星になったタシュケントちゃんとデバフのジェノくん。 作:光蜥蜴
「諸君、長引けば人類ともども我々の負けだ」
出撃前のアドミラルの言葉を思い出す。
もうずっと通信に応答はなく、今はもうきっと死んでる。
深海棲艦は進化する人間の技術に年々数の有利をひっくり返されており、生存グラフは斜め下降が止まらない。敗北の調和の準備に入っていたのも空しくほとんどの深海棲艦は「死ぬまで戦えばよくね」という能天気な考えだった。
「せめて最後に」だなんて戦いが繰り広げられている戦況下、私が所属する生き残りの残党が先日の嵐で遭難した客船を沈めた時のことだ。一隻の深海棲艦がこういった。
欧州水姫「艦娘とは戦う理由はあっても人間に恨みもない。前に立つなら排除する。憎悪の塊といえども、我々の本質は妖精の無邪気と同じだ。文明を積み上げる人間を艦娘が守護し、我々が破壊する。これ自体がシステムだ。我々と同盟を結ぶということはだな」
相手が強くて勝てません。降伏しましょう。その理由が通用しないので、深海棲艦と戦っていた時期もあったが、彼らの殺しに政治的意味合いも思想的動機もない。9割方、楽しい、とか、気に喰わない、という単純明快な動機が多かった。
もっとも、効果紋の登場によって深海棲艦はどれだけ群れをなそうと無力な烏合の週に成り下がった。耐久数値500超えですら駆逐の昼の一撃で大破する時代だ。深海棲艦を殲滅することなぞ、もう消化試合のようなものだったが――
管理妖精の登場が世界を変えた。
船は領海を犯した客船だ。大冒険にでも目覚めたのか、国際法なぞどこ吹く風でただ戦火の外を目指して逃げている。どこへ逃げても無駄だが。
赤黒く染まった海、まだ数名の人間が救命ボートに浮いている。襲った敵は景色を覆い隠すほどの強大なドラゴンで、実物の空母や戦艦が可愛く見えるサイズだ。あれ一匹で中国が地図上に存在するだけの国家になった。科学兵器も通用しないどころか、艦娘と深海棲艦がどれだけの数をなそうともその艤装では損傷を与えられず。
窮鼠猫噛む希望も差さず、逃げ惑う人々と海に出て確定した死を待つだけの私。
その大翼を広げただけで発生する風圧で転覆しないようにするだけでも骨が折れる。救命ボートは当然、ひっくり返った。あの【Enchant・Doragon】は放置しといても、勝手に人間を絶滅させるだろう。もはや人間の社会は崩壊しており、その脆弱な手足では獣すら狩れまい。皮肉なことに現状は原始的な生活をしている深海棲艦のほうが生きる力があるといえよう。
欧州水姫「おいチビ、どうせもう負けるし、人類は滅ぶが」
口数多いわね。びびってんのかしら。
欧州水姫「確かに人は賢い。だからなにか大逆転劇が起きるのかもしれない。タイムアップなんだ。妖精は人間の欠陥部分を突いてきてる」西洋甲冑に身を包んだ彼女の表情は見えないが、その投げやりな声に表情が籠もっている。「人間が賢くなるまでに何十年という時間が必要であるということだ。これは」
ジェーナス「死ぬな、という命令もあるし。あの船が十キロ離れるまで止めればいいだけよ。そういうことで特に作戦はない。囮でもなんでもして時間を稼げばいいのよ」
四方八方が炎上している海を仰ぐ。炎の性質を無視して、海を燃やし、陸の泥や砂、岩にさえ燃え広がる。海水を浴びせても、消えやしない。燃え移ったが最期、塵芥になるまで鎮火することはない。世界が灰になるのも時間の問題だ。
正直、30分も持てば新記録ではある。
護衛対象の船は一分も経たずに沈められた。
これもまた新記録だ。
2
炎上した救命ボートから、ナニカが飛んだ。海面下に沈む前に拾い上げた。甲高い泣き声をあげる赤ん坊だった。すぐに状況は把握した。炎が燃え移らないよう、ボートから投げたのだ。人間の集団、その中の年上の中年の男が「近づくな」と威嚇した。死ぬまで消えない弱火に包まれても、まだ生に執着がある瞳だった。
