月映しの世界の中で   作:K-Knot

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#2 遊戯

#2 遊戯

 

 

 

 

 鬼は戦い続けました

 信じている自分の強さが本物であることを示すのが

 たまらなく気持ちよかったからです

 

 でも、ある日思いました

 どうしてこっちが全部出し切る前にみんな壊れてしまうのだろう、と

 なぜ誰も自分の本気を受け止めてくれないのだろう、と

 

 

 

*****************************************

 

 

 

 他の競技では知らないが、基本的にはこのゲーム、Flawless Anthemにおいては格上が後に入場する。

 いくらこれまでの試合を4対0の圧倒的な実力差で終わらせたとはいえ、このチームは自分が入るまでは最高順位が国内16位のチームであるため去年の王者とでは比べるまでもない。

 入場を終えて、チャンピオンチームが入ってくるのをステージで立ちながら待つ。

 およそ壇上に立つだとか、そういったイベントと一切縁の無い人生だったが、ゲームだけは別だ。

 どれだけ他の分野でモブで中身がポンコツだったとしても、この世界では自分は主人公なのだ。

 

(こいつら全員フーロのファンか)

 会場にいる観客のほとんどがFooroの名前が入ったフリップを高々と掲げ、Fooroの名前を叫んでいる。

 男も女もFooroのファッションを真似ており、『主人公はお前ではない』という困難な現実を見せつけてくる。

 誰もが最強の王者を見に来ているのだ。

 

(始まるか……)

 背部のスクリーンの色が毒々しい紫と黒を基調とした色に変わったのをステージに反射する光で知ると同時に入場曲が流れてくる。

 まだ何も始まってもいないのに観客が立ち上がる。

 異様なことに、最初にキャプテンがチームの旗を持って入場してきた。次いで国内無敵のチームのスターティングメンバーが入ってきて――――

 

『護国の”ガーディアン”、フーロだぁ!!』

 キャスターの絶叫と共にFooroが入場してくる。

 去年優勝して以来、海外のチームも参戦する日本で行われた全ての試合に勝利し、いつしかFooroはガーディアンと呼ばれるようになった。日本国の誇りを守る最強の子供だと。

 まだ年齢規程である18歳に達していないため海外での大会経験はないのに、化け物揃いの候補者の中からesports Awardを受賞するなど、Fooroの成し遂げた偉業は数え切れない。

 キャプテンの代わりに最後に入場してきたFooroは小さな体に優勝旗を巻きつけ、まさしく王者そのものに思えるゆったりとした速度で歩いてくる。

 エースとエースの視線がぶつかった。

 

(……!!)

 首の後ろをビリビリと電流が流れる初めての感覚、鴉雀無声――――音までも消えた。

 チームと約一ヶ月前に契約して、この大会がプロとしての初めての試合だった。

 だが正直な感想は――――拍子抜け、だった。今までどれだけ頑張ってもベスト16止まり、去年は本戦に出場できないまま終わったこのチームが自分が入っただけで決勝戦まで駒を進めた。

 どいつもこいつも自分より早くプロになったというだけで、最強争いをしていただけだ。

 それなのに自らを強者と勘違いし醜くイキっていたなんて、哀れすぎて冷めた笑いしか出ない。きっとこの大会で引退するプロも多いだろう。これだけ圧倒的な力で叩き潰してきてやったのだから。

 

(こいつ……)

 チームのメンバー含め、今まで出会った全てのプロと圧倒的に格が違うとひと目見ただけで分かってしまった。

 自分が、自分こそが最強だと思っている。負けることなんて有り得ないと心から思っている。

 Fooroのことはこの国でゲームをやる人間なら誰だって知っている。冬路と同い年で、冬路と同じくゲームしかなくて、冬路に兄がいるように双子の姉がいて。

 ここまで似通った人間がいるのだろうか。戦いだけが自己肯定の全てになり、平穏な人生をやめてしまった自分と同じ――――鬼。

 ほんの一瞬で世界の全てが元に戻り、耳にけたたましいベルの音が入ってきた。

 

 

 うるさい、やかましい。

 いつもの目覚ましと違うベルの音の出どころである携帯をようやく掴むことが出来た。

 

『冬路、やっと起きた? もう30分くらい前から何度もかけてるのに』

 

「……? ??」

 脳の機能が9割死んでいる状態でいきなり朝から女性の声を聞いて更に意識が異世界に行きそうになる。

 

『大丈夫? 本当に寝起き悪いんだね』

 

「ん……? あ!? 大学行かなきゃ!!」

 最大音量でも耳に入らずにガーガー寝ながら悪夢にうなされていたが、そんなことをしている場合ではない。

 今日から大学の講義がスタートするのだ。香南も同じようで、それを覚えていてわざわざ電話してくれたのだ。

 初っ端から寝坊する訳にもいくまい。

 

『二度寝しちゃダメだよ。頑張ってね』

 

「うん。ありがとう」

 まさしくいまもう一度布団に入ろうとしていたのを見抜いているかのように戒めてから電話を切っていった。

 しばらくぼんやりしてようやく、この世界にいない人間というおまけ属性付きではあるが異性からのモーニングコールなんていうハッピーイベントが起きていたことに気が付いた。

 

 

*********************************

 

 

 密かに今日の初講義が心配だった。

 勉強についていけるのか、というのももちろんあるが、思い切りすぎて髪を真っ白に染めてしまったことだ。

 頑張ってイキってみたはいいものの中身までは変えられない。

 目立ってしまってヤバい奴らに絡まれたら裸で土下座するしかないと思っていたのだが。

 

(なんだこの大学)

 確かにヤバい奴らはいる。渋谷だからそういう輩みたいなのもいるだろう。

 そう思っていたのだが、その想像を超えて教室はヤバイやつだらけだった。

 一般に想像するヤバい大学生、つまり度を超えてチャラいとか頭が悪すぎてキーキーと猿のように騒ぐことしか能がない、だったらまだマシだったかもしれない。

 

(こいつらマジで先月まで学生服着てたの? 嘘でしょ)

 髪の色が白なんて地味な方だった。パレットに頭突っ込んだかのようにカラフルな髪をしている者もいれば、背中しか見えていないのにうなじからド派手なタトゥーが覗いている生徒もいるし、いま入ってきた白衣の女なんか何故かロッカーを背負っている。

 右隣のオタクはノートパソコンを三台同時にいじくって何やら変態チックな絵を描いている。

 授業開始20分前にもう席に着いているのは真面目でよろしいが、どいつもこいつもぶっ飛びにぶっ飛んでいて過多な情報量に頭を抱えるしか無かった。

 

「暇ならさ」

 

「うわっ!」

 オタクが喋った! と叫びそうになるのを抑えて隣の変態になんとか愛想笑いで対応する。

 

「このゲームやってみてほしいな。名前は?」

 

「え? あ……秋葉冬路……」

 チャーシューの擬人化みたいな人物が指した画面には『The Brave never die』とタイトルが表示され、その下にドットで描かれた勇者らしき人物が剣を構えている。

 仮にもプロゲーマーなのにこんなゲーム全く知らない。

 

「ゲーム得意? 難易度調整の参考にさせてよ」

 

「……君が作ったの?」

 

「作画俺、プログラム俺、作曲俺、システム構築俺、総監督俺! 時田覇道の最高傑作だ!」

 

(覇道……)

 チェックシャツに脂ぎった髪、汚れた眼鏡といっそ清々しいほどにステレオタイプのオタクに覇道なんて名前を付けるとは。

 もしもタイムマシンが開発されたら真っ先に時田の両親にその名前はやめろと言いに行くだろう。

 

「まぁまずはやってみて」

 

「はぁ……」

 とりあえずイージーモードを選択すると簡単な説明が表示された。

 左から自動的に歩いてくる勇者を姫の囚われた魔王城までゴールさせればクリアとなるらしいが、ゴールまでにポイントを使い切らなければいけないらしい。

 ポイントはモンスターや罠を生成することで消費することが出来る。

 

「なるほど」

 これは主人公に艱難辛苦を与えつつも最後はクリアしてもらうことを目的とした製作者視点のゲームだ。変わった発想だが面白い。

 試しにいくつかモンスターを配置すると、勇者が頑張って倒してモンスターのポイントがそのまま経験値となり勇者のレベルがアップしていく。

 

(これで勇者を強くしなきゃいけないのか)

 突撃兵は50,000ポイント中5ポイントしか消費しない代わりに10体出そうが勇者はすぐに蹴散らしてしまう。

 逆に大魔王は5,000ポイントもあるが現在のステータス比較表を見るに簡単に勇者など捻り潰すだろう。

 

「おっ……罠。こう使うのか」

 

「そう! そうやって使うんだよ!」

 罠は勇者が乗り越えたところでポイントにならない。ただし、魔王軍側のモンスターも平等に罠の効果を受ける。

 その代わり罠でモンスターが倒れてもそれはそれで勇者の経験値にはならないが。

 

「おっぱい……?」

 ゴブリンはマイナス300ポイントと表示されているのにわざわざ一番右固定で表示されている『おっぱい』というアイコンにはプラス500ポイントと表示されている。

 怖いもの見たさでクリックしたら――――なんとせっかく0に近づけていた数字が500ポイント増えてしまった。

 

「おおぃ! なんだそりゃ!」

 

「姫様のおっぱいが大きくなるんだ!」

 

「なんでだよ!」

 

「エッチだから! エッチッチッチッチ!」

 

(どうすんだよこいつ……)

 確かに魔王城から手を振っている姫の胸がこころなしか大きくなった気がする。これはおそらくやりこみ要素だろう。

 エッチッチなんて笑い声は流石に親が泣くぞ、と思ったがもうたくさん泣かせているだろう。

 なんて考えている間に無事勇者はお姫様を救出した。

 

「どう? アプリにしたら売れそう?」

 

「ああ……携帯で出すの? 売れると思うよ。いい出来だ。ベリーハード行ってみるか」

 製作者の頭の飛び具合は別として目立ったバグもなく、一回5分程度で終わる気軽さ・面白さに加えてやりこみ要素まである。

 有料で出すにしろ、広告付きの無料で出すにしろかなり売れるだろう。とはいえ、やはりプロフェッショナルとして最上級の難易度は試さずにはいられない。

 

「いやー……無理だと思うよ。製作者がクリアできないんだから」

 

(…………)

 お前らと一緒にするな、と思いながら強めにエンターキーを叩く。

 イージーだと50,000ポイントでマップも平坦だったのに、今回は10,0000ポイントもある上に最初からマップに罠が設置されている。

 おまけに勇者の初期ステータスも激弱な上にAIも弱体化されている気がするし、魔王城手前はこれでもかと言うほどの罠とステージギミックで溢れている。だがそれでも。

 

(なめんなよ)

 製作者――――時田の意図が読める。

 それなら全てのモンスターを罠でハメ殺せばいいじゃないか、と思うだろうがその逆だ。

 なるべくモンスターを罠で殺さないようにして、勇者の経験値にしなければならない。レベルアップ時に勇者の体力が全回復するというのが攻略の鍵だろう。

 とはいえ、たとえレベルマックスでもこの勇者では四天王にすら勝てないので罠を有効活用してギリギリまでモンスターたちの体力を減らして勇者にぶつける。

 シミュレーターだと思いきや反射神経が問われる意外なまでのアクションだ。

 

(おっぱい連打したれ!)

 まさか自分の人生でそんなことを思う日が来るなんて思わなかったが、誇りに懸けて自分はおっぱいを限界まで連打しなければならない。

 そして最後の大魔王が大穴に落下する直前に勇者の剣がヒットし、勇者はレベルアップし鬼畜ギミックを乗り越えもはや頭よりもおっぱいが大きくなったお姫様を救出した。

 

「一発で! ベリーハードをクリアした!! しかもJカップ!!」

 

「当たり前だ。俺を誰だと思ってんだ」

 

「ジェェエエエエエエイ!!」

 幼い日にその世界に触れてから。

 この世のありとあらゆるゲームにおいて絶対的な才能を発揮した。

 それがシューティングだろうとアクションだろうとレーシングだろうと、近所のゲームセンターで全てのゲームのランキング1位は自分だった。

 他の全ては平均以下のダメ人間だが、その世界においては自分は世界の中心だった。やがてはスコアより誰よりも強くあることを求め、その渇望は更に大きくなりチームで戦うゲームに収束した。 

 たった一人の力で多人数をも格付ける世界へと。そんな自分が今更おっぱいを大きくするだけのゲームに苦しむはずがない。

 

「一人で作ったのか。信じらんねぇ、スゴイな」

 

「いやいや。俺よりも彩瀬くんの方がスゴイと思う」

 極太ウィンナーのような指で示した一つ前の席にはいつの間にか男子生徒が席について本を読んでいた。

 自分の話題を出されていると気が付いたのか、ゆっくりとこちらを向いた。

 

(なんだこいつ!)

 伸び切った癖髪で七三分けにしたらこうなるのだろう、右眼が完全に隠れてしまっている。

 鷹のような右眼の周りにはエジプト展なんかで見られるホルスの目のメイクが施されている。

 だが驚いたのはそこではない。彼が読んでいる本は冬路がまるで見たことのない言語で書かれていることに驚いたのだ。

 読めない、ではなく知らない言語の本を読んでいる人間なんて奇妙としか言いようがない。

 

「これが気になるのか?」

 

「いや……まぁ、うん」

 冷たい印象とは裏腹に、説明したそうな雰囲気がそこはかとなく出ていたのでとりあえず頷いておく。

 正直なところ全く興味がないのに。

 

「俺が書いた。だから俺しか読めない」

 

「へ?」

 自分で書いた、まではいいだろう。そういうやつも世界にはいるだろう。

 だが読めないとはどういうことなのだろうか。

 

「例えばいま大戦争が起きて人類が滅びるとするだろ」

 

(ヤバこいつ)

 時田とは別ベクトルで危ない人間だった。

 初対面の人間にこんなことを話してドン引きされないわけがない。

 

「言葉ってのは文化なんだ。文化の違いは戦争の原因の一つだ」

 

「なに言ってんだ」

 

「人類が滅んで100万年後に新たな知性を持つ生命体が生まれたとして、みんながこの言語を使えばいい」

 

「…………?」

 

「誰も話さない完成された言語を俺が作った。これはいつか世界を平和にするための鍵の一つになるんだ」

 

「……そうですか…………」

 世界から戦争が消えないのは文化が違うから。

 文化が違うのは言葉が違うから。だから新たな模倣となる言語を作ってみんながそれを話せばいいと言っている。

 滅茶苦茶言っているが、それはそれとして新たな言語体系を一人で作り上げたのならばそれは天才なのだろう。

 

「あとは俺の作った言語をどうやって100万年先まで残すか……岩にでも彫るか」

 

「そ、そうだな。それがいいんじゃないかな」

 

「……。まぁ、確かに俺のやっていることは今は、いや、将来も役に立つかは分からん。それよりも宍戸の作っているものの方が余程役に――――」

 

『ナンデヤネンッ!』

 

「うわぁッ!!」

 左隣から金属をぶっ叩く音と共に機械的な音声のツッコミがいきなり飛んできて冬路は椅子から転げ落ちかけた。

 先程ロッカーを背負って教室に入ってきた絶対に関わりたくない女が左に座っていた。

 

「そう! 見せたくてしょうがなかったの!! ていうか今の面白かったかなー」

 多分美人なんだろうが顔が煤けすぎていてよく分からない。

 まさかこの格好でロッカー背負って渋谷の街を歩いていたのだろうか。

 よく通報されなかったものだ。

 

『ハイドーモ―! ハイドーモ―!』

 

「なんだこりゃ」

 ロッカーから取り出されたのは人型の機械(ただし上半身のみ)だった。

 頭部には床屋の練習用に使われるようなヘッドマネキンが取り付けられており、無表情で口をパクパクさせて話しているのが不気味で仕方ない。

 こんなものを目の前の机に置かれてしまい、冬路はもう家に帰って寝てしまいたかった。

 

「まだちょっと調整中なんだけどね、彼がいれば一人で漫才出来るんだよ」

 

「…………」

 

「私の家はね、そりゃもう明るい家でね。死んだじいちゃんの遺影まで明るいんだよ。明るすぎて思い切り笑顔でピースしてるかんね」

 冬路は何も反応していないのに目の前で勝手に何やら始め出した上に全く面白くない。

 時田も彩瀬もピクリとも笑っていないのによくこの空気に耐えられるものだ。

 

「遺影がイェーイ! なんつって!」

 

『ナンデヤネンッ!』

 

「痛いっ!!」

 金属製の手の平が思い切り宍戸の顔に叩き込まれて本当に椅子から転げ落ちてしまった。

 身体をはってギャグをしてくれているのに誰も笑っていない。

 

「な、すごいだろ」

 

「お、おう」

 ツッコミの角度がおかしいとかブツブツ言いながら全自動ツッコミマシーンの調整をしている宍戸を横目に彩瀬が小さく声をかけてくる。

 全くもって面白くない。だがそれは彼女のセンスの問題だ。そんなことよりも人の会話の面白い面黒いを判断出来るシステムを構築していることのほうがよほど頭がおかしいと思う。

 完成すれば感情の持った機械と同等の物が出来あがってしまうことに彼女は気が付いているのだろうか。

 

「ちなみにこのポンコツは下ネタが大好きなんだ、秋葉くん」

 

「へ?」

 

「セ―ックス!!」

 

『ナンデヤネンッ!!』

 常識の壊れたオタクが突然下ネタを叫んだ瞬間、強烈なツッコミが時田のパソコンにクリーンヒットし明らかな破壊音と共に吹っ飛んでいった。

 

「あーっ!! あーっ!! 課題が!!」

 

