試合は一方的なものになっていた。
マグマは最初の奇襲失敗から一転防御に徹し、コハクの猛攻を受け続けていた。
左、左、右、また左、次は蹴りが脚へ、かと思えば右が頭へ、その速度を生かしてマグマに一切攻撃を許さないコハク。
マグマは完全に防戦一方であり、試合は一方的なものになっていた。
素人目には、だが。
「さてさて、面白い展開といえるでしょうね。どちらに転んでもおかしくない状況ですよ、これは」
言葉通り楽しくてしょうがないのだろう、氷月の声はいつもと比べて大分弾んでいる。
「そうなの? コハクが一方的に攻撃しっぱなしで一方的にしか見えないけど」
「ええ、その点は間違いありませんよ、それこそがマグマ君の狙いでしょうから」
揃って首をひねる二人に氷月は苦笑するしかない。
さすがの千空と言えどもまだ16歳だ、知らない事も多くある。
特に戦い、それも武術などと呼ばれるものには関心を持ってこなかったのであろう。
周囲にはそういう者もいなかったようであるし、分からないのも無理もない。
「コハク君の持ち味は速さの他にもう一つ、眼の良さです。
迂闊に仕掛ければ手痛い反撃を受けるのは必然、それを受けるぐらいならば多少の被弾は必要経費と割り切り、隙を待つ作戦でしょう」
氷月の言葉を聞いてから二人の様相を見れば、確かにマグマにはいくつも攻撃を受けたりかすめたりした跡が見える。
「ですが隙を待つ間に倒されては意味がありません、ゆえに決して勝負が決まるような一撃は受けられない。
彼はそれを防ぐ、あるいは避けることに集中しているのでしょう。自分の手札の中で出来ることとできないことを素早く取捨選択した良い判断だと思いますよ」
そして、同様に大きい一撃は全くと言っていいほどもらわないのだ。
対峙するコハクにもそれは当然理解できている。
牽制を多少当てているだけの現状では必ずや自分の体力の方が先に尽きる事も。
故に、彼女は覚悟を決める。
一歩大きく後ろへと飛び間合いを空ける。
「ふうぅぅー、マグマよ、まさか貴様がここまで我慢強いとは想像していなかったぞ。
認めよう、このままでは私の負けの可能性の方が大きい事を」
そう言うとコハクは姿勢を低く構え、
「故に、切り札を出そう。司にもまだ見せていないものだ、誇るがいい」
一気にマグマ目掛けて飛び出した!
その動きは先の動きと比べてほぼ変わらない程度の速さにしか見えない。
つまり、そのまま受けては大勢が決まる勢いという事だ。
当然マグマは迎撃を選択する。
そして、剣を振るった後信じられない光景を見ることになった。
コハクの姿が、ブレたのだ。
驚愕に体が固まった次の瞬間には全身に感じる衝撃。
発生源は背中、次に地面と叩きつけられた正面側。
追撃を避けるためそのまま前方へと何回も無様に転がる羽目になっていた。
「テメエ、今のは一体……!」
「ゲンが言っていた言葉だがな、『手品のタネをすぐに明かすマジシャンなんていない』。
知りたければ自分で見破る事だ。もっとも、その頃には貴様の負けは決まっているだろうが、な!」
再び走り出すコハク。
慌てて剣を振るうもまたコハクの姿がブレる、そして剣がすり抜け再度地面に叩きつけられるマグマ。
今度こそ試合は一方的になってしまった。
走るコハク、地面に転がるマグマ、防御もままならないまま一方的にダメージを受け続ける。
「さっきからコハクの奴、目の前でいきなり移動速度が変わっていやがる。あんな事されたらたまらねえぜ」
「あれは一体、どんな歩法を参考にしたのでしょうかねえ。武術、いや、まさかスポーツの類? 相手を躱す事が主眼に見えますが……」
呟きながら桜子を見やる氷月。
当の桜子は呆れ返った顔で呆然としていた。
まあ、それも当然と言えば当然だ。
「少し話した漫画の技を再現して実際に使うなんて、誰が予想出来るっていうのよ…」
そう呟いた後、右手で顔を覆う桜子。
彼女が見てすぐに気づいた訳ではなく、氷月と千空の言葉で気づいたのだ。
そして、だからこそそれがそうなのだと分かったのだ。
「デビルバットゴースト……ネタに走るならまさか完成してたの、とでも言うべきかしらね」
頭痛を堪えるような表情で絞り出すように声を出した。
「漫画? デビルバットゴースト? 何の話をしているので?」
「あー、何となく察したわ。つまりあれだろ? 適当に漫画の話をしたら気に入ったコハクが再現しちまった、そういう話だろ?」
沈痛な表情で桜子はそっと頷く。
二人揃って先程の桜子と同じ呆れ返った顔になった。
「漫画の技を又聞きで再現するとは……呆れたセンスですね。関心もしますが同時に呆れかえりますよ」
「いきなり歩幅を変えりゃそりゃフェイントには最高だろうけどよ、普通やろうと思うか?」
「すごい苦労はしてたと思うよ、思い出せば足痛そうだった日も結構多いし」
その努力は凄いと思うし、結果も出しているので文句もつけられないのだが……
「ガキがアバンストラッシュ真似するような感覚でやったんだろ、アイツ」
「意外とノリがいいのよね、コハクってば」
その動機だけは本当にどうにかならなかったのだろうか?
