ある映画では、ブラックホールに飲み込まれた主人公からのモールス信号が過去の娘に届くという描写があった。
曰く、人の愛は――――想いは時空すらも超えると。
最早それは比喩ではない。獣だった人間が遠吠えしていた時代から数万年。
人々は電子的に繋がり、時には国境をも超えて会ったこともない人物と共に戦い、犠牲を学び、その身を捧げ、一つの目的の元に魂は集う。
インターネットの発達は、人間を物質依存生命から一つ先の存在へと進化させた。
SNSに何が残る?
オンラインゲームに何がある?
旧時代の人は時に言う、『何も残らないのに』と。
彼らは電子の世界で感情を、思い出を共有している。
そこに物として残る何かがなくとも。
想いが繋がれば、物質的な繋がりは何一つなくても人間の間にはあらゆる関係が成り立つようになった。
会ったこともない人物と。
大海原を超えた場所にいる誰かと。
そしてお互いに気が付かないだけで。
数十億人が繋がるこのインターネットの世界で。
この世界ではないどこかにいる誰かと。
性別:
年齢:
名前:
性別:男
年齢:18
名前:Shin
【エラー!! 現実的な名前を入力してください】
おや、となった。時々SNSやネットで見かける名前をド本名にしてしまっているちょっと恥ずかしい人のような名前でやれ、とこのゲームは言っているのだ。
とはいえ確かに、主人公の名前を【ああああ】にしてしまったり、例えば侍モノのゲームで外国人風の名前にして作中で呼ばれたら雰囲気ぶち壊しだ。
そういうところから大切にしてほしい、という製作者の気遣いだろう。とはいえ流石に本名を入れる勇気はない。
性別:男
年齢:18
名前:秋葉 冬路
今度はエラーが起きることもなく進んだ。
いきなり出鼻をくじかれたが、これくらいはいいだろう。
部屋を暗くしてゲームの世界に入り込む。
突如配信された『月映しの世界』はオープンワールドの謎解きゲーム、という類を見ないジャンルになっている。
なんでもこのゲームはクリア特典として――――新たな人生との出会いをくれるとか。
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このゲームにセーブ機能はついておりません
クリア条件は自分で探してください
タイムリミットは目が覚めるまでです
クリア時のみ、クリアの記憶が保存されます
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ある日
ひとりの子供が鬼になりました
鬼は次から次へと敵を倒し
自分の強さを示し続けました
鬼が強い理由は
自分の強さを誰よりも信じているからでした
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#1 電視
月が揺れる。
月がゆらゆらと揺れる、湖面に映っているかのように。
地上の衝撃が月の浮かぶ空を不安定にする。
謎解きゲームじゃなかったのか――――目標人物の本気の抵抗を受けて半分以上体力の減った冬路はぐらつく視界の中でそんな根本的な疑問を浮かび上がらせた。
「Augustusになんの用だ?」
現代日本に絶対に溶け込めないであろう、マントを纏った金髪の女が顔を上げる。
月明かりに照らされた口元には煙草を咥えている。こんな激しく動いているのに煙草を吸えるなんて。
「…………」
倒せ、と指示されていた女から出たセリフ。
1ヶ月かかってようやく『半ば』といったところか。
「危ない!!」
キュン――――独特のスキル発動の音が響く。
それと同時に今の今まで冬路が居た場所に巨大な刀剣が降って廃ビルの屋上に大きな亀裂を作っていた。
「あ、ありがとう……助かった」
「なにこの人……世界観おかしすぎるでしょ……」
(ていうか最初からおかしい)
香南のスキル、緊急回避のクールタイムが頭上に表示されているのを見ながら心の中で毒づく。
なぜ戦闘用のスキルがある? なぜ体力なんて概念がある?
