月映しの世界の中で   作:K-Knot

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#5 鬼

 〖鬼〗 キ・おに

 

 1.

人にわざわいをもたらすもの。また、そのような人。

 2.

非常に勇猛な人。

ある事に精魂を傾けそそぐ人。

 

 3.

すぐれたもの。

 

 

 

 

#5 鬼

 

 

 

 いまや夢の中にもう一つの現実がある。

 そこでは全てが叶い、全てが思い通りで、それゆえに自分の想像の域を出ない。自分の脳で作るのだから、自分の脳の作れる以上のことは起きない。

 ならば今のこの現実は夢よりも夢のようだ。

 もう二度と会うことも無いと思っていた少年が目の前にいるのだから。

 

「おかわりください」

 新路がアシスタントロボットに空のカップを差し出した。

 一般的なゴミ箱ほどの大きさのこの機械は店中をうろうろしており、足元でゴミを吸い取りながら空気清浄機の役割も果たしている。

 しかも注文も聞いてくれるという人件費大幅削除マシーンだ。この5年くらいで色んな店に導入されるようになった。

 

(ロボットに敬語使ってら)

 とりあえず神社で話をするのもなんだということで、適当に喫茶店に入った。

 いつだかに配信中に言っていたように甘いものは苦手なようでブラックのコーヒーだけを飲んでいる。

 一気に話をしすぎて喉が渇いたのか、新路はまだ熱いであろうおかわりのコーヒーを一口で半分以上飲んでしまった。

 

「まぁ、あんたの言っていることは分かったよ」

 

「お前に記憶が無いのは分かってるけどな、一体何がしたいんだ」

 へたくそな説明だったのでなかなか理解できなかったがどうも『月映しの世界』の中で自分は新路の夢の中で敵として出てきているらしい。

 敵か――――まぁ当たり前か、とため息を吐く。

 

「そもそも一番大事なこと忘れてるよ」

 

「なにが」

 

「いやまずそこ確認しないのかって思うんだけど」

 

「だからなにが」

 

「あれはオフラインゲームだ。私が出たんじゃなくて、あんたが勝手に私を出したの!」

 

「はぁ!!?」

 

(なんだよこのうすらバカ)

 兄に美容院に連れられて変身したのはいいが、せっかくクールな印象を与える見た目になったのに馬鹿そのものの表情で固まっている。

 というか馬鹿か。そんな基本的なことも確認せずにわざわざ自分に会いに来るとは。

 

「ま、でもクリアできて良かったね」

 

「良くねーよ。殴られるわ投げられるわ刺されるわで散々だった。お前は化け猫に変身して殺そうとしてくるし」

 

「……。私どういう役で出てきたの」

 化け猫に変身というのは恐らく新路の深層心理の中でBDCのロゴと結びついた自分の姿が反映されたものだろう。

 なんて単純な精神構造をしている男なのだ。

 

「……うーん。まぁ……親友かなぁ。なんでも話せたし……でも親友だけど、ラスボスだった」

 

「ははっ」

 本人は特に何も考えずに言ったのだろうが、やはり自分たちの心は通じていたのだ。お互いに親友になれると思っていたわけだ。

 今飲んでいるココアパウダーを山ほど振りかけたカフェモカよりも甘い気持ちになる。

 それにしても自分は心理学者ではないが、親友でラスボスとは。新路の中で自分がどういう印象かこれ以上ないくらいわかりやすい。

 

「で、あんたあれから何してたの。配信もしない、かといってSNSもなんも更新しない。死んだのかと思ってたよ。大学に行っているの?」

 

「なんもしてねぇ」

 

「?」

 

「浪人生ってことになってるけど勉強なんか1mmもしてねぇ。ずっと家に引きこもってる」

 

「うわっ……だって親厳しいんでしょ?」

 

「なんでそんなこと知ってんだ」

 しまった。自分は新路のことをよくよく知っているが、そのことを新路は知らない。

 そもそも日本一強く有名な自分がたかが一弱小配信者の配信を一年近く毎日のように見ていたなんてことはあってはならないのだ。

 

「ま、まぁ。親は銀行員だっけ」

 

「親父は銀行の総裁」

 銀行のトップは普通頭取と呼ぶものではないか。

 銀行で総裁と呼ばれるとしたら――――

 

「明川総裁!? 日銀の!?」

 

「うん」

 明川勇路は歴代日銀総裁の中で最も若く、最も熱意に溢れた渋いオヤジで誰もが認める日本経済界のドンだ。

 確かに言われてみれば似ている。背が高く、体つきががっちりとしていて鷹のように鋭い眼つきをしたオッサンだが、35歳ほど若返らせたら今の新路ような見た目になるのだろう。

 そこまで経済ニュースなど見ない自分でも知っている。デフレに陥りつつあった日本の経済を上向かせ、長年金融機関を蝕み続けたマイナス金利をプラスに向かせた傑物だ。

 あの男が家庭では息子に全く無関心なダメオヤジだなんて驚きだ。

 

「母親は音楽家だっけ。お兄さんはいま何してるの」

 なんでそんなことまで知っているんだろ、と顔に書いてあるかのようだ。

 別に配信見ていたからと伝えてもいいと言えばいいのだが、なんというかキモイし新路に対しては常に精神的優位に立っていたい気持ちがある。

 

「財務省で働いているよ」

 

「はぁー。あるんだねぇ、現実でそんな家。で、あんたは」

 

「高卒無職ひきこもり」

 

「ははーっ!」

 悲惨な現実をハンサム面で淡々と話すギャップが面白すぎて猿の玩具のように手を叩いて笑ってしまった。

 高卒無職など普通の家でも悲惨なのに、そんな一家の中でそれでは一層際立って悲惨だ。

 

「マジでさ、どんな気分で引きこもってるの? 将来への希望も何もないのに」

 

「うっ……」

 流石に言葉が鋭すぎたか。新路はコーヒーカップを置いて両の目から大粒の涙を滝のように流し始めた。

 こんな渋谷のど真ん中で男泣きしている姿がまた面白く、笑いがこみあげてくる。

 

「な、泣くなよ。大丈夫、私なんか中卒だから」

 腹を抱えて笑いを我慢しながら言ったところでなんの慰めにもならないだろう。

 ずずーっと鼻をすする音が響き、更に笑ってしまう。

 

「いいぜ。勝ったのはお前だからな。教えてやるよ。負けて全部失っているから……この世の全てに、あらゆる障害に屈服するんだ。腹出して降参する犬ころみてぇーにわんわんってな」

 

「ほらお手ぇ!」

 

「ワンだ! クソォッ!!」

 軽い冗談のつもりで差し出した手の平を乱暴に叩いた新路はその場で突っ伏して本当にわんわんと泣き始めた。

 一年経ってもこの状態とは、一度倒して何度でも美味しい相手だ。どういう理屈が働いているのかは分からないが、新路の中では負けた相手には全て従わないと負けということにはならないらしい。

 友達になれると思ったし勝手に親友だと思っていたがそもそもの問題として深刻な馬鹿のようだ。

 

「毎晩毎晩お前に殺された夢を見るせいで睡眠障害になるし! おまけにEDになっちまったぁ!!」

 その夢から逃げたくてわざわざ頭に機械を繋げて別の夢に逃げようとしたわけだ。

 だがそこまで心の奥底まで印象に残った相手のことなど忘れられるはずもなく、逃げた先の夢でも追い回されたと。

 これほどまでにトラウマになってくれたのなら、倒した甲斐もあったというものだ。

 

「逃げたってさ……」

 睡眠障害もトラウマもEDも、治したければ逃げていては始まらない。

 立ち向かわなければ永遠に負け犬のままだ―――――そう伝えようとする前に新路は口を開いた。

 

「次はお前が犬になる番だ」

 びりっ、と頭頂部に電気が流れ髪が逆立ったかのような錯覚。

 新路がどんな夢を見て、何を思ったかは分からない。だが今、新路は確かに戻ってくると言ったのだ。

 また戦うと。またあんな、お互いの全てを真ん中に置いて食い合うような戦いが出来るのだと。

 彼がいない一年の間にまたBDCは優勝した。しかし、三連覇という偉業を成し遂げたのに視聴者数は去年よりも少なかった。

 BDCを、風露を脅かす存在がいなくなり、試合内容が一方的でつまらなかったからだ。

 

「……あんたを倒したとき、まるで世界に星が一つ増えたような気分だった。代わりに身体の半分が消えてしまったかのような気分にもなった」

 凄まじい強敵を倒した時、その勲章はより自分の世界を輝かせる。だがそれほどまでに強くなるために己を律し続けた人間を倒すことは、理解者を葬り去るのと同義だった。

 

「今度こそ完璧に星になってみるか?」

 確かに新路はこの日本では唯一と言い切ってもいい自分と並ぶ鬼才だった。

 だが彼が消えたとしても他にも天才的な強さを誇る者が出てくるのがこの世界だ。

 18歳になり、国際リーグにも出場可能になった風露は初めて終わりのない大海を目にした。

 この暗く荒れた海を渡るには道しるべになる眩い星がいくつも必要なのだ。

 

「……。その生意気な目が、傲慢な口ぶりが許せねえ。奪い取ってやる」

 生意気なのも傲慢なのも知っている。全ては強いから、この国で一番強いから許されている。

 だからこそありとあらゆるプレイヤーにこの地位を狙われる。

 

「今度デュオ組もうよ」

 

「ぜってぇーやだ」

 さらっとずっと前から思っていた願望を言ってみたがこれまたさらっと断られてしまった。

 この国でFlawless Anthemをプレイする者にとって自分とチームを組むことなどこれ以上ない名誉のはずなのに。

 とはいっても断るのは当たり前だ。これから倒さんと考えている相手とどうして味方になると言うのだ。必然的に手の内も見せてしまうことになるのに。

 ならそれが必然になるように手を回せばいいだけだ、と色々と思考を巡らせていると。

 

「あの……お客様」

 

「あっ、すいません! ごめんなさい!」

 わざわざ人間の店員が来て注意された。

 騒がしくしているのが自分だという自覚がある無職ひきこもりは頭を三回も下げた。

 見た目に似合わない行動をするならまだ前の姿の方が良かったんじゃないかとすら思えてしまう。

 

「……お前が俺の夢の中に出ているんじゃなくて、俺が出しているってのがよく分かった。じゃあさ」

 

「さっきの好きになっちゃった子の話? 馬鹿馬鹿しい」

 自分の良いところを全て褒めてくれてダメなところを受け入れてくれる好みど真ん中の女の子に最後の最後で会うことが出来たと。

 現実的に考えてそんな都合のいい女がいる訳がない。だいたいそれを自分に話しているのが頭に来るというのに。

 

「違う。お前だって出てきたんだ。この世界のどこかにいるかもしれないだろ。何か知らないかと思って……」

 

「さっきの説明で分かるかよ」 

 可愛くて髪が長くて黒かった! という大馬鹿な説明で何が分かるというのだ。

 新路がどこかですれ違っただけの人間ならどこにいるかもわからないし、本やネットで見た人物なら今はいくつかもわからない。

 そもそも新路が今まですれ違った人間の記憶のモンタージュで出来上がった人物でこの世に実際はいないかもしれないし、いたとしてもまず性格が違うだろう。

 

「頼む、協力してくれ」

 

(…………)

 こんな色ボケしている状態で、しかも一年のブランクがあるのに現役の自分に本気で挑む気だろうか。

 まぁ出来る限り協力の姿勢を見せてキリのいいところで諦めさせるのが新路にとっても自分にとってもいいだろう。

 

「仕方ない。セーブデータ渡しな」

 

「……。どうすんの?」

 SNSのメッセージ機能ではデータを送ることは出来ないので私用のアドレスを交換する。

 カフェのWifiを使っているから一秒後には家にセーブデータが送られるだろう。

 

「MODを使う」

 ゲームを改造するデータであるMODは昔なら一部の人気のゲームのみ、オフラインゲームをオンライン化するものがあったが今の時代は探せばいくらでもあるし無ければ依頼して作ってもらえる。

 世の中にはゲームのデータをいじくりまわすことそのものに快感を覚えている人種というのもいて、案の定この『月映しの世界』もオンライン化MODや現実の記憶保持MODがあった。

 新路のクリアデータのセーブデータを使えば一緒の夢に入ることが可能だろう。

 

「よし、じゃあ早速帰ろう。帰って昼寝しよう」

 

(……せっかく来たのに)

 自分の家からこの渋谷までは40分かかる。

 新路だって神奈川の武蔵小杉から来ていると言っていたからそれなりに時間がかかったはずだ。

 滅多に外に出ないのにこれで解散とはなんとも淡白ではないか――――と思っていたら先に会計を済まされていた。早く帰ろうぜと言わんばかりだ。

 色んな思いがないまぜになったため息を吐きながら入口に向かうと新路から手が差し出された。

 

「悪かったな。一階だから段差あるとは思わなかったんだ」

 どうやら新路は気を使って一階の喫茶店を選んでくれたようだが、親切心が裏目に出てしまったのか、入口に三段ほど階段があったのだ。

 二階だったら普通にエレベーターがあるだろうに。何をやっても上手くいかない、と配信で言っていたがこういうことも含めての話なのだろう。

 

「意外にも優しいんだね」

 

「…………」

 リハビリをさぼっていたから未だに段差は苦手だ。

 家には手すりがあるからいいものの、こういう少ない段差に手すりがあるところはまだまだ少ない。

 勝負には真剣そのものだが、現実では優しい。こうあってほしいと想像してた以上に想像通りの性格だ。理想的とすら言っていい、求めていた相手。

 入店した時もそうだったように好意に甘えて手を取るが、褒めているのに新路は何か不満そうだった。

 

「優しいってな……そりゃそうだ。良識ある両親の元で育ったんだから。人に優しく、己に厳しくってな」

 

「?」

 耳に優しくない外の喧騒とは真逆の何やら暗い話をしだした。

 最初に見た時の印象は『暗そう』『友達いなさそう』だったが、たぶん正解なのだろう。

 

「でも優しさなんかいらん。そんなもんはなんの足しにもならねえ。強くなれねえ」

 

「……。あんたチームメイトを信じてないでしょ」

 

「信じてるし尊敬しているさ!」

 

「じゃあなんで自分一人で試合に片を付けようとした?」

 信じている、尊敬しているという言葉は嘘ではないだろう。

 ただそれはゲーム内ではなく、人間としての話だと思う。

 あの時の新路はそれこそ強かったから許されていたが、最初から仲間のミスを見込んでいる動きだったし、それは信じ切れていないからこその動きでもあった。

 

「お前らに勝つためにある作戦は少なかったし、それを実行できるのは俺だけだったからだ。だから俺が全部ケリをつけるしかなかった」

 

「Meanは世界最低の男だし、人としては欠片も信じるに値しない奴だけど、チームの勝利を優先する。そこは信頼できる」

 

「なにが言いたいんだ」

 歩きながら話すのも構わないし、歩調を合わせてくれるのも嬉しいがいつまで手を握っているのだろう。

 新路の脳みそのbit数は現生人類の半分以下しかなく、今考えていること以外のことが認識できないのではないだろうか。

 歩きやすいから構わないが。

 

「あの時わざとあんたに殺されるってのは……私の作戦じゃない。私はあんたの弱点を伝えただけ。そしたら、必ず最高のタイミングで殺されるから絶対にあいつを殺せって言ったんだよ、あいつは」

 

「……味方を徹底的に守るお前が味方を殺す作戦をとるなんて」

 

「本当に尊敬しているなら弱いと決めつけて一人で戦うより信じるべきだった。あんたの頭の中にある作戦や想定を余さず伝えるべきだった」

 新路は確かに自分のマッチアップとしてほぼすべての時間自分を抑えていたし、その有り余るセンスでBDCのメンバーの動きにも信じられないほどに目を光らせていた。

 だが一人の人間には限界というものがある。『スナイパーから目を離す』だとか『カバーしてくれ』の一言でもあれば結果は変わっていたかもしれないのに。

 

「あんたは鬼みたいに強い。だけ。それだけで頂点が取れるか!」

 

「…………。風露の言う通りだ」

 

(可愛いとこあんじゃん)

 頑固なのは100%間違いないだろうが、ちゃんと理屈立てて言えば話を飲み込んで反省するようだ。

 それがライバルの言葉なら尚更なのだろう――――がくんっ、と繋ぎっぱなしだった手が立ち止まった新路に手が引っ張られた。

 

「なんだっ、危ないな!」

 

「えっ、うわっなんだ! 悪いマジごめん」

 

「別にそこまで謝らなくても……ああ」

 店を出てから今までずっと手を取っていたことに今更気が付いたらしく、如何にも童貞な早口で謝ってくる。

 それよりも新路が何故立ち止まったか分かった。広告を30秒ごとに切り替える巨大な電子看板に自分が映っているのだ。

 スポンサーのエナジードリンクの広告だ。あの写真を撮った時からまた髪形を変えたから、将来の自分の髪は痛みまくりだろう。

 

「……仮に勝っても……俺にはあんな仕事出来なかっただろうな」

 

「だろうね」

 口では否定しつつも自分が容姿に優れている女性でかつ、障害をものともせず戦うからこそこんな仕事も舞い込んでくることは分かっている。

 新路は元が暗い性格だからまず無理だろう。エイムが鬼だからマウスのスポンサーは個人でつくかもしれないが。

 

「フーロさんですか!?」

 

「え?」

 一見してゲームなんかやらなそうな男女が食い入るように風露の顔を見つめていた。

 流石に広告写真の前に本人が立っていたら分かりやすすぎるか。

 

「うわ、握手いいですか? 三連覇おめでとうございます」

 

「ありがと」

 快く応えながら、風露は視界の端で陰と化す新路を見て驚いていた。

 流石陰キャ歴18年だけあり、あっという間に渋谷を行きかう人々の中に紛れてしまった。

 見た目を変えようが何をしようが根本的な部分というのは変わらないものだ。

 しかし、どれだけ上手かろうと忍者ではないので消えてはいない。風露が自分に負けず劣らずにピアス穴をびすびすあけた女性と握手をしている間、一緒にいた男が新路の顔を何かを思い出すかのように見ていた。

 やめてくれ、頼む俺は無関係なんだ、という顔をしているが――――

 

「Shin選手!?」

 耳元で黒板を引っ掻く音が聞こえたかのように新路は耳に手を当て身体を丸めた。

 見た目がかなり変わっても自分だって気が付いたのだから、気が付く者だっているだろう。

 おそらくこのカップルはあの会場にいたに違いない。

 

