身体に大量の雨がぶつかり、進もうとすると、強い風が壁のように行く手を阻もうとしてくる。それに構わず、私と後輩の息子は全力で走っていた。
「ぐっちゃん! 待って、待ってよ!」
「早く! 奴らが来る!」
「奴らって誰!? いきなりどうしたの! なんで急に家を飛び出して……
「後で説明する! 今はいいから走りなさい! 死ぬわよ!」
奴らにおチビ、藤丸とマシュの息子の居場所がばれた。
奴らはあの二人を殺すだけで飽き足らず、その血を受け継ぐこの子までも手にかけようとしているのだ。
人理修復を成し遂げたあの二人。端から見れば文句無しの大英雄だ。世界から賞賛されてもおかしくはない。
だが、現実はそんなに甘くはない。彼らの偉業は人理修復の余波によりなかった事にされ、全ては夢へと帰った。
そのはずだった。だが、奴らは違った。奴らは許さなかったのだ。あの二人を。
数々の時代を渡り歩き、世界を揺るがす力を持つカルデアの主戦力であったあの二人を。
だから、殺した。あっさりと。それが正しいかのように。正義は自分の方にあるかのように。
「すまん! 奴らに君らの居場所を抑えられた! すぐに逃げてくれ!」
かつてのカルデアの所長、ゴルドルフ・ムジークから緊急の電話があったのは今から10分前。午前0時を超えた直後だった。声からは普段の愚鈍さなんて感じられない真剣さが滲み出ていた。
事態の深刻さを受け止めた私はすぐに後輩の息子を起こし、着替えもさせずに家を
出た。
その直後だ。家が爆発したのは。
何らかの魔術だろう。家は一瞬にして燃え上がり私と後輩の息子が作り上げたものを灰にした。
だが、ショックを受けている場合ではない。ほうけている後輩の息子の手を引っ張って、街を走る。
道には人もいないし車もない。人払いの魔術だろう。この調子では開けた場所に出てもこの調子だろう。
逃げ場はあるのか……? 嫌な思考が頭をよぎる。振り払おうとするがそれはヘドロのようにへばりついてとれない。
そんな時、上着のポケットに入れていたスマホが振動する。こんなときにと思いながら見ると、ゴルドルフ・ムジークからだった。
『無事かね!? 虞美人くん!?』
「えぇ! なんとかね、おチビも大丈夫よ」
『それは良かった! いや、君らの家が爆破されたと聞いて、心底、肝が冷えたよ』
「……私たち、これからどうすればいいの?」
私一人なら、どうにでもなる。今までだってこんなことはたくさんあったし、それを退ける術を私は身につけている。
だが、今回は違う。これは防衛戦だ。私の横を必死に走る小さな少年を守るための。
私一人が生き残るのでは意味がない。
勝利条件はただ一つ。後輩の息子を守り抜く。それだけだ。
『今、私たちの手のものが車をそちらに走らせている。それと合流してくれ! 今、合流地点のマップを送る!』
すぐにデータが送られてくる。さすがに人間世界に入り込んでいたおかげである程度の機会の操作は慣れた。
マップを開くとここから3kmほどのところにマークがつけられている。おそらくそれ以上近づくと人払いの影響で合流できなくなる可能性があるのを恐れたのだろう。
「おチビ、おぶるから乗りなさい!」
「え!? わわぁ!!!」
素っ頓狂な声をあげる後輩の息子を担ぎ上げ、おぶると私はマークのついた方向を目指して駆ける。3kmなんて精霊である私にかかれば大した距離ではない。
「ぐっちゃん、早すぎ! オリンピックでれちゃうよ!」
「喋らない! 舌噛むわよ!」
後輩の息子には私の正体は伝えていない。もし知れば私と暮らすことを拒否するかもしれないから、ゴルドルフがそう提案したのだ。
いちいち正体を隠すのは面倒くさかったので、当初はうんざりしたものだが、今ではそれで良かったと思う。私が人外の怪物だと知ればさすがの後輩の息子も今まで通りとはいかないだろう。
(……戦えば、正体を明かすしかなくなる)
それは避けたい。今の私は心からそう思っている。
まだ、この子と一緒にいたい。
まだ、この子と共に生きていきたい。
まだ、この子の成長を見守っていたい。
心からそう思っているから。
でも、そんな思いは簡単に吹き飛ばされる。
最初に感じたのはわずかな気の乱れ。
私が自然から生気を吸収する精霊でなければ気がつかないほどのわずかな乱れだ。それを察知し、私は慌てて、その場で跳躍する。
と、同時に先ほどまでいた場所が爆発した。
「うわぁ!!」
背中にいる後輩の息子が叫ぶが構っていられない。連続で跳躍する事で的を絞らせないようにし、たまたまあった橋の下に身を隠した。川はこの土砂降りで増水していて、今にも足が浸かりそうだったが少しの間だったら、大丈夫だろう。
「……面倒ね」
さっさと姿を表せばいいものを。ちまちまとせこいったらありゃしない。大方、そばにいる私を警戒しての事だろうが、随分と的を射た事をしてくれるものだ。
