほどもあり、その見た目はまるでミノ虫のような印象を受ける。

 

 ふと観察してみれば、その石造りの物体には取っ手のような部分があり、どうやら上の蓋がスライドして開く仕組みになっている事が分かる。

 有希はなんとなしに手を掛けてみるが、なかなか開かない。なにかロックされているというよりは、純粋に固くて開きづらいという感じに思えた。

 

「どうしたの有希? ……あら、それ何かしら?」

 

 後から部屋に入って来たハルヒも、なにやら見慣れない物体を見て、首を傾げる。

 

「ちょっとかしてみて? ――――ふんっ! ふんぎぎぎっ!!

 あっれ、おっかしいな…………んんん~~っ!!」

 

 開かない。終いには有希と二人がかりで「う~ん!」と頑張ってみるも、この石造りの蓋は開かない。

 

「固いっ! かったいわねぇこの蓋……。

 ふふっ、これはあたしへの挑戦と受け取ったわ! 見てなさい有希!」

 

 腕まくりし、手にぺっぺっと唾をかける(マネだけをする)ハルヒ。そして気合を入れ直し、有希に良い所を見せようと再び取っ手に手を掛けようとした、その時……。

 何故か音もなく……、勝手にその蓋が開く。

 

 

「――――ヒィッ!」

 

 

 仰け反る。

 ハルヒは中に入っていた物を目にした瞬間、思わず有希を抱きかかえて後ずさった。

 

 ――――死体(・・)、子供の死体だ。

 黒とも紫とも知れない肌色をした、何故か顔の半分以上が火傷のように焦げた赤ん坊の亡骸が、そこにあった。

 

「……あっ、ああ……」

 

 目を見開き、有希を抱きしめたまま硬直するハルヒ。

 ただ、自分がいま触れていたのは“赤ん坊の棺“だったのだと、真っ白な頭で理解した。

 

「――――触らないでッ! わたしの赤ちゃんッ!!」

 

 突然この場に駆けてくる、みくる。

 そして棺に覆いかぶさり、まるで赤子を守るようにして、必死に隠そうとする。

 

 

「 ――――わたしの赤ちゃんなのッ!

  わたしのッ!! わたしの赤ちゃんなのッ!! 私の赤ちゃんッッ!! 」

 

 

 

 ハルヒは絶句する。

 やがて大きな声に驚いたメンバー達が、ゾロゾロと集まってきた。

 

 

「ああああああああああああああッ!! わたしの赤ちゃんッ! わたしの赤ちゃんッ!!

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 

 

 皆は、ただ立ち尽くす。

 

 棺に覆いかぶさり、泣き続けるみくるが声だけが、この場に響いていった――――

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 土を掘る。

 谷口と古泉は、ただ黙々とスコップで土を掘っていく。

 

「……はぁ、嫌なモン見ちまったなぁ……」

 

「……」

 

 思わず谷口が呟くも、それに返事を返す者はいない。

 やがて彼らの掘っていた穴が充分な大きさに達した時、ようやくその場にいた皆が動き出し、協力して赤ん坊の入った棺桶を穴へ沈めていった。

 

「――――」

 

 花を添える――――

 皆を代表し、有希が綺麗な花を一緒に墓穴へと入れ、子供への手向けとした。

 

 それを見届けた後、再び谷口と古泉がスコップを操り、土をかけていく。

 皆が沈痛な面持ちで見守る中、再び子供の棺が、埋葬されていった。

 

「どうしてこんなモン、掘り返しちまったんだか……」

 

 ボソリという小さな呟き、だが谷口のそれは意外なほど辺りに響いた。

 きっとこの場にいる誰もが、未だ口を開けずに静まり返っている為だろう。

 

 放心し、まるで現実感を持てないままで、誰もが機械的に動いている。

 

「朝比奈さんは今、どうしてる?」

 

「眠っていらっしゃいます。

 今は鶴屋さんが傍に付いて下さっているそうです」

 

「……そうか」

 

 彼は古泉と隣り合って立ち、静かに眼前の墓をみつめる。

 

 やがてハルヒの指示の下、ようやく皆の身体は動き出した。

 屋敷に戻る為、メンバーがゾロゾロと歩いて行く中……、彼はひとりその場に留まり、ハルヒを呼び止めた。

 

 

………………………………………………

 

 

「ハルヒ、これからどうするんだ」

 

「どうって、みくるちゃんの事?

 そうね……とりあえずあの子が落ち着くまで、撮影は様子を見るけど」

 

「そうじゃない、今は映画の事はいいんだ。

 変だろ? 朝比奈さんの様子。あれは普通じゃない」

 

「へ?」

 

 ハルヒは腕を組み、訝し気な表情で彼を見つめる。

 

「なによ、普通じゃないって。

 確かにみくるちゃん取り乱してたけど……それがどうかしたの?

 あの子は怖がりだし、すごく感受性が豊かなの。

 だからあの食堂の絵や、屋敷の雰囲気にあてられちゃったのよ」

 

「そうかもしれん、だがもう無理だハルヒ。

 ……とにかく俺は、すぐに朝比奈さんをここから離してやるべきだと思う。

 自転車でも何でも良い、俺が朝比奈さんを街まで帰してくる」

 

「はぁ?! 帰すって……それじゃあ撮影はどうするのよ!?

 みくるちゃんは主演なのよ!? あの子いないと映画が撮れないじゃない!

 なに言ってるのよアンタ!! 肩も怪我してるクセに!」

 

 一瞬ハルヒは激昂する。だがすぐに彼の真剣な雰囲気を感じ取り、訝しがりながらも、いったん声を弱める。

 

「う……う~ん。まぁアンタの言う通り、

 確かにみくるちゃんに無理させるのは、あたしも気が進まないわ……。

 でもどうするの? 有希を代役に立てるの?

 あ、屋敷の謎を撮るんだし、古泉くんでやっても雰囲気出るかしら?」

 

「ハルヒ」

 

 彼がハルヒの肩に手を置き、真剣に彼女を見つめる。腕を使う事で一瞬肩に激痛が走ったが、それを気にする事無く。

 

「ハルヒ、お前変だと思わないか?」

 

「きょ、キョン。……何がよ?」

 

「だってあんなトコに子供が埋めてあったり……。

 おかしいだろ、この屋敷」

 

「え、あれは土葬でしょ?

 ここって田舎だし、昔はよくあったのよ。ああいうのは」

 

「それだけじゃない、あの食堂の絵も、この屋敷の感じも。

 上手くは言えん……だがなんか嫌な予感がするんだ、俺」

 

「嫌なって……なによ……」

 

 要領を得ない彼の言葉。ハルヒの声色に少し苛立ちの色がにじむ。

 

 

「なんか、ここに居たら良くない事が起こるような……。

 お前も俺も、どうにかなっちまうような…………そんな気がするんだ」

 

 

 

 一瞬……ハルヒがポカンとした表情を浮かべる。

 しかしすぐにその表情を崩し、突然声をあげて笑い出した。

 

「あは! あはは! あんたまさかっ……怖がってるの?!

 祟りとか呪いとかが、あるんじゃないかって? あははは!!」

 

「おまっ……! おいハルヒ!」

 

「なによ! さんざん人にずぶといみたいに言っておいて!

 結局はあんたがオバケ怖いだけなんじゃないっ! あははは!」

 

 もう愉快愉快と、腹の立つほど嬉しそうに笑うハルヒ。

 

「まさかアンタがオカルト信じてるなんて思わなかったわっ!

 いつも常識人ぶってるのに、意外と可愛いトコあるじゃない! ふふふっ♪」

 

「ハルヒ! いま真面目な話してんだ! 聞けよ!!」

 

「――――なによっ! 嫌な予感とか、祟りとかって!!

 これアンタがやりたいって言ったんでしょ!? アンタが言い出した企画でしょ!?

 なのに、なに勝手にヒヨッてるのよ! そんなんじゃ映画なんて作れない!!」

 

 思わず肩を掴もうとした手を、ハルヒが振り払う。

 さっきまでとは一転し、ハルヒの顔に怒りの色が浮かぶ。

 

 

「――――アンタがやりたいって言うからっ!! ……だからあたし、がんばってっ……。

 いつもあたしをのけ者にして、古泉くんとばっかり話してたじゃない!!

 いつも二人で絵の話ばっかりして! のけ者にしてたじゃない! いつもいつも!!

 ……だからこの企画やりたいって、あんたが言ってくれて……。

 やっとあたしを頼ってくれたって……すごく嬉しかったのにっ……!」

 

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 あれから、暫しの時が経った――――

 

 

「アホ……キョンのアホ……。アホキョン……」

 

 膝を抱え、グジグジと泣いているハルヒ。その傍で、困った顔をして寄り添っている彼。

 

「ばか……ばかキョン。死んじゃえばか……」

 

「その、なんだ……すまんかった、ハルヒ」

 

 あの後、ハルヒは大粒の涙を流しつつ、それでもすぐに“いま自分が言ってしまった事“に気が付がつき、顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまった。

 それからもう数十分の時が経つが……未だハルヒはグジグジと涙を流し、そして彼は静かに傍に寄り添うばかり。

 非常に気まずい雰囲気が漂う中……もう長い事、二人でそうしていた。

 

「なによ……なによなによ……。バカじゃないのバカじゃないのバカじゃないの」

 

「すまん、すまんかったハルヒ。……すまん」

 

 膝に顔を埋め、恥ずかしさを誤魔化すように彼を罵る。

 ハルヒに寂しい想いをさせた事。彼はそれを償うように、また受け止めるようにして……ずっと寄り添っていた。

 

 

「……ねぇ、もういいの?」

 

 やがてハルヒが顔を上げ、うさぎみたいに赤くなった目のままで、彼の方を見る。

 

「ん、なにがだ?」

 

「……映画よ。

 好きなんでしょ……? 間宮一郎の絵。

 ……もう追いかけなくても、いいの……?」

 

 叶えてあげたかった。その気持ちを――――

 彼が好きな物を、与えてあげたかった。夢中になっている姿を、応援したかった。

 その為にこそ、あたしは頑張りたかった――――

 

「ふむ……確かに惜しいな。ここで止めるのは」

 

「……」

 

「でも、いいんだハルヒ。楽しい事はまた探せばいい。

 それに、やっぱ俺は全員で楽しめるモンの方が良いよ。

 ……いくら楽しくても、SOS団の誰かが欠けてるんじゃ、意味ないだろ?

 だからまた面白いこと探そうぜハルヒ。……な?」

 

 

 あったかい笑み。包み込んでくれる優しさ――――

 

 

「……うん」

 

 

 

 

 彼の方をチラチラと見ながら、ハルヒは三角座りのまま、さりげなくズリズリッ……と彼の方に寄ってみる。

 

 彼にバレないように。ギリギリ肩が触れないくらい。無駄に細心の注意を払いながら。

 

 

 少しだけ近くなった彼の体温が、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

………………………………………………

 

 

「――――ふむ、どうやら撤収のようですね」

 

「あいよ、副団長……」

 

「はぁ……やれやれだよホント」

 

「……」

 

 

 そんな二人の姿を、ずっと物陰から見守っていたメンバー達。

 彼らは脱力したように、しかしどこか安心した顔で……屋敷へ撤収の準備をしに向かった。

 

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「了解っさ! そんじゃあアタシも機材を運び出してくるねっ。

 有希っ子は、みくるに付いててもらってもいっかな?」

 

 

 鶴屋が部屋を出て行った後……この場には有希、そしてソファーに横たわったみくるだけが残った。

 彼女の額には濡れタオルが乗せられており、それを定期的に絞り直しながら、そのつど彼女の顔色を確認していく。

 

 そんな作業の合間に、とりあえず有希はこの部屋にある荷物を、出来る範囲で纏め、片付けていく。

 帽子、服、小道具をバスケットにしまい込み、パタパタと部屋を歩き回っていく。

 

 

「――――――」

 

 

 そんな中、音も無くみくるが、ソファーから起き出す。

 

「……? 朝比奈みくる……?」

 

 有希が背を向けていた数秒の間に、彼女がソファーから消える。

 慌てて出入り口の方へと目をやれば、そこには今まさに廊下へと消えていこうとする、彼女のバスローブの白が見えたような気がした。

 

 

………………………………………………

 

 

「……朝比奈、みくる?」

 

 廊下を歩く。彼女の姿を追って。

 点々と廊下を照らす僅かな明かりのみを頼りに、暗い廊下を有希が歩いて行く。

 

 みくるの姿は見えない。足音すらしなかったのに、もうどこかへ消えてしまっている。

 有希は薄暗い視界の中、壁に手をあてながら、ゆっくりとゆっくりと廊下を進んでいく。

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 分からない、いったい何が起こったのか。

 ただ突然、有希の周りにある“影“、その影という影の全てが形を変えて動き出した(・・・・・・・・・・)

 

「ッ!? ――――ッ!!」

 

 光源も、物体も、有希という存在すら無視し、影がひとりでに動き出す(・・・・・・・・・・・)

 上も、下も、横も、前も後ろも、その全ての影が。

 

 うねり、まわり、捻じれ、拡大し、まるで醜悪な化け物のような姿で。

 

 今、この場にある全ての影が。

 意志を持ち、有希へと迫り来ようとしている――――

 

「――ッ! ――ッ!!」

 

 使えない、何も起こらない。

 衝撃波、重力制御、物理防御……、自身が行使できるハズのどの能力を実行しても、何一つ発動しない。

 

 そんな有希の動揺になど構う事なく、周囲の()としか表現できない醜悪な化け物は、さらにその巨躯を巨大化させながら、どんどん有希へと迫りくる。

 

 

「―――ッ! ――――――――ッッ!!」

 

 

 走る――――影に背を向けて、走る。

 今の自分には、それしか可能な行動が無い。それしか出来る事も、思いつく事もありはしない。

 

 分かる。あの影に触れられれば私は消滅する(・・・・・・)――――

 

 何の情報も、何の理屈も、何の根拠もなく感じる。

 そしてそれが決して間違い無い事を、純然たる事実として理解している。

 

 

「はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ!

 はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ!

 はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ!

 はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ! はッ!」

 

 

 

 何もない。今の有希には何もない。

 戦略も、作戦も、道理も、思考も、技術も、力も。

 

 ただ、逃げる為。その本能として。

 有希はただ生き延びる為だけに、全力で駆けていった――――

 

 

………………………………………………

 

 

 突然、叩きつけるような扉の音がし、彼とハルヒがハッと屋敷の方を向く。

 すると向こうから、息を切らせてこちらへと走ってくる有希の姿が、目に飛び込んで来た。

 

「――――ッッ!!」

 

「なっ……長門ッ!? お前ッ!!」

 

 息は上がり、髪は乱れ、その身体は可哀想な程に震えている。

 そんな有希が今、彼の胸に飛び込むようにしてしがみ付き、力一杯に顔を埋める。

 

 

「どうしたっ!? 何があったんだ長門!! オイ!!」

 

「有希ッ!? どうしたのよ有希ッ?! ……有希ッ!!!!」

 

 

 そのあまりの様子にハルヒは駆け寄り、彼はただただ有希の肩を抱く。

 

 やがて未だ焦点の合わない瞳のまま、有希が彼の顔を見上げ。

 震える唇で、その言葉を紡いだ。

 

 

 

「影が来るッ……。

 ……この家は駄目……! 入っては……駄目っ!!

 影が――――影が生きているッ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―7―

 

 

 

【2月3日   結婚10年目にして、私達に初めて授かった子供。妻はこの子を心から愛し、子供もすくすくと成長している。】

 

 

 古泉が、そこに書かれた文字を目で追っていく――――

 

 

【6月8日   事故だった……不幸な事故だった。】

 

【7月2日   妻は心を病んでしまい、部屋に籠ったきりだ。】

 

【4月7日   妻は追い詰められ、自らその命を絶った。それで全てが終わったかに見えた。】

 

 

 震える手で、ページを読み進めていく。

 そして……やがて古泉の目が、最後のページへとたどり着く――――

 

 

【……まるで化け物だ!!】

 

【やめろ! もう罪もない人を殺すのは止めてくれ! 殺すなら私を殺せッ!!】

 

 

 

 

 静かに、日記帳を閉じる――――

 今見た物、読んだ内容を理解するまでに、古泉は随分と時間を要した。

 

「…………なんという、事だ……」

 

 皆と手分けして撤収作業をおこなっていた、その最中。古泉は書斎らしき部屋の机の上に、ふと一冊の本を見つけた。

 そして何気なく手にとり、その日記らしき物に黙々と目を通した。

 しかし、その内容は……。

 

「まさか、あの食堂の絵は……。

 あれはこの屋敷……間宮一郎の……?」

 

 愕然とし、その場に立ち尽くす。

 そこには過去にこの屋敷で起こった出来事、その全てが克明に書かれていた。

 

 苦悩、絶望、耐え難い痛み――――その全てを持って生々しいまでに綴られている、一郎の心。

 この間宮邸の……物語。

 

「いけない、ここに居ては! 一刻も早く……」

 

 彼に、涼宮さんに伝えなくては。

 この屋敷は駄目だ。ここに居てはいけない!! そう彼らに伝え……。

 

「――――ッ!! ……ッ?!」

 

 咄嗟にその場を駆けだし、飛びつくようにして扉に駆け寄った。

 しかしいくらノブを捻ろうとも、ビクともしない。何度力を込めようとも、扉が開かない!!

 

「うっ! ……あっ………………」

 

 ふと、後ろを振り向けば。

 そこにはまるで生き物のようにうねり、ゆっくりと足元に迫りくる“影“――――

 

 

「涼宮……さん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

…………

………………………

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

「……キョンくん……キョンくぅん……」

 

 寄りかかるようにして、壁伝いに歩く。

 

「キョンくぅん……どこぉ……? どこですかぁ……?」

 

 分からない。みくるにはもう、何も分からない。

 ここが何なのか。自分は今、いったいどうなっているのか。その全てが分からない。

 

「どこ……どこにいるのぉ……? こわいよぉキョンくぅん……こわいよぉ……」

 

 気が付けば、この薄暗い廊下にいた。それまでの記憶が全くなかった。

 まるで自分が自分で無くなるような。この真っ暗な世界に、ひとりきりで取り残されたかのような。

 そんな恐怖と孤独の中……みくるはひとり、屋敷を彷徨い続ける。

 

「うっ……うえぇぇん……。うえぇぇぇぇん……。

 寂しいよぉキョンくん……! こわいよぉ……!」

 

 憶えている、あれ(・・)を抱いた感触を。

 焼けただれた顔の、赤ん坊の死体。あれを胸に抱いていた感触が、ずっとこびりついている。

 そして、まるで母親のように微笑んでいた自分の姿。私の中に居たあの誰か(・・・・)の想い。

 それが今も、胸から離れない。

 

 

「たすけて……たすけてぇキョンくぅん…………キョンくぅん……」

 

 

 薄暗い廊下を、歩く。

 乱れたバスローブを引きずりながら、みるくはただ彼の暖かい胸を求め、ヨロヨロと歩いていく。

 

 

………………………………………………

 

 

「おいしょっと! あー重てぇ重てぇ」

 

 物置に使っている、撮影現場から近くの部屋。

 谷口が鉄製の工具箱を床に降ろし、ダルそうに肩を回す。

 

「えっとぉ? これでここにあんのは全部か? 忘れ物はねぇな」

 

 ランプの灯りだけが照らす、薄暗い部屋の中、キョロキョロと辺りを見渡す。

 ここにある荷物を全部運んでしまえば、とりあえず自分の担当は終わりだ。後は他の連中の様子をみて、その都度手を貸してやれば良いだろう。

 そんな風に谷口が考えを纏めていた時……突然入り口の方から、人が倒れ込む音が響いた。

 

「うお゛っ……!! って、え? ……みくるさん?」

 

 そこにいたのは、まるで力尽きたように床に倒れ伏す、みくるの姿。

 髪は乱れ、辛うじて身体に引っ掛かっているという感じのバスローブ。その素肌の大部分が露わになっていた。

 

「ど……どうしたんスかみくるさん?! こんなトコ来て!

