平日は学校へ行く。生徒であれば当然のその習慣に、少しだけ変化が起きた。いつもは家から学校へと真っ直ぐに向かうのだが、ある日を境にそのコースが変更される。
家から学校へ行くのとは反対方向に進み、何度か街角を曲がるとたどり着く一軒家。毎朝決まった時間にインターホンを鳴らし、中から元気な声と共に玄関が開けられる。
「おはよう兄ちゃん!」
「おはよう鉄男。銀は準備中かな?」
「うん! 手伝ってくる!」
「優しいね」
家族思いの鉄男の頭を撫でると、嬉しそうに目を細める。少しだけでも満足して、「ん!」と言ってから鉄男は家の中へと走って戻っていく。中から聞こえてくる元気なやり取りに、変わりないなと一安心。何度も実感してることだが、そういうやり取りを聞くことが毎日の安らぎとしての効果になっている。
「わりぃわりぃ。ちょっと金太郎がぐずってさ」
「銀のことが大好きだからね。カバン貸して」
「いやこれくらいいいって」
「もしもの時に困るっていつも言ってるでしょ。ただでさえ銀はトラブルに巻き込まれるんだから」
「うぐっ」
そう言われたら何も言えなくなると文句を言いながら、銀は自分のカバンを手渡した。自分のカバンと銀のカバンで両手が塞がる。ということにはならず、少し強引に片手でカバン二つの持ち手を握る。両手が塞がると銀に「人のこと言えないだろ」って言われ、その日からこうすることにしている。
「んじゃ兄ちゃん。姉ちゃんをよろしくな!」
「任された! 鉄男も着替えなよ」
「うん! お手伝いさんが来てくれるまでには着替えるよ。金太郎の世話もする!」
「偉いぞマイブラザー!」
「へへへっ! 姉ちゃんの弟だからな!」
「くぅぅぅ! 生意気言っちゃってこいつ~!」
朝からテンションが上がっていく長女と長男。二人が楽しんでいる声が聞こえて寂しがったのか、金太郎の鳴き声が聞こえてくる。鉄男がすぐに金太郎のところへ行き、なかなか泣き止まない末っ子に困って玄関まで連れてくる。
「ごめん姉ちゃん」
「謝ることじゃないって。鉄男はちゃんと兄ちゃんしてるぞ」
「そうかな……」
ちょっと自信が無くなった鉄男から金太郎を受け取る。右腕が動かない銀は金太郎を片手で抱えるしかなく、不安定になるところを横から支えた。
「悪いな
「気にしない気にしない。銀といたらこの手のことは尽きないし」
「どういう意味だ」
「あぁぁ、ああ~!」
「っとごめんごめん。拗ねるなマイブラザー」
手足をジタバタさせる金太郎が落ちないように気をつけ、銀が手早くあやす。その手際の良さは、銀が金太郎を大切にしていて、それを金太郎が感じ取ることができているからだろう。
「それじゃあ今度こそ行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
「あぅぁ~」
二人で手を振り、愛らしい兄弟と別れて学校へと歩いていく。
「ハイハイの練習してるんだっけ?」
「ん? あぁそうだぞ。まだ全然できてないけど、可愛いから動画取ったんだよ~。見るか? 見たいだろ!」
「学校に着いてから見させてもらうよ」
「え~! 今見ろよー! そういう流れだったろー!」
「歩きスマホは危険だろ」
「真面目だなー。アタシは動ける方だぞ」
「アスレチック」
「ごめんなさい」
遠足の時の失態は反省している。調子に乗って片手で綱を握り、壁を登ろうとした時に手の豆が痛んで落下したのだ。その時に下にいた勇者二人が支えなかったら、銀は体を強く地面に打ち付けていただろう。
その時に近い状態が、今の銀の日常だ。
「左腕が利き腕になるかもな~」
「……それまでには治す術を見つけてみせるよ」
「あぁ。楽しみにしてる」
気に病む必要はないとか、アタシは気にしてないとか。そんな言葉をかけても逆効果だと銀は知っている。親友に似て真面目な彼が、銀の右腕のことに責任を感じているのも分かってる。
