・銀狼の一日
銀狼の朝は早い。
まだ日の登らぬ内に寝床から隣の金狼を起こさぬように静かに抜け出す。
そして昨夜のうちに用意しておいた、簡単に食べられる物を口に放り込み朝食代わりとする。
誰にも見つからないように、誰も起こさないように抜き足差し足で静かに家の外へ……、
「おはよう、銀狼君。今日も早いですねえ」
「うえええ!! 氷月! なんでもういんの!」
「毎朝毎朝早起きして逃げ出そうとすれば当然対策されるに決まっているでしょう、本当に学習能力が足りませんねえ」
そして外で張っていた誰かに捕まり朝練へ。
今日は氷月に捕まり、餌をぶら下げられた平仮名習得みたいにやればできるんですから真面目にやりなさい、などとお小言を貰いながら首根っこひっつかまれて連れられて行く。
そのまま朝食の準備が整うまで型稽古、朝からボッコボコでは見てる方が痛いとの抗議を受けたからである。
朝食の後は朝稽古でフラフラであるため、食休みも兼ねて一時間ほどは座学の時間となる
読み書きには並々ならぬ情熱を燃やすため計算と読み書きの勉強の割合は2:1。
それでも読み書きの成績の方がよいのは明らかにやる気の問題であろう。
座学が終わるとペアを作っての打ち合い稽古。
辛い順に氷月、金狼、アルゴ、その他の村人となるためほぼ毎回アルゴと組もうとするが(他の村人はそもそも組んでくれないため)大体氷月か金狼に捕まる。
「喜びなさい、今日は一日私が見てあげましょう」
「やだー!! 死んじゃう奴じゃん、それー!!」
ここでボッコボコにされるがそこは流石に達人の氷月。
後に残る事は一切なしでただひたすらその場で痛いだけで済むようにしてくれる。
昼食までこれが続き精も根も尽き果てる。
そのため一時間程休憩と自由時間を与えられるが……、彼はそこで大人しく休むようなタマではない。
そっと見つからないように抜け出し遠くへ遠くへと逃げて行くのだ。
おかげで午後は鬼ごっこ(遊びは一切なし)が強制的に開始される。
これによって足腰や注意力、隠密力が上がるという名目ではある。
尚、捜索側の鬼は大分ガチで行うので見つかった場合銀狼は割と酷い目にあう。
それでもまだ逃げ出し続けるのだから別方向に根性があるようである。
鬼になるのは大抵午前の打ち合い稽古の相手であるので本日は氷月が担当。
ほむらの協力はなしであるが……一時間持たず捕まるのが通常である。
「何で僕の居場所がすぐにバレるの〜」
「君の性格を考えればすぐですよそんなもの。もうちょっと工夫を凝らしなさい、私の鍛練も兼ねているのに効果が上がらないではないですか」
捕まった場合ペナルティ付きで夜まで稽古である。
誰が鬼かでペナルティは変わるのだが、金狼やアルゴの場合は実戦形式の試合で何本か取るまで試合づけ。
他の村人の場合日が暮れて皆が夕飯を終えるまで形稽古(横で氷月か金狼も一緒にやるのでサボれない)。
そして氷月の場合は……
「では、いつも通り私に一撃当てるまで打ち合い稽古です」
「やだー! 絶対当たらないじゃん! この間コハクちゃんが初めて当てたって自慢するぐらいじゃんかあ!」
「逃げ出して捕まるからこうなるといつも言っているでしょう? 逃げなければ走り込みと形稽古だけで済むというのに、本当に学習能力が足りませんねえ」
逃げなければ夕飯の支度が始まる頃には切り上げるので、まず間違いなく逃げない方が楽なのだが……彼は懲りない。
今日もボッコボコのボロ雑巾状態になるまで打たれ、冷めた夕飯を食べてからの就寝である。
『辛いよう』とよく彼は愚痴るが、普通にやればそこまで厳しくされない事に気づいているだろうか?
