潜入作戦において大切なのはまずは気づかれない事である、大きな音をたてたりするのは言うまでもなく厳禁だ。
故に、
「エンジン付いているけど、動かすのは帰りだけだから」
ほむらがそういうのは当然至極の話である。
まあ、コハクもキリサメもそれに不満を持つようなタイプではない。
「このオールは軽くて使いやすいですね、こんな所にも技術差でしたか? そういうものが現れるのですね」
「うむ、たしかぷらすちっくだったか? 蜂の巣と他の幾つかでできていると聞いたぞ」
と、いうか、そもそもエンジン付きの舟の速さを知らないので、エンジンを使わない事に不満の持ちようがなかった。
因みに石化装置は船に置いてきている、流石にそれを持った状態で外に出すのは油断が過ぎるからである。
僅かな月明かりと他人から聞いた地形情報だけで向かっているというのに、随分と余裕があるように見えるがそれも当然である。
『そこの岩は内側を抜けて大丈夫、少し狭いと感じるだろうけど十分な広さがあるよ』
「分かった」
ペルセウス号から無線による方向指示が逐一飛んできているからだ。
これによって暗くて知らない海でも安全に進んでいける、科学装備の本領発揮といったところであろう。
ペルセウス号のレーダーの前では、羽京が無線を片手に忙しなく目と頭を動かす羽目になっているが、まあ仕方ない範囲と言える。
「あんなに遠くから、しかもこの暗さで全てを見通せるとは……こうして恩恵に預かっていてもまだ信じられません」
「私も少しは慣れたつもりだが未だに驚かされる方が多い、大昔はこれが当たり前だったという。それでも消し去ってしまえた石化装置の恐ろしさはもはや想像の埒外だな」
「私利私欲で使った事はないですし、使用機会自体そう多いものではありませんでした。ですが改めて考えると、とんでもないものを扱っていたのではないかと思わさせられますね」
「二人とも、そろそろ上陸予定地近い、お喋りは終わりにして」
それまでも小声で、周囲を警戒しつつ会話していた二人だが警戒を一段引き上げ完全に沈黙する。
そうしてしまえばこの暗さだ、手の先でさえ闇の中に隠れてしまう、この状況下でこの三人に気づける人間はそうはいないだろう。
実際上陸から後宮へと忍びこむまで警備には一切気づかれずにスムーズに行けた。
しかし、後宮から頭首の居場所まではより警戒が厳しくなるだろう。
事前にそう予想していたため忍びこんだ後、警備状況を確認するために一旦キリサメの部屋へと向かう事にしていた。
そして今、何事も無くキリサメの部屋までたどり着いたのである。
「おかしい、警戒が薄すぎる。ここまで警備が二人ぐらいしかいなかった」
「普段でしたら、もう少しいるはずなのですが……」
ただ、何事もなさすぎた、なさすぎて罠ではないかと勘ぐりたくなるほどに。
「あれではないか? 普段よりずっと多く人を集めているのだろう? それをまとめたりするのに手一杯なのではないか?」
「普通に考えればそう、でも一番の急所の頭首周りまでほぼ警戒がないのは異常、罠の可能性を無視したくない」
「ふうむ、ならば頭首がそこにいないという可能性はどうだ? 別の警備が厚い場所にいるとか、あり得そうではないか」
「御頭首様があそこ以外でいらっしゃる場所ですか……申し訳ありません、記憶にないですね」
「記憶にない?」
キリサメの言葉に引っかかるものを感じたほむらが、眉を顰め聞き返す。
「はい、御頭首様の間以外にいらっしゃったという話は聞いた事がないですね」
首を傾げながら再度同じ返答を返すキリサメ、嘘偽りなく聞いた事がないようである。
しかし、人間が一箇所にずっと居続ける、というのは以外と大変なのだ。
特にこの島のように文明レベルが低ければ、娯楽もろくにないだろう。
無論、キリサメが知らないだけで実際には動き回っている可能性もあるが、もし動いていないのが事実ならば……
「千空が言っていた頭首石像説、あり得るかもしれない」