全く動かなくなった右腕。指一つ動かず、肩から先はだらりとぶら下がっているだけ。
『
それが銀が『満開』で支払った代償。
間接的にそれに関わっていたこと。自分の発言によること。いくつかの要因で日彩は責任を感じ、満開の代償である『散華』を治す術を模索している。
「テストとかも別の措置を取ってくれてる。もしかしたらこの方がラッキーかもな」
「銀のテスト形式は口頭試問でしょ」
「クイズ形式だからなぁ」
「銀の性格にも合ってる気がするんだけど」
「うぅん……。どうだろうな」
その場ですぐに採点されるのも嫌だし、自分一人だけ別室か放課後でテストを受けるのも乗り気になれない。それなら左手で頑張って解答したい……のだが、利き手じゃない方ではミミズみたいな字を書いてしまう。家で練習を始めてはいるが、金太郎の落書きと大差ないのが現状だ。
テスト。その三文字のせいでクイズ感覚ではいられないらしい。
「俺は付き合わないからね」
「ケチ」
ケチで結構と銀の文句を流していく。口頭試問を二人同時にやっていては、採点もままならないだろう。
「あ」
銀が何かを見つけたようで、口を開けたまま少し先にある街路樹を見上げる。その視線を辿っていくと、木の枝にボールが挟まっているのが見える。バレーボールくらいの大きさのゴムボールで、それの持ち主と思わしき少年が懸命に木に登ろうと挑戦している。
「放っとけないな」
「今日もか」
そこへと駆け出す銀の後ろを走る。学校に着くまでの間に何もなかったことなどない。毎日何かしらトラブルがあって、銀は必ずその解決に手を貸す。それは利き腕が動かなくなった今でも変わらない。
「大丈夫か?」
「ボールが……」
「何やってあそこに飛ばしたんだよ」
「蹴って遊んでたら引っかかっちゃって……」
「そっか。ここは任せろ。お兄さんが取ってくれるから!」
「言うと思った」
銀に肩をバシッと叩かれる。まだ始業時間には余裕があるから、ボールを取っていても遅刻しない。
カバンを横に置き、登りやすいところがないか木を観察する。予想はしていたが、簡単な足がかりになる部分もなく、登るのには一苦労しそうだ。
木に手を当てながらガードレールの上に乗る。バランスに気を付けて上を眺め、一番近い枝に狙いを定めてジャンプする。枝に手を引っ掛けることに無事成功し、反動をつけて別の枝に移動。
「兄ちゃんサルみてぇ! すげぇ!」
「すっげぇ複雑……」
その褒め言葉に喜んでいいのか微妙なところだが、今はボールを取ることに集中しよう。
ボールが挟まってる枝に移り、片手を目一杯伸ばしてボールを上から叩く。下から飛んできて挟まってるのだから、上から叩けばボールは簡単に抜け落ちる。そしてボールと一緒に枝が下に落下する。
「おわっ!?」
「大丈夫か日彩!」
「だいじょぶ……!」
枝はたしかに折れたのだが、根本から折れたのではなく途中が折れただけ。体を支えていた手は今も枝を掴んでて、バランスを崩したけどもなんとか木の上に残ってる。
「二人とも木の下から離れて!」
「わかった! ほら、こっちおいで」
「う、うん」
銀と少年が離れたのを確認しつつ、崩れたバランスを整える。枝にぶら下がって揺れてたのも落ち着いてきて、完全に揺れが止まってから手を放して真下に降りる。着地の瞬間に膝を曲げて衝撃を和らげるものの、また体勢を崩して後ろに体が倒れていく。木のおかげで倒れずに済んだものの、頭を打った。
「ぐっ、頭いたい……!」
「よし! 無事だな!」
「姉ちゃん。兄ちゃん頭ぶつけてたよ?」
「あれくらい平気だから大丈夫」
「そうなんだ!」
勝手に決めつけられているが、そこを気にする余裕はない。出血こそないもののわりと強く打っていて頭が痛い。
思考が定まらない。脳が揺れている。焦点がブレる。
