黒を喪くしたレイナーレ   作:もちごめさん

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後編

 ボタンに手を掛けても、松田は唖然としたままだった。

 ぷち、ぷちと、ゆっくり焦らしてやっても、視線は固まって動かない。窓の月明かりを背にする私を、ただじっと、その眼に映し続けている。谷間まで晒してやっているにもかかわらず、馬乗りになった私のお尻を押し上げる変化はなかった。

 

 童貞らしく、パニックで頭が真っ白になっているのだろうか。

 当然のことながら、最初に出会ったあの日以降、私は松田に迫ったことなど一度もない。向こうからもそうだ。約束がうやむやになり、大義名分を失ったが故のヘタレた気性。封じてきた変態性も大きいはずだ。押し込めた欲望が突如解放の機会を得て、ショックに放心しているのだろう。

 

 いや、そうでなければならない。

 

 そうでなければ、その眼は見透かされているような気がして怖かった。

 そんなわけがないのに、その程度の『予想にない反応』ですら恐れてしまう。衝動任せにキスなんてするんじゃなかった、という後悔もそれのため。純情な松田をその気にさせるだけなら、もっとかわいらしい方法を取るべきだったろう。

 

 だが実際、こうなった。そしてそれは衝動だ。理性ではなく、感情によって引き起こされた行動。

 つまるところ、本心ではこうなることを望んでいた、のかもしれない。私を見てくれるその眼が変わらないことを、信じたかったのかもしれない。

 

 穿ちすぎだとは思えなかった。その想いを、私は決して笑うことができないのだ。

 

 楽観しすぎている。絵空事でしかない。理性がそう訴えるが、ゆっくりと深呼吸してみても、一度抱いてしまった想いは消えない。込み上げる言葉を必死に押し留めつつ、服の裾に手を伸ばし、抓んで、力任せに握り締める。その動作の一つ一つですら、今の私には目が眩むほど怖かった。

 松田に胸を晒して反応を楽しんでいたあの頃では、絶対に感じ得ない類の不安。あの頃のような情欲を向けられることが、今は怖い。そしてその恐怖は、やはり期待の裏返しだ。

 

 どう取り繕っても、消えないのだ。

 

(……ああ)

 

 十分だって、私を見ているだけでいいって、そう思っていたのに。

 私はいつの間に、こんなにも強欲になってしまったのか。

 

 もっともっと、深くに欲しい。松田の眼の私を見つめてそんな不安に襲われながら、私は一思いに布地をめくり上げた。

 

「――まっ、待てよ夕麻ちゃん!」

 

 しかし脱ぎ捨てる決意をして間もなく、跳ね起きた松田がそれを留めた。勢いで馬乗りから膝の上までずり落ちた私のお尻。腕を掴まれ、胸の下で白幕が停止する。冷えるお腹周りとは裏腹に、心へ熾火のような熱が灯った。

 それと比例して重たくなる口で、私はなんとかそれらしい笑みを作り直した。

 

「対面座位がいいの?男は感じにくいって言うけど……ああ、童貞だし、ちょうどいいかもね」

 

「どっ……ちげえよ、夕麻ちゃん!今はそういうんじゃ……冗談言ってるんじゃなくて……!」

 

 一瞬頬を赤らめてから、松田は私の両手を取り上げる。指が解け、彼の眼から肌色が減ったと同時、吐かれた小さなため息から、明らかに好色のそれではない声色が流れ出た。

 

「夕麻ちゃん、あの後……オレが、夕麻ちゃんを置いて行っちまった後、何があったんだ……?」

 

 私の勘違いでなければ、それはたぶん、心配。逃げることなく、まっすぐに私を捉えるその感情は、とても温かくて、眩しすぎる。

 誘惑の笑顔が崩れてはいないか。保つだけで精いっぱいだった。

 

「どうだっていいじゃない。そんなことよりも、ほら、ずっと前にした約束、忘れちゃった?ここならお母様もいないし、最後までできるわよ?……ねえ、ずっと欲しかったんでしょ、私のこと。アンタなら、私は、あげても――」

 

「夕麻ちゃんっ!!」

 

 見たことのない気迫が目の前で炸裂した。背が跳ねあがり、言葉が吹き飛ぶほどの迫力。放った松田の、その厳めしい表情に高鳴ってしまう心臓が煩わしかった。

 傾き始めた心の通りに慄いているであろう私に、彼はやはり心配そうにして、手に包んだ私の両手を温めていた。

 

「頼む、夕麻ちゃん。教えてくれ、あの後一誠から……リアス先輩たちから、何を言われたのか……」

 

 まるで自分のことのように、苦しげに押し出されたその言葉。どこにも私の身体を、いや、この身体(・・・・)を欲するそれは見つけられなくて――

 

「――わ、たし……」

 

 揺れた声は、ほんの一瞬だけ幻想を追ってしまった。

 

「……レイナーレ、って、いうんだって」

 

 それでも、(夕麻)を見てほしくて。

 

