虞美人、後輩の息子を育てる   作:イサシ

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読みにきてくださりありがとうございます!

時間が飛び飛びになっていますが、読んで頂くと幸いです。


虞美人、後輩の息子の引退試合を観戦する

「ぐっちゃん、次の日曜日暇?」

「暇だけど?」

「……じゃあさ、見に来てよ、試合」

 

 平日、午後20時半。いつもと同じように部活から帰ってきた息子と一緒にご飯を食べる。息子が小学生の頃から変わらない習慣だ。その日にあったとりとめのない話を聞いたり、一緒にテレビを見たり、そんなどこにでもあるような風景。今日も息子の話を聞いていたところだった。

 

「試合? 野球ってやつでしょ? 私、ルールなんてわかんないわよ」

「いいよ、それで。見にきてよ」

「? まぁ、いいけど……何かあるの?」

「中学最後の大会なんだ。この大会で3年は引退」

 

 息子は中学3年生になった。思えば声も男性のそれに変わり、顔つきも随分と大人びてきた。そして、何より、身長はとっくに私を超えていた。もう170センチはあるだろう。見下ろされる光景にも段々慣れてきた。お隣さんに聞いたら、まだまだ伸びるでしょ、とのことだ。

 

「何よ……もう、辞めんの? まだ6月よ?」

「いや、夏の大会が終わったら3年はもう抜けるのが決まりなんだ。もちろん、高校でも続けるつもりだから、練習は続けるけどね」

「そ、なら、いいわ」

「じゃあ、日曜日、狛澤公園の球場でやるから見にきてね」

「はいはい」

 

 食事が終わり、キッチンで洗い物を始める。息子は食べたと思えば、庭に出て素振りを始めていた。部活に入ってからは毎日のように続けている習慣だ。部活で散々しているのに、家で帰ってもやるなんて、余程、その野球とやらが好きなのだろう。

 

「……」

 

 野球というより、人間のいうスポーツというものは正直良くわからない。ルールで行動を縛って何が楽しいというのか。私の場合、超常的な力を持っているので余計にそう思ってしまうのだ。

 

 だが、息子があそこまで真剣に取り組んでいるのだ。きっと、何か熱くなれるものがあるのだろう。

 それに彼の努力を否定する気はさらさらない。あの豆だらけの手の平を見て、誰が否定なんてできるだろうか。

 

「……最後くらい、ちゃんと応援してやりましょ」

 

 

✳︎*****************************

 

 日曜日。天気は良好。息子は朝早くから練習だ、と言って、家を飛び出していった。私は試合開始に合わせて、家を出る。帽子を被ってきてよかった。いくら、日光が大丈夫だからと言って、特別日の光が好きなわけではないのだ。

 

 野球場に着くと、案内板通りに息子の学校の方の応援席に座る。ベンチは硬くて座りづらいがそれよりも人混みのほうが私には嫌だった。息子と暮らしていく事を覚悟した以上、こういったところに来るのは初めてではないが、そう簡単に慣れるものではない。

 

 少しでも人の少ない上のほうのベンチを陣取る。私の目ならこの球場くらい、全て見渡せるので全く問題ない。

 

「えっと……あいつ、ピッチャーだったのね……」

 

 この日のために野球は勉強してきた。ちゃんと応援すると決めた以上、ルールくらい覚えなくてはとその日のうちにルールブックをアマゾンで購入し、テレビでやっている野球中継も息子が録画している分と合わせて可能な限りみてきた。おかげでおおよそのルールは把握することができた。

 息子の学校は後攻なので、早速、息子の投球を見る事ができるようだ。背番号1はエースがつけるとうるさい実況の男が言っていたので息子はどうやらチーム1のピッチャーという事らしい。

 

「へぇ、やるじゃない……」

 

 流石は私が育てただけはあるわね、と自画自賛していると不意に名前を呼ばれる。

 

「あのう……もしかして、芥くんのお母さんですか……?」

 

 振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。紫色の髪をおさげにし、眼鏡が知的な印象を与える娘だ。……どこかで見たわね……この娘……

 

「……そうだけど、何かよう……?」

「えっと、あの、私、衛宮と申します……良かったら、一緒に見ても良いでしょうか」

 