 ちゃんと休んでねぇと……」

 

 ぐったりと、まるで泥酔しているかのように仰向けになり、みくるは愛らしい吐息を漏らしている。

 バスローブははだけ、その果実を思わせるたわわな胸元が露わになっており、すぅすぅという吐息に合わせてゆっくりと上下している。

 裾も大きくはだけ、大胆に露出する彼女のふともも。それを見て谷口は、ゴクリと喉を鳴らす。

 

「み……みくるさん? ……ね、寝てるんスか……?」

 

 思わず、と言ったように、谷口がみくるに覆いかぶさる体勢になる。

 妖艶なまでのその姿に、頭が沸騰しそうになる。だんだん物を考える事が出来なくなる。

 色っぽい脚、吸い寄せられそうになる大きな胸、柔らかそうな唇。

 谷口がゆっくりと、みくるに顔を近づけていこうとした……その時。

 

「――――キョンくん!! キョンくぅぅぅんっ!!!!」

 

 突然目を開いたみくるがガバッと谷口に飛びつき、おし倒すようにして、上に跨った。

 

「キョンくんっ♪ キョンくんっ♪ キョンくぅん♪」

 

 首に腕を回し、ガッチリと抱きしめる。

 まるで子犬のようにスリスリと頬擦りをするみくる。そして「んー♪」と愛らしい声を上げて、おもむろに唇を奪う。

 

「~~ッ!?!?」

 

「キョンくん♪ キョンくぅん♪ すきっ! すきっ! すきっ!」

 

 みくるのたわわな胸が、谷口の胸板でぐにっと潰れる。そのふとともをギュウギュウと絡ませる。

 嬉しそうにグイグイと身体をゆすり、無意識に下腹部の辺りを谷口にこすりつけている。

 その度にみくるの唇から、艶やかな吐息が漏れた。

 

「キョンくぅん♡ キョンくぅん♡ キョンくぅ~ん♡」

 

「!? !?!?」

 

 全身を凍り付いたように硬直させ、ただただ身を任せる谷口。頭はもう真っ白、今なにが起こっているのか分からない。

 

(え? 俺をキョンと勘違いしてる?! ……じゃ、じゃあ今声出したらヤバい?!)

 

 みくるは今、谷口にキスの雨を降らせている。そして豊満な身体をスリスリとこすりつけ、甘えるように艶やかな声を漏らし続けている。

 あったけぇ……柔らけぇ……すんげぇ気持ちいいッ……!

 

(声出したら、俺がキョンじゃないってバレちまう!

 そしたらみくるさん、これ止めちまうよ!!)

 

 ここは薄暗いから、声さえ出さなきゃイケる! バレずに最後まで!

 未だ硬直し、放心した状態でそんな事を考える谷口。

 

「キョンくんっ、してっ♪ してっ♪

 して欲しいのぉキョンくぅん♡ キョンくんしてぇ♡」

 

「~~~~ッッッッ!?!?!?」

 

 プツンと何かが切れる音が聞こえた。

 次の瞬間、谷口は逆にみくるの身体を押し倒し、その上に覆いかぶさる。

 

 獣のように荒々しく押さえつける。むしゃぶりつくように胸に顔を埋める。みくるの甘く愛らしい声だけが部屋に響いていく……。

 

 

「……ッ! ――――ッ!?」

 

 

 組み伏せられ、必死に快楽に抗うようにして、谷口の身体にしがみつくみくる。

 そんな中……男の身体越しに見える天井の影が――――まるで醜悪な生き物のように蠢いている事に気付く。

 

「――――いやぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 谷口を突き飛ばし、後ろへ後ずさる。壁に背中がぶつかるまで這いずりながら後ずさった。その顔に驚愕の色を浮かべて。

 

「あぁ………あぁぁぁあああああ……」

 

「ちょ、どうしたんスか、みくるさん?! あっ、いやその! 俺……」

 

 そのあまりに異常な様子に、さっきまでの状況を忘れて声をかけてしまう谷口。だがみくるにそんな事を気にしている様子は無い。

 ただただ彼女は絶望したような表情を浮かべ、谷口の背後に迫る“影“を見続けていた。

 

「みんな……死に、ます……」

 

 ボソリと、みくるが呟く。

 その声を聞いても、谷口はただ困惑の色を浮かべているばかり。

 

 

 

「―――――――――みんな死ぬ!!!!!!!!!!」

 

 

 

 駆け出す――――みくるが部屋を飛びて行く。

 逃げるように、何かから逃げ出すように。悲鳴を上げて部屋から駆け出していく。

 

『ちょ……! なっ……! ななな何だよコレ!!!??? いったいどうなっ……?!

 あぁっ!!!! あああああああああぁぁぁぁあああああああああああ!!

 あああ熱ぁッッ!!!! ああああ熱ぁぁぁぁぁぁあああああッッッ!!!!!!』

 

 

 背後から、谷口の叫び声――――

 だがそれに振り返っている余裕は、みるくには無かった。

 

 

…………………………………

 

 

 走る。よたつきながら、必死に。

 時に転び、物にぶつかりながらも、薄暗い廊下を。

 

 ――――影が来ている!!!!

 ――――――波のように、怪物のように、大勢の人間の手のように!!!!

 

 わたしを捕らえようと、後ろから追ってくる。

 わたしを飲み込もうと!! 殺そうと!!

 

「あああぁぁあ!! あああぁぁあああ!!!!」

 

 何度も物にぶつかり、何度も後ろを振り返りながら、悲鳴を上げてみくるは逃げまどう。

 

「ああああああああ!!!! あああああああああああ!!!!」

 

 次々に廊下のランプが割れていくる音がする。

 影が走り、影がそこに触れる度、ランプが爆散する。影が光を飲み込んだかのように。

 まるで、光が闇に屈した事を、表すかのように。

 

「あああああああああああ!!!! ああああああああああ!!!!

 あああああああああああああああ!!!!」

 

 次々に屋敷内が闇に呑み込まれていく。闇に呑まれ、闇その物となり果てていく。

 生を許さぬ、光ある者を許さぬ醜悪な影が、どんどん屋敷を埋め尽くしていく。

 

「――――ひぃっ!!!!」

 

 恐怖、生への渇望、生物としての本能。それらに追い立てられるようにして必死に走っていたみくるの脚が、止まる。

 

 全て消し飛んでしまう。動く事が出来なくなってしまう。

 今、眼前にある物を、一目見たした瞬間に――――

 

「…………あぁ……ああぁぁああ………………」

 

 廊下の突き当り。

 そこに立っていたのは、白いドレスの女性。長い髪を前に垂らし、その隙間からこちらを見つめる女性。

 

 

 抉り取ったように片目が無い(・・・・・)、女。

 

 

「――――――きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 逃げ出した。

 

 這いずるようにして、廊下を引き返す。

 

 いままで必死に逃げてきた影の存在も忘れ、気が狂ったように泣き叫びながら。

 

 

 ただ、逃げる。目の前の存在から――――

 

 みくるは我を忘れ、叫び声を上げて来た道を引き返していった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「はぁっっ!! ……はぁっっ!! ……はぁっっ!!

 ああああぁぁぁあああっ…………!!」

 

 やがてみくるの身体はドアへとぶつかり、その脚が止まる。

 ここは先ほどいた物置部屋の扉。

 先ほどみくるが、谷口を置いてきた部屋だった。

 

「はぁっ……! はぁっ……はぁぁっ……。

 たっ……谷口、くぅん……?」

 

 やがて時と共に、上がっていた息が元に戻っていく。そしてようやく今の状況、ここがどこなのかを理解する事が出来てきた。

 今見た物、今ここで起こっている現象など微塵も理解出来ない。だが未だ混乱した頭で扉を開け、みくるは谷口の名を呼ぶ。

 恐る恐るといった足取りで入り口をくぐり、ゆっくり中へと進んでいく。

 

「谷口……くぅん? ……谷口くぅん……?」

 

 アレは彼では無く、谷口だった。それはぼんやりとだが憶えている。

 だが谷口にされた事、先ほどの行為の是非、そんな事をいま気にしている余裕は無い。

 

 ただ、ひとりで居たくない。誰かと一緒じゃないと、耐えられない――――

 

 みくるは縋るような気持ちで、他に何も考えられない頭のまま……、谷口の名を呼び続ける。

 

「どこ……? 谷口くぅん……? どこぉ……」

 

 部屋の中を見渡すが、誰の姿も見えない。

 張りつめていたみくるの意識は弛緩し、ふと今来た出入り口の方へ戻ろうと、踵を返そうとしたした、その時。

 

 

「――ひっ!!」

 

 足を、掴まれた。

 誰かに、ガシッと、驚くような力で足首を掴まれた事を理解すると同時に、みくるは床に倒れ込む。

 

「――――ッ!?!?」

 

 驚いていたのも、束の間だった。

 倒れ込みながら、いま物凄い力で圧迫されている自身の足首を目で追っていくと……

 

「あ……あぁア……。みくる……サァ……ン……」

 

 谷口がいる。

 いま谷口が、必死の形相でみくるの足首を掴み、こっちに這いずって来ようとしている。

 

「……連れてっ……て。…………連れテって……クれよぉっ……!!」

 

 下半身の無い谷口が(・・・・・・・・)

 いま縋りつこうとするように、みくるへと這いずっていた。

 

 

「い…………いやぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああーーーーーッッ!!!!」

 

 

 顔面を蹴りつけ、拘束から逃れる。

 発狂したような悲鳴を上げて逃げようとするも、みくるはジタバタと床でもがくばかり。

 腰の力が抜け、上手く立ち上がる事が出来ない。

 

「いやぁああああああ!! いやぁぁぁぁああああああああああああああああ!!!!」

 

 後ずさり、背を向け、必死に部屋の隅まで逃げる。

 いったい自分は今、何から逃げているのか? そんな事はもう、みくるには分からない。

 ただ目の前にあるその恐怖から、自分に向けて這いずって来る化け物から(・・・・・)、みくるは必死に逃げまどう。

 

「み゛……みぐるサァ……ン゛……! み゛ぃ゛……ッ! ……オ゛……ォ」 

 

 谷口は追いすがる。

 腕だけで、這いずり、必死の形相で、みくるの居る方へと。

 

「オ゛……オ゛ォ゛ッ……! ア゛……ッ! み゛……みぐ……ルザァ゛……!」

 

 ふと見れば、恐らく谷口の下半身があった(・・・)であろうその位置には……今ドロドロに溶けきった赤い肉片、そして溶けずに残ったらしき靴だけが残されている。

 そこから今みくるが居る方へと向けて、血と、腹から零れ落ちた臓物によって、赤い線が引かれていく。

 

 どこまでも、どこまでも。

 悲鳴を上げて逃げまどうみくるの後を、どこまでも追いかけていく。

 

「……連れ゛て゛、け……よ……! ……連レテって、グれ……よ゛ぉ゛!!!!」

 

 やがて壁に追い詰められたみくるの脚を、再び谷口が鷲掴む。

 もう決して離さぬと、そこから両腕で引き寄せ、身体にしがみつく。

 谷口の身体がだんだんと、みくるへと覆いかぶさっていく。

 

 憤怒の表情をした、下半身の無い化け物が(・・・・)、みくるに覆いかぶさっていく。

 

「嫌ッ!! イヤァッ!! ―――――いやああああぁぁぁぁぁああああああああ!!!!」

 

 偶然そばにあった工具箱。思わずみくるはそれに手をやり、中にあったレンチのような鉄の塊を掴む。

 

 そしてその“化け物“の頭に向け……思い切り振り下ろす。

 

「 ……き゛お゛ッ!!   お゛ぁ゛!!!!       ……お゛ッ……   」

 

「あああああぁぁぁぁぁぁああああッッ!!!!

 ああああああああぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁ!!!!」

 

 ――――何度も、何度も。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 

 

「あああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 

 

 血が飛ぶ。

 鉄が頭蓋を砕く。

 女の叫び声が、部屋に響く。

 

 延々と、延々と。

 女が男の頭に、腕を振り下ろし続ける。

 

 

 

 

「……………………………………はぁっ……! はぁっ……!! はぁっ……!!」

 

 やがて、レンチが床に落ちる固い音が、辺りに響いた――――

 一転して当たりは静まり返り、いまこの部屋には、女の荒い息遣いの声だけが響いている。

 

「……ああぁぁ……ああぁぁぁぁッ…………!!!!」

 

 女は立ち上がり、ヨロヨロとその場を離れていく。

 崩れそうになる身体、それでも今すぐにこの場を離れたいのだと、必死によろめきながら歩いて行く。

 

「う゛っ……! う゛わぁぁあああああーーーーッッ!!

 う゛わぁぁぁぁああああああああああーーーーーーーーッッ!!!!」

 

 やがて満身創痍の身体で部屋を抜け出し、だが力尽きたようにその場に蹲ったみくるが、声を上げて泣く。

 壁に縋りつき、まるで童女のように声を上げ、泣き崩れる。

 

「キョンくん゛!! キョンく゛ぅぅぅん゛ッ!!

 わぁぁああぁーーーー!! キョンく゛ぅぅーーーーん゛!!

 うわぁぁぁぁあああああああーーーーーーーーッッ!!」

 

 もう目の前が見えない。どこへも行く事が出来ない――――

 みくるはただ彼の名を呼び、慟哭の声を上げ続ける……。

 

 

 

 

 

 ――――カラッ。

 

 

 

 

 

 ……………………ふと、いま何かが床と擦れる音がした。

 何か重い、金属のような物が……固い床と擦れあったような固い音が、小さく聞こえた気がした。

 

 ピタッと、みくるの鳴き声が止まる。

 思わず目を見開き、みくるは放心したように、ふと頭上を見上げる。

 するとそこに、大きな斧(・・・・)の姿が、映った。

 

 

 ――――――クッ。

 

 

 斧が、こちらを向く。

 決して誰かが動かしたワケでも、風や、床の傾きのせいでも無い。

 いま頭上にある斧が、まるで見えない手にでも動かされたように、クッとその刃をみくるの方に(・・・・・・)向けたのが分かった。

 

「ヒッ!!」

 

 思わず、後ずさる。

 するとみくるの腰が、突然落ちる。

 偶然その場にあった車椅子に、みくるの身体はストンと収まった。

 

 

 ――――フッ。

 

 

 何が起こったのか分からず、ポカンと放心したまま上を見つめる。

 そんなみくるの頭上から、いま斧がゆっくりと傾き、まっすぐ落ちてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――グジャッッ!!!!

 

 

 

 

「……ッッ!! ――――――――――ッ――」

 

 

 

 重い鉄塊が、人体に刺さる音。

 

 その衝撃により、みくるの身体がカラカラと音を立てて、後方に流れていく。

 

 

 

 ただ呆けたように、ちょこんと車いすに乗っている、みくる。

 

 いま彼女の身体が、大きな斧を額に刺したまま、カラカラと進んでいった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―8―

 

 

 

 彼の胸に飛び込むなり、有希は膝から崩れ落ちるようにして倒れ込み、ずっとその身を震わせていた。

 そんな彼女の傍に寄り添っていた二人。

 辺りはもう日が暮れており、夜の闇が三人を包もうとしていた。

 

「アイツら、どうしたんだ……。誰も屋敷から出てこない」

 

 あのハルヒとのひと悶着が収まった頃、そこを狙いすましたかのように現れた古泉によって、ここを撤収する指示は全員に伝わっているハズだ。

 しかしこの場にいる有希以外、どれだけ待とうとも、一人も帰って来る気配が無い。

 

 今も可哀想なほど震えてしまっている有希を置いてはいけず、この場に留まってはいたが……、この事態に異常性を感じた彼は、そっと有希の身体をハルヒに預けた。

 

「ハルヒ、ちょっと様子を見てくる。お前はここに居てくれるか」

 

「待って! 待ってよキョン!

 ……おいて行かないで。あたし……」

 

 ハルヒが不安げな表情を見せる。

 普段の彼女らしからぬその姿に、いまハルヒもようやく、この屋敷に漂う不穏な雰囲気を感じ始めた事が分かった。

 

「だめ……! いっては、だめ……!」

 

 ハルヒの腕の中、縋りつくような目でこちらを見つめる有希。必死に小さなその手を伸ばし、彼の服を掴む。

 

「長門、ちょっと見てくるだけだ。

 何かありそうなら、すぐここに戻って来るから。

 ……ハルヒ、少しの間だけ頼むぞ。長門を見ててやってくれ」

 

「キョン……」

 

 彼がそっと有希の手を握り、この場を動こうとした、その時。

 

「……ん? なんだ?」

 

 突然三人の後方から車のライトらしき光が差し、辺りにエンジン音が鳴り響いた。

 

「おい、あれは……」

 

「……山村さん?」

 

 車を降り、そのままズカズカと一直線にこちらに向かってくる人影。

 それは昼間にハルヒ達が出会ったガソリンスタンドの主人、山村だった。

 

「――――誰だ! あんな事をしたのはッ!! お前かッ!!」

 

「ッ?!」

 

 いきなり山村が彼の胸倉を掴む。怒りに震える声で、彼を問い詰める。

 

「――来いッ!!」

 

「う゛っ!! ……うぐッッ!!」

 

「キャーッ!! ちょっと山村さん!? 駄目ぇッ!!」

 

 胸倉を掴んだまま、彼をどこかへ連れていこうとする山村。その腕にハルヒが飛びつく。

 

「駄目ッ、彼ケガをしてるの! 乱暴な事しないで!!」

 

「……」

 

 縋りつくようなその声に、山村の動きが止まる。

 そして無言のまま胸倉から手を離し、代わりに背中を押して、彼をどこかへと歩かせていく。

 

「ちょ……! いったい何しやがんだ!」

 

「いいから来いッ!!」

 

 やがて山村はその場所に辿り着き、彼を開放する。

 ここは裏庭の、あの赤ちゃんを埋めた場所だ。山村は指を突き付けながら、彼に迫る。

 

「見ろッ! これを何だと思ってる! 供養塔だぞ!!」

 

「く……供養塔……?」

 

「お前か! お前だろう壊したのは!!」

 

「俺じゃねぇ! 何なんだよいったい!」

 

「……山村さん、あたし達なんにも知らないの!