 始まればもう止められない。目を見開き、息を詰める松田の冷えゆく手のひらを感じながら、私はぎこちなくおどけてみせた。

 

「しかもさ、人間じゃなくて堕天使なの。でもってあいつらは全員悪魔。さっきアンタが解いた魔法陣みたいなのとか……、他にも色々、わけわかんない力が使えるって、言ってたわ。あの赤髪によれば、私も同じようなことができるらしいけど……ね、バカみたいな話でしょ?」

 

 けれど、きっとそれは本当なのだ。どれだけ荒唐無稽(こうとうむけい)な話でも、それを叫んだ奴らの感情は本物だったから。

 ただ、私がそれを信じたくないだけ。

 

「しかもそれだけじゃないのよ。私がその力を使って……何人も殺しただとか、その挙句にあいつら悪魔に殺されたはずだとか、世迷言がいっぱい」

 

「殺され……って、ほんとに一誠たちがそんなこと言ったのか……?堕天使も悪魔も、夕麻ちゃんがそんなこと……ありえねえだろ……?」

 

「私もそう言ったわよ。でも、聞いてくれないの」

 

 現実味のない話。突拍子もない話。気が触れたのかと疑われそうな常識外の連続だったが、松田はしかし、その身で体験してしまったが故に頭ごなしな否定ができない。笑い飛ばす代わりに混乱してしまったらしく、俯いて黙り込む彼の手から、私はそっと両手を引き抜いた。

 汗でべたつく頬に添えて私の方を向かせると、微笑み、そして、哀れっぽい細い声を口にした。

 

「それでね、私このままだと、冥界って所に連れて行かれちゃうらしいの。そこで悪魔とか堕天使とかに裁かれて、どんなに軽くても数百年は牢屋行きだって。最近、永遠に氷漬けにされた人もいるらしくって、それよりはマシでしょって言われちゃったわ。冥界の司法って、とんでもないわね」

 

 松田が口の中で『嘘だろ』と呟くのが聞こえた。そう、冗談みたいな話だ。でもきっと、もうちょっとでも経てばそうなる。

 

「人違いだって、何回言っても嘘呼ばわりされちゃうのよね。かと言って、逃げようにも私は抵抗なんてできないし。あんな奴らに囲まれて、私、何されちゃうのかしら。拷問とか凌辱とか、されちゃうのかしら。

 ……ねえ、そうなったら、もう二度と会えないわね」

 

 だって松田も、きっとまた記憶を消されてしまう。

 だからそうなる前に、刻み込みたい。消されても消えないくらいに、深く、強く。『レイナーレ』ではなく、『夕麻』としてその眼に映ることができれば、きっとそれは、一人きりの心をも温めてくれる。

 

「だから、今の内よ?」

 

 所詮、恐れに負けた中途半端な告白だ。他人事の(真偽のわからない)話だから、この話が真実であることなど、松田は知らない。確信できない。私が『レイナーレ』であったことは、彼にとって気にしようにも気にできない、朧げな『かもしれない』でしかないのだ。

 そんな朧げな認識。そこからもたらされる私が(・・)夕麻(・・)である確証(・・・・・)も、同じく朧げ。それは、本物ではない。

 

 でも――

 

「――抱いてよ、松田」

 

 肩に伸びる手。(夕麻)の身体を欲している眼。『レイナーレ』を知っても、『夕麻()』を見ている眼。

 それが霧のようなものだとしても、今は、そこにある。今はまだ、松田の中の私は『レイナーレ(他人)』ではなく、『夕麻()』だ。

 

 例え松田が忘れても、思い出だけでも、私はそう思うことができる。

 

 なのに、それすらも。

 

「夕麻ちゃん、でも、オレは――」

 

 がらがしゃん

 

 建付けの悪い片引き戸が乱暴に転がり、ガラスが鳴った。ぬるい幸福感が荒々しく剥ぎ取られ、弾かれたようにして私の身体が反転する。いくつもの足音が踏み込み、そしてその一つ、先頭に立つ一誠の苦り切った顔が私たちを見つけると、途端あっけにとられたようにたたらを踏んだ。

 続く後ろの連中にも似たような動揺が広がる。その中で、金髪の気弱そうな小娘だけが違わず私を見つめていた。

 

「レイナーレ様……」

 

 困惑に揺れるその声と眼が、私の恐れを酷くしてやまない。思わず、松田の腕の陰に隠れる。

 すると意気を取り戻した一誠が肩を怒らせ、糾弾の怒号を噴き出した。

 

「てめえッ、どれだけ往生際が悪いんだよ、レイナーレ!さっさと松田を解放しやがれッ!!」

 

 絶対に嫌だ。強くそう思った。しかし奴に植え付けられた恐怖心は衰えず、私の身体は意に反して震えるばかりで主張を為さない。

 腕に縋りつく力のその無意識を唯一理解してくれる松田は、私の肩を抱き返しながら、低く唸るような懐疑を一誠に向けた。

 