今夜もこっそりと朝食代わりの保存食を隠している所を見るに気づいては無さそうである。
彼の性格矯正が成る日は遠い。
・そ〜らを自由に飛びたいな〜、『気球作るか』
それは何気ない龍水の一言から始まった。
「千空、この辺りの地図はあるのか?」
彼としてはその言葉はきっと油田探索のためとしか考えていなかっただろう。
だがそれに対する千空からの答えが彼の欲望に火がつくきっかけとなった。
「大雑把な、中世の庶民レベルの物だけだ」
「実用には耐えん物だけという訳か、地形の把握は重要だろうになぜ放置を?」
ピクリと眉を動かし不可解である事を全身で示しながらもそれに対する答えは想像がついていた。
「時間と人手の問題だな、分かっちゃいるが後回しにしてもまだ問題がある段階じゃねえって事だ」
「やはり、か。だが、これからも人を増やすのならば建物の建設地の選定に地形の把握は必須だぞ」
「ああ、テメエの言う通りだ。仕方ねえから地図作りに必要な道具を作っていこうじゃねえか」
最もらしく理由を語る二人であるが、その目が欲望に染まっているのが横にいるクロムにはよく分かった。
「待て待てオメーら、人手増えたっつってもやる事も増えてんだから結局余裕なんかでてねえだろ」
「そりゃ確かだな」
このまま暴走させると不味いのでは、そう思って口を挟むクロムに頷く千空。
梯子を外された感がある龍水としては不満を覚えるが、千空の顔を見てその不満を捨てた。
「だが地形の把握はしたい、そういう顔だな千空よ」
「流石船乗りだな、カンが鋭いじゃねえか。つまり、大雑把に全体像を見れりゃいい訳だ」
「?山の上にでも登んのか? それやって俺が地図描いたんだから、あれ以上詳しくは難しいと思うぜ?」
「高い所から見るってのはあってるが山の天辺からじゃそれが限界だろうな、だからもっと近くでそれ並みにすんだよ」
そう応えながら千空の手は忙しなく動き、一枚の設計図を書き上げる。
「気球を作って上からみりゃ地形の把握なんざあっという間だ!」
その言葉に目をキラキラさせ始める二人。
実はこの二人新しい物に目が無いという点で気が合うのかもしれない。
「大量の布が必要って事は、ちょうど杠達がめっちゃ作ってんじゃねえか!」
「はっはー、ちょうどいい! 必要な量を買い取ろうじゃないか!」
「よっしゃ、善は急げだ! 杠チームのとこへ行くぞ!」
「ダメ」
意気揚々と杠の元に来た3人であったが、にべもなく断られてしまった。
「ダメって、もうちょい話を聞いてからでもいいだろ。んなけんもほろろに断らなくても……」
子供が小遣いを欲しがるのを断るかのような一蹴ぶりに気圧されつつも説得を試みる。
だが返って来たのはにっこりとした笑顔と断固たる拒否のみであった。
「気球を作りたいんでしょ? って事はたっっっくさん布が必要だよね?」
「う、うむ、その通りだが……」
「それだけあったら何人分のお洋服作れると思ってるの! ダメったらダメです! みんなのお洋服が先! 急ぎじゃない気球作りは後にしなさい!」
まるでお母さんに遊んでばかりな事を叱られた子供のように小さくなっていく連れの二人。
これでは気球作りが中止になると思った千空は慌てて交渉の矢面に立つ。
「待て待て待て! 地形の把握はいつかしなきゃ不味い事ではあるんだ、遊び目的じゃねえんだから妥協点を出してくれ! 完全にNOってのは勘弁しろ!」
「む〜、そうだねえ……」
悩む杠にまだ交渉の余地ありと安堵しつつも更なる説得の材料を探す。
ふと部屋の片隅に積まれている布が目に入り、コハクやニッキーが織り機の練習をしていた話を思い出す。
もしあの布がそうならば……
「服用の布なら通気性が必要だろ? 気球用なら逆に通気性が悪い方がいいんだ、そういう失敗した奴をくれねえか?」
「まあ、織り機の練習で作ってもらったのとか張り切り過ぎでそういうのも出てるけど……」
杠の目線がその布の山へと動いたのを見て確信する、これならいける!
「そういう奴をあるだけでいい、分けてはくんねえか?」
「まあ、遊ぶのが目的じゃないし、お洋服に使えない布だけなら、いいよ」
「よっし、んじゃ悪いが貰ってくぜ!」
交渉成立ー、とクロムと龍水の二人とハイタッチを交わし大喜びで布を持ち出す3人であった。
「量が、足らねえぇぇ!」
「マジでか!」
杠チームの作業場のすぐ横で布の量のチェックを終えた千空が叫び声を上げる。
結構な量があったように思えた布の山であったが、それでも必要な量には届いていなかった。
「広げる前の気球は見た覚えがないが……、そんなに足らんのか千空?」
「この布の量じゃ精々500立法メートルぐらいだな。んで、男3人乗りって考えりゃせめて2000、悪くても1800は欲しい」
「4分の1って事は……一人分も無理って事かよ!」
「布自体の重さや空気を温める装置を考えるなら、無念だがすぐには不可能と結論づけざるを得んか……!」
残念だが龍水の言う通りすぐに自分達が乗れる大きさの気球作成は不可能だろう。
(ならどうする? 必要なのは布の量、それを揃えるには人手がいる、それも進んで動く連中が、だ。
それをやるには気球の魅力を見せる? 浮かんでいるだけじゃ珍しくも何ともねえ、旧世界じゃアドバルーンもあったんだ。
ならどうやって目新しさを出す? やっぱ乗れるって事に魅力を感じさせなきゃ無理だ。
だが浮力が足らねえ、気球本体の重さを考えたら乗れるのは精々40から45か?