 ホントにあたし達じゃないのよ……!」

 

 彼を怒鳴り付け、山村がその場の石を拾い集め始める。この崩れた供養塔を、せめてもの想いで片づけているのが見て取れた。 

 

「お前、この子達の何だ? 彼氏か何かか?」

 

「仲間だよ! 一緒にここに来た仲間だ!」

 

「じゃあ、用が済んだらさっさと帰れッ!! この子達を連れて!!」

 

 怒声を放ち、山村が彼を突き飛ばす。決して強い力では無かったが、小さく彼の身体が後ずさる。

 それでも負けん気の強い彼は、ひるまず山村に食って掛かる。理不尽に見える山村の態度に怒りを露わにする。

 

「アンタにそんな事いう権利ねぇだろう!!

 俺たちは、ちゃんと役所に許可とって……」

 

「いや……」

 

 供養塔をじっと見つめていたその瞳が、いまハッキリと彼の目を見据える。

 

「権利はある――――わしには」

 

 そう言い捨て、再び彼から目線を切って供養塔に向き直る山村。その場にしゃがみ込み、沈痛な面持ちで石を拾い集めていく。

 

「山村さん、ここで何があったの……? ここっていったい何なの?」

 

「……!」

 

「お嬢ちゃん達には関係ない事だ。さぁ、とにかく早く帰れ」

 

 ハルヒや長門の方を見ようともせず、黙々と供養塔に向き合う山村。その態度に彼は激昂する。

 

「帰りたくても帰れねぇんだッ!!

 まだ屋敷ん中に仲間が残ってんだよ!!

 ……ハルヒ、俺は古泉たちを探してくる。もう構ってられん!」

 

 その言葉に目を見開く山村を余所に、彼は背を向けてズンズンと進んで行く。

 やがてそんな彼の背中を追いかけ、時折山村の方を振り返りつつも、ハルヒ達も屋敷へと向かって行く。

 

「おぉい! 家の中に入るんじゃないぞっ!? ……おぉい!!」

 

 そう山村は呼びかけるが、彼は返事をする事も無く、屋敷の中へ進んでいった。

 

 

………………………………………………………………………………………………

 

 

「おーい古泉ー? 谷口ー?」

 

 三人で寄り添うようにして歩く。

 話を聞かずに飛び込んで行ってしまった彼に追従する形で、ハルヒと有希も再び屋敷に足を踏み入れる事となった。

 

「どこだー? 国木田ぁー! 鶴屋さーん!」

 

「みくるちゃーん? どこー?」

 

 薄暗い廊下を見渡しながら、声を上げる二人。

 いま有希は彼に縋りつくように、精一杯の力で彼の腕を抱きしめている。彼は有希の身体が未だにガクガクと震えている事を感じながら、一刻も早くと仲間の名を呼び続ける。

 

「ハルヒ、やっぱ長門と外で待ってろ。

 俺がひとっ走りして皆を呼んでくるから」

 

「なに言ってんのよ! もう入っちゃったら一緒に行くしかないでしょ!

 ……こんな所で、離ればなれなんて……!」

 

「……!」

 

「いや、まぁそりゃそうだが……。

 でもちょっと、歩きにくいっていうかな?」

 

 もう全力で彼にしがみ付き、その体重の大半を預けてしまっているんじゃないかと思われる彼女たち。

 このように女の子ふたりからギューギュー引っ付かれるというのは、男子としては本望と言えるのだろうが……、それにしても歩きにくい事この上ない。

 有希などはもう、彼の首に手をまわしてギュッと抱き着いてきてるし。とても愛らしくはあるのだが。

 

「いない……やっぱ現場の方か? とりあえず絵の部屋まで行ってみるか」

 

「うん……」

 

「……」

 

 引っ付いている二人をズルズル引きずるようにして、壁画の間の方へと歩いて行く。

 ふとその途中にある物置部屋を覗いてみると、なにやら前に見た時と違い、少し部屋が散らかっているような印象を受けた。

 とりあえず彼は扉を開け、二人を伴って中に入ってみる事にする。

 

「おーい、誰か居るかー?」

 

 一応の用心として、彼が率先して前を進み、中を確認していく。ハルヒと有希の二人は寄り添い合いながら後ろに付いていく。

 

「ん? ……谷口か?」

 

 すると彼が、何かを発見したように、声を出した。

 

「……寝てんのか? おい谷口、お前こんなトコで……」

 

 彼が近づいていく。するとだんだんとその姿が露わになる、谷口の身体。

 

「――――ッ!?!?」

 

 思わず口元を押さえる。彼が絶叫をせずにすんだのは、ただ目の前のそれを見て頭が真っ白になったから。

 

「谷口…………お前ッ……」

 

 頭が潰れている(・・・・・)

 いま床に倒れている谷口の頭部は、まるで腐った果実のように大きく抉れ、その中身を垂れ流していた。

 

「い……いやぁぁぁぁぁあああああああーーーーッッ!!」

 

 ハルヒが気付く。谷口の下半身が無くなっている事に(・・・・・・・・・)

 恐らくは谷口の脚や腰だったであろうドロドロに溶けた肉塊が、床にある事を。

 

「……見るなハルヒッ! 見るなッ!! ……見ちゃイカンッ!!!!」

 

 傍にあった毛布を引っ掴み、急いで谷口の遺体に被せる。

 心はグシャグシャ、何ひとつ理解出来ない。だがハルヒの悲鳴、そして目を見開いた長門の顔を見た瞬間、咄嗟に彼の身体は動いた。

 そうせずには、いられなかった。

 

「……はぁっ! はぁっ! はぁっ! ……………………あ?」

 

 床に尻もちを搗き、必死で息を整える。

 だがそうしていた彼がふと部屋の扉の方を見ると、そこには何やら赤い光。まるで何かが燃えているような炎の灯りが小窓から洩れているのが見えた。

 

「な…………何だ」

 

 彼はよろつきながら立ち、まるで幽鬼のように、吸い寄せられるようにして扉へと歩いて行く。

 今も扉の小窓からは、炎らしき光、そしてゴボゴボと何かが溶けだすような音が聞こえている。

 

「…………………………あ……あぁ……」

 

 力なく扉を開けた彼が見た物……それは車椅子に座る女性らしき人物の身体。

 大きな斧が頭部に刺さり、その身体は今、まるで赤い飴細工のようにドロドロと溶けだしていた(・・・・・・・・・・・・)

 

「あ……朝比奈、さん――――」

 

 辛うじて、彼女の脚が見えた。

 みくるの物と同じサンダルを履いた脚だけが、超高温により溶岩の如く溶けていく肉体に、残されていた。

 

「…………あ、ああ……」

 

 彼がその場にへたり込む。身体から力は抜け、その目だけが見開いたまま眼前の光景を見つめ続けていた。

 

「うわぁぁぁあああ!! うわぁぁぁあああーーーーッ!!」

 

 ハルヒは絶叫する。天を仰いで。

 彼女が強く抱きしめる腕の中で、有希がひたすらに何かを呟き続けている。

 

「情報復元を申請……朝比奈みくる及び屋敷内にいる全ての有機生命体の復元を申請。

 ……情報復元を申請……朝比奈みくる及び屋敷内にいる全ての有機生命体の……」

 

 有希は呟き続ける――――だがそれが叶う事は無い。

 目を見開き、ただ懇願するように……身を震わせながら言葉を紡ぎ続ける。

 

「……出ろッ! 行くぞお前ら! 早くこっから出るんだッ!!」

 

 我に返った彼が駆け寄り、彼女たちの肩を抱く。崩れ落ちそうになる彼女らを支え、必死に出口へと誘導する。

 

 状況など分からない。もうロクに物を考える事も出来ない。

 しかし今わかっているのは、一刻も早くハルヒ達を逃がしてやらなければならない事。この屋敷から出なくてはならないという事。

 

 古泉、国木田、鶴屋さん――――まだどこにいるのか分からない仲間たちもいる。

 だが、いま必死に自分の胸にしがみ付き、そして哀れな程に震えている彼女達の姿をを見て。今の彼に出来るのは、ただそれだけだった。

 

 

「おい、どうした? 大丈夫か坊主!」

 

 もうグシャグシャになった思考のまま必死に扉から出た彼の身体が、誰かにぶつかった。

 

「……山村、さん?」

 

「何があった? どうしたんだお前たち!」

 

 そこにいたのは、あの偏屈な中年。

 恐らくは彼らを追いかけてきたのであろう山村が、真剣な声で問いかける。

 

「……あっ……あれを!」

 

「ん……?」

 

 彼が指さした方を、山村が確認しに向かう。

 毛布に包まれた谷口の遺体、そして隣の部屋で溶岩のように溶けている朝比奈みくるの身体を。

 山村は目を見開く。だが決してそれに動揺する事は無い。

 しっかりとその目で仲間たちの惨状を確認し終えた後……、山村が静かにこちらへと向き直る。

 

「山村さん、これは何だ!? 何が起こったんだアイツらに!」

 

「教えて山村さん……いったいどうなってるの? なんでこんな……!」

 

 彼らが問い詰める。だが山村は眉に皺を寄せて黙り込むばかり。

 

「……とにかく、ここを離れろ。屋敷を出るんだ」

 

「山村さんッ! アンタ!」

 

「いいから歩けッ! 話はその後だ!!」

 

 掴みかかろうとした腕を逆に強く掴み、山村が真っすぐに彼の目を見据える。

 

「落ち着け、とにかくここを離れてからだ。……いけるな?」

 

「……あ、あぁ。……すまん」

 

 怒気が抜け、項垂れるように下を向く彼。山村は彼を促し、出口へと先導して行く。

 そしてハルヒもそれに従い、共に歩こうとした…………その時。

 

「――――!?」

 

 背後から風が吹く。そして何かの唸り声のような声が聞こえる。

 ハルヒが後ろへ振り向く。そこにあったのは壁一面もあろうかという、巨大な影。

 女の形をした(・・・・・・)、巨大な影だった。

 

「ッ!!」

 

「っ……!!」

 

 それに気付き、彼が身を固くする。山村も巨大な影を前にし、目を見開く。

 

 長い髪は揺れ、こちらを見つめて立ち尽しているかのような姿の、女の影。その姿はどんどんと大きくなっていき、今にも天井まで届こうとしている。

 今にも、彼らを覆い尽くさんばかりに。

 

 

 

「――――おかあさん?」

 

 

 

 ……そんな中、ハルヒは有希の呟いた、小さな声を聞く。

 

 

「 おかあさん。  おかあさんなの ? 」

 

 

 ――――突如、有希がハルヒの腕から飛び出す。

 

「……有希っ?! 有希ぃーッ!!」

 

 ――――有希が駆け出して行く。嬉しそうに笑いながら、廊下へ飛び出していく。

 

「おい長門!! ……おいッ!!」

 

「有希ッ!! どこ行くのよ有希!! 有希ぃぃーーーッッ!!」

 

 

 

 彼らも即座に廊下へと飛び出す。必死に有希を追う。

 

 まるで子供のような、赤ん坊のような笑みを浮かべた有希の背中が、薄暗い廊下へと消えていく。

 

 

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 

 あはは     あははは   あはは

 

 

 ――――幼子の、笑う声が聞こえる。

 

 

 あは       あはは     あはははは

 

 

 ――――有希が、まるで踊るようにクルクルと回り、嬉しそうに遊んでいる。

 

 

「……有希……」

 

 有希の背中を追い、寝室らしき部屋へと辿り着いた三人。

 先ほどまで必死に有希を見失わないよう追いかけたが、それをあざ笑うかのように、現れたり消えたり。

 まるで追いかけっこをするように、有希は楽しそうに屋敷を駆けまわっていた。

 

 

『  おかあさん  おとうさんだよ    おとうさんがきた  』

 

 

 有希が部屋の中心で、花のようにクルクルと回る。

 いま彼らが呆然と見守る中……有希がゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

 

『  うれしいね  おかあさん    さんにんで暮らせるね  』

 

『  さぁ  おとうさん     こっちにきて  』

 

 

 やがて有希がその動きを止め、ゆっくりと彼の方に向き直る。

 

 

『  どうしたの  おとうさん?      はやくいらっしゃい?  』

 

 

 表情は伺えない。何故ならいま有希の身体は、その全身を“影“に覆われているから。

 

「長門……」

 

 彼はただ立ち尽くす。

 どうしていいのかすら分からず、ただ有希の姿を見つめるばかり。

 

「有希……? 貴方……」

 

 ハルヒが駆け寄ろうとする。しかしその瞬間――――

 

「――――キャッ!!!!」

 

 彼女が手にしていた懐中電灯が割れる。

 一歩眼前の闇に足を踏み入れた瞬間、ガラスが粉々に砕け散る。

 

 闇が光を拒む。……いや、光が闇に屈する。

 この闇に、光は決して届かない――――それを彼らに思い知らせるかの如く、背後の壁のランプが次々に破裂していき、辺りを暗闇で包んでいく。

 

 今も有希は、嬉しそうに笑い声を上げている――――

 

「……長門ッ……」

 

 思わず有希に駆け寄ろうとしたその肩を、山村が留める。

 

「待て。……こいつはあのお嬢ちゃんじゃ無いぞ」

 

 全身を闇に包まれ、影絵のような姿の有希。いま山村が一歩前に進み、それ(・・)に問いかける。

 

「誰だ、お前は――――」

 

 有希の笑い声が、止む。

 もうあの少女の面影はどこにもない。いま目の前にあるのは、人の形をした“闇“だ。

 

 山村は懐から土偶……あのハルヒにお守りだと言っていた物を取り出し、ゆっくりと有希へと近づいて行く。

 

 

『――――』

 

 

 有希の顔に、ヒビが入っていく(・・・・・・・・)

 まるで乾いた石膏のように、パリパリ……パリパリと音を立て、崩れていく――――

 

 それをしっかりと見据えながら、山村は土偶を前に突き出したまま、ゆっくりと近づく。

 

「……ッ!!??」

 

 手にした土偶が焼けるように熱を放ち、赤く発色する。

 影の力を受け、身を焼かれるように。まるで強大な闇の力を吸収しかねているように、土偶が炎のように発色して凄まじい熱を持っていく。

 

「うっ……うぉぉぉあああッッ!!!!」

 

 山村が吹き飛ばされる。

 その身体は大きく後退し、音を立てて廊下の壁にぶち当たる。

 

 ハルヒが慌てて駆け寄るが、それを山村は手で制す。そしてよろめきながらも立ち上がり、目の前を見据えた。

 

 いま目の前にあるのは、一面の闇――――

 愛らしかった有希の姿は闇に消え、ついに馬脚を現した邪悪な闇の空間だけが、ハルヒ達の眼前に広がっている。

 そこに一切の光は、見えない。

 

「長門……」

 

 思わずといったように、彼が手を“闇“の中に入れる。

 次の瞬間、彼の右手は音を立てて弾かれ、青白い電流のような物に焦がされる。

 

「う゛ぁ゛っ!! あ゛ぁぁあああッーー!!」

 

「馬鹿が! 死ぬつもりか坊主ッ!! さっき仲間がどうなったか見たろうがッ!!」

 

「うるせぇ!! 離しやがれッッ!! ……長門ぉぉーーーーッッ!!!!」

 

 その制止を振り切り、彼が闇の中へ飛び込む(・・・・・・・・)

 恐怖も、痛みも忘れ、ただ中にいる有希を救い出そうと、その身を闇の中に投げ出していった。

 

「キョンッ?!?! キョンーーーッッ!!!!」

 

 ハルヒの叫び声。

 その次の瞬間――――――まるで吐き出すようにして彼が闇の中からはじき出され、廊下の壁に強く叩きつけられる。

 

「キョン!! しっかりしてよ!! キョンッ……!! キョンッッ……!!!!」

 

 壁に激突し、完全に気を失いぐったりとしている彼。

 ハルヒは泣きながら彼に駆け寄り、身体にしがみ付く。

 

 

「……ぬぅ」

 

 

 そして、ガシャンと音を立て、ひとりでに閉じる扉――――

 まるで、もう終わりだと……この子は貰ったと、そう言うかのように。

 

 

 ハルヒたちの眼前の扉は、有希をその中に取り込んだまま、完全に閉ざされた。

 

 

 

……………………

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 撮影機材の置かれた、壁画の間。

 ここはその慈愛に溢れた絵がある為なのか……まるで聖域であるかのように静けさに包まれており、暖かなランプの灯りに照らされている。

 

 あの後、ハルヒは山村の指示により、気絶した彼をこの場に運び込んで休息を取らせていた。

 彼女は甲斐甲斐しく彼に付き添っており、今は怪我を追ってしまったその右手に包帯を巻いてやっている。

 

「……いっ、いってぇ……」

 

 やがて、今まで気を失っていた彼の意識が戻る。

 ハルヒは安堵の表情を浮かべ、共に付いていた山村も安心したようにふぅとため息を付いた。

 

「なんだ……? おい、どうなったんだハルヒ……? 俺は……」

 

「じっとしてて。アンタおもいっきり壁に叩きつけられたんだから。

 たぶん頭を打ったハズよ。……気分は?」

 

「壁……? いやまぁ、背中だの頭だの、そこらじゅう痛いが……。

 んな事より、今どうなってるんだ? ここは……」

 

「壁画の部屋よ、現場。

 アンタ2時間も気を失ってたの。大人しくしてて頂戴」

 

 胸元をグイッと押し、無理やりまた座らせる。

 未だ彼はキョトンとした表情を浮かべているものの、この調子ならば大事はなさそうだ。

 ハルヒは厳しい口調で注意しながらも、内心安堵する。

 

「坊主、肝を冷やしたぞ。

 分かったらもうするな。次は怪我だけじゃすまんぞ」

 

「や、山村さっ……!? い゛っ! いってぇ……」

 

 思わずまた立ち上がろうとし、痛みに頭を押さえる彼。あわあわと駆け寄って行くハルヒの姿に山村は苦笑する。 

 

「なぁ山村さん……さっきのは何だ?