「ぐっちゃん、大丈夫?」
「……楽勝よ、こんなの」
「……うん」
おっと、いけない。不機嫌が顔に出ていたか。これでは後輩の息子が怖がる。現に私の服の袖を指でつまんで不安げな顔をしているではないか。私は慌てて彼の頭を撫でてやる。
「アンタは私が守る。約束するわ」
「うん。ありがと……でも、もう一つ約束して」
「……何よ?」
「絶対に僕の前からいなくならないでね」
藤丸立香。マシュ・キリエライト。彼の両親は突然、彼の前からいなくなった。何の言葉もないまま、何も残す事もないまま、彼に心の準備をさせる事もなく、いなくなってしまった。彼は怖いのだろう。また、大切な人がいなくなるのが。
それを感じとった瞬間、心の奥底でポワァとした何だか良くわからない感情が浮かんだ。いや、何だかわからなくはない。ただ気恥ずかしいだけだ。柄にもなく、私がそんなことを思うことが。
誰かに大切な人と思われる事がこんなに嬉しい事だなんて。
もうそう思うことなんてないと思っていたのに。
「……ありがとね」
「……ぐっちゃん?」
「ううん。何でもないわ」
藤丸、マシュ、ありがとう。
私にこの子を守らせてくれて。
私にもう一度あの気持ちを思い出させてくれて。
本当にありがとう。
「おっと、いたいた、見つけましたよ」
さっきまで誰もいなかったはずのところにその声の主はいた。その男は流れの強い水の上を歩いていた。服装はまるでどこぞの執事のように燕尾服を身にまとい、手にはステッキ、頭にはシルクハット、といかにもな格好をしていた。歳は50を迎えようかというところでこの場に不釣り合いな柔和な笑みを蓄えた白ひげの下に浮かべていた。
「……!!」
「え!? あの人、浮いてるよ!?」
見つかった! いや、それ以上にどうしてこいつは姿を現した。さっきまでは影一つ見せなかったくせに。なぜ、今更になってノコノコ、出てきたのだ。
「不思議そうな顔をしていなすな、虞美人さん」
「……こちらの調べはついてるってことね」
「もちろんですとも! あなた方は強敵だ! 下準備もせずに勝てるとはとてもとても……」
「下準備が済めば勝てるっていいたいわけ……?」
「そう聞こえましたかな?」
にっこり、とその男は笑う。こいつは駄目だ。経験上、戦闘の場でこういう風に笑うやつは二種類いる。単なる馬鹿か余程の自信があるかのどちらか。こいつは間違いなく後者だ。
私たちはこの橋の下に誘い込まれたのだ。だから、こいつは姿を現した。絶対に勝てると確信して。
後輩の息子を後ろにやり、どこから攻撃されてもいいように戦闘態勢をとる。
「そんなに身構えないでくださいよ。別に取って食おうってわけじゃない。私はね、交渉をしにきたんです」
「交渉?」
「そう、交渉です。虞美人さん。その子を私たちに。私たちはその子に危害を加えたいわけじゃない。わかりますね?」
男が指を鳴らした途端、大量の気配が私たちを囲む。姿は黒子のような格好をしており、一人一人気配は弱いが、数がとにかく厄介だった。
「今、ここで戦えば、あなたは無事かもしれない。ですが、その子はどうですかな?巻き込まずに戦えるとお思いで?」
これは交渉なんかじゃない。ただの恐喝だ。後輩の息子を傷つけたくなければ、私に戦うなと言っているのだ。
「ぐっちゃん……」
私の服を手に取り、ブンブンと頭を振る。
「嫌だよ……あの人たちについて行きたくない……」
涙が溢れ出し、顔をくしゃくしゃにしながら、後輩の息子は消え入りそうな声で彼はそう言った。
それが私の決意をますます固めた。
「当たり前よ、馬鹿ね」
彼の方を見ることはできない。でも、わかる。守るべき者がそこにいると。何に変えても守らなけれならないの者がそこにあると。
「お断りよ。あんた、臭いのよ。嘘の匂いがプンプンするわ」
男をキッと睨みつけ、拒絶を示す。だが、男はニヤニヤと笑うばかり。それどころか、余裕綽々にステッキをこちらに向け、開戦を宣言した。
「……そうですか。それでは仕方ない。後悔しないように祈っております」
突如、川の水が逆巻く。まるで竜巻のようにその水は渦を巻くと一直線にこちらに突っ込んできた。
後輩の息子を抱き上げ、すぐにその場から離れる。だが、それは相手も想定内。黒子の姿をした男の部下が一斉に魔力の弾を放つ。
「ぐっっっ……!!」
「ぐっちゃん!!」
「かすり傷よ! あんたは目、つぶってなさい!」
後輩の息子をかばわなければならない為に、どうしたって、攻撃に当たらなければならない時もある。この時ばかりはこの身体で良かったと心から思う。
「これでもくらいなさい!!」
傷つけられ、飛び散った血液を剣のようにして、黒子たちに放ち、直撃する。だが、黒子は直撃するや否やその姿を木の枝に変えてしまう。
(植物を自分の人形に変えていたのか……!!)