「その時は復活液の出番だな! 念のため持ってきて正解だった!」
もし、頭首が石像ならば、復活液だけで全てが解決することすらありうる。
今までの頭首の命が全て嘘だと証明されるからだ。
「だけど、余計に警備が薄い理由がわからない。見られたら全てがお終いなはず、なのに何故……?」
「罠かもしれないが、踏み込まない選択は取れんのではないか? 座していては島民達との全面衝突だ、負けるとは思わんが、怪我人も、最悪死人も出るのだぞ」
その通りである、その通りではあるのだがここまで潜入に都合がいいと罠の可能性が頭から離れない。
悩むほむらにキリサメが少し考えた後提案する。
「それなら私が前に立ちましょう、たとえ罠であっても私が来るとは思っていないはず。罠であった場合は残念ながら私はここでお別れとなりますが……たとえその場合でも御頭首様を説得してあなた方との交渉の場は設けて見せます」
つまり、自分が盾となる、そう言っているのだ。
その心が分かるコハクが意を込めてほむらを見る『ここまで言わせては引けんぞ』と。
ほむらは熱血に付き合って危険を犯す気はない、ないが、そのプランならば危険は最小限で済むだろう、そう判断する。
「分かった、ただ直接的な危険のある罠がないかは先に確認してからになる。それでいいなら前に立って欲しい」
そう、これも無用な危険を回避するためのものであり、自分のため、延いては氷月のためである。
同行者の心配が一番ではないのである、なぜかニコニコ笑顔のコハクはそれを理解するべきだ。
「とにかく、方針はそれでいく。警戒だけは怠らないように気を張って」
それだけ言って先行して部屋を出るほむら。
コハク、キリサメの両名も気持ちを切り替えてその背中についていくのだった。
そして、至極あっさりと頭首の間の前まで到着してしまった。
「危険そうな物どころか、途中の警備すらいなかった……どういうこと?」
「これは、あれではないか? ここに来られるなど一つも想像していなかったとか……」
「そこまで間の抜けた男ではないはずですが……とにかく、入ってしまいましょう。御頭首様さえ説得できればそれで十分ですし」
戸を開けて中へと入ると、綺麗に清掃された部屋の真ん中をぐるりと覆う厚い布。
キリサメはすぐにその前で跪く。
「御頭首様、夜分遅くに失礼いたします。ですが火急の要件でございます、何卒ご無礼をお許しください」
そう声をかけて数秒、なんの反応もない。
「御頭首様?」
もしや聞こえなかったかと思い、もう一度声をかけるもやはり返答はない。
仕方ない、無礼ではあるが、いらっしゃらない事を確認するため布をそっと避けて中を覗き込む。
しかし、想像と反してそこには確かに人らしき影。
いらっしゃるならなぜ反応が一切ないのだろう、不安に駆られながら目を凝らしてよく見てみる。
ほぼ暗闇と変わらぬ薄い月明かりの元、キリサメの視界に映ったものは……
「御頭首様……!」
ある意味見慣れた、石像と化した人間の姿であった。
キリサメの呼びかけに全く反応がない事に訝しんでいたコハク達も同時にそれを見た。
コハクが即座に復活液を取り出そうとしてほむらに止められる。
「なぜ止めるほむら!」
「あれの顔をよく見て、あれは不味い!」
いいながら、見つからないよう今まで消していたライトで石像の顔辺りを照らす。
見えたのは無残に削られた右顔面、このまま復活させた場合そこから血が吹き出してそのまま死を迎えるだろう。
ショックのあまりへたり込むキリサメ、流石にこの事態を想像していなかったほむら、二人が動けない状態で決断したのはコハクであった。
「我々だけでは判断できない、ならば判断できる者にしてもらう! この石像を運び出すぞ! キリサメ、手伝ってくれ!」
「え? 待って、コハク、貴女一体何を……」
いうが早いか紐を取り出して石像を背負い始めるコハク、それを慌てて止めようとするキリサメ。
流石に性急すぎて対応ができなかったのだろうと理解し、コハクは自身の行動理由を説明し始める。
