正確に言えば旅館は準備されてるからゼロからじゃない?
細かいことは気にしちゃいけないっすよ。
朝、小鳥のさえずりで俺は目が覚める。
結局あの後は何も起きずに一晩を過ごした。
何も起きなくて本当によかったよ。
『起こさなくて』のが正しいか。
「神子戸さん。おはようございます。朝ご飯できてますよ。」
先に起きていたのか割烹着姿で部屋へと入ってきた幸ちゃんの手には木製のおぼんに乗せられた味噌汁やご飯、焼き魚などが見られる。
何だこの溢れ出る新妻感。
昨日の告白を聞いているからだろうか。余計にその雰囲気を感じられてしまう。
俺は座布団に座り、朝ご飯を口へと運ぶ。
「……どうでしょうか?」
幸ちゃんはおずおずと聞いてくる。
「めちゃくちゃ美味しいんだけど。これ相当練習したでしょ?」
ご飯だけでも炊くだけなのに最高に美味しく感じる。
特に味噌汁はやばい。それこそ今まで食べたことないくらいには美味しい味噌汁だった。
出汁の味がしっかりしているにも関わらず味噌の味もきちんと残していて、それらと具のマッチも完璧。これぞ究極の味噌汁と言っても過言ではなかった。
「男の子の胃袋を掴むには味噌汁からって雨宮さんから教えてもらいましたからね。」
幸ちゃんはウインクをする。可愛い。
そして、ここでも出てくる雨宮さん。こうなることも見越しているんじゃないだろうか。だとしたら雨宮さんは何者なんだろう。経験値じゃ語ることのできないくらい先を読む力に長けている。五月雨辺りに聞いてみるか。
「ごちそうさま。本当に美味しかったよ幸ちゃん。」
俺は幸ちゃんに感謝の言葉を述べおぼんを持つ。
「誰かに食べてもらったことはないから褒められると照れますね…あっ、おぼんは私が片しておくので大丈夫ですよ。」
そう言うと幸ちゃんは俺からおぼんを受け取り、若干スキップがちに部屋の外へと出る。
雨宮さんの言う通り幸ちゃんは変わった。昨日とは大違いである。
そんな幸ちゃんに少しだけ違和感を感じたが、あの幸ちゃんだ。
何か裏があるわけではないだろう。
少し経ってから制服姿の五月雨が部屋へと入ってきた。
高校へ行く前に幸ちゃんの様子を見に来たのだろう。
「おい、幸がとてつもなくかわい…すげー喜んでたんだが。働くことに決めたのか?」
相変わらず欲丸出しの五月雨はいつものように睨みながら話しかけてくる。
「ああ、だけど昨日とは違う。俺は幸ちゃんとこの旅館を立て直すよ。もちろん五月雨も一緒にだからな。」
俺の言葉に五月雨は少し寂しそうな顔したように見えた。
「分かった。お前に決意が生まれたことは。それだけ知れたら私は何も言わねー。けど、幸を泣かせたらただじゃおかねーからな。」
いつも通りの五月雨に俺は参った顔する。
が、俺も昨日とは違うのだ。
「幸ちゃんを泣かせるわけないだろ。俺は絶対に幸ちゃんとこの旅館を守ってみせるから。」
すると五月雨は無言で手に持っていた木刀…いや、だからなんで持ってんの?
その木刀を俺の溝内へ…
「ゲホッ⁉︎」
結構本気でやられた。ゴツンという鈍い音は部屋中に響いた。
幸い骨まではやられてないみたいだけど。
「あんまかっこつけんな。私はまだお前を認めねーから。」
いや、さっき何も言わないって言ったじゃん。あれ、認めたってことじゃないの?