わかってはいたが、相手はかなりの手練れだ。それでいて、必ず勝てるという確信を持つまで、姿を現さなかったことから実力への慢心もない。こちらから近づかない限り奴のほうからは決して近づいてはこないだろう。だが、
こちらから近づきたくても、かばっていてはとても剣など振るうことはできない。完全に相手のペースに呑まれている状況だ。
「さあさあ、本番はここからですよ!!」
また、先ほどと同じ気の乱れを感じる。その場を全力で退避すると、さっきまでいたところがまたしても爆発する。だが、それを目視で確認している余裕はない。避けたところに川の水が大量に殺到する。
「この……!!」
血液をドームのように張り、自分と後輩の息子を守る。ドンッという衝撃が響くが貫通することはない。これならしばらくは時間を稼げるはずだ。
今のうちに救援に連絡を入れようとするが、繋がらない。
「クソッッ……このポンコツ!!」
これだから機械は嫌いよ。肝心な時に役に立たないんだから。
(兎に角、ここから逃げる方法を考えないと……)
今の状況じゃはっきり言って分が悪すぎる。完全に相手の手の平の上だ。戦ったところで守り抜ける可能性は低いだろう。
これがタイマンなら簡単だ。不死の身体を利用して、正面突破すればいいだけの話だ。だが、それをすれば間違いなく後輩の息子が無防備になる時間ができてしまう。それでは駄目だ。
どうすればいい。はっきり言って戦術を考えるのは苦手だ。だって、この身体があれば戦術も戦略も知ったこっちゃない。突撃して血の剣を振り回せば、それで終わりなのだから。
「ねぇ、ぐっちゃんは人じゃないんだよね?」
「え?」
その質問は唐突に後輩の息子から放たれた。私が一番聞かれたくなかったことだ。
言うべきなのだろう。いつまでも隠すことなんてできない。遅かれ早かれ言うことになっていたのだ。
だが、言いたくない。言ったら全てが終わる。
トラウマが蘇る。あの目が私を見ている。
自分と同じ者でない者を見る目。蔑みと忌避に満ちた私の大嫌いな目だ。
その目でこの子に見られる。見られてしまう。
「……」
「……いいよ、言いたくないなら今は聞かない……でも、いつか聞かせてね」
私はそれに返事をしない。肯定の返事をすることができない。
恐怖で口が動かない。
「あ……あ、あのね、おチビ
「……ねぇ、ぐっちゃん」
「え?」
「僕が囮になるよ」
頭が真っ白になる。後輩の息子の方からそんな提案がくるなんて、思いもしなかったから。私は思わず大声を上げる。
「……何、言ってんのよ! 囮になるってあんた意味わかってんの!?」
「わかってるよ! でも、あのおじさんが狙っているのは僕だ! だったら僕も戦わないと!」
「何言ってんのよ! あんた、まだ子供なのよ! 死んだらどうすんの!」
そうだ。あんたに死なれたら私はどうすればいいんだ。藤丸とマシュに顔向けもできないし、何より私はこの先どうやって生きていけばいいの? いつ終わるともしれぬこの生を。また、私は一人で生きなければいけないのか。
そんなのは、そんなのは絶対に嫌だ。
だが、突然の提案に混乱し悩んでいる私を後輩の息子はまっすぐ見据えると、立ち上がり、叫んだ。
「……確かに僕は子供だよ! でも、関係ない。そんなのは関係ない! 僕は子供である前にお父さんとお母さんの息子だ! 藤丸立香とマシュ・キリエライトの息子なんだ! だったら、戦わないと。戦って示さないと! 僕があの二人の息子だって事を!!」
……そして、藤丸は一歩一歩私に近づいてきて、手をとった。
「だから、ぐっちゃん、僕を囮に使って。ぐっちゃんなら、その間にあの人倒せるでしょ」
私は何をしているのだろう。守るべき対象はとっくに覚悟を決めているというのに。自分の正体がばれそうな事に一喜一憂して。馬鹿は一生治らないというが正にその通りなのかもしれない。私は項羽さまが死んでから何も変わっちゃいない。何も、だ。自分の事ばっかりで、これで保護者面とか笑わせる。本当の本当に馬鹿野郎だ。
だから、今、変わろう。今、変わるしかない。この子が誇れる大人であるために。
「おチビ、手伝って……あいつを倒すわよ!」
「うん!」