「あの! あのときの! 握手しているシーンやってください! お願いします!!」

 

「ぐ……、い、や」

 

(ばか、ファンは大切にしろ)

 新路に耳打ちし、嫌がっているのを重々承知で握手する。

 さっきまで本意ではないとはいえ手を繋いでいたのに今は奥歯をかみ砕きそうな程に悔しそうな表情をしている。いいファンサービスだ。

 

「なんで二人で? チームの人たちは……。えっ、デ、デート!?」

 

「ちがッ」

 

「そうかもね。SNSとかに……」

 

「絶対秘密にします!! サインください!!」

 差し出された手帳にサインを書きつつ、誰にも言わないように戒める。

 新路も求められていたが、そもそもサインなんか無いらしく、本名を書いていた。

 

「……俺のことはシカトしてくれ」

 

「いいや。せっかく新路のことを知っていて尊敬してくれている人がいるなら大切にすべきだ」

 

「どうして」

 

「どんな競技でもそう。野球だって相撲だって今日この瞬間無くなったって世の中は回る。私たちは世間の役に立っていない。世の中の役に立たないことだからこそ、ファンや見る人がいなければ私たちは無価値なんだ」

 

「……。またまた正論だ。なんも言えねえ」

 

「あんたは極端に露出が少なかったから知らないかもしれないけど。バスケ部の人間にとってヴィンス・カーターがヒーローだったみたいに、あの人達にとって私達はヒーローなの」

 陸上にしたって最早原付にすら勝てない人間同士の駆けっこの頂上決戦を世界中が見る。今の時代速く走れたところでなんの意味もないのに。

 そこに意味を見出している自分たちがいて、価値を感じている人たちがいるから生きていける。

 ファンのみなさんのおかげです、という言葉は嘘ではなく真実を極めて端的に語っているのだ。

 

「俺が……ヒーロー、か」

 数こそは少なかったが、それでも新路の配信を毎回見続けていた人達は新路に何の価値を感じていたのか。

 考えれば分かりそうなものだが。

 

「あんた自分のことネットで検索とかしないの?」

 

「しない」

 だろうな、と思った。実際に戦った時も、今もひしひしと感じる。

 ただ自分の強さだけをひたすらに追い求めそれ以外の全てを捨てられる求道者なのだ。

 

「ほら。ファンがモンタージュ作ってくれてるの知ってた?」

 動画サイトのお気に入り欄にはファンが作ってくれた自分のモンタージュがたくさん並んでいる。

 これで投稿者が他人の動画の切り貼りで収益を得ているのは知っているが、それでも自分のカッコいいシーンを纏めてくれているのは嬉しいものだ。

 その中に唯一、風露ではなく新路のモンタージュ『The Rebel "Shin" Japanese DPS GOD montage』があった。

常に100人くらいしか見ていなかったのに、配信中のクラッチプレイも入っているあたり、年季の入ったファンが作成したのだろう。

 

「Rebelか……。完全に悪役じゃんか」

 日本国内においてBDCは正しく絶対的な王朝だった。設立して1年で王者になったが、その全てが完全試合であり相手に1点も許さなかった。

 挑むことすらも馬鹿馬鹿しい、疑いようのない1番に挑みかかってきた新路は大げさでもなんでもなく叛逆者だった。

 自分がGuardianと呼ばれるように彼がRebelと呼ばれるのはそういう理由がある。

 

「試合には悪役も必要さ」

 実のところ、esportsに限っては悪役・狂人の方が人気が出る。(強いことが大前提だが)

 時代は変わったとはいえ、ゲームが大好きで大会まで見に来るような連中の大半は学生時代に運動部の下にいた、もっというとスクールカーストの底辺部分にいた奴らだ。

 上位層の連中のヒーローがスポーツ選手なのは自然な帰結でいい。だが、底辺連中にヒーローはどうするのだろうか。野球・バスケット・ボクシング、何に自己投影しようとも彼らは結局上から更に上に行った者たちなのだから。

 そんな掃きだめの彼らが自己投影できる者達も多々いるのがこの世界だ。学生時代は友達がいなかった、いじめられていた、他には何もできなかった。そんなヤツはざらにいる。

 王道を通ってきた者よりも暗い暗い底の方から這いあがってきた悪役に彼らは自己投影する。自分が決して勝てなかった存在を蹴散らす彼らに。

 世界最低男のMeanも人気だけなら結構あるのはそういう面が大きい。

 

「悪役だから昼間は苦手だ。帰って昼寝するから入ってきてくれ」

 いつの間にか渋谷駅に着いていた。来て2時間もしないうちに帰るのはやや不満だが、これから夢の世界とやらでまた会うのだから良しとしよう。

 

「その前にさ。なんでそのゲームクリアしていきなり戻ってくる気になったわけ? そんな効果があるの?」

 

「…………。俺はこのゲームの中で……自分の名前すらも忘れても、お前に負けたことだけはずっと覚えていた」

 

「…………」

 

「お前に負けたことは俺の根幹をなしているんだ」

 ファイターとして、戦う者として、これ程までに嬉しい言葉はない。

 勝っても負けても強敵はずっと自分の記憶に残る。永遠に生きられるなら人は争いはしない。

 でもいつかは消えてしまうから、戦って誰かの記憶に残ろうとするのだ。

 

「これからもずっとそうなるよ」

 

「ふん」

 改札を通った新路は風露の答えに不満そうに大きく鼻を鳴らし電車に乗っていった。

 新路が夢の中でどのような世界を構築しているのか俄然興味が湧いてきた。

 自分もさっさと帰って見に行ってやろうじゃないか。

 

********************************

 

 

 新路はお前に負けたときの夢を今でも見ると言っていた。

 風露も今でも新路の頭を撃ちぬいたときの夢を見て恍惚に浸る。

 あれからだって何度となく試合を行ってきたが、あれ以上に緊迫して楽しい試合は無かった。

 思考がクリアになっていく中で、いま自分は新路の夢の中に入っていることを思い出した。

 それを覚えているということは同期は成功だ。温かく気持ちいいため布団から出たくはないが、とりあえず動かなければ――――目の前5cmの距離に新路の顔があった。

 

「うわっ!!」

 夢の中で変な話だが、さっき寝入ったばかりの頭が一気に目覚める。

 セーブデータを同期しているのだから、開始地点が同じになるのは当たり前だ。

 しかしまさか同じベッドで寝ているとは。もう少しでぶん殴ってしまうところだった。

 

(ていうか起きないな)

 夢の中で更に寝るとは器用な奴だ。

 結構デカい声を出してしまったから起きそうなもんだが、語っていた通り本当に寝起きが悪いらしい。

 最もこれを寝起きというのかは微妙なところだが。

 

「……! 脚が……ある……」

 自分がDRを買った理由の大半を占めるのがこれだ。 

 義足に慣れたころから、夢の中でも義足でいるのが当然になってしまった。

 せめて夢の中くらいは両の足で立ちたいと思ったから買ったのだ。

 

「ふふ」

 ごちゃごちゃして汚く狭く、足場の少ない部屋の中でも軽やかに動ける。

 きっと覚えていないだけで昨日も夢の中では普通に両足で歩いていたのだろう。

 

「あっ、やばい」

 机に上に置いてあった小さな鏡に映る自分はすっぴんだ。

 男の部屋なので当然化粧品など置いていない。

 素の顔もそれなりに自信があるのですっぴんを見せたくない、という訳ではないが変にイメージを壊したくない。

 それに服も寝間着に使用しているスウェットではないか。

 

(それくらい気を効かせろよな)

 脚を生やすくらいなんだから最初から化粧くらいしていたっていいじゃないか。

 とは思うが、不自然であればあるほど夢だとバレやすくなってしまうからだろう。

 

(2018年だっけ)

 今から14年も昔だ。机の上に大昔に両親が持っていた携帯が置いてある。

 手で持たなければ弄れないなんて不便極まる。コンビニに行きたいが、この時代だとどんな決済システムだったか知らないためやはり現金しかないだろう。

 

「お金借りるよ。ありがと」

 どうせ夢だし構うまい。勝手にカバンの中から財布を取り出しいくらか抜き取った風露はコンビニを探してスキップしながら外に出た。

 

******************************

 

 

 この世界の中では既に昼過ぎだったため、服屋も丁度よくやっていた。

 だが奇妙なことにこのゲームの中では自分の姿・行動が認識されないのだ。商品をレジに持って行っても無視されてしまう。

 もともと一人用のゲームをMODで無理やりこうなるのも当たり前と言えば当たり前か。

 夢の主が全ての主観なのだから。

 

「まだ起きない?」

 化粧も着替えも済んだのに当の夢の主はややうなされながら眠っている。

 自分から来いと言っておいてのん気なものだ、と思いながらベッドに腰掛ける。

 

「早く起きないとどんどん記憶漁っちゃうよー」

 攻略サイトに書いてあったが、家の押し入れや引き出しには夢の主の記憶が詰まっているらしい。 

 せっかくだし起こす前に見てみようじゃないか、と押し入れを開くといくつかの段ボールが出てきた。

 

「これは……あのノートか」

 配信時にも書いていた新路のゲーム研究の全てを書き綴った秘蔵のノートだ。特に最新のものはそれこそ自分たちが戦ったゲームについての研究内容が洗いざらい書いてあるに違いない。

 正直な話、10万円出してもいいから欲しいくらいだ。

 

「あれ?」

 ところが、書いてある内容は全く違った。

 汚い字で書いてあるので読みにくいが、これこそが新路の記憶らしい。

 秋葉冬路、と現実にありそうな名前が書いてあるがこれは恐らくオンラインゲームと勘違いしていた新路が適当に作った偽名だろう。本名の名残が残っているのが実にアホの新路らしい。

 そのノートには幼いころどんな食べ物が好きで、何が嫌な出来事だったのか、誰が好きだったのか洗いざらい書いてあった。

 

「好きな子いたんだ……」

 その好きな子とやらは新路を馬鹿にしていた嫌いな奴と付き合っていた、と。

 他の何も上手くいかない中でゲームだけはつぎ込んだ分だけ素直に応えてくれた。

 壁にぶつかっても、努力を重ねればある日その壁を突き抜ける。その成功体験が新路を虜にした。

 ただひたすらにゲームに打ち込み気付けば新路は高校生になってとうとう友達が一人もいなくなった。

 中学の頃はゲームオタクの友達らしきものもいたらしいが、本気度の違いから疎遠になってしまったらしい。

 

(! 私の名前……)

 この国の若者なら大抵は自分の事を知っている。

 知っている人だ、有名人だ、程度ではここに名前は出てこないだろう――――と読み進める。

 

 高校にもいけず、脚もなく、まともに育った双子もいる

 周囲の全てが負けを突き付けてくる人生

 それなのにまるで女王のように振る舞う気高さ

 そしてそれが許されるに足る本物の強さ

 俺だって風露くらい強くなれたらいいのに

 だからBDCの勧誘は断った

 

「……私に憧れていたのね」

 BDCの監督は流石敏腕なだけあり、スカウトの目も一流なのだろう。弱小ストリーマーである新路の存在も知っていたらしい。ブースト業者も特定して雇うくらいなのだからそれは別に今更驚きはしない。

 だが、ここに書いてあることはただのファンの言う憧れとは明確に違う。

 自分自身と風露との間にそこまでの違いが無いことを知りながらも、全てにおいて差があるのは強さが足りないからだと。だから強くなりたい、と思っていたのだ。

 そして自分たちにとっての強さの証明は相手を打ち負かすこと。憧れの存在に認めてもらうならば、敵にならなければならなかったのだ。

 

(…………)

 新路は自分に悪感情は一切無いようだが、それがむしろ風露の後ろめたさを起き上がらせた。

 もうかなり読んでしまったが、これ以上は新路の為にもやめておこう。

 一貫して社会的弱者に対する優しさを持ちながらも、お前は俺の敵だという難しい態度を取り続けていた新路に、万が一にも記憶を覗いたたことがバレたら即SNSはブロックされ今度こそ永遠に自分の目の前から姿を消してしまうだろう。

 

「私も……あんたとまた戦いたいな」

 うんうんとうなされる新路はまた自分に負けた時の夢でも見ているのだろうか。

 自分は新路のことを最強の相手だったと心から認めているし、それを本人に伝えたって構わないが新路は納得しないだろう。

 勝っていないから認めてもらっていることを自分で認められないのだ。中身がよく似ているからよく分かる――――と考えながら眉をしかめている新路に顔を近づける。

 冷静そうな見た目だしプレイも冷静沈着だったが、その中には憧れの人に認めてもらいたいというきらきらとした少年らしい感情があったわけだ。

 押し入れを漁ったせいで埃っぽい空気の中に混じる安物のリンスの匂いが夢の世界をどこまでもリアルにしている。

 

「起きなよ」

 鼻をつまむといよいようなされ度がマックスに近づいてきた。

 どうせ夢の中なのだからひっぱたいてもいいのだが、今はそういう気になれない。

 

「ぐっ……ぶっ……、ぬ……。……! !?」

 窒息死なんかしようが無いから思い切って鼻をつまんだまま口も塞ぐと30秒以上もがき苦しんでからようやく目を開いた。

 

「おはよう」

 

「助っ!?」

 おはようは違うか、とセルフ突っ込みを入れる前に新路は自分の顔を見るなり助けを求めながら玄関まで転がっていった。

 きっとあのノートの最後の方では自分は憧れの存在であると同時に恐怖そのものにもなっているに違いない。なんて扱いだ。

 

「大学に私がいるんだっけ? 見てみたいな」

 夢に出すのは結構だが、可愛くない姿で登場していたら脚も生えていることだし思い切り蹴っ飛ばしてやろうと思う。

 夢の中で寝ぼけるという器用なことをしながらようやく状況を把握した新路は力なく頷いた。

 

 

**********************************************

 

 

 

 夢の中だから盗み放題食べ放題ということでコンビニで大量に盗んできたエクレアやらシュークリームを頬張りながら大学へ向かう。

 しかし、現実では無職のくせに夢の中で大学生になっているとは哀れな男だ。

 

「どうせ盗むなら俺の分も取ってきてくれりゃ良かったのに」

 

「あげるよ、ほら」

 手提げ袋の中に乱雑に入れていた普段はなかなか買わない1枚150円もするチョコチップクッキーを差し出す。

 どれもこれも夢の中なのにうまい。というか、脳がその味を再現してくれているのだろう。

 

「俺甘いの苦手」

 

「ああ、言ってたね」

 

「? そんなことお前に話したっけ」

 

「…………。ほら、この前カフェでブラックコーヒー飲んでたから、そう思っただけ」

 

「ふーん……よく人の事見ているなぁ」

 新路がアホで良かった。そもそも取ってきてくれ、なんてこと言わずに有り金全部使ってしまっていいわけだ。

 限りなく現実に近い夢というのはそれはそれで面白いものだ。そもそも、このDRで最初に出たゲームがそんな感じだったはず。

 Dream Editerというゲーム作成ソフトも、今までのハードに出ていたゲーム作成ソフトとは違い異常に売れているし――――とそこまで考えてふと、ある想像が頭を過った。

 

「あ、いた」

 だが新路の言葉を聞き、この世界の自分を見た瞬間に浮かんでいた想像は煙のように消えてしまった。

 この世界の風露――――映月がだるそうに正門から続く道の端を足を引きずりながら歩いている。

 

(前の大会の時の私じゃんか)

 紫を基調に染め上げサイドドレッドにした七面倒くさい髪形だ。

 もちろんあんなセットアップはイベント時限定だ。あの髪形を毎日維持するなんて冗談じゃない。

 今は毛先を明るい緑に染めたバレイヤージュにし、黒い部分は二つの団子にしてまとめているだけ。ちなみにこの髪色はスポンサーの広告を撮るときに依頼されたものだ。

 エナジードリンクのイメージカラーと同じ色である。

 

「新路にはあんなに私がダルそうに見えてたわけ?」

 

「いや……主要人物だから性格は多少改変されてるんだろ。それに、そもそもお前の性格なんか知らんしな」

 

(またまたそんなこと言っちゃって)

 たとえば自分に双子の姉がいるなんてことは公式では一度も言っていない。

 SNSでファンから来た『兄弟はいるのか』というありがちな質問にリプライしたことがあるだけだ。

 そんなマイナーな情報を知っているのに自分の性格を知らなかったなんてあり得ない。

 うまいこと内側の感情を隠している新路は脇腹をつつきたくなるくらいいじらしかった。

 

「秋葉くん!」

 

「うわ、天王寺!」

 と、叫んだ自分の声は当然届かない。

 この世界では秋葉と呼ばれている新路の顔が引きつっている。

 ただ突っ立ってるだけでも常にハフハフと息の荒い眼鏡のツルが食い込んだこの男は現実世界なら新路の敵であり風露が最も嫌う人間、Meanこと天王寺だった。

 

「珍しく早いね、どうしたんだい」

 

「いや……早起きしてな」

 

「ふーむ。ところでこの間のおっぱいゲーム、またちょっと改良したから後でやってくれない?」

 

(相変わらず顔見てるだけでムカつく野郎だ)

 何の話をしているのかさっぱり分からないが自分が無視されるなら丁度いい。

 食べかけだった棒状のチョコレート菓子を天王寺の鼻にねじ込んでいく。

 

「お……おう。後でな……」

 どういう仕組みか分からないが、痛がる素振りも見せないのに鼻からどぼどぼと血が出てきた。

 実際に現実でも天王寺にしたことがあるが、それ以降チームの練習以外のオンラインで味方としてマッチした時は必ずトロール(味方の邪魔をすること)するようになってしまった。

 鼻に菓子をぶっ刺したまんまやけにかっこつけた動きで天王寺は大きなリュックを背負って講義棟に向かっていった。

 

「天王寺ってなんだ?」

 

「Meanの本名だよ。天王寺雪之丞っていうの」

 

「信じらんない……」

 風露も本名を聞いたときは全く同じ反応をして即嫌われた。

 苗字は仕方ないにしても、生まれた瞬間に顔を見てそれが『雪之丞』という名に似合うか分かりそうな物なのに。

 今からでも『ドブ袋』に改名すべきだ。

 

「というかだな。あれを天王寺って呼ぶなら俺のこともよそよそしく明川さんって呼べよ。百歩譲って明川くんだ」

 また意識してつんけんした態度を取ろうとしている。

 まるで意識した女の子につい意地悪をしてしまう小学生男子だ。

 新路が何を想っていたかを知らないままだったらその言葉で何を感じたかは分からないが、彼が自分に憧れていたということを知っている以上その言葉はかすり傷にもならない。

 