謎解きゲームにしては激しすぎる。これではただのARPGではないか。
「なにをブツブツと……。私は忙しいから可及的速やかに死んでほしい」
「おわ――――っ!!」
地面に刺さっていた刃が新幹線よりも速く横向きに飛んでくるのをなんとか伏せて避ける。勢いよくぶつかった冬路の真後ろのフェンスは真っ二つになり土台ごと屋上から転落していった。
『これも』だ。謎解きゲームに『伏せ』なんかない。
とにかく、急に巨大な刃物を出して手も触れずにぶん回す相手に、あくまでまだまだ現実的な能力の延長上にしかないスキルしか持たない自分たちがまともにやって勝てるはずもない。
頭を使うしかないのだ――――伏せたどさくさに紛れて地面に円を描く。
「…………」
香南が頷く。こっちが敵のスキルクールタイムを見れないのと同様、敵もこちらのスキルクールタイムは見えない。だが、味方のそれは見える。それだけで十分だ。
たったいま冬路がスキルを使ったことが香南には伝わっている。
「一つ訊きたいのだが……普通の学生だろう? なぜ私をつけ回す?」
【答える】
【無言】
(知らないんだよ)
女の頭上に選択肢が表示されるが、答えるも何もそのAugustusが誰で何なのかすらわからない。
このゲームが始まった瞬間から、メインクエストの欄の一番上に表示されていた『Augustusを探せ』というミッション。
とりあえずずっとそれを追いかけて派生したサイドクエストをクリアしていただけだ。
「まぁどうでもいいことか」
選択肢の横にあった数字が0を示して自動的に【無言】が選択された。
死んでくれ――――それはAugustusなる人物が暴力的何かに関係していることを端的に示していた。
「来た!!」
浮かんでいた刃が女の手と一体化し冬路に一直線に向かってくる。
ギリギリのギリギリまで引き付ける。
恐怖は無い――――セーブ機能は無いと言いつつも、今まで何度かゲームオーバーになっても結局オートセーブされた地点から復活している。
むしろ他の選択肢を見るためなら死んだほうがいいくらいだ。とはいえこの場所にたどり着くまでにけっこうな時間がかかったし、どこでオートセーブが行われたかは自分では知りようがない。
倒すか。数々の算段を1秒以内に終えて冬路は右に転がった。
「なんだこれは?」
「なんだって、こっちが言いたいよ」
今の今まで冬路がいた場所で、女は床に空いた穴に足がはまり動けなくなっていた。
クールダウン15秒の冬路のスキル、チープトラップ。地面に穴を空けハマった人物を8秒動けなくする。
今まで誰かに追われている時に足止め用にしか使ったことがなかったが、こうして使うとかなり有用だ。
冬路のスキルにより炎が自身の脚に巻き付き移動速度が上がる。これで相手が動けない間に近づける。
「『突風』!」
「! 違う!」
遅かった。香南のスキルが発動し、その名の通り突風が起こった。
罠にハマっていた女は哀れにも――――自分が金網を吹っ飛ばしてしまったせいでビルの屋上から転げ落ちていってしまった。
慌ててメニューを開くもミッションはクリアになってしまっている。無事に、とでもいうべきか女を倒してしまったようだ。
「違うって……?」
「Augustusと明らかに繋がる敵だった。倒せば何かを話してくれたかもしれないし、アイテムを落としたかもしれない。場外じゃダメなんだ」
「『パラライズ』かー……」
香南はあの場面では当たった相手をその場で30秒拘束するスキルを使うべきだったのだ。
時既に遅し、ミッションはクリアされオートセーブが行われたしまった。
なにか次のミッションのヒントがもらえると思ったのだが。
「プレイエリアの外だね」
屋上の端に立って下を覗き込んで女の死体を確認しようとしている香南を見て内心震える。
ゲームとはわかっていても自分には出来ない。
「ああ、怖い? VRってどんな感じ?」
珍しいことにこのゲームはVRに対応している。
プレイヤーキャラクターの姿も本人の360度の写真を取り込んで3D化しているのでほとんど現実と変わりない。(もちろん自分の写真は一番写りのいいものを選んだ)
