大切な人達はみんな、いなくなる。
それが私の運命だ。
不老不死という存在である以上、それは必然。だがそれを受け入れられるかは別の話。
項羽様との別れを思い出すと今でも悲しみで身が震え、それを引き起こした劉邦への殺意が身体中に満ちる。
長恭との別れを思い出すと当時は気恥ずかしくて言えたものではなかったが友情の大切さを思い知る。
後輩、藤丸立香との別れは唐突で受入れるのに随分と時間がかかった。この世の理不尽さを嘆き悲しんだ。
そして、藤丸の息子、つまり後輩の息子との別れ、それは私にとって最初の3人とはまた違った感情をもたらす。
家族が死ぬのだ。一緒に人生を歩いた子が死ぬ。
2千年以上生きていたとしても、経験したことのない痛みを私に与えることだろう。
だが、それを避ける事はできない。息子が人間である以上、寿命というのは必ずある。それから逃れることなど人間という枠に収まる限り不可能だ。
もうすぐ、息子は死ぬ。その寿命を使い果たし生涯を終えるのだ。
それを私は見届ける。それこそが私の役目だから。
******
「おじい様、お休みなさい!」
「あぁ、お休み、また、明日」
無邪気な笑顔を振りまき手を振る孫へ身体を無理に動かし手を振る。歳をとると簡単な動作ですら途方もない努力がいる。
日課の孫への本の読み聞かせですら、疲労が蓄積されていく。もう妻か息子へ頼んだ方がいいかもしれない。
ベッドの横にある台に置かれた絵本を見てため息をつく。この絵本が孫へと読んであげられる最後のものになるかもしれない。
老いというのは平等にやってくる。どんなに身体能力に優れた者であっても老いれば見る影もなくなる。
皺だらけの自分の手を見ると、ますます感傷的な気分になる。
僕はプロ野球選手だった。高校からプロの世界に入り、そこから20年余りをその世界で過ごした。プロという世界は魔境だ。いるのは全員天才と呼ばれた男たち、その天才達が僅かな枠を争うのだ。結果が出れば称賛され、出なければ非難轟々、常に競争の日々だった。
その中でも僕は何とか生き抜き、最後の最後までプロとして認めて貰えた。2千本安打も打ったし、日の丸も背負った。
だが老いた今となってはそんな栄光はどうだっていい。今の僕にとって1番大切なのは残された時間を家族とどう過ごすかだ。
妻にはたくさん迷惑をかけた。野球で頭が一杯の僕をずっと支えてくれた。
子どもは3人いて、一人は男で後の二人は女だ。息子とはよく肩身の狭い思いを分かち合ったものだ。そんな3人の子ども達も全員結婚して、子供もいる。僕にとっての孫であり可愛くて仕方ない。よく孫バカと言われるが知ったことではない。
下の世代だけではない。妻の母、お義母さんもまだご健在だ。齢100歳を超えてもまだまだ元気でこの間も漬物を孫たちと一緒に作っていた。お義父さんが亡くなられた時もあの人の分まで生きないと、と意気込んでいたがこのままでは僕の方が先に逝ってしまいそうだ。
そして、僕の育ての母……虞美人についてだが、彼女については言うまでもない。今も変わらぬその姿で時折、僕の前に表れる。一般人である孫たちの前に出るわけにはいかないので、昼間は姿を表さないが夜になるとフラッと僕の部屋へとやってくる。
どうやら、今日はその日のようだ。閉まっていたカーテンがいつの間にか開き、満月が僕の部屋を照らしていた。
「やぁ、元気かい?」
「えぇ、お陰様で。……あんたは元気じゃなさそうね」
「ははっ……まあね」
出会った頃と変わらず彼女は若く、そして美しい。黒を基調とした出で立ちに紅い目がよく映える。だが、いつもはルビーの様に輝いている瞳は何故か陰りを見せていた。
虞美人。仙女である彼女は数千年を軽く生き、僕の想像を遥かに超える人生を送ってきた。僕の父と母と出会うまでは人間とほとんど関わりを持とうとしなかったという。
そんな彼女だが、父と母が何者かに殺された際は代わりに僕の事を育ててくれた。
あの子供時代を僕は今も鮮明に覚えている。二人で過ごしたあの温かい時間、あの時間こそが僕にとっての家族の証明だった。
「全く、あんたも随分としわくちゃになっちゃって」
「一ヶ月前とそんなに変わらないだろう?」
「さぁ、どうかしらね……また、絵本読んでたの?」
「あぁ、日課だからね……読んであげようか?」
「遠慮するわ。子供じゃないもの」
そう言うと、彼女は豪快にベッドの端に座り、僕を見下ろしてくる。僕を見る目はどこか悲しげだった。
「ガキンチョ共は元気?」
「元気も元気だよ。可愛くて仕方ない」
相変わらずこの人は素直じゃない。直接は会うことはできなくてもどうせ遠くで見ている癖に。もう少し僕が若ければからかってやるのだが、今の僕では彼女と無駄話する元気もない。
「みんな、元気さ……」