「お前……本当に一誠か……?それだけじゃねえ、オカルト研のメンバーが全員悪魔だったってのも、冗談じゃなく、マジな話なのか?」

 

「……俺は本物だし、部長たちが悪魔だってのも本当だ。まあ俺は、つい最近悪魔になったばっかりなんだけどな」

 

 一瞬怯み、一誠は言い辛そうに答える。しかしすぐに私へ怒気を戻し、左腕をかざしてみせた。

『Boost!!』と、やはりあの赤い小手が、どこからともなく出現する。

 

「簡単には信じられねえだろうし、わけわかんねえだろうけど……安心しろよ松田。今度こそ、ダチは殺させねえ。すぐにその堕天使をぶっ飛ばしてやっから」

 

「ええ、イッセーの言う通りよ」

 

 遮るように赤髪が前へ進み出た。私に負けずとも劣らない肢体が松田に曝され、私と彼の身体の強張りが同時に強くなる。身震いは治まらない。

 

「けれど、せめて最後のチャンスをあげるわ、堕天使レイナーレ。松田君を解放しなさい」

 

「……ぃ、ゃ」

 

 辛うじて声の体を為した空気の振動は、続く赤髪の調子を事務的なものに変えるだけだった。

 

「……貴女がやったことは、既にアザゼル総督へ報告したわ。三大勢力で和平が結ばれた直後の今、しかもコカビエルが起こした事件の負い目もある『神の子を見張る者(グリゴリ)』が、貴女の行いを支持することはあり得ない。むしろ喜んで討伐指令を出すでしょうね。……それでもまだ、私が嘘を言っていると思うなら――」

 

 声色が変わった。冷たく鋭く、私を射抜く紅の目。敵愾心が眼に見えるようで、臓腑がさらに締め付けられる。

 

「皆、躊躇しないで。和平があるとはいえ、ここは私の領地。私の領地で起こった問題は、私の責任。……堕天使レイナーレ、私の領民に二度も手を出したその罪、万死に値するわ。グレモリー侯爵の名において、もう一度貴女を吹き飛ばしてあげる!」

 

 窓はどれも締め切られているはずなのに、冷たい風圧が私の顔を叩いた。床に積った埃が吹き飛び、月明かりに反射して煌めくその光景は、私にとって恐怖でしかない。赤髪の身体から噴き出る湯気のようなオーラに、眼前まで迫った一誠の拳を想起した。

 

 あの、死の恐怖。本能から来る恐怖心に囚われ、私は必死に体温の熱を掻き抱く。

 そんな私の視界を己の背で塞ぎ、片膝立ちになった松田が叫んだ。

 

「待てよ!リアス先輩、あんた勘違いしてるんだ!オレは人質なんかじゃねえ、自分の意思でここに来たんだ!そもそも夕麻ちゃんはあんたが言うレイナーレじゃ……堕天使だの悪魔だのじゃない、普通の人間の女の子だ!罰を受ける理由はねえ!」

 

「そう思い込むよう、暗示を掛けられているのよ、松田君。……混乱させてしまってごめんなさい。まさか私が上書きしきれないほど強力なものを使えると、思っていなかったの」

 

「あるいは仲間に掛けなおされた、という可能性もありますわ。彼女が生きている理由がわからない以上、他三名の堕天使も死んでいるとは言い切れませんもの」

 

 黒髪のポニーテールが笑う。すべてを見下すような口調が血中を冷水となって駆け巡り、松田はそれを吹き消すかのように声を張り上げた。

 

「だから操られてなんかいねえって言ってんだろ!?なんだよ、さっきから自分の頭の中だけで全部決めつけやがって……!なんで皆、夕麻ちゃんを見ようとしねえんだ!!」

 

「見たんだよ、お前よりよっぽど!!」

 

 空気がビリビリ震える。視線なんて通っていないが、一誠の嫌悪に憎悪が混じる様子は気配でわかった。他でもない親友であり、当人の口から、それ(・・)が告発されようとしているのだ。

 今すぐ止めたい。そう思うことだけで精一杯。祈るように、松田の腕に額を押し付ける。

 

「どんなにいい子ぶってても、内心じゃあこっちを見下して、嗤ってんだ。松田、お前がどんなにそいつのことを想ってても、そいつにとってはその想いに価値なんてねえ!喜んだ顔だって、驚いた顔だって、照れくさそうな顔だって、全部……全部、演技だった……夕麻ちゃんなんて全部、嘘っぱちだったんだよ!!」

 

「ッ!!一誠、てめえいい加減に――」

 

 冷たい処刑刀が、首筋に食い込んだ。

 

「俺はお前みたいに信じて、殺されたんだッ!!」

 

 松田の激昂がぴたりと止まり、そして微かに、背中の私を気にしたように思えた。

 干からびた喉の奥が引き攣って、血の味がした。

 

「俺だけじゃねえ、アーシアも……『至高の堕天使』になるため、なんてくだらない理由のために殺された。悪いことなんてなんにもしてない、傷ついている人がいたら迷わず助けるような、こんないい子に……あんな仕打ちを、だぞ?……俺は、許さねえ……許すわけにはいかねえんだよ、レイナーレ。お前も……アーシアを守れなかった、俺自身も……!!」