 この屋敷はいったい何なんだ? アンタ……知ってるんじゃないのか」

 

 ハルヒにベタッと濡れタオルを額に乗せられながら、彼は問いかける。

 山村は少し離れた場所で胡坐をかき、再びふぅとため息をついた。

 

 

 

「あぁ、もう今から数十年も前の事だ。

 ……この屋敷に住む夫婦の間に、待望の赤ん坊が生まれた――――」

 

 

 ……山村はどこを見るでもなく、過去の出来事に想いを馳せる。

 ハルヒと彼の二人は、その姿をただじっと見守る。

 

「画家である間宮一郎……彼はそれを喜び、

 我が子の成長の物語を、壁一面に描こうとした」

 

 いまハルヒたちの眼前にある、大きな絵。これがきっと一郎の描こうとした、我が子の物語なのだろう。

 ハルヒは改めて一郎の絵を見つめる。暖かな色彩で描かれたその絵に、大きな慈愛を感じる。

 

「だが……その幸せは、長くは続かなかった」

 

 トレードマークの帽子を床に置き、山村はじっと下を向く。

 

「ある朝、間宮夫人はいつものように地下室に降り、

 焼却炉のコックを捻ったんだ」

 

「……焼却炉? それが、どうかしたのか……?」

 

 ゴミを焼くのか何なのかは知らないが、それはただの日課であるのだろう。彼は疑問の声を上げる。

 山村がゆっくり彼の方を向く。からかうような、片眉を上げた笑みを浮かべて。

 

「よちよち歩きを始めたばかりの赤ん坊が、

 焼却炉に入って遊んでいたのさ――――」

 

「っ!」

 

「赤ん坊を引きずり出した時には、すでに手遅れだった。

 母親も酷い火傷を負い……片方の目を失った」

 

 絶句した。それでも山村の話は淡々と続いていく。

 

「その後、この地方一帯の赤ん坊が、何人も神隠しにあう事件が起きたんだ。

 犯人は……間宮夫人だった。

 村の赤ん坊を攫ってきては、次々に焼却炉に投げ込んでいたんだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ハルヒは息を呑む――――思わず立ち上がり、声を荒げる。

 

「どっ……どうして?! どうしてそんな事ッ!!

 あ、赤ちゃんを………………焼くって……」

 

「子供の遊び友達(・・・・)さ。

 死んだ子が独りぼっちじゃ、寂しいだろう?

 そう思い……遊び友達を作ってやっていたのさ」

 

「…………ッ」

 

 ハルヒは放心し、その場にへたり込む。

 彼はただ目を見開き、山村の方を見つめるばかり。もう口を開く事も出来ずに。

 

「やがてその事実を知った村人たちは、大挙して間宮邸に押し寄せた。

 追い詰められた間宮夫人は、最後に自ら焼却炉に身を投じた」

 

 辺りを、静寂が包む――――

 

 

「こうして間宮夫人は死に、間もなく一郎も死んでいった。

 しかし一郎は、死ぬまで絵を書き続けた……。

 それがこの間宮邸の物語さ、お嬢ちゃん達――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―9―

 

 

 

 いま聞いた話。過去にこの屋敷で起こったという、悲しい出来事――――

 それを自分が理解出来ているとは、思えない。

 

 ハルヒはまだ16になったばかり。ただの高校生の少女だ。

 そんな彼女に、我が子を失った悲しみのあまり狂った、我が子を愛するあまりに壊れてしまった女の心など、到底理解出来るハズも無かった。

 

 ――――なんで? ナンデ? なんでそんな馬鹿な事を?

 

 理解出来ない。それしか思えない。

 恋愛感情を精神病の一種だと言い張り、そしてその聡明さから物事を理屈のみで考えがちな彼女にとって、それは到底理解し難い物だった。

 

 馬鹿、愚か、自分勝手な女――――

 そう上辺だけを見て言葉にするのは、きっと容易い事なんだろう。

 

 ……ただ頭の中にいくつも疑問符が浮かび、それと同時に何か自分でもよく分からない感情が、胸の中で渦巻いているのが分かる。

 理解は出来ないまでも、今の間宮夫人の話を聞き、強く感じている想いがある。

 

 悲しみ? せつなさ? 同情? そのどれとも違う。どれもしっくりとは来ない。

 

 ――――これは“恐怖“だ。

 人が深海や死に対して感じるような……きっと自分には想像も付かない程の物に対する、恐れなのだ。

 

 

 想像も付かないほどの、愛情――――

 狂う程、その身を全て焼き尽くしてしまう程、恐ろしいまでに深い、愛――――

 

 それを想い、ハルヒはただ、恐怖する。

 そんなモノ……自分に理解など出来るはずが、無いのだから。

 

 

 

「……なぁ山村さん、確かに俺たちは、それを知らなかった。

 この屋敷で起こった間宮一郎の事、何も知らずにのこのこ来ちまったよ。

 ……だが今の話が、この現状とどう関係してるんだ?

 あの“影“はいったい何だ? 死んだ間宮夫人が関係してるって言うのか?」

 

 

 ただ愕然とし、その場で放心していたハルヒ。そんな彼女を余所に、彼が額に乗せていた濡れタオルを下ろして山村のもとへ歩いて行く。

 

「坊主も見ただろう、あの供養塔を」

 

「あ……あぁ。庭にあった石のヤツだろ?」

 

「誰がやったのか……そんな事はもうどうでもいい。

 だがアレが壊された事で、せっかく闇の中で安らいでいた間宮夫人を、

 起こしてしまったんだよ」

 

 ギリリ……と歯ぎしりの音が聞こえる。

 

「どういう事か分かるか……?

 この家の中の闇という闇ッ! 影という影がッ!

 邪悪の生命を持ってしまったんだ!! 間宮夫人によって!!」

 

 

 

 普段ならきっと、笑い飛ばしている。

 このオッサンは頭がおかしくなったのかと、軽く受け流す事が出来ていたハズだ。

 

 だがもう今の彼には、軽口を叩く事すら出来ない。

 すでに仲間が死に、目の前で有希を奪われ、自身も決して軽くない怪我を負っているのだから。

 

 こんなの、いつもならきっと「やれやれ」と言い、ただ有希や古泉に任せっきりにして傍観するだけの事だったハズだ。

 だが今の彼に、それは許されていない。現状を理解し、自分で動かなくてはならない。

 

 あの時の有希の姿、そしていま己を抱くようにして震えているハルヒを見て、彼は強くそう感じる。

 

「長門を、助けたい。

 どうすればいい、山村さん――――」

 

 頭を下げ、教えを乞う。

 ハルヒも見ている前でなんとも情けないばかりの姿だが、今自分が出来る事はこれだけ。

 山村に教えを乞い、有希を助け出す事だけだ。

 

「ふっ! あれだけやられて、まだそんな顔が出来るか。

 若いワリに、随分と肝が据わっとるようだ」

 

 どこか嬉しそうな顔で彼を眺め、山村が立ち上がる。

 

「だがとりあえず、そのランプだの懐中電灯だのを下ろせ。

 そんな物、いくらあった所で役には立たん」

 

 しかしあきれ顔をして、手に持った物を取り上げた。

 

「えっ?! でも山村さん……相手は影なんだろ?

 これ持ってきゃ、光で影を消してったり出来るんじゃないのか?」

 

「もう全部試した……そんな事は。

 まぁ光なんぞ当てたところで、相手を怒らせるだけって事だ」

 

 ランプや懐中電灯をポイしながら「やれやれ」と言う山村。それは彼の持ちセリフであるのだが、山村には知る由も無い。

 

「それにな、光を当てれば影が出来る(・・・・・)だろうが。

 たとえ隈なく光を当てる事が出来たとて、なら自分の中の闇はどうなる?

 服の中にも、握った拳の中にも闇は出来るぞ」

 

「うっ……!」

 

「山村さん、キョンを許したげて。

 こいつアホだけど、アホなりに頑張って生きてるの」

 

 さっきまで黙っていたけれど、思わずフォローに入ってしまうハルヒ。

 

「きょん…………なんというか、変わった呼び名だな坊主。

 さっきから思ってはいたんだが」

 

「ほっといてくれねぇかな山村さん……これでも苦労してんだ……」

 

「えっ、良いじゃないのキョンって。良くない?

 あたしは呼びやすくて気に入ってるわよ! キョーンって!」

 

 そんな輝くような笑顔で言われても、正直困ってしまうのだが。

 男達ふたりは困惑しながらも、とりあえずは話を元に戻す。

 

「でもそれじゃ、いったいどうすれば良いんだ……?

 影がある限り、俺たちは襲われ放題って事だろ?

 影が無い所なんてあるワケが無い。俺が立ってる足元にだって影は出来るんだ。

 あっちがその気になれば、俺たちなんていつでも殺せるって事じゃないか」

 

 あの影に手を触れた時の痛みを憶えている。まるで炎に焼かれたように激痛が走り、一瞬にして皮膚が焼けただれたのだ。

 いま思い出しただけでも、身が震えてくる心地だ。

 

「坊主……お前あの時、あの闇の中に飛び込んでいったな?」

 

「あ、あぁ。もう頭が真っ白になって……咄嗟にやっちまった。

 山村さんには、悪かったって……」

 

「――――なぜお前は今、生きてると思う?

 一瞬触れたただけで大やけどを負う程の物に、身を晒したのに」

 

「えっ」

 

 そう、恐らくはあの闇に焼かれた事で、みくるの身体は溶けていったのだ。

 煙を上げ、凄まじい熱気を発しながら、まるで飴細工のようにドロドロに溶かされていった。

 

「お前、あの時必死だったろう。

 ただ有希ちゃんの事だけを想い、必死に闇の中に飛び込んだ」

 

「……お、おう」

 

それだよ(・・・・)。お前が焼かれずに済んだのは」

 

 目線を切り、山村が静かにその場に座り込む。

 

 

「いいか、必要なのは集中力――――【心の力】だ」

 

 

 懐から酒の小瓶を取り出し、それを何気なく見つめる。

 

「心を強くするのは……本当に骨が折れる。

 男だって、ひ弱なヤツじゃ役に立たんぞ」

 

 ゆっくりと蓋を開け、酒を喉に流し込む。

 その動作に、彼とハルヒはただ見入っていた。

 

「……ふぅ。おい坊主、飲むか?」

 

「お、俺は飲めねぇよ! 未成年なんだ……」

 

「ふっ! だろうな。まだまだ子供だ」

 

 憧れはある。今の山村のように、カッコよく酒を飲む大人の姿に。

 だがこんな状況でも法律や部活の事を気にしてしまう自分が、どこか小さく思えた。

 

「お嬢ちゃん。お前さんは、子供産んだ事はあるのか?」

 

「は……? はぁぁぁあああ~~~~ッッ?!?!」

 

 突然の物言いに、思わず絶叫してしまうハルヒ。

 

「今の若者の事情は分からんが、色々と早いんだろう? どうなんだ?」

 

「あるワケないでしょうッ!? なんであたしがキョンの子供なんか!!」

 

 別にそこまで限定して言ってないのだが……、幸いにも(彼以外は)それに気付く事は無かった。

 

「……なんだ、一人もか?」

 

「ひとりも双子もないわよッ!!

 何が一姫二太郎よ! えっち! キョンのえっち!」

 

「なんで俺が罵られてんだ」

 

 ハルヒは界王拳3倍の如くスパーキングしているが、それを見て山村はただ笑うばかり。

 

「はっはっは! じゃあ難しいぞぉ、お嬢ちゃん?」

 

「な、何がよ……。あたし別に……」

 

ただの女(・・・・)母親(・・)に勝つのは、生易しいモンじゃない――――」

 

 

 

 ドカンと、頭を殴られたような気がした。

 母親。そしてただの女――――その言葉を聞いた途端、まったく動けなくなる。

 

 

「いいか? 子供を失った母親と、母親を求める子供の気持ちが、惹き合ってるんだ。

 容易な事で有希ちゃんを取り戻せるモンじゃない」

 

 

 自負はある。

 1年足らずという短い時間ではあるが、自分が本当に深く有希と接してきたという自負が。

 

 あの子の事が好きだ。小さくて可愛らしくて、抱きしめるとすごく幸せな気持ちになる。あの子はとても優しい、良い子だから。

 いつか卒業し、大人になっても、ずっとずっとこの先もいっしょに居たい。心の底からそう思っている。

 

 だが自分は、有希にとって、ただの友人(・・・・・)でしかない。

 どれだけ取り繕おうとも、背伸びをしようとも、母親なんて凄い物に敵うワケがない。勝てるワケがない。

 

 その“母親“という重みの前に、ハルヒは愕然とする――――

 

 

 

「山村さん、母親がすげぇモンだっていうのは、俺にも分かる気がする。

 俺だってこの年まで、すげぇ大事に育てて貰ったんだ。お袋のこと尊敬してるよ」

 

 そんな中、彼が一歩前に出た。

 

「……けど相手が何だろうと、長門を盗られたまま黙ってなんかいられねぇよ。

 確かに俺は他人かもしれない。でも負けられねぇよ。

 俺たちにとって、長門はそれくらい大事なヤツなんだ。

 仲間(・・)じゃ駄目か? 仲間じゃ、ぽっと出の母親にも勝てないか?」

 

 真剣な目で山村を見据える、彼の横顔。

 凍えていたハルヒの心が、その熱で暖かく溶かされていく。勇気が灯っていく。

 

「おい坊主」

 

 唐突に山村が、持っていた酒瓶を彼にポンっと投げ渡す。

 

「えっ?! ととと……! ってなんだよ。俺酒は飲まないって……」

 

「それ潰してみろ(・・・・・)。……出来るか?」

 

 慌てて酒瓶をキャッチした彼は、ポカンとした顔。

 

「潰せって……割っちまったら酒がもったいないだろ。

 こんな事してる場合じゃないんだって山村さん……! 長門が……」

 

 投げるのはアレなので、わざわざ歩いて行って手渡しで返す。その様子に山村は苦笑した。

 

「あの子の居所はもう分かっとる! まぁ落ち着け」

 

 そう再び床に腰を下ろし、ゆっくりと壁にもたれる。

 今は悠長な事をしている場合じゃない、それは当然そうなのだが……、今は山村の話に耳を傾けるべき時だと感じ、二人は黙って見守る。

 

「他愛ない方法だが……集中力を付けるには案外役に立つ。

 見とれよ? まぁこれが潰れりゃあ、お慰みだ――――」

 

 いま山村が、大きく息を吸い込んだ。

 その手にあるのは、ポケットに入るサイズの酒瓶。中には蒸留酒らしき液体が満たされている。

 

「スゥゥーー…………! フゥゥーー…………!」

 

 瞳を閉じ、瓶を握りしめる。その手に全ての意識を集中させていく。

 彼とハルヒが見守る中……深く吸い込み、深く吐く、そんな動作を静かに繰り返していく。

 

 

「――――――なに、これ……」

 

 

 ハルヒが小さく呟く。

 その目は山村の手にある、いま次第に熱を帯び、少しずつ赤くなっていく(・・・・・・・)酒瓶に向けられていた。

 

 

 

――岩に凭れた ものすごい人は  鉄砲片手に しかと抱いて――

――歩む額は 帽子に見えねど  服はビロード ひらとなびく――

 

 

 やがてこの場に、山村が口ずさむ、低い歌声が響き始める。

 それは決して声楽家のような、上手で立派な歌声じゃなかった。……ただ暖かく、そして勇壮な響きを持つ歌声に思えた。

 

 

――惚れた娘に 災い迫れば  命賭けても しかと守る――

――愛しの人よ さよなら別れだ  交わす瞳に きらと涙――

 

 

 勇気が、湧いてくる。

 その言葉、その声に、聴いているだけで胸が熱くなっていく。

 

「おいハルヒ! ……瓶がッ!」

 

 瓶が、歪んでいく――――

 いま山村の手の形そのままに、まるで飴や粘土のように潰れていく(・・・・・)のが分かる。

 

 

 

――ディアボロ  嵐吹くとも――

――轟くその名は  ディアボロ ディアボロ  ディアボロ――

 

 

 

 

 

 最後に力を込めた瞬間――――その酒瓶がグシャリとひしゃげる。

 未だシュウシュウと上がっている煙が、その熱の余韻を感じさせた。

 

 割るんじゃなく、潰して(・・・)みせた。

 

 ハルヒらが見守る中で……山村の持つ酒瓶は、その中身を一滴も零す事無く、形状を変えてしまった。

 

 

…………………

………………………………………………

 

 

「ははは! はっはっはっは!」

 

 高く酒瓶を掲げ、見せつけるようにして山村が笑う。

 

「す……すげぇ」

 

 傍に駆け寄り、マジマジと酒瓶を見る二人。今くっきりと手の形が残り、まるで粘土のようにひしゃげてしまったそれを触らせてもらい、ただ息を呑んでいる。

 

「はっはっは! まぁこんなモンだ! どうだ坊主! うわははははは!!」

 

 嬉しそうに笑う山村。その声を聞き、今まで沈んでいた二人の気持ちがどんどん愉快になっていく。

 

「すげぇ、すげぇよ山村さんッ! 俺こんなの見た事ねぇ!」

 

「山村さんって超能力者だったの?! なんで言ってくれなかったのよ!」

 

「ははは! そんな大そうなモンとは違うさ。

 ま、心を強くすりゃ、人間このくらいは出来るって事だ」

 

 目をキラキラさせる少年少女たち。伊達に彼らは不思議探索を旨とするSOS団を名乗っていないのだ。

 

「あたしも! あたしもやりたい! もっと瓶はないの山村さん?」

 

「ああ? いま持っとるのは、これ一個だけだが……」

 

「そう! じゃあ良いわコレで! ふんぎぎぎぎ……!!」

 

「おまっ……ちょ! 痛ぇ痛ぇ痛ぇ!!」

 

 おもむろに彼の手首を掴み、ギューっと握りしめるハルヒ。

 

「バカっ! ホントに出来たらどうすんだお前! 俺の手が潰れちまうだろうが!」

 

「そんな簡単に出来たら苦労しないわよ!

 いい? こういうのはもっと怒りとか勇気とか悲しみとか……、

 なんかそんなのがいっぱい必要なのよ! あと友情とかも!」

 

「そんな少年漫画みたいなヤツじゃなかっただろうが! いま見てただろうが!

 あとお前、力強いな?! 女の握力じゃなかったぞ!?」

 

「あたしを誰だと思ってるのよ! SOS団の団長たるあたしは、

 日々その肉体を酷使して極限まで鍛え上げているのよ!

 ドラクエⅢで言えば、キャタピラーまでは一撃で倒せる自負があるわ!」

 

「あいつ固ぇよ! ヒャドでなんとかしろよバカ!」

 

「え、あんた魔法に頼って戦ってんの?!

 そんな根性無しがロマリアまで辿り着けるもんですか!

 レーベ村の周辺でレベル上げでもしてなさいよ!」

 

「脳筋じゃねーかお前のPT!

