何か叶えたい願いはないの?

何か叶えたい願いはないの?

何か叶えたい願いはありませんか?

何か叶えたい願いはないの?

1 / 1
あああくまさま

 年も明け、我が家の恒例行事である大掃除により慌ただしく皆が動き、家中をほこりが舞っていた。

 

 私はほこりを吸うとせきこんでしまうので、外にある物置を率先して片付けた。

 

 最後に、いらないものをかき集めて、これはいるか、それとも捨てるものなのかと言う会議を始めた。

 私の家族は皆淡白な性格で、大抵の物はばっさりと切り捨てられた。

 

 その中に、奇妙な手鏡があった。

 

 中央の鏡は綺麗な円形をしているものの、それを覆う黒い縁があまりに不規則な形をしているので、なかなかに禍々しいものとなっていた。

 

「これはいらないだろう」

 

 私は即座にそう判断した。

 しかしながら、家族全員がそれに反対した。

 

 全員と言っても、父と母、それに居候(いそうろう)の桃子だけであったが。

 

「それはあなたが拾って来た物でしょう」

 

 母はそう言って、横目で桃子を見た。

 私もつられて斜向かいに座る桃子を見たが、尖った耳と尖った尻尾を生やした少女に、特段おかしな点はなかった。

 

「ああそうか、思い出した」

 

 すっかり忘れていたが、彼女はこの手鏡から出てきた悪魔だった。

 もう長く一緒に暮らしているせいで、すっかり意識からぬけ落ちていた。

 

 

 

 

 それは私が小さな頃。

 確かランドセルを背負っていたから、小学生だったか。

 

 奇妙な手鏡を道端で拾ってきた。

 それを部屋に置き夕食を食べていると、2階にある私の部屋のドアが開く音がして、誰かが階段を降りてきた。

 

 リビングに平然と表れたのは、へんてこな見た目をした少女だった。

 

 尖った耳、尖った尻尾、まっすぐに流れる長い黒髪。

 顔立ちは日本人とは違うのかもしれないが、この頃からこうだから、見慣れてしまってよく分からない。

 

 とにかくそんな少女が、勝手に家に上がり込んでいるというのに、母は「あら」とだけ言ってもう一人分食事を用意した。

 

 夕食を囲みながら、その少女に事情を聞いたところ、自分が悪魔なのだと言い張った。

 

「私は冥界から来た悪魔なの」

 

 私が拾ってきた鏡が冥界とやらに繋がっていたらしく、そこからこの珍妙なものが出てきてしまったらしい。

 

 食事が終わり部屋に戻ると、その悪魔は私の後を付いてきた。

 

「なにか用か」

 

「それは私が聞きたいの。何か叶えたい願いはないの?」

 

 どうやら彼女は願いを叶えてくれるそうで、叶えられない願いはないと言う。

 

「その代わり、願いを叶える度にあなたの魂をいただくわ」

 

「ならば金をくれ」

 

 この悪魔を信頼していなかったので、あしらうようにそう言うと、彼女は急にそっぽを向いた。

 

「欲に塗れた願いね。やっぱり願いを叶えるのは止めたわ」

 

 ほら見たことか。

 願いなんて叶えられやしないじゃないか。

 

 こうしてそっぽを向いた悪魔は、日がな一日ごろごろと暮らし、やたら飯を食う居候へと落ち着いた。

 

 気づけば両親は彼女を桃子と名付けていて、私もつんとした猫が一匹増えたくらいにしか考えていなかった。

 

 

 

 

 それから何事もなく暮らしていたが、私が中学校に入った最初の夏に、母が倒れた。

 父は仕事終わりに毎日母の入院する病室に行っていて、ほとんど家にいなくなった。

 

 母の容態は良くないのであろうと、父の様子から推測できた。

 私は気持ちが落ち着かず、母の顔を故人のように思い浮かべるばかりだった。

 

 すがる藁もなしに淀んでいると、我が家の悪魔が目に入った。

 

「おい桃子。願いを聞いてくれないか?」

 

 桃子は黙ってこちらに顔を向けたので、私はそのまま願いを伝えた。

 

「母の病気を治して欲しい」

 

