今夜どうやってスニーキングミッションを成功させようと悩んでいると、(もちろん顔には出さずに、だ)コハクが妙にクッション性のよさそうな背負子を持っているのに気付いた。
「コハク、それなに?」
「ああ、これか。なに、船に乗りきらなそうだったらこれを使えと千空が持たせてくれたものでな」
何故クッション性を上げたのか? ……硝酸とか復活液用か!
「大樹に君を運ばせ、その君が軽い嵩張る物を持てば一番合理的といっていたぞ」
「千空ー! 私をなんだと思ってるんだー!!」
思わず村の方角に向かって叫んでしまった。
ていうか本当になんてことをしでかしてくれたんだ。
これでスニーキングミッションの成功率が馬鹿上がりしたじゃないか。
氷月、口元隠してても笑いこらえてるの分かるんだぞ!
どうせなら笑えよ! ここで笑っても貨物扱いな私に対してとしか誰も思わないよ!
実際皆笑ってるしな!
「これは、アレかな。千空君としては、彼女に勝手に動いて欲しくないって思ってるって事かな?」
「いや、千空は桜子の好きに動け、ただ弱点の体力は自覚しろという事ではないか」
「単純に脚が遅いからじゃないのかねえ」
好き勝手言われてる気がする。
「とりあえず、これを使うかどうかは荷物の量によるので、荷物の整理をお願いしますね」
「使わないとは言わないんだねえ」
ええい、悔しいが確かに私は脚が遅いし、船の積載量に限界がある以上ない選択肢ではないのだ。
それに、助かったというのはあるしね、ありがたく使わせてもらおう。
他の皆に気づかれないようにほむらにメモを渡すのは存外苦労した。
だが、すごいなあの人。実は忍者の末裔なんでは?
見事、氷月に自衛隊のソナーマンの警戒網を潜り抜けさせたよ。
「ええ、私の最も信頼するちゃんとした人ですよ、彼女は」
「今度、面と向かって言ってあげたらどうです? 女は男が期待するほど察してはくれませんよ」
「これは手厳しい、ぜひそうさせてもらいましょう、桜子君が協力者になってくれればね」
くつくつと笑いながら言いやがって、割と本気だぞ。
当たり前って思って労いとかしないのは一番駄目なパターンなんだからな。
「それで、君がこれに乗って、私が運べばいいので?」
まさか本気じゃないですよねとでも言いたげな雰囲気だが、こんな作戦を立てる羽目になった原因はそちらにあるのだ。存分に責任取ってもらいましょう。
「私が歩いて羽京さんの警戒すり抜けられるとでも?」
「はあ、子供一人分ならどうとでもなりますがね。
暴れないでくださいね、追ってこられたら殺さないわけにはいきませんから」
それをやられたくないから手紙を無視せずにメモを苦労して出したんだよ。
わざわざ、その苦労を無にするわけないだろうが。
「そのへん容赦しないだろうなって思ったから、おとなしく指示に従ってるんです。
そっちこそあまり揺らさないでくださいよ、吐かない保証できませんから」
「努力しましょう」
そう言って背負子に私を固定し、担ぎ上げる氷月。
……こういう場合は普通背負子を背負ってから私が乗るんじゃないのか?
