月映しの世界の中で   作:K-Knot

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#3 少女

#3 少女

 

 

 

 鬼は戦ううちに少し怖くなりました

 自分が一番強いと信じている

 だけどそれが本当なら

 自分のことを本当に分かってくれる相手はどこにもいないのではないか

 

 その恐れは現実になりました

 倒して倒して倒し続けて

 もう目の前には誰もいませんでした

 鬼は信じていたままに強く、それはそのまま、鬼がひとりぼっちだということでもありました

 

 

 

******************************************

 

 

 

 指を擦る度に炎が出る。

 レベル10で覚えた『炎上』だ。自分がランク1になれたのは才能も努力もあるが、とにかく油断しなかったという一点に尽きる。

 あるいは、敗北した時は自分が油断した時とも言える。

 

(あの時だって……!)

 なぜ決勝戦の時、自分はMeanの頭をぶち抜いて一瞬勝利を確信してしまったのだろうか。

 すべての敵の位置はどこか、スキルのクールタイムは、味方の状況は。勝ちが確定するまではやることなど山ほどあったはずなのに。

 円卓の下で擦っていた指が一層大きな炎を出した。もう一瞬たりとも油断はしない。

 

「いつも眠そうなのにね。今日は冴えた顔しているな」

 

「普段寝起きが悪いからな。今日は珍しくパッと起きれた」

 

「喜多見に呼ばれたって?」

 相も変わらず行儀悪く両肘ついて晩飯のスパゲッティをちゅるちゅると吸っていた葉月が唐突に意外な言葉を発した。

 こうも行動が読めない人間も珍しい。ゲームだったらなるべく戦いたくない相手だな、と脳の奥底まで侵されている考えが浮き出た。

 

「あ、ああ? なんで知っている?」

 

「何を言われたの?」

 

「……プロに戻れって」

 豚だの凡骨だの色々言われたが言いたかったことはそれだろう。

 大学生活を楽しむのもよいが、何を評価されてここにいるかを忘れるなと。

 

「戻るの?」

 

「うん。もう少ししたらチームに連絡入れる」

 

「そうか……。うん、それがいい……。誰よりも強くなることが夢なんだろ」

 配信中にコメントに『夢は?』とあり、要約すればそんなことを答えた気がする。

 なんだったら、そのコメントをした人物こそ目の前の葉月かもしれない。

 

「……そうだな。お前は? なんか夢あんのか?」

 目の前の少女は普通にしていればこんな大学でも浮いた話がいくらでも出てくるであろう程は優れた顔貌をしているのに、その肉体の破損のせいか人としてのエネルギーがかなり少なく、学内でも誰かと話しているのを見たことがない。

 少なくとも肉体的には不自由のない冬路には、葉月のような人間がどのような夢を持っているか想像がつかなかった。

 

「夢……色々あったさ。こんな身体では難儀する。私は中学も半ばからまともに行ってないんだ」

 

「…………そっか」

 可愛くって頭がいいなんて、それだけで未来は無限に開けていただろうに。

 なりたいものはなんでもなれただろう、それなのに――――と思うと少し気分が暗くなり目を落とすと葉月が行儀悪く氷水で机に描いていた割れたハートが目に入った。

 

「世界が一つになること」

 

「お……おぉ……意外とそういうこと言うんだな」

 どデカいピアスぶら下げて何を言っているんだ。こんなアバンギャルドな見た目をしておいて世界平和を祈っているとは。

 ラブ&ピースは結構だが、そのファッションならピースサインから人差し指引いた方が似合う気がする。

 

「どうして世界は分かれているんだろう」

 

「……教えてくれてうれしいけど、それに俺が答えられると思う?」

 

「思わない。……帰る」

 

「あっ、おい課題――――……!」

 課題はどうするんだ、と言いかけて口を噤む。

 昨日、葉月のメールアドレスが見つからなかった理由をしばらく考えていたのだが、恐らく彼女はこの大学の生徒ではない。

 さっきの言葉から察するに、高校も出ていないだろうから、才能はあってもどうしたって大学に入れない。ならば彼女の正体は所謂モグリと呼ばれるヤツだろう。

 最初の授業で喜多見が配布したデバイスの数が思ったよりも多かったと言っていた意味も分かった。教室にいつもいる人間の数は明らかに定員の60人を超えており、留年などの事情を考慮しても多すぎる。

 だが、それに気が付いたところで学びたがっている葉月の行動を止める理由も権利も冬路にはない。

 

「……今度どっか遊びにでも行こうか。て言っても地元と秋葉原くらいしか知らないけど……」

 入学していない大学の授業に潜り込むことはルール違反だが、その意欲は素晴らしいと思う。

 だが正式に入学している生徒からどういう目で見られるか分からないし、実際葉月はこの大学で本当に自分以外と関りを持っていないと思う。 

 自分だってこの間までまともな友達の一人もいなかったが、なんとなく普通の人間の道を外れまくっている葉月となら上手くやっていけそうな気がした。

 

「デートのお誘いか? 私の相手は疲れると思うよ」

 

「はよ行け」

 遊びに誘われたのがそんなに意外だったのか。

 早歩きで去っていく姿から葉月なりの照れ隠しの言葉だったとよくわかる。

 机の上に放置された氷を炎で溶かし、じゃあ帰ろうかなと席を立った瞬間、携帯が震えた。

 

『この中にいる?』

 香南から教室の写真が送られてきた。

 話に間違いがないなら、自分が通っている渋谷雄翼大学のはずだが、ずらりと並んだ生徒の中にはこちらの世界にいるような様子のおかしな生徒は少ない。

 ほとんどが良かれ悪かれ一般大学生の範疇を出ない姿をしているが――――

 

「葉月……なぜそこにいる……!」

 こちらの世界と同じく、誰ともつるんでいる様子もなく窓の外を眺めている生徒は見慣れた葉月に間違いない。 

 誰がこちらの世界と被っているかを香南に伝えた冬路は、たったいま出ていった葉月を追いかけて走り出した。

 

 あちらの世界でも葉月と名乗るその少女は、香南以外に誰かと話しているのを見たことがないと返ってきたことにもう驚きはしなかった。

 

 

**************************************

 

 

 脚が片方壊れているんだから、まだそう遠くまで言っていないはず。

 と、いう考えは間違っていなかったようで目立つ格好をした葉月は100m先の交差点にいた。

 

(あいつ……どこに住んでいるんだろ……)

 何が目的でこのゲームを作ったのか、大学に潜っている割には授業に全然出ないのはなんでなのか、なぜ知らないふりをして自分と香南の間を取り持とうとしたのか。

 聞きたいことなど山ほどある。

 

(渋谷に住んでいるだと? 馬鹿な)

 大学の生徒でもないのにどうして親がそんな金を出してくれるというのだ。

 だがその一方で彼女が才能に溢れていることはほぼ間違いないと思うし、金などいくらでも生み出せるのかもしれない。

 

(ていうか何してんだろ俺)

 普通にその背中に声をかければいいのに、薄暗くなっていく街の中でその背中を尾けている。

 どっからどう見ても不審者じゃないか。しかもこんな人通りの少ない――――

 

「は?」

 人通りが少ないはずだ。ここはいつだかに来た、渋谷でぽっかりと廃墟の集まりとなった桜ヶ丘町ではないか。

 廃墟なので当然人は住んでいないはずだが何故こんなところを通るのだろう。

 完全に声をかけるタイミングを失ってしまい、足音に気を付けながらついていく。

 よくよく見るとおかしな地域だ。目の前にあるビルなど、3割ほど崩されているのに放置されている。

 一体何の理由があり再開発され、何の理由で計画は凍結されたのだろう。と思っていたら葉月はその半壊のビルの中に入っていった。

 明らかに普通の人間の行動じゃない。

 

「なに考えてんだあいつ……ん?」

 このビルはなんなんだと見てみれば元ラブホテルじゃないか。

 自分の人生に異性とラブホテルに入ることなんてあるのだろうか、と考えたことはなくもないがこんな状況は全く想像していなかった。

 

(……分かりやすいな)

 当然明かりは無いが、床をスマホで照らすと埃に浮かび上がるように足跡がある。それも一回二回通ったような跡ではない。まるでここに住んでいるかのようだ。

 葉月は階段を上るのにも苦労していたから一階にいるはずだが――――

 

(え?)