「うっわ、マジごめん」

 宍戸は謝っているものの、こうなると分かっていてやった時田の方が悪いだろう。

 それよりもいま、気になることを口にしていた。

 

「課題?」

 

「あれ? あ、そうか。君みたいなかっこいい人、新入生歓迎会にいなかったもんね」

 

「……? ……!?」

 新入生歓迎会なんて面倒で行かなかった。どうやら彼らはそこで仲良くなりうまく情報交換をしていたようだ。

 それよりもまた容姿を褒められてウサギサイズの心臓が跳ね上がる。完璧人間の兄の真似をしているだけなのだが、中身はともかく顔の形や背格好は似ている兄弟だ。

 どうやら自分は本当に兄と同じく見た目が優れているらしい。これならなんとかこれからも現実世界でやっていけそうだ。

 

「上着インするのって東京の流行り? 変わっているんだね」

 

「あっ、いけね!」

 とはいえどれだけ変わろうとしても所詮付け焼き刃。そうそううまくは行かないようで、折角店員に勧められて買ったモード系のパーカーを何故かズボンに入れてしまっていた。しかも片側だけ出ているのがダサさに拍車をかけている。

 

「確かに秋葉くんはかっこいい……しかもJカップに出来る……タダモノではない」

 

「Jカップはいいから! 課題って何?」

 

「有名だけどね。まず自分の特別を示すものを提出しろって」

 

「がっ! 忘れてた!!」

 確かにそんなことがシラバスに書いてあったような気がする。

 渋谷雄翼大学。まだこの大学が出来てから30年も経っていないが、既に世界にその名を轟かす名門大学となっている。

 

 この大学に入学する条件は唯一つ。特別であること。

 入学する条件、という表現もある意味間違っている。大学が特別だと認めた高校生のみが入学できるのだ。

 他と隔絶した特殊な才能を持つ子供の元にある日突然入学案内が送られ、それが無ければたとえ全国一位の学力を持っていようがインターハイの常連だろうが受験資格すらもない。

 逆に入学案内が送られてきた生徒はそれだけで入学が出来る。おまけに授業料も無料と来ている。

 大会で負けて以来、ただぼんやりとしていた冬路の元に入学案内が来たのは無論、そのゲームの才能故だろう。

 このままではただのタダ飯ぐらいのプー太郎になってしまうため、言い訳づくりの為に入学した。

 だが本来はそんなことのために入っていい場所ではない。日本中の天才児達が憧れている大学であり、定員は一学年60人しかいない。

 いまこの教室には特別中の特別の18歳達が集まっているのだ。

 

「明後日締切なのは分かっているのか」

 

「あさあさあさ明後日!!?」

 課題の評価により取れる授業が決まる。 

 評価が悪かったり未提出ならば容赦なく留年が確定してしまう。

 なんとなく入った大学で最初からクライマックスだ。今日も今日とて自分はダメダメだった。

 

『授業を始めよう』

 ザリザリとした音声が教室中のスピーカーから響き、それなりに騒がしかった教室が波が引くように静かになる。

 何かを引きずるような音が教室の外から聞こえ、扉が開いた。

 

(あれが教授!?)

 今からゴビ砂漠でも渡る気なのか、茶色いマントを羽織り顔にターバンを巻いてゴーグルをしており、素肌が一切見えない。

 喉には変声機と思わしき機械が装着されており、どうやらあれが教室のスピーカーと接続されているようだ。 

 一人異世界旅行終盤のように何かが大量搭載された橇を引きずっており、変人奇人だらけの生徒たちも教授の異様な出で立ちに圧倒されていた。

 

「喜多見教授……」

 

「きょっ、教!? 教授なの!?」

 

「知らないの? すごい有名な人だよ。天才技術者の喜多見謳歌」

 ややポンコツ気味とはいえ既にそこらの企業そこのけのロボットを作った宍戸が言うくらいなのだから凄いのだろうが、ゲーマーそれのみの自分にはただの変人にしか見えない。

 

「あれに教わるのかよ……」

 

『そこ。うるさい』

 

(なんで聞こえんだよ!!)

 陰キャらしくかなり後ろの方に座っているのに。 

 とはいえそこで最後列に座る勇気もないのが真の陰キャたる所以なのだ。

 

『東京大学は名門だが、東京なんとか大学みたいに……都市の名前と大学の間に何か入ると急に大学のレベルが落ち込むことが多いな。渋谷雄翼大学なんて如何にも頭が悪そうな名前だ。そう思わんか?』

 

「いや! いやいやいや! 思わないです!」

 そんな多方面を敵に回す発言を初めての授業でいきなり出来るわけがない。

 変な大学ではあるが、大学ランキングでは東大をも上回る名門だからこそ教授もこんなことを言えるのだろう。

 兄も東大生だったが、自分がここに入ったことに何を思うだろう。なんて今はあまり関係のないことを考えていたら何やら前の席から手袋とサングラスが回ってきた。

 

(なんだこりゃ)

 ただの手袋、ゴーグルではないことは重さや見た目からよく分かる。

 前から順に生徒が身に着け始めたのでとりあえず装着してみるが、今の所変わったところはない。

 

『なんだ、けっこう余分に持ってきたのにほとんど残らなかったな。まぁいい。入学祝いだ、やるよ』

 

(いらねぇ、なにこれ)

 と、思っていたらあることに気が付く。

 レンズがよく見ると液晶なのだ。更に観察するとサングラスに充電口と思われる部分もある。

 よく分からないが何かしらの電子機器らしい。

 

『そこのお前、四年後のお前は何をしている?』

 

「えっ、俺ですか? まぁ、こういう大学でこういう授業を受けているんだから……GAFAのどっかとか、でかいIT企業で働けていたらなーって」

 指されたのは教室の中でも割と普通の見た目をした生徒だった。返ってきた答えも割と普通だ。

 喜多見は不満気に息を吐いた。

 

『……馴染もうとしている。それで満足か? 金持ちになって世界中で遊び散らかしたり。女を侍らしたりしたくはないか? ふふっ。そんなことを言う勇気はないか。まだ入学して間もないもんな』

 見た目通り、いや、見た目以上に変人だった。

 オリエンテーションとはいえ、そもそもが何をしたいのかが分からない。

 授業料無料とはいえこれが本当に大学でやっていい授業なのだろうか。

 

『だが世界は……こんなもんだ』

 喜多見が腕を振るといきなり教室が高層ビルの中にあるようなテナントオフィスになった。

 急に出現した場違いな自分を周囲のサラリーマンは気にすることもなく集中して働いている。

 10秒ほどしてようやくそれがサングラスを通してみているARの世界なのだと気が付いた。手袋を通してデスクやPCに触れる感覚まである。

 全く興味がなかったので知らなかったが、天才技術者である喜多見の持っている技術とはもしかしてこれらに関連するものなのだろうか。

 

『日本人のほとんどがこれを数十年繰り返す。ただ生きていく。幸せだが平凡な人生をな。そうして……この国は腐った。そこのお前。パラリンピックは偉大か?』

 どうも自分のせいでその周辺が目をつけられたようだ。時田が急に指されて贅肉を驚きに震わせた。

 もう授業が始まっているのにまだおっぱいの調整をしている根性だけは褒めたい。

 

「偉大だと思います」

 

『理由は?』

 

「例えば戦時中なら、腕の使えない若い男は働くことも出来ず、兵士にもなれず、非国民と謗られたけど。そういった人たちにも適切な活躍の場が作られてそういった人たちもスーパースターになれる。だから偉大だと思うんです。ただ不便な人生を送るだけだった人たちも輝けるから」

 

『ふん。優等生だな』

 

(うぉおおおお時田すげぇえええ覇道すげぇええええ)

 ただの気持ち悪いオタクだと思っていたのに(間違ってはいないが)、完璧な受け答えによる物凄いギャップが一気に尊敬の念を湧き上がらせる。

 案外社会に出て成功するのはこういうタイプなのかもしれない。

 

『そうだ。世界は変わったんだ。彼らが彼らとして活躍できる世界。歩けないという現実を知っているからこそ、義足で走る選手の限界を想像するからこそ、その限界に挑む姿に私たち健常者は奮い立たされる。限界を超える時、人は感動する』

 

(…………?)

 なんの話がしたいのか、というのもそうだが義足だどうのだという話はなんとなく自分の身近にあった気がする。

 だが一体どこでの話だったのかはよく思い出せない。

 

『バスケの選手が全く後ろを見ずに味方にパスをしたら盛り上がるだろ? なんでだ?』

 

「えと、見てないから、ですよね」

 生徒の全部が全部、受け答えまで完璧とは限らないらしい。

 見た目はともかくとして、先頭で聞いていた生徒はしどろもどろに答えていた。

 

『……。限界を超えるときなんだ。私たちは後ろが見えない。人間が、後頭部にも目がある生き物ならそんなパス誰も感動しない。後ろを見えないということを知っているから感動するんだ。…………話が逸れた。時代は流れて、人々の活躍する場というのは広がっている。…………彼を見ろ。知っている者、手をあげろ』

 

「……?」

 液晶越しの風景が変わる。どこか大きなスタジアムの一席に冬路はいた。

 中央には左右に置かれた複数台のPCと、トロフィーを掲げる白人がいる。

 冬路にとっても馴染み深いesportsの大会のようだ。冬路が出場したのは簡単に言えば日本一を決める大会だったが、これはその比ではない。

 会場にいる人々や、ステージにいる多国籍と思える選手たちを見るに世界クラスの大会だろう。

 サングラスを外して教室を見渡すと結構な人数が手を挙げていた。

 

『結構いるな。彼の名前はkyle、見ての通りesportsの選手だ。恐らくは世界一有名な選手だろう。年収は170万ドル、そこに大会で稼いだ賞金も加わるから行くときは300万ドルになるかもな。この中で170万ドルを一年に生み出すようになる人間は何人いるかな』

 

「え?」

 間抜けな声を上げてしまい教室にやたらと響き宍戸に脇を小突かれた。

 ほんの数ヶ月しか活動していないとはいえ、ジャンルが違うとはいえ、仮にもプロゲーマーの自分が世界一有名と言われている選手を知らないなんて。

 

『彼は元々脚が悪く、杖無しでは歩けない。また、ADHDであり、人と話しているときに突然手を叩き出したりする――――いわば社会不適合者だな。当然、幼少期は虐められ、引きこもることになった。ゲームにのめり込むのは当然のことだった』

 

「…………」

 とはいえの繰り返しだが、少なくとも高校までの退屈な授業よりもずっと響く内容だ。

 配布された装置のおかげもあってか、冬路の人生の中でも五本指に入るほどに集中できていた。

 

『彼はゲームの世界ではヒーローだった。現実ではいじめられ、無視されていた彼は空想の世界ではヒーローだったんだ。そしてCode of Euphoriaに出会う。のし上がり、強豪チームのInsomniaにスカウトされた彼は今ではチームの絶対的エースだ。esportsなんてものが無かったら彼は今でも引きこもりだっただろう。彼がヒーローになれる世界にこの星はなったんだ』

 

(まるで俺の話を聞いているみたいだ)

 勉強も運動もできず、性格は暗めで、それと対称的にパーフェクトな兄がいて。

 逃避のようにゲームにのめり込んでいた。その世界での冬路は誰よりも強いヒーローだったから。

 ただのゲーム、だったはずがその強さはいつの間にか現実にまで影響を及ぼし始めたのだ。

 富も名声も生み出すように。

 

『その世界を作ったのは技術の進歩なんだ。ここに選ばれたお前らはどいつもこいつも普通には生きていけないような変人ばかり。その代わりに無敵の個性を持っている。存分に使え。世界に馴染むな、馴染もうとするな。お前らを受け入れない世界の方が悪い。自分がいるべき場所へと、世界を変えろ。四年間でその力をお前たちにつけてやる』

 

(……めちゃくちゃ言いやがる)

 今日知り合った三人は規模の違いはあれど、上手く育てばそうするだけの人材に育つであろう。

 一方の自分は――――ゲームが上手い。だけ。しかもプロデビューしてすぐにボコられて半引退状態と来ている。

 恐らくはこの教室で一番の劣等生――――というのはもう小学校の頃からずっと変わっていない。

 

『もっとも……四年で済めばいいがな。提出は明後日まで、忘れるなよ』

 不穏極まる言葉を残して最初の講義は終了した。

 まだ他の講義はない。課題を提出してその評価次第であり、本格的な講義はまだまだ先だ。

 そんじゃあまた明日、と冬路の周りに座っていた濃い連中が教室を出ていく。

 サングラスを外してスイッチを切ると液晶が透明になりただのメガネになった。

 

(あれ? あの教授……)

 時間を確かめようと携帯を開いたら『月映しの世界の中で』のアプリが起動しっぱなしだった。

 確かに、登校中にGPS機能をONにして他にやっている人はいるのかなと探していた。人の多い渋谷なので何人かはいたが、声をかけることは出来なかった。

 だが今、この教室に自分以外にプレイしている人間がいる。あの教授だ。

 生徒から質問を受けている喜多見のいる位置に『オウカ』と名前の表示されているキャラが立っている。二頭身にデフォルメされるともはやミイラ男にしか見えないグラフィックだが。

 しかし、特別を集めたと言いながらもかなり技術特化の生徒が多く見うけられる中で自分と喜多見しかプレイしている人間がいないというのも不思議だ。100万DL達成しているフリーゲームなのだが。

 

「……他にもいそうなもんだけどな」

 

「それ、GPS機能切っていたら他の人に分かんないよ」

 

「え?」

 講義開始の十秒前まで誰もいなかったはずの最後列にそいつはいた。

 

(誰だ)

 知り合いみたいに声をかけてくるそいつを、どこかで見た気がする。

 特に、折りたたんだノートパソコンの上に気怠げに頭を乗せている少女のこの髪の色に見覚えがある。

 コーンロウにされた左サイドは青く、毛先は燃えるように赤く、それらが混じり合っているかのようにそれ以外は紫の雷の色をしている。

 世の中を斜めから見ている垂れ目にサイズの大きすぎるダボダボの服、全てが反社会的に見えるのに右の目元と左の口元にある小さなほくろが美しい容姿として完成させている。

 

(……会ったことあるっけ)

 高校までまともな友達も一人もいなかった草食系を超えてもはや草の自分にこんなパンキッシュな知り合いがいるはずがないのだ。

 だとしたらどうしてこんなにデジャブを感じるのだろう。

 

「みんないなくなってしまったね。昼食一緒にどうだい、秋葉くん」

 

「俺さ、君に会ったことある? なんで名前知っているの?」

 

「さっきの連中が言ってた」

 ノートパソコンは枕じゃないぞ、と言いそうになるくらい顔を上げない。朝に髪をセットして化粧するだけで精神力を使い切ってしまったのだろうか。

 またこんな変なやつが出現する。今までの人生の中で間違いなく一番濃いコミュニティに入ってしまった。

 

「はぁ……。名前は?」

 

「はづき」

 

「葉月ね……。食堂あるんだっけ。行こうか」

 

「そうしよう」

 しかしこの大学は人との距離の取り方が滅茶苦茶なヤツが多すぎる。

 普通いまこの瞬間に名前を紹介した相手と食事に行くだろうか。自分が陰気な性格であることを差し引いてもおかしい気がする。

 

「……?」

 この教室は教壇から見て半円状に階段があり、一段ごとに生徒用の机があるというよくある構造をしている。

 生徒も教授もお互いに相手がよく見える仕組みだ。その構造上、荷物が多い生徒は普通は前に座る。ロッカーを背負っていたのに後方に座った宍戸は頭が少しおかしいのだ。

 その急でもなんでもない段差を葉月は机に手を置いて一段ずつ慎重に降りていた。

 

「……! ほら」

 なぜ普段は10世代前のコンピューターよりもオンボロポンコツの自分が、この時はすぐに答えに辿り着いたのか分からなかったが自然と手を差し出していた。

 

「……察しが良いタイプには見えないけどね」

 

「人の親切は――――……?」

 素直に受け取れ、と言う前に葉月が冬路の手を取りその感触にある種の懐かしさを感じた。

 やはり自分はこの少女とどこかで出会っているような気がする。

 まず自分の人生の中で名前を覚えている人物が少ない。学校にいる間はずっと己のプレイングの課題をノートに書いて無い頭絞って考え、終われば即陰キャダッシュで家に帰るというルーチーンを小中高繰り返してきた。

 幼稚園の頃なんかそもそも記憶にほぼ無い。仲が良かった女の子なんかいない。昼寝の時間に小便を漏らして途中で帰ったことしか覚えていない。

 葉月、一体どこでこの少女と会ったことがあるのだろう――――

 

 

「君のこと、どこかで見たことある」

 

「ぶッ!!」

 無料の麦茶の氷を机の上に並べて行儀悪くカーリングの真似事をしていた葉月も冬路の頭の中にあった言葉を口にした。

 だがそれが冬路の思っていた言葉と背景が違うと気が付きカツカレーを噴き出す。

 

「もしかして有名な人?」

 

「違う、違う違う!」

 プロチームのスカウトを受けて、正式にユニフォームを貰ってあの大会に出るまで約一ヶ月だった。

 つまり一ヶ月しかプロとしての活動をしていないし、大会は一つしか出ていない。

 だがその大会が問題なのだ。日本一のチームを決める、年に一度の日本最大の大会。

 インターネットの配信だけで百数十万人の視聴者がいた。そして視聴層の大半がesportsに興味がある若年層だ。

 この大学に冬路の顔を知っている人間がいたって全然不思議じゃない。しかもチームの華であるアタッカーとして決勝戦に出場していたのだから。

 