「じゃあなんで私のことを風露って呼ぶの」

 

「そりゃお前……。名字なんだっけ」

 

「燕」

 

「呼びにくいな……」

 

「うん……」

 物心ついたときから名字呼ばれたことは一度もない。

 姉と同じ学校に行っていたから区別するためというのもあると思うが、動物を指す固有名詞そのままの名字はそこはかとなく使いにくい。

 せめて犬飼や猫山などのようにおまけがくっついていたら呼びやすかっただろうに。

 

「……新路でいいや」

 

「なんだよ、もっといろいろグチグチ言ってくると思ったのにさっ」

 せっかくだからもっとからかってやりたかったのに簡単に折れてしまった新路の肩を叩く。

 恨めしそうにじっとりとした目で睨んでくる行動に根が暗い新路の性格が表れている。

 

「楽しそうだな……夢の中なのに」

 

「楽しいよ。夢の中だけど、ずっとこうしたかったし」

 

「…………」

 

「新路は思わなかったの? 私と話したい、何を思っているか聞いてみたいなって」

 

「…………。思ってた」

 

「そうでしょう?」

 

「……ほんと言うと……。お前が、風露がそこに至るためにどれだけの物をどれだけの熱量で積み上げてきたか、どれだけひたひたと一歩ずつ歩いてきたか全部わかるから。きっと友達になれるって思っていた。だけど、それと同じくらいお前の顔なんか見たくもないと思っていたし、いまも思っているんだ」

 負けた側はそう思うであろうことは分かっていた。分かっていたからこそ、連絡手段なんていくらでもあるのに一度もコンタクトを取らなかった。

 自分に出来たのは、停止した新路のSNSをフォローするくらいだった。今朝だって、DMが来たのは見間違いじゃないかと三度見したほどだ。

 

「私はシンプルに新路に会いたいと思っていた」

 国内に現在どれだけプロがいるかは知らないが、自分と同じ領域に達していたのは後にも先にも新路だけだった。

 それを心から理解した時にはもう彼は消えてなくなってしまっていたのだ。

 

「…………」

 自分が新路の気持ちが分かるように、新路も自分の気持ちが分かるはず。

 なんの反論もせずただ新路は何かを噛みしめるように立っている。

 

「仲良くしようよ」

 

「…………。うん」

 彼が復帰したとして、倒されたら今度は自分がそうなる番――――とは限らない。

 自分の方がプロ歴が長い分、色々経験しているし、何よりも根っこの性格が違うから。

 

「遊びに行こう!」

 これだけ現実が再現されているなら過去の探索というのも面白い。

 美味しいものは夢の中でも美味しく楽しいものは夢の中でも楽しいのならわざわざ現実で遊びに行かなくたっていい。

 何よりも脚があるというのがよい。現実の自分は不健康になるかもしれないが、それくらいは些細なデメリットだ。

 

「たぶん渋谷から出られないぜ」

 

「そんじゃ甘いもん食べに行ってゲーセンでも行こう。その子から連絡来るのまだ時間かかるんでしょ」

 

「……あっ! 写真あるんだった」

 

「なっ、なんだよ」

 その女の事やらから連絡が来るまでまだこのゲームの中で六時間くらいあったはずなのに。

 だが新路の言う通り、彼女の写真さえあればそれで十分なのだ。先ほどの天王寺のように知っている人物だったらそれでゴールだ。

 

「ほら、これ」

 差し出された携帯に映っているのはいかにも新路のような真正童貞が好みそうな清楚な女の子だった。

 自分とは真逆のロングの黒髪、吊り気味の目元と口元にある小さいほくろがおっとりと優しそうな印象をもたらす。

 その人物は知っているどころか――――だんだんと現実の人間が夢の世界に逃げていく中で、まだまだ現実の面白さも捨てたものではないと思わせてくれた。

 

 

 

 

***************************************

 

 

 日本国内のT2トーナメントを完全に制した風露の次の目標は当然世界大会優勝とT1チームからのスカウトだった。

 特に日本を代表して戦うことは立ち止まって考えてみれば、形こそ違えど自分が小さいころからずっと思い描いていた夢と本質は同じだ。

 ただ、陸上と違ってチーム競技であるため己の腕だけを磨いても勝てない。今日もオフラインのスクリムで練習を積んだ後、スタジオが閉まるギリギリまで新路と1v1を行っていた。

 

「あ、もう終わりにしなきゃ」

 

「ん……」

 今日の結果は7-3でやはり勝ち越しだった。

 新路はエイム系のキャラならば恐らく世界でもトップに位置すると思うがそれ以外が全くプロレベルに達していない。

 別に全てを極める必要はないが、それぞれのキャラの特性(弱点)を理解するにはやはりある程度は使いこむ必要がある。

 いくらどのキャラでも頭をクリックすれば終わりだとしても、だ。

 

「ちょっとシャワー浴びてくる」

 

「ああ。待ってる」

 またノートにがりがりと何かを書いている新路はこちらを見もせずに言った。

 一度あのノートを見せてくれとお願いしたことがあるが絶対に嫌だと言われた。

 もはや同じ目標に向かう仲間なのだから情報の共有くらいしてくれてもいいのにな、と思いながらシャワー室に向かう。

 選手によって様々だが、自分のように頭に血が上りやすく感情的なプレイヤーは試合中に結構汗をかく。おまけに新陳代謝がかなりいい上にマウスもぶりんぶりんに振るからなおのことだ。

 逆に普段は思い切り馬鹿なのにゲーム中は冷徹冷静そのものな新路は汗の一つもかかない。こればかりは性格だから変えようがない。

 

「ん?」

 腕にマジックペンで何かが書いてある。

 今日は一度もこのパーカーを脱いでいないから、ここに来てから誰かに書かれたなんてあり得ない。

 寝ている間に家族の誰かに書かれたのだろうか。こんなデカデカと何が目的で?

 

「風露には……」

 風はともかくとして露なんてマジックペンで腕に書くのはかなり時間がかかるだろうに。

 何か意味不明な恐怖を心の奥底で感じながら袖を捲る。

 

「左脚が無い――――!!?」

 バキッ、と今の今まで己の身体を支えていた左脚から嫌な音がした。

 普通に立っていただけのはずなのに、バランスを崩しその場に倒れる。

 崖に向かって走ったアニメキャラが下を向いた瞬間に地面が無いことを認識して落下するかのように、義足を意識した瞬間に立っていられなくなった。

 周りに掴まれるところがなく、立てない。いや、そもそも先ほどの音から察するに義足がどこかイカれたに違いない。

 

「新路……新路! 助けて!」

 声から異常を感じ取ったのか新路がいかにも走り慣れてないフォームで走ってくる。

 倒れている自分を見てすぐに体を起こしてくれた。

 

「大丈夫か……!? どうしたんだ、一体」

 

「転んじゃって」

 

「怪我は!?」

 いつも自分の話を半分くらいしか聞いていないくせに、こういう時は本気で心配してくれる。

 脳の9割はゲームに支配されてもやはり心の根っこの人間らしい部分は捨てきれないようだ。

 

「大丈夫……ただ……あれ、私っていつから義足だっけ……?」

 

「頭でも打ったか……?」

 こぶでも探すかのように頭に触れられるうちに、確かに自分がおかしなことを言ったことが分かってくる。

 珍しく新路よりも自分の方が馬鹿だった。

 

「怪我はしてないけど、歩けないかも。脚ぶっ壊れちゃったと思う」

 

「どれ。……ああ……なんかここんとこ一本折れてるな」

 新路の指さした部分は確かに折れているが普通に使っていればまず折れないはずの部分が破損している。

 この部分が壊れると立つことは出来てもバランスが取れない。

 

「うわ……病院じゃなきゃ治らないよこれ」

 

「救急車呼ぶか?」

 

「いやいや! 明日病院に行くから」

 

「…………」

 

「マジで。そんな顔しなくても大丈夫」

 もう長い事一緒にいるが、基本的に自分が勝つことしか頭に無い男が人の事を本気で心配している顔は初めて見た。

 こういうこともあるならたまの不幸も悪くない。

 

(……あの落書きは一体……?)

 脚を失って最高に病んでいた時でもあんなことはしなかった。

 だが家族や周囲の人間があんなことをするとも思えない――――と考えているといきなり身体を抱えられた。

 

「歩けないんだろ? 家まで送ってやるから。背中の方に行ける?」

 

「……。じゃあ、お願い」

 腕だけを上手く使い背中に移ると大して重くもないリュックのように位置を軽く直された。

 こうしてみると分かるが、やはり大きい。それだけで頼りがいがあるように思えるから不思議なものだ。

 

「このカバンお前の? なんか荷物多いな」

 

「着替えとか持ってきてるから」

 

「ふーん」

 

(うわ、呼ぶ前にせめて服替えときゃ良かった……)

 なんで着替え持ってきてんだ、と思わない辺りが新路らしい。

 自分が汗っかきなのを知っているから着替えを持ってきているしシャワーだって浴びるというのに、よりによってこんなことが起こる時に限って。

 汗臭いかなんて訊いてしまったら意識してしまうだろうから、せめて新路が花粉症の鼻づまりであることを祈って洗剤の匂いしかしない背中に鼻を埋めた。

 

 

***************************************

 

 

 夜遅いこともあってもう人がまばらなのは助かった。

 18にもなっておぶられているところなんて見られたら恥で爆発する。

 ましてや自分は有名人で新路だって全くの無名という訳でもない。

 写真でも撮られてネットに流された日にはとんでもないことになる。

 

「ちゃんと掴まれ! おんぶとか初めてだから落ちても知らんぞ!」

 

「分かった! 分かったからおんぶとか言うな! 恥ずかしい!」

 おぶっていることそのものよりも風露自身の危機感の無さにぶつぶつと文句を言っている新路の背中にしがみつく。

 いま太ももを触られていること以上に、先ほど義足に自然に触れられた恥ずかしさの方が今更湧き上がってくる。

 

(高校ちゃんと行ってたらこういうこともあったのかなぁ)

 15でプロになってからは完全に大人の扱いであり、まともな少年少女の生活から逸脱していた。

 新路も文句を先ほどから言っているが、本当は悪い気はしていないだろう。青春がやや遅れてやってきたような気分だ。

 このドデカ陰キャもそう感じてくれているといいのにな、と思いながら掴まるふりをして少しだけ強めに抱き着いた。

 

「ここから風露の家までどれくらいだ」

 

「電車で40分ちょっとで……駅から家まで15分くらいかな。あれ、そしたらあんたどうすんの?」

 家まで送ってくれるのはありがたいしそうしてもらいたい。家族は驚くだろうが、チームメイトだということは知っているはずだから説明も出来るだろう。

 だがそうしたら新路は終電を逃し家に帰れない。

 

「まぁその辺うろうろしてるよ」

 

「不審者……」

 

「なんてこと言うんだお前!」

 

「ははっ。近くのホテル取ってあげるからそこに泊まり……あっ。待って待って。時間やばくない!?」

 

「ああーっ!」

 五分程度でシャワーが終わるはずだったのにすったもんだをしているうちに20分もオーバーしてしまった。

 おまけに自分を背負っているから歩く速度も遅かった。時間を見ると既に終電発車の時間だ。

 

「どうしよ!」

 

「た、タクシーを拾うんだ」

 

「待って、現金5000円くらいしかない。カードって使えたっけ」

 

「俺2000円しか持ってねえ……」

 

「くはっはははっ、なんで2000円しか持ってないんだよあんた」

 18にもなった男子がいまどき外出時に所持金2000円なんて馬鹿にも程がある、と爆笑する。だが今は二人そろって馬鹿の二乗だ。

 5分ほど歩いた場所にある駅から発車した電車の音を聞きながら二人はその場で完全に停止していた。

 

 

****************************

 

 流石にホテルに入る勇気はなかったので必然的に2人でネットカフェに入ることになった。

 実は風露は銀行のカードを持ち歩いているのでコンビニに連れて行って貰えば現金をおろすことは出来た。

 だが結局新路は置き去りになってしまうし、なによりもそこまでして一緒にいたくないとは思われたくなかったのだ。

 

「これからはあれだな」

 

「ん?」

 

「もうちょっとだけ早めに上がるべきかもな」

 2人部屋に適当に持ってきたギャグマンガをパラパラと見ていると、暇そうに体育座りしている新路がそんなことを言い出した。

 確かに、今日の問題は早めに上がっていれば全て何事もなく済んだのだから。

 

「ん……でもさ、若いうちに一個くらいは時間も気にせずに夢中になれることがあった方がいいと思う」

 

「…………」

 

「一緒にやってくれる相手がいるならなおさら」

 

「……。かもな」

 自分が原因なのに同意してくれたのが嬉しく、ついはしゃいでしまいそうになるのをぐっとこらえる。

 どちらにせよ新路にとっては唐突なアンラッキーイベントなんだから。

 

「せっかくパソコン二つあるし、デュオでやる?」

 

「静かに出来る?」

 風露はかなりゲームの状況により声が大きくなるタイプだし、ここには備え付けのヘッドセットがないから新路に声掛けするときも自然に声がでかくなってしまいそうだ。

 それに今日も今日とて腐るほどやったのだから、もういいだろう。

 

「えと、じゃあ映画でも観よ? 始発まで二本くらい観れるよ」

 

「いいんだけどさ……。寝ないの?」

 

「あんた、本気で言ってる?」

 ブランケットも枕も借りられるから寝ること自体は可能だ。

 だが、同じ部屋で18歳の男女が寝るなんてボケで言っているのだろうか。

 

「?」

 

「私の性別は?」

 

「女」

 

「…………」

 

「ま、好きにしてくれ。途中で寝たらごめんな」

 心の中で軽く舌打ちをしながら適当に映画を選ぶ。予想外ともいえるし、予想通りのような気もしたが新路はホラー映画を頑なに拒否した。ホラーゲームは得意でもホラー映画は苦手らしい。

 恋愛映画なんか流そうものなら途轍もなく気まずくなりそうなので、結局アクション映画を観ることになった。

 なんと新路は映画を観たことが全くなく、俳優の名前も片手で数えられるくらいしか知らないという。

 

「この爺ちゃん知らないの?」

 

「んー……知らんな……」

 

「うそ、マジで日本であんたくらいだよ。この人知らないの」

 

「そんなこと言っても……」

 うつらうつらとしながらも律義に質問に答えてくれるが、これまで彼と関わるようになってからゲームに関する質問以外はほとんどNoだ。

 本当にギリギリの社会常識以外は全て捨てているダメ男だから、自分以外の女性からは幻滅されるばかりだろう。

 

「それじゃこの人は……あ」

 

「…………」

 流石に観ている途中なのにうるさすぎるかな、と思っていたらとうとう返事が返ってこなくなった。

 不機嫌になったとかそういうことではなく、座ったまま寝てしまったのだ。

 壁に背も付けずあぐらをかいたまま器用に寝ている。

 これも性格だ、こういうのを見ているとついついいたずらしてしまいたくなってくる。

 

「寝たらこういうことされるかもしれないじゃん」

 ヘッドホンを外してあぐらをかいている新路の脚の上に頭を乗せる。いっつも眉間にシワを寄せているが、寝ている時までしかめっ面とは。気が小さい上に神経質だから長生きしないだろう。

 最初に戦った時も思ったことだが素の顔は整っている。スナイパーらしく目つきは鋭いがまつ毛が長く、鼻筋も通っているし眼と眉の距離が近くてシンプルにいい男だ。

 何も出来ないと言っていたがヒモなら出来そうだ。

 

(女がどうこうってよりも、自分よりも強いから、学ぶことがあるから私と一緒に行動しているんだろうな)

 友達がいないというよりもいらないタイプなのだろう。

 次の世界大会に出る他のメンバーと私的な会話をしているところを見たことがない。

 

(そうだとしたら寂しいな、少しだけ。……あれ?)