子供ぐらいしか乗れねえ上に一人だけで? 危なっかしいって反対されるのがオチだぞ。
その体重で乗せて有益な結果を出せる奴なんざ……)
「杠ー、必要な洋服のサイズまとめ終わったよー。書類どこ置いとく?」
「ありがと、桜子ちゃん。ちょうど手が空いたから自分で置くから大丈夫だよ」
いた。
「千空? 何でそんな邪悪な顔してるの? ちょっと? どこ連れてくの?」
「いよっし、乗員確保! 気球宣伝作戦練るぞオメーら!」
「「了解だ!」」
「説明してからにしなさい~!」
「なるほど、気球用の布が足らないから魅力を宣伝して、乗りたがる人が増えれば布作りも順調にいくはず……でいいのね」
ラボの前まで拉致られてようやく説明を受けた桜子はその行動力に呆れかえっていた。
「オメーならこの少ない量の布でも飛ばせるだろ、それで興味引けば後は芋づるだ。空を飛ぶ機会なんざ旧世界でもそう多くなかったかんな」
「でも風を読むなんて無理だよ? 素人がぶっつけ本番で動かせる物じゃないでしょ」
最もな疑問だがその程度は想定済みとばかりにチッチッチと指を振る。
「オメーがやるのは火力の調節と周辺地形の記憶だけだ」
「どうゆう事?」
訳がわからないと眉を顰める桜子に千空はニヤリと笑い完成予定図を広げて見せた。
「どうゆう事?」
それを見てこぼしたのは先程と同じ言葉だが意味はまったく違った。
前のものは説明を求めてのものだが今度のは何考えてこうしたのという意味を含んでの言葉だ。
その完成予定図には空気を溜める球皮やバーナーはそのままだが、バスケット部分は狭く一人でいっぱいになる大きさ、リップパネルがなく当然クラウンロープもない、そして異様に長い下側に伸びるロープ、といった物になっていた。
「何でバスケット部分こんなに狭いの?」
「乗せられるのが一人だけだから軽量化のためだな、無理ならいっそ限界まで削っちまえって事だ」
「リップパネルがないんだけど?」
「切り貼りすりゃ当然布面積余計に使うかんな、節約のためだ」
「熱気排出できないんだけど?」
「おう、する必要ないからな」
「どうやって降りるの?」
「分かってんだろ?」
プルプルと震える指でロープを指す。
「引っ張って?」
「yes!」
無駄に良い笑顔で無駄に洗練された発音の英語で答える千空。
「アホかー!! 私は観測気球に取り付けられる観測機器かー!!」
「おう、発想の大元はそこだな。安心しろ、使用高度は50mから100mぐらいの予定だからな。パワーチームの連中なら一人でも引っ張って戻せるぜ」
「何一つ安心できないよ! 少しでもバランス崩したら地面に真っ逆さまじゃない!」
「それを防ぐための安全ベルトとその狭さだな、ついでに使用するときはパワーチームのうち三人以上いる時だけにする。三人いりゃ200㎏超えるだろ、勝手に飛んでいかねえようにするおもりの役目も兼ねるわけだ」
「意外と考えてたんだ……」
そう言って乗ることを了承するか悩み始める桜子。
それらを横から見ていた龍水は突っ込むべきかどうか悩みながら隣のクロムに小声で訊ねた。
「なあ、アレは大丈夫なのか? あの調子ではうっかり変な輩に騙されかねんぞ」
「あー、アレな。あれは千空が本気だからああいう対応なんだよ、ああ見えて騙そうとか揶揄おうとする気配には敏感なんだぜ? あれ見てると信じらんねえだろうけどな」
「そして、千空の方は本音で語れば無下にしないと理解しているわけか」
ここ数日間千空を観察してきたがどうやら結論を出してよさそうだ。
「この集団は良いリーダーに恵まれた! 俺のカンが言っている、まだまだこいつらは大きく伸びるぞ、とな!」
「当たるんだろ、船乗りのカンって奴は」
キメ台詞を先に言われおやっという顔の龍水に悪戯小僧の笑みでサムズアップをするクロム。
それに生意気なと呟きながらいい笑顔でサムズアップを返す龍水であった。
数日後一人用気球に乗っけられ空からの眺めを説明させられたり、地図を書かされる桜子の姿があったそうな。
ただし、楽しそうに、であるが。
小ネタで刻んでいくスタイル、展開に詰まり気味だとなりがちです(切腹)
ゲン相手だと見破れないらしいですよ>桜子の察する能力