 衛宮と聞いてふと、思い出す。そうだ、すっかり忘れていたが、息子の想い人ではないか。しかも、この子の両親は私というか、カルデアとは無関係ではない。赤い外套のアーチャーの生前の姿の父親とサクラ顏と呼ばれていたサーヴァントたちのオリジナルが母親なのだ。もしかしたらこの娘も何らかの神秘を備えているのかもしれない。

 

「別に良いけど……」

「やった! 隣、失礼しますね!」

 変に拒絶して変に思われるのも嫌だったので、了承してやると、さっきまでのおどおどした印象とは裏腹に元気よく返事して、私の隣に座る。

「芥くん、凄いんですよ! 今までの試合、全部一人で投げ抜いていて、この試合勝てば、全国大会なんです!」

「へぇ……」

 

 全国大会。何やら凄そうな響きだ。そんなに凄いのなら、もっと前に言ってくれれば良かったのに。

 

「あ、試合始まりますね!」

 

 グラウンドを見ると、息子がマウンドに立っていた。雰囲気は家にいるときのようなフニャフニャしたような感じはどこにもない。一瞬見えた眼差しは藤丸がマスターとして戦っていた時と同じ眼光。鋭い目に確かな意志が垣間見える男の眼差しだ。

 隣にいる小娘もその眼差しに見惚れたのか、黙って息子の投球練習を見ていた。

 

「プレイボール!!」

 

 球審の号令と共に試合が開始される。息子がグラブを高く掲げ、キャッチャーに向かって投げ込んでいく。遠くにいてもわかるくらいの気迫が球場を包みあげていく。今、この瞬間、この空間を支配しているのは間違いなく息子だった。

 

「ストラァイク! バッターアウト!!! チェンジ!!」

 

 初回、息子の投げたボールは誰にもその道筋を邪魔される事なく、キャッチャーのミットへと収まっていった。三者連続三振である。

 

「凄い! 凄いですよ!」

 

 隣の小娘が騒ぐ。私も内心、ガッツポーズといった心情だが、体面を保つため小さく、拳を握るに留めておく。

 

 次は息子の学校の攻撃の番だ。息子は3番を任されていて。早速、順番が回ってくるようだ。

 1番バッターがフォアボールで塁に出て、2番バッターが堅実に送りバントでランナーを進塁させた事により、1アウトランナー2塁というチャンスで息子に打順が巡ってきた。

 

「かっとばせ〜〜〜〜〜、芥!!!!」

 

 スタンドからも黄色い声も混じった気合の入った応援が聞こえてくる。息子は人気者らしい。

 

「……あっちに行かなくていいの?」

 

 何となく、気になって、隣の小娘に聞いてみる。人間というのは同じ事をしないやつを疎む生き物だ。こんな一番上のベンチで私みたいな女と話していたら何か噂されてしまうかもしれない。

 

「はい! いいんです! 私、芥くんのお母さんと一度話してみたいと思っていたので!」

「……そう」

「えぇ! 芥くん、いつも、お母さんの事話すんですよ。ちょっと嫉妬しちゃうくらい」

「へぇ、今度、からかってやるわ」

 

 カッキーン、と甲高い金属音が鳴り響く。見ると、息子が一塁ベースを駆け抜け、次の塁を回っていたところだった。ボールはセンターとライトの間を転々としていた。息子のチームが一点選手だ。

 

「あ! やった、先制点だ!」

 

 息子はセカンドベースで満足する事なく、三塁まで狙おうとさらに加速する。だが、外野の選手もなかなかに強肩のようで良い球が返ってくる。何とかして間に合おうと息子は決死のスライディングを決行。砂埃が舞い上がり、私の目でもどちらが先かは判断する事はできない。三塁審判の判定を固唾を飲んで見守る他ない。

 

「アウト!!」

 

 三塁審判の甲高い声とほぼ同時に、観客席からため息と歓声が入り混じる。

 

「え〜!! 絶対、セーフですよ!!」

 

 隣の小娘もねぇ、そうですよね!と手をブンブン振って抗議の意を表す。私も普段なら文句の一つも言いに行くところだがさすがに大人気ないので何とか心のうちに留める。

 

 息子は心底悔しそうにベンチに戻っていく。だが、1点を自分の手で取る事ができたのは誇るべき事だと思う。

 