「いいか、キリサメ、このままでは御頭首様とやらは死んだも同然だ。少なくとも今ここにいる私達ではどうしようもない、ここまではいいな?」
御頭首様が死んでいるようなものと言われる事は頷き難いが、それでもキリサメは頷いた。
現実として今まで石化=死であったからだ。
「しかしだ、バラバラにされた石像でも、元に戻す事が可能だと聞いた覚えが私にはある」
「! そんな事が可能なのですか!?」
「雑談で多少そういう話があった、程度の話なのでな、保証はできんが賭けて見る価値はあると思う」
「御頭首様をこのままにしておく訳にはいきません、少しでも可能性があるのならそれに賭けたいと思います」
「よし! ならば私が背負うから万一の際の護衛を頼む! ほむら、先導役は任せたぞ!」
力強くそういったコハクへのほむらの返答は先ずは大きなため息であった。
「勝手に盛り上がって、勝手に決める、少しはこちらの意見を聞いてからにすべき」
次いでジトっとした目と厳しい言葉、これは反対されるのだろうかと悩むコハク。
「けど、それしかないのも確か。仕方ないから貴女の意見に従う」
最後にしょうがないという意味の苦笑と了解の返答であった。
「ありがとうほむら、我儘を言ってすまんな」
「別にいい、他の良案を出せないのも確か。一番良さげな案を私は選んだだけ、後、破片が少しでもあったら回収しておくべき」
しばらく床を探し回る三人だったが、削られてから大分時間が経っていたらしい。
残念ながら、破片らしき物は石像の下に入り込んでいた少量のみだった。
あまり時間をかけすぎては誰か来てしまうかもしれない、その少量だけを袋に入れて三人は潜入した時とは一人(一体?)増やして脱出するのであった。
脱出作戦はほぼ上手くいっていた。
そう、誰にも見つからず、気づかれる事もなく順調に進んでいっていた。
最後の最後、この森を抜ければ潜入時に使った舟までたどり着くという所までは。
「あの男、何故こんな時にこんな場所に……!」
その森の中でモズが供を一人連れた状態でいなければ脱出は完璧であった。
「モズ相手にいつまでも隠れているのは不可能です、私が囮になりますのでお二人はその間に舟に!」
「バカを言うな! 君を見捨てていけるか!」
「静かに、あっちの様子がおかしい。少し待った方がいい」
この距離ならば氷月であったらとっくに気づいている距離であり、それを基準に考えればこちらの存在に気づいているはず。
そして警備が目的ならば誰か隠れているのに何もしないのはおかしいのである。
供の方はこちらに一切気づいておらず、むしろモズの方ばかり気にかける始末。
流石に警備として動いているとは考えづらい状況だ。
「あの、モズ様、なんで俺こんなところに連れてこられたんですか?」
「ん~、そうだねえ、悪いんだけどちょっと悩んでるから黙っててくれる?」
不安そうに尋ねる、よく見ればキリサメと一緒に捕まり、その後千空側からの交渉希望の旨を伝えるため解放された男。
モズはそちらを見もせずにその質問を一蹴する、言葉通り何やら悩んでいる様子である。
やがてある程度考えがまとまったのだろう、質問というよりは確認という感じで供の男に訊ねる。
「君さあ、メッセンジャーになったろう? つまり、あっちからの伝言を知っちゃてる訳だよね」
「? はい、覚えてます、けど」
「それが広まると不都合な奴がいるんだよね、だから俺に君を消すよう指示が出された訳」
ひっ、と悲鳴を上げる供の男。自分が今まさに殺されようとしている、と理解すれば当然の反応だ。
モズが言った事に三人も反応した、キリサメはどういう事かと問い質すため、コハクは殺されようとしている男を救う為、そしてほむらは逃走のために二人を止める。
三者三様の動きはしかし、次のモズの言葉で止まる事になった。
「ま、従う気はないけどね。だから出てきても大丈夫だよ、俺は君らを止める気はないから」