「……そうか。まぁ、ここにいる奴らはみんな大なり小なり有名人だからな」

 その言葉通りに考えれば、自分の方が何かしらの天才である葉月をどこかで見て覚えていたという理屈でもおかしくない。

 パソコンを手にしていることから考えるにプログラマーや技術者寄りの才媛と言ったところか。

 

「えーと。葉月は何をしている人なの」

 

「量子力学」

 

「は……あ、はい」

 量子だの力学だの、まず中学の時点で理科が2だった自分に分かるはずがない。

 講義開始前に話しかけてきてくれた三人はそう考えるとバカチンの自分にも分かりやすいことをやってくれていたのだな、と感心する。

 

「そうだな、それを考えると難しいんだろうな」

 

「なにが」

 

「課題の提出があるんだろ……。喜多見教授は天才だが、量子の分野の専門家ではない。バラバラの天才たちが集められた訳だが、専門外の人間にも理解できるような成果を提出しろって言っているんだ」 

 

(どうしよ)

 実家に戻れば準優勝の銀盾があるが、トロフィーや賞状なんてここの生徒全員分集めれば教室が埋まってしまうだろう。

 そういうことではない。自分が特別であることを示すもの、特別足らしめているものを提出しなければならないのだ。

 

「君は何者なのさ」

 

「ひ……秘密……」

 

「本当にここの学生?」

 

「なんだそりゃ。ほら!」

 パスケースに入っていた学生証を見せる。

 昔は自分の格好になんの頓着もなかったが、多少なりとも着飾ることを覚えた今になって見ると酷い写真だ。

 分厚いドデカメガネにそれが隠れるくらいにボサボサの髪。おまけに制服のボタンをかけ違えている。

 さきほどからずっと脳みその代わりにしゃぼん玉が入っているような眠たい動きをしていた葉月が学生証を見て目を見開いた。

 

「こんなに変わったのか」

 

「…………」

 

「物凄い大学デビューだな。え?」

 

「そりゃ……どうも」

 

「でも良くないな。多少かっこよくなったところで」

 

「なんで」

 

「ここはそういうところ? 普通の大学ならそれでいいんだろう、素晴らしいことなんだろうが……」 

 

(……正しいな)

 勢い余って床に落としてしまった氷を拾おうとする葉月より前に拾い上げながら周りを見る。

 一般開放されている食堂なので老若男女沢山の人間がいるが、ここの生徒の人間はなんとなく見て分かる。洒落ているにしろダサいにしろ、あるいは容姿が優れているにしろ劣っているにしろ何かが変なのだ。

 だが彼らは特別だからこそ元々変なのだ。あれが自然体であり、自分のように無理していない。

 容姿を褒められてもなんとなくそこまで嬉しくなかった理由をこんな変な女に気付かされるなんて。

 

「さてと……今日は忙しくなる。また明日な、秋葉くん」

 食器は片付けておくからいい、とジェスチャーすると葉月はノートパソコンと多少の荷物しか入っていないであろう荷物を重そうに持って片足を引きずりながら行ってしまった。

 400円にしては美味すぎると言ってもいいカツカレーは冷めてしまい、結局冬路もその五分後には食堂を出ていた。

 だとしたら分かれ道までは葉月の荷物を持ってあげても良かったかもしれない。

 

 

********************************

 

 

 昼間はいつも薄ぼんやりとしているのに夜は冴え渡っている人間なんて山ほどいる。

 単純に生きる世界が違うんだろう。昼には昼の、夜には夜のヒーローがいる。

 昼に生きる者達は、勉強や運動や、あるいは学校や社会で存分に活躍すればよかった。

 夜の者達はただ影になって生きるしか無かった――――今までは。社会は変遷し、技術が変化をもたらし世界は変わった。

 ただ眠ることしか出来なかった世界に生きる者達が光り輝く世界になったのだ。

 

「謎解きゲームじゃなかったのか!!」

 登下校で歩き回っているうちにレベルアップをしたのはいい。

 だが謎解きゲームであるはずなのにとうとう手から火球を吐き出してしまった。

 おまけに視界が全て真っ赤に染まり家屋に火が着くほどの威力だ。

 月明かりに照らされる世界が地獄になった。いつもこのゲームをやるのは夜だから夜の場面しか知らないな、と関係のない感想が浮かぶ。

 

「見て、これ! このチャーム付ければ私もっとスキル連発できるよ」

 

「はぁー……」

 倒した敵から手に入れたアイテムの性能を見て香南は喜んでいるが、もう全然ジャンルが違うじゃないか。

 レベルを上げて敵を倒してよいアイテムを手に入れより強い敵を倒しに行く。ハックアンドスラッシュだ。

 これはこれで面白いから別に構わないと言えば構わないのだが……。

 

「あれ、なんか体力減っていく……」

 

「手! 手に火がついてる!!」

 自分の手に目を向けて驚く。どのゲームでも手から火球を出して自分がダメージを負うキャラなんかいないだろう。

 キャラのビルドを間違えたのだろうか。ゲームの中までやや抜けているなんて、ここまでリアルにしなくてもいいのに。

 

「でもほら、もうヒールできる」

 

(……!)

 手を握られたのはあくまでゲームの中の話なのに、その感触が伝わってきて驚く。

 今日の講義で貰ったARの装置はもしかしたら使えるのではないかと思ったら案の定このゲームでも使えた。

 攻撃する感覚や手を握られる感触が手袋を通して伝わってくるのだ。

 というか、こんなものが手に入るのだったら高いVRヘッドセットなど買わなければよかった。

 

「君に触れることすらも出来る……のに、なんでこの世界に香南はいないんだろう」

 回復を完全に終えた香南が眉をしかめる。ゲームの中なのに。

 中身の声に合わせて口を動かす技術はあるとはいえ、これはどういう技術なんだろう。

 少なくとも無料ゲームの作者が持っていていいレベルではない。

 

「普段から思っていたんだけどさ……画面の向こう側って……」

 

「?」

 近場のコンビニに入り商品を物色しながら話を続ける。

 この買い物一つとっても相当におかしい。普通のゲームならレジの人間に話しかけて商品を買うだけなのに、このゲームではわざわざ商品棚から選んでレジまで持っていかなければならない。

 

「私達がインターネットを通してやり取りをしている人もそう、ゲームの向こう側で話している人もそう。本当にこの世界にいるのかなって時々思う」

 

「何を言っているんだ」

 

「でも実際に冬路はこの世界にいなかった」

 

「…………」

 待ち合わせ場所が悪かったのかと、近場のコンビニや牛丼屋の前、果ては109前など待ち合わせ場所を変えても香南には会えなかった。

 それどころかスマホのアプリの中では一緒に移動をしていたくらいだ。自分たちは同じ世界にいない、と結論づけるしかなかった。

 

「この世界にあるものは何一つとして観測するまではその実在性を確認出来ない……こうやって話している人でさえ」

 

「…………香南ってさ」

 

「なに?」

 

「頭いいよね。多分ものすごく」

 ものすごく頭がいい、なんて如何にも頭が悪そうな表現しか出来ない低脳っぷりが嫌になる。

 出会ったときからふとした瞬間に香南はゲーム馬鹿の冬路には理解できない知性を発揮する場面が多々あった。

 

「うん。そうだけど」

 称賛を素直に受け止めけろっとしているのも冬路と真逆の性質を感じる。

 今日一日で頭の良い人間に出会いすぎたな、と思う。

 

「あのさ、量子力学ってなに?」

 

「……。何十年前だっけ、二重スリット実験っていうのがあって――――」

 

「ごめん! 俺、勉強苦手なんだ。力学だっけか、それも水兵リーベとかしか分からん」

 

「それは化学だよ。……うーん、まぁそれが分かるなら……。この世界は小さな粒で出来ているのは分かる?」

 

「分子だっけ……あ、いや原子だっけ」

 中学の頃、理科の時間にアンモニアを手で扇がずに直に嗅いで意識が飛びかけてから物理化学など大嫌いだ。

 まさか今更こんなことを聞くなんて思ってもいなかった。

 

「全部さ、漢字の『子』がついているよね。分子や原子よりも小さい粒も含めるのが量子。で、原子や分子なんていうのは熱を与えれば運動が激しくなるとか、そういう法則が昔から分かっていたんだけど量子はそれまでの常識が通じなかった。だから量子を分析する量子力学っていうのが出来たの」

 

「へー……」

 ドのつくバカチンでも分かるように教えてくれているのがよく分かる。

 葉月はあんな見た目をしながらそんなことを專門に学んでいるのか。

 

「冬路も気になったから調べてくれたの?」

 

「??」

 歩いているうちにハチ公前に来ていた。処理に限界があるからなのか、現実の渋谷の夜と違ってほとんど人が歩いていないしドブの臭いもせず、ゆっくりと座れる。

 こう言ってはなんだが、自分も馬鹿のくせに渋谷を馬鹿の街だと思っていた。それなのに馬鹿が馬鹿の街で勉学の話をしているなんて。ゲームの中とはいえ。

 

「私の世界と冬路の世界を並行世界だと思ったんじゃないの? だから量子力学なんて言い出したのかと思った」

 

「いや……大学のヤツが言ってて……」

 

「……けっこう頭のいいところなの?」

 

「いや……うーん。どっちかって言うとアホが多いかなぁ」

 量子力学とやらが並行世界とやらと関係があるとは知らなかった。

 どっちも今までの人生で全く関わってこなかった言葉だ。

 

「まぁ、並行世界なんて飛んだ考えするよりも、このゲームについてちゃんと考えた方が早いかもね」

 

(……まだ会おうとしてくれるんだ)

 女の子に関心を持たれるなんていつ以来だろう。

 中学の頃、クラスメートの委員長はいかにも優等生な美人で少し香南に似ていた。

 自分のようなロッカーの奥の雑巾よりも存在感の無かった自分にも声をかけてくれる優しい子だった。

 だが、自分に出来る限りの丁寧な接し方よりも、同じクラスにいるどこぞの運動部のお洒落野郎に雑に扱われる方が嬉しそうでどこか心が傷んだ。

 より一層、ゲームにのめり込むようになった。

 

「そもそもこのゲーム、面白いけど目的がわからないね。相変わらずメインクエストはAugustusを探せだし」

 

「謎解きか……」

 こんなジャンルのゲームをやるのは久しぶりだ。

 すぐに終わってしまうからだ。ゲームをやりすぎた冬路に備わったある意味特殊な能力が原因だ。それがどんなジャンルであれ、製作者の意図が読めてしまうのだ。

 ホラーゲームならここで驚いてほしい。脱出ゲームならここのトリックを見抜いてほしい。リズムゲームならここでこのコンボを決めてほしいなど、自然と頭に流れ込んでくる。

 そんな弩級ゲーム脳になってしまった自分には謎解きゲームなんて簡単すぎる。以前にやった登場人物の中から殺人鬼を見抜くゲームなど見た瞬間に分かってしまった。

 

(このゲームの製作者の意図……)

 なんとなく香南のステータスを見ながら考える。レベル0のスキルに『マスターキー』と書かれている。3回だけ、どんな鍵も開くらしい。手から火を出せるようになったいまはもう地味な能力に思えてしまう。

 そういえばこのゲームは名字が表示されない。昼間の教授も下の名前だけだったか。何故上の名前は表示させないのだろう。わざわざ入力させたのに――――と考えていたら友達のいない冬路の携帯が震えた。

 

「あ。アップデー……え?」

 

「いきなりアプデ? ……え!?」

 スマホを見た時に悍ましい感覚が背筋を駆け抜けた。

 異常な量の通知に書いてあるのは、東京、埼玉、神奈川――――と読んでいる間にも続き最新の通知はオクラホマ州や広東省なんて地名まで入っている。

 そのうちの一つを適当に選んで開くと『新マップ 宮崎を追加しました』と書いてある。

 この密度で渋谷を再現しているだけでも有り得ないと考えていたのに、全世界が飲み込まれた。

 

「ホームページ、ホームページ見よう!」

 

「あ、ああ……」

 ホームページと言っているが、実際は違う。

 フリーゲームのアップロードサイトにそれぞれの作品のページがあり、そこに作品の説明やアップデート記録、ダウンロード数などがあるだけだ。

 

「本当にアップデートされている……」

 

「……。うぉおお!?」

 ホラーゲームは結構やる。そもそもホラーというジャンルそのものが結構好きだからだ。

 だが、この恐怖は――――リアル・フィクションを含めて人生の中で最大級だった。

 サイトの下部に表示されているリアルタイムのダウンロード数が数千桁まで膨れ上がっており、まばたきをしている間に桁数が増えていく。

 数ではなく、桁数が。今まで味わったことのない感覚に金縛りにあっているうちに、サイトそのものが過剰な情報量のせいで落ちてしまった。

 

「…………」

 

「…………」

 二人共絶句している。ゲームの中ならまだ『中々怖いゲームだった』で終わるが、このゲームから何かが現実に染み出してきている。

 せめてこの体験をしたのが二人で良かった。一人だったら恐怖のあまり頭がおかしくなっていたかもしれない。

 

「ま……また明日ね。起こしてあげるから」

 

「う、あ……ありがとう」

 なんだか嬉しいことを言ってくれたのも耳に入ってこないくらいに放心している。

 ホラーゲームの中では例え難易度ナイトメアだろうが最適解の動きが出来る自分だが、実際にこういう目に遭うと固まって動けないのが現実だ。

 

(製作者の意図だと……)

 何考えてんだこの作者、としか思えない。

 完成された作品はどんな難易度であれ、クリアに導くような作りをしている。

 この作品の導きは――――

 

「アウグストゥスって呼んでたけど……オーガスタスって読み方もあるのか」

 Augustusで検索すると、ローマの皇帝の名前以外にも読み方は色々あるらしい。

 アメリカによくある名前――――

 

「名前……?」

 わざわざ名字を隠すシステム、携帯のアプリによるGPS機能を使った人との人との交信機能。

 思うに、作者は現実世界での繋がりを目的としている。だから執拗なまでに徹底的にゲーム内で現実の世界を作り込んでいるのだ。

 

「……リストなんかあったのか。…………!!」

 アプリの中にすれ違ったユーザー名のリストがある。それ自体はこういったアプリ、というよりもゲームならあって当然の機能だ。なんならまだケータイが二つ折りだった時代からそんなゲームはあった。

 問題は、すれ違った人間――――『香南』『オウカ』と知った名前の中に『Augustus』がいることだった。点と点でしか無かった製作者の意図が線で繋がった。

 

「製作者を探すゲームかよ」

 今日、自分は渋谷のどこかで製作者とすれ違った。

 このゲームが一体なんなのか、何が起きているのか知りたいなら見つけてみろ――――今までクリアしてきたゲームのように、製作者の声が冬路の頭の中に響いていた。

 

 

 

***************************

 

 ランク1、No.1、#1。

 オンラインゲームにおいて誰もが憧れる称号だ。

 生まれも育ちも関係なく、東西南北強さだけが全ての人間が競い合う。

 不可能の壁を何度も超えて、薄皮を一枚ずつ重ねる日々を積み、16歳の秋に冬路はそこに到達した。

 何がクリアなのかが不明瞭なオンラインゲームにおいて、明確に一つの天辺に辿り着いたというのに、それでも何故か冬路はまた戦いの世界に身を投じていた。

 

「……?」

 96冊目になった研究ノートを読みながら試合検索をかけていたら、コメント欄が異様に騒がしい。

 このゲーム、Flawless Anthemを半年前に始め、2ヶ月前に配信を始めた。人気を得たかった、というよりも他人目線からの自分のプレイングの感想が欲しかったからだ。

 だが強いとはいえ特に面白いことも言わず、手元とゲーム画面しか映らない冬路の配信は100人が見ればいいほうだ。

 ましてや試合も始まっていないのにコメントが流れることなど無いというのに。

 

『フーロおるがw』

『プロ三人いますよ』

『心折れる相手しかいねえ』

 

「フーロ……」

 いつのまにかマッチしていたようで、敵にFooroがいる。

 他にもFooroのチームメイトであるDisrespectと国内二位のチームのアタッカー、fjordまでいる。

 全員二桁ランカーなのに対し、こちらに1000位以内の者は自分しかいない。平均レートが一致するように対戦が組まれているのだから、ランク1の自分がいるならそうなるだろう。

 意外にも、プロがランク1にいる時間は多くはない。

 特にチーム戦がメインのオンラインゲームにおいては、レートシステムが採用されている場合がほとんどであり、上に行けば行くほど勝ってもレートはほとんど増えず負ければガタ落ちする。

 おまけにしばらくプレイしなくてもレートは自動的に下がっていく。プロとは言い換えれば仕事だ。一人で長々とマッチングを待ってやっているほど暇ではない。大会の練習、スクリム、スポンサーからの仕事などもあり、その点においてはゲーム内の順位と実際の強さは少しだけ乖離している。

 ランク1にいるのは有名な配信者や一線を退いたプロの場合が多い。

 だがそれでも、その称号は誰もが憧れる。現役のプロでも到達すれば大喜びしてSNSで報告をする。

 

「面白いじゃんか」

 ある年の甲子園大会がいかにハイレベルでも、突然大リーガーが参戦することはない。

 歴史の長いスポーツであればあるほど、はっきりと区分されており、テレビの企画でもない限りプロとアマは交わらない。

 だがゲームの世界では有り得る。ただのド素人と頂点が天災のようにいきなりぶつかり合うこともあるのだ。

 これは明確に他のスポーツよりも面白いポイントだろう。プロとの距離感が家にいながら分かるのだ。

 思えばこの日、初めて冬路は思ったのかもしれない。

 

 プロになりたい、と。

 

 

「負け……かよ」

 25分にも渡る激戦の果て、僅差で敗北し冬路のランク1はたった一日で消えて無くなってしまった。

 

