「…………」
「……どうしたの?」
「え……あぁ、いや、何でもないわよ……」
どうすればいいのだろうか。ふわふわとした心が私をざわつかせる。
キリシュタリアが死んだ。その知らせは私に予想以上の衝撃を与えた。
死。それはついこの間まで身近にあったもののはずだった。私の人生は血にまみれ、そして呪いに埋め尽くされてきた。だが、息子と暮らしていくうちに私は血の臭いを忘れ、そして、死を忘れた。いつしか当たり前の死は私の周りから消えてなくなった。
だから、油断していたのだろう。身近な死というもの、それがもたらす感情というものを。
『そ、あなたのとこにも来たの……』
『ってことは、あんたのとこにも来たのね?』
『えぇ、いつも通りだったわ』
キリシュタリアの訃報を知らされた後、ぺぺから電話がかかってきた。どうやら、彼のところにもキリシュタリアは来ていたようだ。ぺぺは現在、任務によりロンドンを離れているそうで、移動中の列車で急にキリシュタリアが前の席に座ってきたというのだ。
『ロンドン市街の病院で入院しているって聞いたからそりゃびっくりよ! 紅茶吹き出しちゃった!』
『私の場合は突然、家に現れたわよ、あいつ。10数年ぶりだっていうのに、優雅にリビングで寛いでいやがったわ』
『ふふっ、自由で彼らしいわね……』
「自由……? あいつが……」
『見方は人によるでしょ』
私から見ればキリシュタリアといえば生真面目で堅物な典型的なリーダータイプといった印象だったが、ぺぺから見たキリシュタリアはどこか違ったようだ。人それぞれに捉え方が違う。そんな当然のことを人はなかなか受け入れようとしない。藤丸とマシュが殺されたのだってそれが原因だ。カルデアの人間にとってかけがえのない存在だったとしても、他の者から見れば害悪でしかない。そんな不条理がこの世界では蔓延っているのだ。
『あの子、寂しがり屋だからね、最後にみんなに会いたかったのよ』
そう言って、ぺぺは電話を切った。あのキリシュタリアが寂しがり屋。実際に私の眼の前にあいつが現れなければ笑い飛ばすような話だ。だが、今日、話した彼の雰囲気は以前よりもずっと柔らかく、そして儚げで何かを憂いているようだった。
生きる事と死ぬ事は表裏一体。生がある以上死というものは付いて回り、生物を苦しめる。程度の差こそあれ人間どもにとって死というのは根源的恐怖そのものだ。
だが、私は死なない。生物であれば必ず存在するはずの死がない。その事実が私と他の生物たちを大きく乖離させるのだ。私にとって死とは考える必要のないことだった。いつまでも生き続ける私にとってそんなものを考えたところで、何の意味もないからだ。
だから、私にとって死というものは他人事だった。それが身近な人間の死でなければ。
知らない間に薄れていたのだ。この幸せな生活のせいで。
息子と過ごしたこの10年がいつまでも続くものだと。
人間である以上、息子もいつか死ぬ。
それは60年後かもしれないし、30年後かもしれないし、はたまた明日かもしれない。
いずれにせよ、いつか私にとって遠くない未来で息子は死ぬ。
それが私にはたまらなく怖い。
今日、キリシュタリアが死んだ事でその恐怖はより一層私の意識に焼き付いていく。
また、私は一人だ。果てのない荒野を一人彷徨い続けるのだ。
「なんか、悩み事あるなら聞くよ?」
余りに私が落ち込んでいるからか、息子が心配してくれる。それはありがたかったがその温もりもいつかなくなるものだと思うと途端に身体に悪寒が走る。
「……大丈夫よ。それより、あんた折角、ご飯作ったんだから、ちゃんと食べなさい……」
何とか取り繕うが、自分でも声に覇気がないのがわかる。感情がそのまま表に出る性格を今は呪うしかない。
「そりゃちゃんと食べるけどさ……そんな顔している人が目の前にいたら呑気にご飯なんて食べてられないでしょ」
「別に普通よ……」
「僕の知ってるぐっちゃんはいつももっと綺麗だよ。さぁ、観念して話しなよ、何でも聞くよ」
「……今日はやたらと押しが強いわね……」
「そりゃ、最後の日だからね」
「……最後……ね……」
その言葉が胸に突き刺さりながらも私は観念して、息子に事のあらましを話す。思えば昔は反対に私が息子の悩みを聞く側だったなと思い出す。