 ちゃんと魔法使いとか僧侶とか入れろよ! 酒場で泣いてるよアイツら!」

 

「飲んだくれてりゃいーのよ魔法職なんて!

 なによメラとかギラとか! バカじゃないの! そのこぶしは何の為にあるのよ!

 あたしの道具袋はいつも薬草でいっぱいなの!

 遊び人でも世界救えるって所を見せてやるのよ!」

 

「武闘家じゃねーのかよ!! なんで遊び人なんだよ!

 はやくダーマ行って転職しろ! その為にあるんだよその職業!」

 

「なにが賢者よ! いきがってんじゃないわよ昨日まで遊んで暮らしてたクセに!!

 ちょ~っと転職したくらいで、人間の性根が変わったりするモンですか!

 たとえ賢者になろうが何だろうが、

 あたしあんなヤツぜったい信用したりなんかしないわ! いつか裏切るわよ!」

 

「なにがあったんだよお前のドラクエに?!

 感受性豊かすぎだよお前! 普通にゲームを楽しめよ!」

 

 ワーキャーと騒ぐ二人。さっきまでの興奮が、何故かゲームの話に転換されてしまった。

 

「あ、ちなみに山村さんは、どんなパーティでやるの?」

 

「ん?! ……いやわしは、普通に戦士、僧侶、魔法使いだが……」

 

「え、なにそれ! ぜんぜん面白くないじゃない!」

 

「そりゃねぇよ山村さん……せめて武闘家入れるとかさ? 遊び心がねぇよ」

 

「んん?!?!」

 

 なぜか話が山村にも飛び火し、しかも批難される。

 

「やっぱどこかで尖っていかねぇと面白くねぇよ。ゲームなんだしさ。

 堅実なのはいいが、ロマンがないというか……」

 

「やっぱり安定を求めてしまう物なのかしら? 大人ってそういうトコあるわよね」

 

「まて、どうしてそんな事を言われなきゃならん。

 別に良いだろうが戦士とかでも」

 

「でもあれだろ? どうせ戦士は女にして、ビキニアーマー見て喜んでたんだろ?」

 

「まっ! 不潔だわ山村さん! そんな事してたの?」

 

「良いだろうがビキニアーマー!

 ちょっとしたそういうのが嬉しいんだろうが!! テンション上がるだろうが!!」

 

 思い出のビキニアーマーを馬鹿にされ、思わずブチ切れる山村さん。

 

「黙らんかお前たち!

 ぱふぱふの意味も分からんような子供に、とやかく言われとうないわ!!」

 

「え、ぱふぱふ? そういえばアレって、いったい何だったのかしら?」

 

「わからん。肩たたきとか、足つぼマッサージとか、そういうのだとは思うんだが」

 

「ふははは! 無知なガキ共め!

 もう少し大人になってから愕然とするが良いわ! 思わず赤面してしまえ!」

 

「ねぇ、ぱふぱふって何なの? おしえて山村さん」

 

「教えてくれよ山村さん。あれって何なんだ?」

 

「知るか! 言えるか馬鹿者ども! 言えるか!!

 魔界村をノーコンティニュークリア出来るようになってから出直してこいッ!!」

 

「えっ、山村さんノーコンクリア出来るの?! すごいすごい!」

 

「すげぇな山村さん。俺あれクリアした事ないよ」

 

「ふっはっは! お前たちとは年期が違うんだよ! 年期が!

 いいか、必要なのは集中力――――心の力だ」

 

 やかましいわという感じだが、とりあえず山村さんの威厳は復活した。

 子供たちから尊敬の目で見つめられつつ、山村はおもむろにその場から立ち上がる。

 

「よし、それじゃあ行くぞ。有希ちゃんを助けに」

 

「お、おう!」

 

「わかったわ!」

 

 さっきまでワチャワチャしていたが、何事も緩急が大事だ。一同はキリリと気を引き締めて準備に取り掛かる。

 

「これどうする山村さん?! ライトは!」

 

「それで気が済むんなら持ってきゃいいだろう! 行くぞ坊主!」

 

 その場にあった板を持ち上げると、そこから地下へと続く階段らしき物が出現。山村が意気揚々と降りていき、ハルヒもそれに追従していく。

 

「……あっ、おい山村さん! これっ!」

 

 照明を抱えて後を追おうとした時、ふと彼はその場に“土偶“が落ちているのを発見する。

 これは山村が忘れていった物だが、そう声を掛けようにも、すでに階段を降りてしまっている。

 とりあえず彼は土偶をポケットに突っ込み、慌てて後を追いかけていくのだった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 階段を下り、レンガの壁に覆われた薄暗い一本道を歩いて行く。

 一同は山村を戦闘に、おっかなびっくりという様子で辺りを見回しながら進んでいく。

 心が不安に染まる。闇の中にいると、怖くて怖くてたまらなくなる。

 それでも山村の頼もしさ、そして彼の腕のぬくもりを頼りに、ハルヒは懸命に歩いていった。

 

 やがて進んでいくと、ハルヒ達は鉄格子にも似た扉の前に辿り着く。

 

「この中に……長門が?」

 

「あぁ、この先にある“焼却炉“の中さ。間宮夫人の亡霊に捕らえられてる。

 まぁ心配するな坊主、必ず助け出してやる」

 

 山村が力を込めて扉をこじ開け、中へと進んでいく。追従していく二人。

 そして彼らの目の前に今、焼却炉の部屋と思われる扉が姿を表した。

 

「――――――ッ?!?!」

 

 ガシャン! と背後で音がする。

 驚いて振り返ってみれば、今しがた通った鉄格子の扉が、彼らを閉じ込めるようにして、ひとりでに閉じていた。

 ハルヒと彼が慌てて開けようとするも、鉄格子はビクともしない。物理的な物ではなく、何か眼前から感じる不思議な力によって塞がれているように思えた。

 

「ハルヒ、ライトだ! ライトを!」

 

 持ち出して来た照明を二人で抱え、慌てて準備をする。

 いま間宮夫人が彼らを迎え入れようとするように……眼前の扉が音をたて、ひとりでに開かれた。

 

 

 ――――おぉぉぉぉ……おぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉ…………

 

 

 声がする。

 開かれた扉の向こうから、女の雄たけびのような声が聞こえる。

 間宮夫人の、泣いている声が――――

 

「おいハルヒ! ちゃんと当てろ!」

 

「当ててるわよっ! ……でも全然効かないの!!」

 

 闇一色の空間に向け、懸命にライトを照射する二人。だがどれだけライトを調節しようと、しっかり定めて当てようと、その光が闇を照らす事は無い。

 まったく闇を払う事が出来ない!

 

 

 ――――ぉぉぉおおおおぉぉぉぉ……ぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉ……

 

 

 雄たけびと共に、中から嵐のような風が吹きつける。思わず体勢を崩し、飛ばされないようにするだけで精一杯になる。

 ガシャンとライトをその場に落としてしまう二人。だがもう彼らに出来る事も無い。

 

 

「……何を、泣いている」

 

 ――――――ぉぉぉおおおおおぉぉぉ……ぉぉぉおおおおおぉぉ……

 

 

「お前には、幸せな過去があっただろうッッ!!」

 

 ――――――ぉぉぉおおおおおおおぉぉ……ぉぉぉおおおおおおおおおおおお

 

 

 山村が問いかける。間宮夫人に向かって。

 ハルヒも見た、あの暖かい絵。母親が子供を慈しむ、生命の誕生を心から祝福する光景。

 

 

「楽しい思い出が、いくらでもあるハズだッッ!!」

 

 ――――――ぉぉおおおおおおおおおおおおお!! ぉぉおおおおおおおおおおお

 

 

 声が、強くなる。

 とても悲し気な間宮夫人の声、胸を引き裂かれるような慟哭を受け、ハルヒはその場にへたり込む。力いっぱいに耳を塞ごうとする。

 

「なぁ! 長門を返してくれ!!

 俺たちにはその子が必要なんだよッ! 一緒にやってきた仲間なんだッ!!」 

 

 彼も叫ぶ、声を振り絞り。

 その足は震え、腰だって今にも砕けそうだ。それでも必死になって間宮夫人に語りかける。

 

 

「――――お前はもうとっくに死んでいるんだッ!! 何故それが分からないッッ!!!!」

 

 ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!

 

 

 ――――絶叫。

 間宮夫人が絶叫する声が、嵐となって辺りに吹き荒れる。激しくこの場を揺らす。

 

 

「――――――娘を置いて、さっさと消えろッッ!!!!!!!!」

 

 

 突然ガシャンと爆発する照明。

 まるで間宮夫人が、必死に藻掻いているかように。

 山村の言葉を受け入れられず、必死に足掻いているかのように。

 

 

「――――有希ちゃん待ってろっ! いま行くぞぉッ!!」

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

 山村が歩いて行く。

 ゆっくりと、嵐の中を進んでいく――――

 

「や、山村さん!」

 

「山村さんッ!!」

 

 一歩づつ、一歩づつ。

 強い風をその身に受けながら、焼却炉の方へと歩いていく。

 

 

――岩に凭れた ものすごい人は  鉄砲片手に しかと抱いて――

――歩む額は 帽子に見えねど  服はビロード ひらとなびく――

 

 

「山村さぁぁぁぁぁあああああーーんッッ!!」

 

 山村が焼却炉の間の入り口へたどり着き、その身体が闇に触れる。

 感電するような凄まじい音を響かせながら、その身体が邪悪な闇に包まれていく。

 それでも決して足を止める事無く、山村が真っ暗な闇の中へと身を投げ出していった。

 

「――――――ッッ!?!?」

 

 一瞬、爆発したような轟音が辺り一帯に響いた。

 赤い光が視界いっぱいに広がり、ハルヒは目を塞いでその場にしゃがみ込む。彼はその身を盾にするように、ハルヒに覆いかぶさった。

 

「……………………えっ」

 

 そして、辺りを静寂が包む。

 さっきまでの暴風と音が嘘っだったかのように消え去り、今この一帯は、何事も無く静けさだけが支配していた。

 

「おい……いったいどうなったんだ……?」

 

「……」

 

 そっとハルヒの身体から離れ、キョトンとした顔で彼が問いかける。ハルヒは未だに放心したまま、ただ眼前にある入り口……山村が消えていった空間の方を見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ざっ……ざっ……

 

 

 

 やがて、前の方から人が歩く音。誰かがゆっくりとこちらに歩いて来る音が聞こえてきた。

 

 

 

 ――――ざっ………………ざっ……!

 

 

 

 

「ッ!!」

 

「……っ!?」

 

 山村だ。

 いま山村が出入り口から姿を表し、その両腕にぐったりと気を失っているらしき有希の身体を抱きかかえているのが見えた。

 

「ッ?! お、おい……」

 

「山村……さん……?」

 

 だが山村の身体からは今、白い煙が上がり、服がズタボロに焼け焦げているどころか、全身の皮膚すらもが焼けただれてしまっているのが分かった。

 それでもヨタヨタとこちらに向かい、有希を抱きかかえたままの山村が歩いて来る。

 

「……………あ゛っ………あ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!」

 

 そして、ついに力尽きたようにその場に立ち止まり、有希をその腕から下ろす。

 ハルヒと彼が慌てて駆け寄り、有希を受け止める。助け出された有希は綺麗な姿をしており、その身体に傷は負っていない事が分かった。

 

「あ゛ぁ゛ぁ゛ッ!! ……あ゛ぁ゛ぁ゛ッ……!!」

 

 だがそれは、有希だけ(・・・・)だ。

 いま山村の身体から煙が上がり、その全身は凄まじいまでの熱を発していた。

 

「……あぁ……!」

 

「や……山村、さん……!」

 

 顔面の皮膚は焼けただれていき、赤い肉や白い頭蓋が露出する。

 まるで今も見えない熱に焼かれているように、山村の全身がジュウジュウと音と煙を立て、焼き溶かされていく。

 

「……にっ……逃げろ、おッ……!! かっ、影が来るぅッッ…………!!」

 

 全身を焼かれながら、激痛に首元を掻きむしりながら、山村が叫ぶ。

 

「わしの事は構わんッ……!! …………はっ、早くしろぉぉぉッッ……!!!!」

 

 熱気、煙、人間が焼ける臭い――――

 山村の絶叫を受けながら、ハルヒはその場で見ている事しか出来ない。

 動けない。目を見開いてその姿を見る事しか出来ない。

 

「長門ッ! おい長門ッ!!」

 

 彼が有希の身体を抱きかかえて立ち上がり、ハルヒにも動くように促す。それを受けてようやくハルヒは硬直から解かれた。

 慌ててその場から立ち上がるも、山村の姿から目を離す事が出来ない。

 

「……い、行けッ! …………早く、い゛……け゛ぇぇッ……!!!!」

 

 腕が、腹が、脚が、赤く変色していく。

 まるでマグマのように赤く発光し、辺りに凄まじい熱気と蒸気を放っていく

 

 

「……あ゛っ゛…………あ゛ぁ゛ぁ゛………………あ゛ぁ゛……」

 

 

 溶け出す。山村の顔が(・・・・・)――――

 涙、血、体液、肉。それがドロドロと垂れ落ち、足元へ滴っていく。

 

「……山村ッ…さん……!」

 

 彼に肩を抱かれ、促されながら出口へと歩く。しかし決して目を離す事が出来ない。

 いま頭部の皮がズルリと剥がれ落ち、頭蓋骨が露出された山村の姿を。

 

 

 

「…………ッッ! ――――――――――――ッ――――」

 

 

 

 溶けていく。肉が垂れ堕ちていく。

 だんだん腕の肉が落ち、やがて腹が全て無くなり、両脚の骨が露出していく。

 

 

 

 

「――――――――――――……………………」

 

 

 

 

 そして、崩れ落ちる。

 やがて全身は骨だけになり、しかしそれさえもボロボロと崩れ出した山村の身体が、ついに耐えかねたかのように崩れ落ちていく。

 

 

 ――――――ボロボロ、ボロボロボロ……。ガシャッ……

 

 

 

 頭骨、胸骨、肋骨、大腿骨。

 

 そんな崩れ落ちる骨が次々と床を叩いていく音だけが、辺りに響いていった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「――――逃げるぞハルヒ!! 動けッ!!」

 

 彼の一喝に身体が跳ね、ハルヒは有希に寄り添いながら走り出した。

 

「畜生……チキショウ……ちきしょぉぉぉーーーッッ!!」

 

 少し前を走っている彼。その顔には焦りや後悔が滲んでいる。

 今は、山村の死を悼んでいる余裕などない。一刻も早くここから彼女達を連れ出さなければ。そうしなければあの優しかった人の犠牲が全て無駄になってしまうのだと。

 己の無力さを嘆き、奥歯が砕ける程に痛感し、それでも有希と自分を守る為にこそ全てを振り切って走ってくれている。懸命に前に進んでくれている。

 

「走れハルヒ! 走れッ! 走るんだッ!!」

 

 二人で有希を抱えるようにして、必死に階段を上がり切る。そしてすぐさま玄関へと向かい廊下を駆けていく。

 

「出口だ……やったッ……」

 

「た……助かった……?」

 

 やがて三人は屋敷のエントランスまでたどり着き、正面玄関のドアを前にする。

 しかし――――

 

「――――?! 駄目だッ、開かねぇ!! 開かねぇッッ!!」

 

 今まで何事もなく開いていたハズの扉が、何故か開かない! どれだけノブを捻ってもビクともしない!

 

「どけハルヒ! どいてろッ! ――――ッッ!!」

 

 彼が傍にあった家具を持ち上げ、ドアに叩きつける。何度も何度も力の限り叩きつけていく。

 

「キョン……影がッ……! 影が来ちゃうッ……!! 早くッ!!」 

 

 窓から差し込む月明りが、小さくなっていく。次第に月が雲に隠れていき、どんどん辺りが影に侵食されていく。

 

「有希ッ! いい? ここにいて!! 出来るだけ明るい所にいて頂戴!

 ぜったい影に入っちゃ駄目よ!?」

 

 辛うじて月明りの差し込んでいる場所に有希を残し、ハルヒも協力してドアを叩く。

 家具、工具、木材、ありったけの重い物を持ち出し、扉に叩きつけていく。

 

「くそッ! クソッ!! くそぉッッ!!」

 

「キョン……! 早くッ! 早くしてキョンッッ!! もう暗くなるッッ!!」

 

 月が、完全に雲間に隠れる。完全に月明りが途絶え、目の前が闇に包まれた。

 その瞬間――――

 

「開いたッ――――! 出ろハルヒ! 長門! 早く出るんだッッ!!」

 

 板を粉砕し、彼が扉をこじ開ける事に成功する。

 慌ててハルヒは有希のもとに駆け寄り、その身体を抱き上げようとする。

 

「有希ッ! 立ってッ! 立ってちょうだい有希ッ! ほら行くわ……」

 

 だがハルヒが覗き込んだ有希の顔が、突然枯れた花のように萎み、片目の無い女の顔(・・・・・・・・)に変化する。

 

 

「――――――き……きゃぁぁぁぁあああああああああああああああああッッ!!!!」

 

 

 飛び出す。なりふり構わず。

 今まで有希だと思っていた物(・・・・・・・・)を放り出し、屋敷の外へと飛び出し、彼に飛びつく。

 

「……あぁぁクソッ!! くそぉぉぉッッ!!

