『やめとけよ。喋ったら何されるか分からねえぞ』
『大丈夫だって。なあ、教えろよ』
『別に、知りたかったら教えてやってもいい。ある人とある契約をした。それだけの話だ』
校長の根津は客人用の部屋で、人でないものを迎えて入れていた。
叢雲グループの実質的な支配者にして艦娘のトップである叢雲だ。
「これ、アイツが持ってきた詫びの品よ。ブルーアイズマウンテンだってさ」
「おお。これは中々」
従者のシェフィールドが二人にコーヒーを振舞う。
保温ポットからカップに注げば、ブラックな香りが辺りを支配した。
暫くの間、二人は無言でコーヒーの味と香りで楽しむのである。
「校長、辞めていいかな?」
沈黙を切り出したのは、校長の方だった。
叢雲は目の前のネズミ顔を見つめるが、彼女にはその表情が読み取れない。
「困ったわね。貴方って優秀な壁役だから、是非とも続けてほしいのだけど」
「んもー。いい加減にしてほしいな。この仕事、大変なんだよ?」
「知ってる」
それでもネズミの身体が困ってますという態度を全身で精一杯伝えてくる。
雄英高校の校長と書くと、文字だけは偉そうに見えるだろうが。
実際の所は、ヒーロー・教師陣と警察・教育委員会の板挟みにあう存在。
しがない中間管理職でしかないのである。
「雄英体育祭、評判悪かったの?」
「対外的には、意外にも好評だったんだけどねえ。上層部はお気に召さなかったらしい」
心操人使、彼はあの決勝トーナメントで華々しい活躍を上げながら二回戦不戦敗となった生徒である。
イカサマをしたのじゃないかと疑いの声は大きいが、ヒーロー科の生徒を真っ向から打破したのも事実ではある。
結局は強くて面白ければなんでもいいという風潮により、世間からは概ね好意的に受け止められている。
「心操君のことか」
「ああ」
となると、いったい彼はいかなる手段を使って強くなったのだろうか。
過程はともかく、結果はごく一部の者なら勘づいている。
「彼の個性をなんとかして把握しろって、煩くてね」
「あれ。そっち方向に行くんだ?」
根津はその過程と結果を完全に把握している者の一人であるのだが。
とてもじゃないが人に言える内容ではないし、言っても理解されないので適当に戯けている。
異世界からの来訪者が異世界の技術を使って無双していると言って、誰が信じるというのか。
「まさか把握してないの彼ら? オールマイトの
「そのまさかさ。とはいえ、それを知っているのはごく一握りの人間だけだよ」
「何で国が最大戦力の手綱を握れてないのよ」
叢雲は大きなため息をついた。
スプーンを手に取り、純粋無垢なブラックコーヒーをかき混ぜる。
「ヒーローやクローンでないにしろ、オールマイトの作成は国が主導でやるべきだと思うんだけど。私が間違っているかしら」
個性というものが現れてから、社会というのは混迷を極めていた。
そんな最中に彗星のごとく現れたのがオールマイトであり、彼はまさに救世主だった。
彼がいるからこそ日本は平和なのだと誰もが信じている。
しかし、もし彼が居なくなったらどうするのか、というのは誰もが不安に思っている社会問題だった。
教育界などの各方面が様々なアプローチを試みているが、現状で第二・第三のオールマイトは現れていない。
No.2ヒーローであるエンデヴァーでさえオールマイトには遠く及ばないとされ、それ以下のヒーローの実力は言わずもがな。
この件に関して、叢雲は別にヒーローが悪いわけではないと思っている。
彼女は命を懸けて社会を守ろうとしてる”ヒーロー”のことを好ましく思っていた。
そして、いかなる手段を使ってもオールマイトの”代役”を生み出すべきではないのか、というのが彼女のちょっとした意見だった。
「んー、それもいいだろうけど。本人曰く、アレは大っぴらにするべきではないらしい。それは僕としても同感でね」
オールマイトの強さの秘密である、”ワン・フォー・オール”。
その正体は、個性社会において人から人へと受け継がれてきた”個性”だった。
それだけなら美談で終わったのだが、その力と関わりが深く、そして生き続けている巨悪がいた。
彼の全盛期には、あらゆる場所に彼の配下がいて彼は裏の支配者であったそうな。
もし、そんな巨悪がその”個性”を手にしてしまったら。
そのことをオールマイトは危惧していた。
そのために、オールマイトは自らの個性をひた隠しにしているのだった。
「とてもじゃないが、集団で管理できるものとは思えなくてさ」
「ああ、それもそうね」