 何故今まで違和感を感じなかったのだろう。

 新路がいつの間にか髪を白く染めている。確か昨日までは真っ黒でぼさぼさだったはずなのに。

 誰も、自分すらも指摘した記憶が無い。ここまで変身すれば誰からいじられてもおかしくないはずなのに。

 

「…………? ……今度こそシャワー浴びるか……」

 歩きづらいだけで壁伝いに行けば大丈夫だと思う。

 新路も寝てしまったし、これなら何か変なことも起きないだろう。

 いざ何かあったとして、汗臭いと思われたら嫌だし密室だしな、と面倒くささよりも羞恥心が勝ったところで立ち上がった。

 

 

(ネカフェってなんでもあるな)

 タオルはもちろんのこと、シャンプーリンスにドライヤー、洗顔クリームまである。

 そこまでがっつり入るつもりはないからいらないが、いつかまた来てみたいものだ。

 

「……!」

 鏡の前で上着を脱いで戦慄する。

 ブラの下の胸にまで何かが書いてある。寝るときはブラをしていないから、これは今朝自分でつけたものだ。

 その時には確実にこんな落書きなど無かった。今度は何が起こるのか。流石に離れすぎているから新路を呼ぶことも出来ないし、かといって戻って新路に胸に変な文字が書いてあるから一緒に見てくれなんて言った日には全速力で逃げられるだろう。

 覚悟を決めてブラを外すと――――

 

「これは夢だ」

 見えていた世界が斜めに斬られたかのようにずれ、叫ぶ間もなく次の瞬間には見慣れた天井が目に入った。

 

 時計を見ると朝の8時前だ。目覚ましのセットは丁度8時だったのでぎりぎりだった、と袖を捲り腕に書いていた落書きを見る。

 新路が髪を染めたのはつい最近だと言っていたのを聞いて思いついたのだ。このゲームでは直近の自分の姿が反映されるのではないか、と。

 どのようなシナリオだったかは知らないが無理やりな方法を取ったせいで随分と物語が破綻してしまったのではないか。

 あれが無ければ自分は次の世界大会に向けて新路含む日本代表メンバーと特訓を重ねる夢牢獄の中に閉じ込められていたのか。

 DRのゲームはある程度の『揺らぎ』『脳のアドリブ』を許可している。ライターが作成した一本筋の通ったストーリー以外の関係ない部分の変更がプレイヤー自身の記憶で歪むことが許可されているのだ。

 出身地や誕生日、職業、大きなところで言えば性別が男でも女でもストーリーに影響が無ければどちらでもよいと。それがよりゲームとしての没入感を高めてくれる。

 現実との矛盾が少ない分、自分の入っていた夢は夢だと気が付く難易度はかなり高そうだ。それにしても、やはりというか自分はあちらの世界で新路と会っていた。

 

「まだ私は運がいい方かもな……」

 このゲームの目的を新路よりも先に察していた風露は、夢の世界での逢瀬の相手が現実での知り合いであったことの幸運を噛みしめる。

 あと二時間もすれば新路が家の前に来る。早く彼も解放してやらなければ。この悪夢から。

 『月映しの世界』はむしろクリアした後の方が悪夢により強固に囚われる悪意の塊のようなゲームだった。

 

 

 

*********************************************

 

 

 なぜこのゲームはこれだけのクオリティで無料なのか。

 なぜ強制的にハードを持っている全ての人間に配信されたのか。

 目的はクリアしなければ分からず。クリアすればそれが悪夢だと分かっても逃れられなくなる。

 苦しいことばかりの現実よりも思い通りの夢の中に囚われている方が幸せなのだから。

 

 

 徹夜でもしてきたのか、缶コーヒーを飲みながら律義に新路は時間通りに燕家の門の前で待っていた。

 インターホンを押せばいいのに、そんな勇気が無かったんだろう。だがどちらかというと若い姉妹が住んでいる家の前にずっといるデカい男の方が余程迷惑な気がする。

 

「新路!」

 

「風――――ぶホッッ!!?!?」

 予想以上の反応だった。口や鼻から今まで飲んでいたコーヒーよりも多く、まるで胃液まで噴射したのではないかと思うほどに新路は何もかもを噴き出しぶっ倒れていた。

 

「汚いなぁ、人んちの前で」

 

「香なっ、あっ!? 風露か……? お前……」

 

「どう? びっくりした?」

 数年ぶりにつけた昔のウィッグを手で撫でる仕草は姉である風奈と全く同じものだ。

 目の前の新路に見せつけるように普段はしない優しい微笑みを顔に浮かべ、風奈から借りた春物のコートの端をつまんでその場でくるりと回る。

 

「なに? これ?? どういうことなの??」

 

「去年あの会場には私の姉も来ていた。双子なのは知っているでしょ」

 

「うっ、嘘つけぇ! 顔が全然違うじゃんか!」

 

「じゃあ気の済むまでよく見てみろよ」

 恐る恐るといった様子で新路の指先が顔に触れる。昨日自分にしたよく言えば遠慮のない友人に対するような触れ方ではなく、思い焦がれていた幻影に触れるかのように。

 唇や眉、目元のほくろとなぞるその行動全てがくすぐったく感じるが、その丁寧さが自分に向けられたものではないと思うと複雑な気分だ。

 

「嘘だ……こんな、化粧で……」

 

「おねぇはね、すっごい天然だからそう見られたくなくて吊り目風のメイクしているの」

 派手なように見えて風露の化粧自体はそこまで濃くはない。割と顔自体は素材そのまま出している。

 今どきのメイク技術ならアイラインの引き方一つで目の角度も大きさも変えられてしまう。

 

「確かに……いたよ……最前列にいた……そういえば……」

 何度か新路の事を小学生みたいだと思ったが、本当に好きな子の前で張り切る小学生だった訳だ。

 だからこそ普段よりもずっと強かったと。

 

「お前……お前……」

 

「?」

 

「ミステリーで双子を使うなぁ!!」

 

「知らんけど」

 へなへなとまるで自分の脚に縋りつくかのように新路はその場にへたり込んでしまった。

 化粧一つで好みに入ったり外れたりするなんて男とは馬鹿な生き物だ。

 

「おねぇは新路の言ってたタイプに近いよ。ちょっと……かなり天然だけど優しいし、可愛いし、優等生だし。妹がこんなだからゲーム漬けの男でも偏見はないと思う」

 

「………………はぁ」

 

「何よりもあんたのことかっこいいって言っていたから気に入るかもしれない」

 この場限りの嘘などではなく、それは本当の事だ。

 観ている者も手に汗を握るようなあの試合の後、風奈は『あの人本当に強かったね』と悔し涙に濡れる新路を見て心から感動していた。

 競技者の涙ほど熱く、美しいものは他に無い。人は誰しもそんなエモーショナルなシーンに心動かされるからこういった競技は存在していられる。

 

「会いたきゃ会わせてあげるよ。今うちにいるし」

 風奈に会わせてくれと新路に言われたら断る理由が無いし、風奈も同い年のそんな変わり種の男の子と友達になれるなら喜ぶだろう。

 姉の事は1から100まで全部好きだし、嫌いになれる部分など少しも無い。

 だからこそなのかもしれないが昔から風奈は欲しがるものを全て手に入れてきた。その善なる心や優しさが自然と周囲の人間を惹きつけ欲している物を引き寄せてしまうという、典型的な幸せになるタイプの人間だった。

 一方の自分は欲しいものは自分の力で勝ち取るタイプだったが、最後の最後で一番欲しいものはいつも風奈の手にあった気がする。欲しいものが同じときはいつも風奈が譲ってくれて、我慢している姉の姿がいたたまれなくなり結局渡してしまうから。

 才能と努力で欲しいものを欲しがるままに掴みとってきた風露の一番弱い部分。

 断ってくれ、と心の表層を幾重も剥がした奥底の核の部分が小さく願いを呟いていた。

 

「…………。いや、いい。現実にいるって分かったならそれでいい」

 

「? 好みど真ん中なんでしょ。うまく行くか分からないけど、会うだけ会ってみたら?」

 なぜ自分はここで逆張りをしていしまうのだろう。分かった、と一言いえばそれでいいのに。

 もっと言えば会わせてあげるなんて言う必要も無かったし、そもそも双子だなんだと言わずにこの姿で黙って出てくればよかったのかもしれない。

 

「…………俺は何もかも最低の人間以下だ」

 

(別にそこまで言わなくてもいいのになぁ)

 これくらいの人間ならその辺に結構いるものだと思う。

 むしろ、己の身を立てる才能があるのなら全然世の中でもかなり上の方だと思うが、育った環境ゆえにそう思い込んでしまっているのだろう。

 だが下手に慰めても新路はきっと聞く耳を持たない。

 

「せめて世界一強くなる。惚れた腫れたはそのあとでいい。人間になってからでいいんだ」

 やっぱり、今朝の夢にも出てきていたように自分は新路のような人間が好きなのだろう。

 だからこそ、『夢の中の新路』と現実の彼とで性格に差が無いのだ。

 

「じゃ、どうする?」

 

「なにが」

 

「この格好のままでいようか、ってこと」

 ファッションに合わせて髪形も化粧もころころ変えるため別に昔のような清楚な姿に『戻って』もおかしく思うファンはいないだろう。

 ただまぁ、自分の好む格好では無いが。

 

「さっさと戻れ。それでも強さは変わんないだろうけど、倒しがいがないんだよ。お前は風露のままでいてくれ」

 

「…………」

 とてもではないが、姉が決してしないような笑みが顔に浮かぶ。

 新路が求めているのは好みの異性よりもただただ己より強い相手。

 今日この日まで日本最強であった風露として、これ以上の喜びはない。

 新路は風奈が好きだが、双子だから見た目を同じに出来る。そうだとしても新路は風露に風露を求めているのだ。

 

「な、なんだどした」

 

「今まであんたが言った言葉で一番嬉しい」

 

「はぁ……?」

 

「待ってて、すぐ戻るから」

 義足だというのに浮いた心の赴くままに軽く駆けたりなんかしながら家の中に戻る。

 夢から覚めた新路はまだ寝ぼけたままのような顔で家の前に突っ立っていた。

 

 

**********************************

 

 

 なぜこんなゲームがこの世に存在しているのか、その正体を分かりやすく伝えるために移動する。

 目的は秋葉原、ここらでは一番目的の物がある場所だ。

 

「待っててはいいけどなんで俺は待っていたんだ?」

 電車の中で鉄柵に掴まって立っている新路が自分の行動すらもあやふやなチンパンジーのような言葉を発した。

 

「友達だからじゃない?」

 譲ってもらった席に座っているおかげで新路の顔を見上げると呼吸が苦しくなるくらいの高さにあった。

 まさかそんなことまで、と思ってしまったが新路が優先席に座っていた女性に声をかけたのだ。彼女は脚が悪いから席を譲ってほしい、と。

 

「…………そうなのかも」

 目的の駅に到着し、自然に伸ばされた手を取る。

 昨日今日で十分よく分かったが、どれだけ機械になろうとしても根はいいヤツを地でいくような男だ。

 普段は怖い電車とホームの間の隙間も難なく乗り越えながら、久しぶりに出来た友達が新路で良かったと心から思った。

 

「でも……友達とか……恋とか……」

 

(まーたなんかぶつぶつ言ってるよ)

 どうせバカタレなのだから変なことは考えずに素のままでいればいいのに。

 秋葉原でぶつぶつ歩いているドデカ陰キャなんて即通報ものだ。

 

「いらないものが多すぎるんだ、俺の人生には」

 

「なーに言ってんだまだ18のくせに」

 

「世界にお前さえいればいい。後は俺に倒されて『完』になればそれでいいんだ」

 そこまで想われているとはライバル冥利に尽きるというもの。

 惜しむらくはこの男、ゲーム以外の全てがダメダメだということだろうか。

 

「その後どうするのさ。完にはならないよ、実際。その時に心臓でも止まってくれりゃいいだろうけど」

 また手を離していないのをいいことに、伝えてない目的地に向かって歩き出すと新路は首輪を繋げた猿のように着いてきた。

 

「世界には私たちも超えるバケモンがいるぞ」

 

「……。まさか、負けたのか!? お前が!?」

 2カ月前に行われた世界大会に出場していたことは知っているらしいが、その結果までは知らなかったらしい。

 きっと意地でもゲームに関わる情報を出来る限りシャットアウトしようとしていたのだろう。

 

「さぁねー。気になるなら調べれば」

 

「それじゃ、それじゃお前」

 

「なに」

 

「終わんねえじゃねえか!」

 自然と戦う気になっている新路はどれだけ馬鹿だろうと自分が見込んだファイターだけある。

 彼も自分と同じく、自分よりも上がいるということがたまらなく許せないのだ。

 

「そう、終わらないんだ」

 強くなればなるほど戦いは過酷になり、例え世界一になれたとしても次から次へと次世代の鬼は生まれる。

 そこが最高なのだ。自分や新路のように普通にしていれば社会の落ちこぼれの人間にも戦い己を立てる場所があり続けてくれるということが。

 永遠には生きられないが、すぐには死ねないから。自分の価値を世界に示し続けるしかない。

 

「世界が100人の村だったらなぁ」

 

「そしたらこんな職業あるもんか」

 

「……どこに向かっているの?」

 

「んー、あのゲームの目的が分かるとこ」

 

「俺さ、だいたいどんなゲームも滅茶苦茶得意なんだけど」

 

「そういえばそうだったね」

 言ってからやばいと思ったが新路は今度は何も気が付かなかったようだ。

 配信が無いときは彼のアーカイブにある別ゲーをよく見ていたものだ。

 格闘ゲームや音ゲーなんかは見ているだけで楽しかった。

 

「俺は製作者の意図が読めるからなんだ。この武器はこう使ってほしい、あの場所はこう突破してほしいとか、よく作り込まれた良ゲーなら尚更な。『月映しの世界』からはそれが感じられなかった」

 

「じゃあ何を感じた?」

 

「あえて言うなら……そこはかない悪意」

 正解、と心の中で呟く。

 このゲームの製作者が、それがどれだけ社会や人類に対して悪影響を与えるか考えていないはずがない。

 それでも製作者もこのゲームを開発した会社もGoサインを出したのだ。

 

「DRで何が一番売れているジャンルか知っている?」

 

「ん? なんだろ。ホラーかな」

 

「18禁ゲーム。エロゲーが一番売れてんだよ」

 

「はっ?」

 人間なら誰だって憎い相手を頭の中で殺したりするだろうが、それ以上に日常では異性を頭の中で好き放題しているものだろう。

 真っ当に育った普通の人だって、目の前をセクシーな女性が通ればお尻を軽く触る妄想くらいはしたりするものだ。

 それが理想の相手なら尚更だし、本能だからやめたくてもやめられない。せめて夢の中でくらいは、欲望の解放が出来たのなら。

 

「ただ好き放題エロいこと出来るってだけでもまぁ売り上げ促進にはなるけど、もっと有効なのは……」

 

「…………。……!」

 

「恋焦がれた相手がこの世界にいないとき」

 あのゲームのストーリーなんかどうでもいいのだ。

 要するに脳の奥にある理想の相手を読み込み作り出せれば――――とまで考えて、やっぱり好みだもんなと新路を見つめながら心の敗北を認める。

 

(そうだよ、悪いかよ)

 開き直って新路の顔を直視すると心が認めたこともあって爆発してしまいそうだ。

 見た目も性格も、化け物染みた執念も、全てが好みのど真ん中なのだ。神に願った通りの人間がそのまま現れたかのようだ。理想と外れて少々馬鹿が過ぎるが。

 過ごした時間は関係ない。自分たちはあの時お互いを深く深く理解しあった。あれ以上に濃厚な時間はこの先あるのだろうかと思えるほどに。

 心惹かれるのは当然だった。ただ、新路のそれとは少し形が違ったが。

 

「一緒に冒険をして壁を乗り越えたのなら、それがくっさい三流脚本でも吊り橋効果だのなんだので恋に落ちる。クリアしてもこの世界にいるのかどうかも分からない相手を探し続ける。……あんたみたいに」

 自分は幸運だったのだ。夢のストーリーよりもずっと深い物語を現実の理想の相手と共にしたのだから。

 もしもその理想の相手とやらがこの世界にいない、あるいは新路のように別人格を入れこまれた別人だったのなら、例えあのゲームの目的に気が付いたとしても、新路と同じように夢よりも劣る現実の中でさまよい続けていただろう。

 

「……この世界にいないって分かったら」

 

「作り出すしかない。頭の中でその先を」

 辿り着いたのは秋葉原でも一番大きなあらゆる18禁グッズを取りそろえたビルだった。

 ここの七階は数十年前から18禁ゲームコーナーになっているはず――――と一般人お断りな雰囲気を出しまくっている入口に目をやると新路が先に短い悲鳴を上げた。

 

「うわっ」

 

「ん? んん? ふぅぅううろさんじゃないすか、我がチームのクソエースの」

 宇宙一性格の悪い男、Meanこと天王寺が両手に中身がこれでもかと詰まった紙袋を持って件のビルから出てきていた。

 もともとそうだったが、いよいよ恥も外聞も無くなったのかエロ漫画のコマが大量に張り付けられたシャツを着ている。

 今すぐにでも殺した方が世の中の為のような気がする。

 

「あんた……給料こんなことに使ってたの」

 

「おめーこそ何やってんだこんなとこでチャラ男と歩いてよぉ」

 

「チャラ男……」

 自分と真逆の存在を言われてショックを受けている新路にガンを飛ばしながら天王寺は更に言葉を続ける。

 

「あー、言ってやろ。あらゆるSNSで言ってやろ。みなさんのアイドルの風露はチャラ男に身体中の穴という穴をがっつり開発されているクソビッチだってなぁ~~~~がははうはははっ」

 

「すげぇ……」

 新路も呆れを通り越してあまりの最低ぶりに感動している。

 こっちだって天王寺は給料全て18禁グッズにつぎ込んでいるとSNSで言ってやってもいいが、もともとが最低なのでそんなものダメージにならないだろう。なんという男だ、無敵ではないか。

 

「あ? お前……あの時の……」

 

「…………」

 なんだかんだ言って、やはり手ごわかった相手の顔くらいは覚えているものだ。

 天王寺も自分の目の前にいる男が何者か気が付いたらしい。

 

「なんだっけ、名前……あー、覚えてねぇ、殺した雑魚の名前なんて覚えてねえ」

 

(あーあ、知らね)

 現実ではたった二日の付き合いだが新路の性格はよく分かっているつもりだ。

 ゲームの世界では冷静に見えてその内側では狂気に近い情熱を秘めていたのだ。おまけに本来は直情型の馬鹿と来ている。

 簡単に言えば煽れば煽る程頭に血が上るタイプなのだ。

 

「そりゃ覚えてるはずねぇよなぁぁ――――俺にぶっ殺されて引退しちまったんだもんなぁはははははは」

 

「うるせぇええええ!!」

 あっという間に爆発した新路は天王寺の脇腹を紙袋ごと蹴り飛ばしていた。

 ほら来た、見るもおぞましい低レベルの喧嘩だ。だが蹴られた天王寺は慌てて紙袋から何かの箱を取り出す。

 その際に一緒に出てきた18禁グッズの数々についてはせめてもの情けで何も言わないでおいてあげた。

 

「おまっ、これっ、折れてるじゃねえか! 半年前から予約してたゴールデン対魔忍陥没乳首妊婦バージョンが! 弁償しろ!」

 

「うおっ!」

 外で出してはいけない部類のフィギュアを手にしながら激高した天王寺が猛然と新路に掴みかかる。

 自分は一体何を見せられているんだろう。

 

「弁償しろぉぉぉ慰謝料と合わせて50万だぁあああ」

 

「無職に金たかんなぁぁお前が金よこせえぇええ」

 

(地上最低王決定戦かよ)

 お互いが最低な主張をしながら掴み合っている。

 中学の頃根暗同士が喧嘩していた時もそうだった。華々しくないのだ。お互いの服を掴み合う醜い喧嘩で見ている人を不快な気持ちに――――

 

(おっ?)