 階段へと足跡が続いているのはまだいい。

 二段目から足跡の形が変わっている。自分の目が間違っていなければこれはまるで猫か何かの足跡のように見える。

 何か、何かがおかしい。だが自分も今は大概おかしいことを思い出し、指に火を灯し明かりにする。これはレベル3で覚えたスキルだったか。

 常に火を灯し視界を確保し命中率を上げてくれる、というスキルだったが――――踊り場に大きな破壊痕があった。

 

「――――!」

 廃墟、おまけに解体中なのだから壊れていることは別にいい。

 だがこれはなんだ。斜めに大きく奔った4本線は。ところどころ壁をぶち抜いて外が見えているではないか。

 まるで大型恐竜の爪痕のようだ。

 

(俺は何を追っているんだ? いつからこうなった?)

 そう考えると香南と会おうとした日、あるいは葉月と出会った日くらいからだんだん周りがおかしくなっていったような気がする。

 そういえば香南がこの世界にいないと気が付いた次の日に葉月に声をかけられた。

 

(疑い出すと全部怪しい……でもなんだ、何がどう繋がっているの全然わからん)

 鈍い頭をあれこれ動かすが点と点が繋がらない。崩れた廊下から月が見える。今夜は満月だ。

 こんなことをしていなければ今夜も帰って香南とゲームをしていただろうに。足跡は奥の一室に続いていた。

 ノックをしてみるが反応はない。やたらと大きな音の出る唾を飲み込んでドアノブを回した。

 

「……なんで明かりが……」

 部屋の中は空調が効いており、当然のように明かりが灯っている。

 500mlのペットボトルを複数個収められる冷蔵庫は稼働しており、エナジードリンクやスポーツドリンクがいくつも冷えている。

 ハンガーにかかっている服やスカートは見覚えのある葉月の物だった。

 

「こっ、ここに住んでいるのか? 馬鹿な……。……?」

 机にはそこにあって何が悪いとばかりにPCとモニタが三台あり、不気味な機械が奇妙な音を立てている。

 一瞬なにがなんだか分からなかったが、これはもしやサーバーではないだろうか。

 引き出しを開けると備え付けのバイブを覆い隠すように雑に1万円札が入っている。そういえば『月映しの世界』は課金が出来るんだったか。

 

「……あぁ」

 なんとなく、本当になんとなくカーテンを開くとそこはかつてゲームに指定され香南と待ち合わせをした神社だった。

 葉月は大学で何かを学ぶために潜っていたんじゃない。友達を自分以外に作れなかったんじゃない。

 二人でなければクリアできないミッションを用意し、ここであの神社を観察し、香南と出会えなかった自分に接触しに来たのだ。

 アプリで確認するとAugustusとすれ違っていた時間と葉月に声をかけられた時間と一致する。

 前にこの単語の意味を調べた時に、アフリカーンス語で八月という意味だと出てきた。言わずもがな陰暦で言うところの葉月だ。

 馬鹿にしている。こんな単純なヒントだなんて。

 

「ていうかどこに行っ――――」

 

「デートに誘って30分でストーカーかい? ちょっと早すぎないか」

 肩をいからせながら廊下に出たら壁に寄りかかって葉月が立っていた。

 まるで自分が尾行しているのを知っていたかのような行動だ。

 

「お前、何が目的なんだよ。製作者のくせに、なんも知らんふりして。何がしたいんだ。どうなってんだこりゃ!」

 今更本人言わなくても分かっているだろうが、あえて目の前で腕を振り炎を出す。

 こんなことを誰もが小さいころに一度は妄想しただろうが、別に自分は望んでいない。

 

「ある日、私は脚を失くした。その代わりにある感覚を得た。脚を失くさなかった私がこの月の向こう側にいる感覚……」

 

(なんだこいつ……――――!)

 ちょっとおかしいというのは元から知っていたが、今日は今までの倍付でおかしい。

 目的を聞いているのになんの話をしているんだ、と口を開く前に葉月の視線の先にある満月にヒビが入った。

 

「最初にただ一つだったこの世界は、いつしか砕け散り、ばらばらになった。その粒たちは縦横無尽に動き、たった一つの粒が右に動いた世界と左に動いた世界に分かれる。無限に分岐していく。数えることは出来ない。非可算の瞬間に無限に分岐していき、可能性世界はどこまでもどこにでも広がる」

 そういえば葉月は(嘘でなければ)量子力学を学んでいると言っていた。

 だが無学の自分にそんなことを説明しても分かるはずもない。月――――いや、空に入ったヒビから青白い光が漏れている。

 

「この身体には魂が合わない、定着しないってさ……いろんな創作で出てくるだろう」

 

「ちんちんぽんぽんまた何の話をしてんだっ」

 

「本当の話なんだ。身体と魂は互いに磁石のように引き合っている。違う入れ物に魂を入れても反発してしまう。逆に一つになるべきものたちを近づければなんの抵抗もなく一つになる。生物の誕生だ」

 

「あ……?」

 何かが違和感として脳裏に刺さる。葉月に言っていることが全くのでたらめであるならば、こんな違和感は湧き上がらないはず。

 

「そう、近づければ。あとはただただ一つになる。ばらばらに砕け散った全ては、私の与えたきっかけでまた一つになる。引かれ合うものを近づけただけなんだ」

 

「……俺と香南の話をしているのか?」

 抽象的な話の中に妙に自分の境遇に重なる部分がある。

 姿映しのように似て、引かれ合っている自分と香南は確かにあの日、葉月の導きにより極限まで近づけられた。

 

「ハードカバーの本を想像しろ。とても分厚い本だ。とりあえず500Pでいい。君は机に置いてそれを読む。ようやく真ん中まで読んで、本を閉じるときどうする?」

 

「……普通に閉じるだろ。しおりでも挟んで」

 

「そう、普通に閉じるだろう。250Pと251Pをつまんでくっつけないだろう? 表紙と裏表紙をつまんで閉じるだろ。表紙と裏表紙にとても強力な磁石がついていると考えろ。本が180度開いている時はどうすることもない。だが本を閉じようと表紙と裏表紙を近づければ勝手に閉じる。それが君たちだ」

 

「……香南に会うことになるって?」

 引かれ合うものを近づけたから後は勝手に一つになると言っているのだと思う。

 それはそうと、葉月の目的が分からないが――――瞬間、廃墟のビルの全てに明かりが灯った。

 

「それまで生きていられればね」

 

「お前――――!?」

 葉月がダボついた上着にかなり隠れているタイツを脱ぐと義足が出てきた。

 脚が悪いどころの話ではなく、そもそも左脚が膝から下から無かったのだ。だが、その義足を何を考えているのか外して壁の穴から投げ捨ててしまった。

 

「君に一つ嘘をついた。……嘘ではないか。言ってなかっただけ」

 めきめきと、音など鳴っていないのに聞こえているような錯覚をしてしまうほどに何も無かった部分から何かが生えてくる。

 

「私の名前……葉っぱに月じゃなくて、月が映えるって書くんだ」

 

「……『月映しの世界』の意味は……」

 

「私の世界」

 完全に脚が元に生え戻った。まともな脚の感覚を楽しむかのように、裸足で廃墟の床を叩いてた『映月』が次の瞬間崩壊した壁から外に飛び降りた。

 

「嘘だろ……!」

 いくら健康な身体に戻れたからといってはっちゃけ過ぎだ。ここは4階なのだ、普通に骨折は免れないだろうし一歩間違えれば死んでいる。

 だが慌てて覗き込んだ文字通りの断崖絶壁の下で映月は何事もなかったかのようにすたすたと歩いている。

 あまりの現実感の無さに、CGか何かだと疑った方がまだ正常な気がする、と思いながら階段を下りていく。

 

「私にはたくさん夢があった。君に夢があったみたいに……」

 

「……意味わからんけど脚が戻ってよかったじゃねえか。叶えればいいだろ、これから」

 直感だが、今から映月は取り返しのつかない破壊を行う気がする。

 それをなんとしても止めなければ、自分の夢は叶わなくなるどころか命まで落とすとも。

 

「お菓子工場の経営者、アイドル、稀代の人殺し、宇宙飛行士……なんにだって成ってみたかった。脚があろうとなかろうと、一回の人生じゃ到底足りなかった。でもこの月の向こうでどこかの私は夢を叶えているんだ」