 

 声帯からは息だけが零れる。床材の木目が奇怪に歪み、胃の底がせり上がってくる。

 恐ろしい。怖くてたまらない。一誠の殺意ではなく、その親友としての叫び(真実)によって、松田の眼が変わってしまうことが。

 

 だが、それを黙って受け入れてしまうことなど、もはや私にはできない。希望を見出してしまった私には、到底、受け入れがたい。諦める気など、そもそもないのだ。

 

 だから、また頑張るから、せめてアンタが私を忘れてしまうまでは――

 

「今度こそ、守ってみせる。俺の友達は、もう二度と殺させねえ!!」

 

 (夕麻)私じゃない人(レイナーレ)を見ないで……。

 

「――しら……な、い……ッ!」

 

 抱きしめた松田の腕を支えに背中から這い出して、私は狭い気道を引き裂いた。

 擦れて悲鳴のように憤怒を貫いた懇願。松田はもちろん、一誠にも届いたそれに、彼の表情が消えた。

 

「……は?」

 

 どろりと、暗い眼に蠢く陰は、その身から一時威圧感を消し飛ばす。しかし知らずに目線を置く私は、込み上げる否定の恐怖をかき分け、合間から松田への言い訳を並べ続けた。

 

「い、一誠ってやつも、アーシアってやつも、知らない……!聞いたことも、顔を見たこともない、殺したことなんて、ほんの少しも憶えてないわよ……ッ!」

 

 松田にとって、私のこの震えは慟哭だろうか、それともやはりただの言い訳に聞こえるのだろうか。でも、これが私の本心だ。知らない人間がしでかしたことの責任など取りたくないし、取れない。

 しかし同時に、その知らない人間は、私自身であることも事実。故に顎の先でも視界に入るのが恐ろしく、私はまた一歩、マシな恐怖の方へ這う。

 並ぶ奴らの嫌悪の眼に、必死になって吐き掛けた。

 

「大体、そんなオカルトめいた力が私に使えるなら、汗水たらしてアルバイトなんてするはずないでしょ!?アンタみたいに操ればいいんだから!お母様にお父様に桐生にとだって、ずっと楽に付き合えるはずだもの!」

 

 でもきっと、そうして松田家を乗っ取った私は、『夕麻』にはならなかっただろう。

 名もなき支配者として君臨し、命じられるがままの彼らに貢がれてふんぞり返る。すべてが自身の意のままに動く箱庭の世界を作ったならば、果たして私は正気でいられただろうか。

 その想像は吹雪のようにただ白く、冷たかった。私を認めてくれた松田がいなければ、私はそのまま、空っぽだ。『夕麻』でも『レイナーレ』でもなく、認識すべき『自己』がない、人の形をした血肉の塊。

 自分すら見失ったあんな思いを抱えたまま、死んでいないから生きていくことに、私が耐えられるとは思えない。

 

 私は、(夕麻)を初めて認めてくれた松田に、要らないと言われたくなかった。

 『自分が何者なのか(生きる意義)』を、また再び失いたくないのだ。

 

「『レイナーレ』は、私じゃない。私は……『夕麻』、なのよ……!」

 

 (夕麻)を見捨てられたくないのだ。

 

 両腕が熱く痺れた。

 が、それを踏み砕くようにして、

 

「――いい加減にしろよ」

 

 一誠の怒りが、瀑布の如く押し寄せた。

 尋常なそれではなかった。今まで覗いた憎悪など欠片でしかなかったと思わせるほど、深く激しく、そして純粋。ありとあらゆる残酷を感じさせる眼が淀んで私を射抜き、そのあまりの強大さは、余って身体の震えすら縫い留めた。

 

 涙は出ず、想いまでもが飲み込まれ、私はただただ絶望感に蝕まれながら、自嘲気味に歪むその口を見た。

 

「知らないだって?憶えてないだって?だから、自分じゃないだって?……お前……本当に……」

 

 小手の拳を握り締め、俯いた彼と眼が切れる。ほんの一瞬無意識に安堵して、それからすぐに吹き飛んだ。

 

『Welsh Dragon Balance Breaker!!』

 

 赤い小手が出現した時と同じ、唐突で前触れなく。一誠の身体を、今度は赤い全身鎧が覆った。

 爪先から頭の先まで、隙間なく金属質の赤色。龍のような兜の小さな緑色の眼が、まっすぐ私を捉えて言う。

 

「……よくわかったよ、夕麻ちゃん。やっぱりお前は、どうしようもねぇクソ野郎だ」

 

 その手が持ち上がって継ぎ目が擦れ、私はようやく、掴んだ腕の感触を取り戻す。鋭い指の切っ先は私を通過し、気遣わしげに手を伸ばそうとした赤髪を制した。

 

「イッセー……」

 