そんな俺の叫びは声にならず五月雨は部屋を出ていった。
今日は月曜日。幸ちゃんは久しぶりに小学校へと登校するらしい。
「久しぶりで授業ついていけないかも知れませんが、その時は勉強教えてくださいね?」
幸ちゃんは俺も小学生の頃によく見た赤いランドセルをからい、いつもとは違う洋服に身を包みロビーで俺が来るのを待っていた。
「これでも俺は成績よかったから何でも聞いて。……もうお母さんのことは大丈夫?」
あまり聞くべきではなかったような気がするが、やはり違和感は解決しておくべきだと思った。
「いくら落ち込んでもお母さんは帰ってきません。それにお母さんが残してくれたこの旅館はとても心が暖かくなります。確かにお母さんはこの世にはいませんけど、私はお母さんの魂がこの旅館には宿っていると思っています。……ちょっと小学生っぽくないですかね?」
確かに考え方が大人すぎる。社会経験は他の小学生より多いはずだからそういう考えもできるのだろう。
「幸ちゃんらしい答えだと思うよ。幸ちゃんが元気にこの旅館で働くことが女将さんの願いでもあると思うし。」
俺の言葉に幸ちゃんは笑顔で頷く。
「だから、神子戸さん。ずっと私とここにいてくださいね?」
そう言って幸ちゃんは俺にハグをする。
俺はその間全く動けなかった。
数秒経って俺から離れ、俺に手を振りながら学校へと向かう。
「行ってきます!湊さん!」
そんな幸ちゃんに俺は手を振り返す。
あれ?今幸ちゃん俺の名前を呼ばなかった?苗字じゃなくて名前を。
すんごい恥ずかしい。いやいや、まだ付き合ってはないんだからね!
俺も幸ちゃんが好きだけど………これって絵面的にアウトじゃない?
てか、幸ちゃん一気に大胆になったね…
今時の小学生は進歩してますな。
さてと…今日はとりあえず旅館内の施設を覚えることにしよう。
そうだ、幸ちゃんに部屋を用意されたんだっけ。
俺は荷物を別棟へ移すため部屋に戻ろうとした時、雨宮さんが旅館に入ってきた。
「やあ、神子戸くん。冬月旅館で働くことを決めたのかい?」
「はい。もう幸ちゃんには言ってあります。」
すると雨宮さんは満足気な顔で頷く。
「でも雨宮さん。何か隠していませんか?」
俺の言葉に雨宮さんの目は一瞬曇る。
雨宮さんは思えば最初から何かおかしかった。
一応冬月旅館の外部の人だが、深く冬月旅館に関わっている。
幸ちゃんの違和感。
合間に見せた五月雨の悲しい顔。
雨宮さんはその全てを知っているのではないか。
俺はなんとなくそう感じていた。
「神子戸くん。君は何も知らない方が今は幸せだよ。私の目的と君の願望は共存できる。そのうちこの旅館が私の目的をを教えてくれるよ。」
一瞬だけ見せた雨宮さんの目は人を憎むものだった。
「とにかく君は知るべきではないよ。でも、私を信用してほしい。」
雨宮さんの目的は分からない。だが、幸ちゃんやこの旅館に危害をもたらすものではないと信じたい。
「分かりました。ですが、幸ちゃんに何かあれば俺は許しませんよ。」
雨宮さんは俺の言葉を聞き、笑う。
「安心して。私の目的は幸ちゃんのためだから。」
そう言うと雨宮さんは旅館を出て行った。
まだ信用できていないところもあるが今はまだ考えない方がいいだろう。
俺は次こそ部屋へ戻ることにした。
その途中ふと厨房が目に入った。
前に泊まった時も思ったが、厨房はいつも『入るな危険』という立札がドアの前に立てかけられている。
ドアの横には小さな窓があり、いつもはそこから料理が出てくるみたいだ。
中には何があるのかという好奇心に誘われるが、流石に幸ちゃんの許可を取らずに入るのはまずいな。
俺は厨房から目を逸らし廊下を進む。
その時厨房の小窓から俺を見ている何かには俺は気づかなかった。
………なんてラノベ的展開はあんのかな。
そんなこんなで部屋へと到着すると、部屋からは何か足音がした。
あれ?今はこの旅館には誰もいないはずじゃ…
まさか泥棒じゃないよね?