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あの二人が血のドームに立てこもってから10分が経過した。そろそろ中の酸素がなくなってくる頃だ。水面に気を張り巡らせ、どこから出てきてもいいように身構える。
本来なら、自分があの精霊から勝ちを収める事は困難を極める。魔術師である自分がサーヴァントに勝つ事なんて限りなく不可能に近い。
だが、今回の勝利条件はあの精霊を倒す事ではない。あくまでも、藤丸立香の息子の殺害が今回の勝利条件だ。それならば、勝つ確率はグンッと跳ね上がる。
ひたすらに攻撃を仕掛け、相手を防戦一方に仕向ける。そうすれば、いつかは勝ちが訪れる。なにせ藤丸立香の息子は一般人だ。魔術師でもなんでもない。耐えきれず、やがて絶命する事だろう。
ほら、水面に泡が出てきた。奴らが血のドームを解いた証拠だ。黒子にいつでも魔力の弾を放つ準備をさせる。
「……プハァ!」
最初に出てきたのは藤丸立香の息子。迷わず、黒子に引き金を引かせる。虞美人は恐らく、自分の命を取りにくるだろう。それを警戒した私がまず罠を警戒して、様子を伺うと予想して最初に藤丸立香の息子を上に上がらせたのだ。
だが、精霊よ。残念だったな。
目的のためなら自分の命など惜しくもない。
それが人間であり魔術師という生き物なのだ。
「撃ちなさい!!」
号砲ともに、弾丸が炸裂し、水しぶきがあがる。とても普通の人間が耐えられる威力ではない。
終わった、勝ったのだ、私は。
「私の勝ちだ!! 人理の救済者!」
「いいえ、あんたの負けよ」
ザクリ、と背後の声と共に自分の身体から音がした。何かが終わった音だ。下を見ると赤い剣が自分の胸を貫いていた。だが、目的は果たした。この命などくれてやる。
「えぇ、いいですとも!! くれてやりましょうとも!! 目的を達成したのだ! 命くらいくれてやりますよ!」
「……残念ね、魔術師。私たちの勝ちよ」
「何を馬鹿な……完全に殺しました。ならば、私の勝利だ! 私の目的はただ一つあの子供の殺害! 自分の命など最初から計算に入れておりません!」
そうだ。何を言っている。タイミングは完璧だった。威力も十分。ただの子供が耐えられるはずがない。だからこその確信。絶対の自信を元にした一撃。それをどうしてこの女はそんな表情で私を見るのだ。なぜ、そんなに勝ち誇った顔をしているのだ。
「ただの子供ね……無理もないわ。私もついさっきまでそう思っていた」
「……何?」
徐々に水しぶきが晴れていき、女の言葉と合わさり違和感に気付く。水が赤くないのだ。あの子供の鮮血で染まるはずの水は先刻と何もかわっていないのだ。
そして、違和感は確信へと変わる。
影が見える。子供の影だ。その子供はこちらを見ていた。紛れもない戦士の目で。
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「そんな、馬鹿な……!! なぜだ!! なぜ、無事なのです!?」
現実を認識し、失敗したことに気づいて、魔術師が叫び出す。勝利の余韻は全てまやかし。とてもではないが受け入れられるものではないだろう。自分の命を文字通り差し出してまで、得ようとした勝利なのだから。
魔術師はうわごとのように嘘だ、嘘だ、と言いながら、徐々に目から生気が失われていく。精神的にも肉体的にも甚大なダメージを受けた身体が生きる事を諦めようとしていく。
魔術師の作戦は途中まではほぼ完璧だった。自分のフィールドに誘い込み、カルデアとの連絡手段を封じ、波状攻撃で私に防戦一方を強い、追い詰められて、強引な手に出たところに止めの一手を打つ。
だが、最後の一手。その一手を誤った。そのために勝利を取りこぼしたのだ。
「あんたの敗因は作戦を立てるのにあの子をただの子供としてしまったこと。もしあんたの計算通り、私だけが戦っていたら、間違いなくあんたが勝っていったでしょうね。でもね、残念ながらあの子はただの子供じゃない。藤丸立香とマシュ・キリエライト、つまり、人理の救済者の息子なのよ。そんなのが普通なわけないじゃない」
あの子はただの子供ではない。そんなのは魔術師だってわかっていたはずだ。何故ならこの男があの子を殺そうとしたのは後輩とマシュの息子だからだ。
人理の救済者の息子。その異質さゆえに命を狙ったのだ。その時点であの子はただの子供ではない。