 クソがぁぁぁあああああーーーーーーッッ!!!!」

 

 彼は激昂する。屋敷の方を向いて。

 やっとの思いで助けたと思った有希は、間宮夫人の作り出した偽物。謀りだった。それを知ってもう怒り狂うばかりの彼。普段の無気力で温厚な姿はどこにもない。

 

「キョン……キョンッ……! キョンッ……!!」

 

 ハルヒが彼の胸に飛び込み、その顔を埋める。

 ハルヒにも普段の面影はない。そこにあるのはただの無力な、そしてこの上なく脆弱な弱い女の子の姿だった。

 

「…………」

 

 震える肩を抱きしめ、我に返る。

 今にも崩れそうなその姿を見て、彼は次第に普段の落ち着きを取り戻していく。

 

 この今胸の中に居る女の子を、守らなくてはならない。

 その為に自分は、力を振り絞らねばならないのだと。

 

「……ハルヒ」

 

 そっと耳元で語り掛け、ゆっくりと身体を離す。

 

 

「ハルヒ、俺いってくるよ。

 長門が戻ってきたら、アイツを連れて一緒に帰るんだ――――」

 

 

 

 

 

………………………

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 

 ふと、思った事がある――――

 

 それはただただ当たり前の、思い出すまでもなく至極当然の大前提である、ひとつの事だ。

 

 それは俺たちSOS団が、ハルヒの為にある(・・・・・・・・)って事。

 俺たちSOS団のメンバー全員が、ただハルヒの為にいる、そういう連中だって事だ。

 

「長門を助け出してくる。お前はここに残って、長門が出てくるのを待て」

 

 古泉の顔が頭に浮かぶ。アイツのこれまでの献身が目に浮かんでくる。

 朝比奈さんの顔も浮かぶ。いつも困った顔をしながら、それでもずっと楽しそうにハルヒに寄り添っていた朝比奈さんの姿が。

 

 なら次は、俺の番だ。俺がSOS団の為に身体を張る番なんだ。

 別に“鍵“だの何だのってモンに納得してるワケじゃない。ただそう、当然のように思った。

 ストンと胸に落ちるように、確信したんだ。

 

「必ず助け出して来る。信じろ、ハルヒ」

 

 そして、これは何となくなのだが……思う事がある。

 きっとだが……“ハルヒが生きている“って事、これが一番大事なんだと。

 

 たとえ他の誰が死んでも、いや俺だって死にたくはないが……、でもハルヒが生きていれば、無事でさえいてくれるのなら……それで大丈夫なんじゃないかって。

 こいつさえ生き残っていれば、それで全部なんとかなっちまうんじゃねぇかって(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 何の確信も無いし、自信もないのだが……これまでのコイツのとんでもパワーと底抜けの人間力を見てきたからこそ、どっかでそう思っちまっている俺がいる。

 

 相手は長門が太刀打ちできない位の化け物。古泉も朝比奈さんもすでにもう居ない。

 だがコイツさえ生き残ってくれてたら……もしかして全ては、どうにかなるんじゃないかって。

 

 たとえここで、俺が死んだとしても。

 もう全部それで良いんじゃねぇかって、そんな気がしてる。

 

 

 

「俺が駄目でも、お前は逃げるんだぞ、ハルヒ――――」

 

 

 

 ハルヒを抱きしめる。

 今までこんな事、照れくさくて絶対に出来なかったが……こいつの気持ちに何となく気付いていながらも、現状の心地よさを取って、いつもやんわりと躱してきたのだが……。

 それでもこれが最後と、力いっぱいにハルヒの身体を抱きしめる。

 

「――――」

 

 ハルヒはなにやら言葉を失い、頭が真っ白になっちまってるようだ。ただただ俺に抱きしめられるがままになっている。

 だがそれも仕方がない事だろう。まさか俺からこんな事するなんて、お前は夢にも思っていなかったハズだから。

 

 俺は名残惜しい気持ちと、未練を振り切り、そっとハルヒの身体を離す。

 その途端まるで縋りつくようにハルヒが俺の手を握って来たが、それもゆっくりと、優しくほどいてやる。

 俺はもう、行かなければならんのだから。

 

「頼むぞハルヒ、後は頼んだ」

 

 こいつにはきっと意味の分からない言葉だろう。だが俺は万感の想いを込めて、ハルヒにそう告げる。

 ハルヒは今も言葉を失い、縋るような目で俺を見ているばかりだ。

 

「こんなの自業自得だし、ホント『今更なに言ってんだ』って話だけどな……。

 でももし、無事に戻ってこられたら……。

 そん時はお前に、ちゃんと言いたい事があるんだ」

 

 今までスルーばっかしてたけど。お前の作ったこの団の居心地が良すぎて、ずっと甘えてたけど……そろそろ本気でお前と向き合うよ。

 

 

「じゃあな、ハルヒ。また教室で(・・・・・)――――」

 

 

 

 

 

 俺は駆け出す。間宮邸に向かって。

 さっきまでなんとか入れていた入り口は、もうすでに“闇“に包まれていた。一歩前に進んだ途端、全身に焼けるような痛みが走り、思わず怖気づきそうになる。

 痛み、死、未知への恐怖。それに心がへし折れそうになる。

 

「う゛っ……! うおぉぉぉ!! あぁぁああ゛あ゛あ゛ッ!!

 長門ぉぉぉぉおおおーーーーッッッ!!!!」

 

 

 飛び込む。間宮邸の闇の中へ。

 ただひたすらに、前へと進んでいく――――

 

 

 

 ……あぁ、でも仮にお前が“神“だとか“自律進化の可能性“だとかの、そんなんじゃなかったとしても……きっと俺は、お前に生きてて貰いたかったと思うよ。

 

 団長だとか、重要人物だとか、すげぇ力を持ってるとか。

 そんな事は全然関係なく、俺はきっとお前を好きになり、そして守ろうとしただろうから。

 

 

 

 

 

 痛みに狂い、この意識が飛びそうになる、最後の瞬間まで。

 

 俺の頭は、そんな事ばかりを考えていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―10―

 

 

 

 袖を通していく。

 汚れてしまった服を脱ぎ、黄色い服に袖を通していく。

 

 お母さんの服――――

 あたしのお母さんがくれた、世界でいちばん素敵な服に。

 

「……こころの、ちから……」

 

 

 

 キョンが間宮邸の闇に呑まれてしまった後、あたしはその場で泣き崩れた。

 長いこと長い事、あたしの中の涙が枯れ果ててしまうまで、ひたすら泣き続けた。

 

 でも、やがてその涙がプツリと止まった時、あたしの足は自然と庭の方……あの山村さんが供養塔と言っていた場所に向いていた。

 

 あたしは、墓を掘り返した(・・・・・・・)

 真っ暗な中、素手で、がむしゃらになって土を掘り返した。

 あの時みんなで弔った、赤ちゃんの入った石の棺を、掘り返したのだ。

 

 それを掘り出した後、あたしはドロまみれの赤ちゃんの棺を抱えて、屋敷の中へと入った。

 キョンが入った時のような抵抗は感じなかった。電気も炎も、ちょっとした痛みすら無かった。

 

 それはきっと、あたしが赤ちゃんを持っていたから(・・・・・・・・・・・・)

 それを寄越せ、ここまで持ってこい――――あたしには間宮夫人が、そう言っているように感じた。

 

 

 

「こころの……こころ……の」

 

 そして今、あたしは自室に宛がわれていた部屋にいる。

 あの日、有希といっしょに眠った、有希にお母さんとお父さんの話を聞かせた場所だ。

 

 床にペタンと座り、あたしは着替えていく。

 鞄から取り出したのは、あの日お母さんから貰った服。あたしが子供の頃にお母さんが着ていた黄色いワンピースだ。

 それをゆっくりと頭からかぶり、優しく袖を通してボタンを留めていく。

 

「お母さん……お母さん…………おねがい……」

 

 リボンを結ぶ。今一度、気合を入れ直すように。

 そして、祈るようにして。

 

「力を貸して、お母さん……あたしに……」

 

 

 みんな死んだ。

 みくるちゃんも、谷口も、きっと古泉くん達も。もう最後に顔を見てから半日以上が経っている。ここで生き残っていられる道理が無い。

 そして、キョンも死んだ。もういない。

 あたしの目の前で、闇に焼かれながら消えてしまった。あたしの傍にはもう、誰もいない。

 みんな、死んでいってしまったから。

 

 ずっと一人きりだった中学時代とは違う、本当の孤独――――

 優しい人達に囲まれ、その暖かさを知った今だから感じる、本当の“暗闇“。

 恐怖と、空虚、そして悲しみ。今また崩れ落ちてしまいたい程の、いっそ死んでしまいたい程の絶望があたしを苛んでいる。

 

 だけど、それは出来ない――――だってあたしにはまだやる事がある。

 あの子を、有希を助けなきゃいけない。

 キョンに変わって、あたしが取り戻さなくちゃいけないから。

 

 

 あの子は、あたしの事を「おかあさん」と呼んだ。

 ……それは決してそのままの意味じゃなく、ただあたしにその役目を求めるような、そうなってくれたら嬉しいなという、そんな可愛らしい言葉だったけれど。

 キョンとあたしは付き合わないのかと、結婚はしないのかと問う、そんな愛らしい悪戯だったのかもしれないけれど。

 

 でも、確かにあの子は、あたしを「おかあさん」と呼んだ。

 有希は確かに、あたしの中にお母さんの姿を見て、それを重ねていたんだ。

 

 あたしがお母さんで、キョンがお父さんで、有希がその子供。

 そんなありえない、でもこの上なく幸せで暖かな想像を、あたしたちはあの夜、確かに共有していだんだ。

 

 純粋な、まるで幼い子供のような好意で……あたしを好きになってくれた。

 あたしという存在を、求めていてくれた。あたしがあの子を愛しているのと同じように。

 

 もうね、何でもしてあげたい……。

 お父さん役のキョンも言ってたけれど、もうあの子の為だったら、あたし何だってしてあげたいって思う。

 それこそ、身を投げうつ事も。お父さん役のキョンがしたように、お母さん役のあたしも、それをしなくちゃいけない。

 何に代えても、あの子を守らなくちゃいけないの。

 

 

 ――――――ただ、足りない(・・・・)

 何をどう考えても、今のあたしじゃ、あの子に届かない。

 

 

 あの子を取り戻す事は出来ない。どんなに逆立ちしても本物の母親(・・・・・)には勝てない。

 もう本能で感じている。ぜったいの事実として、そう確信してる。

 あたしは間宮夫人には、敵わない。ぜったいに勝つ事は出来ないんだと。

 

 だって、想像も付かない。子供を愛するがあまりに狂った母親の気持ちなんて――――

 我が子の為に周り全てを犠牲にし、そして自らをも焼き尽くしてしまう程の愛情。いったいそれがどのくらい大きくて強い想いなのかなんて、あたしには想像すら出来ないもの――――

 

 そんなもの、あたしは知らない。あたしのどこをひっくり返しても、そんな物は出てこない。

 生まれてから一度も、感じた事がない。

 そんな強い想い……“力“は……あたしの中にはありはしないんだから――――

 

 あたしは、弱い。

 まだ16になったばかりの、小娘だ。

 

 悲しい程に弱くて、何も出来ない、何一つ持っていない、ただの小娘なんだ。

 ……そんなあたしが、どうやってあの間宮夫人に勝つって言うの?

 

 お腹を痛めて子供を産み、愛し、慈しみ、見守り、育み、その為に生きる――――

 そんな“母親“なんてものに、いったい何をどうやったら勝てるって言うの?

 

 無理よ、あたしなんかじゃ。

 キョンが居ないと何も出来ない、ただ好きって言って貰えるのを待ってるだけの女の子。そんなあたしじゃぜったい無理。

 だから――――

 

 

「力を貸して、お母さん……。あの子を助けたいの」

 

 今、お母さんの服を着る。

 強くて、大きくて、優しくて、誰よりも暖かかったお母さんの服を――――

 

 全部あげる。ぜんぶ無くしてもいいわ。あたしの全て。

 だから、今は有希の事だけ。あの子を助けられる力を、あたしにちょうだい?

 

 とびっきりの愛で、あたしを包んでくれたわ。抱えきれない位の愛を貰ったの。

 あたしが知ってる、世界で一番強い人。世界で一番尊敬する人。それがお母さん。

 

 

 今だけでいい……あたしもあの人のような、強さが欲しい。

 子供を守れる。あの子を心から想える、お母さんのような強さを。

 

 

 

「心の力を――――――あたしに下さい」

 

 

 

 

 

 

 あたしは立ち上がる。お母さんの服に身を包んで。

 

 この服を着たからには、もういつものあたしじゃない。

 いつもの弱いあたしじゃ、いられない。

 

 あたしは、“有希のお母さん“よ――――

 そう誰に対しても胸を張って言えるくらいの、強い気持ちがいる。それを示す必要がある。

 

 あのぽっと出のお母さんモドキに、示す必要がある。

『アンタのじゃない、あたしのよ』って。

 その子はあたしの子供よって、そう認めさせなければならないのよ。

 

 ……そのうざったい髪の毛を掴んで、そこらじゅう引きずり回してやる。

 ……泣いて謝るまで殴ってやる。……二度と悪さが出来ないように、両腕をへし折ってやる。

 残ったその片目も、潰れるまでブン殴ってやる。

 

 

 あたしの子供を盗ったらどうなるか(・・・・・・・・・・・・・・・・)――――――それを思い知らせてやる。

 

 

 

 

 待ってて、今そっちに行くから。

 

 アンタまさか、まともに成仏させて貰えるとか……そんな事思ってないわよね?

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 廊下を歩く。真っ暗の中、お月様の薄明かりだけを頼りに。

 赤ちゃんの棺を、うんしょと小脇に抱えて。

 

「さっきから思ってたんだけど、なんか迷路みたいになってるわね……」

 

 思わず悪態も付きたくなる。だって今いるここは、あたしが知ってる間宮邸じゃない。その部屋の配置も廊下の長さも、まったく別の物になったみたいだ。

 

「……迷わせたいの? 辿り着けなきゃ私の勝ちよ~って?

 なにヒヨってんのよおばさん。なめてんのアンタ?」

 

 ピクピクとこめかみを震わせながら、あたしは廊下を歩いて行く。こちとらアンタのくそ重たい赤ちゃん抱えて来てんのよ! ちょっとは気を使ったらどうなの?

 

 やがてあたしの前に、ひとつの扉が姿を現す。

 そこはあたしの記憶には無い部屋だから、元々は2階にあった部屋か、それとも幻か何かなんでしょう。

 そうは思いつつも、あたしはためらう事なくノブに手を掛けていく。

 

「……?」

 

 一歩部屋に入った途端、辺りに凄まじい悪臭が立ち込めている事に気付く。

 口元を覆いながらキョロキョロと辺りを見回してみると、すぐ前方の床に、なにやら赤い物体が倒れている事に気が付く。

 

「――――ッ!?」

 

 古泉くん(・・・・)だ。

 これは彼の髪。そしてこのブレザーも彼の物に相違ない。

 いまその身体は“グシャグシャに溶け“、もう原型すら留めていないけれど、辛うじてその面影は分かる。

 

「…………ふん」

 

 ビックリ、確かにビックリはした。……だけどそれだけだ(・・・・・)

 あたしはもうすでに、覚悟を決めている。古泉くんもみんなも、すでにこうなっているという事を覚悟して来ている。

 なら今さら実物を突き付けられたくらいで、いったいそれが何だっていうの?

 もうあたしが頭の中で、何回みんなに土下座して謝ったと思ってるの? 許してって懇願したと思ってるの?

 今更でしょ、こんなの。

 

「……?」

 

 そして古泉くんだったモノ(・・・・・)をジロジロと観察していると、すぐそばに青い本、なにやらよくある日記帳のような物が一緒に転がっているのが見えた。

 あたしはおもむろにそれを拾い、ペラペラっと素早くページをめくっていく。

 あたしの108の特技のひとつ、速読ってヤツよ。こういう時すんごく便利よね。

 

「……ふん!」

 

 ポイッと投げ捨てる。もう全て読み終えたから。

 どうやらこれは、あの例の間宮一郎……間宮夫人の旦那さんの書いた日記らしかった。

 

「あー……いらいらするわ。

 何でこんなイライラしなくちゃいけないのかしら? ……誰のせい?」

 

 そんな物は決まっている。あのイカれたおばさんのせいだ。

 古泉くんが死んだのも、

 今キョンがあたしの傍にいないのも、

 そして間宮一郎が絶望の中で死んだのも(・・・・・・・・・・)、すべてあの年増オバケのせいだ。

 

「――――ッ!?!?」

 

 咄嗟に、あたしはその場で前に転がる。これは柔道や少林寺拳法で言うトコロの前回り受け身というヤツね。

 

 次の瞬間、辺りにガッシャァァァアアアーーーーーンというクソ煩い音が響き、そこら中にガラスの破片が降り注いだ。

 

「――――陰険な事してんじゃないわよッ!!

 アンタまさか年増って言ったから怒ってるの!?

 このおばさん! ババア!! 年増えん!!!!」

 

 シャンデリアが落ちてきた(・・・・・・・・・・・・)。あたしの真上にあった大きなシャンデリアが、あたしを潰そうとして上から落ちてきたのだ。

 まぁあたし、咄嗟に転がって避けちゃったけどね。

 

 

「さ、用は済んだわ! とっとと行きましょ行きましょ」

 

 

 犬のようにプルプルと頭をふり、髪に付いた細かなガラスを振り落とし、あたしは部屋を出て次の場所へと進んでいった。

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

「――――ぎゃぁぁぁあああああ!!!!」

 

 いきなり床が崩れた(・・・・・)

 あたしが歩いているコンクリートらしき床が、いきなり〈ボコォッ!)と音を立て、突然崩れ出した。

 

「――――ふぅぅん!!

 ……って危ないじゃないのアンタ! 死んだらどうすんのよバカ!!」

 

 即座にいま崩れ落ちていく地面を“強く蹴り“、あたしは前方へと飛び出す。そして無事に足場に着地。事なきを得る。

 

「まったく! ポルターガイストの次は、欠陥住宅なの?

 どんな家に住んでんのよ! アンタら夫妻は!!」

 

 いくら大きくても、こんな問題だらけの家なんかに、あたしは住みたくないわ。

 ちゃんと建築会社をしっかり選ばないからこうなるのよ。

 大工さんにもちゃんと差し入れとかしなきゃ駄目よ? いつもありがとーございますーって。ご苦労さまーって。

 

「なにナイフとか飛ばしてきてんのよ!! どんな家よバカ!!

 せめて家具でしょうが!!」

 

 お次はどこからか、ビシュッとナイフが飛んで来た。ポルターガイストのパート2だ。

 あたしは顔を目掛けて飛んで来たそれをダッキングで躱しつつ、シュッシュとジャブを繰り出すマネをする。

 

「あ、国木田の死体が落っこちてるわ! 右半身が無いじゃないの!

 アンタどうしたのよコレ?! また影で焼いたの?!」

 

 とりあえず天井に向かって文句を言っておく。あのおばさんがどっかで聴いててくれると幸いだ。

 

「やるなら全部焼きなさいよ! 中途半端に残したら可哀想じゃないの!!

 こんなしょーもないアホな高校生男子にだって、人間の尊厳ってモンがあるのよ!!」

 

 空いている左こぶしを突き上げ、おもいっきり抗議してやる。

 いくら闇に落ちたとはいえ、アンタも元々人間だったんでしょう? そのくらいの常識はないの?

 

「あー腹立つ! イヤなもん見せられて、胸がムカムカするわ!

 あーらお茶も出さないのかしらぁこの家は! なってないんじゃございません~?」

 

 怒りで肩を震わせつつ、ダンダン足を踏み鳴らしながら歩く。

 小脇に赤ちゃんの棺を抱えてるから重くてしょうがない! 歩きにくいったらありゃしない!

 

「どうも~。クロネコハルヒ宅急便で~す。お荷物お届けにあがりましたぁ~。

 って や か ま し い の よ !!  さっさと出て来なさいよ!!」

 

 これあたしが崩れた穴ん中に赤ちゃんブン投げたらどうなるのかしら?

