「んぅ……」
目が覚めると、一番最初に目に入ったのは木目の天井だった。
次いで、柔らかい布団に自身の体が包まれていることを知る。
ここは、一体どこだろうか。
「私は、上弦の鬼と戦っていて……痛ッ、頭が……!」
なぜか、異常なまでの頭痛が私の頭を襲う。
頭が割れそうだ。
そしてふいに、ガタガタとこれまで築き上げてきたモノが溢れ落ちるかのような感覚に襲われる。
「大丈夫か」
「え……?」
急に、男の人の声がかかる。
右手で頭を押さえながら顔を上げると、整った顔の男性がお盆を持って立っていた。
「水だ。飲むと良い」
「あ、ありがとう……」
特に警戒もせず、差し出された水を飲む。
誰かは分からないが、縛られたりされていない以上敵という可能性は限りなく薄い。
「……あの、貴方は?」
「我は………我は、妖怪だ。覚えてないのか。昨日お前とは話した筈だが」
「え……?……あ」
……思い、出した。
昨日の夜。私が上弦の鬼に殺されかけた時、声をかけてきた男の人。
まさか、この人が……?
「じゃ、じゃあ、貴方が上弦の弐を……?」
「上弦の……?ああ、あの怪物か。確かにアレなら追い払っておいた。倒してはいないがな。それは、契約外だ」
「契約……?」
契約とは、一体なんだろうか。
そう言うと妖怪と名乗った男が、こちらをジロリと見た。
あまりの真剣な気迫に、私は押し黙る。
「お前は我と契約したのだ。契約して、お前は命を繋ぎ止めた。死が確定していた未来を回避した。………当然、対価は頂いたがな」
「たい、か……?」
「そう、対価だ。我は妖怪。西洋では悪魔と呼ばれるモノだ。お前は我と契約し、お前の命の対価にお前の最も大切なモノ……お前の妹に関する全ての記憶を、失ったのだ」
「………え?」
一瞬、頭が真っ白になる。
私の妹……?私に、妹……?私に、
記憶が、ない。
まるでポッカリと穴が空いたかのような感覚は、コレか。先ほどから味わっていた空虚は、コレか。私には、妹がいたのかわ
「……私には、妹がいるの……?」
「ああいる。お前が最も大切にしていた妹がな。記憶はないだろうが、確かにいた」
「……どう、して」
この、頭の空虚が気持ち悪い。
いもしない筈の妹は、きっといるのだろう。だって、そんな感じがする。
記憶はないけど、覚えてないけど、なんとなくだけど。
私が家族を失った時、確かに隣に誰かがいたのだ。
私が鬼殺隊に入った時、確かに誰かが心配してくれていたのだ。
私が柱に就任した時、確かに誰かが祝ってくれたのだ。
誰だ、誰だ、誰だ、誰だ……一体、この空虚は、誰だ。
「どうして、私の記憶を……!私の記憶。私の、妹。私、は……私は……!」
「悪魔との契約とは、そういうものだ」
「ッ!……じゃあ、私を妹の所へ返して!」
「それは構わんが。しかし、そしたらお前の妹たちはどう思うのだろうな」
どう……?