それなのに魔術師はあの子をただの子供と認識してしまった。
それは奇しくもかつての藤丸立香と対立してきた者と同じ失敗。
ただの人間が何も力を持たないと思ってしまったがゆえの末路なのだ。
「あの子を戦力として数えなかったこと、それこそがあんたの敗因よ」
その言葉と共に男の胸を串刺しにした剣をそのまま袈裟切りし、命を断つ。生を失った身体は水の上に立つ術を失い、水中へと堕ちていった。
「ぐっちゃん!」
後輩の息子が戦闘が終わったのを見届けて、こちらへと泳いでくる。大気を操る事で宙を浮ける私は彼を水から引き上げ、陸へとあげる。
「ぐっちゃん、怪我はない!?」
「それはこっちの台詞。本当に大丈夫だった?」
「うん、シオンおばちゃんからもらったこのお守りのお陰だね!」
そう言ってポケットから取り出したのはビー玉でも入っているかのような小さなポーチ。10歳の誕生日にシオンが送りつけてきた代物だ。何でも、かつて後輩が着ていた魔術礼装を元にして作り上げたものでどんな災いからも守ってくれるものらしい。子供になんてものを送りつけてくるのだ、あの女は。
「……まさか、本当にやり遂げるなんてね」
「えへへ、大成功だね」
作戦はいったて、シンプルだった。魔術師に後輩の息子を狙わせ、その隙に私が魔術師の命を断つ。言うのは簡単だし、実際、上手くいった。でも、お守りの効果が本当にあるかどうか、あるとして攻撃に耐える事ができるかどうか、後輩の息子が攻撃に直撃する勇気があるかどうか、等やってみないとわからない事が多々あり、最悪のケースも十分にあった危険な作戦ではあった。
「ほんと、良くやったわ」
頭を撫でてやるとまるで猫のように嬉しそうな声をあげ、はにかむ。さっきまでの勇ましさどこへやら、その姿はどこにでもいる子供だった。
「……さてと、そろそろ、ゴルドルフ達と合流しましょうか。さっきからスマホがひっきりなしに振動しているわ」
さっきの魔術師が倒れた事で他の追っ手も引いたのか、電波が繋がるようになったのだろう。溜まっていた電話履歴が一斉に押し寄せてくる。
見ると、その全てがゴルドルフからのものだった。私は電話をくれてやると、ワンコールで繋がり、中年男の野太い声が響く。
『無事かね!? 二人とも!?』
「大丈夫よ。おチビもピンピンしてるわ」
『ほんとかね!? 怪我は!? 怪我はないのかね!?』
「擦り傷はあるけど、それ以外はなんともないわ。それと、追っ手は引いたみたいよ」
『……そうか。良かった……本当に良かったよ……』
電話越しでも涙声が後輩の息子にも聞こえたのか彼が代わって、というので、言う通りにしてやる。
「おじさん、僕だよ!」
元気に彼が出ると、オーオー、と泣く、養豚場の豚が出すような声が耳に入る。よほど、心配だったのだろう。うんうん、と頷いて話をきいてやる後輩の息子を見ていると一体、どちらが大人なのかわからなくなる。
「うん、じゃあ、このまま合流地点に向かうね!」
5分後、そう言って後輩の息子が電話を切る。
「じゃあ、ぐっちゃん行こう!」
「えぇ」
彼の手を取り、橋の下から出る。いつの間にやら嵐は止み、星と月が私たちを出迎えた。
「お月様、綺麗だね」
「そうね」
そう答えたものの月の綺麗さを見ている余裕は今の私にはなかった。
私には言わなければいけないことがある。でも、それを言ってしまえばどうなるか。想像しただけで手が震える。今までの経験が言う事に対して拒絶反応を起こしているのだ。
あぁ、嫌だ。自分に腹が立つ。もうこの子だって私が人間でない事はわかっているのだ。あとはそれを自分から伝えるだけの筈なのに。それでも、自分から正体を明かすのにここまで怯えるなんて。
思い出せ。先の戦いのこの子の覚悟を。強大な敵に立ち向かった勇気を。思いだすんだ。
「……ねぇ、あんたに言わないといけない事があんだけど……」
手の震えは止まらない。
それでも、言う。言わなければならない。
この恐怖なんて、さっきのこの子の行動に比べれば矮小にも程がある。
「……私は人間じゃないわ」
「うん……」
握る手が一瞬、ピクンッと反応する。その反応に私の心はますます震え上がる。
虐げられてきた記憶が私の心を蝕む。恐怖という黒色が私の身体をがんじがらめにしようと這い回る。
(言え……! 言うのよ!)