 

「…………」

 月を眺めていた映月がこちらを振り返るとその目の瞳孔は猫のように縦長半月の形をしていた。

 それこそ猫に睨まれた鼠のように動けなくなってしまう。

 

「私には食べたいものがたくさんある。昨日はラザニアを食べたけど、ピザも食べたかったんだ。どの世界の私も何か一つを選んで、でももう一つの方も食べたかったなってきっと思っている。……だからこのゲームを作ることを固く決めたんだ」

 

「待てよ……ラザニア食っているお前がここにいて、ピザを食べているお前が別世界にいるのはいいよ。なんであっちの世界でもこのゲームをお前は作っていたんだ」

 別世界の自分は大学生じゃなくただの二ートかも、あるいはフリーターかもしれない。

 そんな可能性によって世界は分かたれていると言うことは頭の鈍い自分でもようやく理解できてきた。

 だが、そうなれば別世界の映月もこのゲームを作っていたのは納得がいかない。

 

「作るさ。どの世界の私も――――生きることがいっぱい好きだから」

 

「全然意味が分からねぇ……」

 だが、一部なら理解が出来る。

 ニートをしてようがフリーターをしてようが、プロになってなかろうが、根本的にゲームを愛している自分はどの世界でもゲームにのめり込んでいただろう。

 それと同じ理屈で、どの世界の映月もゲームを作成した、ということなのだろうか。

 

「このゲームはロープだ。ロープだけじゃ激流の中でただ流されてしまう。君たちは楔……世界と世界を結ぶ。感じなかったか? 自分達はまるで真逆の人間なのに似すぎていると」

 

「感じたさ……それがなんなんだ」

 

「あらゆる人生を送っている全ての私を繋げるには、一番遠い2つの世界を繋げる必要があった。だから探していたんだ。一番遠い世界と繋がる存在を」

 なんだかようやく言いたいことが分かってきた。色んな夢を叶えている映月が色んな世界にいる。

 その全ての世界をいっぺんに繋げるために一番遠い存在を楔として探していた。そのためにこのゲームを作った。

 一番遠い存在。犯罪者と裁判官、数学者と文学者。もちろん言うまでもなく遠い存在だろう。だが一番遠いのは――――

 

「一番遠いのは男と女だ。真逆でありながら、同じ存在……探していた」

 国民的SF漫画では、その時に自分と結婚するのが違う女性でも将来的に生まれる子孫は同じになると書いてあった。

 香南と自分はもはや親の職業も名前も違った。だが、きっと自分たちはどこかで同じ運命を辿る長い長い道の交差点にいる存在なのだろう。

 決して自分とは言えない、だが自分と全く同じ存在。映月が空の裂け目を掴み、引き裂いた。

 

「今やあらゆる可能性が一つになり取り込まれた」

 遠近感が狂ったのかと思った。空の裂け目を切り裂いた先にあったのはもう一つの地球だった。

 あまりにも近く、それも刻一刻と近づいているように見える。世界が一つになることが夢と確かに言っていたが――――誰がそのままの意味を想像すると言うのだ。

 

「おめでとう、最終章だ。残り30分で夜明けだ」

 脚が生えてくるまでならまだいい。よくないが、まだそこまではいい。

 だが今度の映月は身体が膨れ上がり、紫色の体毛が生え始め――――認識が現実についてくる前に巨大な化け猫になってしまっていた。

 それと同時に廃墟エリアの外から悲鳴と人々が騒動を起こす音が聞こえてくる。月の向こうにあった地球が近づいてくるのが自分だけではなく、全ての人間に見えているのだ。

 寝ぼけた自分の夢などではない。これが現実だ。

 

「おい……これ、どうなるんだ?」

 

「どうなると思う?」

 自分より30cmは低かったはずの映月の声が4mほどの高さから聞こえてくるという事実に脳みそが爆発してしまいそうだ。

 どうなると聞かれても、常識的に考えて地球同士がぶつかったらどっちの地球も滅びて終わりだろう。

 

「月映しの世界が一つになることで! 『月映しの世界』は完成する! 私の最高傑作……クリアできるもんならしてみろ!」

 クリアできたなら止まるぞ――――そう聞こえなくもない言葉を告げた直後、巨大なネコ科の筋肉を活かして化け猫になった映月はビルを駆け上がりあっという間に冬路の視界から消えてしまった。

 

「なんだそりゃ……クリアってなんだ」

 ゴーストタウンに一人で放り出された冬路は呆然としながら呟く、

 可能性世界とやらが一つになることと映月が化け猫になることとこの世界がゲームの中に取り込まれることが上手く繋がらない。

 3流脚本家の映画のような急展開で理屈が通っていないように感じるのは自分の頭が悪いからだろうか。

 おかしい繋がらないと一人喚いたところで月がもう一つの地球となり、人々の逃げ惑う声の聞こえるこの圧倒的現実はどうしようもない。

 だが、分からないことだらけの中で一つだけ分かったことがある。

 

「なんだよ……俺が香南と繋がったから近づいてきたのかよ……」

 友達だと思ったのに、きっともっと仲良くなれると思ったのに。

 親近感を抱いた自分が馬鹿みたいじゃないか。

 

 四方八方に逃げる人々が更なる混乱を引き起こしているのだろう。

 悲鳴に混じり交通事故の音までも聞こえてくる中で、何をするでもなくへこんでいると廃墟群に反響するヒールの足音が冬路の耳に届いた。

 

「世界中がこんなことになっているのに、どこに逃げると言うのだろうな。ふふふ……」

 どこかで聞いたことのあるような声に振り向くと、明らかに自分の方に向かってきている女が一人いた。

 癖の強い金髪のやや痛んだ印象や少々くすんだ肌から想像するに30代後半から40代だろう。その金色の髪が地毛であることを示すように目は青い。

 会ったことがある――――ゲームの中で。最初に戦った中ボスの女だった。

 

(最初の中ボス……!?)

 中ボスとはもちろん中ボスだ。間違っても最初に戦う敵ではないのに、自分はいま最初に戦った敵だと思った。

 自分の頭かこの世界、どちらかがおかしくなったのは疑いようもないが――――まさかおかしいのは自分の方なのだろうか。

 

「大魔王ですら世界の半分なのに……この世界をまるごとくれるとは実に気前がよくないか」

 あの時に戦った時の姿そのままに煙草を咥えている。

 この煙草の臭い、この声。まさか。

 

「喜多見教授……?」

 

「ほう。よく分かったな」

 

「……? なんだって……」

 ゲームの中の登場人物が現実に出てきたのはもういい。映月が化け猫に変身するならそういうこともあるだろう。

 だが、それならばなぜ現実世界の喜多見は映月を探していたのだろう。ゲームの中では映月を追うものを排除する役目だったのに。

 理屈が通っていないどころではなく、矛盾している。ストーリーが破綻してしまっている。

 

「目的は達したから、この世界は自由にしていいと。全てが思うままになる、私の世界……素晴らしい。全てが遠回りだった。これだけのことが出来るならば、馬鹿な子供を教育する必要も、私の目や耳をいじくる必要もない」

 

「こ……この世界をもらってどうするんだ」

 

「この世界を思うままに変えてやる。私のための、私が全ての世界に」

 

「……教育者失格だ、幼稚なババァめ」

 この女が教鞭を執っていたのは日本の未来のためなんかじゃない。

 自分の理想を実現するための才能を育て使おうとしていたのだろう。天才だったとして、人に教えたり評価を与えるべき人間ではなかったのだ。

 

「……年齢もそうだ。ままならない。お前は生まれた時に何を願った。何を思った?」

 

「は?」

 

「何故自分は全知全能ではないのか。どうして私が、この完璧な私が生きてやっているのに世界は思い通りにならないんだと思わなかったか」

 

「そ、それこそガキの思うことじゃね―か」

 

「それで結構だ。消えてもらう。消し炭の一片も残らずな」

 喜多見が懐から包丁を出したのは予想出来ていた展開だ。

 だが今、纏っているマントの下から鳴った金属が擦れる音は。まさかあの下は全て刃物で埋め尽くされているのだろうか――――と考える間も無く包丁が飛んできた。

 

「!」

 時速にして200キロは出ているだろうか。

 空中に置いたように見えた包丁が垂直に飛んできたのだ。

 冬路が避けたのを確認すると同時に喜多見から更に複数の刃物が飛んでくる。

 僅かに何か違和感を感じる。

 

