『いいかい、彼の肩の事だが、はっきり言って魔術でも治療は無理だ』
ゴルドルフにしては珍しい強い口調が電話越しに聞こえてくる。暗い寝室に響く電子音は私の心を虚無へと落とし込んだ。
『君に言っても釈迦に説法だろうが、魔術というのは決して万能なんかではないのだよ。例えば、火を起こすのだって、魔術で行おうとすればそれなりの技量が必要になる。だが、現在の科学技術であれば、ライター一つで子供だって火を起こせてしまう。魔術なんていうのは便利そうに見えてその実、不便極まりない代物なんだよ』
魔術。カルデアにいたせいで当たり前ののように見えてたそれは、実際には地球上のあらゆる神秘をかき集めた結晶だったからこそ為し得た奇跡だ。通常であれば、あそこまで自由に魔術を使う事はできない。
『医者も言っていたのだろう? 現代の医療技術では治す事は不可能だと。だとしたら、魔術でも彼の肩を治すのは不可能。治せるとしたら、それは現代においては魔法の域に達しているものだ』
魔術と魔法の境目として、現代の科学技術で為し得る事ができるか否かという事が挙げられる。例えば、数百年前、人間が空を飛ぶ事は不可能だった。だから、空を飛ぶという事は魔法として扱われていた。
だが、どこぞの兄弟が飛行機を開発した事により不可能は可能となる。故に空を飛ぶという事は奇跡でも何でもなく一般的なものとなってしまう。
だから、現代では空を飛ぶという事は現代の科学技術では当たり前の事であり、それは魔法ではなく魔術となるのだ。
今回の息子の例をとれば、現代の医療技術で治す事ができない以上、魔術でそれを治す事は困難を極める。それを治せるとしたら、魔法に到達する医療魔術に到達するしかないからだ。
「……何か方法はないのかしらね」
『気の毒だがね……クソッ……カルデア式召喚技術が使えていれば、アスクレピオスでも呼んで治して貰えるというのに』
確かに神代の医神、アスクレピオスであれば治す事も可能だろう。紀元前の神秘の濃い時代に生きた彼であれば、現代の魔術師など足元にも及ばない魔術を行使できるから。だが、それは叶わぬ願いだ。
「……わかったわ。ありがとう、もう少し考えてみるわ」
『あぁ、そうだね……力になれず申し訳ないが……ボーイの様子はどうかね?』「……」
聞かれたくない事を聞かれて言い淀む。今の息子の状態を誰かに伝えるのはどうしても憚れるのだ。だが、今の私では息子を治してやる事はできない。今は誰かに助言してもらうのが一番かもしれない。そう思い塞がる口をこじあける。
「それが普通なのよ……」
『普通……?』
「……えぇ、今まで通り何もなかったように生活してる。野球はさすがにしていないけれど、三食毎日食べるし、学校にも行っている。……だから、おかしいのよ」
あの夜から息子は笑っている。笑い続けている。そうしろと命じられたかのように。まるで、人形のように、息子は笑っていた。
『一度、カウンセラーに見てもらったほうがいいんじゃないか?』
「それが言っても必要ないとしか言わないのよ」
一度、息子にも心理療法士に相談するよう勧めたことがあった。だが、息子は僕は大丈夫だから、とすげなく断ってしまったのだ。無理やり向かわせたところで、心を開きはしない以上、効果は望めないだろう。
ゴルドルフとの電話が終わると、私は一人、ため息をついて、ベッドに寝転がる。
こんなとき、普通の母親ならどうするのか。今まで、人間との関わりを極力断ってきたせいで、こういうときの対応なんて全くわからない。深い絶望に包まれる息子を癒すにはどうしたらいいのか。思考を巡らせても良い方法なんて思いつきやしない。考えても考えてもただ意味のない時間が過ぎ去っていくだけ。何も意味ない。
でもその意味のない時間というものが人間関係においては大切だ、というのを前どこかの本で読んだ気がする。
その人の事を考えた時間の長さがあなたがその人の事を思う強さの数値だ、などと偉そうに語っていたと思う。
それなら、私の項羽さまを思う強さは世界1位ね、なんて比べても仕方ない事まで思う。