でないと、この子と暮らしていく資格はない。この純粋な子を騙して生活していくなんてもう私にはできない。
「精霊…… 私は精霊なの……」
言ってしまった。これは分岐点。この子に拒絶されれば、私はまた一人。一人、いつ終わるとも知れない旅路を行かなくてはならない。
居場所。居場所が欲しかった。
誰かと一緒にご飯を食べたい。
誰かと一緒に寝たい。
誰かと一緒に同じ家に住みたい。
誰かと一緒に生きていたい。
人間にとって当然ののような願い。多くの人が叶えているような些細な願い。
それが私はたまらなく欲しい。
それがこの子と一緒にいた数年間で知った私の願い。
その願いを私は今、自分の手で切り捨てるのかもしれない。たまらなく怖かった。
沈黙が包む。辺りには誰もいない。私と後輩の息子だけ。星と月が私たちを見守るのみ。
この子は何を思っているのだろうか。一緒に暮らしていたのが人外の化け物だったなんて知って。彼は今、私の顔をじっと見て、何を考えているのか。
「……やっと、言ってくれたね……」
「え?」
やがて、彼が話し始める。それは私には予想外のものだった。
「知ってたよ、結構前からぐっちゃんが人間じゃないって」
「嘘……」
「……嘘じゃないよ。何年も暮らしてきたんだから、それくらいわかるよ。ぐっちゃん、他の人と違うもん。立ち振る舞いと考え方とか」
「そんな……何で言ってくれなかったのよ!」
さっきまでの悩みはなんだったのか。悩んでいた私が馬鹿だったということなのか。半ば逆ギレ気味で、後輩の息子に詰め寄る。だが、息子はそれに物怖じすることなく、逆にこっちに詰め寄ってくる。
「ぐっちゃんこそ、何でずっと言ってくれなかったんだよ!! 言ってくれるのずっと待ってたのに!」
「……だって! だって……!!」
それ以上を切り出そうとするも言えない。言葉にすれば、本当の事になってしまいそうで。
「どうせ、人間じゃないってばれたら僕が怖がるとか思ったんでしょ!? どれだけ僕の事信用してないんだよ! 僕はお父さんとお母さんの息子だよ! お父さんとお母さんがぐっちゃんの事怖がった事なんてあるの!!」
……そうだ。そうだったじゃないか。あの二人が私を軽蔑した事なんてあったか。あの私の大嫌いな目で見た事なんてあったか。
ない、あるわけないじゃないか。
あの二人はいつだって私を私として見てくれた。
その息子をどうして私は信じる事ができなかったんだ。
「ごめん……私が悪かったわ……」
気がつくと、私はまた泣いていた。この子の前で泣いたのは二回目だ。
「あはは! ぐっちゃん泣いてる!」
「うっさい! 泣いてないわよ!」
「いや、それは嘘でしょ!」
気がつけば、笑っていた。泣きながら笑っていた。
初めてだ、こんな感情。嬉しいのに涙が出る。そして、止まらない。
私たちは二人で歩いていく。
星と月が照らす道を。二人で歩いていく。
星や月だけじゃ見辛いかもしれない。どこかで転んでしまうかもしれない。
でも、大丈夫。大切な人が近くにいて手を握ってくれるから。
私は、私たちはこの道を歩いていける。必ず。