「なるほど、すかすかの運動神経に似合わない動体視力だ」

 

「あんたっ、ぶっ殺そうとしている生徒にかける言葉か! どうせ先が短いんだからお前が死ね!」

 どう考えても殺される雑魚敵のセリフを口にした冬路に、喜多見はまた服の下から次々とこの世のありとあらゆる日用品の刃物を出して飛ばしてきた。

 確かに以前戦った時も刃物を飛ばしてきていた。だが、そもそもその刃物は事前に用意したものではなく、虚空から生み出していなかっただろうか。

 戦闘スタイルが変わっているのだ。

 

「年齢が気に食わないなら……これでどうだ?」

 何の話だ、と言う前に喜多見の肌に確かに刻まれていた年齢から来るシワや肌のくすみが消えていき、痛んでいた髪も艶めきを取り戻していく。

 まばたき三回のうちに喜多見は冬路とそう変わらない年齢の見た目になっていた。

 セミロングのウルフカットの金髪は月明かりに天使の輪を映し、青い目が冬路の震える心まで見透かし、赤い唇がニヒルに歪んだ。

 完璧、と自分を称するだけあり、人の多い東京でもまず見かけることの出来ないほどの美人だった。

 

「このバケモンが!!」

 教授だろうが化け物だろうが殺そうとしてくるなら殺してやる――――冬路は迷わず一撃死のスキル、叛逆の獄炎を放った。

 一撃死という強烈な効果でありながら範囲・速度共にすさまじく、明らかにOP(Overpowered)なのは流石最後に覚えたスキルだけある。

 だが。

 

「思い切りがいい」

 喜多見は炎をその身に受けながら平然とこちらに向かって歩いてきていた。

 無敵――――ではなく、喜多見の言うとおりに動体視力の優れている冬路はその様子を高性能カメラのように捉えていた。

 

「弾かれ……?」

 炎が喜多見に触れた瞬間に弾かれたのだ。

 嫌な予感は大抵当たる。本能的に喜多見のスキルを覗き見ると、レベル0のスキルが解放されていた。

 

「そういうことだ」

 

「ふざっ、ふざけんな!!」

 『リペレンス:全ての敵スキルは肌に触れる直前に弾かれる』とある。

 ゲーム中たった一度の戦闘のみに使用可能なようだが、これでは勝ち目がないではないか。

 慌てて他のスキルで攻撃してみるが全て無駄。炎は弾かれ生み出した岩は明後日の方向に飛んでいく。

 なぜ喜多見のレベル0のスキルがこれで自分のは物の位置を入れ替えるだけなんてしょうもないスキルなんだ。

 

「くそっ!」

 恐怖を隠すように地面に落ちていた石を投げる。

 じゃらじゃらと死の音を立ててこちらに向かってくる喜多見を遠ざけたい一心であり、他に意図は無かった。 

 だが喜多見はその攻撃とも言えない抵抗を大げさに身をかわして避けた。

 

(……なぜ?)

 冬路が何かを察したのが通じてしまったのか、喜多見は身を隠していたマントを脱ぎ去った。

 予想通り、まるで肌着のように下着の上におびただしい量の刃物が括り付けられていた。

 おかしい。先ほど見たスキルの中に以前戦った時に使ってきた刃物を生み出すスキルもあったのになぜ使ってこないのだろう。

 中ボスらしく、敵を重力で押しつぶすスキルなんかもあったのに使てきていない。

 なぜあの石つぶては大げさに交わしたのだろう。

 

「……現実を思いのままに出来るなら何故こうして姿を表して消そうとする?」

 

「…………」

 

「俺にもスキルは通じない……。いや、現実との楔の俺が邪魔だから直接消そうとしてるんだな」

 もうここ最近ずっと理屈の通じないことが起こっている。

 だが喜多見が登場してからの行動は一貫している。スキルでは倒せないから、現実の物である刃物なんかを持ち出しているのだ。

 その理屈なら――――と喜多見が飛ばした包丁を拾い上げた。所詮は体格で大いに劣る女だ。包丁の一突きで終わるはず。

 

「なんだ。意外と頭が回るな」

 

「包丁取り出してタバコ吸って……あんたみたいなの色んなゲームだの漫画だのに出てくるぜ。鬼夫人とかいう名前でな」

 

「夫人じゃない。私は独り身だ」

 

「ああそうだろうな」

 

「処女だ」

 なんだこいつ!!――――と叫びそうになるのをなんとか抑える。

 異常者なのは元々知っていたではないか。ここで押されたらなし崩し的に負けてしまう。

 気持ちで負けてはいけない。

 

「俺だって童貞だ!」

 

「うるさい」

 

「うるっ……」

 

「すぐそこにもう一個の地球があるというのに……処女だの童貞だの。小さいんだよ」

 

「また頭のおかしい奴だ! また頭のおかしい奴だ!! どうして俺の周りは異常者ばかりなんだ!」

 

「類は友を呼ぶという言葉を知ってるか」

 

「友達じゃねぇだろ! ……!

 くだらない舌戦をしていたのはこのためだったのか、と瞬時に気が付く。

 夜の闇に紛れて分かりにくいが辺り一面に、冬路を取り囲むように刃物が浮いていた。

 これではいくら動体視力が良かろうと逃げ場など無い。咄嗟に通常スキルの炎を出し包丁を弾き飛ばし、建物の中に逃げ込む。

 入口に落とし穴を作りスキルのクールダウンを待つ。

 

「……ここだ!!」

 足音から壁の向こうに敵がいることを察知し、壁を火球で吹き飛ばす。

 崩れた壁が腹にでも当たったのか、喜多見はこちらを見ていない。

 ただの思い付きにしてはうまくいった。それもそうだ、ゲームばかりの自分と部屋にこもって研究ばかりの喜多見とでそこまで身体能力に差があるはずがない。

 人を殺さなければならないという事実に一秒ほど躊躇うも、覚悟を決めて包丁を突き刺した。

 

「完璧とはまず健康な心身から始まる」

 突き刺したように見えたのは幻覚で冬路の伸びきった腕は喜多見の手に掴まれており、状況に頭が追いつく前に脚が払われた。

 敵対している相手を前に倒れたら立ち上がろうとするのは生物の本能だろう。力をこめようと地面についた手が喜多見に踏まれる。

 身体能力に差が無いどころか、何らかの武道の経験者に違いない――――間違いに気づいたときには、横薙ぎに振るわれた包丁が冬路の両眼を掠めていった。

 

「ああ゙っ!?」

 

「無知で申し訳ないが……盲目のプロゲーマーなどいまい。ましてやスナイパーが得意だったんだろう? 可哀想に」

 眼が焼けるように熱く、まつ毛が入った時のように開くことが出来ない。 

 勝手に涙が出てきたのを感じ、まさかと思いながら舐めると血の味がした。

 刃物が空を裂く音がする。痛がっている場合ではないと腕を振り回すが――――

 

「ぐっ……」

 

「……人を刺すのは初めての経験だが……実に気持ちの悪い感触だ。そのまま死んでくれると助かる」

 眼の見えなくなった相手を刺すなんて赤子の手をひねるよりも簡単だったのだろう。

 脇腹に妙な違和感を感じたと同時に脳が痛みの信号を発し、立っていることも出来なくなった。

 息を吸うと激痛が迸り、血があふれ出てくるから呼吸すらも出来ない。まさか、こんなことで終わってしまうのか。

 

(うそ? 終わり?)