そう、僕、以外は。
昨年、癌を患った。どんなに頑張っても1、2年だそうだ。それを医者に聞かされたときの衝撃は今でも忘れられない。頭をバットで殴られたときの方がまだマシだったかもしれない。病気というのは本当にどうしようもないものでどんなに身体を鍛えたところでなるときはなるのだということを思い知らされた。
「……」
僕の様子を見ると、彼女は黙って僕の方に寄ってくる。どうしたんだろうと思って様子を伺っていると、その華奢な腕のどこにそんな力があるのかという力で抱きしめられる。
「ちょ……! 苦し……!」
「うっさい。大人しくしてなさい」
弱々しい抵抗も虚しく跳ね除けられると彼女は今度は私の薄い頭を撫で始める。まさか、この歳で頭を撫でられるとは思いも寄らなかった。
「……もう子供じゃないよ」
「お馬鹿。70歳なんて、まだまだガキンチョよ」
「そりゃ、貴女と比べればそうだろうけど……」
「……もう、ぐっちゃんとは呼んでくれないのね」
「……言ってるじゃないか。もう、子供じゃないって」
僕は歳をとった。そして、その生涯を終えようとしている。
反対に彼女は歳をとらない。僕が死んでも彼女はこれからも生きていくのだ。
どうしたって時間の感覚というものはズレが生じる。人生が二桁で終わる者と4桁の者とではどうしたって齟齬が出るに決まっている。
若いとき、実感できなかったそのズレは今になって確かな壁として僕と彼女の前に立ちはだかるのを感じた。
きっと彼女もそう感じていると思っていた。
でも、違った。彼女にはそんなものどうでもよかったのだ。
「だから、私もあんたなんかただの子供よって言ってるでしょ」
ぎゅっと、さらに僕を抱きしめる力が強まる。
「どんなにしわくちゃになったって子供よ……私にとって、あんたは昔と変わらず大切な子供なのよ」
懐かしい温もり。ずっと前、まだ子供の頃、この温もりが僕を包んでいてくれた。当時は当然のようにあったそれは大人になって決して当然のものではないという事を知った。
大人から子供へこの温もりを与える事がどれだけ難しい事なのか、自分がその立場になってやっと気づいたのだ。
「だから、今だけよ。好きにしなさいな」
その言葉がきっかけだった。
気づけばとっくに枯れていたと思っていた涙が溢れ出す。
「……ぐっちゃん……まだ、僕は死にたくない……」
「うん」
「何で死ななくちゃいけないんだ……何で皆と別れないといけない……」
涙で服が汚れようと構わず彼女は僕を抱きしめてくれた。
「まだ、生きていたい……子供たちを見届けたいし、孫たちとも遊びたい……妻と一緒にいたい……まだ家族と一緒にいたいんだ……」
決して家族の前では表に出さなかった弱音。それが濁流のように口から吐き出される。その度に自分が彼女にとってはまだまだ子供なのだということを思い知らされる。
「……それに、まだぐっちゃんと話していたい……」
「うん、私もよ……」
老いた男が若い女にすがりついて泣き喚く。その異様な光景を満月の光が照らす。
それはまるでスポットライト。この空間、この世界には二人しかいないかのように僕たちを浮かび上げる。この空間でだけ、僕は再び子供になるのだ。
「……約束、覚えてる?」
「えぇ、もちろん……あんたが死んでも、あんたの家族は絶対に守るわ」
「うん、頼んだよ、ぐっちゃん」
僕が微笑むと彼女も目を細めて笑ってくれる。喜怒哀楽をずっと共にしてきた僕らだが、やっぱり1番多いのは一緒に喜び楽しく笑った事だ。
足音がこちらへ向かってくる。足音からして、孫のようだ。遊び足りなかったのだろうか。
彼女もそれが聞こえたのか僕から離れると立ち上がる。
「そろそろ行くわ」
「うん、そうだね……ありがとう、ぐっちゃん」
「どういたしまして……」
窓へと向かう彼女をできるなら止めたかった。でも、僕のこの身体は満足に動きそうもない。なら、せめて何か彼女に一言、伝えたい。僕の生涯への感謝を込めて。
貴女のお陰で生きてこれたと。
貴女がいたから僕は頑張れたのだと。
伝えたい。貴女に精一杯の感謝を。
「ぐっちゃん!」
まだ僕にこんな声が出せたのかと思う程な声を張り上げ、彼女を呼び止め、振り向く彼女に言葉を投げ放つ。
「また、会おう、絶対に」
そんな一言に彼女はクスリ、と笑うとまたね、といって部屋を出た。
出る瞬間に彼女は何か一言、言っていた。どうせ彼女の事だから気恥ずかしく面と向かって言えなかったのだろう。
彼女には悪いがその言葉は僕の耳にも届いていた。
だがその言葉が何かは僕の胸に閉まっておこうと思う。僕が一人胸に噛み締め墓まで持っていく。
何故ならその言葉は僕にくれた他でもない最後の言葉になるかもしれないから。