 その後、息子が圧倒的な実力で相手打線をねじ伏せるものの、立ち直った相手ピッチャーの前にこちらも手も足も出ず、7回まで1対0のままこう着状態が続いた。

 後2回、息子が抑えれば息子の学校のチームの勝利だ。だが、7回の息子のピッチングはどこか不安定で初めてランナーを三塁まで進む事を許してしまった。これまで全ての試合を一人で投げ抜いてきた疲労が息子の身体を襲っているのだろう。遠目で見てもボールの球威が落ちてきているのが見て取れた。

 

「がんばれ〜! 芥くん!!」

 

 大丈夫だ。がんばれ。直接、近くで言ってあげたい。でも、それは今のあいつには不必要なものだろう。息子はもう一人の立派な人間だ。自分の二本の足で立つ事のできる勇ましい男なのだ。言ってあげたいという気持ちはあくまで保護者だけの気持ちだ。必ずしも息子に必要なものだとうは限らない。

 

 私は静かに彼の勇姿を見届ける覚悟を決めた。

 

 だが、世界はどこまでも不条理で残酷だ。

 

「え? 嘘……」

 

 私はその光景を信じたくなかった。だって、ボールを投げた次の瞬間、息子は肩を押さえ、その場で崩れ落ちたのだ。

 球場はどよめきの渦に包まれる。ここまで、快投していたエースの突然の不調にチームメイトも慌てて、息子の元に駆け寄る。

 

「……どうしたんでしょう……?」

「……ッッッ」

 

 見守る事しかできない事がただひたすらに辛い。私にできる事はただこの観客席で息子の無事を願う事しかない。その現実が心を締め付ける。

 

 太陽が一段と眩しく感じられる。グラウンドで一番高いところにいる息子にとっては砂漠のど真ん中で運動しているようなものだろう。そんな中、あれだけの投球をし続けてきた事に驚嘆するしかない。

 

「立って、お願い……」

 

 自然と口から漏れたその言葉は観客席からのコールでかき消されていく。先ほど、見守ると決めたはずなのに、その気持ちはとても我慢出きるものではなかった。

 

「「「頑張れ〜〜〜〜〜!!!!!」」」

 

 歓声はひとえに息子のためだけに。最後まで戦って欲しいという願いに溢れた純粋なものだ。

 

「ちょっ! あ、お母さん!!」

 

 私は堪らず、ベンチを立ち、観客席の階段を駆け下りていく。私に何かできる訳でもない事はわかっている。

 

 

 だけど、今は少しでも息子の近くに。

 

 彼と一番近くにいた私がそばで声をかけるのだ。

 

 何の役に立たないとわかっていても。

 

 自己満足であろうとも。

 

 グラウンドと観客席を仕切るフェンスにすがるように張り付き、声援にかき消されまいと精一杯叫ぶ。喉が裂けんばかりに叫び続ける。

 

「立ちなさい!! 最後まで投げ抜くの!!」

 

✳︎*****************************

 

 実のところ、試合が始まったときから、肩の調子は最悪に等しかった。決勝まで投げ抜いてきた疲労が積み重なり、鉛でも背負っているかのようだ。監督やチームメイトに言うわけにはいかない。他にピッチャーはいないし、動揺させたくなかった。

 

 だから、初回のチャンスを逃すわけにはいかなかった。いつ自分が壊れてもいいように、一点でも多く点が欲しかった。でも、それが間違いだった。スライディングしたときに足を痛めてしまった。それを庇おうとして、今度は肩に無理がきた。回を増す毎に痛みは増していき、とてもバッティングに集中する事なんてできなかった。

 

 そして、8回。後、2回抑えれば勝利。気合いを入れて望んだ第一球。

 

 何かが壊れる音がした。

 

 ブツリ、と自分の身体の中から聞こえてはいけない音がする。

 

 ボールはあらぬ方向に飛んでいく。それを見届けた瞬間にやってくる痛み。

 

「ぐぅううあぁあぁあああああ!!!!!」

 

 堪らず、その場でうずくまる。

 

 こぼれ落ちていく。

 

 こぼれ落ちていく。

 

 自分の積み重ねてきたものが。

 

 跡形もなく消えていく。

 

 怖い。怖い。怖い。

 

「おい、芥、大丈夫か!?」

 

 チームメイトが駆け寄ってきて、心配そうに話しかけてくるが気にしている余裕がない。

 

 痛みは引くどころかさらに増していく。もう、投げる事なんてできないだろう。

 