俺は恐る恐るドアを開け、音を立てずに廊下を進み、襖の取手に手をかける。
「およ?帰ってきましたかな?」
中からは俺と同世代くらいに聞こえる女の子の声が聞こえた。
てかバレてるんですけど。
「入りたまえ。少年よ。」
一応ここ俺が借りてる部屋なんだけど。
俺が部屋を借りてることも知ってるみたいだし、泥棒ではないだろう。少なくとも。
襖を開けると幸ちゃんと同じくらいの身長の女の子が俺の荷物の上に足を組んで座っていた。
長い髪で、髪は結ばれていないが綺麗に櫛で梳かして手入れしてあるのか艶がある。
口調の割には小さい女の子だったので、俺は他に誰かいるんじゃないかと周りを見るも、他には誰もいなかった。
「学校行かなくても大丈夫?小学校まで送ろうか?」
言うべき言葉は他にもあるが、とりあえず既に学校の時間のため今この場にいる女の子は確実に遅刻だ。
子供はきちんと学校に行かなくてはいけない。義務教育だし。
「少年よ…とりあえず一回死ぬか?」
物騒なセリフとともに取り出したのは銃……ではなくおもちゃのピストル。
「ははは…参った参った。ほら、そんな物騒なもの人に向けちゃダメだ痛っ⁉︎」
飛び出してきたのはBB弾ではなく輪ゴムだった。
しかも手に持ってみるとかなり硬い。
「さっちんに免じて今回はこれだけで許しておいてやるのだよ。」
さっちんていうのは幸ちゃんのことだろうか。
「ってことはこの旅館の関係者か?」
すると女の子はドヤ顔になる。
「その通りだよ少年。私の名前は栗花落(つゆり)菜花。冬月旅館では経理を担当しているよ。つーちゃんと呼んでくれたまえ。君は小学生と言ったが、私は17歳だ。今年中には選挙権のもらえる年なのだよ。」
なんだこの喋り方。一応俺年上なんだけどな。
「中卒か?それで経理をしてるってどういうことだ。」
「少年。声が漏れてるよ。誰が中卒やねん。…おっと変な関西弁が出てしまったようだ。私は一応高校までの学習内容は全て履修済みだ。」
うわっ。この子飛び級だ。稀に見る天才というやつである。
「で、なんだっけ。栗花落さんはどうしてここに?」
俺が聞くと栗花落さんは頬を膨らませる。
「むー。つーちゃんと呼んでくれていいんだよ。ていうか呼ぶまで荷物は渡さないからね。さっちんは幸ちゃんって呼んでるくせに。」
喋り方が素に戻った栗花落さん。この方が年相応でいいと思うけど。
とりあえず話が進まなそうだしつーちゃんって呼ぶしかないようだ。
話が進んでも俺の気が進まないけど…
「つ、つーちゃんは何か俺に用事があるということでいいのかな?」
やっぱし照れ臭い。女の子をニックネームで呼んだこととかないしな。
ただし、呼ばれたつーちゃんも頬を赤らめる。
「……いや、よく考えたら男の子にそう呼ばれるの初めてだった…」
ぼそっと呟いたその言葉により、俺とつーちゃんの間には微妙な空気が流れる。
「あ…えっと…そうだそうだ用事だったね。さっちんから少年が……いや、少年って言うのやめた方がいいかな…神子戸君。こう呼ぶとしよう。さっちんから神子戸君がこの旅館で働くことになったことは聞いたよ。だから私がこの旅館の現状を教えようと思ってね。」
喋り方がどうにかならんのかな。いや、でもこの喋り方もいいけど。
嫌いではないっす。
「とりあえず。今、冬月旅館は臨時休業中なのは分かるね?前女将が亡くなった今、それは仕方のないこと。次はもちろんさっちんが女将をやることになるんだけど、従業員数はまだしもお金の方は結構カツカツなのだよ。臨時休業とはいえ維持費にはお金がかかるからね。できれば今すぐにでも営業を再開したい。さっちんのの体調もだいぶ良くなったようだし後は新入りの神子戸君次第なのだけどどうかな?」
俺のやる気はもちろん最高潮。だが、
「何をやればいいのか全く分かんないんだけど。」
つーちゃんはそれも分かっていたという風に頷く。
「それは習うより慣れろ!ってところもあるからね。私が軽く教えてあげることはできるけど、実践あるのみなのだよ。」
なんとなくそう言われるだろうとは感じてた。
だが、こういう系の仕事は確かに教えられるよりもやりながら覚えていったほうが良さそうだ。
「ということで荷物を運んだらロビーに集合してくれたまえ。」
つーちゃんは俺の荷物の上から離れ部屋の外へと出て行った。
俺は荷物を別棟の幸ちゃんに教えられた部屋へと荷物を置く。
別棟の部屋は全体的に小さい部屋が多く、この部屋は布団が用意されていないようだ。
寝室は後で幸ちゃんに聞くことにしよう。
おっとつーちゃんを待たせていた。
そろそろロビーに戻ろう。