 だんだん痛みが引いてきたというよりも、もう感じなくなってきたらしい。

 血が出ていく感覚だけが鮮明で、何も見えない。突き刺さった包丁は思ったよりも深々と刺さっており、すぐにでも治療しなければ死は免れない。

 

 死んだように生きてきた一年間を乗り越えてようやく戦う決心がついたのに。

 こんなところで訳の分からない女に刺されて死ぬなんて。

 

「――――、――――」

 喜多見が何かを言っているが耳が言葉として認識してくれない。

 ただでさえ貧血気味だったのだから、もう既に致死量の出血をしてしまっているのかもしれない。

 今から人のいる方に這いずっていっても誰かすれ違う前に死ぬだろう。

 

(……なんのために…………)

 誰からも必要とされず、ただ己の存在価値を己で拾い集めるしか無かった人生。

 ようやく見つけた自分を得る手段でさえも否定された。

 だとしたらなぜ、なんのために自分は生まれたんだろう。

 どこか諦念を抱いて冷静な頭が、人生を振り返り始めている今の状況を走馬灯だと言っていた。

 

***********************************

 

 4点先取の試合なのに、Brain Dead Catに先に3点取られていた。

 確実に言えるのは、その時冬路は今までの全てのゲームの中で最高のパフォーマンスをしていたということ。

 それなのに3回連続で負けていた。自分や自分のチームが相手に劣っているとは思えない。

 当たり合いで負けていないし、キル数も劣っていない。それなのに負けているのだ。

 

 理由は先ほどのハーフタイムではっきりしていた。

 BDCの選手はどいつもこいつも完成度の高い選手だが、その中でも三人別次元の選手がいる。

 Fooroは当然のこととして、どれだけ揺さぶりをかけてもまるで揺るがないGjallarhornも精神が別次元に達している。

 だがそれはいい。前もって分かっていたことだ。

 Meanがキーマンなのだ。戦うまでは分からなかった。宇宙一性格の悪い男と呼ばれるMeanの攻撃のいやらしさ、的確さ。

 エイムはそこそこ、立ち回りだってぼちぼちなのに相手の嫌がるタイミングで攻撃をしかけるという一点のみが他のどの選手と比べても頭二つほど抜けているのだ。

 

 ゲームは進化しながら激化した。

 初期はただの兵士がぱちぱちと撃ち合うだけで、違いといえばせいぜい持っている武器くらい。

 だが、よりエンターテイメントに溢れ、よりプレイしている者・見ている者を惹き付けるために兵士にもやがて個性や背景が与えられ、固有の能力が与えられた。

 Meanの使うキャラは火力は極めて低いが攻撃をするまでは完全に透明・無音になるスキルと敵のスキルを封じるスキルを持っていた。

 敵の嫌がることを察することの出来る人間、要するに性格の悪い人間が使うと止められなくなるキャラだった。

 

(いいぞ………順調だ、上手くいっている)

 スナイパーである冬路はその時も高台を取っていた。

 敵の位置も分かっている。味方の位置取りも最適だ。

 当たり合いの前でこれ以上整った戦場は望めないだろう。

 だが本当に今度こそ上手くいくのだろうか。

 

(上手く行ってないから三連続で負けているんだろ)

 Meanの位置は分かっていない。透明なんだから当たり前だ。今もどこかで息を潜めている。

 自分たちが上手くいっていると思っている作戦を嘲笑っている。なんて野郎だ。性格がとにかく悪いというその一点突破でトップクラスにいるなんて。

 今日初めて顔を見たが実際性格の悪そうなドブみたいな顔をしていた。あの顔で世界中の人間の努力を踏みにじり煽っていたなんて許せない。

 ここでストレートで自分たちを負かしたら、Meanはそれこそ再起不能なまでに自分たちを煽るだろう。所詮雑魚の癖に何を夢見てやがったんだ、と。

 

「殺すぞ」

 漏れてしまった呟きがボイスチャットを通してチーム全体に行き届き、何人かが驚いたかのように冬路の顔を見た。

 意味のない感想を喚き散らすヤツ、的確な指示を飛ばすリーダー適正溢れる人物、言っていることが全て的外れな大バカ者、色んなタイプがいるが、冬路は必要最低限の情報だけを共有しあとは全く話さないタイプだった。その冬路が発した突然の暴言はAnother Oneのメンバー全員の動きを止め――――冬路の操るスナイパーから放たれた弾丸がMeanの頭を貫いていた。

 

 目に見えない敵を殺す。

 難しいように聞こえるが、シューティングに慣れた人間なら誰でもやっている戦法だった。

 それは音であったり経験であったり、色々な理由によるがとにかく自分の感じる敵のいそうな場所を見ずに撃つという行動は熟練するにつれ精度を増す。

 

 直感の7割は正しい、と将棋のトップ棋士は言った。

 早指しで敵を殺しきる棋士、目を瞑ったままフリースローを決めるバスケット選手。

 どちらも培われた経験によるものだ。

 

 敵のいそうな場所を撃つ――――決め撃ち。

 見えない敵を殺すことなど、スナイパーとして世界頂点にほど近い冬路にとっては日常茶飯事だった。

 下手が時間をかけて狙った弾丸よりも達人の決め撃ちの方が当たってしまう。

 

 ハーフタイムでリプレイを見た時、Meanはいつも冬路のそばにいた。というよりも見えていないだけで視界の中にすらいた。

 目の前にいたのに気付かなかったのか、と行動だけで煽られているようだった。

 

 その積み重ねが冬路の予測精度を上げ、ついには完全に透明のまま冬路の斜め前に立っていたMeanの頭を貫いていた。

 人数差を突きつけられたBDCはそのまま調子そのものも崩し、格下のAnother Oneと3対3の同点にまで持ち込まれてしまったのだ。

 

********************************

 

 あの域にまで至れたのだ。

 次は。次こそは、頂点を取れる。

 目が見えないからなんだ。俺は見えない敵だって殺す。

 腹に刃物が刺さっていたって、まだ生きている。

 

「神様……どうか……」

 

「ここにきて神頼みか」

 先ほどは聞こえなかった喜多見の声が聞こえる。

 走馬灯から確かに僅かな勝ち筋を拾ってきて希望を見出したからだ。

 

(その後死んでいい……地獄に落ちてもいいから)

 腹に突き刺さったまま痛み続ける包丁を握る。 

 冷静になって触ってみれば大した大きさではない。そもそもこれは包丁ではない。

 せいぜいペーパーナイフくらいだろう。これならば恐らくまだ致命傷にはならない。

 まだ、戦える。

 

「……。俺にもう一度あの女と戦わせてくれ!」

 神頼み結構、覚悟を決めてナイフを引き抜くと鋭い痛みが蘇った。

 だが抜いた瞬間が痛みのピークで抜けた後はなんとか立てる程度にはなった。

 まだ攻撃が来ないうちにジャンパーを脱ぎ傷口を抑えるように縛り付ける。

 

「神に願うなら勝たせてくれじゃないのか?」

 

「あんたには……いや、お前らには分からねえよ。この手で、俺の手で掴む勝利以上に価値のあるもんなんてないんだ!!」

 痛み続ける目を開くと本能的に瞼が閉じようとするが、真っ赤な視界の中で喜多見はなんとか見える。どうやら傷ついたのは瞳孔ではないらしい。

 それでも常に血が溢れているため目を開き続けることは出来ない。結局は見えないのと同じだ。

 だが潰れていないならば、この女を殺して治療すればいいだけの話だ。またプロに戻るのだ。

 

「いつかまた……今度こそ全部俺の物に……」

 赤い地球が冬路の身体を照らす。人生で一度だって目映い光が自分の物になったことなどない。

 この世界が嫌いだ。死ぬほどまでに積み上げてもいとも簡単に奪い去ってくれる。お前を主人公なんて認めないと突き付けてくる。

 もうそれでいい。持ち上げてくれなくていい。特別な扱いなんかいらない。自分の力で世界に理解させてやるのだ。後にも先にも一番強いプレイヤーがここにいると。

 

「戦いに向かう為に戦うのか。まるで鬼だな。戦場でのみ存在を保てる幽鬼」

 

「……そうだ……戦うんだ……」

 

「……大抵の子供はつまらない成長をする。勉強ができても……見た目が優れていても……100年後には誰もその名を口にすることすら無い。何かを成し遂げたいならば。時代を切り拓く刃になるならば。多少なりとも気が狂っていなければならない!」

 向かってくる。それもこれまでのゆったりとした歩みではなく走って。

 予想外に立ち上がった冬路に多少なりとも焦りと昂揚を感じているのだろう。

 じゃらじゃらと鳴る金属音に惑わされずに振るわれた刃を避ける。

 

(!)