「それが自分の魂の一部を捧げてまで、叶えたい願いなの?」

 

「そうだ」

 

「わかったわ」

 

 桃子はそう言うと、なにか特別な力を使った気配も見せないまま、テレビをつけていつものように自堕落になり始めた。

 

 ああ、向かいの老夫婦が庭に撒いた、除草用の藁にでもすがればよかった。

 

 

 

 

 翌日、信じがたい事が起きた。

 

 母の病状がけろりと良くなったのだ。

 病気は治ったのではなく、消え去ったらしい。

 担当医はその非現実的な出来事に驚き、私の母が重い病気をまだ患っていた昨日と言う日を疑っていた。

 

 これを機に、桃子の力は本物なのだと確信した。

 そして桃子にも変化があった。

 

「あなたは悪い人間ではないようね」

 

 長く一緒に暮らしていたので、私が悪意に塗れた人間ではないのだとわかっていたのだろう。

 桃子は私を信頼したらしく、前みたいに横柄な態度を取らなくなった。

 

 私としても、野良猫が懐いたみたいで、彼女に可愛げを感じていた。

 

 

 

 

 桃子の私への態度は、以前と比べると別人のようであった。

 ずっと一緒にいるせいか、随分仲良くなったからかもしれない。

 私の話を相槌を打ちながらよく聞き、隣にいて欲しい時は横にいてくれる。

 

 16歳にもなると、外見は私の方が年上になったので、桃子を妹のようにあやした。

 そういう日常の中で、桃子は時々聞いてきた。

 

「何か叶えたい願いはないの?」

 

 その時は叶えたい願望がなかったので、いつも「ない」とだけ答えていた。

 

 ふと、願いを叶え続けた場合、最後にどうなるかが気になった。

 

「願いを叶えるには、魂の一部を代償とすると言っていたが、魂をすべて捧げるとどうなる」

 

 その質問に桃子は丁寧に説明した。

 

「悪魔は元来ここには存在できないの。ここに存在し続けるには人の魂を喰らう必要があるわ」

 

 人の魂を取り込む事で、その人の寿命分、冥界に帰る日を遅らせる事が出来るらしい。

 

「なら君は私の魂を喰うつもりなのか」

 

「いいえ、私はあなたを喰らうつもりはないの。あなたの魂を持って、冥界に帰りたいだけだから」

 

 私の魂が相当お気に召したのか、彼女は夢見心地でこんなことを語った。

 

 冗談じゃない。

 どちらにせよ、私は死ぬという事ではないか。

 

 そうはさせてなるものか。

 

 

 

 

 高校に入り、日常を満喫していたが、友人からは付き合いが悪いと言われていた。

 それはその通りで、私は学校が終わるとすぐに帰宅し、桃子とばかり遊んでいたからだ。

 

 最近の桃子は私に願いを聞く頻度が増えてきている。

 

「何か叶えたい願いはありませんか?」

 

 今の彼女からは、どこか必死さが見て取れる。

 

 しかし桃子があまりに下手(したて)に出るものだから、なんだか面白くなってきた。

 

「願いならある」

 

「なんでしょう」

 

「お前の唇にキスがしたい」

 

「それは、悪魔の力を使わなくても叶えられてしまいます。それではあなたの魂をいただくことはできません」

 

「願いを聞いてきたのは君だろう。もしかして嫌なのか」

 

「いいえ。わかりました」

 

 そのまま体を寄せてきたので抱き寄せると、柔らかい体の曲線にぎゅうと力が入るのが感じられた。

 全く抵抗しない桃子に、唇を重ねると、徐々に体の力が緩まった。

 

 一度唇を離すと、今度は桃子の方から顔を寄せてきて、また唇がかさなった。

 

 私というろくでもない思春期の男は、桃子が願いを乞う度、こういう悪戯をしていた。

 桃子もますます嬉しそうに身をすりよせてくるものだから、時には抱いてやったりもしたものだ。

 

 

 

 

 この頃になると、桃子が私に対し、一人の男として好意を抱いているのだと確信していた。

 それは嬉しいやら、おかしいやらで、とにかくもっと桃子に悪戯してやりたくなった。

 