「これがフーロか」

 他のプロも強かったが、特に負けてはいなかった。

 やはりFooroの動きが別格で、第1ラウンドでスナイパー合戦に勝ったものの、その後スナイパーが苦手とするアタッカーで押し込まれた。

 

(こいつが同い年……)

 冬路の同世代の中じゃもはやそこらの芸能人よりも有名な日本最強の子供。

 世界最速と一部では呼ばれるその動きはもう人間の反射神経を超えていた。

 負けに浸っている場合ではなかった。急いでノートを取り出し試合のリプレイを再生する。

 

「だから……ガーディアンか」

 年齢制限に引っかかるため日本から出ず、海外から遠征してくるチームを返り討ちする。

 気がつけばFooroは日本の誇りを守るガーディアンと呼ばれていた―――というのが世間に出回っている話だ。

 だが違う。日本を守るからガーディアンではなかった。試合のリプレイを見ると分かる。

 徹底して味方を守る動きをしているからガーディアンなのだ。とは言っても利他主義から来ている動きではないだろう。

 他の獲物を狙っている敵こそ一番狩りやすいのは冬路にもよく分かる。よりクリーンな勝利を求めるうちに自然とこの動きになっていったのだろう。味方を守れば結局は勝てるのだから。

 殺し殺され最後に自分一人立って勝てばいい、という自分の考えと真逆の考えの持ち主だ。きっとコミュニケーション能力も高いのだろう。

 

「こいつ草食動物なんか? シマウマみたいに目ン玉顔の横についてんじゃないの」

 問題は味方を狙っている敵、敵に狙われている味方を一瞬で把握する視野の広さだ。

 常に敵味方の位置を把握しているかのような動きは人間味を感じさせなかった。

 

「…………」

 敵を殺し切るのか、味方を守り切るのか。

 この際どちらが正しいのかはどうでもいい。自分は今日負けた。

 普段は好き放題言っているコメント欄がドンマイだの相手が悪かっただのGG一色だ。ああすればこうすればとコメント欄が騒ぐ時は彼らが希望を持っているときだ。

 だがこれはただのランクマッチ。プロが一番強いのは当然プロ対プロのときだ。

 

(戦いたい)

 ランク1になってもまだこのゲームをやっていたのはこのためだったのだと、今なら言葉にして言える。

 まだ先があるというのなら見たい。プロになって戦いたい。見ている人間が絶望を感じるほどの差は無かったように思う。勝てる感触はたしかにあった。

 

「次は勝つ……!」

 マイクにも届かないほど小さく呟き、冬路のみが見抜いたFooroの弱点を綴ったノートを乱暴に閉じた。

 この日以降、調べれば調べるほどにFooroの強さの根源が冬路の中に染み込んでいき、気が付けば冬路もまたFooroのファンの一人になってしまっていた。

 

 

 

 

 

「ああああある!!」

 ベッドから跳ね起きた冬路は足首をベッドの端にぶつけて転げ回った。

 大会で負けてからというものの打率100%でFooro絡みの悪夢を見る。おかげで毎晩寝不足で、夜は眠れないし朝は起きれない。

 だが初めて悪夢が役に立った。痛みも無視して押入れに駆け寄る。

 

「あるぞ、俺の特別」

 押し入れから引っ張り出したダンボールには7歳から書き続け100冊を越えたゲームの研究ノートがあった。

 この小さな積み重ねがかつての冬路の天ほど高い自信を作り上げた。元々あった天賦の才にこれでもかとばかりに重ねた努力の結晶。

 小さい頃に書いたものなど涙が滲んで汚すぎて読めないものもある。この頃はゲームセンターで地元のゲーム自慢に負けることもあったし、不良中学生にカツアゲされたりもした。

 それでもやめなかったのだ。自分にはこれしかなかったから。

 

「……こんなゲームやったことあるっけ」

 今までやった全てのゲームのことが書いてあるはずだが、パラパラとページを開くとどうも記憶に無いゲームもある。

 一年間全く開かなかっただけでこんなに忘れてしまうものだろうか。それにしても何故自分はこれを持ってきていながらオンラインゲーム用のまともな機材の一つも実家から持ってこなかったのだろうか。

 これ以上無い特別の証、自分を表すのにこれ以外のものなどない。

 

 日本人口が一億人だとして、1億分の2に至った才能なのだ。

 これをS評価せずして何を評価するのだろう。

 と、思ったのに。

 

「C評価……俺の人生……」

 課題を提出してから2週間。教授陣を総動員した評価期間がようやく終わったらしい。

 返ってきた評価は最低一歩手前のCであり、講義を選ぶのではなく取れる講義を全て取って単位を貰わないと進級できない。

 

「どうしたんだい!!」

 

「いてぇっっ!!」

 固く冷たい何かで頭をどつかれ勢いで机に頭をぶつける。

 半ギレで頭を上げると活火山も即鎮火するほど冷静を呼ぶ光景が目の前にあった。

 

「見て! 身体と合わせて動くようにしたの! これで一人で漫才できる!」

 体中に何やら怪しいシールを付けた宍戸の隣でSFゲームの最初の方で敵として出てくるような弱そうなロボットが宍戸と同じ動きをしている。

 なんでやねん、と何にツッコんでいるのかよく分からない宍戸と同時にロボットも時田を殴っている。

 人間と全く同じ動きを出来るロボットなら、災害時の人命救助にも大いに役に立つだろう。しかし、これは。

 

「どっちもツッコミにならねぇ……?」

 

「!! ……! 業界初、二人共ツッコミのコンビ……!」

 気持ちの切り替えが早いのはいいことだが、なぜこの女は才能を微妙に違う方向で活かしてしまうのだろう。

 それを修正するのがこの大学なのだろうが。

 

「ていうか秋葉くん、靴下がバラだね」

 

「へ? あっ!!」

 指摘されたとおり、靴下が互い違いになっている。

 しかも似た種類の靴下ではなく、赤の靴下と黒の靴下を間違えているではないか。

 

「明日も別々のやつ履かなきゃ……」

 

「うわっ、秋葉くんすごいド天然! 私と組まない?」

 

「く、組まねえ」

 

「でもこれじゃまたBって言われそうかなぁ」

 

「俺もBだった……」

 

「だ怖っ! いたのかよ!!」 

 隣の席に気配も無く彩瀬がいた。

 時田もだが、講義開始前にはいなかったのにいつの間にかそばにいるあたり、こんな孤独上等みたいな見た目をしていながら割と寂しがり屋なのかもしれない。

 

「翻訳文付けなかったからか……」

 

「そらそうだろ! 誰も読めねえんだから! むしろBって優しいよ!!」

 

「ふっ」

 

「何がおかしい」

 宍戸ロボにぶん殴られてもめげずにエロい絵をドットで打ち込んでいた時田が鼻で嗤った。

 見た目だけで言えば逆の人物が取る行動のように思えるのに。

 

「俺はSだ。でもあの先生はドMと見たね」

 再び、今度は意図的に時田は宍戸ロボに殴られた。

 まぁ講義中にも必死に18禁のあれそれを作っていたから多少はぶん殴られた方がいいと思う。

 

「時田は明らかにこの大学向きの才能だからな」

 

「ま、そうなんだよね~。才能がどうしても出ちゃうよね~~~~人を勃起させる才能がね~~~~」

 

「それはそれとして、秋葉くんは? どうだったの?」

 S評価はこの教室で3人だと講師は言っていたから相当に凄いはずなのに軽く宍戸は流してしまった。

 

「……C…………です」

 クラス最下位の学力は今までの人生で慣れっことはいえ、大学に入ってもそうだとは。

 隠してもいずれ馬鹿はばれるので俯きながら答える。

 

「C! なかなか見ないよそれ。単位一個も落とせないじゃん。何を出したの?」

 

「なんだかんだいいつつもここの教授は大抵B以上を出すと言われている。希望がなければDを出すからな」

 

「とんでもなく特殊じゃないと出ないってね。Sと……俺と同じくらいスゴイぜ、さすがJカップ」

 

「Jはいいんだよ! Cなんだよ俺ァ!」

 

「いいからいいから! 何者か教えてよ!」

 

(……あれ?)

 なんだこの馬鹿、と言われると思ったのに。

 全員この人馬鹿なんですよという結果をそのまま受け止めてそのままに興味を持ってくれている。

 自分も相当に変だが、彼らも極まって変だからだ。

 

(ていうか……友達が出来ている?)

 今までの人生で一人もまともな友達が出来なかったのは誰ともほとんど喋らず即帰宅していた自分にも原因があるが、それ以上にドアホで変人の自分をからかってくる奴ばかりだったからだ。

 だがこの空間ではそんなことが起こらない。みんながみんな変人だから。自分も変でいていいのだという気分になってくる。

 

 とは言うものの。『アプリの売上でエッチなゲーム買いに行くぞォォォ』と150デシベルで叫びながら教室を飛び出していった時田に着いていくほどの勇気は無く、冬路は一人でトボトボと食堂に向かった。

 全然性格も違うのに彩瀬と宍戸も着いていったのがちょっぴり羨ましかった。宍戸に至ってはロッカーを背負いながら走っていった。

 

 

「シン、だろ。君」

 

「ぶボッ!!」

 あいつら走って秋葉原まで行ったんかな、と平穏な気持ちできつねうどんを食べていたら唐突に過去が背中から声をかけてきて両方の鼻から麺が出た。

 

「こんなに変わるもんかね。え?」

 最初に大学に来た日に一緒に食事をしてから毎日なんとなく顔を合わせている葉月だった。

 今日だって直帰して家でカップ麺を食べたりせずに食堂に来た理由も、葉月がいるからだろう、と思っていたのに。

 

「てめぇ……」

 

「プロデビューして一ヶ月で日本で『二番目』のアタッカーにまで駆け上がった天才」

 

「はっ、はぇぁ」

 二番目、を強調して言われ変な汗と変な声が出てしまい後ろを通り過ぎた老婆に遠回りで避けられた。

 両手を挙げて雑魚キャラそのものの動きで逃げようと席を立った瞬間に首根っこ捕まえられて再び席に戻された。脚が不自由なくせに妙に力の強い女だ。

 

「まったくいい試合だったよな。な!」

 

「あう、あぅ」

 昼飯の時間なのにホットケーキにアイスクリームを乗せてミルクとシュガーをたっぷり入れたコーヒーを口にしながら楽しそうに冬路を責めてくる。

 机に頬をくっつけてだるそうにフォークで口に物を運ぶ葉月を見ていると、ゲームをしながら食事をする冬路でも行儀よくしろと言いたくなる。

 

「でも最後は君のせいで負けた」

 

「ハァ!!?」

 驚いたのは敗北を自分のせいにされたことではない。

 敗北の原因が冬路のミスにあることを見抜いていることに驚いているのだ。

 たった数瞬の油断、しかも敵を一人殺しているその数秒をミスと言い切れる人間は少ない。

 プロが個人視点でスロー再生をしてようやく気づくかどうかというレベルなのに。

 

「なんだその面白い顔」

 

「……驚いた。好きなんだな、ゲームが」

 垂れ目を細めて髪をかきあげる――――と文字に起こせば葉月は妖艶そのものだがそのすべての行動を丸い食堂の机に全体重預けながらやっているのだから締まらない。

 

「ああ、好きさ。だからね」

 

「だからなんだよ」

 

「君みたいな自分勝手なプレイをしてプロを名乗るタコは好かないね」

 

「野郎!!」

 負けたとして、日本で二位になった才能と努力をこんな何も知らない女に馬鹿にされて怒らないはずがない。

 胸ぐらを掴みあげてもぶん殴らなかったのはぎりぎりのところで理性が働いたからだ。

 

「変な女に言い負かされて怒られるのが仕事です。楽でいいなぁ、プロゲーマーって! ゲームやっているだけでお金になるなんてぇ!!」

 

「こんの――――!!」

 

「もう君のプレイは見れないの?」

 

「!!」

 普段の人を舐めた態度からはあまりにも遠い、真剣な言葉、真っ直ぐな眼差し。

 よく見なければ分からないミスを見抜いたということは即ち、冬路のプレイをそれだけよく見ていたということ。

 冬路が高校生だった時、同時に高校生だった葉月もこの国のどこかで見てくれていたのだ。

 どうして自分は、きっと数少ない自分を真剣に応援してくれていた少女の胸ぐらを掴んでいるのだろうか。

 ゆっくりと気遣いながら椅子に座らせる。ふと気付くと随分と周りの人の興味を集めてしまっていた。

 

「……あの……。ごめん。金出すから、他のとこでメシにしないか」

 

「ふふっ。いいよ」

 プロとしての活動が短すぎたこともあるが、自分を応援してくれる存在がいたことなど考えたことなど無かった。

 思い出してみれば、決勝戦の時にも観客席に少ないながらも自分の名前が書かれたプレートを掲げた変わり者もいた気がする。

 記憶に残っていなかったのは、冬路が自分のためだけに戦っていたからだ。俺が最強、俺が最強、と。自分勝手と言われても仕方がない。

 流石渋谷、食事を出来るところなどいくらでもあったが葉月は甘いものを食べたがっていたのでこの辺りでは珍しい甘露茶屋に入ることにした。

 

「……」

 

「ほら、古い店だから仕方ねえ」

 手すりもない階段の前で固まる葉月を見て察する。こんなゴテゴテのパンク少女が入り口で突っ立っていたら営業妨害だろう。

 やはりどこかで触れた覚えのある手を取り、階段を一段ずつゆっくりと上らせる。ブーツとスカートの隙間から義足らしきものが見えたが、それについて何か言うつもりは無かった。

 

「怒るってことはさ、まだ……」

 本気で胸ぐらを掴んだため、複雑な構造をした肩紐がずれてブラまで見えてしまっていたのを直しながら葉月は呟いた。

 熱い渋茶を飲みながら黙り込む。お前に何が分かる、と怒ったはいいがその怒りの根源はやはり落ちても腐ってもまだ主張し続けるプライドにあるのだろう。

 一方でプライドが高いからこそ一回の敗北をどこまでも引きずってしまう。

 

「ゲームはもうやってないの?」

 

「……ない」

 

「あんなに死ぬほどやっていたのに?」

 

「ない。機材もほとんど実家に置いてきた」

 

「ゲームだけは誰にも負けないって言っていたのに?」

 

「……。え?」

 説得にかかっているかのような熱い双眸は青かった。カラコンがよく似合っているな、とどこか関係のない感想が浮かぶ。

 それよりも、いま葉月の口にした言葉が気にかかった。

 

「俺、インタビューなんか受けてないのに……なんで知っている?」

 

「さぁ……」

 

(……。配信見てたの?)

 プロとして何かを公式に話したことは一度もない。

 それなのに、冬路の情報を知っているということは、プロになる前にやっていた配信を見ていたということになる。

 日本人が1億人もいて、登録者数300人しかいなかったのにこんな偶然があるなんて。

 というよりも、どうせそんな沢山の人が見ているわけじゃないしと思って来ていた質問には全部正直に答えていたし、中には現実の知り合いには言いたくないようなこともあった。

 見てたのか、と聞き出す勇気もなく黙っていると葉月の頼んだ白玉あんみつが来てようやく流れが変わってくれた。

 

「食べたい?」

 

「いや、俺は……」

 

「甘いもの好きじゃないもんね」

 

「…………」

 好物は、と配信中に聞かれてレバーとか苦いのが好き、と答えた記憶がある。

 その時に苦手なのは甘いものとも言った。なんだか変な気分だ。自分の配信を見ていた人間と実際に会うのはプロ以外では初めてだから。

 

「じゃあゲームでやっているのはあれだけなんだ」

 

「まぁ……今はな」

 

「どこまで進んだ?」

 

「どこまでって……全体のボリュームもわからんのに……。あっ、そうだ」

 せっかく香南から量子力学とやらの触りを教えてもらったのだ。

 この際その分野を專門にしている葉月にいま自分たちの間に起こっていることを詳しく聞くのもいいだろう、と説明を始めた。

 

「なるほど。面白い現象だ。それを別世界の人物だと結論づけるのがもっと面白いが」

 

「だって何をしても会えなかったからな」

 結構な量の白玉あんみつをぺろりと食べた葉月は珍しく姿勢を正して座って話を聞いている。

 

「出会い厨、時空を超える」

 

「……。真面目に訊いた俺が馬鹿だった」

 大きなため息が出る。この状況を賢いとはいえたかだか18歳の少女にどうにか出来るはずもない。

 十中八九からかわれて終わるだろうなと思ったがその通りの結果になってしまった。もう帰ろうと思い伝票を手にとった時、葉月に止められた。

 

「まぁ待ちなよ。その現象の原因は分からないが……顔を合わせるくらいなら出来るかもしれない」

 

「……? マジ?」

 

「……そうだな、勉強が苦手な君にも分かるように話すと……この世界は情報の塊の箱庭だ。一定容量が限界のシミュレーション空間と言ってもいいかもしれない」

 

「この世界はゲームってこと? よくある映画の設定じゃんか」

 

「……まぁそれでいい。ゲームバカの君なら分かるだろう。一箇所に過多に情報が集まりすぎるとどうなる?」

 

「重くなる」

 昔はスペックの低いPCを使っていたからよく分かる。

 爆発のエフェクトが集中して起こったり、敵味方アイテムオブジェクトが入り乱れると動作が非常に重くなるのだ。

 

「そう。ゲームの中でも処理を要する情報が多すぎると時間の流れが遅くなってしまうし、バグも発生する。そして機器の限界を超えたらいよいよもって動作は停止してしまう」

 

「中で……『も』?」

 

「そうだ。光の速度がこの世界で最高のもので、光の速度に近づけば近づくほど時間の流れは遅くなり、やがて光の速度となれば時間は止まる。それくらいは知っているだろ」

 