 明らかに、喜多見から発せられる刃がぶつかる金属音が減っている。

 走っている間に落としたなんて、喜多見がそんなミスをするはずがないし落とした刃物が地面にぶつかる音を聞いていない。

 

「痛ッ!!」

 更に突き出された刃物をなんとか掴むことに成功する。

 手や腕ではなく刃そのものを掴んでしまったことはよくないが、見えない中で二回連続で避けられただけでもよく出来ている方だ。

 

「耳もいいようだな。いいぞ。今のお前ならC評価にはならない」

 誉め言葉とほぼ同じタイミングで喜多見の膝が出血し続ける冬路の腹に強かに当たり、再び膝から崩れ落ちる。

 だが隙だらけの冬路にとどめの一撃が来ることは無かった。

 

(……違う)

 この予測は間違っていない、という絶望感に先に襲われる。

 減っていた分の金属音は空中にばら撒いた刃物の数とイコールだろう。

 巻き込まれる前に喜多見は離れたのだ。

 

「耳がいいならこれから起こることも分かっているな?」

 

「……俺の兄貴は天才だった」

 

「……?」

 

「何をやってもトップクラス……ゲームでさえも上手いなんてもんじゃなかった……俺より後に始めたのに二カ月でグランドマスターになっていた……」

 準備は整っている。後は気づかれなければいいだけだ。

 隙とも思っていない隙をそのままでいさせればいいのだ。

 

「なんの話だ」

 

「じゃあ何が……俺をプロにしたか……」

 先ほど触れた刃が今も喜多見の手の中にあるのをぼんやりと感じる。

 あれを捨てていないという事実と自分のスキルが喜多見のそれと比べて弱すぎるという現実こそがチャンスだ。

 

「……。最期にしては面白い話だ。才能や努力の差ではないと?」

 

「……兄貴はエリクサーを使わない。使えない人間なんだ……最後まで……」

 

「……? ……!!?」

 リバース。喜多見の持っていた包丁と位置を入れ替えた冬路は、喜多見の腕を全く運動をしてこなかった人生の中で一番の力を込めて握っており、爪が肌を貫き肉に食い込んでいた。

 

「ぶっ殺す前に。ありがとう。あんたのお陰で俺はまた戦える」

 冬路は切り札を使う。切り札を切れない人間は最後に勝てないのだ。

 指先から雷のように放たれた叛逆の獄炎が喜多見の肉の中に入り瞬く間に全身に広がる。

 あっと言う暇もなく、冬路の目の前にそばに立っていることさえも出来ない火だるまの物体が出来上がった。

 

「……見事だ。素晴らしいとしか言いようがないな」

 

「なんで喋れる……」

 瞼を開くと真っ赤に燃えている喜多見が映る。

 最早髪すらも燃えて無くなってしまっており、口から血の蒸気が上がっている。それなのに喜多見は平然と立っている。

 

「ヒントをやろう。作者はナイフで刺されたことなどない。だから刺された本物の痛みなど知らない!」

 

「は……?」

 強がってはいたものの、腹を刺された上にそこを蹴られたのだ。

 流石に出血量が深刻な域に達したのか、とうとう冬路はその場に膝をついてしまった。

 

「お前も今までの人生で刺されたことなど無い。だから刺された本物の痛みなど知らない」

 

「あんた……燃えてんだから転げ回れよ。泣き叫べ。勝った気がしないだろ……」

 

「あいにく身体中が燃えたことなんてないからな。ふふ……ははは……」

 そのまま最後まで燃えていることを全く意に介さないまま喜多見は燃え尽き、焦げた複数の刃が地面に落ちる音が廃墟だらけの空間に虚しく響いた。

 腑に落ちない点も疑問もいくらでもあるが勝ちは勝ちだ。回復スキルを使ってとにかく立てるようになるまで体力を戻そうとするが。

 

「……そうか…………」

 回復スキルはもちろんゲーム内の技だ。

 自分は喜多見の攻撃をスキルで言えば一撃ももらっていない。

 この眼も腹も現実にある刃物で攻撃されたものだ。それをゲーム内のスキルで回復できるはずがない。

 それでもなんとか立とうと地面に手をついたら妙なぬめりに滑って転んでしまった。

 

(これ……俺の血か……)

 無様に地面につけた頬も手も余すことなく濡れた何かに触れる。

 ここ最近雨なんか降っていないのだから、これは全て自分の血ということになるだろう。

 なんとか壁に背をつけて座る形までは持ち直せたが。

 

(勝ったのに……)

 今度こそごまかしが効かず本当に体を動かすことができない。

 気力はあっても力を運ぶための血が圧倒的に足りていないのだから。

 

「……あの女……?」

 寝ずに30時間起きていた時のように意識が朦朧としてくる。

 先ほどの自分の言葉も、いま自分が発している言葉もあいまいになってくる。

 

「女だったっけね……ふっふっふ……」

 なんて馬鹿馬鹿しい。ただ自分はゲームで勝ちたかっただけだというのに。

 気づけばこんな意味の分からない場所で大量に血を流して死にかけている。

 遠くから聞こえていた喧噪も聞こえなくなってしまった。最後に見たもう一つの地球は今にもぶつかりそうな場所にあった。

 全てが無駄だったとしたのならば最初からずっと家で腐っておけばよかったのに――――また誰かの足音が聞こえた。

 

「生きてる?」

 

「……映月……お前……」

 聞こえてくる衣擦れの音や気配から今は人間の姿でいて、冬路の傍にしゃがみこんでいることがわかる。

 完全に詰みだ。今の自分はもはや五歳児でも殺せる。

 

「まさか喜多見に勝つなんてね。てっきりざく切りポテトにされているのかと思ったけど」

 

「とどめ刺しに来たのか……」

 

「やだなぁ。自慢しに来たんだよ」

 

「……?」

 血の臭いに麻痺した鼻腔をふいに撫でる甘露の匂い。

 目が開いていない分、他の感覚が敏感になっているのだろう。

 この血なまぐさい廃墟に似合わないショートケーキの匂いがする。

 

「これこれ。私がケーキ職人の世界もあったんだよ」

 

「…………」

 信じられない。本当に敵意の欠片もなく、まるで友人に自分の作った菓子を自慢しているかのようなトーンで話しかけている。

 ほとんど死人の自分に対して、と考えるとぞっとする。

 

「一口食べてみてよ」

 

「なんだお前……やめろ、わけわからんこと……」

 おそらくはフォークで一口サイズのケーキを口元に差し出されている。

 絶対美味しいから、と言葉を続けているが一体何を考えているのか。

 口の中が血まみれなのに味など分かるはずもない、と思っている間に無理やり口をこじ開けられケーキを放り込まれ――――人生で一度も味わったことの無い、脳の奥まで痺れるような甘味が冬路の全身に迸り――――

 

「美味しいでしょ」

 

「……なんだ!?」

 今の今まで見えなかった目が開き腹に空いていた穴がふさがっている。

 赤ずんでいた視界が一気に開け、見慣れた垂れ目にサイドドレッドの映月がそばにいた。

 ほらもう一口、と近づけてきたフォークを焼き払い慌てて距離を取る。

 

「うわ、ひどい。せっかく親切にも伝えに来てやったのに」

 喜多見のように炎を弾きはしていないが、手が燃えているのに何事もないように言葉を続けている。

 分かってはいたがこいつも異常者だ。どいつもこいつも、なぜ自分の周りは精神か頭に異常をきたしている人間ばかりなんだ。

 

「伝えにってなんだよ。今度こそ殺しに来たんじゃないのか」

 

「そこだよ。君が殺されるならさ」

 鈍い冬路の頭が珍しくそこまで聞いただけで途中の過程を飛ばして一気に答えをはじきだす。

 

「やめろ!! 俺と違って、」

 

「補助スキルを中心にビルドしていったもんな。まぁ殺されるだろうね」

 自分が喜多見に襲われたように、あちらの世界でも香南は何かしら無敵に近い能力を持った異常者に追い回されているに違いない。

 このゲームは協力が不可欠だと早くに気が付いた香南は回復・補助系のスキルばかりで攻撃系はほとんどない。

 そして回復も補助も、自分と同じなら自身には効かないのだから本当になすすべもない。

 

「助けに行く方法はあるよ。ただ、思いつく前に死ぬと思うけど」

 優れた動体視力を持つ冬路の目は、燃える映月の腕が殺意の籠った巨大な爪を生やした猫の手となりこちらに振り降ろされる光景をゆっくりと捉えていた。

 

「こんなところで死んだら――――」 

 ゆっくりと捉えているではなく本当に時の流れが遅くなっている。

 冬路の頭の中にあった二通りの言葉の続きが、それこそゲームの選択肢のように浮かんでくる。

 