そう言えばこの世界のオリンピック記録見てないな、見とけばよかったかもしれない。
赤枝の騎士団の入団試験を突破するような化け物が意外といたかも、この世界。
そんな全く関係ないことを考えつつすごい速度で過ぎ去っていく景色を眺めたのだった。
「さて、到着ですよ。下ろしますのでね、少し待ってください」
あっという間の到着である。
月明りもろくに届かない森の中をよくもまあ迷わずにこれるものである。
意外と揺れなかったのでそう言う歩法も修めているんだろう。
「では、話し合いを始めましょうか。人類の明日の為の、ね」
「ええ、始めましょう。人類の為に、ね」
ここからの話し合い次第で決まるのは私の生死ぐらいだ、気楽なものである。
……? 気楽なはずなのに、なぜ私の手は震えているのだろう。
「まずは私の方から話しましょうか、招待したのは私ですしね」
そう言って語り始めるの氷月の目には確かな狂熱が宿っていた。
「数千年前この地球に降りかかった石化現象、それはいったいなんだと思います?」
「医療事故。医療用に開発していた技術の暴走によるものだと私は思っているわ」
半ばわざと彼の意とする事から外れることを言う。
ちなみにもう半分は本気だ、じゃなきゃ暗闇の中で人間が何日も正気を保てるはずがない。
「面白い意見ですね、ですが私の言いたいことはそれではない。
アレは人類の選別、間引きの為だった。そうは思いませんか?」
冷めた目で続きを促す。
「この地球でもはや旧世界のような人口は支えられない、それは今復活した者たち全員がわかっているはずです。ならば、誰を生かすべきか? 当然優秀な者達を生かすべきでしょう!」
ああ、なんとなく理解できた。
きっと彼は、
「脳の溶けた者たちを目覚めさせては、結局その者たちを養うために、優秀な者たちが『奪われてしまうようになる』!今度こそそのような社会から脱却すべきなのです、人類は!」
大切なナニカを奪われ、失ってしまったのだろう。
それが何かは想像もできないけれど、私は彼の言葉に頷くことなんてできやしない。
「凡夫には全員消えてもらう! それが効率的という物でしょう!
石化は人類に与えられた最後のチャンスなんですよ! 君もそう思うでしょう!」
だって、彼は語るべき相手を間違えているから。
「ねえ、優秀って言うけど、基準はどこに置くの?」
「いいですね、実にちゃんとしている。漠然と優秀という言葉に酔うのでなく何を以って優秀とするのか、それを考えられるのは実にいいですよ桜子君」
私の質問に賛同の意を感じ取ったのだろうか、とても喜ばしいといわんばかりの声色でさらに語り始める氷月。
「まずは自分が何をどうすべきかと考えられる思考力、それを実現するために必要なものが何か想像できる想像力、そしてそれを実行できる行動力、一先ずこの三つ辺りでいかがです?」
「新しい何かを考えられる創造力や何かに気づける観察力は? 肉体的な強靭さや指先の器用さは? 芸能や演劇に関する芸術性は? 絵画や音楽の才能持つ人は?」
だが、この質問で勘違いであると気づいたのだろう声が再び厳しいものに変わった。
「一つ目や二つ目はともかくその後のものは重視はできませんね、現状ではですが」
気にせず次の質問をぶつける。
「呂蒙子明の話はご存知?」
「『士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし』の話ですか。
ええ、もちろん知っておりますよ。脳の溶けた連中はほぼ『呉下の阿蒙』でしたが」
ここまで鮮やかに返せるという事はしっかり調べたんだな氷月は。
だからこそ、やればできるはずなのにと思ってしまい尚更許せないのだ。
「じゃあ、次の質問。ジンバブエのことはどれくらい知ってる?」
「せいぜいが酷いインフレーションを起こした通貨という程度ですが……何が言いたいので?」
ああ、やはり知らないのか、否、同じような事例を知っているはずだろう。
「ジンバブエの指導者ムガベの失策や白人農場の強制収用が原因で起きたのよそれらは。
でも、彼自身はジンバブエでクーデターが起きても殺されることはなかったの。なぜか分かる?」
「分かりませんね、そこまでの失政を起こしたという事は脳の溶けた輩でしょうに。
クーデターまで起こしておいて生かしておく理由でもあったのです?」
「ええ、あったのよ。だって彼はジンバブエを白人の支配から解放した英雄だったから。
もし殺してしまったりすれば、クーデター側が民衆の暴動に潰されていたはずよ」
私が言いたい事が分かったのだろう、途端に苦虫を噛み潰したような表情になった。
「今は優秀でも十年先では分からない、という事ですか。
そしてその逆もまた然り、と。君は本当にちゃんとしていますよ、憎らしいほどにね」
「そんなに褒められても憎まれ口しか出ないわよ」
「ええ、でしょうね。ですが、君の意思は関係無いのですよ」
銀線が走った、少なくとも私にはそうとしか見えなかった。
石槍で銀線? と思うかもしれないがそうとしか見えなかったのだ。
そして、その一閃は過たず彼の目的を果たすのだった。
「さて、話の続きと行きましょうか」
その一閃は確かに彼の目論見通りに、彼女の衣服の前側を縦に切り裂いた。
それはすでに衣服とは呼べず、肌を多少隠す程度にしか用をなさない。
年頃の女性であれば耐え難い恥辱であろう。
彼の予想では素肌を晒すことに羞恥を覚え、服だった物を搔き抱いて少しでも隠そうとするはずだった。
「あまり替えの服があるわけでは無いのだけど」
顔色一つ変えずにズレた心配をするのは少々予想外であった。
「ふむ、冷静ですね。これから何をされるか予想出来ているのでは?」
「腹部周りを少しずつ傷つけての拷問でしょ? あいにく痛みは慣れてるの、拷問は悪手だと思うわよ」
この脅しに全くの無反応は大いに予想外であった。
「貞操の危機を覚えろとは言いませんが、もう少し女性らしい羞恥を持ってもいいのでは?