「……昔の仲間が死んだの」
「それってぺぺさんとかカドックさん?」
「いいえ。あんたは会った事ないはずよ。私でも会ったのは相当前だし」
「そうなんだ……でも、それは辛いことだね」
「ええ……それで、思い出したのよ。また、私は一人になるんだって……あんたもいずれ死ぬ……そうなったら私はまた一人……そう思ったら急に怖くなって……」
息子は黙って私の話を聞いてくれていた。息子には私の正体を明かしてある。私が不老不死の体現者であることも。だから、私が今までどんな境遇にいたのかも知っているのだ。
悩みを明かしてアドバイスを求めているわけじゃない。何かを伝えたかったわけでもない。ただ聞いて欲しいだけなのだ。
その後も30分近く、同じような話を私は息子に話し続けた。息子はただ時折深く頷いて私の話を聞いていてくれた。
やがて、私が思いの丈を話し終え、言葉が途切れると息子がゆっくりと口を開く。
「……ぐっちゃんってやっぱバカだよね」
「な!? なんでよ! 私はこんなに悩んでるのに!」
予想外の言葉に思わず声が裏返る。まさか息子にバカよばわりされる日がくるとは思いも寄らなかった。
「誰がバカよ! この、すっとこどっこい! あんたの方が余程、バカよ!」
「小学生じゃないんだから……はぁ。ぐっちゃん、そもそもそんな事で悩む必要なんてないってことだよ……」
「……どういう意味よ……?」
全くもって要領を得ない私に息子はやれやれといった様子でかぶりを振る。その仕草が何だかむかつくが素直に息子に答えを求めた。
「だって、ぐっちゃんはもう一人じゃないじゃん」
私の質問に息子はさも当然のように答える。なんで私がその事に悩んでいるのか本当にわからないかのように。
「ぐっちゃんの周りにはもういっぱい人がいるよね。僕はもちろん、ゴルドルフおじさん、ぺぺさん、カドックさん、他のカルデアのみんな、近所のおばちゃんたち……それにお父さんとお母さん……兎に角、昔と違うんだからそんなこと悩む必要ないよ」
「でも、あんたたちが死んだら……」
「僕たちの子供を見守って」
「え……?」
「子供だけじゃない、孫もひ孫もひひ孫もその後もずっと見守ってよ。僕のだけじゃなくて、ゴルドルフおじさんやカルデアの人たちみんなの家族を見守って」
「……でも」
それは良いことではない。カルデアの面々はともかく息子がこれから築き上げていくような普通の家庭に何らかの異常が関わる事は支障をきたしかねない。
正直、これから先、私は息子と会う回数をできるだけ減らそうと思っていた。息子が歩む輝かしい道に私が入る余地はないと思っていたからだ。息子がこれから活躍すれば、公の目は増える。そこに私が映りこめば、何が起きるかわかったものではない。
だから、息子の提案を否定しなければならない。これ以上、私が息子と関わりを持ち続けてはいけない。
わかっている。わかっていても、言葉が続かない。思っている事が言葉にできない。
心が否定するのだ。理性で捏ねくり回した言葉を。
言いたくない、と。
息子と離れたくない、と。
心がそう言っているのだ。
「……」
「ぐっちゃん、これから恥ずかしい事言うよ」
返答できず固まっている私を見かねてか息子はどこか照れ臭そうに前置きして、私の目を真っ直ぐ見ながら、言葉を紡いでいく。
「どんなに離れってたって僕たちは家族だ。これからもずっと、僕が死ぬまで……いや、僕が死んでからもずっと、僕たちは家族だよ。僕が死んでも僕の子供たちがいる。ぐっちゃんはおばあちゃんだ」
息子はそれから、未来の話を続けた。プロ野球で日本一になる、結婚する、子供が生まれる、子供が二十歳になる、その子供が結婚し、息子の孫が生まれる……そんな、普通で当たり前の未来を……異形である私がその未来にどう関わって欲しいのか、息子は本当に楽しそうに話した。
「……僕は明日家を出て行くけど、それでさよならってわけじゃない。毎日は無理でも、定期的に連絡するし、試合も見に来て欲しい。ぐっちゃんには僕の家族としてずっといて欲しいんだ……いいだろう?」
「……」
その問いかけにゆっくりと頷く。息子はその反応にうれしそうに笑った。余りにうれしそうに笑うので照れ臭くなって、思わず軽口を叩く。