根津としてはそれもそうなんだが、という感想だった。
”ワン・フォー・オール”を国が管理しようとなると間違いなく揉める。
会議に会議を重ね、そして盛大に何も決まらない。
そうしているうちに、どこかの誰かに奪われてしまうのがオチだろう。
そういった意味ではオールマイトの危機感はとても正しいと言える。
「オールマイトの後継者の育成も、貴方が個人的に補助している形なんでしょ。現れなかったらどうするつもりなんだか。ああ、もう」
この小さな侵略者は、異世界から来たとはいえ日本という国を良く知っている。
だからこそ異世界でも変わらないものがあるのだと、こういう所は出来れば違ってほしかったと呆れていた。
「いいわ。アレが失伝しようしまいが、私たちの目的には何ら関係ないんだし」
人間の保護者を名乗るこの身勝手な従僕たちからして、今の社会は全く持って非合理だ。
物語なら笑いごとで済む話だが、そんな社会なんか滅んでしまったほうが良い。
「しかし、そうね。心操君のことは、御免なさい。イチ関係者として、私ももっと早く気づいてやれば良かったのだけれど」
「望遠鏡が顕微鏡の能力を持っていないからって、無理は言わないで欲しいよねぇ」
「ああ。それはありがとう」
話が心操少年へと移る。
強すぎる”個性”を持った少年に対し、彼女たちは人間より優れたカウンセリングなどの支援を行っていたのだが。
彼は別の手を取ってしまったようだ。
「出来れば、私たちの下で助けてやりたかったのだけれど。私たちのシステムも改善の余地がありそうね」
自らの個性に悩む少年に対し、苦しい選択をさせてしまった。
そのことを彼女は気にしている。
”個性”を持たなかった彼女たちは、まだ個性というものを理解できていない所がある。
「個性って、思ったより厄介だな。私たちの中で撤退も考慮すべきだという声も上がっている」
叢雲は手元のタブレット端末のページをめくる。
そして根津から送られた、今社会で起きている数々の問題に目を通していく。
ひとつは、”異能解放軍”についての分析結果。
かつて日本を騒がせた思想団体の後継者とされ、都市一つを丸ごと本拠地としている。
その目的は、個性の完全自由な行使権利の獲得。
見解として、彼らとは思想の面で対立しており、敵対せざるを得ないだろうと書かれている。
「とはいえ、現状困っている人は見過ごせないし。裁かれる人は無数にいる、か」
もう一つは、”ヒーロー殺し”についてのレポート。
彼は世間を賑わしている、多くのヒーロー・ヴィランを殺害やら再起不能にしている男だ。
行動範囲が線で細かく引かれている地図が付属しており、そこには承認済みの電子ハンコが押されている。
良く見ると、”愛しの指揮官様へ♥”と書かれたメモがついていた。
「ああそうだ。個性を永久に消失させるとかいう胡散臭い薬は、ちゃんと手に入りそうよ」
「! そうか」
その言葉に対して、根津の身体がピクリと跳ねた。
そして、すぐに冷静さを取り繕う。
「薬の原材料であり監禁されているとかいう少女に関しては、私たちで保護するだけとして。後は、現状ある分の薬を利用するだけでいいかなって思うわ」
裏社会で出回り始めている、個性を一時的に無力化したり増幅したりする薬。
その詳細について、彼女たちはほぼ完全に把握していた。
製造元は、ヤクザである死穢八斎會。
近々、彼女たちお抱えのヒーローに依頼して襲撃する予定だ。
「これも、出来れば自力で開発できるようにしたいんだけど。クローン複製して、あちこちにばら撒くだけで大混乱だけどね」
原材料に”個性”が関わっているのが残念だ、と彼女はこぼす。
彼女たちとしては、誰でも作れる材料で人間を無個性に出来れば、と思っていた。
いたいけな少女を拷問まがいに利用して作る薬なんてナンセンスである。
まあ、”目標となる完成品”はそれはそれで研究しがいがあるので、現状ある分を資料として確保するつもりだったが。
「まるで夢のような話だよ」
根津は真剣に考えこむ。
一人で色々思考を巡らしているのだろう。
「”人は受けち恨みば決して忘れん”。お豊ちゃんの名言よ。
そんな彼の様子に叢雲は微笑んだ。
根津はネズミの身でありながら個性を宿し、そのために実験動物だった経歴を持っている。
誰からどう見ても、彼がどう転んでもおかしくないのは明らかだった。
そんな彼が人間に協力しているのは、彼の背後にいる人間に”人としての”身分が保証されているからだ。
だが、もし他の者が身分を保証するならば、もし協力する理由がなくなれば?