「うーん……?」

 知っているには知っているが、一体なんの話をしているのか分からない。

 教えを乞うている身でこんなことを言うのもなんだが、馬鹿だと分かっているなら馬鹿にもわかりやすく説明してもらいたい。

 

「つまりこの世界の限界は光の速度と定められているんだ。それ以上の速度、エネルギーを持ったものはこの世界では処理できない。ならばやはりこの世界は一つの大きな空間だと考えられる」

 

(人は見かけによらねえなぁ)

 もう既に理解を9割型放棄した冬路はこんなパンキッシュな見た目の少女が頭の痛くなるような理論をつらつらと述べている光景の摩訶不思議加減に浸っていた。

 

「分かっていないみたいね」

 

「ごめん、全然さっぱりだ」

 

「いいよ。英語以外ダメなのは知っている」

 冬路は英語が多少話せる。というのも、チームでの協力が必須のオンラインゲームをプレイする以上、英語でのコミュニケーションが必須だったので1から覚えたのだ。

 100冊以上ある研究ノートも40冊目あたりから英語で書かれており、更にそのうち半分くらいはその日聞いて分からなかった単語のメモとなっている。

 英語話者がよく言う、話せるようになりたければその国に行くのが一番早いというのはこういうことなのだろう。必要だから覚えるしかないのだ。

 

「今までの全部理解しなくていいよ。これを見な」

 

「?」

 葉月が取り出したタブレットに写っているのは電車の写真だった。

 なんの変哲もない普通の電車であり、冬路もよく使っている4番線の明急西横線の車両だ。

 

「ここの2時45分、大宮行きの6号車はいつも異常に混雑する。朝の通勤通学時間よりも混み合うんだ」

 

「なんで……? そんな混む時間でもないだろうに」

 

「その理由は誰も分からない。その車両に乗る人間の誰に訊いてもその車両に乗る明確な理由があるんだ。誰も気にしないが、気にしだしたらおかしいことなどこの世にはいくらでもある」

 

「で、それが何さ」

 

「そうだな……例えば、一箇所にエフェクトが溢れすぎた結果、PCが飛びかけて建物が一瞬透けたりなんて現象を見たことは?」

 

「ゲームならよくあるな。特にバトルロイヤルで最後まで50人くらい生き延びちゃった時とかさ、一箇所に手榴弾やらロケットやらがぶち込まれてそうなることはある」

 かといってそれで有利になることはあまりない。参加者全員等しくFPSが著しく低下しているし、壁の向こうの人間が見えたとしてもそこに弾丸を打ち込んでもしっかりと見えない壁に弾かれる。

 何よりも最初からそこに何人ものプレイヤーが集まっているからこそそんな現象が発生するのだから。

 

「この2時45分発の列車は途中で対向車線とすれ違う。ダイヤ的にあり得ないのに、だ」

 

「…………。情報が集まりすぎて壁の向こう側が見えているってやつか……!?」

 長々としていたよく分からない話がようやく繋がった。

 ゲームで起こる現象がこの世界でも起きているからそれを利用しようぜ、と言っているのだ。

 正直かなりオカルトめいているが、あの大学に認められるくらいの才能ならばこれくらい型破りでなくてはいけないのかもしれない。

 

「分かったならさっさとその子に――――」

 伝えろ、と葉月が言い終わる前にポケットの中の携帯が震えた。

 友達のいない自分の携帯に入る連絡なんて香南以外にはなく、そこには『明急西横線って使ったことある?』と書かれていた。

 

「面白いな。やはり君たちは何かの理由で繋がっているんだ」

 

「かっ、香南も同じタイミングで……?」

 

「遠い遠いところ……宇宙の端と端どころではなく、別の世界を結び付けた。そこにあるのは必然のみなのかもしれない……」

 

「なにをワケの分からんこと言ってんだっ」

 

「さぁ、さっさと連絡して渋谷駅に向かおう」

 

 会計を終え、渋谷駅に向かいながら冬路は必然性について考えていた。

 何をしても上手く行かなかった人生だ。完璧人間の兄の影に隠れ、コミュニケーション・勉強・運動の全てがそれこそDランクだった自分は親から怒られることも半ば諦められ、このまま大人になればニートかフリーターだろうと思われていたし自分でも思っていた。

 それなのに、プロになろうという意志があることを配信で話してからわずか2週間で自分はスカウトされてプロになっていた。

 今まで川の流れに逆らっていたかのような人生だったのに、運命の流れに従えば実に伸びやかに人生は進んでいった。

 だが川の流れの先にあるのは所詮淡水魚の身では知ることのなかった広い海であり、川の中でいくら強く大きくとも海には想像もつかないほどに巨大な生物がいる。

 運命や必然と呼ばれるそれは不良品の自分にいったい何を求めているのだろう。

 

「大丈夫か、ほら。俺も香南も分かっているんだからわざわざ着いてこなくても……」

 ただでさえ人の多い渋谷駅の改札まで辿り着くのは脚が不自由な葉月には大変だったようで、エスカレーターから降りようとする今でさえも身勝手な人々に翻弄されて転びかけていた。

 

「見てみたいじゃないか。この目で……」

 

「無駄足にならないといいな」

 

「駅は嫌いだ。だからわざわざこの辺に住処を移したのに……」

 

「……元々東京住みだったの?」

 今の言葉の感覚的に、実家は通学圏内だったと言っているように聞こえる。

 だとしたら東京で行われた去年の大会も実際に見に来ていたのかもしれない。

 

「いいから乗るぞ! 開閉扉の直ぐ側を確保しろよ」

 

「ぐぇっ」

 葉月に押されていたのもあるが、それ以上に異常な密集度の人々に押しこまれて車両の中程まで押し込まれる。

 

(うっ、くっせ!)

 恐らくは会社の重役クラスのデカいおっさんの咳を顔面にもろに受け止めてしまい一瞬この世界の全てが嫌になる。

 どうして身長187cmの自分の顔めがけて臭い息が飛んでくるのだろう。一応葉月の手は握っているものの、おにぎりの具のように人々の中に完全に埋もれてしまっていた。

 

「おい、扉の方行くぞ!」

 

「いいから……行け。もう20秒しか無いぞ!」

 

「……!」

 この混雑の中で脚に障害を抱えた葉月の手を離すことは心苦しいが、鞄とコートの間から伸びている手が早く行け、とジェスチャーしている。

 15時前の電車が何故こんなに混むのか理解できない。だが周囲の人間は特に混み合わせようという意識を持って乗っているようには見えない。

 本当に各々が何かしらの理由を持ってこの電車に乗り、この混雑を作り出しているのだ。

 自分の目の前には息の臭いおっさんがいて、後ろには渋谷から移動しようとしている女子高生がいる。そして自分たちのように移動以外の意図で乗り込んでいる人間もいるのだ。

 この混雑の原因を解明しようとしたって出来ないだろう。

 

(でもこれでいいのか!)

 無理矢理に流れをかき分けてなんとか扉の目の前を確保する。

 エネルギーは質量と速度だと葉月が言っていた。それくらいなら物理で習ったような気がしなくもない。

 これ程のエネルギーを持った物同士がすれ違うなら確かに何かが起こってもおかしくないような気もする。

 

(え?)

 トンネルに入り暗くなったのも一瞬、進行方向からの光に線路が照らされる。

 ここまでは予定通りだからいい。だが、冬路の瞳に映る線路はすれ違うには遥かに離れている。

 それでは理屈が通らない。ぎりぎり二本の線路が通るくらいに狭いトンネルなのに、何故――――と思っている間に離れていた線路が近づいてくる。ようやく理解できてきた。この線路とあちらの線路は双曲線の軌道となっている。既に自分は別世界を目にして――――

 

(来た!)

 今の時代、乗車するほとんどの人間が携帯を見ているか音楽を聴いているか寝ているかだ。

 意識を向けなければ違和感に気が付くこともないだろう。いますれ違っている電車がこの世のものではないなんて。

 

(どこに……)

 この世のものではない電車なんておどろおどろしい言葉に似合わず、すれ違う電車に乗っている人々は至って普通だ。

 右から左へと目を動かしてなんとか窓の側にいる人間の表情まで分かるが、全員混雑している車両の中で憂鬱な表情を――――

 

「いた!」

 唐突に頓狂な声を上げた冬路を周囲の人間が『また変な奴がいるよ』と睨んでくるが、今更変な奴扱いなどもうどうでもいい。

 自分と同じように背中を滅茶苦茶に押され、それでも窓の外を見逃さないようにとガラスに手を付いて車両の外を見ていた女性と視線がぶつかる。

 ほんのり巻かれた黒く長い髪、あの日写真で見た深緑のコート、そして見間違えようもないややおっとりした性格に合わない吊り目と泣きぼくろ。

 だがプロになった目を持つ冬路をして、残像が瞼に焼き付くほどの時間も無く全ては消え去りトンネルを抜けてしまい、また普通の世界に戻ってきてしまった。

 

「ほら、気ぃつけよ」

 冬路と一番縁のない街、新宿に到着し押し入れの奥から布団を取り出すように葉月を引っ張り出す。

 葉月はこんな見た目だが、同類の自分には分かる。休日平日関わらずなるべく部屋に籠もっていたいタイプに違いない。

 

「はぁっ、地獄だ……。あの子か」

 

「見えたの?」

 

「ギリギリな。私に似ている子だね」

 

「どういう冗談だそりゃ」

 背丈は似ているかもしれないが、葉月も香南も平均身長くらいだし、思い切り風紀を正す側と乱す側だろう。

 何よりも目が違う。人を舐めきった垂れ目をしておいてなぜそんな言葉が出る。だが髪もボサボサになり服も乱れ、たった一駅乗っただけで疲れ切った様子の葉月にそれ以上ツッコむ気にもなれなかった。

 もう体力限界だろうなという冬路の見立ては間違っておらず、葉月はそのまま逆方向の電車に乗って帰っていった。今の今までムンバイそこのけの混雑度だったのが嘘みたいにスカスカの電車しか通らない。

 帰ったら連絡する、と香南から連絡も来たのでここで立っていても時間の無駄だが、ここまで来て何もしないのももったいないので売店で適当にコーヒーを買い、結局駅から出ないまま冬路も渋谷に帰った。

 

 

 

*****************************************

 

 

 

 プロのゲーマーになった後、兄だけは応援をしてくれた。

 父親は無関心、母親はずっと反対をしていた。それはそうだろう。兄が東大を出て省庁に務めるような人間になったのに弟は勉強も運動もできずゲームばかりの出来損ない。どうしたって比べてしまうだろう。

 

 

「あんたどうするの!? 勉強もしない、バイトもしない! かといってゲームだってもうやってない!」

 

「…………」

 母親のいつもの小言をガン無視決め込んでテレビを眺める。

 明かりすらもないステージの上でパソコンに向かい合ったプレイヤーが12人対戦のヘッドショットオンリースナイパーデスマッチに真剣な眼差しで挑んでいる様子が淡々と流れている。

 勝負が決し、エナジードリンクを飲んでパソコンの前から去っていくFooroの背中に今飲んでいた飲料の名前が書いてあるというシンプルなCMだ。

 これだけ見ても分かる。生まれ持ったスター性の違いというやつが。

 

「聞いているの!?」

 

「なぁ、やめてやれよ。日本一を決める戦いだったんだろ。落ち込むのはしょうがねえよ」

 

「…………」

 冬路とは逆に運動も勉強もでき、女にもよくモテる兄は人をいじめるのが大好きな典型的なイヤな奴だった。

 それも過去の話、就職してからは強気な性格こそ変わらないもののいつの間にか落ち着いた人格者になった。

 昔は自分に4の字固めを泣くまでしていたのに、今では母親に怒鳴られている冬路をかばってくれている。

 

「ほら、ご飯並べるの手伝って!」

 

「…………」

 部屋にいて準優勝の銀盾を見るのが嫌だったからリビングにいたのに20分くらいずっと怒鳴られていた。

 それを全部聴いていた父親は無関心に新聞を読んでいる。いつものように家族の分の皿と箸を並べた後、自分の分のおかずと米だけよそっておぼんに乗せて部屋を出ようとする。

 

「あんた、まだ一人でごはん食べるの!? どうして家族で食べようと思わないの!?」

 

「……。もうちょっとしたら勝手に出てくから……俺のことはほっといてくれ」

 

「なにそれ! ちょっと、待ちなさい、話を――――」

 リビングを出てから大きなため息をつく。母が自分に小言を言ってくるのはもう生まれてからずっとだ。褒められたことなんて今まであっただろうか。

 食事の乗せられたおぼんを持って階段を上がるのはもう10年近く続けている習慣だ。学校が終わった瞬間にダッシュで帰宅しゲームをやり込み、夕飯もリビングから自室に持っていってゲームをやっていた。

 なんて考えてみると小言程度で済んでいるならまだマシかも知れない。

 

「おい、ちょっと待て」

 

「なに」

 休日だというのに非常に珍しく遊びに行っていない兄に呼び止められる。

 たまには一緒に飯を食おうぜ、とかそんなところだろうか。

 

「まぁ気持ちは分かるよ。俺も全国で負けた時は悔しかった」

 上背だけなら冬路の方が5cmほど高いというのに、猫科動物のように伸びやかな運動神経を持つ兄は昔サッカーのインターハイに出場するようなフィジカルお化けだった。

 これで勉強も全国100番以内に入る成績だというのだから笑えてくる。全くもって自分と同じ血が流れている兄弟とは思えない――――が、実を言うとおかしいのは自分のほうだ。

 優秀な一族の落ちこぼれという表現がぴったりな冬路はゲームで誰よりも強くなるという夢さえも破れて両親からも厄介者扱いされている。

 

「だけど兄貴は勉強が出来た」

 

「まーな。しかも控えめに言ってもツラがいいから女にモテんだこれが」

 

「何が言いてえんだよ」

 

「大体何やっても一番だったしな」

 

「だから何が言いたいの」

 飯の乗ったおぼんを持って廊下に立っているということが分かっているのだろうか。

 相変わらず自惚れが強い。だが、実際に何をやらせても一番だったのは事実だから自惚れという表現は間違っているのかもしれない。

 

「けどな、俺は別にそこまで引きずらなかった。痛みを感じなかった。何でも一番って言ったって周りの人間の中での話だ。日本で一番になりたいとか世界の誰よりも上になんて考えたこともなかった。つーか普通の人間は考えないんだよ。お前はガキの頃から変わってたもんな」

 

「……?」

 

「見てて思ったよ。たった一つのことに死ぬほどのめり込んで、負ければ魂が燃え尽きたみたいになっちまって。こういう人間が世界で戦うんだって。本当に凄い戦いだった」

 

「えっ……?」

 確かに、いつからか兄は自分をいじめなくなったし、呼んでもいないのに大会に友達を連れて応援に来ていた。

 まさか自分はいま褒められているのか。

 

「凄いやつだよお前は。他の何が出来なくても、何か一つでてっぺんが取れればそれは何よりも価値のあることなんだよ」

 兄がこの前『俺はジェネラリストだから』と親と話していたのを聞いた。

 特定分野において技能を発揮するのではなく、幅広い範囲で知識経験を持つ人間のことを言うらしい。

 なるほど、小さい頃からあれもこれも満遍なく手を付けて最上級の成果を残してきた兄らしいではないか。

 

「俺はお前のことを誇りに思っている」

 

「……!」

 本当に心臓がひっくり返るほど驚いた。

 プロレス技をかけるような肉体的ないじめは流石に7,8年くらい前を最後に無くなったが、それ以降も事あるごとに味噌っかすで何も出来ない弟のことを馬鹿にし続けていたのに。

 自分のためだけに戦い続けてきたのに、そんな自分のことをあの兄が認めてくれているなんて心にも思わなかった。

 

「でもまぁ、まずは美容院に連れてってやるよ。浪人生ってか浮浪者みたいだぞお前」

 

「浪人生……?」

 ようやく兄の顔を見るために顔を上げるとそこには天井があった。

 人ゴミに疲れて家につくなりベッドに身体を投げ出したら夢まで見るほどに熟睡してしまったようだ。

 懐かしい記憶だ。その後兄に本当に美容院に連れられ変身したのだったか。見た目は兄と似ている自分は蛹もビックリの大変身を遂げた。それでも中身は変らずポンコツなのがタチが悪いが。

 枕元に置いてあった携帯がちょうどいいタイミングで鳴り出した。香南からの呼び出しだ。

 

『もしかして寝ていた?』

 

「うん、歩き疲れちゃって」

 

『それよりも! いた、いたよね!? あの頭白い人だよね!』

 

「うん。目があったのが俺だ」

 

『か……かっこよかった! なんで、ぜんぜんゲームの中と違う姿をしてるの』

 ゲームの中で得る勝利、より強き者との戦いが全てだった10年。

 強者からもぎ取る勝利以上の喜びを知らなかった冬路の中に、それと同等以上の感情の爆発が芽生えてくる。

 

(う、嬉しいっ!!)