私の息子を思う強さはどれくらいだろうか。私は今までどれだけ息子の事を思ってきただろうか。どれだけ息子に向き合ってきただろうか。考えても考えても足りなかったのではないか、というマイナスな気持ちがこみ上げてきてしまう。
「藤丸、マシュ教えなさいよ……」
私に教えなさいよ……どうすればいいか……
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「ただいま! ぐっちゃん、飯!」
「おかえりなさい、食べる前に手、洗ってきなさい」
夕方18時。怪我をしている息子は練習もできないので、どこかで遊んでいるようでいつもこれくらいに帰ってくる。いつもどおりの爽やかな笑顔。それは息子の境遇を知る者からすれば歪なものでしかなかった。
二人でいつも通り夕食を食べ、いつも通り他愛のない話をし、いつも通りソファに座って、アイスを食べながらテレビを見る。今日はカップ型のアイスだ。
いつも通り、いつも通り、いつも通り……
このままで良いわけがないじゃない。
「あんた、これからどうするの?」
ついに私の我慢も限界を超え、聞き辛い事を切り出す。このまま、いつも通りの生活を続けていたってなんの意味もない。待っているのはただの逃避と忘却のみ。それは息子にとって良い事なんて一つもない。
「これからって、何の話?」
「とぼけるんじゃないわよ。野球よ、野球……続けるの?」
野球、と言った瞬間息子の身体が揺れた。息子はテレビを見たまま私と話そうとする。
「……今、話したくない」
「じゃあ、いつ話すのよ。あれから2週間よ」
「でも……」
「何で悩んでるのよ? ピッチャーが駄目っていうだけなら、バッターすりゃいいじゃない」
「そんな簡単なものじゃないよ」
息子はこちらを向かない。ただテレビをボウッと眺めているだけだ。息子は私を見ていない。何も見ていない。ただ、心の平穏を保つためいつも通りを演じているだけ。
2週間前の息子はここにはいない。ただ、生きる事を演じるだけの人形。それだけ息子にとって野球はかけがえのないものだったのだろう。
私にできる事はあるのか。私がこの子にしてあげられる事はなんなのか。厳しくすればいいのか。優しくすればいいのか。数千年生きてきてそれすらもわからない。
「じゃあ、あんたずっとこのままのつもり?」
どうしたらいいのかわからないあまりに苛立ったような口調になる。だが、それでも息子はこちらを見てはくれない。
「……そういうわけじゃないよ……」
「じゃあ、どういうつもりなのよ」
「別にぐっちゃんには関係ないじゃないか」
「ッッッ……!!!」
そう言われた瞬間、私は心の制御を失った。ただ本能に従うまま、息子の腕を掴んで無理やりこちらを向かせる。
「関係ないわけないじゃない!!! 私がどれだけ心配して……!!」
「痛いな!! 離せよ!!」
「離さないわよ!! あんたが真面目に話さない限り!」
「……うるさいなぁ!!!!」
息子は怒号とともに私の手を振り解き、立ち上がり、私にまくしたててくる。
「ぐっちゃんには関係ないだろう!! どうせ、本当の親でもない癖に!!!
もう、黙ってろよ!!!」
バチン、と乾いた音がテレビの音をかき消し、部屋に響く。気がつけば私は息子を叩いていた。初めて。初めて、私は息子を殴ったのだ。
息子は信じられないような顔をして私を見つめている。だが、それは私も同じ。きっと呆然とした顔で息子を見ているのだろう。
「あ……ごめ……え、あ、ちょっと……!!」
「……ッッッッ!!!」
叩いてしまった事を謝ろうとした瞬間、息子は跳ねるようにして、部屋を出て行く。慌てて追いかけるが既に息子は靴を履いて玄関を出た後だった。
「……」
追いかける事もできるが無駄だろう。今の私にあの子にかける言葉なんてないのだから。
私は本当の親ではない。何から何までその通りの言葉。その言葉は私の心をどこまでも抉り、掻き出す。
一番言われたくない人に一番言われたくない言葉を言われた。そのショックは私の心を容易くかき乱した。
リビングに戻りソファに座る。一人で見るテレビの音はやたらとうるさい。いつも通りなのは机に置いてある二つのアイスだけ。
……だけど、アイスはもう溶けていた。
〜続く〜
後編に続きます!