ここまでしてフリーゲームとは恐れ入る。一切の広告も無ければ作者も匿名というのがとにかく不思議だが。
「その……エリアの端っこに立つやつ。屋上とかさ。俺には怖くて出来ない」
平均台の上でバランスを取るように屋上の縁をてくてくと歩く香南は月明かりの下で一人ぼっちで練習するサーカスのピエロみたいだ。
VRの世界では、夜風も肌に錯覚する。よっ、と言いながら目の前に来た香南は手を広げて温かな光を発した。
(もう一つの世界みたいだ)
香南のヒーリングを受けながら考え込む。眼の前にいる少女とは実際に会ったことも無いのに、声も顔も性格も知っている。
この世界だから知り合いになれた。現実だったらきっと関わることもなかったのに。
(かわいいよな……)
現実なら関わることもなかっただろう、と考える一番大きな理由がそこだ。
さらさらの黒髪が夜風に流れ、目元口元の完璧な位置にあるほくろはやや吊り目気味な目にさえ優しい印象をもたらす。
性格も明るく、聞き上手で。中高だったらスクールカーストの端と端だ。自分のようなゲームしかやっていない陰の者なんて接点すら無かっただろう。
「私さ。今パジャマでゲームしているんだー」
「ははっ。俺なんか、今日は家から出てないから寝癖つけたままやってんだ。ほんとはね」
ゲーム内の見た目と現実と見た目が違うなんてよくあること。酷い時は性別が違うことすらもある。
現実とリンクした姿とはいえ、毎日見た目を整えなくてもいい点はゲームの方が完全に上だ。
「次はどうすればいいのかなー」
香南がエナジードリンクを飲んでいる。
毎回戦闘が終わると必ず律儀に飲むそのドリンクは、次の戦闘に限り経験値を1.2倍にしてくれるがそれなりの値段がする。
課金をして買っているらしいが、おかげで好戦的で敵を逐一倒している冬路とレベルでいえばそこまで変わらない。
「! なにか落ちている……」
「URL……?」
ここにいてもしょうがあるまい、と屋上の出口に向かう途中でURLの書いてある紙を見つけた。
ゲーム内インターネットなんて機能はない。つまり――――
「現実で見ろってことか」
VR装置を頭から外すと寝癖の上から更に癖がついて髪はもはやぐっちゃぐちゃになっていた。
画面を通してゲームの世界を見ることでようやく現実に帰還した気分になる。
「アプリだ」
「へー……。アプリ連携しているフリーゲームだって? マジかよ」
GPSと音声その他諸々のシステムにアクセス権限が必要――――サイドアプリにしては充実しすぎている。
ダウンロード自体は3分ほどで終わった。
「あ……? 俺んちだ!?」
アプリを開くとPC内とは違い二等身にデフォルメされた自分を中心に俯瞰マップが表示された。
ゲーム内とは言え、その家具の配置は見間違いようもない自分の家だった。
おまけにスマホを持って歩き回るとゲーム内の自分も動くという――――某大ヒットアプリからヒントを得たに違いない実生活とのリンクがそこにはあった。
「私の家……そうか、冬路も今月から渋谷に住んでいたんだね」
「あ、うん……まさか香南もそうだなんて思わなかったけどな」
そう、このゲームは渋谷が舞台となっており、マップも現実の渋谷に即して作られている。
109はまだいいとして、裏道にある小さな商店すらもゲーム内にあったのは本当に驚いた――――のが渋谷を生まれて初めて散策した1週間前だった。
この冬に渋谷雄翼大学に合格した冬路は住み慣れた神奈川を離れてこの4月から渋谷に住むことになった。
香南が同い年で、彼女も下宿のために故郷を離れて東京に住むことは知っていた。そんな境遇の近さが、自分たちをゲームの中で非常に距離の近い友人にしてくれた。
「渋谷って言っても、たぶん全然イメージと違うと思う」
「はは、俺もけっこう……ていうか、この辺は俺の育ったところよりも寂れてるって感じるくらいだわ」
例えばの話――――新宿に住んでいます、と東京以外の人に言ったら驚かれるかもしれない。
だが実は学生街として有名な高田馬場だって住所で言えば新宿だ。それと同じで日本の若者文化の中心地、渋谷にだってそんな下宿に向いた場所はある。