 そのまま服がでろでろになるまで引っ張り合いになるのかと思いきや、気が付けば新路が天王寺の関節を押え締め付けている。

 これは昔プロレスで見た卍固めというやつだ。そういえばよく兄にプロレス技をかけられたと言っていた、何度もいじめられているうちに身体で覚えてしまったのだろう。

 面白いので写真を撮っていると新路の膝下に固定された天王寺の顔が苦痛に歪み、泡を噴きながら新路の足をタップしてようやく決着がついた。

 

「この野郎!!」

 

「げッ!?」

 降参したくせに解放された瞬間、天王寺は新路の鼻っ面をぶん殴った。

 卑怯最低なんのそののゴミ野郎だ。

 

「お前なんでこんな奴と一緒にいんだよ! コラ!」

 そもそもなぜ敵と一緒にいるのか、と掴みかかってくる天王寺の気持ちは分からないでもない。

 だが口の端から唾液の泡を垂らしながら顔を近づけてくる天王寺は耐えがたいほどに気持ち悪く――――

 

「口が臭い!」

 ただただ口が臭かった。嫌悪感に任せて手で振り払うと天王寺が大事そうに抱えていたフィギュアにクリーンヒットし、哀れアスファルトに叩きつけられたエロフィギュアは真っ二つに折れてしまった。

 

「ああ――――っ!!?」

 ゾンビ映画にそのまま出られそうな迫力でいまにも食い殺さんばかりの勢いのまま天王寺が再度襲い掛かってくる。

 

「死ぃねって!!」

 

「にゅッ゙」

 そろそろ本気で通報しようかと思った時、回復した新路が体重を全て乗せた水平チョップを天王寺の喉に直撃させた。

 当たり所が悪かったのか、そのまま気絶した天王寺は18禁グッズをぶちまけながらアスファルトに沈んだ。

 

「うわっ、最低……」

 エロアニメのパッケージやらオナホールやらエロフィギュアに囲まれて秋葉原の地面に安らかに眠る天王寺は最低以外の何物でもなく、見ているだけで目が腐りそうだ。

 コンタクトをしていて良かった。肉眼でそのまま見ていたら失明していたかもしれない。

 これ以上こんなヤツに時間をかけてはいられないので、新路の手を引き通行人に写真を撮られている天王寺を置いて店に入る。

 

「すげぇ恨み買ったなぁ……」

 ただのフィギュアなどが置いてある一階を抜けてエスカレーターへ向かう道中、新路がぼそっと呟いた。

 もしかしたら兄以外との喧嘩は初めてだったのかもしれない。

 

「大丈夫でしょ。あいつはこの世の全ての生き物の幸せが憎いから」

 

「バケモンかよ……」

 新路の言葉に完全に同意しながらエスカレーターの途中途中に貼られているポスターを凝視する。

 今はこういった性産業は完全に右肩下がりだ。昔は三大欲求のうち特に性に関わる物は消えようがないと言われていたが、これも時代の流れか。

 どれだけ可愛かろうとおっぱいがでかかろうと万人の好みど真ん中の女性はいないし、彼女たちは所詮映像の中にしかいない。

 だがこの時代なら、頭の中にしかいないとはいえ理想の異性と好き放題出来るのだから。

 

「あの……恥ずかしいからやめてくれないか」

 

「いや、やましい気持ちで見てたわけじゃないからね。ところでやっぱりでっかいおっぱい好きなの?」

 

「…………」

 

(うーん、悪い事したな)

 EDなのにこんなところに連れてこられて訳の分からない質問をされて新路も流石に精神的疲労が大きくなってきたのだろう。

 呆れているのが丸分かりの大きなため息をつかれた。

 

「イメージ壊れるからやめてくれ」

 

「私あんたと同い年だよ? 女子だって大っぴらにしないだけで男と同じくらいそういうことも考えるよ」

 

「やっぱやましい気持ちで見てたんじゃねーか」

 そんなこんなを話しているうちに目的の7階についた。

 昔から18禁ゲーム産業は大きく盛り上がりはしない代わりに何故か滅びなかった。

 やはり一定数は先ほどの天王寺のように二次元を本気で愛する人間もいるからなのだろうか。

 新路が明らかにAVのポスターよりもエロゲーのパッケージに注目しているのに気が付き少し複雑な気持ちになる。

 

「なに、なんか欲しいのでもあった?」

 

「試合の検索中って暇だろ。こういうゲームならいつでもセーブ出来るからな……」

 

「なるほどね」

 もっとダメな方向でダメな男だった。ゲームが世界の中心なのはいいが、配信中に18禁ゲームをやりだしたら即BANされるに決まっている。

 

「あった。これ」

 

「あんまエロゲっぽくないな」

 このご時世にパッケージが平積みで陳列されているそのソフト『Come true』は18禁でありながら女性の絵すらも描いていない。

 表にはタイトル、裏面にはソフトの説明のみが書いてある。だが18禁のゲームであり当然CMなども無いにも関わらずこのソフトは既に発売されて4カ月で800万本売り上げている。

 計算上、DRを所有している人間の6人に1人が持っていることになる。一本で3万円もする高級ソフトなのに。

 というよりもこういった18禁ソフトのおかげでDRの売り上げがかなり伸びたという側面もある。

 ビデオデッキの普及率が跳ね上がったのもAVが販売されてからという実例もある。

 

(まぁそうだよな)

 開発元は聞いたこともない会社だが、調べてみるとDRおよび『月映しの世界』を開発した会社の100%子会社だ。

 このゲームの売り上げはそのままDRの開発元に行くことになる。

 

「で、これが何なの」

 

「このソフトはね、自分の知っている人を知っている場所に登場させてなんでも思うがままに出来るんだ。最初はたぶん亡くなった人にもう一度会うとかそういう目的のソフトだったと思うけど……」

 

「それで?」

 

「分からないか? この世界にいなくても、その相手を知っていればいいんだ」

 

「ふむ」

 

「月映しの世界によって作り出された理想の異性はこの世にいない。だけど脳はその相手を覚えている。このゲームを使えばその先をどこまでも作れる。……夢の世界で」

 

「……。……! あのゲーム、これを売るために!」

 

「恐らくあんたも……私に声をかけなかったら遅かれ早かれこれを買っていたと思うよ」

 全く新しいタイプのティザー広告だ。あなたの好きな人に好きなこと出来ますよ、と宣伝するよりも効果的だし、世の中には好きな人間や好みのタイプが分かっていないような人間もいる。目の前の新路がそうだ。

 心の奥底にある理想を引きずり出し、強制的に恋をさせる。例え目的に気が付こうがもう遅い。好きなものは好きなのだから。それが幻だと分かっても何かに縋るしかない。

 最終的にこのソフトに行き着くわけだ。このゲームの存在はかなり知られている一方でその値段ゆえに買うのを躊躇する者も多いが、その背中を強烈に押してしまう。

 

「人の心を操りくさって……」

 沸騰したやかんのように新路が怒り始めたがそれは夢から覚めた証拠だ。

 普通の人間なら目的に気が付いたとしてもその後の人生が大幅に狂ってしまうだろう。

 

「もっと悪いよ。あんた、この国の合計特殊出生率知っている?」 

 

「出生率ってのはなんだ」

 

「……。要するに、一人の女性が生涯に何人の子供を産むかってこと。あんた、勉強できないとか以前に常識を学んだほうがいいと思う」

 

「エロゲの山の前でこんな話することのどこが常識的なんだ」

 

「関係あるんだよ。今はね、1.1。DR発売の影響により0.2下がったって言われてる」

 ざっくりと考えれば二人の男女が結婚して子を作るなら二人の子を産まなければ人口を維持できないのに今はその半分しか達成できていないわけだ。

 ここまで説明して何かが分かったのか新路の瞳孔が小さくなった。

 

「……ゲームの中の人間と結婚は出来ないぞ……」

 

「それでも構わないから、日本や世界の人口が減ろうがどうでもいいから、なりふり構わず売りにきたんだろうね」

 たとえば既婚者が『月映しの世界』をクリアしてしまったら。

 たとえば思春期の少年少女がこの世界に存在しない人間に恋をしてしまったら。

 誰がこの七面倒くさい現実で恋をして結婚をして子供を作ろうなどと思うのだ。

 いよいよ人類の滅びの始まりを見ている気がしてならない。

 

「新路の言っていた悪意ってのはそういうことだと思う」

 このゲームが浸透すれば社会にどのような影響を及ぼすかを開発会社が考えなかったはずがない。

 それでもなお利益を優先したのだ。

 

「……。もう出よう。気分が悪くなってきた」

 

「買わないの?」

 買ったらそこに出てくるのは自分ではなく姉の風奈なのだ、と思うとまたちくりと心が痛んだ。

 どれだけ性格が違っても大元の血が同じだからなのか、好きな物好きな動物好きな人はいつも風奈と同じだった。

 小学生の頃、バレンタインに風奈が『自分も』好きだった男の子にチョコレートをあげたがフラれていたのを見て何故かほっとした記憶が蘇る。

 買わないの、なんてどうして自分は強がりを言うのだろう。

 

「……お前も相当常識無いよな…………」

 100%からかわれることが分かっててどうして買うと思うんだ、とぶつぶつ言いながら新路はエスカレーターに向かった。

 そう、理想通りに頑固だからここで心折れて買ってしまうような男ではない。

 ほっとしながら時計を見ると時間は12時近くになっており、そろそろ腹も空いてくる時間帯だった。

 

 

*******************************

 

 

 そういえば今日は平日らしい。

 ファミレスで食事を終えチョコレートケーキを食べながら周囲を見ていると仕事をしている人間が割といる。

 職種にもよるが、オフィスというものの必要性が激減したことにより、日中でもその辺で仕事をしている人間はよく見る。 

 確かに、家でずっと仕事をするとなるとついついサボってしまいそうだ。

 

(まーたコーヒー飲んでる)

 カフェイン中毒なんじゃないかと思うほど新路はコーヒーしか飲んでいない。

 せっかくスイーツ類も揃っているファミレスなのだから一個くらい食べてみればいいのに。

 

「せめてコーヒー以外も飲んだら?」

 

「そしたらジュースしか無いじゃんか」

 

「ほんとは食わず嫌いなんじゃない? ほら、あーん」

 何の気なしに、まぁ断られるだろうなと思いながら一切れのケーキをフォークに刺して差し出したら物凄い顔をされた。

 嫌いなものというよりも毒でも突きつけられているかのようだ。嫌われるにしたってそんな顔をしなくてもいいじゃないか。

 

「よせ!! やめてくれ!!」

 

「なにそれ。傷つくなぁ」

 

「バケモンのくせに人間ヅラしてんなよな」

 

「こんなかわいい女の子捕まえてそれってヒドくない?」

 こんな体だからまともな一人の人間扱いされないことはあったが化け物扱いは初めてだ。

 

「うるせえ、魑魅魍魎め。魍魎武丸め。おとなしく成仏しろってんだ!」

 

「なんでそうなるのさ」

 酷い暴言の連発だが、ここまで来ると一周回って面白くなってくる。

 本人が割と真面目なトーンで馬鹿なことを言っているのが面白いのだろうか。

 

「10年だ! ぎりぎりの限界の先っぽまで詰め込んだんだ。それを上回るならもう……人間じゃねぇ」

 

「このバカゲームバカ」

 

「それでいい」

 

「……。新路の夢って何?」

 日本でプロの天辺を取るほどの自分をしてゲームバカと言わせるほどに積み重ねてきた男だ。

 それだけの量をその熱量で続けるのは強い目的意識があるはず。

 

「……やだ。言わない」

 

「言え。うん、私には聞く権利があるんでしょ?」

 詳しいことは分からないが新路の脳内理論で言えば自分が彼の中で上に位置している間はそうなるはず。

 だがそれは勝ったらその逆をされるということなのだろうか、という考えは頭から追いやる。

 

「……。Fakerになりたいんだ」

 

「Faker? あの?」

 

「そう。その『あの』が大事なんだ。俺らが生まれる前のプレイヤーだぜ? だけど最強だって知っているんだ」

 League of Legendsの伝説的プレイヤー、Fakerはかつて絶対的な最強、聖域としてその名を世界に轟かせた。

 もちろんFakerもいつかは最強ではなくなりやがては新しい世代に追い抜かれたし、今では何をしているのか少なくとも風露は知らない。

 だが、esports界のレジェンドとして、最強の化身として、ジャンルも世代も違う彼の名をesportsに関わる誰もが知っているのだ。

 マイケル・ジョーダンのように、ウサイン・ボルトのようにマイク・タイソンのように。

 他にも強い選手はたくさんいた。だが、それでもたった一人に最強の称号を送るなら彼なのだと、知らないはずの彼らが時代を超えて記憶に残っている。

 

「俺も死ぬ。いつかは死ぬし、兄貴だって……。クソ優秀なクソ一族のクソ親族どももいつかは死んで誰もその名前を思い出さない。だけど俺は最強としてこの名前を残すんだ」

 

「……素敵な夢……」

 なぜ自分はあの部屋で朽ちることを拒絶したのか。それこそ新路の実家ほどではなくともそれなりに裕福な風露の家なら籠の中の鳥として生きていくことが出来たのに。

 誰からも忘れられ、いずれは自分がこの世界にいた証さえも消えてなくってしまうことを拒否したのだ。

 新路の夢は、ただ荒れ狂い最強を求めた風露の求めたものでもあった。

 

「誰にも言わないでくれ」

 

「うん。それは今から私の夢ね」

 

「!?!?」

 

「あんたの夢は私を倒すことだろ。そうしなきゃ世界一になんてなれっこないんだから。まず私の強さをたっぷりと理解してもらう」

 

「んな馬鹿な理不尽な――――」

 

「よし、出ようか」

 ぶつぶつ言いつつもちゃんと立ち上がる時や段差では手を貸してくれるのがなんだかとてもらしいな、と感じる。

 本当は義足にも大分慣れたから日常生活を送る分にはそこまで人の助けなどいらないのだが、その優しさが嬉しくつい黙っていてしまうのと、その手が離れるのを残念がる理由は同じだろう。

 

「せっかくなんだから歩く時も手を貸してよ」

 今の言葉を表情を変えずに言えた自分は偉いし、珍しく素直になれたことも素晴らしいが、ほんのりと匂わせた好意は全く新路に伝わっていない様子だ。

 

「普通に歩けてるじゃんか」

 

「本当は車いすの方が楽なんだ」

 自分のハンディキャップを理由に使うのは良心が痛むが、これは本当のことだ。

 外に出る用事が無い日はずっと車椅子だし、配信でもそれを隠していない。

 風奈と外に出る時だってよく手を貸してもらっている。

 

「嫌な訳じゃないんだ。俺みたいな訳の分からないのと手を繋いでいましたなんて写真にでも撮られたら、お前の経歴に傷がつく。ゆっくり歩くから」

 残念ながら新路の言っていることは一理あるどころか全くの正論だ。性別が真逆だったらまた別だろうが、やはりなんだかんだ言っても自分の人気は女性でかつ強いことに理由があることは分かっている。

 

「経歴ね……。ああ、そうだ。このままじゃ次の世界大会は天王寺が選ばれるよ」

 じゃあもう用事済んだし帰る、と言い出しかねないので改めて話を続ける。

 前回はアタッカー枠の相方にはfjordが選ばれていたが、彼は引退してしまったしDisrespectは韓国人だ。

 だとすると国内で選ばれ得るアタッカーはもう天王寺しか残っていない。

 

「それはダメだろ! あんなの出してみろ、日本の恥だ!」

 プロの使命は強くあることではない。それは大前提だ。

 プロの使命とは、アマチュアの規範となりシーンを盛り上げ競技を広く普及させることにある。

 そういう意味では、約半数のメンバーが後ろ暗い過去を持つBDCよりも、弱小チームでありながら長年普及に貢献してファンに愛されてきたAnother Oneの方が立派なプロチームと言える。

 

「私もそう思うよ。でもあいつには腕と実績があって、私とのシナジーもある」

 基本的に世界大会のメンバーはオーディションで選ばれるが、審査員も人間だからその辺は考慮するだろう。

 その逆に、彼の人間性を考慮して選考から外すことも大いにあり得るが。

 

「くそっ! デュオでもなんでもやるぞ!」

 

「やったね」

 風露とのシナジーは新路の方が上だと分かってもらうのだとしたら、チームメイトでない以上常に一緒にプレイしていると印象付けなければならない。

 国内大会でそれこそ新路の所属するAnother Oneが優勝でもすれば別だろうが、国内大会はこの間終わってしまったため先に世界大会が来る。

 もう9カ月しかないから、1年間活動してなかった新路の課題は山積みのはずだし、だとしたらやはり人と一緒にやった方がいいに決まっている。

 戦術的側面から見ても、自分と天王寺ではカバーしきれていない部分があったためDisrespectがいたのだが、自分と新路ならほぼ弱点が無くなる。

 

「でももう俺家でゲームなんかできねーよ。仮にも一応浪人生って肩書なのに」

 その問題があったか、と考え込む。自分と違って新路の家族や一族は基本的に彼がプロとして身を立てることすらも反対なのだ。

 どうしようか、と悩んでいたら台本通りのようなタイミングで視界に不動産屋が入ってきた。

 

「そうだ! あんた前の大会の賞金いくら貰った?」

 

「450万だけど。一円も使ってないなそういえば」

 驚いたことに優勝した自分と同じくらい貰っている。

 考えてみればあのチームはスタッフすらもまともにいなかったからその分分け前が大きかったのだろう。

 

「家借りな! それだけあれば一年……いや二年は生きていけるから」

 

「え、なにそれ」

 

「はい決まり! 6月入るまでに新居でゲーム出来る環境作ろう! 手伝ってやるから」

 

「いや、あのさ」

 

「なんだよ。何が不満なんだ」

 

「やっぱ家だと勝手に飯出てくるのとか便利だし」

 一瞬気が遠くなりかけた。障害を負っている自分ですらもそろそろ独り立ちを考えていたというのに、このダメ男ときたら。

 誰かが背中を押さなければ永遠に家でニートをすることになるかもしれない。

 

「料理も洗濯も覚えんだよ! こっち来いこの野郎!」

 

「やだやだやめろ、分かった! 家帰ったら調べるから! ちゃんと考えておきますから」

 無理やり不動産屋に引っ張っていこうとしたら駄々をこねる5歳児のように喚きだした。

 昔なら結婚をして子供がいてもおかしくない年齢だというのに。

 

「本当に? ちゃんと調べたら連絡しなよ」

 

「分かったよ……でもどうすんだよ……。賞金以外なんもねぇぞ」

 

「私とデュオで配信すれば投げ銭もギフトも増えると思うよ」

 配信からの収入だけでも普通に生きていく分には問題ないくらいの稼ぎを得ている。

 それを考えると大会での賞金やチームとの契約金も合わせると恐らく1200万以上は年間貰っている。貰いすぎと言っても過言ではない。

 

「そういえば色んなもん買って貰ってるもんな」

 

「よく知ってるね」

 

「配信見てたからな。ゲームしてない時は」

 