そんなの、そんなの……
「人とは、鏡だ」
「え……?」
「覚えてはいないだろうが、お前が妹たちを深く愛していたように、お前の妹たちもお前のことを深く愛していた。そんな姉が、自身のことを忘れていたなどと聞いたら、どう思うのだろうな」
……そう言われても。
記憶のない私には、覚えていない私の妹たちがどう思うかなんて、分からない。
……悲しく、なるのかな。
「……これは、忠告だ。あくまで善意で言ってやっている。気持ちの整理がつくまでこの家で過ごすと良い。飯はある。考えて、考えて。家に戻るならそれでいいだろう。お前の妹たちの居場所は教えてやる」
「・・・」
「では、後悔のない決断をするんだな。もう二度と、会うこともないが」
そう言って、彼は家から出て行こうとする。
その背中に、私は……
「……何のつもりだ」
「え?………あ」
気がつけば、私は彼の黒い着物の帯を掴んでいた。
……気が小さくなっていたのだろうか。
記憶喪失などになってしまって、誰かがいなくなることに恐怖を感じてしまったのだろうか。
いや、それはないだろう。
私がなくしたのは『妹』に関する記憶だけで、それ以外の……例えば、柱のみんなのことや、お館様のことであれば覚えている。
じゃあ、一体なんなのか。
なぜ彼を、引き止めるような真似をしたのか。
私の記憶を奪い、私を助けた彼なんかを……
「……何のつもりだと聞いている」
「あ、その、私は……!」
「用がないなら、その手を離せ。お前も俺がいては気分が悪かろう。これは配慮だ。受け取っておけ」
その言葉を受けて、私は口ごもる。
本当に、これは彼の配慮のなんだろう。記憶を奪われたが、助けて貰った恩がある。
そんなやるせない状態の私を気遣って一人にしてやろうと思っているのだ。
それは、ありがたい。
ありがたいが……
「引き留める理由などないだろう。妹たちの居場所であれば……」
「……私は、貴方を引き留めないといけない」
「なに……?」
ふいに、口から出まかせが出る。
言葉を引っ込めることも考えたが、私の心はもう取り返しのつかないところまで辿り着いていた。
「ここから出て行ったら、貴方はまた私のような人間の願いを叶えにいくのよね」
「……そうだな。しかしそれは、お前には関係のないことだ」
「あるわ……関係、あるわ」
彼が形の良い眉を歪める。
あまり良い表情はしていない。そんな彼に、私は言葉を続けた。
「……貴方はまた、誰かの願いを叶えて、誰かを不幸にする。そんなこと、認められない」
「認められないと言ってもな……コレは、お前ら人間風に言うならば食事のようなモノだ。俺は、人の悪感情で生きている」
「悪、感情……?」
悪感情で生きる……?
それは、一体どういうことだろうか。首を傾げた私に、彼はため息を吐きながら答えた。
「……聞くが、お前は記憶の損失を我から聞いた時、怒りか、悲しみか、何か負の感情を浮かべなかったか?」
「それは、まあ……」
「それが、我にとっての食事だ」
食事と言っても、食っても消えるモノではないのだがな、と、彼は自嘲気味に笑って言った。
その表情は、どこか悲しそうに見える。どこか遠くを見ているようにも、見える。
「我はその負の感情を食事としている。お前たちが魚や米を栄養とするように、我は負の感情を栄養とするのだ」
……それは、とても悲しいことなのではないのだろうか。
だってそれは、いつだって誰かに嫌われていなければいけない。誰かに憎まれてないといけない。
そんな形でしか、誰かに想って貰えない。
「だったら……だったら、私の側にいればいいじゃない」
「……、……?」
「……私は、貴方が嫌い。私から記憶を奪った、貴方が嫌い。憎い」
「まあ、そうだろうな」
当然だろうといった表情で彼はそれに頷いた。
私は、言葉を続ける。
「……でも、だから、貴方がこれ以上他人に害をなすのは許せない。だから、私の悪感情を喰えばいい」
「……断ると、言ったら?」
「その時は……」
傍においてある刀に目を向ける。
……勝てるとは、思わない。あの上弦の弐を屠るほどの実力なのだ。あの鬼に負けた私が勝てるとは、思わない。
……でも。
「……我に、勝てるとでも?」
「それ、は……」
「哀れだな、彼我の力の差は理解している筈だというのに。人間とは本当に哀れな生き物だ」
その言葉に、私は俯く。
……分かってはいた。昨日の上弦の鬼との戦いでも私は実力差をなんとなく理解していた。
それでも、立ち向かった。
守るべきものがあったからなどとは、幾らでも言える。
しかしこの鬼はそんなことを言っても嘲るだけだろう。馬鹿ではないのかと。
「……わた、しは」
「……ハァ。………気が変わった」
「え……?」
「いいだろう。お前の気が済むまでお前の悪感情を喰らってやる。そしてお前の意思が固まれば、この家を出て行け」
いかにも不服といった表情だが、彼は了承してくれた。
「……ありがとう」
「礼など言うな。お前は、我を嫌い続けていればそれでいい」
そう言って、彼は家の扉を開けて、外に出て行った。
今度は、すぐ戻ると一言声をかけてから。
家から数歩ほど歩き、男は雲一つない空を見上げる。そして、ため息をつく。
その顔はどこか、哀愁を含んでいた。
「……胡蝶カナエ……お前は、優し過ぎる」
……その呟きは誰の耳にも届かず。ただただ空に消えていった。
カナエさんの口調とかわかんねぇなあ……