「大丈夫っす、部長。こんなヤツにいつまでも振り回されるなんて下らないって、思ってたところだったんです。……ケリ、付けてきます」

 

 がしゃ。重い金属片が連なって鳴る音。一誠が、私を目指して踏み出した。

 荒々しい圧力が吹き荒れ、それから眼が離せない。蛇に睨まれた蛙、なんて程度では断じてない、死の恐怖、絶望感が、一歩ずつゆっくりと近づいてくる。心臓が凍り付く。視覚聴覚、理性に本能に何から何までが集約され、身動き一つできぬまま、じっとそれを見守った。

 腕の熱では到底誤魔化し切れないないソレが、とうとう、腕を伸ばせば届く(私を殴り殺せる)距離で、立ち止まる。

 

「――いや、よ。まだ……私は、まだ――」

 

 遅すぎる抵抗も一蹴され、

 

「今度こそ、俺が、ぶっ殺す――」

 

 拳が握られた。

 

「ふざけんじゃねえぇッッッ!!!」

 

 と。

 

 一瞬、目を疑った。疑って確かめて、そして目尻から涙が滴った。

 松田の怒りは、私を守ってくれていた。

 

 飛び出した拳が兜を打ち上げ、吹き飛ばす。私への殺意は霧散し、よろよろと後退する鎧は、壁際で尻もちをついた。拍子に頬の装甲が剥げ落ちる。走ったヒビはすぐ兜全体に広がり、やがて破片と赤髪たちの心配の喚声を浴びる彼は、露になった眼と同様に唖然とした声をぽつりと漏らした。

 

「――なに、すんだよ」

 

 息を吹き返し始めた黒い炎が眼に戻り、歯を食いしばる一誠は、助け起こそうとする金髪の小娘の手を抑え、一人で立ち上がる。視線は私に、意識はたぶん松田に向いていた。

 

「やっぱり松田、お前が操ってんだろ……?じゃなきゃお前みたいなやつを、あいつが庇おうとするなんて――」

 

「ダチのお前だから、黙って聞いてたけどな、一誠」

 

 憎悪の渦に踏み込み、松田は立ち上がる。一緒に私も腰を上げた。握り締められた拳の激情が、滴る血と一緒に流れ出ていくのを、逆の腕にしがみつく私は感じていた。

 

 怒りと空しさとで、松田は一誠の叫びを受け止めた。

 

「これ以上知ったふうな口をきくんなら、夕麻ちゃんに手を出そうってんなら――許さねえぞ」

 

「嘘じゃ、ねえんだよ……ッ!松田!俺とアーシアは、確かにそいつに殺された!間違えるわけがねえんだ!!」

 

「ああ、記憶を失う前の夕麻ちゃんがレイナーレって奴だったってことは、そうなんだろ。それはもう疑ってねえよ、お前がそんな嘘をつくはずがないしな。それに……少しだけ思い出した」

 

「何をだよ!!」

 

 唸るように一誠が悲鳴を上げた。

 

 手の中で腕が滑り、私たちの手のひら同士が触れる。ごく自然に繋がって、いつも通りの汗ばんだ熱が心臓に伝った。

 

「何話したのかまでは覚えてねえけど、何ヵ月か前、彼女だっつってオレと元浜に夕麻ちゃんを……レイナーレを紹介してきたよな?それと、自分に彼女が居たはずだ、って騒いでたこともあったろ。こっちはよく覚えてる。なんせこの後すぐ、お前がオカルト研に入ったんだからな。お前の言うレイナーレってのは、つまりこの時の()だろ?」

 

「そうだ!!そしてそいつは、今そこにいる!!……そこまでわかってんなら、操られてねえって言うんなら、松田、お前はなんでそんな奴を庇えんだよ!!なんでそんなに、そいつを信じられるんだよッ!!」

 

 絶叫。暗い感情がめちゃくちゃになって暴れまわり、私たちに吹き付けている。タールのようにドロドロで、ガラスのように鋭利で鋭く、氷のように冷たい想い。私に、その仔細を知る術はない。

 だが、松田は言った。

 

「一週間、くらいか?」

 

 黙り込む。

 

「覚えてねえし、てかそもそも知る由なんてねえけど、お前のことだから浮かれてただろうな。デートプランとか必死に考えて、夕麻ちゃんを楽しませようって頑張ってた。初めての彼女を、大切にしたくて。

 ――その中でお前、どれだけ夕麻ちゃんのことを見てた?」

 

「見てたって……何言ってるか、わかんねえよ……。彼女なんだから、いつも見てたに……」

 

「そうじゃねえよ。お前がいつも見てたのは、自分の彼女(・・・・・)だ。夕麻ちゃんじゃねえ」

 

 一誠の顔が悲しみで固まった。目線が下がり、前髪の陰に隠れて途切れる。

 淡々と、松田は続けた。

 

「そんなんじゃ、わかるわけがねえんだ。レイナーレが、なんでお前を殺す前に恋人として付き合ったのか、それに、アーシアちゃんを殺してまで『至高の堕天使』ってのになりたがった理由も。……かーちゃんの言葉を借りるなら、夕麻ちゃんって、めんどくさくてわかり辛いからな」