「同級生にとても美しい子がいてね。中学が同じで、一時期同じクラスだったんだが、最近ひょんな切っ掛けで仲良くなった」

 

 そう自慢げに話すと、桃子は「そうですか」とだけ言って少し俯き、悲しそうにするだけだった。

 私に好意を抱いているのなら、てっきり感情的にでもなるものと思っていたので、これは面白くなかった。

 

 ならばと思い、今度はその同級生と2人で遊びに行くのだと伝えた。

 

「そう……ですか。早めに帰ってきてくださいね」

 

 すると桃子は、そう言ってまた難しい顔をするのであった。

 

 

 

 

 私がたぶらかすふりをしていたのが、佳代(かよ)という同級生。

 美人だが派手さはなく、室内で居るのが似合う少女だった。

 彼女とは中学の時も同じ学校で、お互いそれとなく声を掛け合う仲だ。

 

 これは桃子に気を揉ませるにちょうどいいと思い、週末空いているかと尋ねると、驚いた後に恥じらうような仕草をして「いいよ」と短く答えた。

 するとすぐに佳代は友人の元へ駆け寄り、やいのやいのと始めたものだから、これはやってしまったと思った。

 

 私は彼女とどうこうなるつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 週末に佳代と出掛けたものの、公園をただ歩いたり、出店を見つけては買って食べたりと、おおよそ男女のすることではなく、友人同士のようであった。

 

 それでも佳代は、なんとか私に自らの気持ちを悟らせようと、女性らしく振る舞っていた。

 

 それがなんとも不器用で、いじらしくて。

 桃子と重なって見えた。

 

 これはもう駄目だと思い、夕方ごろには佳代と別れることにした。

 

 悲しそうな佳代の表情を見て、謝ろうか迷ったが、これからは彼女に気を持たせないよう立ち回ればよいと考え、なにも語らなかった。

 

 

 

 

 家に帰り、自室に戻ると桃子の姿がなかった。

 どうせいつものようにうだうだとした後、どこかで眠りこけたのだろう。

 

 母が夕食を用意した頃になっても、桃子は姿を見せなかった。

 これはおかしいと言う話になり、家族総出で屋中を探していると、突然母が泣きだした。

 何事かと見に行くと、その先には桃子が来た冥界と繋がる歪な手鏡が落ちていた。

 

 その黒い手鏡は、鏡の部分が割れていた。

 

 桃子が必死になっていたのは、時間がなかったからだった。

 ひび割れた鏡を見ると、もう冥界に繋がっていないのが分かる。

 桃子が冥界に帰ってしまったのだとしたら、もう会う事はできないのであろう。

 

 自分のことながら馬鹿だと思う。

 私は桃子を愛していたのだと、今更ながらに気がついた。

 

 

 


 それから1月ほど経ったが、私はなにをするにも身が入らなかった。

 

 そんな中、佳代から呼び出され、男女の交際を申し込まれた。

 

 私は桃子を忘れることができない。

 佳代には悪いが、ここは断ろうと口を開くと「わかった」と言って頷いていた。

 

 どうやら私は、自分が思っていた以上に薄情な奴らしい。



 

 

 そうして始まった佳代との交際であったが、私は彼女を好きというわけでもないし、進展などないはずだった。

 

 しかし、佳代から何かを頼まれると、どうしても「わかった」と答えてしまう。

 そうしてずるずると関係が続いていた。

 

 そんなある日、佳代から結婚を申し込まれた。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 私たちはまだ学生だ。なにより私にその気はないのだ。

 

 そう思って口を開くと、これまた不思議と「わかった」と答えてしまった。

 

 佳代はというと、「叶った。全部叶った。私の願い」と言って、涙を流し喜んでいた。

 

 そんな光景をぼうっと見ていると、彼女は私の目をじっと見上げてこう問うた。

 

「何か叶えたい願いはないの?」

 

 答えはもう決まっていた。

 

「君みたいな、尖った角と、尖った尻尾を持った、へんてこな悪魔と、いつまでも一緒にいたい」

 

 ただ嬉しそうに、小さな体で私にすりよる彼女の様子からは、もう前みたいな焦りは見られなかった。

 

 桃子は佳代の魂を喰ったのだ。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。