この子を、助けて。この子だけは。
懇願するようにいった。
ジェーナス「分かったわ」
赤ん坊を胸に抱いた。確かな命の鼓動が胸を通して聞こえる。初めて触れた人の初期携帯は儚くとも、確かに温かい。赤ん坊はひどく泣き始める。
ジェーナス「ごめんね、私の体は冷たいよね」
体温はあっても、この冬の時期、海水を浴び続けるこの身体は冷えている。
ジェーナス「すぐに温かい場所に連れてゆくから、少しだけ我慢してね」
あの妖精は人間を主なターゲットにする。兵装を放棄して投降しようか、という選択が頭をよぎった。これは下策だ。そもそも私が死ぬな、と命を受けている。しかし、この赤ん坊を抱えたまま戦うのも無理だ。旋回して陸を目指した。
陸地への距離をグングンと詰め、後方に控えるその艦隊構成が肉眼で捉えられた。気の知れた相手に通信を飛ばした。
ジェーナス「ねえジャヴィ、聞いて!」
ジャーヴィス《知ってるし、分かった!》
一つ返事で独断行動を始める。
ジャーヴィス《あたしと欧州水姫でがんばるから生き残りの子を陸地まで!》
ジャーヴィス《どうせ耐久値がゼロになったところで資材化して、それを溶鉱炉に放り投げて建造すれば復活するから気にしないでね! こんな死地、深海棲艦と戦っていた頃から、何度も立たされたし、気にせず後ろは振り向かず真っすぐ!》
すでにこの辺りが炎と鉄くずだらけにする導火線に点火されている。進路は広いほうへと位置取ってまだまだ粛々と進撃中だ。砲撃の衝撃で胸に抱いた赤ん坊が損傷するから滞空射撃はできず、無論、この身に砲撃を食らった時点でアウトだろう。
アークロイヤル《持ち場に戻れ》
ジェーナス・ジャーヴィス《イヤ!》
陣形を変えて動いた水雷戦隊の魚雷を通り抜け、射撃から庇うように身を丸めて赤ん坊を鉄くずから守る。砲撃の音が途切れ、熱い空気が灰を焼く。損傷という程でもない。胸に抱えた赤ん坊を確認する。まだ元気におぎゃあおぎゃあと泣いている。
視界に映る空を一瞬で炎が覆った。
飛行していた艦載機は一瞬で灰燼と帰し、海へ墜落する前に消滅している。
ジェーナス「あっち……!」
陸はもう見えている。ここまで来れば迂回してそのままあの砂浜まで辿りつけそうだ。
しかし、新たに発艦された艦載機が航行を邪魔する。あの妙な航空軌道とパイロットの熟練度と反応速度と対処の速さからして旗艦の独断行動か。この手の甘さは間違いない。
アークロイヤル「ジェーナス、戻れ」
アークロイヤル「――既に息絶えている」
ジェーナス「だからなによ! 死んだ命を救助しようとするのが珍しいの!?」
アークが眉を潜めた。守ろうとして、強く抱きしめ過ぎた。胸に抱えた赤ん坊はそういう損傷だった。人間はもともと柔く、弱い。産まれた時はもっと柔らかく、弱い。赤ん坊を届けることが請け負った任務だ、死んだら屁理屈となり下がるのだろうが、海に沈むよりは立てた墓で眠ったほうがまだ救いはあるはずだ。
ジェーナス「海には捨てない! そこをどいてよ!」
アークロイヤル「……ええ」
さすがに死を覚悟したが、艦載機は遠くの空へと飛んでゆく。アークはいった。「今回だけは命令違反を見逃す」らしくない余裕の甘ちゃん判断をした。連合艦隊総旗艦の判断としてはどうなのか。アークが慕われる理由を垣間見た気がする。
アークロイヤル「最期くらいはね」
その時、初めてアークの砕けた口調と、子供のわがままに困ったような顔をする表情を観た。
火の玉――具体的には火炎に包まれた解体用のサイズの鉄球が上半身を砕いた。即死損傷かはともかく、その炎は艤装を容赦なく溶かすほどの高温だ。