……ここで終わりなのだろうか。この3年間の集大成はこんな形で終わりを迎えてしまうのか。こんな中途半端に……何も成せず、ただ放り投げて……

 

 頑張れという歓声が聞こえる。どこまでも残酷で無責任な歓声が……

 

 わかっている。あの歓声がそんな邪な気持ちなんてないという事も。

 

 でも、考えてしまう。考えれば考えるほど、マイナスの思考が濁流のように押し寄せてくる。

 

……もう駄目だ……マウンドを降りよう……降りて楽になろう……

 

 監督に申し出ようと顔を上げる。

 

 本当に偶然だった。たまたま、顔を上げた視界にあの人がいた。

 

 あの人は破らんばかりにフェンスにしがみついて、何かを叫んでいた。

 

 聞こえるはずがない。この大歓声の中、たった一人の声が聞こえるわけがない。

 

 でも、その声は確かに届いたのだ。

 

「立ちなさい!! 最後まで投げ抜くの!!」

 

……あの人が叫んでいる。あの人間嫌いが人目も憚らず、綺麗な顔をクシャクシャに歪めて、必死に叫んでいる。

 

「あんたならできる! 絶対!!」

 

 抑えていた肩から手を離す。痛みは変わらない。でも、不思議と心を蝕む恐怖は消えていた。

 

 あの人は僕に色々なものをくれた。

 

 僕が苛められていたとき、あの人は僕には勇気があると言ってくれた事を思い出す。

 

 僕には今でもあるだろうか。あの勇気が。

 

 あったら応えてくれ、僕の勇気。

 

 この身体を無理矢理でも動かせ。

 

 後なんか、どうなってもいい。

 

 絶望を突き進む勇気を僕にくれ。

 

 それが僕が今やるべき事なのだから。

 

 心が燃え上がるのを感じる。

 

 目を閉じて、大きく深呼吸。

 

 そして、ゆっくりと立ち上がる。

 

「大丈夫なのか!?」

 

 心配する仲間に声をかけ、ボールを受け取る。ズキリ、と肩に痛みが走るが顔には出さないように無理やりに笑顔を作った。

 

「プレイ!」

 

 マウンドに立って、振りかぶる。

 

 肩がやめろ、やめろ、と悲鳴を上げ、一斉になって、僕の行動を拒絶してくる。

 

 だが、やめない。絶対に。

 

 ボールが手から離れていく。

 

 今、自分が投げられる渾身のストレート。

 

 真っ直ぐ、真っ直ぐ、進め。

 

 ただそう願いながら、投げ続けた。

 

 

 

   ✳︎**************************

 

 夕方。まだ6月だというのに下がる事のない気温にうんざりしながら、私は一人帰路に着いていた。

 帰った家は薄暗く、つい30分ほど前まで球場にいたのが嘘のよう。

 ソファに寝転がり、何する事もなく、ぼけっと天井を眺める。

 

「……夕食、何にしようかしら……」

 

 息子が帰るのは19時半くらいと言っていたからまだ準備する時間は十分にある。少しくらい休んでも問題ないだろう。

 

 結局、息子の学校は敗北した。9回2アウトランナー1塁。後一人、抑えたら勝利というところで、相手バッターに逆転ツーランを浴びたのだ。

 

「……」

 

 息子には何も声をかけずに戻ってきた。保護者の私が今、行っても、息子に恥をかかせるだけだろう。

 隣にいた小娘には行ってやって、と言っておいた。

 

 帰ってきた息子になんて声をかければいいのか。考えてみるが一向に思いつかない。死力を尽くし、文字通り命を削り、待っていたのは敗北。とても受け入れられるものではないだろう。

 それに息子の肩も心配だ。最後、無理矢理に投げた事で息子の投げるボールは見る影もなかった。また、投げれるといいのだが……

 

 そんなとき、備え付けの固定電話が着信を知らせる。表示を見ると、見た事のない電話番号だった。

 

「……ハイ、もしもし」

『私、狛沢病院という者ですが……芥さんでお間違えないでしょうか……』

「そうですが……」

『あの息子さんについてお話ししたい事があるのですが、今、お時間宜しいでしょうか?』

「なんでしょうか?」

 

 無感動にただ電話越しの女の声を聞く。まるでラジオの与太話でも聞いているかのようにどこまでもその話に実感はわかなかった。

 