「貴方も薄情よね。将来的に愛する生徒たちを見捨てるつもりだなんて。悪い校長先生だわ」
「そりゃないさ! 僕は今までこの学校を身を粉にして守ってきたんだよ!」
根津がプンスカと可愛らしい様子で抗議する。
やはり今一つ迫力に欠け、本気で思っているかは分からない。
「この学校を守ろうとする気持ちに変わりはない。それに、僕の後任も。上手く決まりそうだしね」
「やっぱり、辞めるって話。ちゃんと進めてるのか」
「ああ」
残念だけど、仕方ないか。
そう叢雲は呟く。
彼をこちら側で雇う準備も進めるとしよう。
「マキマ君なら、上手くやってくれるさ。君たちの目標に関しては、僕より彼女の方が数段有能だろう」
**
雄英体育祭から時は過ぎ、ある日の夜のこと。
心操少年は、寮のシャワールームで身体を洗っていた。
鏡に映るのは、穢れ無き少女の身体。
普段の彼は与えられた”能力”で姿を偽っているのだが、こうして”解除”する時間が必要と感じていた。
寝てる間だろうが何だろうが一日中能力を”発動”するのは可能だったが、それは何となく嫌だった。
理由は自分でも良く分からない。
別に少女の姿を見て欲情しているわけではない(と思う)。
というか出来なくなった、というのが正しいのだが。
ただ単に、こうしてこの姿を開放すると。
奇妙な充足感に包まれるのだ。
―心操。合成スタンド”ラーン・トゥ・フライ”の着け心地はどうだい?
思い浮かべるのは、あの日のこと。
あの狼女に命令されて、高級旅館の風呂場に訪れた時の話である。
「何というか。普通だ。不気味なほど、今まで通りの生活を送れている」
強制的に女湯に連れてかれ、強制的に服を
バスタオル一丁で温泉に放り込まれた。
ちなみに、旅館ごと貸し切っているらしいので他に人は一人もいなかった。
「ああ、そりゃ良かった。人間辞めたからって、今まで通りの生活が送れないなんて不便だもんな」
目の前には、同じくバスタオル一丁の狼女が。
隠しきれてない色気がむんむんで、実に目のやり場が困るのである。
何故か負けた訳じゃないが、負けたような感じがして。
思わず少年は目を背けた。
「ほらほら。好きに飲めって、私の奢りだ」
そう言いながら、狼女は牛乳瓶を手に取った。
他にも、クーラーボックスで持ち込んだ様々な飲み物が目の前に並んでいる。
種類は本当に様々だったが、全部ノンアルコールだ。
「ありがとう、ございます」
とりあえず、目についた緑茶のペットボトルを手に取った。
開けて飲んでみると、意外と美味しかった。
そのへんの自販機で売ってる有名ブランドのお茶のはずなのだが、この場の雰囲気がそうさせるのか。
「どうした。こういう場は初めてか?」
「ええ」
温泉旅館は、純和風というよりエセ中華風に見える。
といっても、実際に中国へ行った訳じゃないのであくまでそう見えるだけだが。
変わった場所だな、とは思うが雰囲気は中々洒落ていて悪くない。
「お前、友達いなそうだもんな」
「やめてくださいよ」
「あはは。悪い悪い」
唐突に痛い所を的確に突かれる。
心操少年に友達と言える友達はいない。
彼は基本優等生なので嫌われてはいないが、それでも恐れられている。
何もかも、洗脳という個性がいけなかった。
思わず顔を曇らせる。
「じゃ、洗いっこしてやろっか」
すると、相手が何かとんでもないことを言い出した。
獲物を見つけた肉食動物というか、邪悪そのものの表情を浮かべている。
これから起こることを想像し、思わず少年は逃げ出した。
しかし、まわりをかこまれてしまった。
「ちょ。待って」
「にゃはは。ご一人様ごあんにゃーい」
「離せ、離して!」
思わず個性を使って抵抗するが。
相手は何故か全く言うことを聞かない。
そうしてシャワーの前へと座らされた。
「何故、俺の個性が効かないんだ」
洗脳の個性だが、今まで”効かなかった”という人間は初めてだった。
この個性は昆虫や動植物には効果が無いが、それとはまた別の感覚である。
進んで使いたい個性ではないが、中々新鮮な気持ちだ。
「操作系は早い者勝ちだからねえ。覚えておきな」