前も後ろもすでに火の海だ。この身にも炎がまとわりつく。炎のくせにねばねばとしている。熱を抱いた反射として、抱いた小さな命が手から落とし、海に落ちる。
引き上げようとしても、手は赤ん坊に届かない。
一瞬、意識が吹き飛んだ。首が待ったが、首の切断口から漏れ出る空色のスライムが、胴体と繋がっている。すぐに再生する。液体がゴムのように伸縮し、首が胴体まで戻り、すぐにひっつく。後方にはドラゴンが大口を開けて、炎弾を飛ばそうとしている。
強い風が吹いた。陸地の上に見える丘が弾けた。ドラゴンではない。だって、別の咆哮を向いているもの。頭にある情報を整理するに、クジラの化物の管理妖精だろう。ふざけた射程距離を誇るあの管理妖精のバフをかけた一撃は、国境を超えて届く破壊だ。
ジェーナス《ねえ、ジャヴィ……》
返事はない。姿も肉眼で捉えられない。すぐに意味は理解した。
仲間も救おうとした命も手放し、自分だけをもって陸地にあがる。足をつくと、顔から砂地に倒れ込む。
ジェーナス《なんで――》
普段、運がすこぶる悪い私が生き残っちゃったのは、やっぱり運が悪いから?
ジェーナス《……》
抗うことすらできないただの無機物のような存在だ。初めて人の形をして産まれてきた時から、深海棲艦との戦いの先にあった描いてきた明るい未来も、尽くしてきた祖国も、ただ成す術もなく力の前に蹂躙されるのみだ。
ジェーナス《だ、誰か――》
ジェーナス《助けてよお!》
そう泣きじゃくる私に容赦なく無情の慈悲は降ってくるものの、直接的な被弾は燃え上がる。炎の流星が数秒、降り注ぐと、燃えないはずの物質たちに着火し、景色にゆっくりと燃え広がってゆく。頭を抱えてうずくまる私に彼女の声が振ってくる。
欧州水姫「ジェーナスのほうか。お前、髪が水に濡れてストレートになると、ジャーヴィスと見分けがつかなくなるんだよな。ところで」
欧州水姫「立てよ。なんだよ、その弱者の恰好――」
身体が持ち上がる。鉄の小手の手も削げ落ちて、エンチャントの炎が体にまとわりついている。冷たく燃えた瞳が斜め上にある。
欧州水姫「今は撤退でもない。ここで敗けることこそ本当の敗北だから、屍が積み上げられてるんだろうが。怖じ気づいてそんな亀のような姿勢で最期を迎えるのか」
深海棲艦である彼女は相変わらずの絶望下でもその瞳に冷たい炎を灯らせている。彼女達は劣勢下でもいつもこうだ。沈むまで戦うのを止めない。撤退の二文字はない。そういう暴力の化身だ。ただ彼女の声音を聞くと、憎悪だけで戦っているようには思えない。
ジェーナス「だからなんだっていうのよ! 力が全てだなんて考えているあなた達になにも守れやしないわよ! 手も足も出ない今の状況、あなた達が全否定されているわ!」
欧州水姫「私の力が足りず弱いからだ。そもそも私達の問題なんて強さがあればすべて解決した問題のはずだ。生まれた方式で差別されて与えられた準人権も、強制された兵役も、深海棲艦を全て叩き潰すほどの力を誇示できれば解決できたはずだ」
なによ、その考えは。暴力なんて歴史を見ても遺恨を残すだけじゃない。確かに深海棲艦を滅ぼし切れたのなら、思い描く未来は近づいたのだろう。そういう意味では彼女のいっていることは一理ある。一度、完全に沈んだ深海棲艦ゆえの思いの底の言葉だ。
欧州水姫「ウォースもアークも力が最も必要だと分かっていながら余裕こいて徳だの品だの、手に入れてもいない未来の為に脇道に逸れた」
欧州水姫「それが私との別れ道だった」
欧州水姫「あいつらも今頃、海の底で思い知っているだろうよ。もう再建造もできない鉄屑のままで」
ジェーナス「止めてよ、その醜悪な姿で――」
ジェーナス「ネルソンさんみたいに私を叱らないで!」