「ははっ」

 お互いにお互いのストリームのファンだった訳だ。

 プロが他のプロの配信を見るなんて当たり前だが、なんだか顔が少し赤くなりそうだ。

 意中の人、なんて言葉を頭に浮かべるだけでまだ肌寒いのに火照ってしまいそうだが、そんな異性の視線が風奈ではなく自分に向いていたのは初めてではないか。

 

「あんたも私みたいに顔出した方がいいよ。マウス見てもほとんどの人は分からないし」

 新路の場合も手元よりも顔を出して配信した方がより人気が出るだろう。精緻極まるマウスの動きなんて荒い画質の手元カメラでは違いは分からない。せいぜいチートをしていない証明くらいにしかならない。

 曲がりなりにも優れた見た目をしているのだからそちらの方がライト層の受けはいいはず。

 

「?」

 

「立ち回りミスってもいつもエイムでゴリ押してるだけじゃん。そのマウスの動きよりは表情の方がいいって」

 

「……? いつも……?」

 自分も自分でなんて間抜けなのだろう。もう隠せない。

 だが――――よくよく考えてみると隠す意味などあるだろうか。

 新路だって特に何も思わず言ったのだから、自分もそれでいいじゃないか。

 

「初めて新路と戦った日からずっと見てた。ファンだった」

 

「風露が……?」

 

「私もそうだったし、みんなもきっとそう。どんな人なんだろう、顔が見てみたいなってみんな思っているよ」

 毎回100人前後しか見ていないという、いつ消えてもおかしくないようなチャンネルなのに妙に居心地が良かったのは全員が全員、真摯にプレイに打ち込む新路の事が好きだったからだろう。

 もうあの電子空間は存在しえないと思うと残念でならない。それでも、その人たちは今もどこかで配信の再開を待っているはずだから、顔を出せばきっと喜ぶはずだ。

 

「……。うん。分かった」

 この少年は――――新路は思ったよりもずっと単純でこちらが素直になればあちらも素直に応えてくれる。

 自分の性格が少々ひねくれているのは知っている。ならば強がってばかりいないでもっと素直にならなきゃな、と心の中でつぶやく。

 

「『月映しの世界』はもう消した?」

 

「いや、まだ」

 

「そっか。私は消す」

 家のDRに入っている『月映しの世界』のデータが腕輪から浮かび上がり表示される。

 自分にはもう必要がない。新路を連れてきてくれたことにだけは感謝するが、それだけだ。

 

「いいのか? 思うところはあるけど……俺はそれをクリアするまで、自分に理想の異性なんてあることすらも知らなかった」

 

「いいの。私には必要ない」

 夢に逃げるのではなく、この現実で夢を叶える。

 日本最強のプロゲーマーという鎧だって今は必要ない。

 それはまた新たな自分の殻を破る感覚に似ていた。

 自分はもう普通の人間ではなくなってしまった、普通の18歳じゃない、いられないのだと思い込んでいた硬い殻。

 そうではなかった。どれだけ強くなっても当たり前に18歳の少女であり、時には落ち込んだり、喜んだり、誰かを嫌ったり好きになったりもする。

 義足で初めて外に踏み出した時よりも重い緊張を振り切り、風露は新路の胸に飛び込んだ。

 

「私の理想なら目の前にいる」

 恥ずかしくて顔を上げられないが、新路がどんな表情をしているか完全に予想が付く。

 耳を当てている新路の胸の向こうで心臓が爆音を立てて揺れ動いていた。道行く人がこちらを見る視線の中には自分があの風露だと気が付いたものもあるかもしれないが、構いやしない。

 風露は誰かの理想の偶像でも守られるべき弱い存在でもなく、ただこの世界を生きる欲望に満ちた若人なのだから。

 

「一緒に強くなろうな」

 

「お前……?」

 顔を上げると自分に負けず劣らず真っ赤な顔をした新路が目を震わせていた。

 何が何だか理解できない、いやちゃんと考えれば理解できるが常識的に考えてあり得ないと思っている顔だ。

 あり得ないと思うなら何度でも――――欲するものを全て掴みとってきた剛腕で新路を更に強く引き寄せる。

 プロとして成功し、より強い相手を求める一方で、きっと自分はなくしてしまった普通の青春も欲しかったのだろう。

 

「強さだけじゃない。私の魅力も! たっぷりと理解させてやる」

 一分は固まっていただろうか、ようやく多少なりとも伝わったのか。

 一つ大きく息を吐いた新路が風露の肩に手を置き、どこまでも真剣な目で風露の目を見た。

 

「もっと強くなるさ」 

 夢よりも面白いからまだ生きる価値がある現実だ。

 全て上手くいくとは限らないし、理不尽に奪われたり失うこともあるだろう。

 だからこそ、この手に心から欲した物を抱きしめた時の喜びが何よりも光るのだ。

 何もかもが強すぎていつだって負けてしまいそうになるこの世界に何かを穿つために、人は強くなる。

 

*********************************

 

 鬼はまたもう一匹の鬼と出会い

 もう一匹の鬼は鬼の手を取りまた強くなって帰ってきました

 ひとりぼっちだった鬼の、この世界でたった一匹の最高の友達

 鬼は鬼といつまでも果実にかじりつきたい

 このどうしようもない世界だって、それだけあれば永遠に無敵なのだから

 

 

 ところで鬼と鬼は二匹で集まって何をするのでしょう?

 

*********************************

 

 

 今年の夏の到来は早く、5月の半ば頃からセミが鳴き始めた。

 風露に背中を押され、兄である勇一の協力を得て、半袖でも過ごせるようになったある日とうとう新路は家を出た。

 辛く当たっていたはずの母が心配してくれたことも、自分に全く無関心だった父がいつでも帰って来いと言ったことも、全てが意外の連続だった。

 強くなるんだ、辛いことの方が多い現実の中でも胸を張って。最低限の保証があった部屋を飛び出して生きることは常識すらも危うい新路にとっては大変なことの連続だったが、それでも一人の人間として己に依って立つことは、砕け散った自尊心を少しずつ回復させた。

 

「あぁ゙ーっ! 終わったー……」

 引っ越して三日目、ようやく机の周りにゲームをする環境を整えられた。

 実家にあったタコ足配線を一個ずつ解体してまた組みなおしたのだから大変な作業だった。

 まだ服の入った段ボールなどが大量にあるが、とりあえずこれで『仕事』は出来る。

 

「喉渇いたよー」

 オフだったためにセッティングを手伝ってくれた風露がベッドに倒れ込んだ。

 配信関連に関しては風露の方が遥かに慣れているため、この環境を整えることに関しては本当に助かった。

 買ったばかりの小さな冷蔵庫から缶ジュースを取り出し風露に投げると、行儀悪くベッドの上で飲み始めた。

 

「あとはネットが明日開通されれば……一応契約しなきゃいけないのは全部だと思う」

 勇一に頼んで作ってもらった一枚の紙には一カ月で予想される支出が全部書いてある。

 水道も電気もガスも契約したし、ネットも頼んだ、とシャープペンで項目にチェックを付ける。

 特に何もなく通勤通学にも不便な駅にある物件を借りたため家賃は安いが、それでも月に10万はかかるものらしい。

 色々計算しても一年以内に収入を確立しないとそのまま孤独死するだろう。

なんということだ、この間までニートだったのに一気にそこらの18歳そこのけのロックンロールな生活になってしまった。

 

「良かったね、いい家見つかってさ」

 そもそも風露自身が独り立ちを考えていたらしく、探し慣れている彼女の提案する物件は新路の求めている要素が全てあった。

 近くにデパートやレジャー施設などは無いが、駅まで歩いて7分のため買い物には困らないしコンビニも近い。

 一部屋しかないが8畳あるため、普通に生活する分には問題ないし風呂とトイレも分かれている。

 築年数も若いという良物件だった。

 

「よかったよかった」

 椅子に座ってパソコンのスイッチを押し、小窓から吹き抜ける初夏の風に前髪を揺らしながらぬるくなったペットボトルのお茶を飲む。

 この数週間ずっと動き回っていたためどっと疲れた気がする。寝転がりたいがベッドは風露が占拠している。

 というか、いや多分自分は間違っていないが、何故彼女は人の家の、しかも男の寝床を普通に使っているのだろう。

 だが今更文句を言う気にもなれない。風露と勇一の協力が無ければ18歳で独り立ちなど無理だったのだから。

 それにしてもまた髪形が変わっている。自分なんか髪色がプリンになり始めたのに。

 髪の色自体は変化ないが、前髪が斜めに切られて二段階の高さになっており、それに合わせてか毛量の多い緑色のツインテールの長さもアシンメトリになっている。

 隠す気も無いのか、風露のトレードマークであるキャラがデフォルメで描かれたパーカーを着ているのに全くオタク臭さが無いのは他の部分の見た目が強すぎるからだろう。

 そんなことを額にペットボトルを当てて考えているとインターホンが鳴る音が聞こえた。

 

「…………」

 

「あんたが出なきゃダメでしょ」

 

「あっ、そっか!!」

 

「ニート生活に慣れすぎ」

 全くその通りで反論が出来ない。チャイムが鳴ったら自分以外が出るのが当たり前の生活をしていたせいだ。

 N〇Kだったら電子機器は一切無いと言って追い払ってしまおう――――と思ったら、そこにあったのは両手でなんとか抱えられるほどの段ボールを持った配達員だった。

 

「うわ、マジか兄貴!」

 死ぬほど忙しいはずの仕事の合間を縫って手伝ってくれた上に引っ越し祝いまで送ってくれたのだ。

 なんだなんだと見に来た風露も巨大段ボールを前に目を輝かせている。

 この重さはなんだろうか。電子レンジやコーヒーメーカーだろうか。正直内容よりもその心遣いだけで十分嬉しい。と、思ったのに。

 

「ぜ、全部甘いもの……」

 15kgほどあった段ボールの中身は全て甘いものだった。

 ポテトチップスなどの塩気のあるものは全くなく、カステラやチョコレートなど舌先で感じる甘露オンリーだ。

 優しくしておいて最後に落としてくるあたりが実に元いじめっ子いたずらっ子の勇一らしい。

 

「お兄さん新路が甘いの嫌いだって知らないの?」

 

「知ってるよあいつぁ! 毎年バレンタインに貰った大量のチョコを俺に渡しちゃ『あっ、お前食えねえんだっけ』って言ってくるんだ!」

 

「なんか手紙入ってるよ」

 

「……どうせろくなこと書いてないんだろ」

 なんて言いつつも3%ほど期待しながら開いたら『美人妻 寝取ってナンボの 人生だ』と今まで見た中で一番最悪の俳句が入っていた。

 弟の引っ越し祝いにこんなクソ俳句を同封する神経が分からない。

 

「やば」

 

「あいつはやべーんだよ。ちょっと頭がおかしいんだよ」

 俺とは違う方向で、とは言わないでおく。

 頭がおかしかろうが人格破綻者だろうがそれが許されるくらいに本人は優秀だからだ。

 

「うわ、これ一粒200円もするチョコだよ」

 一粒一粒丁寧に包み紙に入っているチョコレートを風露が興奮しながら解説している。

 これで一粒200円なら全部で10万円近くするかもしれない。嫌がらせにこんなに金を使って馬鹿じゃないのか。

 

「じゃどうぞ、持って帰って」

 

「いやこの量は無理! 食べに来るよ」

 

「い、居着く気ですかぁ?」

 今日全てを食べることは出来ないだろうし、一度や二度の来訪でも到底食べきれない量だ。

 よく考えると風露に勧められたこの家は風露の家から電車で二駅なのでそう遠くはない。

 それ込みで考えていたのか、と頭に浮かぶのを今の新路には邪推と言い切ることは出来ない。

 

「……。いや?」

 薄紅色の唇でチョコレートをはさみながら小首を傾げて、いやじゃないくせにと表情で伝えてくる。

 そんな仕草は夢の中で見た香南――――風奈のそれとそっくりで、心臓が変に痛くなる。確かに顔の造りが一緒だと感じさせられてしまう。

 こうして見ると鬼のように強いプロゲーマーなんてことを忘れてしまいそうなほどに普通の女の子だ。

 

「……ヤジャナイデス」

 

「そうでしょ?」

 斜め上を見ながら行儀悪く齧った高級チョコレートから適度な気温により一番甘くとろける状態のキャラメルソースが伸びて、ガラス細工のような細い指に絡みついた。こういう食べ方もあるか、と思い付きでもしたのか行儀悪くチョコレートの中に指を突っ込みキャラメルだけをすくって食べている。

 一度だけ見せた自分への明確な異性への好意がずっと感覚を狂わせて風露に強く出れず、一つ一つの所作までも妙に意識してしまう。行儀悪く指を舐めるその仕草すらも別の意図があるように感じてしまうのだ。

 家から近いからとそう頻繁に来られてはいつか本当に気が変になってしまうかもしれない。

 かといってそれを追い返す度胸も無いし、そうするにはもう風露は自分の人生に深く関わり過ぎてしまった。

 ほんの2年前までは一方的に知っているだけの有名人だったのに。

  

「死んでないかちょくちょく様子見に来てあげる」

 洒落ではなく半分くらいは本気で言ってそうだし、自分のように下手すれば24時間ぶっ続けでゲームをする人間は冗談でもなんでもなく突然死するかもしれない。

 様子を見に来てくれるというのならばそれはありがたいことなのだ。

 

(でも暇じゃないだろうに)

 スポンサーから依頼される仕事の中にはストリームもあるだろうし、BDCのスクリムもある。

 あまりメディアへの露出はしないがそれでも日本一有名なesports選手なのだから出演依頼やインタビューは山ほどくるはずだ――――そこまで考えて、暇な自分と違って風露は滅茶苦茶忙しい中で時間を作って会ってくれているのだという事実に気が付いた。

 

「ありがとうな。本当にお前には助けられてる」

 

「…………」

 素直にお礼を言ったのに風露はぽかんと口を開けて固まってしまった。

 新路も何も言えず、まるで目の前の母親の行動を真似する赤子のようにぱかっと口を開いてしまった瞬間、キャラメルソースが絡んだ指が口に突っ込まれた。

 

「ぶあぁっ!! 何すんだちくしょう!」

 舌先から最も苦手なキャラメルの甘味が広がってくる。

 甘いのはまだいい。なぜこの世の甘い味がする食べ物はどいつもこいつも歯に引っ付きやすくいつまでも甘い味が残り続けるのだろう。

 

「素直にお礼が言えるんだね」

 キャラメルを残さず舐めとった風露は勝手にウェットティッシュの箱を開けて指を綺麗に拭いた。

 間違いなく嫌われてはいないとは思うが、一体彼女の中で自分はどういう印象になっているのだろう。

 

(まぁいいや)

 パソコンも無事に立ち上がってくれたようだし、色々と設定を整えなければ。

 手元カメラを廃止して顔を映すようにするのだからそちらの確認もしなければならない。

 風露もそれ以上言いたいことが無かったのか、まだ整理していない段ボールを漁り始めた。

 一応段ボールにはマジックペンで中身を書いてある。ゲーム機と書いてある通り、中には山ほどのコンソールゲームが詰まっている。

 もうあまりコンソールではやっていないし、今からまた配線地獄に戻るのはごめんだから放置していたのだ。

 風露もそれは同じだったようで、取り出したのは携帯ゲーム機だった。

 

「ん?」

 枕を胸の下にやってうつぶせに寝転がりながらゲームを始めた。

 なるほど、ゲーマーというのは男も女も一番リラックス出来る格好は同じらしい。

 健康な方の片足をぱたぱたと埃だたせてまるで自分の部屋にいるかのようだ。

 

「なにしてんの」

 

「全部コントローラー一個しかないのウケんね」

 

「いやいや! 家帰って配信でもしなさいよ!」

 居着くどころか居座る気まんまんなように見える。忙しい中で手伝ってくれるなんて感謝しかない、と思ったすぐ後にこれだからずっこけそうだ。

 今晩寝るときに枕元に緑色の髪の毛なんか見つけてしまったら転げまわりそうだ。

 

「今日はアプデとサーバーメンテで夜の2時までログイン出来ないんだよ」

 

「あっ、そうだったっけね」

 それならスクリムにも参加できないし、他の仕事もないから今日来てくれたのだということだろう。

 だが今日は練習・配信が出来ないことと、この家でのんびりすることは繋がらない気がする。

 馬鹿だからかもう全部が『それ』に繋がっている気がしてならない。

 が、モテないどころか幼稚園から高校卒業までほぼ異性と無縁の生活をしていたから自分の反応が過剰なのかどうかも分からない。

 

「新路ぃー。飲み物おかわりー」

 

(なんなのこの人……)

 そして言われるがままに缶ジュースを持ってくる自分もなんなのという感じだ。

 テレビやネットニュースでよく見るあの風露が自分のベッドの上で寝転んで音ゲーをしている姿は非現実的過ぎて眩暈がしそうだ。

 去年戦った時は同じ土俵にいたからそんな感覚は全くなかったのに。

 

(まさかこれもまた夢じゃねえだろうな)

 しかし夢にしては少しこの現実の自分のステータスはゴミ過ぎる。

 ベッドの傍に立ってぼんやりと風露を見ているともう初夏なのにタイツを履いている。よく見ると左脚の形がどんな体勢をしても歪まない。

 義足を隠すためだ、と気が付くと同時にこんなにリアルなら夢のはずがないと思える。

 

「気になる?」

 視線に気づいてしまったのか、ゲームをスリープにして枕の下にしまった風露が義足をカンカンと叩く。

 本人はなんてこと無さそうなのに、何故か新路の方が呼吸が苦しくなるほどに胸が痛くなった。

 

「ごめん、じろじろ見ちゃって」

 

「いいよ。胸が大きい人とか背が高い人とか、その気がなくてもやっぱ見ちゃうでしょ」

 

「…………」

 そういう生来の特徴ではないだろう。

 長所や短所という言葉ではなく、もっとはっきり言えばそれは傷そのものではないか。

 

「なんか訊きたそうね」

 

「……なんでそうなったの? 事故?」

 訊いてはいけないことだと思う。誤魔化して全然違うことを質問すればよかったのに、真剣な目でこちらを見てくる風露に嘘をつくことすらも後ろめたく、頭にあった言葉をそのまま口にしてしまった。

 何よりも、それが訊きたいんでしょう、と風露の目が質問する前から言っていたから。

 

「……。骨のガンにかかったの。なんでもないところまで切る必要があってね、膝から下持っていかれちゃった」

 

(……悔しかっただろうな)