 いつしか自分の存在価値を敵を叩き潰すことでしか感じれなくなり、気付けば人間をやめていた鬼は、より純度の高い鬼に破れ人間以下のなにかになってしまっていた。

 人間帰り。『意中の女の子に褒められる』という喜びが油の切れた行灯のようだった冬路の心に火を灯す。

 未来に名を残した科学者も、メダルをダース単位でかき集めたアスリートも、部屋に引きこもりゲームしかやってこなかった陰気な少年も等しく恋をする。

 今まで人生をかけて積み上げてきたモノの隣に女は気付けば座っている。

 生まれて初めてまともにコミュニケーションをとった異性は冬路の話すことを一つも否定することも無く、優しくおまけに好みど真ん中。

 ある意味生まれたてのひよこ以下の冬路に惚れるなという方が無理だった。会ったこともないのに、というネガティブな言葉も今日無くなってしまった。

 

「も、もう一度! 君に会いに行くから」

 

『そうそれ! 今日私はもう一つ凄いことに気がついたの! もしかしたら、もうすぐ作者を見つけられるかもしれない。また会えるかもしれない!』

 冬路よりも遥かに頭の回る香南はこんなに慌ただしかった今日ですらも謎を一つ解き明かしたようだ。

 だがそれよりも、それ以上にもう一度会うことを否定しなかった事実が冬路の心を踊らせた。

 

「気付いたって何に?」

 

『あのサイトのコメント欄やアップデート履歴にあるIDはIPアドレスから作られたものだって知っている?』

 

「まぁ……。あ!」

 なぜそんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。

 いや、気が付かないのは当たり前だ。誰が作者のIPアドレスなど知りたいと思うのだろう。

 せいぜい荒らし対策をする管理人くらいだ。だが、大学や企業などは固有のIPアドレスを持っている。

 あれだけの量の作品を一人で作れるとは思えない。どこかで何かの集団により作成され、アップロードされたものだと考えるのが妥当だ。

 

『この間のアップデート、私の大学からアップロードされていた』

 

「学生が作者なのか……?」

 

『そうとは限らない。うちの教授の誰かかも……渋谷雄翼大学の』

 

「は?」

 そういえばAugusutusとすれ違った時間は、時刻的に大学にいる時だったとか、大学ならゲーム作成のサークルがあってもおかしくないとか。

 そんな考えが全部飛んだ。香南と自分は同じ大学に通っている?

 

『え?』

 

「俺も……そこの生徒」

 

『……嘘だよ。冬路勉強苦手って言ったじゃん』

 

「嘘じゃない。学生証を送ってもいい。だいたい勉強はそこまで関係ないはずだ」

 

『だって運動部の推薦とか無いんだよ。難しい試験通らないと入れないのに』

 渋谷雄翼大学、と確かに口にしたのに何かが冬路の述べていることと食い違う。

 あの大学には確かに頭の良いやつも多い。だがそれはおまけのようなもので、冬路のように○○以外なんの取り柄もありません、でもその○○だけは誰にも負けませんという人間だっている。

 何よりも入学試験などない。

 

「君の……渋谷雄翼大学ってどんな大学?」

 

『日本一の私立大学。早慶よりもずっと難しい』

 

「違う……」

 確かに渋谷雄翼大学は日本一の私立大学だろう。だが早慶やらMARCHやらそういう尺度にある大学ではなかったはずだ。

 

『なにが……?』

 

「俺の通っている渋谷雄翼大学は確固たる特別を持っている生徒だけが選ばれて入学案内が送られる。入学試験なんかない。特別な奴しかいないけど、全員勉強が出来るわけじゃない」

 

『特別……冬路は何が特別なの?』

 

「な……言えない。ごめん。でも、機械いじりの天才だとか、プログラミングの天才とか、そんなんばっかがいる」

 当然の疑問だった。特別な人しかいないと言えば、それなら君は何者なのだと問われるだろう。

 

『必然……何が私達を繋げたの? 冬路、出身は神奈川だって言ってたよね』

 

「うん」

 

『高校は?』

 あまり言いたくなかった。

 なにしろ冬路の通っていた高校は暴走族予備校と言われるほどに不良が集まる、日本から選びぬかれた馬鹿ばかりだったからだ。

 その中でも更に馬鹿だった自分は正しく選ばれし勉強嫌い。馬鹿のエリート――――だがいま隠しても仕方ないだろう。

 

「国際蒼嚥学園」

 何が国際だ、国際的な馬鹿ばっか集め腐って。名前書ければ赤点にならないテストを出して何がしたいんだ、とテストにほとんど名前しか書かずに卒業した冬路はよく思ったものだった。

 

『やっぱり……!』

 

「やっぱり?」

 

『私もその高校を出ている。私立共学の中だったら日本で三本指に入る偏差値の高い高校だった』

 

「違う違う、私立共学の中だったら日本で三本指に入る偏差値の低い高校だ」

 

『だとしたら……中学は? 小学校は?』

 

「敦基小、敦基中だよ」

 

『私もそこを出ている。私達は同じ年に同じ場所にいた……!』

 

「……!」

 基本的に頭の回転の鈍い冬路でもようやく香南が整理している事柄が理解できた。

 何が自分たちを繋げているのかを見つけようとしていたのだ。

 その後も話を進めれば幼稚園からも同じところを出ており、学校の有名人も共通で知っていた(冬路はあまり覚えていなかったので香南が名前を挙げてそういえばいたなと思い出した程度だったが)。

 住んでいた場所も、近所の駄菓子屋も全て同じ。だが劣等生の冬路は馬鹿のエリートコースを、優等生の香南は真っ当なエリートコースを進んでいた。それに合わせるようにして高校も大学も名前も場所も同じでもその中身を変えている。

 どこか遠い、宇宙の端よりも遠い自分と真逆でいるようで最も近い存在。このゲームがまるで磁石を近づけるように自分たちを引き合わせたのだ。

 

『こんなに似ているのに真逆の存在……』

 同質の真逆という矛盾した属性が冬路たちを次元を超えて繋げた。

 人間は誰しも世界に生きる77億の人間とは知り合いになることは出来ない。その一方で技術の進歩は遠く離れた人間同士を繋げることを可能にした。

 この世界の全ての人間の実在を肉眼で確認出来ない一方で、実際には会うこともない遠くの人間と繋がれる。誰もがインターネットによって交流を生み出しているこの時代。

 普通の人生を歩んだ人間でも今までネット上ですれ違った人間の数は数万はくだらないだろう。その中には、この世界に存在しない人間も当然のようにいるのかもしれない。

 

 

************************

 

 負けたら死のうと考えていた。勝てない自分に価値などないと思っていたからだ。

 だがそんな考えを持っていてもこの時代に、たかがゲームに負けただけで死にはしない。

 また明日も無能な日々が続いていく。それならば、戦国時代の生命の奪い合いのように負けたらその場で死んでしまえればよかったのに。

 

「ごめんなさい。俺のせいです」

 準優勝の銀盾と賞金を持って、冬路の所属するチーム、Another Oneはそのまま安い居酒屋に来ていた。

 他のメンバーは全員20歳を超えているがまだ17歳の冬路は当然酒を飲むことはできない。

 

「いや、お前は本当によくやったよ」

 

「デビューしてすぐにここまで戦えるやつは世界で探してもいないよ。天才だ」

 キャプテン含むメンバーが口々に慰めてくれる。

 相方DPSのRuinがそっとこちらに焼き鳥の皿を寄せてくれたが首を振って拒否する。

 ようやく涙は止まったが、歯を食いしばり過ぎたせいで奥歯の歯茎から出血してしまいとてもではないが何かを口に入れられる状態ではない。

 

「でも勝てなかった……」

 

「いいんだよ。次もっと強くなれば」

 Another Oneはスポンサーのいない弱小チームだった。

 所属しているメンバーもキャリアこそ長いものの、入賞記録のないメンバーばかりで、冬路の前でジョッキを呷っているキャプテンに至っては18歳から活動を始めてから10年目の今日になってようやく――――しかも日本二位の称号を得て実に満足気だった。

 賞金に関する法改正もあり、今回Another Oneが得た賞金は3000万円。6人しかおらず、監督もいないチームなので全員で割って一人350万円を手に入れた。

 中でもエースの冬路とキャプテンであり業界屈指の苦労人であるIcemanは450万を手にした。半分のメンバーが普段はアルバイトで食いつないでいるため、これは一年で得る収入よりも多い。

 だが裕福な家庭で育った冬路は金にはあまり頓着がなく、ただただとにかく最強の称号が欲しかった。

 

(みんななんの為に戦っているんだ? これでいいのかよ)

 勝利の余韻もほどほどに、明日のバイトの予定を確認しているメンバーや、賞金をどこに預金するべきか話しているメンバーもいる。

 プロゲーマーになんかならずに、普通に就職すれば少なくともこんな色あせた古着を着て安い居酒屋で管を巻くことも無かっただろうに。

 それでもプロになったのは、例え貧乏だろうと惨めだろうと誰よりも強くなりたかったからではないのか。

 だったら二位に価値なんかない。賞金だって結局は額面通り普通のサラリーマン一年分の価値のみなのだ。

 そう考えるとまた涙が溢れてきてしまった。

 

「いい機会だ。聞いてくれ」

 Icemanがジョッキを空にして改まった表情でチーム全体に声を通した。いつも朗らかなキャプテンが神妙な顔をしているときはあまり吉報は出てこない。

 チームにたった一ヶ月しか所属していない冬路でもそれは知っていた。

 

「俺の分の賞金はチームの運営の為に使ってくれ。それに、これだけの結果を残したのならスポンサーもつくだろう。もうみんなから金を集めてユニフォームを作ったりしなくていいんだ」

 

「なんでわざわざみんなに?」

 Ruinの疑問ももっともだった。Icemanのキャプテンとしての適正・人格をメンバー全員が信頼しており、大会ごとに行われる費用の集金などのチームの運営も全て任せている。

 出納帳も領収書と一緒に公開されているが特に誰も見ようともしないのは信頼の表れだ。

 

「引退する。実家の酒屋を継ぐよ」

 どんな競技でも、限界を感じる年齢というものはある。野球ならほとんどの人間は40代で引退してしまうし、将棋なら最盛期は20代半ばと言われている。

 プロゲーマーはあらゆる競技の中で最も現役でいられる時間が短いと言われている。

 17歳~24歳までが最も強い時期であり、30歳ともなると長老の域に入る。Icemanの判断は、『これ以上チームの重荷にはなれない』という痛いくらいにキャプテンらしい判断だった。

 

「21歳のときにこのチームを作った。俺のチームがスポットライトを浴びてたくさんの観客の声援を浴びることが夢だったんだ。メンバーも結構入れ替わったけど、どいつも良い奴らだった。本当に、夢を叶えてくれて本当にありがとう」

 その言葉を聞いたときに湧き上がってきた感情は一言で言い表せない。

 プロになりたいから入っただけの適当なチームだった。自分が良ければそれで良かったし、実際に自分が入ったためにこれだけの結果を残せた。

 プロになる前も、なった後も全て自分のためだけに戦ってきた。冬路のへまで負けたのに誰も冬路を責めない。Icemanに至ってはずっと前から今日が最後だと決めていただろうに、冬路の未来を見て称賛してくれている。

 今までの人生で何も、誰からも期待されていなかったから知らなかったのだ。

 誰かの為に勝ちたいという感情を。

 

「おい、秋葉。単位落とせないのに聞かなくていいのか」

 

「!」

 彩瀬に小突かれて目を覚ます。

 講義の真っ最中だと言うのに、喜多見から貰ったARサングラスを付けたままガッツリと寝てしまったようだ。

 あの敗北以来、眠れば必ず悪夢に魘される。それが分かっているから夜に眠れず、昼はいつも睡眠不足でふらふらしている。

 結局あの後、住んでいるアパートの名前まで一緒だった自分と香南だが、だからといって何をすることもできず、近所の安いスーパーを教えてもらったりしただけだった。

 

『お前たちを形作っているものとはなんなのだろうか。魂を形成しているものは? 秋葉、目が覚めたなら答えろ。何がお前という人間を作り、プロにした?』

 

「いいっ……すいません、分からないです」

 

『ふん。脳だ。脳が感じ取ったものが、自分を作り世界を作るのだ』

 

(喜多見教授……)

 改めて考えるとあのゲームの作者として喜多見が一番怪しい。

 大学でAugusutusとすれ違った時間帯や、アップデートがこの大学から行われたという事実に加えて彼もまたプレイヤーの一人であるということも重要な要素だろう。

 また、喜多見の下の名前である謳歌もAugusutusの読み(オーガスタス)と似ている気もする。

 

(証拠としては薄い気もするけど)

 とにかくこの大学のプレイヤーを一人ずつ当たっていくしか無い。

 そして質問するのだ。『月映しの世界』とはなんなのか。何が目的のゲームなのかを。

 

「プロってなんのプロ?」

 

「やっ、その……後で教えるよ」

 サングラスをずらして好奇心の浮かぶ目でこちらを見てくる宍戸を見てもう隠せないと悟る。

 いくら冬路がひた隠しにしているとは言え、それを喜多見が隠す義理はないし、なんならこの大学で自分の持つスキルを明かさないことは無意味と言っても良い。

 

『この世界は無限にほど近いほど綺麗なのに、お前たちの目はたかが5億6千万画素しか見分けられない。きっと宇宙一目のいい動物なら、愛している存在を形作る原子さえも見えるというのに!』

 

(なんの講義だか全然分からん)

 最初から途中まで全く聞いていなかったからそれも仕方ない。

 だが喜多見の講義なのだからやはり現実を拡張することに関する講義だろう。

 

『この世界はもっと騒がしく、いろんな音に溢れていて静けさなどどこにもないのに……お前たちの耳は20ヘルツから2万ヘルツまでしか聞こえない。世界一耳のいい生き物なら、きっと100万光年離れた星で鳥が羽ばたいて落とした羽根が水たまりに落ちる音さえも聞こえると言うのに。たかが目の前にいる私が出している音もまともに聞こえない。見えない』

 

(そういや……)

 プロになってすぐに言われたことが『目がいい』だった。

 他の人間と比べようがないから気付かなかったが、冬路は動体視力が異様に優れていた。

 ほとんど全てのゲームにおいて、動体視力はトップに行くために最も重要な才能と言っていい。

 ディスプレイの解像度がどれだけ優れていて遅延が限りなく少なくとも、目が付いていかなければ意味がない。

 秒間60フレームまでしか認識できない人間が秒間120フレームの設定にしたところで認識できないのだから――――という話と同じだろう。

 

『自分に見えないなら意味がない。再現に無限に近い容量が必要なこの世界も、たかが自分一人に認識される程度なら原子なんかいらない。100m先の音でさえもいらない。お前たちの周りのお前たちが認識できる範囲の雑な世界。それがお前たちの世界。お前たちの人生を形作ったものだ。今日の講義に関してレポートを書いて同級生と意見交換をしろ。以上だ』

 

「うおっ」

 目が覚めて10分で講義が終わってしまった。

 ほとんど話を聞いていないのにどうやってレポートを書けと言うのだ。

 きっとここで学友と磨き上げたレポートを提出しろと言われるに違いない。

 

(レポートレポート!)

 慌ててARグローブを手にはめて画面脇のツールボックスを引っ張り出す。

 机の上に電子ノートを置いてとりあえず文章を書き始める。

 

「秋葉くんって何かのプロなの? Jカップのプロ?」

 

「なんだよJカップのプロって!!」

 まだJリーグなら分かるがいつまでこの男はおっぱいに頭を支配されているのだろう。

 

「17,8でプロになれる競技もそうあるまい。将棋か? いや、そういうゲームもありなら普通に電子ゲームのプロもあるか」

 

「!」

 彩瀬の言葉がドンピシャ正解でレポートを書く手が止まってしまう。

 と言ってもどうせ書いている文章などへのへのもへじとそう大差ないのだが。

 

「モデルか何かだと思った。背高いし。お金稼げばプロって言うでしょ」

 

「喜多見教授の言い方は競技に関わる人間を指しているようだったが」

 

「わ、わ、わ、分かった! その話はまた今度する! 俺ァ、分かるだろ! 単位落とせねえんだ! こんなハナクソレポート一個もマジでやんなきゃならねえ」

 

「秋葉は全く自分のことを話さないからな。分かった、楽しみにしている」

 なんだかんだ変人と言いつつも気のいい奴らだ。

 頭いっぱいいっぱいでつっけんどんな態度を取ってしまった自分に対しても文句の代わりにまた明日と言ってくれた。

 

(生まれて初めての友達……)

 高校時代、誰とも話さずに放課後即陰キャダッシュで家に帰っていた自分にも大いに原因はあるが、プロになっても同級生の反応は対して変らなかった記憶がある。

 授業が終わった後に壇上に立たされて『秋葉は今度なんだかスゴイ大会に出るらしい! クラスみんなで応援しよう』と教師が言いクラスメートがまばらな拍手をしていた。早く帰りたかった。

 それに比べて今はなんて過ごしやすいことだろう。彼らなら明かしたって構わないかもしれない。

 

(そうだよ友達だよ!)

 先に帰らせてどうする。あの三人のうち誰かとレポートの交換をしなければならないのに。

 何故自分はゲーム以外の全てが空回りするのだろう。

 

(葉月は?)

 自分勝手な葉月らしく、彼女は講義をよくサボるし席も気分で決めている。

 今日はいたのだろうか。来て即寝てしまったから教室に誰がいたかもまともに把握していない。

 画面左上のツールボックスから仮想PCを取り出し、学内メールアドレスから探す。そういえば自分はまだ入学して誰ともアドレスを交換していない。

 

(あれ、あいつ名字なんだっけ)

 よく考えてみると葉月という名前以外何も聞いていなかった気がする。

 だが同級生はたった60人しかいないのだ。上から順に見ていけば分かる。

 

(宍戸遥……彩瀬朝晴……あれ?)