ご丁寧に彼女はカーテンまで閉めていった。満月の光は遮られ、僕らの世界は終わりを告げる。スポットライトは役割を終え、僕は再び子供から大人へと戻る。
もうすぐ孫がやって来る。いつまでも子供じゃいられないのだ。
「お祖父様! 絵本読んで!」
「さっきも読んであげたじゃないか」
「もう一度! 続きが読みたい!」
「そうかそうか、じゃあこっちへおいで」
「うん! ……あれ、お祖父様、良い事でもあった?」
「ん……? どうしてだい?」
「何だか凄い嬉しそうだから」
「……あぁ、あったとも……とても嬉しい事がね」
「じゃあ、その話をしてよ!」
「絵本はいいのかい?」
「うん、お祖父様の話が聞きたい!」
「そうかい……じゃあ、話そうか、僕の大切な家族の話を」
そうして、僕はぐっちゃんとの日々をゆっくり話し始めた。
孫にもそんな子供時代を過ごして欲しいと願いながら。
*******
私と話したその一週間後に息子は逝った。まるで眠るかのように安らかな死だったそうだ。
不思議と涙は出なかった。もう長くないと覚悟を決めていたからだろうか。だが、泣かないからといて悲しいという事ではない。もう、どこを探したって息子はこの世界にはいない。そう考えるだけで心が切り裂かれる。でもそんな気持ちも時が立つ頃には慣れ、息子が死んで2年が立った今では息子の死を受入れる事ができるようになった。
こうして、息子の命日に墓参りできるくらいには。
「あんたが死んで2年か……」
夜の墓といえば定番の心霊スポットだろうが、私自身がそういう異常現象である以上、幽霊なんて怖くも何ともない。
虫の音と月の光が心地良い。自然の力というのは凄い。どんなに精神的に傷ついていたとしても、その場に身を置くだけで癒やしてくれる。
「……」
墓参りをしていると、思い出す。藤丸とマシュの墓参りを息子とした時の事を。正体がばれたら不味いのでその墓は別の人間の名前になっていたが息子も小さいながらに理解していたのだろう。神妙な顔持ちで墓の掃除を手伝っていた。
とはいっても、昼間にも誰か来ていたのだろう。私がするところといえば、精精、摘んできた花をさして、水を墓にかけてあげるくらいだった。
それも終わって今、私は墓の前にある小さな階段に腰掛けて月を眺めていたところだった。
息子と最後に話した時も月が綺麗な時だった。スポットライトのような月の光に照らされて子供のように泣く息子を抱き締めていた。
月というのはどこか神秘的だ。私のような異形に力を与える事もそうだが、こうして一人でいると、隣に息子が座ってくれてるんじゃないかと思えてくる。
「皆、いなくなったわね……」
ゴルドルフもカルデアの奴らも皆、死んでしまった。クリプターも全員、私を残して逝ってしまった。
そして、息子が死にこの100年の内に知り合った者は全て旅立った。
でも、まだ私には役目がある。やらなければいけないことがまだあるのだ。
「全く、世話がやけるんだから……」
ふと、虫の音と共に足音が聞こえてくる。よもや、こんな時間に人が来るとは。ひっそり気配を消して様子を伺っているとこんな声が聞こえてきた。
「お父さん、怖いよう!」
「ははっ! 大丈夫、幽霊なんていやしないさ」
聞き覚えのある声。でも、どうしてここに。混乱しているうちに声の主がこちらへとやってきてしまう。慌てて、近くにあった大きな木の陰に身を隠す。
やって来たのは息子の家族たち。息子の長男とその妻、そしてその娘だった。
面と向かって会ったのは長男がまだ5歳の頃が最後。妻と娘とは会った事もない。
「でも、貴方、何だか怖いわ」
「何だ、おまえもか……でも仕方ないだろ? 父さんの遺言なんだから」
「……」
あいつめ……何歳になったって悪戯好きは代わりはしないのか……
気づいたから良かったもののあのまま鉢合わせしていたらどうするつもりだったのだろうか。いや、あいつのことだからそれも折込済みの上でこの悪戯を仕掛けたのだろう。
きっと私と自分の家族を無理やり関わらせようとしたのだ。
月を見る。今頃、あいつは悪戯大成功と丸い月の上で笑っているだろう。
「……藤丸とマシュには会えたかしら」
あんたの家族なら私が見ていてあげる。
だから、あんたはあの二人と幸せにね……
幸福に満ち溢れた声がする。
それはどこにでもある家族の光景。
でも、後輩の息子は生前その光景を見ることは叶わなかった。
だから、あの世くらいでは……
私は願う。願い続ける。月に願い続ける。
あの子に、幸せを、と。
ご愛読ありがとうございました!
書けなかったときもあって、読んでくれてた人には迷惑をかけてしまい申し訳なくあります。でも、感想とお気に入りが力のとなって最後まで書くことができました。
良ければ、最後の総評として感想貰えると嬉しいです!
ありがとうございました!