【香南に会えないだろうが】

【風露と戦えないだろうが】

 

 これはいったい何なのだろう。

 最初の選択肢は自分でも気が付かなかった逃げ道に浮かんでいる。

 あちらに逃げて、その方法とやらを考えればまだ助けられると。

 もう一つの選択は映月そのものに描かれている。

 ここまで来てもなおゲーム的であり続けようとする世界ならば、どちらかが正解でどちらかが外れなのだろう。

 まるで今までの人生を振り返る最後のチャンスのようだった。

 好いた異性を守るために走るのか。それでもなお己のために戦い続けるのか。

 

 わざわざ時間を止めてくれなくたって最初から決まっていた。

 強くなるために生きてきた。これまでも、これからも。そのこれからが後ほんの数秒しか無かったとしても。

 ほんの数分前、死に際から蘇った時も、戦っていた時も、それしか頭に無かったのだから。

 ごめん、と月の向こう側の届かないあの人に小さく呟いた。

 

「風露と戦えないだろうがぁ!!」

 たとえゲーム的に、あるいは一般的に不正解だろうと自分にとっては正解なのだ。

 誰だって、誰かに認められたい。生きている価値があることを確かめたい。

 ファンに応援されるのはいい。親や友人に褒められるのもいい。だがそれよりも、何よりも、誰よりも。

 

(風露に認めてほしかったんだ……!)

 ライバルであり憧れである風露に認められたかったんだ。頑なな心の奥底の純粋な願望。死を前にしてようやく気が付き血を洗い流すような涙が零れる。

 ここにお前の同類がいるんだ。俺ならお前を理解できるから、俺の事も理解してくれ。

 本当は消えたくなんてなかった――――慟哭の叫びが心臓から直接飛び出していた。

 まともに考えれば効くはずもない劫火が映月の身体を包み、太陽よりも眩しい爆炎の中から何かが冬路の胸に飛び込んできた。 

 

「はっ……あっ……本物……?」

 

「……!?」

 反撃が来るに違いないと、次の瞬間には胸に大穴が空いているはずだと覚悟を決めていたのに。

 冬路の胸の中にいたのはこの世界にはいないはずの香南だった。正解のはずがない選択肢なのに。

 

「やった……すごくかっこいい……」

 自分よりも頭二つほど小さい香南が胸に顔を埋めてくる。

 自分の人生にはこれまでも、そしてこれからも一生ないと思っていたもの。

 どこまでも突き詰めた己の欲の先にあった奇跡。それを素直に喜べないのは――――

 

「香南……血が……」

 自身が放った炎と月明かり以外が一切なかったため気が付くのが遅れた。

 香南の身体がやけに湿っていると思ったらそれは全て血で、身体のあちこちに刃物が突き刺さっている。

 訊きたいことなど山ほどあるが、まずは何よりも救急車だ。

 

「もう……無理だと思う……」

 来るかどうかは別として119をコールしようと携帯を開いたら目の前の香南のステータスが映っていた。

 普段は4桁ある体力が5しかなく、見ている間にまた1減った。出血状態なんてわかりきったことが書いてある。

 全てのスキルはクールタイムに入っておりここに至るまでにどれだけもがいたかが伝わってくる。

 たった三回しか使えないレベル0のスキル、『マスターキー』も使い果たしてしまっている。

 

「……このスキルでこっちの世界に来たのか」

 

「壁際まで追い込まれたときに使ったら壁に穴が開いてね……思いついた……」

 どんな鍵も開くという使いどころに悩むスキルだが、その様子を見て発想を飛躍させてこちらの世界と繋がるワープゲートを開いたのだろう。

 

「もういいから、喋っちゃだめだ」

 突き刺さっている刃物に触れないように細心の注意を払いながら香南を抱える。

 すでにもう一つの地球は空を覆うほどまでに近づいてきてしまっている。

 

「違うの……伝えに来たの……どうすればクリアできるか分かったから……」

 

「え……? じゃあなんで! 俺のところになんか来ないでさっさとクリアしてしまえばよかったのに!」

 そのクリアの方法とやらも、クリアの定義もとりあえず置いておいて、分かったならさっさとその条件を達成してしまえばよかったのに。

 なにもこんな死にかけてまでこちらの世界に来る必要なんかなかった。いまだって呼吸をするたびに口から血が垂れている。

 さっきのケーキを燃やしてしまうんじゃなかった。

 

「私はもうクリアは出来ない……」

 

「……! このスキルを使えばいいんだな? どうやって?」

 残しておくつもりなど無かったが偶然にも自分はあと一回だけ残っている。 

 香南は使い切ってしまっていることといまの言葉からも、このスキルが鍵なのはよくわかる。

 

「気付くだけ……本当に気付くだけなの。たぶん私は……全部忘れてしまうけど……」

 

「待て、しっかりしろ……!」

 死の際の際まで来ると正常な思考が出来なくなり、まともな言葉も発せなくなってくるのだ。

 自分がさっきまでそこにいたからよく分かる。だが、どこまでも鈍い自分の頭ではさっぱり理解が出来ない。

 

「私は会いに来たよ……。だから……」

 

「だから?」

 

「私に会いに来て」

 キン、と甲高い金属音が鳴り響き、その瞬間に腕の中にいた香南が影も残さず消えてしまった。

 惑星の衝突の音ではない。あまりにも音が高すぎるし身体を揺らす衝撃など欠片も無い。ただひたすらに超高速で金属がぶつかる音が続いている。

 それこそまるで目覚ましのベルのような――――――――ようやく、香南の言っていた言葉の意味が分かり『気が付いた』。

 この音は『本当に目覚ましの音』なのだ。映月も夜明けまで30分と言っていたじゃないか。

 

「『リバース』」

 二つの物体を入れ替えるスキルだがそれだけではないかもしれない、という妙な説明文。

 誰も知るはずが無いのにゲーム内マップに登場した自分の部屋。欠けた記憶の違和感。矛盾を繰り返し破綻した物語。

 気付くことこそが鍵だったのだ。携帯に映る『リバース』の文字が掠れていき、気が付けばRebirthになり替わっていた。

 本当の自分への生まれ変わり。世界を壊すベルの音と共に視界が白んでいく。

 

「会いに行けよ」

 気付けばまた廃墟の壁に寄りかかって立っていた葉月が最後の言葉を送り、秋葉冬路という存在は完全に消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Dream her all the time

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2032年 東京 練馬区

 

 その日も昨日と同じように、こめかみに奔る緩やかな刺激に全てを忘れて目を覚ました。

 眠っている間中にずっと頭に付けていた300グラムほどの機械を外すと結っていた髪がはらりと解けてしまった。

 

「……またクリアできなかったってことね」

 技術の進歩は加速を続け、その恩恵はゲーム業界にも当然もたらされていた。

 1年前に発売されたこのハード、Dream Reality(DR)は人の夢を操る。眠っている間に見る夢そのものをコントロールしてゲームにしてしまうのだ。

 おまけに、夢を見ているのだからずっとノンレム睡眠のはずなのに寝覚めは非常にすっきりしており睡眠不足感も全くない。

 人の脳を使うことによるゲームの容量からの解放などの理由以上に、健康器具としても爆発的に売れているハードだった。

 なんでもDRを持っている者はそうでない者よりも睡眠時間が平均して1.2時間多くなり、開発した企業は政府から助成金を受けているとか。

 

 脳が人間を支配している。

 そして人間の脳はこの世で最も精密で再現の難しい機械だ。

 もしも脳で機械の操作が出来たら。

 もしも脳の処理能力をコンピューターに繋げられたら。

 もしも脳内でゲームが出来たら。

 それはこの世で最も精巧なゲームに他ならない。

 脳の操作はグラフィックやサウンドの一つの到達点なのだ。

 これよりも画素数を増やすことは可能だろうし、音域を広げるのだって可能だろう。

 だが、人間の脳や器官はどうせ脳の認識できる以上には認識できない。認識できないならそれ以上を作っても意味がない。

 どうせ創作物なのだ、人間の想像以上のものは作れないんだから脳をハードウェアにしてもなんの問題もない。

 

 