 こいつらこんな名前だったんだ、と思いながらざっと見ていたが葉月という名前の人間はいない。

 

「???」

 同学年ではないのか、と思い名前で生徒の検索をかけても出てこない。

 なんなんだ一体、と思っていたらメールが届いた。学内メールで届くものなんて大抵いいことは書いていない。

 

「やっぱりな」

 『8時に来るように』という文言を添えて住所を書かれたメールの差出人は喜多見だった。

 断言できるが自分の人生で教師なるものと関わって良いことなんて一度だって無かった。

 

 

 

*************************

 

 

 家に帰ったらそのまま外に出たくなくなってしまうダメ人間の冬路は適当なカフェで時間を潰し(レポートは全く進まないしARサングラスのせいで変な目で見られた)、

 日が暮れてから送られてきた住所へと向かった。なにしろ体力のない冬路はカフェでぼんやりしているだけでも人が多すぎて疲れ果ててしまった。

 

「可能性があるとしたら、喜多見教授だと思う。あの人なら何か知っているかもしれない」

 

『んー、多分違うと思うよ』

 香南もあちらの世界で色々とあちこち調べてくれているようで、電話の向こうからブーツが奏でる高い音が聞こえる。

 

「なんで?」

 

『後で教える。もっと簡単なことだったように思う』

 

「えっ、じゃあいま教えてくれよ」

 

『いやまず目の前のことをなんとかしなよ。教授からの呼び出しなんて中々起こらないよ』

 

「うっ……ま、まぁ……そうかも」

 よく考えてみれば、よく考えなくても喜多見は自分が『月映しの世界』の作者を探しているなんて知らないはずだ。

 教授が生徒を大学の外に呼び出すなんて普通じゃない。いきなり退学を言い渡されたりするかもしれない。

 

『いいことだといいね。またあとで』

 

「うん。……ん?」

 月映しのアプリにある通話機能を切った瞬間に通知が来る。

 レベルが最大値に到達したと書いてある。渋谷の街を歩くだけで経験値になるんだった。ここ最近不本意ながら歩き回っているからとうとうレベル上限になったらしい。

 

「『叛逆の獄炎』……うわ、すげえの覚えてる」

 攻撃偏重のビルドをしていたため最後に覚えるスキルも攻撃スキルだろうな、とは思っていたがまさかの一撃必殺だ。

 直撃した相手を残り体力に関係なく殺すと書いてある。いま冬路のいる場所はかなり人通りの多い大通りだが、携帯の画面を見ると周りにプレイヤーはいない。

 数千桁数もダウンロードされていながらこれはどういうことなんだ、と思うが今は都合がいい。

 

(使ってみよ)

 一回使ったら180秒使えないという激重スキルであるため、戦闘時にいきなり使うのはリスクが大きい。効果範囲や発動時の拘束時間その他の動きなどを知っておいたほうがいい。他にプレイヤーがいない今がチャンスだ。

 とは言っても二頭身にデフォルメされたドット絵だが――――と特になんの感慨もなくスキルを発動した瞬間、網膜が焼け付くような光と産毛が全て蒸発するような熱波が冬路に叩きつけられた。

 

「えっ?」

 道路を挟んで対岸のビル――――もう見慣れた渋谷109が火を噴いており炎に巻かれた人々が転げ回っている。一階エレベーター前のスプリンクラーが作動し大量の水が撒かれているが火の勢いが強すぎて全く鎮火しない。既に何人かは焼かれたまま倒れて動かなくなってしまった。

 悲鳴に混じって『テロだ』とどこかから聞こえた。

 

「テ、テロ……そうだよな」

 怪獣映画で破壊光線が発射された瞬間に見ている者の家で起こる停電。

 和ホラー映画のクライマックスシーンになる見ている者の家のインターホン。

 それと同じだ。偶然一致しただけだ。テロの標的になった109から逃げ惑う人の波に従うようにして冬路もその場から小走りで逃げ出した。

 クールタイムも終わりまた放てるようになっていたが、どうしてももう一度撃つ勇気はなかった。

 

「はぁっ、はぁっ」

 なにかが最近おかしい。ゲームの中の波長がちょこっと狂っていただけだったはずなのに、気がつけばこの世のあるべき姿までもが少しずつ乱れ始めている気がする。

 だが伝統的少年漫画主人公よりも頭の悪い自分がそんなことを考えてもどうにかなるわけでもない。俺は頭が悪いから難しいことはわかんねぇけどよ、なんて言いながら本質を突くような言葉もコミュニケーション弱者の自分からは出ない。なによりも、自分は主人公になれなかったのだから。

 

(とりあえず目の前のことだ)

 指定された住所には喜多見と表札のある家があった。

 渋谷駅から5分も歩かない場所だというのに信じられない大きさの家だ。冬路の実家も相当大きかったがそれよりも大きかもしれない。

 土地代を合わせれば一体いくらになるのか想像もつかない。

 

「…………ていうか家に来いって言ってたの、あの人……」

 教授が学生を家に呼ぶとはなんだ。自分は何をやらかした。

 恐る恐るインターホンを鳴らすがなんの反応もない。いま日本で一番家に帰りたい男になっている自信があるがそういう訳にもいかないだろう。

 

「オジャマシマス……」

 蚊の鳴くような声で両開きの扉をそっと開ける。

 人が住む家で扉が両開きになっているとは驚きだ。

 

「なにこの家」

 まるでホラーゲームに出てくる洋館だ。

 だだっ広い玄関を真っ直ぐ行った先にはただ壁があり、右手にある階段らしきスロープには段差が無いから登れない。

 人が来ることを最初から拒んでいるかのような設計だ。

 

(ゲームなら……大体どっかにスイッチがあるんだけど……。ん?)

 左手も壁だが謎の洋箪笥が置いてある。こういうのを動かしてそこにスイッチがあるか、中に何かがあるか――――と引き出しを開けると授業で配布されたARサングラスとグローブが出てきた。

 わざわざ玄関にあるということはこれを使えと言っているのだろう。幸いにも自分の装置を持っているので装着すると――――

 

「うわっ!!」

 目に映る全てが幻覚だと分かっていても肝が縮み上がった。いきなり目の前を巨大な鮫が通ったのだ。

 ARの世界では完全に喜多見邸は海に沈んでしまっている。頭上を見上げると海面に揺らぐ太陽が見える。

 そっと目の前で泳ぐ鮫に触れると手袋を通してザラザラの鮫肌の感触が伝わる。

 

「あっ」

 壁があったはずの場所を鮫が通り抜けてからようやく正面に赤く光るスイッチがあることに気が付く。

 このサングラスをかけていないとこの家では玄関から先に入ることも出来ないのだ。なるほど、鍵がかかっていなかった理由が分かった。

 

(自分の馴染む世界を作り出す、か……)

 喜多見の馴染む世界は海の底ということなのだろうか。自分が言うのもおかしいが、変人だなぁと思ってしまう。

 スイッチを押すと何も無かった壁が開き奥に続いていた。何人で暮らしているのかは知らないが、また三方に部屋がある。

 全ての扉にスイッチがあるが赤く点灯しているのは正面の扉だけだ。思い切り不法侵入しているような気もするが、少なくともこのデバイスを持っている人間はここに来る権利があるはず、と妙な理屈で自分を納得させて扉を開いた。

 

「…………」

 

「教授……?」

 一瞬光景の不可思議さ加減に脳の奥が揺らいだ。

 椅子しか無い部屋に腰をかけて群をなす魚を眺めながら煙草をふかしている喜多見がいた。

 珍しく素肌がやや見えているとは。自分の家なのに相変わらず体中にマントにターバンを巻きつけリラックスしているように見えない。

 

「来たか。座れ」

 

「!?」

 最初に感じた違和感は煙草を咥えている唇に赤く――――口紅が塗られていたことだった。

 そして今、山に住む鳥のように高い声を聞いて違和感の元が判明した。

 

「じ、女性だったんですか?」

 

「お前らボンクラを教えるのに性別が関係あるか? 座れ」

 普段は変声機を使い可能な限り自分という存在をこの世界から消しているため分からなかったが、この声を自分はどこかで聞いたことがあるような気がする。

 以前に彼女が素の声で話したことなどあっただろうか。

 

「座れって……どこに」

 

「床」

 

「は……はぁ……座ります」

 手袋越しには海底の感覚がし、周囲に砂まで巻き上がったのに尻に感じたのは硬い床の感触だった。

 しかし呼びつけた相手を迎えないわ床に直に座らせるわと開幕から無茶苦茶だ。単純に友達がいなかった冬路は人間そのものがあまり得意ではないが、特に気の強い女性は苦手だ。

 

「お前、『月映しの世界』をプレイしているな?」

 

「え?」

 

「なぜそんなに進んでいる? レベルは上限まで達し、スキルは全て解放されている……こんなに進んでいるプレイヤーは初めて見た」

 

「ちょ、ちょっとまって……そんなことで俺を呼びつけたの?」

 

「やはりお前が作者か?」

 

「待ってくれって! 俺は教授が製作者じゃないのかって思ってたのに!」

 こちらは喜多見を作者だと思っていたのに、意外や意外、喜多見は冬路を作者だと思っていたらしい。

 香南の言ったとおりだった。喜多見はこのゲームの制作には関わっていなかったのだ。

 

「大学からアップデートを行い、Augusutusも大学にいた。プロとしてゲームというものに深く関わるお前以外に誰がいる」

 

「作る側じゃないって、知らないって。時田とか作っている人ほかにもいるでしょ!」

 

「…………。なら用は無い。帰れ」

 

「は!? それだけ!? なんでこのゲームの作者を教授が探すんですか」

 

「その質問に答えるメリットが私にあるか?」

 

「せ、生徒の可愛い質問の一個くらい、いいじゃないですか」

 

「……私の研究は……私の理想の世界を作り出すことにある。理想を作り出すという点ではゲームと似ているのかもしれない」

 言われてみれば喜多見の授業も発言も一貫している。他の全てがどうでもいいから、自分にとって居心地のいい世界や場所を作り出せと主張しているし今もこうして不完全な形ながら作り上げている。

 

「それで?」

 

「この作者は現実を変えるのではなくゲームの中に現実を引きずり込もうとしている。それがどれだけイカレた考えと技術であるか分からないのか?」

 

「…………まさか」

 月映しの世界の中で香南と繋がったことを皮切りに、少しずつ現実で何かしらがゲームにつられて動き出していった気はする。

 そして今日109で起きたテロだと思い込んだ『あれ』は。

 

「話は終わりだ。帰れ」

 

「あんたよく教鞭とれているな」

 大学の教授ともなれば多少変な人もいるというのは知っていたが、見事なまでな人格破綻者だ。

 冬路も含めて人間をやめているヤツも多いあの大学でも一番狂っているのではないか。

 

「もっともな意見だな。あの大学はある財団が作った。日本国を憂いてな」

 

「日本を憂うのとこれがどう繋がるんですか」

 

「平均的人物の量産……図抜けた天才の不在により陥る国力の低下、少子高齢化による滅びの一途を辿る国……。全ての子どもたちには才能が眠っている、嘘じゃない。幼い頃、何かに熱中しなかったか? 食事も睡眠も忘れて没頭したことがあるだろう?」

 

(…………)

 あるなんてもんじゃない。あの試合で敗北するまでほとんど毎日溶けるように沈み込み没頭していた。

 万年睡眠不足だったのによく背がここまで伸びたものだ。

 

「ほとんどの大人には出来ない。理性によって抑制がかかるからな。大学生は脳の鍵をこじ開ける最後の機会なんだ」

 

「じゃあなんで俺がCなんですか。毎日毎日死ぬほどに没頭していた。俺より積み重ねたやつなんていねえ」

 

「私は」

 ARサングラスを外した喜多見の瞳は暗黒色をしていた。

 いや、黒と見間違えたのだ。海と同じ色をしている。極めて強靭な意志を表すような視線は冬路だけでなくこの世の全ての鈍なるものを憎んでいるかのようだ。

 

「馬鹿な子供と同じことを何度も言うことが何よりも嫌いだ」

 

「…………」

 お前のことだ、と言われているように感じるがそれは間違っていないだろう。

 一度では覚えられない馬鹿な子供とはまさしく自分だ。

 

「もう一度だけ言ってやる。世界に馴染むな。なぜ馴染もうとしている? 己を飾り何を得た? そんな人間がいていい場所じゃない。お前はなんだ? 勝つこと、戦うことのみに価値がある人間だろう」

 

「じゃあ、なぜ……俺を入学させた。プロ活動なんてやめてたのに」

 

「お前はBrain Dead Catの勧誘を蹴った」

 

「!!」

 兄にすら話したことのない情報をなぜこの女は知っているのだろう。

 BDCと略されるそのチームは現在間違いなく日本一のチームであり――――Fooroの所属しているチームでもある。

 Another Oneとほぼ同時期にダイレクトメールが送られてきたのだ。Fooroの相方になれ、と。

 

 BDCはつい最近にできたばかりのチームだった。

 国内でも3本指に入る大企業がある強豪チームのコーチを引き抜いて命じたのが始まりだ。

 

 金はいくらかかってもいい

 背景も人格も問わない

 とにかく最強のチームを作れ、と。

 

 まずコーチが雇ったのはかつての世界最強アタッカーの一人であるDisrespectだった。

 韓国人である彼はプロとして全盛期を迎えた瞬間に兵役で空軍に入った。

 彼が兵役を終えたのと同時にBDCのプロジェクトは動き出した。

 世界中のあらゆるチームが彼を雇うために動いていたため、esports弱小国である日本のチームが彼を雇うのにいくらかかったか想像もつかない。

 

 その次に、まだまだ倫理観の薄いesports界隈の闇を背負うpornとSohychが入団した。

 pornは過去に別ゲームでチートを疑われ一方的に引退に追い込まれたが、その後別のゲームでも常にトップクラスの戦績を維持していた。

 その腕を見れば彼がチートに手を染めていたかどうかは明白だが、もっと明らかなのは過去に自分を追いやったチームのスポンサーを激しく恨んでいることだった。

 陽の光に嫌われたpornが生きてこれたのは日本におけるブースト業の元締めであるSohychのおかげだった。

 依頼を受け、代わりにプレイしランクを上げて報酬を受け取るブースト行為はゲームを根本から破壊する行為だとして既に複数の国で違法とされている。

 ただし、倫理観や道徳心が無いだけでブースト業者は恐ろしく強い。自分の強さをそのまま金に換えているからだ。

 pornとSohychの入団に伴い世にも珍しいヒーラー專門のブースター、hexagonも入団した。現在世界ランクでも上位に食い込むチームであるBDCが悪役軍団のイメージが抜けないのは主にこの三人のせいだろう。

 

 そんな悪役三人組と我の強いかつての世界一をまとめるために別のチームから引き抜かれたのがキャプテンのGjallarhornだった。

 勝っていても負けていても全く同じプレイをし、好調も不調も無ければ感情も表に出さない機械人間の彼はかつて日本を制覇したチームのキャプテンでもあった。

 優勝してチームが全員歓喜の中にいる時と、その一年前に準優勝となりチーム全員が泣いている時とで全く同じ顔をしていたので彼のコラ画像が大量に作られていた。

 

 更に強烈な若さと勢いを欲したコーチはあらゆるチームを転々としていたMeanを雇った。

 ある意味で世界で最も有名な日本人プレイヤーだろう。海外のサーバーで理論上最高値のレートを叩き出し、確かな腕で敵チームを圧殺しあらゆる言語で敵を煽り散らかす。

 Meanはひとえに性格の悪さのみで同じチームに留まれない男だった。いつからかついたアダ名は『宇宙一性格の悪い男』。勝負事はいかに相手の嫌がることを実行し続けるかに収束する。

 その点において、宇宙一性格の悪いMeanは最強にほど近かった。 

 

 そして最後に――――Fooroだった。

 入団時のFooroの年齢は15歳、高校も入学せずにゲームばかりしているただのストリーマーだった。

 プロにもなれば本名も知れ渡りその名前で検索する者も出てくる。いきなりなんなんだあいつは、と。

 『燕 風露』の名は元々全国区で有名だった。ただしそれはゲームの世界ではない。その名で検索して出てくる結果のほとんど全てが陸上競技の記録だ。

 現実の世界で、僅か13歳の時点で中学生の日本記録に迫る100m走の記録を持ち、強化選手にも選ばれていた風露はあのとき間違いなく日本最速の韋駄天中学生だった。

 プロゲーマーとしてFooroの名が知れ渡った後に全日本中学校陸上競技選手権大会の動画の再生数は300万回に到達したという。

 陸上に関わる全ての人間が風露を見て誰もが自然と将来のオリンピアン、メダリストを想像した――――のに。風露の記録は中学2年の春を最後に公式記録から消え、風露自身も現実の世界から消えた。

 それから二年半、かつての日本最速の中学生だった風露はゲームの中で世界最速のアタッカーFooroとして戻ってきた。なぜ風露が陸上をやめて引きこもりにまでなってしまっていたのか、表舞台に表れたその姿を見て誰もが無言のうちに察し、打ち砕かれた未来を嘆き、再生を喜び、復活を――――Fooroという存在の爆発を讃えた。風露はただの一度も自身の人生を公式に語ったことなどないのに、esportsに関わるほとんど全ての人間がFooroのストーリーを知っている。

 気がつけばFooroはその物語と確かな腕前を以って最強と讃えられるようになっていた。

 

 

 そんな曲者だらけのチームは光のような速さで日本の頂点に至り――――冬路の元にオファーが届いた。

 君ならFooroと最強のデュオになれるはずだから、と。 

 

「なぜ断った?」

 

「……俺は……一番になりたいんじゃない。誰よりも強いことを証明したかった。だからあいつらは敵じゃなくちゃ駄目だったんだ」

 

「そこなのだ。どれだけ能力・才能があろうともただ上に従うだけならば豚でしかない。叛逆の心のみが人を進化させる。だからこそ王に牙を剥くお前は選ばれた。だが……」

 

「ぁ…………」

 

「私の見当違いだった。今のお前は豚に成り下がった。消え失せろ、凡骨め」

 

 

**************************************

 