事実として冬路の住み始めたアパートは8畳の風呂トイレ別の1Kで6万、駅まで徒歩25分というなんともコメントし難いアパートだ。
大学に自転車で10分で行けるという条件が無ければこんなところになんか好んで住まない。
「このアプリさ……多分……」
「ん? そっか、だから音声にもアクセス権限が必要だったのか……」
スマホにアプリを通して香南からの着信が来る。
ゲーム内のメッセージのやり取りもこのアプリを通して出来る、というわけだ。
「あとは……このアプリをバックグラウンドで起動していれば渋谷内を移動した距離に応じて経験値と、特定の場所に訪れれば特殊なアイテムを手に入れられる……ってさ」
「…………変なの」
「何が?」
GPS連動ゲームとしては一般的な機能に思えるが、何が香南の違和感に引っかかったのだろうか。
ちょうど渋谷に住んでいるんだしこれから経験値稼ぎまくれるぞ、くらいにしか思っていなかったが。
「いや、大したことじゃないから今度でいいよ。それよりも……これで次はどうすればいいんだろう?」
「んー……あれっ、クエストになんか追加されている」
クエストリストには赤文字でメインクエスト、その下に白文字にサイドクエストとなるわけだが、メインクエストがいつの間にか追加されていた。
メインクエストが追加されるなんて初めてだ。
「この住所に向かえ……」
東京都渋谷区、から始まる住所。
そこに何かがあるのだろう。ようやくこのゲームも派手に進展してきた。
「じゃあ行くか」
「待って!」
「?」
「これは……ゲーム内の話じゃない。タイミング的に――――それにこのゲーム内で住所を確認する方法は恐らくない」
香南の言うとおりだった。ゲーム内に地図はあるが、X軸とY軸で示されており住所という概念はないし、あったとしてもゲーム内でスマホやパソコンはいじれないからその場所が詳しく調べられない。
それにこのタイミングで住所となれば、実際にその場所に行け、ということになる。
「……家から出てその場所に行け……? なんだこのゲームは……」
「謎解きゲームというより……」
「このゲームが謎、か」
せいぜい足止めする罠や緊急回避くらいのスキルしか無いのにガンガン戦闘をさせる謎のシステム。
それでありながら謎解きゲームという意味不明な分類。極めつけは現実世界へのリンク要素。
フリーゲームだからと侮っていた。このゲームの製作者は何の目的があってこんなことをしているのだろう。
「ていうか初期スキルが開放されてないし。バクかこりゃ」
レベルごとにスキルが開放されるのはまぁありがちという感じだが、レベル0、つまり初期に開放されるはずのスキルにずっとロックがかかっているのはほとほと謎だ。
「ストーリー進めれば開放とかじゃない?」
「それまたありがちなヤツだ。まぁどちらにせよ今日は夜遅いし、明日にでも行くか……」
武器スロットもストーリーを進めたりレベルを上げなければ4つまで開放されないFPSというのもありがちだ。
なんにせよ進めなければ分からないが、進めるにしてももう明日だ。
「……。あのさ……」
「なに?」
「同じ場所、だよね」
「摩多羅神社ってとこ?」
「うん。その……他のプレイヤーもここが目的地なのかは知らないんだけどさ、一人で行くのちょっと怖い」
「…………?」
確かに言っていることは分かる。もしも他のプレイヤーもその摩多羅神社とやらが目的地になっていたらそこに集合するわけだ。
奇妙な繋がりを持った人々が集う中で、女子が一人行くのは勇気がいることだろう。とはいえ行かなければこの先に進めないというのに。
「だからさ、一緒に行かない?」
「えっ、ちょっ、それってアレ? オフ会ってこと? いきなり?」
「うん。なにかSNSとかやっているの? アカウント教えてよ」
「あぁー……。まあいいけど……」
一個しかない冬路のアカウントは思い切りリア垢で現実に繋がりのある人もフォロワーにいるのでその気になれば個人情報が丸裸になる――――なんて考える自分の感性は古いのだろうか。
それに自分の『職業』までバレてしまう。別に隠している訳でもないのだが。女の子の香南がこうなのに自分だけ警戒を重ねるのはもう時代遅れなのかもしれない。