 

「んなっ……!?」

 

 唐突なお母様からの攻撃が、感じ入っていた私の不意を突いて、間抜けな声を引きずり出す。こんな空気でも松田の顔がちょっとこっちを見てニヤッと笑い、バカらしくなって脇腹をどつくと、同時に戻っていった。

 

 その横顔を、私は見上げた。

 

「その点オレはたまたまだったのかもしんねえけど、でも、だからこそオレは、夕麻ちゃんを守りたいって思ったんだ。すべてを忘れてしまっても諦めずに頑張ろうとする夕麻ちゃんを、一人でも前に進もうとする夕麻ちゃんを、オレは助けて、それで、笑ってほしかったんだ」

 

 だって

 

「オレは夕麻ちゃんの身体じゃなくて、心が欲しいんだから」

 

 ――たぶん私は、ずっとこれが欲しかったのだ。

 

 言うなれば、『愛』。奪い取るものでも、対価を払うものでも、有用性から得るものでもなく、ただ『私』であるために捧げられる想い。絶対的に普遍的に、変わらず私を照らしてくれる光。

 

 誰にも自分を見てもらえないことは、悲しい。誰にも見てもらえないのなら、自分はいないも同然だ。だからスポットライトを探す。身体でもお金でも敵意でも、何でも光が当たれば見えるかもしれない、見てくれるかもしれない。内に隠れる『私』を。

 見て、『私』を知って、欲してほしい。必要だと、認めてほしい。それでようやく、私は『私』に意味を見出せる。生きることができるのだ。

 

 きっとそんな、めんどくさい願い事だった。

 

「………」

 

 私と松田は、互いに見つめ合っていた。何も言葉はなく、ただじっと、その眼に映る自分を確かめるように、現実であることを確かめるように。自分が相手の中に根を張ったことを、多幸感に揺蕩いながら眺めていた。

 

 たとえ記憶を消されても、きっとこの想いだけは残り続ける。それで、十分すぎるほどに満足だ。

 そんな充足感で、私は微笑んだ。

 

「嘘に……決まってんだ」

 

 一誠の小さな呟きが、やけに響いて轟いた。

 今にも泣きだしそうな声だった。俯いたまま、握りこぶしがわなないている。

 

「お前も、俺も、騙されてたんだ。そうに決まってる……そうじゃないと……俺は……ッ!!」

 

 たぶん、前に彼の暴力にさらされていたからなのだと思う。敵意の枯れた一誠の身体が傾き、床板を蹴り飛ばしたその瞬間、剥かれた眼に気付いたのは私だけだった。

 それは本当に刹那の間で、その間に巡った私の想いは言語化できないほど早く身体に走り、動かした。ただ振りかぶられただけの一誠の致命なる攻撃に自ら対峙したのは、いったいなぜなのだろう。松田を庇ったつもりなのか、それとも……。

 

 しかしどうであれ、それが確かめられることはなく。

 眼前を蒼の銀閃が横切った。

 

 殴りかかろうとした一誠の身体を、吹き飛ばすではなく弾き飛ばす。スーパーボールみたいに跳ね返った鎧は、木造りの窓枠と窓ガラスに突き刺さり、その一画を押し潰した。

 より多くなった月明かり。少しだけ増した光量の中に、私と彼との間で青い大剣を構える青髪の女の姿。

 一誠を撃退した彼女は、『Reset』という機械音声と共に消え去る一誠の鎧を見届けると、小さく息を吐いて構えを解いた。

 見覚えもなく、助けられた意味もわからない。味方ではあろうがしかし、突然すぎる登場に理解が追い付かず、呆然とするしかない私は、緊張を吹き飛ばされたために久方ぶりに認識に入った、赤髪のヒステリックな喚き声を聞いていた。

 

「ゼ、ゼノヴィア!!何をしているの!?私が、隙を突いて撃退しなさいと言ったのは、一誠ではなくてそこのレイナーレでしょ!?」

 

 青髪、ゼノヴィアは、その鉄仮面で申し訳なさそうに答えた。

 

「命令違反は謝罪する、リアス部長。しかし彼らを見ていたら……私がそのレイナーレと面識がないだけかもしれないが、どうしても倒すべき敵に見えなかったんだ。本当に、彼女はアーシアやイッセーを殺した堕天使なのか?」

 

「当たり前でしょう!?松田君だけでなく、そのお母様や桐生さんにまで記憶操作を施すような狡猾さと邪悪さ、それに顔も声も同じ。何よりそのことは、操られている当人でさえ理解してるわ!人間にしか見えないのは、何かきっと……高位の魔道具か、術式を使っているからよ!」

 

「しかし……」

 

 なおも納得がいかないと、ゼノヴィアが眉をひそめたその時、覆いかぶさる、引き戸の軋み。

 

 つい振り向くと、そのオッサンと眼が合った。

 

「オレが止めてたんだよ。ちょっと事情を知りたくてな」

 

 派手に胸元が開いたコート姿のチャラそうなオヤジが、框に背を預けて気取った口調を吐いていた。

 

 次から次へと、この異常な場に現れる見知らぬ人々。いや、本当に『人』なのだろうか。あいつもゼノヴィアも、もしや悪魔……?それは、敵?味方?