 日本で一番足が速い中学生だったのだ。

 きっと命を懸けるのに近い情熱を持っていたに違いないだろうにそれが唐突に理不尽に奪われたのだ。

 先ほど胸が痛くなった理由が分かった。自分にも命を懸けるほどの物があるから、それを理不尽に奪われることを想像し自分に重ねてしまったのだ。

 だから彼女はesportsの選手という枠を超えて人気なのだろう。これこそが自分の人生を以て作り上げてきたものだ、というものを一つでも持っている人間は割と多くいるものだ。

 それが突然消えてなくなってしまう絶望に共感し、そこから立ち上がり新たなアイデンティティを手に入れた強さを今の風露に見るから、彼女は自然に振る舞っているだけで人を惹き付けるのだろう。

 

「再発したらいけないから、今も1年に1回検査に行ってるんだ。やっぱ結果出るまでは毎回怖いなぁ。来月またあるんだよね」

 もしかして自分はとても貴重な話を聴いているのではないだろうか。

 誰もが彼女のバックストーリーを知っているとはいえ、少なくとも風露が公式に自分の失った片脚について話しているのを聞いたことがない。

 何をどうしたって、長所とは言い換えられない明確な弱点をライバルである自分に話して――――どうしてこんなに強くあれるのだろう。

 

「なんて言えばいいかわからない……風露が居なければ、お前さえいなければ俺は問題なく日本一になっていた」

 

「そうだろうね」

 言葉は悪くとも暴言を言おうとしている訳ではないことが伝わっているのだろう。

 ただでさえ口下手な新路はこの難しいキャッチボールを失敗しないように慎重に言葉を選ぶ。

 

「風露がそうならなければ、お前はお前の道を今でも走っていたんだろうし、俺もそうなっていたはず」

 風露も一番、新路も一番。

 そこには変な諍いも争いもなければ絡み合う複雑な感情も無い。

 平和で優しい三流映画監督の台本のような物語になっていたはず。

 

「…………」

 そんな顔出来るのか――――風露は優しく微笑みながらただ黙って新路の言葉を聞いていた。

 きっと彼女の脳裏には今でもオリンピックの表彰台に立っている自分の姿があるのだろうに、そうはならなかった現実を丸ごと受け入れているかのようだ。

 

「でも……不謹慎だけど、こうなって……風露がそうなってこっちの道に来て……色んな人に会って、お前を知ってもらえて……」

 色んな人を勇気づけただなんて。そんなのは脚があったって風露ならメダリストになるなりして出来たことではないか。

 根本は同じ物語だけど、脚があるのとないのではどっちがいいかなんて、ある方がいいに決まっている。

 

「少なくとも俺にとっては良かった」

 結局自分の感情の色しか話せなかった。

 どうして自分は八股が出来る兄のように口が上手くないのだろう。

 全然これでは言いたいことの10分の1も表現できていないのに、風露は新路の駄目さ加減の奥にある言葉を理解したのか後ろ暗い感情など一つもないかのように笑った。

 

「そうなんだよ。私も終わりだと思った。人生この先何も無いって本気で思ったんだ。現実は理不尽でただただ辛いだけで真っ暗だって。でもあったんだよ。その先が。私の想像もしない場所に」

 全部伝わっている。言えていない、と思うのと同時に伝わっているだろうなとは思っていた。自分たちはそっくりで、一度全てをかけて戦って否が応でもお互いを理解してしまっているから。

 

(なんて強いんだろう)

 ようやく自分が勝てなかった理由が分かった。強さやチーム、生まれ育った環境、いろいろあるだろうがまずそこだ。

 風露は一昔前の自分の絶望と同等のものを味わい尽くし立ち上がったのだ。そもそもの魂の経験値が自分とは違ったのだ。

 だから追い込まれても、仮にここ1番という場面で負けていても、その先があると信じているから辛いことばかりの現実でも前に進める。

 1周目がどうして2周目に勝てるというのだ。

 正直才能や努力量は絶対的に自分の方が上だと思う。それは虚勢でもなんでもなく本当に思っているし、風露も感じていると思う。

 ただ人間としての強さが違うのだ。

 

「すべてが100%うまくいく人生なんかないし、あったとしてもきっとつまらないよ」

 今まで自分が泣いた思い出をはにかみながら話す風露に光が見える。

 ああ、そうか。これが人としての魅力と言うのだ。時が流れてやっていることや姿形までもが変わってしまってもなお一層輝く魂の光が漏れてくる瞬間を。

 

「俺は……。風露ほど魅力的な人を見たことがない」

 理解させてやる、なんて言っていたが言葉で語らずとも、ただ歩いてるその姿そのものがもう既に彼女の魅力だったのだ。

 全く他人のことなど見てこなかった人生だ。初めて人の本当の魅力というものを目にしたかもしれない――――とんでもないことを口にしたと気が付いたのは目の前で真っ赤になって空腹の金魚のように口をぱくぱくとさせている風露を見てからだった。髪は黒と緑で顔は赤で唇は桃色で目は青でと面白いくらいにカラフルだ。

 

「え? え? なに? もっかい言って?」

 何度も感じたように風露だって普通の大人になりきれてない女の子だ。

 あまりにも恥ずかしいとこうやってお茶らけて誤魔化そうとしてしまうのだろう。

 だがあんなことはもう二度と言えないし、言いたくないからせめてまともに受け止めてほしい。

 

「もう二度と言わないから! ちゃんと俺の言ったこと受け止めろ!」

 

「い、いやだ……また時々そんなこと言ってほしいな……嬉しいもん」

 星座のように並ぶピアスに負けないほどに大きな瞳がきらきらとしている。照れている風露を見たのは自分が初めてなんじゃないかと思うほどにレアな表情だ。

 

(普通の女の子じゃないか)

 神というものがいたとして、なんでこんな子から奪うのだろう。

 同じ物語になるなら自分のように元々頭がおかしい奴から脚を奪えばよかったんだ

 どうせ大して使ってないしむしろ引きこもる大義名分になった。風露の脚が無くなり沢山の人が悲しんだだろうが、自分ならばひょっとするといなかったかもしれない。何しろプラマイで得だと考えているくらいだ。

 これで外に出なくて済むぞと喜んでる自分が目に浮かぶ。そんなのほっといても不幸になるだろう。

 神とはひょっとしてランダムに幸運な者から奪う存在を指す言葉なのではないか。

 

「見てみる?」

 

「……!」

 

「新路は最初から『そう』だったみたいだけど、私は脚がなくならなければ『そう』はならなかったから」

 

「うん……」

 見てみるか、ではなく見なくてはいけないなと直感した。

 何も無かった自分だからこの道にいるが、風露には元々全てがあったのだ。どの道に行ったとしても輝かしい未来が。

 こうなってしまったからこの道に来た。だが弱さの象徴のはずが今や強さの象徴となっているその欠けた部分。何が新路と風露を同類にしたのか見る義務がある。

 新路が跪いてようやくベッドに座る風露と目線の高さが同じになった。スカートの中に手を入れた風露は一瞬の躊躇を見せた後、目を薄く開いたままにタイツを脛まで下げた。

 

「あんまり顔近づけないでね。綺麗にしてるけど、汗が溜まりやすいから」

 想像とは全く違い、義足はいとも簡単に外れた。金属の留め具やボタンなどもなく、靴のように足を挿し込んでベルトをしているだけだった。

 カーテンを開けた窓からさす光が欠けた左脚を宝物のように輝かしているのに誘われるように、手でそっと触れた。

 膝から下が無いと分かりやすく言っていただけで、太ももも大部分を切除している。

 太ももの半ばほどに手術の痕があり、そこから伸びている部分は本来ふくらはぎより下にあるべきパーツだ。180度回転させた足首が膝のあるべき位置に来ている。

 なぜこんな足の爪を切りにくそうな形にしたのだろう、と疑問が浮かぶが、義足の構造と健康の方の脚に触れて比べていくうちに分かった。足首を膝関節の代わりに使うような手術をしたのだろう。

 顔をほんのり赤くしながら黙っている風露を見て拒否していないと受け止め、健康な右脚の膝と、手術をした左脚の足首を曲げる。

 

(……これじゃしゃがむことも出来ない……)

 膝関節と足首ではどうしても可動域に差がある。

 膝なら折りたたむこともできるが、足首が膝関節の代わりをするなら90度曲げるだけで精いっぱいだ。

 歩くだけならまだしも、階段は苦労するだろうし靴紐が解けてしまったらまともに結ぶことも出来ない。今日だってごっついブーツで来ていたが履くのにどれほど苦労をしたのだろう。

 再会した日から手を貸していて良かったと思うのと同時にそれでは足りなかったのかと後悔する。

 

「風露が何か落としたら……必ず俺が拾うから」

 

「ん……」

 健康な右脚の形は本当に完璧な形をしている。筋肉の付き方も骨の形状も部分部分の長さも全て完璧だ。心臓から送られるエネルギーを爪先まで余すことなく伝えてくれるだろう。

 月日が経ったとはいえ、見てすぐにスポーツに深く関わった者のパーツだと分かる無限の価値を放っている。

 これが両脚揃っていたのなら、日本一速かったのも納得だ。

 

(やべぇ、泣きそうだ)

 大して使ってないから自分は脚なんか別にいらないが、その一方で傲慢でもなんでもなく、自分の腕には神が宿っている。

 もしもこの腕をなくしたら、自分の全てが突然切り離されてしまったらと考えると狂いそうだ。

 

(全部無くなっちまった……!)

 この子だったら何にでもなれただろう。性格も明るく容姿だって飛び切り優れている。話しているうちに頭が良いことだって分かったし運動神経に至っては日本の頂点にいたのに。

 全てを無くして本来歩むはずだった道に戻れなくなってしまったのだ。

 

(この子の無くなってしまった未来をこっちで作るんだ)

 風露が失った未来を。

 『そっちよりもこっちの方がずっと輝いているんだ!!』と、そう思えるくらいに輝かしい未来に出来るのはこの国では自分しかいない。

 その為に強くなりたい。

 この子の為に強くなりたい。

 

 世界一強くなりたい。それは今も昔も変わっていない。

 誰よりも、目の前の風露よりもだ。

 けれど、一緒に強くもなりたい。

 強さを願う心が――――今までよりずっと強くなっていた。

 

(風露はこれを言っていたのか)

 ずっと持っていた目標なのに、自分一人の物と考えるよりもずっと想いが強くなっている。

 1人じゃないから落ち込んでる時間も悩んでる暇もない。誰かと一緒なら、その誰かのために前に進み続けるしかない。

 どうしたって世界一には自分一人の力ではなれないのだから。

 それなら一緒にどこまでも強くなればいい。なによりも風露にはずっと自分より強くいてほしいから。いつまでも目標でいてほしいから。

 

(なんで今更分かるんだ……)

 チームメイトを信じていなかったと風露に指摘され、自分は否定したがその通りだった。

 昔からずっと自分の為に戦っていた。だから負けたのだ。

 自分のためだけではなく、チームのために。言葉ではなく心で理解した。

 チームで戦うのだから、誰かに個人的に勝った負けたなんてのはくだらない事なのだ。どれだけそいつ一人の戦績が優れていようと最終的に負けているなら無意味だ。

 鬼みたいに強いだけだと言われた意味までもが心に染み込んでくる。自分はまだプロの精神を手に入れていなかったのだ。

 鬼みたいに強いのだから、時に負けることはあっても結局勝率は高いからランキングでは超上位層には留まれる。

 でもそうじゃない。例え目立たなくとも、チームに献身し勝利に貢献出来たのなら。

 それを徹底出来る精神力がプロには必須なのだ。

 

 全てのダメージを受け止めてくれた相馬や根岸にも。

 自分のハードキャリーを信じて優先してヒールしてくれた水元や文にも。

 自分のようには出来ないが出来ないなりに必死にやってた木山にも。

 感謝なんかしてなかった。全て当たり前だと思ってた。

 

 うちに入ってくれてありがとうとキャプテンの相馬は最初に言った。

 

 ありがとう――――それが全てだった。

 

 信じて助けてくれていたのに。

 自分だけ当たり前だと思って欠片も感謝もしてなかった。

 負けて当たり前だ。

 

「気付くのが遅すぎる……」

 開けっぱなしだった窓から夏の風が入り込み、新路の頬を撫でたのがきっかけとなり堰を切ったように涙が溢れだした。

 昔からそうだった。クソでかい感情の抑制が効かなくて、急に泣いたり怒ったり落ち込んだり。

 好きな物はずっと好きで嫌いなものはずっと嫌いで、注意力散漫のくせに時には倒れるまで集中してしまう。

 頭の中がぐちゃぐちゃの時とすっきりしている時の差が激しすぎて生きることにずっと苦労してきた。

 母親に言われた通りやはりなにかの病気なのだろう。

 

「新路の泣いてる顔、すごく好き」

 再び敗北感に打ちのめされ泣きながらうなだれていた新路の顔を、顎に指をかけて風露は鼻がくっつきそうな距離で覗き込んでくる。

 跪いて泣きながらこんなことをされて、誰が見ても格付けが済んでしまっている。

 自分の方が30cmは大きく、おまけに風露は義足を外している。張っ倒そうと思えば反撃されことも無くできるだろうに、どうにもその気が起きない。

 しかも最近はどうしてしまったのか、からかわれても以前のように怒りがとんと浮かんでこないのだ。

 

「あっち向いてて」

 ぺちっ、と頬を叩かれて顔を横に向けさせられた。

 なぜ義足を外した時は見せていたのに、再びつける時は見てほしくないのだろう。

 

「あっ! これ! ずっと欲しかったんだ! ちょうだい!」

 なぜ終わったなら終わったと言ってくれないのか、勝手に段ボールを漁って取り出していたのはAnother Oneのユニフォームだった。

 

「あげるわけないじゃない! 裸で試合出ろってか?」

 

「スポンサーついたんでしょ?」

 そういえばそうだった。引っ越しを行う前に引退したこともすっかり忘れて相馬に連絡を取ったのだ。復帰したいからまたトライアウトを受ける、と。

 自分はもう運営には関わっていないという断りを受けつつ色んなことを教えてもらった。

 あの頃から三人やめて四人新たなメンバーが入っているということ、何故か製薬会社がスポンサーとしてついたこと。

 新路は退団ではなくインアクティブ扱いになっていて、今すぐにでも復帰が可能だということ。スポンサーがついたからユニフォームもスポンサーロゴ付きの物に代わる。

 おかげで再来月から給料も貰えるのだ。……クビにならなければ。

 

「じゃあまぁ……どうぞ。え、でも去年会場で売ってたでしょ」

 

「新路の名前が入っているのがほしかったの」

 

「…………」 

 BDCのような資金力のあるチームなら別だが、チームの選手それぞれの名前が入ったユニフォームは基本的にどのチームでも非売品だ。

 そういう意味では滅茶苦茶に売れているFooroの名前の入ったユニフォームよりもレアだろう。

 なんとなく持ってきてしまっただけの旧ユニフォームをきゃいきゃいと喜びながら抱きしめる風露を見て何も言えなくなってしまった。

 自分だって風露から直接ユニフォームを貰ったら家で大喜びしてこの真っ白な壁にでも飾っておくだろうし。ただし、本人の前では喜ばないしそもそも言わないと思うが。

 

「他の箱も開けていい?」

 

「お好きにどうぞ」

 さっきから許可を取らずに開けているくせに何を言っているのだか。

 まだパンツ入りの段ボールとかもあったと思うがわざわざそんなものを開けたりはしないだろう――――と顔を洗いに行って戻ると。

 ユニフォームを床に置いていたずら好きの猫のように段ボール箱を開けまくった風露が引っ張り出していたのは100冊以上にも及ぶ新路のゲーム研究ノートであった。

 

「駄目ッッ!!」

 今月一の大声で叫ぶと駄目な自覚はあったのか、風露は思わず飛び退った。Another Oneのユニフォームの上へ。

 引っ越したてでつるつるのフローリングは義足の着陸を激低の摩擦係数に従い滑りながら受け止める。

 新路の部屋で新路のユニフォームに滑って転んで大けがしましたなんて、優秀な日本の警察でも新路にお縄をかけるだろう。

 肩の関節よ外れろと言わんばかりに腕を伸ばしてなんとかすっ転ぶ直前の風露を受け止めた。

 

「ちぇっ」

 

「ちぇっじゃない! いいか! 俺の前でな、あ、あ、俺の前ではな! もう二度と転ばせないぞ!」

 義足に慣れない間は何度も転んだだろうが、これからは絶対にそんなことはさせない。

 その言葉は心からの真実だが、言いたかったことはそうじゃないと頭を抱える。

 言いたいこと・やりたいことが何個もあるとそのうちの一個しか自分は実行できないのだ。心臓も脳みそも小さいから。

 

「あー、滑ったーしまったー」

 わざとらしく足を何も無いところで滑らせた風露がいきなり胸に飛び込んできて兎サイズの心臓がねじ切れそうになった。

 1ヶ月ぶり2度目の抱擁、ここ数日特に多い気がする明確な好意の表れを受け止めて石像になりかける。

 

「なんとか言えよほら」

 運動部だった時代が暗に伝わってくるような意外なまでの力の強さで抱き寄せながらぐりぐりと胸に額を擦りつけてくる。

 

(ちくしょうめちゃくちゃいい匂いがするぞ……)

 少々ひん曲がった性格を表すかのように少し変わった位置にあるつむじから自分の人生に全く存在しなかった芳香が直接新路の脳に入り込んでくる。衝動的に同じ行動を返してしまいそうになる。最早鼓動はどきどきを越えてドクドクという音になってしまっている。

 正直めちゃくちゃ可愛いし、そういうことをしても許されると思うから、とそういう衝動に駆られたことは1度や2度ではない。

 あのゲームによるとどうやら自分の好みではないらしいがそれを差し引いても有り余る愛嬌だ。

 1日ごとに風露の魅力を1つずつ知っていくし、元々彼女とは仲良くなれると直感的に知っていた――――のは風露も同じだ。彼女の方が欲求に素直なだけなのかもしれない。

 もうはっきり好意は分かった。だが、分かったうえで自分に好意があるからとすぐに流されるのはみっともない。

 新路は強くなることを目的としていて風露もそれを期待しているのに、そうなってしまっては何よりも風露に失礼だ。

 多分多分と自分は多分ばかりだが、多分そんな風に流されれば自分はあっという間にぽいと捨てられる。何故何もかもがいつも基本不利な状態からスタートするのだろう。

 

(だけど少しだけ……ほんの少しだけ……)

 いま持っているこの感情を逃したら後悔する。好きだとか嫌いだとかいう単純なものではなく、今までに想像したことすらなかった感情。

 あの夢の中ですらも持てなかった尊いもの――――今まで本当によく頑張った、と伝えるには新路の語彙力では到底言葉では表せない。

 社会的にも実力的にも全て劣っているくせに何言っているんだ、と言い訳を作ることばかりは上手い脳みそに喝を入れ、腕で作ったへたくそなわっかの中に風露をそっと閉じ込めた。

 

(うぁぁこんな小さいのに……!)