欧州水姫「混合した私は今更、余は、とかいえねえけど、今この場でも管理妖精をぶっ潰せるほど強ければ、そんな思いが今のお前にもあるはずだろ。深海棲艦は――」
欧州水姫「お前らが諦めちまった夢の権化なんだよ。私達が間違っていて、お前らの道が正しかった。そうならそれが良い。死ぬまで認めないだろうが、白黒はっきりつけられたのなら私達も満足といえよう。尻軽になってまたそっち側に行くのかもな」
そこで胸倉を離され、
欧州水姫「うずくまってないで撤退しろ。そこから先は知らん」
いわれなくとも。前を見据えて海とは逆方向に駆けだした。すでに景色はエンチャントの炎があちこちに燃え広がっていて、時折、遠くの海からクジラが撃ったのであろう砲撃が景色を明け透けにしてゆく。人のいる場所に入ると、そこはもう阿鼻叫喚だ。
ジェーナス「良かった。まだ人がいた。あの、私をたす、」
そこで、私は気づいた。
人々が私を見る目が、痛いほど「助かるかもしれない」という希望に彩られていくことに、だ。赤ん坊を抱えた母親が、子の手を握り締めている父親が、友を励ます少年達のコミュニティが私を見る目は一筋の光に縋るような、そんな表情だった。
ああ、思い出した。正義の味方を求める私こそが、正義の味方だった。
ジェーナス「……」ジャヴィならここでなんというかしら。多分、泣かないわね。不意にそんなことを思った。「うん、うん……」頭の中で友達と会話を交わして何度も頷く。
最後に気合を入れて、弱虫を押し殺そうと、覚悟の言葉を紡ぐ。
ジェーナス「うん、私は」
溢れだす涙を隠しもせず、勇気と希望の号令を自身に下す。
ジェーナス「私は、ここで死のう!」
安全地帯などもはやなかった。民間人が生き残る手段は唯一つ、管理妖精をこの地から遠ざけることだろう。
ジェーナス「ここで、待っていてください!」
燃えた森林を走り抜け、空を飛ぶ標的の近くに移動する。
延命したところで希望も夢もないかもしれない。今までのことを考えれば、人間が激減している今のほうがない、と断言できる状態だ。考えるだけ、また絶望に苛まれるだけだろう、と無言で行動に移した。陸地では人の体のばねを使えば、主砲だって対空砲の角度で撃てる。内臓型の艤装を展開し、小口径の主砲を空に向かって構えた。
奇跡が、起きた。
気を引ければいい、と思って放った砲弾が、竜の管理妖精に当たった。損傷にすらならない豆鉄砲のような威力の一撃で、こちらを見たのだ。運が良い。まるでジャヴィが助けてくれているようだ。
竜は空からこちらを観て、旋回する。
避難民が集まっている場所へと羽ばたいた。こちらにはお構いなしで、人間を探しているのだろう。彼等にとっては私達を狙うという行為は羽虫を払う程度の所作に過ぎなかったのだ。羽虫にかまって獲物を逃がすほど、彼等は間抜けではなかった。
すぐに、走って避難所へ戻る。
目標を捕捉したのであろう竜が攻撃動作に移っていた時から、その光景は予想できてはいた。全てが炎に焼かれた阿鼻叫喚の地獄絵図、もはや手の施しようがない惨劇だった。
ジェーナス「どうか……!」
近くで倒れた人に歩み寄り、延焼の炎が燃え移ることにも気にかけず、その手を握る。壊さないように優しく、しかし温もりが伝わるように、強くその手を握り締める。
ジェーナス「どうか少しでも、安らかに逝けますように……!」
彼の手に力がこもらなくなった時、この身にも熱を感じた。消すことのできない炎に包まれてゆく。「う、ああ……熱いわ……息が、出来なくて、苦しいの」愛した祖国と、思い描いた未来ともども、塵芥と変わってゆく。
二度目の生は救いがあると思った。無機物時代を回顧し、同じ境遇の仲間がたくさんいて。深海棲艦と激闘を繰り広げながらも必死で蜘蛛の糸を手繰り寄せていた。
切れる以前の問題だった。どこにも繋がってなかった。
誰か助けて。