「いえ、勝負の世界では結果が全て。どのような動機であろうと問題になりません。
……そう、結果が全て。確かに今はコハク君が有利ですが、マグマ君はまだあきらめていませんよ」
すでに何度も地面に打ち倒され土埃にまみれているが、マグマの目はまだ死んではいなかった。
何度目かわからぬコハクの走りにまたしても防ぎきれず一撃をもらう。
急所への攻撃こそ防ぎきっているものの、きっと他の部分は青あざだらけの酷い状況だろう。
まったく、厄介な事を教えてくれたものだ。
この当たる直前でブレていなくなるような訳の分からぬ動きを教えたのは、多分だが桜子の方だろう。
千空ではない……接点が少なすぎる。
司でもない、それだったら自分に気づかせないというのはかなり困難だ。
なら、桜子に決まっている。
大方話のタネとしてしゃべったものをコハクがなぜか再現してしまったのだろう。
というかここからチラリと見える表情がそれを物語っている。
(なんだその『あ、やばいかも』っつー顔は)
まさかこの程度で自分が諦めるとでも思っているのだろうか?
あまりこちらを舐めるなという話だ、こんなもん大した事ではない。
要は防ぎにくい所から攻撃されやすくなっているだけではないか、そう考えれば最初の防戦一方の状態が少し悪化しただけだ、大した事じゃない。
厄介だろうがなんだろうがやる事自体は変わってはいないのだ、ならば最初の予定通りやればいいだけ、難しい事など何もない。
実際狙い通りコハクの体力は削れていっているし、思考の方も鈍くなっている頃合いだろう。
ならそろそろ仕掛けるべきタイミングだろう。
そんな事を考えていたせいだろうか、
「この状況で笑うとは、随分と余裕じゃないかマグマ。それとも被虐趣味にでも目覚めたか?」
知らず笑っていたらしい。
どうもポーカーフェイスは苦手だな、師事した片方が悪かったかと心の中だけで呟く。
「はっ! 余裕に決まってんだろ。まさか、テメエのヘナチョコな攻撃で、俺が参ったするなんて夢想してんじゃねえだろう?」
半分は虚勢でもう半分は自己暗示だ、このまま待つだけでいたら確実に自分が倒れる方が早い。
だから挑発する目的も込めて言ってやる。
「言ったな、マグマよ。なら、そのヘナチョコな攻撃をいつまで耐えられるか、見せてもらおうか!」
よし、かかった! 第一段階クリア、とでもいうだろうか、あのチビならば。
後は自分の演技力がコハクを騙し通せるかどうかだけ。
さあ、博打の始まりだ!
威勢よく余裕だと言い切ったマグマであったが、その後もやはり先程と同じ光景を繰り返している。
「あっちゃー、これはマグマの負けかなあ」
「ふむ? 桜子君はマグマ君のトレーニングを見ていたのですよね、彼が勝つとは思わないので?」
「どっちにも頑張ってほしいけど、この状況見せられると、ね」
かたや汗こそかいているものの息が乱れる程度で土のついていないコハク、かたや土まみれ、埃まみれで汚れてない場所がないマグマ。
どちらが優位か一目瞭然である。
「あの技を教えた君なら知っているのでしょう? あれの欠点を。マグマ君のトレーニングはどこを重点的に行いましたか? その二つと現状を合わせて考えれば答えは出せるはずですよ、マグマ君の狙いがなんなのかを、ね」
ゆっくり諭すようにいう氷月の言葉に考え込む桜子。
「……あれ、もしかして」
「気づけたようですね、ちゃんとしていて実に素晴らしいと思いませんか?」
千空も気づいたらしく頭を掻きながら心底意外そうに言う。
「いい観察眼してんじゃねえかマグマの奴、初見のもんを見てすぐに気づけるなんてよ」
そこまで三人が話したところでワッと歓声が上がった。
マグマがついに膝をついたのだ、ここぞとばかりに一気に走り出すコハク。
試合の決着がつく、観客も選手も全員が確信した瞬間だった。
ところでコハクの持ち味として速さの他に眼の良さがある。
ここまでその眼の良さで、マグマの行動の起こりを見切り回避に繋げてきたのだ。
だから、その一瞬のマグマの表情の変化を彼女は見逃さなかった。
自分が走り出したのを見たマグマの口角が持ち上がったその瞬間を。
瞬間でコハクは理解した、これは罠だ!と。
しかし、すでに走り出した自分の勢いは止められない。
だがすぐに思い直す、問題などない。
先程から自分には一発も当たっていない、この走法と眼があればどんな攻撃も避けられる。
その証拠にマグマの肩の筋肉が動くのが分かる、飛び込んできた自分を一撃で気絶させるつもりなのだろう。
随分と力を乗せているらしい左肩に注視し、振るわれる剣をギリギリで回避。
そのままの勢いでマグマの横を通ろうと……
「捕まえたぜ、コハクゥ!!! ああ信じてたぜ、テメエなら俺が笑ったことに気づくってよお!!」
出した脚を、マグマがつかんでいた。
不味い! そう思う間もなく体が宙に浮く感覚、投げられたのだと理解したのはすでに空が近くなってから。
だが、まだだ、投げられ地面に叩きつけられた程度で諦めるほど自分の往生際はよくない!
そうして空中で体勢を整え着地をする瞬間に備えようと下を見た時見えてしまった。
そこは試合会場より遠くの空、真下に見えるのは湖面のみ。
水の民としての本能で体を真っ直ぐにしながらもコハクの頭の中は真っ白になっていた。
そして、試合会場では声が二つ響き渡っていた。
審判のジャスパーの勝者を告げる声と、勝者であるマグマの雄たけびが。