「訳が分からない」
良く分からない理由でレジストされたようだった。
ともかく、効かない相手がいる、というのは何故か嬉しい気持ちだ。
項垂れながら、相手にシャワーをかけられる。
「オラ、雑に洗ってんじゃねーよ。かわいいね。こうやってもっと丁寧に洗うんだよ」
洗いっこというが、その実は実技指導だった。
その一環であんな所とかこんな所に触られるのであり、実に毒だ。
特に尻尾が駄目であり、触られると変な悲鳴が口から出てしまう。
「ひゃ、やめ。た、タイムタイム!」
「こんな配信専用ボディでヒーローを目指すなんて、各方面に失礼だよね」
「アンタが選んだんだろ!」
思わず、少年が叫んだ。
「こ。この身体に、何の意味があるんだ」
この身体は何でこんな、サイヤ人みたいな露骨な弱点があるのだろうか。
人間も幾つもの弱点はあるとはいえ。
この身体、間違いなくヒーローには向いてはいまい。
「んー? 人間辞めたことがそんなにショックか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
ちなみにこの身体、どうやら人間ではないらしい。
そういった意味で彼は人間を辞めてしまったと言える。
「人間を辞めることに意味があると思うかい?」
あるのか? と少年が首を振った。
彼は人間を辞めたとはいっても今まで通りの生活を送れている。
あまり実感はない。
「私もあるとは思わんが。友人にそういうのがいるんだよ。人間なんて、辞めてしまいたいなんてさ」
狼女が優しく頭の上の耳を撫でる。
そうすると、まるで本物の耳を撫でられたような感触がする。
「お前さんも。人間の醜い所、多く見てきただろう?」
「―ああ」
人間の醜さといえば、少年にも思い当たるところがあった。
彼は洗脳という強力すぎる個性を持ってしまったため、幾つもの偏見を受けてきた。
その個性を犯罪に使うのではないかと恐れられてきた。
そんなこと全くするつもりなんてないのに、誰も信じようとしなかった。
まるで”そうあってほしい”のかのように。
「その個性でヒーロー目指そうと思ったなんて。随分と良い身内に恵まれたっぽいね。そこんところはちゃんと感謝すべきだよ」
個性の所為で良い目に遭ってきたとは言い難い少年だったが、そこまでねじ曲がることはなかった。
理解してくれる人間が極少数ながらいたこと。
そしてヒーローという憧れがあったこと。
そのことが、何とか正の道へと少年を導いていた。
「ええ」
「幸せ者だな」
辛い事は一杯あった。
そして悪魔の取引により、ようやく成功のチャンスが手に入った。
「幸せ、なのかな」
しかし、まだ幸せは実感できていない。
力こそ得たが、まだヒーローには成れていない。
辛いのはまだまだこれからだった。
「じゃあ、私とずっと一緒にいるってのはどうだい?」
「え」
「色んな子を見てきたが、そういう奴が一人ぐらいいるのもいいかもな」
そこで狼女が邪悪というか、挑発のにやけ笑いを浮かべる。
それは堕落したものをさらに引きずり落とす誘いだ。
「永遠に何も考えなくていい。恋人でも友達でも、欲しいものは何だって与えてやる。全てを捧げろ、そしていくらでも願いを言え。どうだ、それで私の傍にいるってのはよ」
顔を人の横からぬっと出し。
甘い言葉を囁く。
その誘いに乗ってしまえば、破滅からは逃れられぬ。
「御冗談を。そんなのは真に人間とは言えない」
闇に堕ちるのは一回で十分だと、誘いを跳ねのける。
ヒーローへの憧れが、少年が人であることを証明していた。
「その意気だよボーヤ。救われぬ故に、救おうとする者よ。それでこそ私が見込んだ者だ」
それに対して、狼女は。
さっきまで見せた邪悪さの欠片もない。
母親の目で少年を見つめるのだった。
**
「何が、あって。こんな。ぐうう! そんな。なんで」
「わたしの。こせい」
「かえせ」
何も見たくねえ…
一旦、この小説はここまで。
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