 この世界の99.99%は何者にもなれずに死ぬらしい。きっと俺もそうなんだろうと、そう思っていた。

 勉強は出来ない運動もだめ。背は高いがやや虚弱で精神も不安定。何者にもなれないどころか真っ当な人生を送ることすらも苦労するであろう、すっからかんの子供だった。

 ただひとつ違ったのは――――

 

 6歳の時、7歳離れた兄にゲームに誘われた。

 中学生と掛け算も出来ない子供、おまけに兄はたまにこの世界に出てくる『なんでも完璧に器用にこなす人間』の片鱗をすでに中学生にして覗かせていた。

 ゲームですらも、6歳の自分から見ても天高い強さを誇っていることが分かった。1vs1のFPSで小学校に上がる前の子供が中学生に勝てるはずがない。

 相手にもならないはず、だったのに――――逆上した兄に現実でボコボコにされるくらいに完膚なきまでに叩きのめしてしまった。

 

 鬼の目覚めだった。

 

 それからは毎日がマリアナ海溝よりも深く、ゲームに漬けられる日々だった。

 中学に上がり、もうネットの世界でもほとんど敵はいなくなっていた。

 

 祖父は大会社の会長、父は銀行の総裁、母は音楽家。親戚のどこの誰を見渡しても優秀極まる一族。

 兄も兄で中高と優秀な成績を修め、日本一の大学に入学していた。昔は冬路をよくいじめていた兄も気が付けばそんなことはしなくなっていた。

 素晴らしいことだと思うと同時にどこかで兄を軽蔑していた。だんだんと一般的に想像されるただの優秀な人間に成り下がった兄の、普通の道を行く平凡さを。そのまま何者にもなれずに死ぬ姿を。

 99.99%め、俺は0.01%なんだ、と。

 

 何者かになるには全てを捧げなければならない。

 なんでも出来ます、なんて。

 なんでもやります、なんて。

 あまりにもくだらない。

 

 俺の人生これだ、と。

 これに託した、と。

 全てを注いだ。

 

 これ以外の全てが2番目以下でありどうでもいい。

 これだけなんだ、この世界だけは俺が中心なんだ。

 

 

 

 もちろん存在は知っていた。

 自分より一年早くプロになった同い年のそいつのことは。

 奇跡のような強さだと。

 

 自分以上に全てを捧げている人間などいないと信じていたがゆえに、一度壊れればガラスで出来た城のように全てが崩れ去ってしまった。

 

 自分たちが想像していた以上の結果を残した息子に対し、家族は慰め――――それどころか褒めてくれた。

 本当に素晴らしいことだ、国内で二番なんて誰にでも出来ることではない。この賞金額だって普通の高校生では稼げないものだと。

 

 あの兄も。優秀な兄が周りに自慢して回っていた。

 俺の弟はこの国で二番目に強いプレイヤーなんだと。

 

 

 やめてほしかった。

 

 

 たかがゲームで負けたくらいで大げさだとか、準優勝でも十分すぎるほど立派だとか。

 次があるだとか、ナイスファイトだとか。

 そんな言葉を無神経に言う者達とは永遠に分かり合えないだろう。

 

 そいつらにはきっと『他』がある。

 友人でも恋人でもほかの趣味でも所属する場所でも、とにかく自分を成り立たせ逃げ場所になる他があるのだ。

 

 自分にはない。

 

 全てを注いだのだ。

 全てだと信じたのだ。

 普通の人間が色々なことに費やすもの全てをだ。

 これが俺の人生を懸けるものだと思った。

 

 神にさえも祈った。

 

 どこの誰様の役にも立ちません。 

 善人でもありません。

 それでも全てを捧げるから、俺を強くしてください、と。

 

 それなのに、一番勝つべき場面で負けた。

 地獄の底まで転がり落ちた。

 

 今まで色んなところで勝ったし負けた。誰だってそうだ。人生勝って負けてを繰り返し一生を終える。

 

 だが、『それ』が全てだと言うならば、己の存在全てだと言うならば。

 ここぞという場面で勝たなければならない。

 

 どれだけ足が速くても、大会でフライングしてしまう選手に価値はない。

 どれだけ鋭い牙と爪があっても 兎の一匹も狩れないライオンなんて蟻にも劣る。

 

 どれだけ強くても 他のどこでどれだけ圧倒的に勝ちまくったとしても。

 

 全てを注いだというのに一番大事なところで負けるなら無価値だ、ゼロなんだ何もかもが。

 

 負けた後に

『ごめんなさい』

 そして次の日

『受験があるので競技から離れます』

 それだけSNSに投稿して俺は消えて無くなった。

 

 ぷっつりと、本当にぷっつりとやめてしまった。

 10年間毎日本気で10時間以上はやっていたことを。

 

 俺は消えた。

 

 

 

「戦わなくちゃ……戦わなくちゃ……」

 ネットの世界から、公式のホームページから、Shinの名は消えてなくっても冬路の存在は消えてなくなりはしなかった。

 最高だろうが最低だろうが心臓が止まらない限りは人生はその先がある。まだ、腐った臓腑を引きずって自分は生きている。

 たった一度負けただけでこれだ。次に負けたら即死するかもしれない。

 

 自他ともに認める最強に負けたのだからぶっ壊れるだけでまだ済んだ。

 だが、また1から積み上げていく過程でなんでもないヤツに負けてしまったら?

 今度こそ完璧に死ぬ。

 

 自分が強かったのは自分が最強だと信じていたから。

 十年かけてそこら辺のなにも考えていなさそうな馬鹿の百万倍濃くのめり込んでいた。

 その自信だけが自分を支えていた。

 それをまた1からなんて、考えるだけで怖くて仕方がない。

 

 それでも。

 まだ人間として生きていくなら。

 何もかもが中途半端以下の自分が生きていくには。

 撃破し続けるしかないんだ。

 

「戦わなくちゃ……」

 金網にがりがりと身体を擦らせながらなんとか家へと向かう。

 渋谷の裏道をぶつぶつ言いながら歩く若者。よくある光景だ。

 どうしていつもこうなのだろう。うつろな視線の遥か遠くでビルやネオンの灯りがきらきらと輝いている。

 眠らない街、若者の街なのに、夜行性の若者であるはずの自分はいつも主流に馴染めない。馴染めないから、世界に自分を認めさせたかった。

 

「おい前見ろ馬鹿」

 前を見ていなかった冬路が100%悪いがもっと悪いのは運だろう。

 今や絶滅危惧種の徒歩暴走族らしきガラの悪い集団の先頭にぶつかっていたのだ。

 半ば意識が無いとは言え道の端を歩いていたのに――――先進国という肩書はどこに行ったのか、さも当然のように指輪でごつごつの拳が冬路の顔面に突き刺さり、うすらでかい割にはひ弱な冬路は吹っ飛んでいった。

 

「戦わなくちゃ……」

 世界は理不尽である。自分で勝ち取らなければこの世界の何一つとして己の存在を肯定してくれない。

 まずは誰よりも先に、自分で自分のことを信じなければ始まらない。

 

「俺は世界一強い……」

 マシーンになりきるのだ。この熱を魂の奥底に押しとどめるのだ。

 巨大戦闘ロボットが冷たい鋼鉄の中に核融合炉を内蔵しているように、もう一度マシーンになるのだ。

 

「はぁ?」

 切れた唇から流れる血を拭いながら立ち上がった瞬間顔面のど真ん中を蹴られて人生で一番鼻血が噴き出た。

 

「ヤク中か?」

 そのまま文字通り踏んだり蹴ったりになると思ったのだが、殴っても反応が無い相手など痛めつけてもつまらないのだろう。

 ガサガサと懐を漁られるがままに、まん丸い満月を見ていた。

 

「2000円しか入ってねぇ」

 

「終わってんね、兄ちゃん。体は大事にしろよ」

 なけなしの札を持っていき、おまけに小銭をぶちまけてから腹の上に財布を投げて不良どもは去っていった。

 

「…………」

 夜も眠れず、深夜徘徊をして、一体何度あの月に負けた勝負を映し出しただろう。

 物心着いたころから繰り返してきた鍛錬は、想像の中の完璧な自分に現実の自分を近づける旅だった。

 いつしか不完全だった子供は、想像の中の理想に完璧にシンクロし、誰もが届かない強さを手に入れた――――それでストーリーが終わったら、この心臓が止まってくれたらどれだけ幸せだっただろう。

 また、月に映るのは――――

 

「フーロ……」

 完璧を上回る確かな実力で自分を殺すFooroの姿だった。

 戦いも終わり、精根尽き果ててなお勝利の余韻に笑いその手をこちらに差し出した憎き宿敵、愛すべき親友は今も世界で戦っているのだろうか。

 

「戦わなくちゃ」

 殴られた痛みはいつしか薄れ、鼻血は止まっていた。

 だがあの日の敗北は血は流れずとも心臓に有刺鉄線を巻き付けたような痛みを残し続けている。

 自分を取り戻したいのなら、戦うしかないのだ。この先も人生は続いていくのだから。

 

 

************************************************

 

 

「だから、もうやめる」

 

「…………」

 自分の全てを明かし香南はただ黙って電子の風に吹かれていた。

 同じクラスに、同じ学校に自分と同じような人間などきっといなかっただろう。

 どう反応するべきかも分からないに違いない。

 

「正直、人生でここまで他の何かに……。……」

 

「なに?」

 

「いや、ごめん。最後だからちゃんと言うよ。ここまで女性に惹かれたのは初めてだった。でも俺は戦うしかない、じゃないともっと深い地獄に転げ落ちる」

 言葉にして初めて頭がクリアになった。色んな部分の感性がおかしい自分でもちゃんと色ボケくらいは出来たらしい。

 だが、好いた異性に認められるような普通の人生なんかいらない。

 

「俺は社会性0の人間だ。まともに洗い物の一つも出来やしない。劣っていた……運動だって勉強だって、恋愛だって、全部他の人間にぶんどられるだけの人生だった」

 昔は好きになった子だっていたような気がする。だけど最初から劣っていて、負けるのが分かっていたからこそ、勝てる道に全てを打ち込んだ。

 この道を選んだのならば、今更戻る道などあるはずもない。

 

「笑えばいいさ。今まで愚鈍盆暗と笑われてきた。だけどこれだけは……プロを名乗ったのなら、ゲームだけは逃げるわけにはいかないんだ。それだけが俺の誇りだから」

 

「私たちもだいぶ大人になった」

 

「……?」

 

「勉強と運動だけが大人からの評価で、見た目と性格だけで異性から選ばれる子供から……色んな生き方が輝く魅力になる。ただひたすらに、自分の信じる道を地獄と言い切っても進もうとするあなたはとても素敵だと思う」

 ふと、その言葉を聞いて昔のことを思い出した。 

 友達とも遊ばず、勉強もせず、家族とも食事をせずにひたすらゲームをする自分に母親がある日もう働けと言ってきたのだ。

 それもいつもの小言レベルではなく、かなり真剣なトーンだった。結局兄が諫めてくれたが、その日は本当にもうゲームなんかやめてバイトでも始めようかと思った。

 そのことを配信で半べそをかきながら伝えた時、わずか数百人ばかりの視聴者が一斉に投げ銭をしてくれた。『これで美味しいものでも食べな』『絶対この道で生活できる』、と。

 気が付かないうちに、自分の道を認めてくれる人達が現れたのだ。この世界は思っている以上に深く、懐は広い。

 

「それでもあなたは私に会いに来ると思う」

 

「どうしてそう言い切れるの?」

 

「ゲームが好きで得意で誰にも負けないんでしょう? だったらこんなフリーゲームのクリアを諦めるはずないよね」

 

「……そう、だな」

 ただのあるジャンルのゲームのプロならこの言葉には動かされないだろう。

 だが、自分は他の全ての能力で人より劣る代わりに電視遊戯において他と隔絶した才能を持っていた。

 これからまたその自信を取り戻していくのならば、たかがフリーゲームのクリアを諦めるなんてあってはならない話だ。

 

「全ての謎を解き明かして、私に会いに来て」

 

「……そうだな。もしちゃんと会えたら……また俺はプロに戻るから、大会を会場で見てほしいな」

 

「楽しみにしている。そういうのって観に行ったことないから」 

 その言葉を聞いた瞬間、目の奥が鈍く痛むような感覚に目を閉じる。

 なぜ自分は最初に、二人でないとクリアできないクエストが出た時に道で歩いていた香南に声をかけたのだろう。

 ゲームの中だから何も気にせずに可愛い女の子に声をかけられたというのはそうだが、それだけではない。

 どこかで会ったような気がするから――――だったような気がする。

 だがほとんど家から出ない自分が学校以外で人と会う場所などせいぜい大会の会場くらいしかないが、行ったことがないという。

 

「結局、その先生じゃなかったんでしょう?」

 

「……。あっ、ああ。君の言ったとおりだった。どうして分かったの?」

 脳の中の思考から引き戻されて言葉がつんのめる。

 そういえばそうだった。家に帰ったら香南が先回りして不正解だと分かっていた理由を聞くのだった。

 

「簡単だよ。私の世界と冬路の世界がどれだけ違うのかは分からないけど、同じゲームなんだから作者も同じはずでしょう。喜多見なんて人、うちの大学にもいないし検索しても出てこなかった」

 

「そうか……! なら……」

 大学にいる人数も学部学科数も違うが、大学からアップロードされたという事実が動かないのならば、香南に写真でも撮ってもらい、そこに写っていてかつ冬路の世界にもいる人物が作者である確率はかなり高いと言えるだろう。

 どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったのか。

 

「それじゃあまた明日。……あのね」

 

「うん?」

 

「私は可愛いし、小さいころから運動も勉強もできてね、だからかな……駆られるみたいに何かに打ち込んだことってなかった。どれも普通よりできるけど、一番にはなれない人……」

 ああ、兄と同じタイプの人間だ。兄の話を聞くに、香南の話を聞くに、何も出来ない人間がいるのと同じくらいなんでも人並み以上にこなせる人間というのもいるものらしい。

 だからこの世はどうにもならない。賢い人間と同じ数だけ馬鹿な人間がいるのだから。それを変えるのはいつだって何かがブチ切れて突き抜けた人間――――というのが喜多見の言っていたことなのだろう。

 

「確かにあなたは特別かもね」

 夜も更け、普通の健康的な人間である香南はその言葉を最後に眠りについた。

 普通じゃない不健康な人間の冬路はまだ眠くない。布団でゴロゴロしてもいいが、やることがある。

 

(スキルを実戦でいきなり使うのはやっぱり危険だ)

 最後に覚えた『叛逆の獄炎』もそうだが、まだ覚えて使っていないスキルがある。

 とはいえ、速度が上がったりスタンが無効になるなど見れば分かるスキルだからそれはまだいい。問題は――――

 

「リバース……」

 『指定した二点の場所を入れ替える(ゲーム内で三回のみ使用可能)。ただし、それ以外の効果もある』と書かれたレベル0のスキル。

 レベル0なんだから微妙な効果でも仕方ないかもしれないが、そのくせ三回しか使えないとはなんだ。

 だが、このスキルも使わなければならないくらいに切羽詰まった場面で想定と違った効果だったら危険極まりない。

 ならば、使用回数に制限があるとしても先にその効果を知っておくことは残り二回という数字以上の意味がある。

 

(なんか無いか……。あれ、くそっ、開かない)

 机の中に何かしらあるだろうと思い引き出しを開けようとするが頑なに開いてくれない。特に何かした記憶も無いのに歪んでいるらしい。

 なんで毎日何かしらうまくいかないことが起こるんだ。一日全て順調だった日なんて生まれてこの方一度もない、と天を呪いながら机の上にペンと消しゴムをぶちまける。

 

「二点を指定……」

 シャープペンとボールペンを選ぶとぼんやりと光り輝く。目を瞑っていても場所がなんとなく分かる。

 このペンもついぞ勉強で使ったことなど無かった。全部が全部、ゲームで得た経験を書き留める為に使ってきた――――今だ、と念じた瞬間に二つのペンの場所が入れ替わった。

 

「……これだけ? は?」

 ペンの位置は確かに入れ替わったが、それでおしまい。説明文通りの効果しかない。

 スマホの画面を見ると使用回数が残り二回に減っている。

 思わず、身体から力が抜け、スマホが足の小指に落下した。

 

「いっっ――――え?」

 眠る力士も一発で起床するほどの鋭い痛みがいつもどこか霞がかっている冬路の頭を現実に引き戻した。

 

「今……俺はなにをした……?」

 『ゲームの中の』実に弱いスキルを使った。ただし、何の違和感もなく現実で。

 これだけ、と言ったものの現実ならこれが出来るだけで飯を食っていける。

 

「な……何が起きてる……」

 たかがフリーゲームと香南は言ったが、何かがおかしい。

 このゲームの世界観が現実の世界に染み出している。何故自分はまるで呼吸や歩行のようにスマホの画面も見ずに現実でこのスキルを使おうとしたのだろう。

 いや、それよりも。

 

「じゃあ、あれは……俺がやったのか……」

 現実と異界が交わるような夕刻、突如として渋谷109を吹き飛ばした地獄の業火。

 一体何人の人間が死んだだろうか。

 

(…………気にしちゃダメだ、どうせこれから先関わることもなかった人間……)

 何かに突出した人間がどこか欠けている部分があるというのは世の常。

 周囲の天才も、喜多見も、あの風露も。何かが欠けている。変わっているという言葉では足りない。欠けているのだ。

 最初から足りてない自分にこれ以上差し出せる部分があるとしたらこのクソの役にも立たない良心くらいしかない。

 強くなれるなら、それで勝てるならば心なんかいらない。だから、次は。たとえ何人巻き込んだとしても躊躇せずに全ての技を使う。

 そう誓った冬路は何故か――――次の敵は現実に現れるということを確信していた。

 

 

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