 小さい軽い細いの三拍子揃ったこの身体で不幸を受け止め困難を乗り越えてきたのかと想像すると、偉いと100万回言いたくなる。

 今までの新路からはあり得ない行動を感じ取り顔を上げた風露と目が合う。電子カラーコンタクトの色が風露の困惑を示すようにばちばちと瞬間瞬間に色をカラフルに切り替え、鮮やかな喜びを示すような赤になり体当たりのような抱擁を敢行してきた。ひ弱な新路は腰をやや痛めた。

 何も言葉を発していないのに行動で感情を伝えてくるのは、ゲームの中でも現実でも変わらない。蝉が鳴いていると一瞬思ったが、どうも顔が赤くなりすぎて耳鳴りがしてきたらしい。

 まず落ち着きたい。次にも落ち着きたい。更にもう一つ落ち着きたい。中身は違うが見た目は夢の中の友達と同じで、夢の中以上の親近感を抱いているのだから、同じ言葉をかけられるはずだ。

 

「……あ、今度……遊び行くか……ど、どっかおもろいとこ」

 

「ほんと!? それってデート?」

 再び顔を上げてぱっと笑った風露は属性なら完全に光、花ならひまわり、星なら太陽、宝石ならダイヤモンドだ。

 中身が違うだけでこんなにも魅力的だなんて。そう思ったがゲームだってキャラは同じでも使っている人間が違えばゴミにも神にもなる。

 自分にとっては化け猫に変身までしてくれた夢よりも現実の方が手強く感じる。

 

「デ……えー……」

 

「はっきり言え!!」

 

「デートでイイデス……」

 どっから目線で言葉を発しているのか自分でも分からなくなっているのに風露は真っ直ぐに受け止め、『やった』とこれまた真っ直ぐな言葉で喜びを表現した。

 

「あー幸せ……溶ける~~」

 砂漠にいきなり月下美人が咲いたかのように、今までの人生でこれっぽちも無かった物が流れ込んできて新路も溶けそうになる。

 ここまでが限界だ。これ以上はダメ人間の自分には歯止めが利かなくなる――――と風露の肩を掴んで引きはがした。

 

「ただし! 練習が優先だ! 1に練習! 2に練習!! それは5くらいでいい」

 

「具体的にいつ5になるのよ」

 

「お……俺の強さが全盛期に戻るまで。ランクが100……いや、30まで戻ってからだ。それでようやくスタートラインだ」

 ランク1に4度到達したのだから全く不可能ではない。むしろこうやって具体的な目標を持った方がいいくらいだ。

 そういえばこれまで目標を達成したご褒美なんて一個も無かった、と思っていたら目の前のご褒美がどぎつい言葉を吐いた。

 

「新路のレートめちゃ落ちてるのに?」 

 

「あっ」

 レート3000以上のプレイヤーは一週間全くプレイしないと5日ごとにレートが50ずつ自動で低下する仕組みになっている。

 また、ゲームのシステム的にレートが500以上離れているプレイヤー同士がパーティーを組んでゲームをすることは出来ない。

 今日まで風露と新路は一度もデュオを組んでいない。何故ならば、風露の現在のレートが4600であるのに対して一年以上ぶりにログインした新路のアカウントのレートはきっちり3000まで落ちていたからだ。

 そんな耳クソレートで世界大会にエントリーするなんて日本代表のギャグ担当にでもなるつもりか。

 引っ越しの作業で忙しい中で先日ようやくグランドマスター帯の4000まで持ち直したがそれでもまだ遠い。ランク30のボーダーはパッチやメタにもよるがだいたい4700からだ。

 

「7月までに達成してね」

 

「期限が短い! でも頑張るから!!」

 

「約束守れなかったらあんたと天王寺が喧嘩してる写真ネットに流すからな」

 

(……最悪じゃねえか!)

 いつのことだっけ、と一瞬固まってから思い出す。

 秋葉原の18禁ショップの前で天王寺に卍固めをかけていたときにそういえば写真を撮っていたような気がする。

 天王寺はなんのダメージにもならないだろうが、あんなものがネットに流されるくらいならスカイツリーからバンジーした方がマシだ。

 

「楽しみ楽しみ!」

 

「げぶっ!」

 肩を掴む力が落ちていたのを見逃さず風露が再び胸にタックルしてきた。

 こんなことを繰り返されてはそのうち骨折してしまう。もし仮に外でそんな怪我を負って病院に運ばれたらそれはそれで死ぬほどの恥だ。 

 

「……外では絶対こういうことするなよ」

 

「家の中ならいいの?」

 

「…………」

 いつ耐えられなくなって爆発するか分からないが、未だEDは治っていないしなんなら病院も行っていない。

 あー、EDで良かったなんて思うなんて男というか生物の雄として最低ランク、老人以下なので別の意味で泣けてくる。

 思えば18歳の誕生日、法的に結婚できる年齢になった日もEDで迎えたなんて最低を一周通り越し情けなさ過ぎて最早笑えてくるまである。

 

「むしろ新路からしてもいいんだよ」

 少しワガママを許せばやりたい放題言いたい放題だ。

 兄の勇一に風露と友人であることやこんなことをされると話したことがある。勇一は自分の1兆倍女性の扱いが分かっていると思ったから。

 回答は押し倒せオンリーだった。兄のような脳みそと股間が直結しているような人間に話したのが間違いだったのだ。今からでも勇一の後頭部を半べそかきながらトンカチでぶん殴って記憶を消去したいくらいだ。

 

「俺には…………まだその権利がない」

 誰よりも強く。ただ強く。

 それだけが自分の目標であり使命だと考えていたのに、まず目の前の少女に負けてるのにどうしてそんなことが出来ようか。

 そんな新路の思考回路を正しく理解したのか、風露は新路の胸に唇を付けながら口を開いた。

 

「じゃあ一生無理じゃん」

 

「そんなことないぞ!  なんてこと言うんだ!」

 

「楽しみにしてる」

 欲しかった反応が引き出せたのか、離れていく風露を見てようやくまたおかしなことを言ってしまったことに気が付く。

 なぜか分からないが気が付けば話がそちらの方に誘導されてることが多い。自分の頭が悪いというよりも風露の話し方が上手いのだろう。

 自分の中の恋愛にまつわるあれこれそれと言えば家に帰って泣きながらトイレでシコることだ。それに比べて風露は直球のハグキスアイラブユーだ。元の性格が違うとは言え酷すぎる。

 きっと大きな不幸もなく真っ当に18歳になっていたら風露はこんな風に明るい恋愛をしていたのだろう。また涙が出てきた。

 

「なんかね、からかいたくなるんだよね。馬鹿だからかな」

 

「…………」

 

「今度しれっとノーパンで来てみたりしようかな」

 

「俺は馬鹿だけどぉ! お前はアホじゃないかぁ!」

 くすくすと笑いながらノートを丁寧に段ボールに戻す風露を見て考える。

 あのノートは新路の人生そのものであり、自分にとっては金には換えられない価値がある一方でこの世のほぼ全ての人間にとっては無価値のゴミだ。

 何故風露が自分にそこまでこだわるのか分からなかったが、わざわざ選んでノートの段ボール箱を開けた風露の行動でようやくわかった。

 強さ『だけ』なら新路は日本のどの選手よりもある。後は心――――精神をプロの物に変えるだけでベストパートナーになれると踏んでいるからだろう。

 ファンの扱い、試合に対する考え方、心構え、強さ、全てがプロとして理想的な風露の見立てはきっと間違っていないとするならば。

 

「……ノート見ていいよ。Flawless Anthemのことは72冊目から書いてある」

 

「いいや。一冊目から読むよ」

 口下手な自分の心の内やゲームに対する考えをああだこうだと説明するよりも、頭のいい風露がノートを見る方がずっと早いだろう。

 お互いを理解すること。何が出来て何が出来ないのか。何が得意で何が苦手なのか。遠回りでもそれが勝利にいつか繋がる。

 チームで戦うならそれがどんな競技でも当てはまるということは新路にも分かる。

 7歳の頃から汚い字で書き続けてきたノートだ。中には恥ずかしいことも書いてあるし、時にはゲームに関係のない感情も書いてある。

 だがそういう部分も含めて明川新路はどういう人間なのかを理解してもらわなければならない。

 何が興味深いのか、面白そうにノートを捲る風露を眺めていると恥ずかしさから窓から飛び出したい衝動に駆られてしまうので、仕方なくパソコンのセッティングを再開した。

 

 

 

 作業に集中しているうちに夕陽が部屋を飲み込み始めた。

 もうそろそろ六時になるらしい。何が面白いのか、風露はベッドに寝転がりながらずっとノートを読んでいるがそろそろ家に帰した方がいいだろう。

 夕飯くらいは一緒に食べてもいいが、仮にもまだ未成年の女の子なのだから燕家の両親に心配をかけたくない。

 もう帰りなよ――――と言う前に風露の方から口を開いた。

 

「考えがあるんだ」

 

「また変な、面倒なこと?」

 

「世界大会で優勝すればトロフィーとメダルがスポンサーのCEOから送られて、そのままインタビューに入るんだけど」

 それは知っている。別にインタビューくらい誰がやっても変わらないと思うが、毎回スポンサーのCEOが選手を称えながらインタビューをするのが恒例だ。

 そのついでに数千万人の視聴者に自社の宣伝をしていくのも伝統となっている。だがそれは――――むしろ手に入る賞金すらも優勝のメインリワードではない。

 世界大会で優勝した国のスキンは一年間一般開放され、MVPに選ばれたプレイヤーのプレイスタイルや得意な戦法を反映させたスキンが特別に作成され販売される。

 ゲームの中に自分が登場し、世界中のプレイヤーに認知してもらえる。ゲーマーとしてそれ以上の栄誉は無いからこそ、他のインタビューだの賞金だのに大して興味が無い。

 

「これの開発会社の親会社のCEOなんだ」

 風露がブレスレットから『月映しの世界』のホームページデータを表示させる。

 クリア率は相変わらず低く2.6%しかないが、プレイ人数が5,500万人になっている。

 それはすなわち、既に15万人以上があの悪夢に取り込まれたことを意味している。

 

「それで?」

 

「優勝して、生中継の中で糾弾するんだ。このソフトの危険性を。悪意を」

 確かに、配信やSNSでいくら訴えてももみ消されてしまうだろう。

 たかがフォロワー80万人の18歳の少女とED無職の自分vs時価総額1兆ドルの企業では話にならない。

 80万人にフォローされていると言ってもそこらの芸人に負けている。世界的に有名と言っても結局のところそれはゲーマー達の間での話だ。

 まともなやり方では通用しない、いくらでももみ消される。誤魔化しようのないここ一番の場面で糾弾する必要がある。

 

「世界の終わりがそこで待っている。人間がいなくなってしまうから」

 ロボットが従業員の代わりになり始め、オフィスというものも必要なくなり始めた。

 単純作業のほぼ全ては機械に置き換わり、世界には少しずつ失業者が増えていっている。

 世界の終わりというのは、それこそあの夢のように劇的に起こるものだと思っていたがどうもそうではないらしい。

 こんな風に、ゆるやかにやわらかに、だけど確実に月が欠けていくように起こっていくものらしい。

 世界の終わりの始まりの淵に立っているのが自分たちの世代なのだろう。だが――――

 

「立派だと思うよ。でも俺、そこまでの正義感は無いというか……それで子供が減ろうとどうでもいいと言うか……」

 どこの企業がどう儲けようとどうでもいいし、利益のために食いつぶされるなんてのは愉快な人間畜生らしく元気でよろしい。

 今まで生きてきて十分たっぷり人間もこの世界も嫌いになったし緩やかに衰退していくというのならそれで結構。

 悪夢から完全に解き放たれていてかつ、世界にそれを訴えることの出来る可能性のある人間は自分たちくらいしかいないというのは分かる。

 だが、出来損ないの自分でもこの世界を大好きでいて、滅んでほしくないと思うように育てられなかった世界なんてどう滅びようが本当にどうでもいい。

 

「……難しく考えすぎだよ。私だって周囲の事とか世界の事とかどうでもいいし」

 

「じゃあ何故?」

 

「こんなのインフルエンザにかかる方がよほど酷いイベントさ。世界の終わりなんてエンターテインメントだ。コーヒー入れてパンでも焼きながらテレビをつけて楽しむんだ。傍観者だったら」

 

「…………?」

 言っていることは分からないでもない。

 自分一人だけ不幸に襲われるなら絶望も酷いが、人類全体が終わりを迎えるなら楽しんだもの勝ちだろう。

 知っているからこそ、他の人間よりも楽しめる。

 

「だけどよく見てみて。別に夢の世界じゃなくたって、この世界は全部私たちのおもちゃなんだ」

 確かに新路が生まれてたかが18年の間にも世の中は目まぐるしく変わった。

 電車は浮くようになったしビルには常にギラギラと電子広告が張り付いている。

 簡単なスーパーの中でさえ機械の従業員が歩き回っていて、風露の目の色はいつの間にか金色に変わっている。

 

「夢じゃないから。現実だからこそ自由の価値がある。捕まるかもしれないけど、何を壊してもいい。殴り返されるかもしれないけど、気に入らないヤツをぶん殴ってもいい。不幸になるかもしれないけど、幸せになっていいし、嫌われることもあるけど誰を好きになったっていい。生きてるって、命の意味って、この世界に何かしらの影響を与えることを言うんだ。どんなものでも結果が伴うから現実なんだ」

 それはいつだかに風露に語った新路の夢と同等の内容だった。

 この世界に生まれた意味は、何かを穿つため。何かを残すため。言い換えれば、この世界に少しでも何かしらの影響を与えるため。

 やっぱり、嫌いなところも大好きなところもひっくるめて風露は自分とそっくりだった。

 

「自分のために、だけではなく誰かのために」

 風露が語ると聞き慣れた綺麗事もその真髄を伴って新路の頭に入ってくる。

 赤い西日が暗い部屋の更に暗いベッドに座る風露の義足まで染めた時、風露の言いたいことまでもが新路の頭に先回りして直接入ってきた。

 

「そのために、だけではなくそれを得た先のもののために」

 

「俺たちは、そのとき人間は、普通を超えた力を得るから……」

 ただ優勝がしたいだけで戦うよりもその先の何かのために、何かの目的に戦う人は強い。

 勝利にそれ以上の理由がある時、勝利を追い求める心は更に強くなる。

 世界一強くなるために。それだけではなく、今や夢に囚われ現実から逃げて衰退し始めた世界を自分たちのおもちゃにして遊ぶために。

 

「見たくない? 一兆ドル企業が私たちの言葉で傾くサマを」

 

「……。見たい……!」

 無職の自分がそんなことを考えることも自由だ。

 そうだ。どうせ正義を振りかざそうが自分勝手な動機でやろうが、数百万人の社員とその家族、株主に大きな災いを齎す結果になるのだ。

 今はまだ可能性は限りなく0に近いかもしれない。去年の世界大会の結果は風露を入れても6位だった。

 だがこのおもちゃだらけの世界をより面白おかしく出来る可能性は新路と風露次第でいくらでも大きくなる。

 夢の中なら全てがうまくいく。一方で現実で行った全てのことには良かれ悪しかれ結果が伴う。

 それが面白いところでもあるしどうしようもないところでもあるが、もしかしたら自分のちっぽけな脳みその想像を超えるような面白いことが起きるかもしれない。

 その可能性がある限りはまだこの現実を生きていく価値があるのだ。

 

 $1 trillion companyという単語がある。

 時価総額1兆ドル、日本円にして100兆円越えの企業を指す言葉であり、かつては4つ、現在は世界に3つしかない。

 コンピューター産業を支え人間から職業を奪っている企業。

 世界の物流を掌握し小売業をほとんど絶滅させた企業。

 人間を幸せな夢牢獄に閉じ込めようとしている企業。

 そのどれもが最早今の人類には無くてはならない企業であり、今この瞬間に消えて無くなったら世界中が大パニックに陥る。簡単に言えば、世界経済の背骨なのだ。

 実際に、もともと4つあったうちの一つが倒産した時は8年もの間世界恐慌に陥りオリンピック開催国は変更され、戦争が起き、小国が消し飛び、世界地図までもが変わってしまった。

 だがきっかけはほんの些細な出来事だった。孫会社の孫会社の社員がメールを間違ってライバル企業に送ってしまったこと――――というのは小学校の社会の教科書にまで書いてある。

 

 自分たちの言葉一つでそんな大厄災を引き起こせるかもしれない。世界経済の背骨を砕くなんてことが出来るのかもしれない。

 どうなるかはやってみなくては分からないが、自分たちにはその力があるのかもしれないのだと考えると――――絶望に引きこもっていた風露に、再び表へ出ることを決意させた人生観までもが理解できた。

 苦しいことばかりの現実なんか嫌いだ。けれど、それを好きにしていいというのなら生きる価値があるのだと。

 

「強くなろう」

 風露が言っていることは再会した日からずっと同じ。

 『強くなる』ではなく『強くなろう』。

 世界の終わりをただ待っているのではなく、この先を見るなら。

 この先で戦いたいなら 。この世界をもっと自分たちにとって面白い世界にするならば。

 突然絶望を風露に突き付けた世界に、逆に破壊と混沌を叩きつけてやるならば。

 新路が言うべき言葉は。

 

「一緒に、世界一強くなろう」

 世界の片隅で誰にも知られずに核爆弾を作っている。

 新路自身の夢のため、だけではなく。

 この道が何よりも輝いている、そう思える日の風露の為に。

 目の前で愛おしく笑う小さなライバルと一緒に。

 世界一強くなるのだ。

 

 

 

 

 

 後に世界最強と呼ばれるShinとFooroを、世界はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

*********************

 

 鬼が集まればなにをするかなんて

 

 悪だくみに決まっています

 

 壊せるものがたくさんのこの世界で

 鬼たちはいつまでも幸せでした

 


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