 女の話をまとめるとこういう事だ。

 

 息子の肩はもう治る事はない。もうピッチャーとしてボールを投げる事はできない。今日壊れていなくても、このまま投げ続けていれば、いつか必ず壊れていたという。

 

 電話が切れる。ツーツーと、電子音だけが聞こえる。夕日が身体を包む。

 

「……夕食の準備しなきゃ」

 

 今は何かをしていたかった。少しでも今までの日常に浸りたかった。本当の現実なんていうクソみたいなものから目を逸らしたかった。 

 

 どうして、こう私が深く関わる人間は尽く不幸になるのか。

 

 項羽さま、高長恭、藤丸、マシュ……

 

 皆、何かしらどうしようもない現実に押しつぶされて命を落とした。

 

 息子はまだ生きている。でも、このまま関わればいつかは……

 

 ガッシャーン!! 

 

 我に帰る。皿を落としてしまった。

 

 床にかがんで落ちてしまった破片を拾っていく。

 

 そこでふと、気づく。

 

 何故、この破片は濡れているのだろう。ちゃんと拭いたはずなのに。

 

 あぁ、駄目だ。我慢しなくちゃいけないのに。

 

 私が泣いてはいけないのに。

 

「ぐっ、、、、ッッッッ……」

 

 声を殺す。自分は泣いてない。泣いてないのよ。

 

「一番、辛いのはあの子なんだから……」

 

 それでも、止まらない。

 

 涙は決して止まらない。

 

 脳じゃない身体のどこか奥底……その部分が私を泣かせてくる。

 

 理性と本能、そのせめぎ合いは決して終わらない。

 

 私は暫くの間ただ蹲り、理性の勝利を信じた。

 

 ✳︎***************************

 

「……ただいま」

「あぁ、おかえりなさい、ご飯できてるわよ」

「うん……」

 

 帰ってきた息子はまるでこの世の終わりのような顔をし、死人のようだ。

 

「ほら、手洗って、さっさと座りなさい」

「うん……」

 

 数分後、部屋着に着替えた息子がやってきて夕食を二人で食べ始める。

 

「今日は私特製カツカレーよ。聞いて驚きなさい。カレーはこの日のために長時間、煮込んだわ。カツなんて、100g1000円もする肉を使ってるし……」

「あ、そうだ、今日、あんたの彼女と観戦してたのよ……」

「それにしても暑かったわね……次はドームでやりなさいよ、ドームで……」

 

 話す。話し続ける。とりとめのない話を。どうでもいいような話を。

 

 その全てに息子は無感動にたた、うん、と頷くだけだった。

 

「ご馳走様でした……」

「えぇ……」

 

 結局、食事の間、私が一方的に話すだけで会話らしい会話はなかった。食器を洗おうと、キッチンに向かう。

 

 息子はソファに座って、テレビもつけず、どこを見るということもなく、ただ虚空を見つめていた。

 

 いつもなら、冗談でも言い合っているような時間帯。でも、今日は二人とも何も話さない。沈黙が空間を支配する。食器の汚れを流す水道の音が今日は妙にうるさかった。

 

「……アイス食べる?」

 

 食器を洗い終わって、息子に提案するが返事がない。冷凍庫からアイスキャンディーを二本取り出して息子に差し出す。息子は黙ってそれを受け取った。

 

 ソファに並んで二人でアイスを食べる。夏の夜は週3回はこうしているのだ。

 

「…………………………………」

「…………………………………」

「…………………………………」

「…………………………………」

「…………………………………」

「…………………………………」

 

 アイスも食べ終わりそうな頃、何となく息子の方を見る。

 

 息子は袋に入れたままのアイスを手に持って静かに泣いていた。

 

 音も立てず、ただ、溢れ出る涙。自分で泣いていることすら気づいていないのか、拭こうともしない。

 

 息子の肩に手を回し、半人分空いていた息子との距離をゼロにすると、息子は私にされるがままにこちらに身を寄せ、体重を預けた。

 

 今の息子にはどんな言葉も心を蝕む猛毒となる。

 

 だから、せめて気持ちを。

 

 ただ、思いを。

 

 伝わると信じて。

 

 私は息子の肩を抱きしめる。少しでも彼の心が和らぐように。

 

 ……アイスはもう溶けていた。

 




ありがとうございました!
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