「Shin1A2Aって調べてみて」
「1A2Aって?」
「高校二年のときに作ったアカウントなんだ。で、一年生の時も二年生の時もA組だったからさ」
「へー……偶然、私もそうだった。……あれ? 見つからない」
「ん? そんなはずは……」
スマホで何回か確認するがアカウントIDは間違って伝えていないと思う。
先程インストールしたばかりのアプリでIDをそのまま送ってみたがやはり見つからないと言う。
「あれー?? 鍵垢?」
「そんなはずないけど」
それどころか――――冬路には2万人近いフォロワーがおりしかもオフィシャルマークまでついている。
きちんと検索しているなら出てこないはずがない。
「……ま、いっか。なくてもこうやって連絡出来ている訳だし」
「そうだな。どうせもう1年以上更新していないし」
今まではゲームを起動してあちらがオンラインであることを確認できたら一緒にやっていただけだが、これからはスマホ版のアプリからやり取りすることで時間を合わせられる。
「明日! 11時にその摩多羅神社ってとこでいい?」
調べてみたら渋谷駅西口から歩いて5分位の場所だ。
お互いに渋谷に住んでいるのなら、わざわざハチ公前を待ち合わせ場所にして迷いに行く必要もあるまい。
「11時か……」
「うん。せっかくだし、お昼一緒にどう?」
積極的だな、というか警戒心が無いなと思う。
それとも自分が勉強ばかりしている間にここまで時代は進んでしまったのだろうか。
「それはいいんだけどさ」
「?」
「俺……朝弱い上に寝起き悪くてさ。最近ずっと夕方の4時に起きてたから……起きれるかな」
「えぇ!? 起きなよ! もうすぐ授業始まるんだよ?」
「分かっている、そろそろ生活リズム直さなくちゃな」
「……じゃあもう抜けるね。ちゃんと起きなよ」
「はーい……」
香南がログアウトしたのを見てでPCの電源を落としベッドに身体を投げ出す。
「だ痛ッ!? マジ痛ッ!」
頭にVRヘッドセットを装着していたのを忘れて思い切りベッドの上部に頭をぶつけ、跳ね起きて足の小指を机に強かにぶつけて転げ回る。
こんなすったもんだはほとんど毎日だ。ゲーム中ではミスなんてほとんどしないから香南はきっと驚くだろう。
現実世界の自分はゲームの中と打って変わってまともな生活を送るのも難しい欠陥だらけの人間だ。
「見つからないなんてそんなはず……」
更新の途絶えた自分のアカウントの名前の隣にはたしかにオフィシャルマークがついている。
日に日にフォロワーが減っていく。だがまぁ、説明も面倒だし別に言わなくていいなら言う必要もなかろう。
VRヘッドセットを洗濯物の山の上にぶん投げて目を閉じる。カーテンの隙間から眩しい月の光が入り込み、ほんの1年前の光景が瞼の裏に浮かぶ。
4点先取の試合で、3勝3敗1引き分けにまでもつれ込んだ。
3時間にも及ぶ激闘で、敵も味方も体力・精神力共に限界を迎えていた。
自分と『そいつ』以外は。
眩ゆいスポットライトの下で、人生最高の瞬間を迎えていた。
肉体を精神が凌駕し、もはや目に入る全ての物が止まって見える。今の自分ならハエの眉間だってぶち抜ける。
ゾーンに入っている、それはそいつも同じだったと分かった。一言だって話したことのない人間と。今まで誰とだってうまく付き合ってこれなかったのに、戦いの中で出会ったそいつは言葉を交わさずとも感情すら流れ込んでくる程に理解できてしまう。深く、深く、心からのメッセージを送り合っている気分だった。
なんて奴なんだろう。一体どれだけのものを捧げればこんな強さになれるのだろう。
自分の分身のようなそいつを画面越しに見て、攻撃が刺さるたびに流れ込み攻撃をねじ込むたびに流れ込んでくる。
お互いが人生をかけて培った技術を全力でぶつけられる相手。
今まで誰も隣にいなかった。
クラスメートも家族も今だけは応援してくれている。
だけど、誰も本当には分かっちゃいないだろう。
自分が何をしてきたか、何が出来るのかを。
なんとなく凄い大会に出てなんとなく素晴らしい結果を出しているから応援しよう、くらいのものだろう。
こいつなら。
こいつなら!!