 深まる混乱に目を瞬かせる。オッサンは微かに笑みを見せてから目線を外し、それと同時に松田の身体から強張りが抜けたことが、繋いだままの手越しに伝わった。

 

「ゼノヴィアに、アザゼル先生も……!?ひょっとして、悪魔だったんすか……?」

 

「ゼノヴィアの方はそうだな。だがオレは違う、堕天使だ。でもって総督。堕天使の中で一番偉いんだぞ?……どうだ、驚いたか?」

 

 背を離して胸を張ると、背中から黒い翼がわしゃわしゃ生えてきた。驚く間もなく、吸い込まれるようにして背に消えてしまう。魔法陣はまだしも神秘的だったが、正直これはキモイ。その上一番偉いなんて自称を聞いてしまえば、途端にチャラい雰囲気が増して胡散臭く思えた。

 

 呆然の眼が白い眼に変わりつつある私。しかし赤髪一派との間に交わされるやり取りで、好感の度合いは一気に上に昇った。

 

「しかし、よりにもよってお前たちがなあ。まさかただの人間を囲んでいたぶる趣味があるとは思わなかったぜ。こりゃあ、サーゼクスにどう報告したもんかねえ」

 

「……ただの、人間……?」

 

 ガラスと木片に埋もれて沈黙していた一誠が、ゆらりと呟く。オッサンは「ああ」と何でもないふうに答えた。驚き絶句する赤髪たち。刃物のように鋭い眼が、黒髪のポニーテールから飛ぶ。

 

「自身の部下が使う変化を見破れないとは思いませんでしたわ。能力も把握していないなんて、堕天使、『神の子を見張る者(グリゴリ)』とは、ずいぶんザルな集団なのですわね」

 

「なわけねえだろ。朱乃、もしそうなら今頃は、オレもお前たちもまとめてコイツに殺されてるよ。そんで成り代わってクーデターだ。……だからな、オレクラスでも何ら掴ませずに欺けるのなら、そりゃあ間違いなくコカビエル以上に強いってことだろうがよ。そんな奴が目覚めたての赤龍帝に殺されるわけがねえ」

 

「ッ!ふざけないでアザゼル!そんな無茶苦茶な理由で納得しろと……あの時した謝罪は嘘だったと言うつもり!?」

 

「アザゼル先生(・・)、だ。……信じられないってんなら、一つ誓ってやろうか?堕天使総督としての地位にかけて、その夕麻は完璧にただの人間だ(・・・・・・・・・・・・・・)。堕天使の特性なんて欠片もねえし、レイナーレとは、他人だよ」

 

「それは……」

 

 吠えた赤髪が、有無を言わさぬオッサンの迫力に怯んで口ごもる。代わりに一誠の声が虚ろに震えた。

 

「でも、他人なわけねえんだ……。そいつはその手で、間違いなく、俺と、アーシアを……」

 

 ガラス片と木片をまとめて踏みしめる音がした。ちらと視線を移したオッサンはやれやれといったふうに肩をすくめ、金髪の小娘の手を借りて立ち上がる一誠に歩み寄る。そして今度は、諭すような静かな声色。

 

「一誠、お前、全く身に覚えがない罪のために罰を与えられたら、受け入れられるか?例えば、そうだな……オレがお前の身体を操って、それでリアス・グレモリーやアーシア・アルジェントを殺したとしたら、操ったオレと操られた自分、お前はどっちが憎い?どっちが、罰を受けるにふさわしいと思う?」

 

 一誠は項垂れ、何も答えられなかった。

 オッサンはその頭を、叩くように乱暴に撫でた。

 

「ま、頭冷やして呑み込んどけ。後始末はオレがやっといてやるよ。……ほら、お前らも早く散れ。悪魔家業の時間がなくなっちまうぞ?」

 

「……貴方に命令される筋合いはないはずよ。和平が成ったとはいえ、あくまでこの街の管理者は私たちで――」

 

「そういうのもまとめて監督するのが今のオレの役目だ。口を出す権利も当然ある。……はあ、それでもまだ疑うってんなら、サーゼクスでも誰でも呼んで聞いてみろ。オレと同じ答えが返ってくると断言できるがな。わかったら、さっさと行けよ」

 

「………」

 

 またも撃退され、口を噤む赤髪。その赤眼が私を見て、すぐに戻った。もう何の感情も伺い知れなかった。

 

「……行くわよ、皆」

 

 短く言って、オッサンの横を通り抜けた。嫌悪を隠そうともしない黒髪のポニーテール、最初の時に私の腕を戒めた白髪の小娘とシルバーブロンドの優男が訝しげに眉を寄せ、後に続く。ゼノヴィアも、軽い会釈をしてからこの部屋を出て行った。