「……あんた、私みたいなのを子孫と関わらせようなんてどうなっても知らないわよ。自ら、子孫に呪いをかけるなんてバカみたい」
「ははっ! ぐっちゃんみたいな呪いなら大歓迎だよ」
項羽様、長恭、私と一緒にいれくれた人たちは今までもいた。でも、彼らは自らの子孫を私と関わらせるつもりはなかったようだ。
それは私を思っての事だろう。人間嫌いである私に自分が亡き後まで関わらせるのは良くないと気を遣ってくれたのだと思う。
それは本当に有難いし、彼らの気遣いには感謝したい。彼らの生きた時代に安寧なんてものはない激動の時代だった。それ故に私のような異形が人間といれば間違いなく不幸になると思ったのだろう。
だけど、息子は違う。私を自分の子孫に縛りつけようというのだ。
こんな私に自分の子供を守って、と。
「……約束するわ。あんたが死んでも絶対にあんたの子孫にも呪いをかけてやる」
「うん、頼んだよ、ぐっちゃん」
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次の日。
朝、早くに出かける息子を見送りに起きると、既に息子は起きていて庭で素振りをしていた。
ベランダの窓を開けてそれを見ていると懐かしさが胸に溢れる。中学生の頃の息子もこのベランダで必死にバットを振っていた。当時は身体も小さくて、バットを振っているというよりはバットに振られているといった惨状だったが、今では素人目で見てもわかるほどに一級品のスイングをしている。
暫く見ているが息子は一向に私に気づかない。それほど集中しているということだ。だが、このままではいつまでもやってそうなので、私は声をかけた。
「おーい、いつまでやってんのよ」
「あれ? ぐっちゃんじゃん、おはよう」
「えぇ、おはよう。何時だっけ?」
「7時半の電車だから、15分には出るよ」
「そ、朝は?」
「うーん、飛行機で食べるよ」
「そ。じゃ、コーヒーくらい飲んできなさい。最後なんだし」
「うん。あ、ブラックだからね」
「わかってるわよ」
コーヒーを入れている間に息子は部屋に戻り汗をかいたTシャツを脱ぎ捨てて、出かける準備を始める。この何年間か続けた当たり前の光景も今日が最後だと思うと一抹の寂しさを覚える。
10分後、準備を終えた息子がリビングに戻ってきたので、コーヒーをマグカップに入れて出してやる。それをソファに並んで座って飲む。
「やっぱり、ぐっちゃんの入れたコーヒーは美味しいね」
「当たり前よ」
「これももう暫くお預けか……」
「……いつでも飲みにきなさい」
「うん……近くに戻る度によるよ」
「それは来すぎよ、バカ」
「えぇ、そうかな」
こんな風に何でもない話を続けているといつのまにか出かける時間になってしまった。息子が残りのコーヒーを飲み干し立ち上がる。
「そろそろ行くよ」
「送るわ」
「うん」
私も立ち上がり先に玄関に向かう、息子を追う。
「……」
息子の背中はとても大きく感じた。ついこの間まではあんなちびっちゃかった癖に。身長も既に180はゆうに超えているだろう。
「じゃあ、行ってくるよ」
「えぇ、行ってらっしゃい」
「寂しかったら、いつでも連絡してきていいからね」
「ふん、そのセリフそのまま返すわ」
軽口を言って互いに笑いあう。そんな日常が好きだった。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ドアが閉まる。このドアを開けるのは暫く私、一人だ。
「……さてと、洗濯でも干しますか」
今日は快晴とテレビでも言っていたし、良い洗濯日和だ。晴れているならたまには自転車に乗ってちょっと遠いスーパーにでも行ってみようかしら。
運良く、そのスーパーの広告が入ってないかしら、と郵便入れを開ける。残念ながら、入ってはいなかったが気になるチラシが一枚目に入る。
「お、いつものとこ、今日、特売じゃない」
いつかも言ったようなつぶやき。そんなつぶやきも流されるように私の日常は今日もすぎていく。
読んで頂きありがとうございました! ここからは溜め込んだ分連続投稿していく所存です!
宜しくお願いします!