全てをぶつけても壊れない。
これだけのことを、これだけの技術を得るためにどれだけのことをしてきたかを理解してくれる。
俺にも分かるから。何を捨てて、何を得たか。
ここで出会わなかったら、きっと俺たちは親友になれたんだろうな、と。
だが、この世界のこの場所で出会った以上はどちらかが消えなければならない。
「俺を誰だと思ってんだ!!」
眼下の敵が高台に陣取った自分に攻撃してくる。
距離減衰があるからこんなもの大して痛くない。だが、こちらに攻撃できるということは、こちらに頭を見せつけているのと同様だ。よりにもよってスナイパーに。
世界で一番好きな音――――頭をぶち抜く高い音がその世界に、会場に響き渡り観客は最高潮のボルテージを迎えた。
今まで6人対6人で拮抗していた状況だったのがたった一つの馬鹿なミスのせいで全てが決した。
残り時間から考えても、殺した相手が今から復活して仲間の元に合流するまでに全ては決するだろう。
ざまぁみろ、やはりゲームを決するのは俺だったんだ――――
『バカヤロウ!! 目を離すな!!』
敵を倒せばナイス、敵に抜かれればドンマイと、いつもならば必ず声をかけてくれるキャプテンからの叱咤。
このゲームにおいて、スナイパーの仕事は2つある。一つは高台に陣取り、甘ったれた動きをする敵に睨みを利かせること。まさしくいま自分がやったことだ。
もう一つは――――敵スナイパーの監視。
線対称のマップ、逆方向の高台にいたはずのそいつはほんの数秒目を離した隙に影も形も無くなっていた。
「どこに――――」
逆に自分が世界で一番嫌いな音は自分の頭が敵スナイパーに抜かれる音――――が、全てを決した。
倒れゆく映像の中で見てしまった。勝敗だけでなく互いの格までも決めるその弾丸を放ったそいつは――――真隣にいた。
全てを刈り取る一撃を、こちらの頭に銃口をくっつけて放ったのだ。
作られた隙、命をなげうち勝利を手にするハイリスクな戦法、数秒の人数不利の代償に相手のエースを殺した。
日本esports史上間違いなく一番苛烈な戦いは、あっさりと終わってしまった。
この光だ。敵を祝福し、全てを失った自分を嘲るスポットライト。
銀紙の紙吹雪に反射するギラギラとした光がいまでも目に焼き付いて取れやしない。
若く愚かなエースの独断により敗北した負け犬たちの元に優勝チームが歩み寄ってくる。
スポーツである以上、試合が決すれば勝者は敗者の元まで行き握手をする。
「楽しかったよ」
涙に汗に鼻水に、握りすぎて滲んだ血。
色んな液体に濡れた手を握ってそいつは徹底的に勝利を貪った。
「!!」
あの日から毎日冬路の睡眠を妨害する悪夢から飛び起きる。
汗だくの身体にシャツが張り付き気持ち悪いので思い切り脱ぎ捨てるとペン立てにぶつかって机の裏側にペンが落ちていく音がした。
明日拾うことなんて考えたくもない。
「フーロ……!!」
あの試合で自分は全てを失いフーロは王者の栄光を守り抜いた。
お笑いだ。同類に思えるのに、同い年できっとたった一人の親友、唯一無二の理解者だっただろうに自分は全てを失いフーロは全てを手に入れた。
秋葉冬路、大学生兼プロゲーマー。冬路は去年の大会で準優勝してから、もう一年もプロと呼べる活動を何もしていなかった。
ゲームでの苦い思い出を消すためにゲームをやっているなんて、下手な薬物中毒者よりタチが悪い。
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結局眠れなかった冬路は早くから渋谷の街をさまよっていた。
目的もなく歩いていただけなのにこういう場所に辿り着いてしまうのはもう本能としかいいようがないだろう。