「うん?」

 ブレスレット型の携帯が持ち主の目覚めを検知し、振動しながら光った。

 誰かからメールが来たか、アプリの通知か。

 手を広げると手のひらの上にホログラムの画面が広がった。どうやら後者だったらしく――――その通知を見てひっくり返りそうになった。

 基本的にSNSの通知はフォロワーからのリプライ・メッセージ以外は切っている。

 果たして、その通知の送り主は自分が待ち焦がれていた人物からだった。

 

【今日、10時に渋谷の摩多羅神社で会えないか】

 

 彼からのメッセージに短く肯定を返し、急いで外に出る準備をする。

 

 

 そのハードには主に2タイプのゲームがあった。

 三人称と一人称――――といってもファーストパーソンやサードパーソンという意味ではない。

 最初からゲーム内で『これはゲームだ』と知っていて暴れ散らかすタイプ。ストレスの多いこの時代に多いに売れた。

 ゲームの中だと知っているならどれだけ好き放題しても構わないのだから。三人称タイプのオンラインゲームは夢の中でも友人や恋人に会えるということもありどのソフトもそれなりに売れている。 

 

 もう一つはゲームの中でゲームだと分からないまま、現実世界の記憶をロックされその世界の主人公そのものになりきるタイプで、その特性上オフラインゲームに非常に多い。

 夢から覚めてから『夢で良かった』となるタイプのホラーゲームや謎解きなどに多い。

 このメモリーロックを使うゲームの特性はネタバレが通じないことにある。

 現実の記憶は眠りの中で強制的に遮断され、物語の主人公になる。

 普段見る普通の夢の中で、現実の自分が大人なのに高校生になったとしてもなんの疑いも持たないのと同じように、攻略法をネットで見たとしても意味がない。

 

 そして今プレイしている『月映しの世界』はその中でも更に特殊で、クリアしない限りは目が覚めても夢の世界の記憶を現実に持ち込めないのだ。

 全く新しいタイプのゲームと銘打ってこのハードを制作した会社からフリーで配布されたソフトだが、配信から2週間経ってもクリア率が0.1%であるあたり相当に難しい内容なのだろう。

 

 

 化粧を終え、髪を結い帽子を被ると意を決したように立ち上がる。

 今が9時だから多少急がなければ。自分にしては非常に珍しく、早足でがちゃがちゃと歩きながら部屋を出ると――――

 

「わっ」

 

「うわ! おはよう、早いね」

 これから買い物にでも出かけようとしていたのか、着替えと化粧を済ませた姉が同じタイミングで隣の部屋から出てきて危うくぶつかりかけた。

 

「おはよう、おねぇ」

 

「お仕事? じゃないよね、今日は何もないって言っていたもんね」

 何もない日はずっと部屋にこもっている自分が朝早くから出かけようとしているのが珍しくて仕方ないらしく、好奇心旺盛な吊り目で『なんでそんなにお洒落してるの』『どこに行くの』と問いかけてくる。

 

「まさか男の子に会うとか!?」

 

「かもね」

 いつもこんな風に姉の好奇心を受け流すが、今日のこの三文字はどこか不自然だったらしい。

 正解だったと感づいた姉はにわかにはしゃぎ始めた。

 

「ほんと!? どこで会うの!?」

 

「渋谷」

 

「ひゃー……駅まで送ってってあげようか?」

 自分に気を使って言ってくれているのだろうが車の免許も無いのに一体何を言っているやら。

 相変わらず天然気味だ。

 

「じゃあ行ってくるね。誰にも言っちゃダメだよ」

 

「はい、誰にも言いませーん」

 

(おねぇじゃ無理だろうなぁ……)

 自分のことを理解して、誰にも言わないと言ってくれてはいるもののそもそも口が軽いし隠し事が態度に全て出てしまうタイプだから遅かれ早かれ少なくとも両親には訊かれるだろうな、と思いながら外に出る。

 何も無い日に外出するのは本当に久しぶりだった。

 

 

*****************************************

 

 

 通勤通学の時間ではないが、それでも平日だからか電車は混んでいる。

 運よく席を譲ってもらえたため、30分立ちっぱなしという拷問にはならずに済みそうだ。

 自分のようなガラの悪い見た目の人間にそれでも席を譲ってくれる人がいるなんて、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。

 

(『月映しの世界』のクリア条件は……この世界が夢、もしくはゲームであると気が付くこと……)

 調べたらクリア条件はすぐに出てきた。簡単に言ってくれるがかなり難しいように思える。

 それはつまり『いまここで生きているこの現実を疑え』と言っていることに等しい。 

 一応後半に行くに連れヒントは増えていくようだし、ストーリーも辻褄が合わなくなっていくようだがそもそも夢とは支離滅裂でそれでも夢だと気が付かないものなのだ。

 出会う人々から貰うヒントが組み立てられないことに確信を抱かなければならないのは相当に難しい。

 

(私は夢で誰と会っているんだろう)

 シナリオライターが数十人いるところを見ると、プレイヤーの年齢や性別、職業などの属性によってある程度ストーリーを変えているのだろう。

 ゲームの容量自体はそこまで大きくないから、恐らく登場人物自体は全て自分の出会った人物もしくはそのモンタージュになっているはず。

 

(おっ、この人は知ってる。これは……誰だろ)

 ライターの中にはHeesuや横田信一郎などわりかしその道での有名人もいて、彼らならそこそこまともなストーリーを作っているだろうが中にはK-Knotなど見たことも聞いたこともないライターもいる。

 検索すると、軽率に世界を終わらせる物語ばかりを書くと批評が出てきたが、そんなストーリーならいくらなんでも流石に夢だと気が付きそうだ。

 そんなど素人に毛の生えた程度の人間が書いた適当な物語で踊らされていると考えるとちょっと頭に来る。どうせ寝ているときにやっているゲームなのだからやめてもいいのだが。

 

「渋谷なんて初めて来たな……」

 駅の改札を抜けるとブレスレットが光る。

 練馬から渋谷までの運賃が口座から引かれるなんて今まで全く無かったと思う。自分とは全く縁のない街だから。

 久々に歩いたせいでやや疲れた足を引きずりながら電子コンタクト上に浮かぶ道案内に従っていく。

 この間買ったこのコンタクトは高かったが度も入っているし、ブレスレットと繋げればわざわざホログラムを展開しなくても目に映るから色々と便利だ。目を閉じても瞼の裏側で操作が可能という優れモノだ。

 おまけに、というかこのおまけが気に入っているのだが日によって気分で色を変えられるのだ。わざわざいくつもカラコンを買わなくていいわけだ。

 通販で買ったから心配だったがいい買い物だった。

 

(……? なんか通ったことある気がする)

 案内通りに歩いていくとどんどんと人通りが減っていくのに、何故かここを歩いた記憶があるような気がする。

 そういえばあのゲームはストーリーはいくつかあれど全て渋谷が舞台だったか。

 容量のほとんどを渋谷区のデータに食われていた。きっと覚えていないだけでここを歩いたこともあるのだろう。

 

「……ここにも来たことがあるってこと……? えぇ……」

 ようやくその摩多羅神社とやらについたがやはり知っている気がする。

 だが寂れるという言葉も陳腐なくらいに寂れている。少なくとも参拝客など、今年に入ってからまだ10人も来ていないだろう。

 渋谷区とは思えないほどに静まり返った神社を陽気な春風に吹かれながら歩く。

 一応その辺のビルよりは待ち合わせ場所として機能しているようだ。

 髪を白染めにしたいかにも今風渋谷風といった格好をした背の高い青年が誰かを待っているかのように突っ立っている。

 

(さすが渋谷……こんなとこにもカッコいい――――え?)

 背も高いし素で顔がいい人だなぁ、と横顔を見ていたら青年は視線に気が付いたのかこちらを向いた。

 誓って、あんな風貌の知り合いはいない。それなのにその顔をどこかで見た気がする。

 

「あ、あれ? あれ?」

 一方の青年は何かの確信を持ってこちらに向かって歩いてくる。

 やはりこの人物を知っている。どこかで会ったことがある。

 どこの何者だ――――と口を開く前にやや怒り顔の青年に肩を掴まれた。

 

「風露! いったい何が目的で俺のゲームに出てきやがった!」

 

「あんた……」

 間近で顔を見て。

 なにがしたいんだよ――――と発するその声を聞いて。ようやく分かった。

 明川新路。Shinという名前でかつて自分と、燕風露と日本最強を争った男だった。

 

 

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