 アンタの赤ちゃんは、あたしの善意と人間性によって無事でいられてるって事を、よく考えて欲しいわね!

 谷口だったらとっくに捨ててるわよコレ!! 重いのよコレ!!

 あたしだから持ってられんのよ?!

 

 やがてファックファック言いながら先に進んでいくと、廊下の先に、なにやら人影らしき物が見えてきた。

 間宮夫人だったらぶん殴ってやろうと思い、こぶしを構えたんだけど……、よく見ればそれは女の子の影(・・・・・)

 どうやらあたしと同じくらいの身長の、女の子の人影だった。

 

 

「 す  涼宮  さん? 」

 

 

 鶴屋さん(・・・・)だ。

 いま鶴屋さんがゆらゆらと、まるで幽鬼のような歩き方で、ゆっくりとこちらに向かってくるのが見える。

 

「 どうし て 来てくれなかった   の?

    どうして      助けてくれなかった  の?  」

 

 顔が――――半分無い。

 いまこちらに近いてきた鶴屋さんの頭部には、まるでズルリと何かに喰いちぎられたかのように、右半分の顔の皮膚が存在していなかった。

 顔の半分だけが、骸骨のように……。

 

「 痛い    痛い よ   涼宮さん   助け て  よ  」

 

「 涼宮さん の せいで  こうなった   のよ?   助け て  よ  」

 

 ゆっくり、ゆっくりとこちらに近づいて来る鶴屋さん。

 あたしはおもむろに辺りをキョロキョロと見渡し、そこに丁度いい木材を見つけた。

 

 

「えっと、教えてあげるとね?」

 

「 えっ  す 涼宮 さ 」

 

「――――鶴屋さん、そんな口調じゃないわよ?」

 

 

 それを思い切り、頭に振り下ろす(・・・・・・・)

 ゴシャリという、とても重い音が鳴った。

 

「実は有希の時も思ってたんだけどね? あの子もあんな喋り方しないわ。

 ちょっとキャラの作り込みが甘過ぎるんじゃない? 観察力不足よ」

 

 

 ゴシャリ!! ゴシャリ!! ゴシャリ!! と音が反響する。

 目の前の女の子の身体が動かなくなるまで、あたしは木材を振り下ろし続ける。

 

「ふぅん……殴ってる感じからして、これって本物の人間よね?

 ならこれって、鶴屋さん本人?」

 

 あたしの手に、生き物が潰れる感覚が伝わってくる。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も、伝わってくる。

 

「仮にそうだとしても、まぁどうって事ないけどね。

 これはもう“鶴屋さんじゃないわ“。あたしが怖気づくとでも思った?」

 

 にょろ~とか、めがっさとか言って、いつもあたしに微笑みかけてくれるのが鶴屋さん。

 いつもみくるちゃんとSOS団を見守ってくれてる、優しくて友達想いなのが鶴屋さん。

 なら目の前にあるコレは、もう鶴屋さんでも何でもない。

 誰でも無い、ただの肉(・・・・)よ。

 

 ついでに言えば、今あたしの行く手を遮る、邪魔者ね。

 有希のお母さんたるこのあたしに、敵うとでも思った?

 

 

「ふぅ。けっこう疲れるわね。

 …………って、ちょっとぉ! この家すごく埃っぽいんだけど?!

 ゴミが入っちゃったじゃないの! まったく!

 ちゃんと自分の家くらい掃除しときなさいよ! アンタ主婦でしょうが!」

 

 

 

 目に入ったゴミのせいで、後から後から滲んでくる涙。

 それをグイグイと拭いながら、あたしは大声で抗議する。アンタ掃除の仕方も知らないのと。

 

 ハウスダストっていうのも侮れないわ。さっきから目だけじゃなく、鼻までどんどんグジグジいってきてるじゃないの。

 

 あーもう! どっかにティッシュくらい備え付けてあるんでしょうね?!

 無かったらとっちめてやるんだからね! あってもとっちめるけど!

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 ズンズンと足を踏み鳴らしながら屋敷中を歩き回っていくうち、やがてあたしの前に壁画の間、あの間宮一郎の絵がある部屋の扉が現れた。

 

「ようやく到着って感じね。

 さまよう鎧みたいなのが襲ってくるわ、動くガイコツがいるわ、

 鏡の中にいるオバケみたいなのに絡まれるわ……ほんとロクな事なかったけど。

 どんな屋敷よまったく」

 

 これがRPGなら、いったいどれだけあたしのレベルが上がっている事か。いっぺんステータス画面でも確認したい所よ。

 そんな事をぶつくさ言いつつ、中に入ったあたしは迷わず地下への階段を降りていく。

 この先にあるのは焼却炉の間へと続く道、そして山村さんがあたし達を守って死んでしまった場所だ。

 それを思い、なにやらあたしの眉間にシワが寄っていくが……今はただ焼却炉へとたどり着く事だけ。有希を救い出す事だけを想う。

 赤ちゃんの棺を抱えたあたしは薄暗い一本道を、のしのしと進んでいった。

 

「――――アンタ、間宮夫人ね?」

 

 山村さんの身体が、まるでドロのようにボタボタと崩れていった場所……。今あたしはそこに立っている。

 眼前には焼却炉の間の入り口。いま辺りにはあの時と同じように、胸を引き裂かれるような女の慟哭の声が響いている。

 

「アンタの赤ちゃんはここにいるわ。

 いつまでも暗いトコに隠れてないで、こっちに出てきたら?」

 

 そう呼びかけようとも、未だこの場には慟哭の声が響いているばかり。

 悲しみ、苦しみ、後悔、絶望、憎悪……今ここに立っているだけでも、そんな間宮夫人の感情が心に流れ込んでくる。

 

「そ。じゃあこっちから行くわよ?」

 

 一歩踏み出した途端、またしても足元の床が凄まじい轟音を立てて突然崩れる。

 それに大したリアクションを返す事も無く、あたしはヒョイっと前方の足場へ飛び移る。

 

「……ふぅ。

 何度も言うようだけど、あたしと一緒に赤ちゃん落っこちたらどうすんの?

 もうそれを考える事すら……アンタには出来ないのね」

 

 色々考えてたんだけど、もうこの女にはまともな思考能力など無いんだろう。

 今までのコイツの行動を思い返してみれば、もうこの女はいったい何をしたいのか、何が欲しくて何をどうしたいのかすら分からない事になっているのだ。

 

 有希を殺そうとしたかと思えば、後でわざわざ操ってまで奪ってみたり。あの山村さんを殺せる力がありながら、何故かキョンには妙に甘く攻撃してたり。

 みくるちゃんに憑りついて赤ちゃん持ってこさせるかと思えば、なんとなく「もういいや」って感じであっさり処理してみたり。

 

 きっと、いつでも殺せた。この屋敷にいる全員を、コイツは即座に殺す事が出来た。なんの抵抗もさせる事無く。

 だが妙にいつも適当というか……衝動的というか……行動にまったく一貫性が見られないのだ。

 

 サディストめいた思考で、あたしたちが段々と恐怖に呑まれていく姿が見たい、ってワケでもなさそうだし。

 ただその場その場、その時の感情のままに力を振るっているように、あたしには思える。

 

 極めつけは、あたしが持ってるこの赤ちゃんを「自分の子供だ」と理解してるくせに、なぜか有希すらも自分の子供だと思い込んでしまっている事。

 どういう事なのよソレ……ほんと何なのよこの女は。あたしは理解に苦しむのよ。

 もうこの女に、まともな思考能力は無い――――あるのは絶望と、憎悪だけ。

 

 

「話をするだけ無駄ね。

 まぁ文句と恨み事だけは、キッチリ言わせてもらうわ」

 

 

 赤ちゃんの棺をよっこいせと抱え直し、あたしはスタスタと入り口の中へと進んで行った。

 

 

………………………………………………

 

 

「……これ……」

 

 鉄の塊。

 どことなく機関車を思わせるようなその形状と、人が余裕で入れるくらいの大きさ。

 今あたしの目の前には、巨大な焼却炉らしき物がある。

 

「ビリビリくるわね……あたしそんな霊感ある方じゃないと思うんだけど」

 

 いわく、この焼却炉で沢山の子供たちが焼かれていった。最後は間宮夫人さえも。

 あたしはその場に赤ちゃんの棺を置き、焼却炉へと向き直る。

 

「ふんっっ……! ふんぎぎぎぎぎっ……!!」

 

 大きな鉄の扉は、錆び付いているせいか中々ひらかない。それでも根性でこじ開けていき、やがて焼却炉の中を覗くに至る。

 

「……有希ッ!? 有希ッッ!!」

 

 ――――いた。有希だ。

 くたっと力なく横たわっているが、その姿はまごう事無く有希の物。あたしの心から愛する女の子。

 

「……?」

 

 有希が目を覚ます。そして今ポケッとした眼のまま、あたしの方を向いてくれる。あたしに気付いてくれる。

 あたしは有希に駆け寄ろうとする。入り口に足を掛けて勢いよく中へ入ろうとする。

 しかし。

 

「――――――キャァァァアアアアアアアアッッ!!!!」

 

 突然すさまじい炎が上がる。

 焼却炉の中が炎に包まれ、吹き出した炎があたしの顔をかすめる。思わずドテッとひっくり返り、床に尻もちをつく。

 

「……あ……あぁ……!」

 

 一瞬にして炎に包まれた有希。その瞬間の恐怖に引きつった表情が、あたしの瞼に焼き付いている。

 

 ゴウゴウ、ゴウゴウ。焼却炉は炎を上げ続けている。

 今あたしの目の前で、有希が炎に包まれ、焼かれていく――――

 

 

 

 

「スゥゥーー……! フゥゥーー……!

 スゥゥーー……! フゥゥーーーー…………!」

 

 

 …………落ち着け、落ち着くのよ。

 あたしは自分にそう言い聞かせ、静かに心を静める。

 

 熱い、たまらなく熱いわ。

 ここにいるだけで肌が焦げそう。いま炎に包まれている有希を見て、心が潰れそう。

 

「でも……そんなワケないじゃない。

 ありえないのよ、コレは――――」

 

 炎の中で、有希が泣いている。泣き声が聞こえる。

 あたしはそれを聞きながら、じっと眼前の炎を見つめる。

 

「あたしを試してるのね。お前に出来るのかって」

 

 まぼろし。これは幻なの。

 あの女が今、あたしを試してる。

 

 お前に出来るのか、やれるのかと。

 

 あたしの心を、試している。

 

 

「心の力を、あたしに――――――」

 

 

 

 ゆっくりと、足を踏み出す。

 炎へ、眼前の炎の中へ、足を踏み出していく。

 

 熱い――――とんでもなく熱いわ、有希。

 もう前も見えなければ、息すらも出来ない。熱いわ、有希。

 

 でも大丈夫、今いくからね、有希。

 

 

 ゆっくり、ゆっくりと進んで行く。

 這うように、情けなく手で顔を覆いながら。でも目だけは、決して有希から離す事無く。

 炎の中を――――進んで行く。

 

 

「有希…………有希ッッ!!!!」

 

 掴んだ――――有希の手を。

 炎の中、ポカンとした顔で有希があたしを見つめる。

 あたしの方を、見てくれた。

 

「ごめんね、有希――――待たせたわ」

 

 

 

 

 

 

 

 炎が消し飛ぶ。

 有希の身体をしっかり抱きしめたその瞬間、まるで強い風がふいたように炎が一瞬で消え去り、辺りに闇と静寂が戻る。

 

「……ふぅ。さぁ有希、行きましょう? 動ける?」

 

 未だポカンとしまままの有希。その手を優しく引き、共に焼却炉を這い出していく。えっちらおっちら、よっこいしょと、必死で這い出す。

 

 

 そしてようやく部屋に出た瞬間、あたしは有希をおもいっきり抱きしめる。

 もう猫可愛がりするように頭を撫でまわし、おもいっきり頬をスリスリする。

 

 

 確かな熱、確かなぬくもり。

 

 ギュッと抱きしめた有希の体温が、嬉しかった。

 

 

 

………………………………………………………………………………………………

 

 

 さって、帰りましょうか。

 こんな所とっとと出て、いっしょにお風呂入ってゴハン食べて寝ましょうか。

 

 そう腕の中にいる有希に声をかけようとしたけれど、そうは問屋が卸さない。

 まぁ当然といえば、当然よね。

 

「――――ゥッ!!」

 

 突如として、辺りに強風が吹き荒れる。

 立っているのもやっとの程の暴風に抗い、あたしはギュッと有希の身体を抱きしめる。

 

「……ッ!」

 

「えぇ……そうよ有希。ようやくお出ましってトコね」

 

 降りてくる。

 まるで神様のようにゆっくりと、あたし達の頭上に姿を現した間宮夫人が、この場に下りてくる。

 今も得体の知れない電気のような物をバチバチと纏い、視覚化できるようなドス黒い瘴気を纏っているこの女を、神様なんかに例えられるのかどうかは知らないけども。

 

「やっと出てきたのね。

 有希も目を覚ましちゃったし、もう直接出張ってくるしか無いって事?

 今まで散々、かくれて何やかんやしてたのにね」

 

 ボサボサに乱れた長い髪、そして半分焼けただれているその顔。潰れた片方の目。

 服だけはいっちょ前に白い綺麗なドレスだし、生前はさぞお綺麗なご婦人だったんでしょう。

 でもそんな全身がビリビリしちゃうようなおぞましい瘴気を漂わせてたんじゃ、どんな男だって裸足で逃げる。アンタの旦那も愛想つかして死を選ぶってモンよ。

 

 やがて間宮夫人の身体が眼前に降り立ち、あたし達と向かい合う形となる。

 あたしは有希の肩をそっと離し、ずいっと前に出た。

 

「……ッ!」

 

「下がってなさい有希。出て来ちゃダメよ?」

 

 そう優しく背後にいる有希に告げてから、改めて間宮夫人へと向き直る。

 

 

「――――こんばんは、間宮夫人。

 あたしは涼宮ハルヒ。この子のお母さんよ(・・・・・・・・・)

 

 

 腕を組んで、仁王立ち。

 あたしらしくビシッと言い放つ。

 

「勝手にお邪魔しちゃって悪いわね? あたしのトコの雑用係が、

 どうしてもアンタの旦那の絵が見たいって言うもんだから、来ちゃったの」

 

 憎らしく、フフンと口角を上げる。

 いま身の竦むような恐ろしい瞳であたしを見つめている、目の前の化け物に対して。

 

「ただ……よくもまぁ色々としてくれたものよね。

 こちとら、ちゃんと役所に許可を取って来てるのよ?

 不法侵入に対する仕打ちとしては……ちょっとやり過ぎなんじゃない?」

 

 あたしの後ろで、有希がガタガタと身を震わせているのが分かる。

 けど大丈夫、あたしの後ろに居なさい。アンタはあたしだけ見てれば良いの。それで大丈夫だから。

 

「まぁ、アンタには色々と言いたい事はあるんだけどね? とりあえずぅ~……」

 

 あたしは間宮夫人を見据える。

 そして今、キッと睨みつける。

 

 

「――――アンタもう死んでんでしょうがッ!!

 何とち狂ったマネしてんのよッ!!!!」

 

 

 

 机が飛んでくる。アタシの身体より大きな机が、ひとりでに動いてこっちに飛んでくる。

 それを「せいやっ」とドロップキックで撃墜し、シュタッと一回転して着地。

 

 

「――――いつまでもメソメソしてんじゃないわよッ!!

 元の世界へ帰りなさいッッ!!」

 

 

 そう叫び、あたしは間宮夫人へ飛びかかっていった――――

 

 

 

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

「――――アンタ馬鹿じゃないの!? この子はアンタの子じゃないでしょうがッ!!」

 

 

 変な青白い電撃みたいな攻撃を、投げつけた木材で撃墜する。

 

 

「――――村中から盗んで! あたし達からも盗って!!

 アンタ母親でしょ?! どうして子供を奪われる親の気持ちが分からないのッ!!」

 

 

 強風が吹きつけ、凄まじい炎が上がる。だがピョーンと机の上に飛び乗り、それを回避する。

 

 

「――――何人殺せば気が済むの?!

 谷口! 国木田! 鶴屋さん! みくるちゃん! 古泉くん! 山村さん!!

 ……あと何人よッ!?」

 

 

 本だの人形だの椅子だのが飛んでくる。でもそんなのが当たるようではSOS団の団長ではない。

 

 

「――――間宮一郎も死んだわ! アンタが殺したんだもんね!!

 一郎も苦しんでいた……アンタその気持ち、一度でも考えた事あるのッ!?」

 

 

 お返しとばかりに「ふんぎぎぎ!」と本棚を持ち上げ、投げつける。

 ちょこざいにもそれは空中で爆散させられたが、あたしの怒りは留まる事を知らない。

 

 

「――――絵、見たわよ!

 絵の中でアンタ、幸せそうに笑ってた! 赤ちゃんといっしょにね!

 ……でもそれはもう、何十年も昔の事よッッ!!!!」

 

 

 このギャーギャーめそめそといつまでも泣いている馬鹿女に向かい、声を張り上げる。

 

 

 

「――――そんでアンタ! 実はこっそりキョンのこと狙ってたでしょ(・・・・・・・・・・・・・)!!」

 

 

 ビシッと指を付きつけ、あたしは弁護士のように言い放つ。

 

「……アンタみょ~にキョンにだけ手加減してると思ったら……そういう事!?

 どうせ今、キョンだけ生かしといて、どっかに隠してるんでしょうがッ!!

 有希が子供で、キョンが夫で、アンタがお母さん? 再び幸せ家族の完成?

 ――――ふ ざ け ん じ ゃ な い わ よ !!!!

 なに若い燕にヨダレ垂らしてんのよ! この不倫妻ッ!

 一郎に謝りなさいよ!」

 

 思わず間宮夫人に向かいドロップキックを繰り出す。

 それはバチバチッと電気の壁のような物に弾かれてしまうが、なんか間宮夫人が僅かに動揺してるような気がする。

 

「そんな事して良いなら、とっくにあたしがキョンとくっついてるわよ!!

 薬品染み込ませたハンカチで後ろからガバッとやって!

 そんでどこぞの体育倉庫にでも連れ込むわよ! ほら! いっちょ上がりよ!

 ――――それが出来ないから、こうして悶々とした関係が続いてるんでしょうがッ!!

 何よキョンのバカ! 乙女のバレンタインチョコを何と心得ているのよ!」

 

 もう無我夢中で木材だの家具だのを投げつける。有希もいま呆然としてあたしを見つめているようだ。

 けれどあたしは「はっ!?」と我に返る事が出来、再びキッと間宮夫人を睨みつける。

 渾身の気合と、【心の力】を込めて!