(でも現実のゲームはダメダメだ)
5階建ての古めかしいビルにあったゲームセンターの最上階、フラフラと適当なゲームをやってしまいそうになってしまったところを踏ん張って無理やりダーツにコインを入れたはいいものの、まずほとんど的に当たらない。
金の無駄以外の何者でもない。見ろ、隣の女子大生二人にもちらちら見られて笑われている。もうさっさと出るのが吉だ。
「お兄さん、ねぇあのさぁ」
「え、俺?」
笑いものにするばかりかまさか声までかけてくるなんて。
連続5本で外したことがそんなに面白かったのだろうか。
「チャック開きっぱなしだよー」
「うわ! マジだ!!」
家を出てから二時間、トイレには行っていないのでその間ずっと自分の下着を世間様に晒していたアホがここに一人。
真剣な顔でド下手ダーツをやるチャック全開男なんて面白すぎる。
「あとシャツのボタンがガタガタ」
女子大生の伸ばす指先には3つもボタンを掛け違えてヒートテックまで丸見えのYシャツがあった。
今日も今日とて絶好調で間抜け極まる。動揺を落ち着かせるためにサイドテーブルのペットボトルに手を伸ばしたら手がぶつかり炭酸なのにペットボトルが下に落下してしまった。
「せっかくちょっとかっこいいのにね」
「う、お……ありがとう」
高校生まで、自分は典型的な陰キャと呼ばれる種類の人間だった。
ゲームばかりやって友達と呼べる友達もおらず、髪もボサボサ制服もよれよれだった。
それでもどうでも良かった。電子世界で強くなること、それだけが自分の全てだった。そんな人間から『全て』が奪われ、ほぼ人間失格の自分はどうにかしてこの生きにくい世界で生きていかなくてはならなかった。
母親が買ってきた服は全部捨てた。チームのユニフォームは実家に置いてきて、瓶の底より厚い眼鏡はドブ川に捨ててコンタクトにした。
(でも一番変わったのは髪か)
いきなり褒められることに戸惑ってしまい、ゲームセンターから転がるように出てようやく心臓が落ち着いてきた。ため息を吐きながら自分の一番変わった部分に触れる。
自分と真逆で完璧人間の兄からアドバイスを受けて薦められた美容院で髪を切り、思い切って髪をホワイトブリーチした。
こんな派手な大学デビューが自分に出来るのか、と思ったがどうやらかっこよくなったらしい。
どうだ、自分だってこの世界でやっていけるんだ。生きていていいんだ。
「ざまぁみろ……この野郎」
小さい頃から何をやっても人並み以下で社会性が無いに等しかった。
だが、ようやくずっとおかしかった歯車を少しずつ直してなんとかやっていけそうになっている。だというのに――――どうしてか泣いてしまいそうだ。
ふらふらと目的地に向かって歩いているとおかしなことに気が付いた。
「渋谷だろ……ここ。あれ?」
歩いている人間がほぼいない。目に入る店舗全てのシャッターが閉じられており、どでかいビルは解体されたまま放置されている。
渋谷駅西口から歩道橋を渡ってわずか2分の場所に廃墟と化したゴーストタウンがあった。
「2018年の渋谷にこんな場所が……?」
慌てて携帯を開くが目的地は間違っていない。
地名を検索すると、どうやらこの渋谷区桜ヶ丘町は再開発を開始したはいいが何らかの事情により現在開発が中止されているらしい。
オリンピックには間に合わせるつもりらしいが、こんなことで間に合うのだろうか。
(誰もいないから好き放題出来るわけか)
そこら中にスプレーに落書きされているし、工事現場立入禁止の看板には印刷されたエロ画像が貼られている。
東京のど真ん中にこんな場所があるなんて驚きだが、ど真ん中だからこそアクセスもいいしフリーゲームの作者だってここを目的地に出来るわけだ。