つい先日お説教をされたばかりでしょうに」
「大きなお世話よ、って言うかやった側が言っていいセリフじゃなくない?」
ついつい苦言を呈せばもっともな反論を返された。
なので脅迫者らしく別の事を持ち出す。
「では、こちらは如何です?」
そう言って首筋へと槍先を運ぶ。
そうした瞬間ぶるりと桜子の体が震えた。
「ああ、こちらは効果があるようですね。月並みですがこう言いましょう『従わなければ殺す』と」
しかし、その言葉に反応するでもなく桜子はただ呆然としている。
いや、考え込んでいる? とにかく氷月の声が聞こえていないかのようだ。
仕方なく氷月は少し首筋に刃を立てる。
多少傷つける程度は予定通りと言える、問題はない。
彼女の知識さえ無事であるなら他は気にする必要はない。
「……なんで? なんで私こんなに震えているの?」
なるほど、本当の死への恐怖という物は経験がないようだ。
これならば予定通りに進みそうだとほくそ笑む氷月。
「それが死ぬ事への恐怖ですよ、嫌なものでしょう? 従わなければそれを君にもたらします。
君がいなくなっても千空君がいますからね、君にこだわる必要もない。
もちろん、君が従ってくれるならそれが一番楽ですがね」
しかし、桜子のその後の行動は完全に意味不明なものであった。
「あはっ、あははははは!!」
心の底から本当に嬉しくて漏れ出してしまったという風に笑い出すなど誰が予想できよう。
当然氷月はその笑いが自分を侮辱するものと受け取る。
「黙りなさい、何が可笑しいのか知りませんがとても不愉快です」
先程より深く肌を切り裂く槍先。
その感触に桜子の笑いがようやく止まった。
「ああ、貴方に対して笑ったんじゃないの。ごめんなさいね、ただ私こんなに死にたくなくなってるなんて思わなくて。それが嬉しくて嬉しくて、つい笑ってしまったの、本当にごめんなさい」
首に突きつけられた刃など知らぬとばかりに、ただ喜びの感情だけを見せて心から謝罪をしているようにしか見えない姿は、氷月には不気味な、得体の知れない別種の生命体にさえ見えた。
だからだろう、その耳に最も信頼するほむらの声が届くまでソレに気づけなかったのは。
「氷月様!!」
その悲鳴にも似た声に含まれた警告がなければ、為すすべなくその一撃を受けていたろう。
間一髪、この場で唯一人質として、我が身を守る盾として機能する桜子を確保して後ろに飛び退る。
「まさかのご到着ですね、まるでヒロインのピンチに駆け付けるヒーローじゃないですか、司君!」
そう、その一撃を受けてしまっていれば、如何に氷月といえども動きが鈍らざるを得なかったろう。
氷月にとって先程のほむらの叫びは大殊勲賞物と言えた。
そして当然彼等にとっては千載一遇の機会を逃す致命的な一言であった。
「氷月、その手を離せ。今ならまだ殺しはしない」
「だから言ったじゃねえか! あの女をとっととブチ殺せってよお!」
「バーカ、そしたら桜子が死んでんだろうがよ。あの女を放置して正解なんだよ、この場合」
そして、その後ろから出てくる姿は……、
「千空!?」
「よう、なんでも一人でやりたがる大馬鹿女。今の気分はどうだ?」
千空に率いられた彼女の大切な友人たちであった。