ロビーに戻るとつーちゃんは髪を結んでいる最中だった。
「思ったよりも早く来たようだね。私の方が準備できていないのだけど。もう少しだけ待っていてくれたまえ…えっと…こうして…よし!」
つーちゃんは髪をお団子にしていた。
「一応これが私の正装って感じなのだよ。普段は着物も着ているがね。……どうかな?」
つーちゃんは上目遣いに聞いてくる。
「めちゃくちゃ似合ってるよ。旅館の雰囲気とも合ってるし。」
思えばこの旅館のレベルはすごい高い。もちろん可愛い幸ちゃん、残念なところはあるが素は美少女の五月雨、そして喋り方に癖があるものの素に戻ると可愛いつーちゃん。もしかしてかなり恵まれた環境にいるのではないだろうか。
「似合ってる?ふふふ…それなら見せた甲斐があったというものだよ。」
ドヤ顔で無い胸を張るつーちゃん。
「それじゃあ、まずは神子戸君がさっき使ってた部屋まで行こうか。」
スキップで部屋へと向かうつーちゃんを俺は歩いて追いかけていった。
「よし。まずは布団だね。これは基礎の基礎なのだよ。とりあえず畳んでみて。」
部屋に着くなり慣れた手つきで布団を広げたつーちゃんは俺の手を引き布団の横に立たせる。
「つーちゃんやい。つーちゃんやい。俺にこれをやらせるとはね。」
若干つーちゃんに似た喋り方になった俺は慣れた手つきで布団を畳む。
「おー!神子戸君すごいじゃないか!ここまで完璧にできるのはここの従業員にもなかなかいなかったよ。」
畳まれた布団を見たつーちゃんは驚きの声をあげる。
「そんじゃ、次行きますか!」
「仕切るのは一応私だからね!」
調子の良くなった俺はその後も次々と仕事をこなしていった。
「いや、驚きだよ。神子戸君。ここまでできるとは思わなかったよ。」
興奮気味に話しながらコンビニ弁当を口へ運ぶつーちゃんとドヤ顔の俺はロビーへと戻っていた。
旅館特有の仕事以外の家事に似たような仕事や接客系の仕事はほとんどクリアできた。
「前に泊まった時特にすることもないから幸ちゃんの動きとか見てたしね。この程度なら全然いけるよ。」
実家でそういうことはやらされていたからっていうのもあるんだけど。
「これなら明日には再開できそうだね。しばらくは私も従業員として働かせてもらうよ。体力には期待しないでほしいがね。ただね、神子戸君私達にはもう1つ解決しなければいけないことがあるのだよ。それを解決しなければ営業再開することは夢のまた夢なのだよ。」
つーちゃんは苦笑いにも似た表情をする。
「この旅館にはまだ何か問題が?」
するとつーちゃんは食べ終えた弁当の蓋を閉じ、どこかを見る。
「もう君もなんとなく分かってるんじゃないかな。冬月旅館営業当初からの問題で最大の問題だよ。」
つーちゃんの見つめる先はあの厨房へと続く廊下だった。
「ただいまっす。…ど貧乳先輩じゃないすか。どうしたんすか?」
その時ロビーへ入ってきたのは五月雨だった。
「ど貧乳は余計だよ五月雨君。言っておくが私だって一応ブラはつけているのだからね。」
五月雨はつーちゃんにも厳しいようだ。
その呼び方は人によっては殺されかねんぞ。
「スポブラっすよね。この前着替えてるの見ましたが。」
「そん時はたまたまなのだよ。私だってね、たまにはせくしーな下着を着ることもあるのだよ。」
何故だろう。俺の頭の中でつーちゃんの言うセクシーという単語が平仮名変換されていた。
てかそう言う話は女の子だけでやってほしい。
「んで?なんで遅い昼ごはんみたいすけどどうしたんすか?」
思えばもう16時。時が経つのは早い。
「神子戸君に色々と仕事を教えていたところなのだよ。で、あの問題を解決しようと思ってね。」
あの問題というだけで五月雨には伝わったようだ。
「あれどうにかなるんすかね?幸ですらどうにもできないんすけど。」
「私達には救世主がいるじゃないか。」
そう言って期待した目で見るつーちゃんと俺の存在に今更気づいた何も期待していない目で見る五月雨に見られた俺はなんとなく面倒なことになったことを察した。
あれ?これ他ヒロイン敗北確定じゃん。と思ったそこの方!
すごく分かる。この時点で決まってるようなものだもの。
だけど(余裕があれば)複数endにする予定なのでまだ分からないですよ。
ていうか何も起きないendの可能性も十分あると思う。
ぶっちゃけ方針決めてないのでどれを本編endにするかはまだ分かりません。
旅は道連れ世は情けってやつですかね。(違う)
雨宮さんは「神子戸くん」なのに対し、つーちゃんは「神子戸君」と呼んでいるのは差別化するためです。
つーちゃんはこっちのが似合う気もするし(自己紹介につーちゃん追加します)。