 

 

 

『 ――――アンタの子供は死んだのよ!!!! 元の世界に帰りなさいッッ!!!! 』

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間宮夫人の絶叫が屋敷に響き渡る。

 その瞬間、凄まじい程の瘴気が吹き出し、夫人を包んでいった。

 

 

 

………………………………………………………………………………………………

 

 

「……ッ!?」

 

 有希があたしに抱き着き、その身を震わせている。

 

「…………ッ」

 

 あたしも言葉が出てこない。いま眼前にいる、巨大な化け物を見て。

 

 

――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 

 

 身体が変化していく。

 間宮夫人の身体が瘴気に包まれ、青白い雷がその身に纏わりつき、帯電している。

 

 いま間宮夫人の全身に浮かぶのは、赤ちゃんの顔(・・・・・・)

 彼女が焼却炉に投げ込み、焼き殺したという子供たちの怨念がその身に浮かび、ブクブクと膨れ上がっていく。

 

 まるで沢山の赤ちゃんの頭が集まって出来たかのような、見上げんばかりに巨大で醜悪な化け物。

 その顔は憤怒と憎悪に染まっていて、もうただただ悲しそうな雄たけびを上げるばかり。

 あたしの声も……もう聞こえない。

 

 

「有希、逃げて。

 早くここから逃げて――――」

 

 縋りつくような目であたしを見ている、有希。

 その手をそっと外し、真っすぐに有希の目を見据える。

 

「屋敷の外へ出るの。あたしの事はもう気にしちゃダメ。

 走るのよ、有希。……全力で走るの」

 

 今にも涙が零れそうな、この子の顔。それを最後にしっかりと目に焼き付けて、あたしは夫人へと向き直る。

 

 

「行きなさいッ! 有希ッ――――」

 

 

 放り出すように有希の身体を押し、その勢いであたしは前へと走る。

 間宮夫人に向かって。眼前の醜悪な化け物に向かい飛び出して行く。

 

 辺りに強風が吹き荒れ、あたしのリボンがほどけて飛んでいく。お母さんがくれたこの服が生き物のように風で波打っている。

 そんな中であたしは傍にあった物置棚からスコップを発見。即座にそれを引っ掴んで間宮夫人に突進していく。

 

「――――うっ……うわぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁああああッッ!!!!」

 

 まるで見えない壁に遮られるように、あたしの身体が止まる。いくら力を込めようとも身体を動かす事が出来ない。

 青白い雷に身体が焼かれ、お母さんの服が焦げていく。あたしの手も指も腕も、どんどんボロボロになっていく。

 それでも決して止まるワケにはいかない。

 

「――――あああああああぁぁぁぁぁぁ!!!! あああああああああああッッ!!!!」

 

 有希がいる。今あたしの後ろには有希がいる。

 それだけを想い、弾かれたスコップを再び振り上げ、突進する。

 

「……ッ!?!? きゃぁぁぁぁぁあああああああああああーーーーーーーッッ!!!!」

 

 吹き飛ばされる。

 まるで映画で見たワイヤーアクションみたいに、あたしの身体が後ろに飛んで壁に激突する。

 一瞬真っ白になった意識の中、信じられないような重い音が聞こえた。あたしの身体が衝撃に軋み、その運動能力を消失していく。

 

「……ッ。…………ッ!! ――――――有希」

 

 立つ事も出来ず、壁に寄りかかっているあたし。

 そんな中、ふと視界に有希の姿が映る。

 倒れ伏したあたしの姿を、絶望するように目を見開いて見つめている。まるで目の前の出来事を信じる事が出来ずにいるような。小さな身体をプルプルと震わせて。

 

 こんな状況下ではあるけど、そんな小動物のような有希の姿も、とても愛らしい。

 思わず駆け寄って抱きしめてあげたくなる程の可愛さよ。さすがあたしの娘ね。

 

 そんな馬鹿な事をふと考えていると、また何やら身体に力が宿って来るから不思議だ。

 あたしは再び眼前の女を見つめ直し、そしてゆっくりと身体を床から持ち上げていく。

 

「……ッ! ――――――!!」

 

 そんなあたしの必死こいている姿を見つめていた有希が、何かを思いついたかのように走り出す。

 あぁ……やっとここから逃げる決心をしてくれたのね……と、あたしはそんな事を考えて安心したんだけど、どうやら有希はすぐ部屋の隅まで行って立ち止まり、そこに置いてある物に縋りつくように手を掛けているのが分かった。

 

「――――ッッ!!」

 

 棺桶(・・)。あたしが運んで来た、間宮夫人の子供の棺桶だ。

 有希が今、力を込めてその蓋を開き、中から赤ん坊の遺体を取り出し、抱き上げたのが分かった。

 

 

――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 

 

 嵐が吹き荒れている。

 そんな中を、有希が進んで行く。

 

 いま眼前で憤怒の表情を浮かべる、自身の何倍もの身の丈があるその化け物に向かい、一歩一歩ゆっくりと、歩いていく。

 

 

「――――――」

 

 

 有希が、間宮夫人の前までたどり着いた。

 その途端、あれだけ猛りくるっていた嵐が止み、辺りが静けさを取り戻す。

 

 

「――――」

 

 

 有希は、じっと間宮夫人を見つめている。

 立ち止まり、いつものあの子のように真っすぐな瞳で、意志を持った瞳で夫人を見つめている。

 

 間宮夫人は、動きを止める。

 その雷も、瘴気も出す事無く、ただ眼前の幼い子供の顔を、じっと見つめているように見えた。

 

 

 

 

 

「――――――――――――かえって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 差し出す。

 

 有希が今、真っすぐに間宮夫人の顔を見つめて、彼女の赤ちゃんの遺体をそっと差し出した。 

 

 

「――――――かえって」

 

 

 

 

 

 …………………………

 

 

 やがて、今までずっと硬直していたはずの間宮夫人の腕が……そっと、有希の手に添えられる。

 

 化け物のように長くて、醜い腕。

 そんな間宮夫人の腕が、今この上ない優しい手つきで、有希の手から赤ちゃんを受け取る。

 

 あたしはただその光景を、じっと見守っている。

 

 

「――――――」

 

 

 醜く歪んだ口。大きくて醜悪な身体。

 もうとても人とは呼べなくなってしまった、哀れな怪物。

 

 でも間宮夫人が今、とても優しい顔をしている――――

 

 我が子を見つめ、その腕に抱き……間宮夫人が涙を流しているのが見える。

 

 

 

 そんな彼女の姿を。お母さん(・・・・)の姿を。

 

 あたしはただじっと、見つめ続ける。

 

 

 

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 赤ん坊の、笑い声が聞こえる。

 キャッキャと笑う、嬉しそうな声が――――

 

 

 暖かな表情で我が子を見つめている、お母さんの姿。

 母に見守られながら、嬉しそうに声を上げている赤ん坊。

 

 そんな、幸せな光景が。

 間宮夫人の過去の思い出の記憶が…………………今あたしの前に浮かんでいる。

 

 

 

 ベビーベッドにいるその子が見つめる先には、代わる代わる現れる、沢山の動物たちの姿。

 

 これは手で形作る、影絵だ――――

 お母さんは見事な腕前で両の手を動かし、まるで生きているかのように動く沢山の動物たちを、次々と赤ちゃんの前に作り出していく。

 

 

 ――――わんわん、わんわん。ぼくは犬だよ。

 ――――コンコン! ぼくはきつねだよ。コンコン!

 ――――ピョンピョン。私はうさぎよ。いっしょに遊びましょう?

 

 

 時に愛らしく、時にコミカルに。

 赤ちゃんは影絵の動物たちに夢中だ。キャッキャと笑いながら小さな手を伸ばしている。

 

 そんな微笑ましい我が子の姿に、お母さんが今、とても幸せな笑みを浮かべているのが見える。

 慈愛に溢れた、とても美しい、母親の笑みだ。

 

 

 ――――カサカサ。ぼくはカニだよ。

 ――――ワオーン! 僕はオオカミだよ。遠吠えが得意なんだ!

 ――――めぇぇ~。あたしはヒツジよ。友達になりましょう?

 

 

 代わる代わる現れる、生き生きとした動物達。

 そんな中……やがて赤ちゃんの前に、一羽のハトの姿が現れる。

 

 手影絵で作られた美しいハトは、いま大きくその羽を動かし、優雅に大空を飛んでいく。

 

 その幻想的な光景に……赤ちゃんは口を大きく開けて、キラキラと目を輝かせる。

 

 

 

 ――――ハトは飛んでいく。自由に、どこまでも。

 ――――――高く高く。この上なく優雅な羽ばたきで、空を昇っていく。

 

 

 この子の幸せを、祈るように。

 この幸せが、いつまでも続きますように。

 

 そんなお母さんの願いを、空に届けにいくようにして。

 

 

 

 

 そんな愛に満ちた、お母さんと子供の姿を。

 

 あたしはただずっと、見つめ続けていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 

 

 

 光を感じる。窓から差し込む、お日様の光を。

 

 

「…………」

 

 気が付けば、辺りには光が差し込んでいた。

 

 さっきまでの暖かな光景が過ぎ去った後……今あたしの目の前にあるのは、さっきまでとは違い暖かな光に照らされている、間宮邸の一室。

 

 

「……有希?」

 

 

 ふと気が付けば、今あたしの腕の中には、くうくうと寝息を立てている有希の姿がある。

 よっこいしょと床から身体を起こし、有希の肩をゆさゆさとゆすってみると、ポケッとした顔であたしの方を見てくれた。

 

「有希、あたしが分かる? ハルヒよ?」

 

「……わかる」

 

 有希を抱き起し、そのままギュッとする。

 もうありったけの気持ちを込めて頬擦りしてやったが、有希は嫌がる事なく、身を任せてくれた。

 そっとあたしの身体を、抱き返してくれた。

 

 

「帰りましょう、有希――――」

 

 

 

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

 有希に寄り添い、間宮邸を歩く。

 

 廊下を抜けて、エントランスへ。

 さっきまであんなに暗かったここには、今は沢山のお日様の光が差し込んでいて、もう暗がりを心細い思いをしながら彷徨う事も無い。

 

 そう万感の想いを込めて、ゆっくり有希と一緒に間宮邸を歩いた。

 玄関から外に出れば、そこには眩しい程の、目が眩むほどの、光――――

 

 

 あたしは有希の肩を抱き、全ての想いを振り切るようにして、外へと一歩踏み出した。

 ………………………………………………踏み出した、はずなんだけど。

 

 

 

 

「よぉ、今日は遅いなハルヒ」

 

 だが今目の前にあるのは、すでに席に座り、いつもの如くのバカ顔で挨拶をするキョンの顔だ。

 

「どうした、寝坊か?

 お前休み時間はどっか行くし、授業中もグースカ寝てるけど、

 学校サボる事だけは無いからな。真面目なんだか不真面目なんだか分からんよ」

 

 

 あの時、屋敷の外へと一歩踏み出した瞬間に、あたしはベッドから転げ落ちた(・・・・・・・・・・)

 あの屋敷にあるベッドじゃない、自室のベッドだ。慌てて辺りをキョロキョロしてみれば、そこはまごう事無くあたしの家。

 ついでに窓からは、朝の光が差し込んでいた。

 

「なんか今日は、いつもにもましてぶすっとしてるなハルヒ。

 なんか嫌な事でもあったか?」

 

「……」

 

 そして今あたしは、こうしていつもの如く登校し、このバカ顔を前にしている。

 こっちの気もしらないでのほほんと話しているキョンには、その脳天にシャンデリアでも落としてやりたい気持ちでいるのだが、残念ながら学校の教室にそんな物ぶらさがっているワケがない。

 あの間宮邸の屋敷ならば、いざ知らず。

 

「別に。ただちょっと変な夢を見ちゃって、気分が悪いだけよ」

 

「ほう、そら難儀だな。夢ばかりは何ともしがたいモンだ。

 後でジュースでもおごってやるから、元気だせハルヒ」

 

 ふと周りを見渡せば、そこにはいつもの如くしょーもない話題で談笑している、国木田と谷口の姿。

 実は登校中、たまたま「おっはよ~んハルにゃん!」と通りすがった鶴屋さんの姿も確認していたりする。

 返事を返すあたしの顔は、さぞ引きつっていた事だろう。

 関係ないけど、何か鶴屋さんには奢ってあげないといけないような気がする。そんな無駄な使命感があたしの胸で燃えていた。

 

「今日の部活はどうすんだ? ま、俺たちの場合、団活になるが」

 

「まだ考えてないわ。

 でもまぁいつも通りよ。気分悪いくらいで中止にするなんて事はないわ」

 

「そか。まぁ今日はのんびり行けよ。なんならノートをとってやらん事もないぞ」

 

「バカ。誰がアンタのノートなんか。

 汚くて読めやしないじゃない」

 

 軽口を返しながらも、さりげなく気遣ってくれるキョンに感謝する。

 ……アレね、これからたまに、朝から体調悪そうにしとこうかしら? キョンが優しくしてくれるのはアリだわ。

 

「どうせあんたは、今日も古泉くんと一緒に絵の話でしょ?

 自分で描けばいいじゃない絵なんて。美術部に移籍するのは……許可出来ないけど」

 

「ん、絵?

 なんだ絵の話って。古泉って絵が趣味なのか?」

 

「……は?」

 

 

 

 

 

 まぁそこから朝のホームルームが始まるまでの時間、色々と探りを入れてみたんだけど……。

 結論から言うと、キョンは間宮一郎の事も知らなければ、絵なんて高尚な物に興味を持った事も無いのだそうだ。

 

 あれだけお熱だった間宮一郎の話をしても「俺は漫画とかで構わんよ。難しくて眠くなっちまう」とかなんとか、ふざけた事を言っていたあたり、どうやら本当のようだった。

 聞けば古泉くんと絵の話題で話した事もないようで、「アイツが絵が好きなんて話は聞いた事がない」との事だ。

 

 これまで散々ふたりだけで盛り上がって、あたしを放っておいたくせに……! そんな事を思うも、何やらあたしは脱力してしまい、もう問い詰める気も起きなかった。

 

(ふぅん……そうなの。そういう事)

 

 夢でした、と。

 あの春休みの映画撮影も、これまでのキョンの間宮一郎狂いも、全部夢でした、と。

 

(そんなワケありますか! あんなリアルな体験が、夢であるモンですか!)

 

 一瞬納得しそうになるも、フルフルと頭を振って否定。

 あたしは夢オチって物が大嫌いなのよ! もしそんな小説でも読んだら、迷う事無くアマゾンレビューで1点を付けるわ!!

 

「おい、授業始まるぞ? 前向いとけ」

 

「分かってるわよ! うるさいわねっ!

 シャーペンで背中にタトゥー施されたいの?!」

 

「おいおい……」

 

 やがて腑に落ちない気分のまま、先生があたし達に授業開始を告げる。

 あたしはぶすっと席に座りつつ、ただぼけーっと考える。

 

 あの屋敷の事、そして間宮夫人の事――――

 

 最後に見た、あの慈愛に溢れた間宮夫人の顔が、今も胸を離れない。

 

 

 

(……ッ!! そうだわっ!)

 

 授業中にも関わらず、あたしはスマホを起動。スッスと素早く指を動かしていき、あるページを検索する事に成功する。

 

(………………………ふん) 

 

 スマホをポケットにしまう。もう用は済んだとばかりに。

 あまり長々とやってると、先生に見つかって怒られちゃうかもしれないしね。あたしとてそれは不本意なのよ。

 

(………なによ、あるじゃない。居るんじゃないよ……間宮一郎)

 

 

 あたしが速攻で検索したのは、間宮一郎の記事。

 あたしが観覧したそのページには、間宮一郎という天才画家が、最近になって何かしらの大きな賞を受賞したというニュース。

 

 そして奥さんとおぼしき綺麗なご婦人と、若い息子さんと一緒に映った、幸せそうな姿の写真。

 その画像が、大きく張り付けてあったのだった。

 

 

………………………………………………

 

 

 

 正直、不思議な体験だったわね。

 アレは今でも夢だなんて思えない程リアルだったし、あの時感じた痛みも感覚だって、しっかり思い出せるもの。

 

 じめじめとした空気、湿ったような臭い、階段の手すりの手触り。

 

 暗闇で感じた心細さ。

 絵に感じる神々しさ。

 そして、仲間を失った時の悲しみ。絶望。

 

 全部ぜんぶ、今もはっきり憶えてるわ。

 

 

 散々な想いをしたし、ぶっちゃけもう御免よ。いくらあたしがSOS団の団長だって言ってもね。

 もう二度と行きたくない。あんな想いをするのはもう金輪際ゴメンだ。

 

 ……でも、今あのご婦人の幸せそうな写真を見て。そして成長した息子さんの姿を見る事が出来て、あたし良かったって思うわ。

 

 

 それだけでもう、許してあげる。

 散々怖い想いもして沢山泣かされたけど、許してあげるわ。

 

 だって、あの人のあんな幸せそうな顔見たら――――もう怒るに怒れないじゃないの。

 

 あの屋敷で見た、恐ろしい顔じゃない。

 心からの幸福に満たされた、家族に囲まれて笑っている姿なんだもの。

 

 

 だからもう、何でも良い。

 その姿が見られただけで、あたしの夢の中での苦労も報われたってモンだわ。

 

 

 だから……どうぞ幸せにね? 間宮夫人さん?

 

 もうあんな事しちゃ、ダメなんだからね?

 これからも息子さんと旦那さんと一緒に、しあわせにね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……と、そんな事を考えながら過ごしているウチ、時刻は午後3時をまわったわ。

 あたしは今日の授業を終え、いそいそと我がSOS団の部室へと向かう。

 

 いつも思うんだけど、やっぱ“団“なのに部室っておかしいかしら?

 でも団室なんてあまり聞いた事ないし……とりあえず誰かにつっこまれるまでは、このまま部室の方向で行きましょうか。

 

 

「おっはよう有希ーっ! 調子はどう?」

 

 そしてあたしはドアを開け、中にいる有希へと元気に声をかける。

 

 今も愛らしくちょこんと椅子に座り、大好きな本を読んでいた有希が、あたしに向き直る。

 

「いやー! 今日は何しましょうね? ネットで不思議検索も良いけど……、

 でもこのさい外に出て、みんなでパーッと遊びましょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かにパタリと本を閉じ、有希があたしの顔を見る。

 

 

 いつもの無表情じゃなく、まるで花が咲いたような笑み。

 

 はにかんだ、まるで子供みたいな(・・・・・・)笑み。

 

 

 

 

 

「――――――――うん、おかぁさん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――END――

 

 

 

 

 

 

*1
魂の住処、心の居場所の意

読破おめでとうございます! 約10万文字ありましたが……読み切れましたか?

  • あぁ……。二度と御免だけどな。
  • 途中、飛ばし飛ばし読んだよ……。
  • もう読むのを諦めた。ラストだけ読んだよ。
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