 そして、一誠と金髪の小娘。足元もおぼつかない一誠と、それに肩を貸す非力な小娘が、遅れてオッサンに見送られ、そして私たちの前を横切った。

 その背中に、松田が呼び掛けた。

 

「一誠」

 

 脚が止まった。

 

「――またな」

 

 緊張をはらんだ声だった。私も知らずの内、手に力を込めていた。

 それを聞いた一誠は、

 

「………」

 

 僅かに、頷いたように見えた。

 

 その肩越しに、私は金髪の小娘と眼が合う。びくりとする裏腹、彼女は祈るみたいに目礼だけして、框を潜った。

 足音が遠ざかる。やがて、聞こえなくなった。

 

「……ったく、厄介なガキんちょ共だ。まあ、また赤龍帝の禁手化(バランス・ブレイク)を見れたのは収穫か。人間のパンチ一発で壊れるほど、大分不安定だったが……さて」

 

 オッサンがこっちを向くと同時、松田が私の手を引いて背に庇った。数瞬間を置いて私もそのことを思い出し、解けた脳味噌を締めなおす。が、すぐにその憂慮は否定された。

 

「ああいや、記憶を消すとかそういうつもりはねえよ。あんま警戒すんな、夕麻だったか、お前が何故完全な人間になれたのかは興味があるが、今は他にやるべきことが山積みでな、それに割ける暇はねえ。……そのまま帰っても、残ってもいいぞ。壁と窓の修復をするにせよ、明日のことだしな」

 

 ニヤニヤ笑いと共に松田の手が熱くなり、それで益々厭らしく笑うオッサンは、コートを翻して向けた背で、キザに片手を振ってみせてくる。それがやたらとさまになっているものだから、その分だけまた胡散臭い印象が強まった。

 剽軽を感じるせいでその言葉も疑い深く思えてきた。松田の肩からそんなことを考えつつ見やっていると、出て、引き戸の取っ手に手を掛けた彼の顔が不意に私を捉え、そのにやけ顔にほんの少しの陰を滲ませた。

 

 その瞬間だけ、オッサンはただの人間に見えた。

 

「悪かったな、夕麻」

 

「……何が、よ……?」

 

 迷った末、勝手にぼそぼそと噴き出た声は、オッサンを元のニヤニヤ笑いに戻していた。

 

「いや、ただの懺悔だ。気にすんな。……じゃあな」

 

 建付けの悪い引き戸を後ろ手に閉め、彼もまた、外の廊下に消えていった。

 

 ――二人きりだ。

 

 足音も消えたその瞬間、私は強くそう思った。松田と、『(夕麻)』だけ。もう『レイナーレ』の影も、『私』の陰もない。松田の眼は、私を見てくれている。そのことが、びっくりするほど幸せに感じた。

 

 もう消えない。もう失われない。ようやく手に入れた、私の居場所。

 私はそっと、松田の肩に頭を乗せた。

 

 いや寸前まで乗せようとしたのだが、次の瞬間我に返った。

 そんな安っぽいメロドラマみたいな展開など、奴のそのエロ根性の前に成立するはずがなかったのだ。

 

「と、ところで、夕麻ちゃん、その……せ、せせっせ、セックス、の、話は、い、いつ頃を予定すればよろしいのでしょうか……?」

 

「……アンタ、それ本気……?」

 

 今まででも類を見ないほど、情欲塗れの声だった。

 

「この流れで普通誘う?『心が欲しい』はどうしたのよ?」

 

「そ、それはそれとして……身体も欲しいな、って……ほら、夕麻ちゃんが家に来てから、一人で……あの……自家発電もできなかったし……」

 

 ――バカ。

 

「さっきの夕麻ちゃんもすっごい、え、エロかったし……我慢してたけど、結構前から愚息が……」

 

「はあ、付き合ってらんない。さっさと……帰るわよ。お母様と桐生に、お詫びとお礼言わないと」

 

 ため息と一緒に吐き捨てるように言ってやって、私は、前かがみになって途端にかっこ悪くなった松田を放り、閉められた引き戸に手を掛けた。

 情けない格好で『今じゃなくてもいいから』なんて縋ってくる彼をガラスの反射に見ながら、おんぼろで重いそれを引き開けた。

 

 その時、ガシャガシャうるさい騒音に紛れるようにして、

 

「……その内ね」

 

 呟くように言った。

 

「え?夕麻ちゃん、何か言った?」

 

「ふふ、何でもないわよ」

 

 顔だけ振り向いて笑ってやってから、私は松田の手を引っ掴んで無理矢理引っ張っていった。

 入り込んだ夜風が、熱い頬に心地よかった。




書いてる途中に夕麻の心理状態が自分でもわけわかんなくなって怪文書になりかけましたがどうにかなりました。よかった。たぶんどうにかなってるはず。なってなかったらお教えください感想ください。なってても感想ください。

あと初瀬ちゃんと元浜君へごめんなさい。
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