少し我慢するとマシになり、近くに少年が駆け寄って来ていたことに気づく。顔を上げると、ボールを抱えた少年が屈託のない満開の笑みを浮かべていた。
「兄ちゃんありがとう!」
「どういたしまして。ボール遊びは気をつけろよ~」
「うん!」
元気よくお辞儀した少年は、ボールを両手に抱えて走っていく。あれはあれでコケたときが怖いのだけど、その前方に同年代の子が見える。おそらくその子達は友達だろう。心配は杞憂に終わりそうだ。
体を起こして制服に付いた土を払う。手が回らない背面は銀が叩いてくれた。気を取り直して学校へと歩いていく。
「さっすがヒーローだな!」
「そんなんじゃないってば」
「あの子からはそう見えてた気もするけどなー」
「自称する気はないよ。銀の代わりってだけだから」
銀は片手でも何とかしようと挑戦しただろう。あまりにも危険過ぎるそれをさせるわけもなく、先に行動しただけのこと。
「アタシがいなくても、日彩ならやったろ?」
確信を持って断言される。
日彩は無言で二つのカバンを手に持ち、反対の手で銀のおでこを軽くつついた。
「早く行かないと遅れるぞー」
「照れてやんの」
「銀も言われたらどうせ照れたろ」
「アタシは慣れてっから」
どんな言い返しだと内心でため息まじりにツッコむ。口に出さなかったのは、たしかに銀ならその手のことを言われ慣れてるだろうと思ったから。老若男女問わず、困っている人を見かけたら必ず助ける。それが三ノ輪銀という少女の長所。近所の子から憧れの眼差しを向けられているのも納得だ。
今日の授業がどうとか、宿題がどうとか。そういう話をしている間に周囲にも同じ学校の生徒の姿が見えてくる。友達と登校していても、道いっぱいに広がることなく歩いている生徒たち。それが当然のことだと身に沁みている。
それでも、
「三ノ輪さんおはよー」
「銀ちゃんおはよ。全然遅刻しなくなったよね」
「二人ともおはよ! いやー、日彩のおかげでね!」
銀の席に彼女のカバンを起き、お礼を受け取ってから日彩は自分の席に移る。カバンから教材やらを取り出すのは本人でもできるし、異性がするものでもないと思っている。何より、銀は学年内で上位に入るほどの人気者だ。同性の友達も当然多い。そして銀の人柄から、周りが自然と銀のために協力を進んで行う。現に教材を取り出すのも手伝ってる。
日彩は自分の席で、教材を机の中に仕舞いながらその様子を観察して思う。『相変わらず銀は凄いな』と。
銀が『勇者』としてお役目を果たしていたのは昨年度の話。小学6年生の時だ。
今は中学1年生。神樹館中学校に通っている。
利き腕が使えないというハンディと。
だから日彩は銀に引け目と感心と尊敬を抱く。
それまでの銀と一切変わらない表情の変化のしかた。
何に喜び。何に怒り。何に悲しみ。何を楽しむのか。
過去の自分の記憶と経験から、会話に合わせて寸分狂わず三ノ輪銀らしい表情を出す銀は。どこまでも周りにやさしい女の子だ。
時が止まった特殊な世界。
結界を突破して入ってきた3体のバーテックス。
親友の園子と須美は重傷を負い、とても戦える状態じゃない。
だから銀は二人を抱えて一度戦線離脱し、戦闘に巻き込まれないであろう場所に運んだ。
「ずいぶん前に進んでくれたけどなぁ」
一人で3体のバーテックスの前に姿を現した。
自分の武器である大きな斧。身の丈並みの大きさである二丁の大戦斧。
その片方で足下に線を作る。
「こっから先は」
自分の意志を示す。
その線はバーテックスをそれ以上進ませないという意志の表れ。
何よりも、自分がこの線を踏み越えたら最後。必ずバーテックスを追い返すという決意でもある。
比較的軽傷だったこともあり、問題なく全力を出せる。
足に力を込め。両戦斧を構えて。
弾丸の如く飛び出した。
「──通さない!!」
その日銀は『満開』した。