そんなことを考えていると目的地の摩多羅神社とやらに到着した。
ゴーストタウン化して訪れる人間もいないのだろう。神社は手入れもされておらず人の気配が微塵もない。
どうやら先に着いてしまったようだ。
「俺に会ったら……香南びっくりするだろうな」
あの世界で取り込んでいる自分の姿はまだ髪が黒く眼鏡をかけている。
周囲や家族の反応から見るに自分は相当変わったらしいから一目では気が付かないだろう。
それにしてもまだ来ないのはちょっと不思議だ。自分と違って如何にも優等生な香南は時間だってしっかり守るのに、もう約束の時間から10分過ぎている。むしろ自分が5分遅刻したくらいなのに。
「なんだこれ」
バチ当たりを少しは恐れろよ、と言いたくなるくらいに鳥居にも落書きされているがその中の一つに妙なものを見つける。
QRコードだ。ただ単に誰かがいたずらで貼ったのかもしれないが、昨日インストールしたあのアプリにはQRコードの読み取り機能があった。
まさかな、とは思いつつも別にやってみて損はないので試しにカメラを向けてみると。
「…………リバース?」
何が何やら分からないが、QRコードを認識した瞬間、いままでロックがかかっていたスキルが解除された。
リバース、と名前のついたそのスキルは対象となる2つの物体を指定し、指定が正しければ入れ替えてくれるらしい。しかも『それだけではないかもしれない』なんて嬉しいんだか嬉しくないんだかよく分からないおまけまでついているが――――
「3回!? 3回しか使えないの!?」
なんとこのゲームをクリアするまでの間にたった3回しか使えないスキルらしい。
もうメインミッションが元に戻っている。たかがスキルが一個増えた。だけ。
これでストーリーが進んだのだとしたら拍子抜けにも程があるが、3回しか使えないということは重要なスキルなのだろう。
だとしてももっと、体力を全回復とか敵を一撃で全て倒すとかそんなスキルだったらいいのに。無駄足だったかもな、と思いながらぼんやりと『リバース』の意味を調べていたら香南から電話がかかってきた。
『冬路? 待っているのにどうしたの?』
「え? うそ、俺もう着いているよ」
小さな神社だ。見逃すことなんてあり得ないし、そもそももう人がいないのだから。
神社の名前だって間違っていない。
『どこにいるの?』
「鳥居の前……だけど」
『ここ?』
今まさしく冬路が見ている鳥居と同じ鳥居の写真が送られてくる。
どうなってんだ、と思うべきところだがそれどころではなかった。
(かっ……かわいいぞ)
これが自分と真逆の人間なのだろう。何故かインカメラで撮った写真を送ってきてくれたおかげで今日の香南がどんな格好で来ているのかまでばっちりと写っている。
言わずもがな自分だっていつも外に出る百倍身なりを整えて(それでも粗はあったが)来たが、今年流行りの深緑という一見暗い色の春物コートがよく似合うのは顔から受ける印象が明るいからだろう。
この子と会うんだ――――ではなく、何かがあって会えていないのだ。
『なに……これ……』
「うぉあああ!?」
冬路と同時に恐らくは香南も同じことに気が付いた。
古くはファミコン時代から続く、二頭身のキャラが平面のマップを動き回るというありふれたシステム。中には動いてなくともキャラがその場で足踏みをする可愛らしいゲームなんていうのもあった。
だがこれは。例え同じ現象が他のどんなゲームで起きてもバグだと断じるだろう。
「グラフィックが……」
『重なっている!』
香南と冬路のデフォルメされたグラフィックが重なってその場で動いていた。
自分達は同じ場所にいるのに出会えていない。
電子の世界でのみ視えるもの。
香南はこの世界にいない。