星になったタシュケントちゃんとデバフのジェノくん。   作:光蜥蜴

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☭ー2話

地獄の就寝だ。

「泣けば許されると思っているのか」

「申し訳ありません」謝る。泣きそうだ。

 

 春川のジイさんが激怒している理由は就寝の着替えを30分待たされたということのようだ。

 

「人が死にそうになっていたんです」ちょうどストレッチャーを運ぶ葬儀屋がフロアに入ってきた。隣の部屋の看取り期の老人が死んだのだ。だから後回しになった。それを説明しても、春川のジイさんは全く理解を示さない。

 

 今日に死んだお婆さんはジェノがここに就職して、新社会人としての苦悩に苛まれていたのを優しく励ましてくれた人だ。そんな人がついさっき死んだ。「同じ料金を払っているんだろうが」だが、このジイさんは人の話に耳を貸さない。

 

ジェノ「申し訳、ありません。以後、気をつけます」

 かすれた声を出して、ジェノは部屋を後にする。フロアに戻ろとすると「待て」と声をかけられたが、待たずに部屋を出た。まだ仕事が山積みだ。

 

 時刻は夜21時、フロアには杖を持ったバアさんが眠りから覚めて徘徊していた。この人を寝間着に着替えさせなければならない。トイレにも行かせておかなければ失禁して、寝かせておかなければ夜勤の仕事が増えてしまう。

 

ジェノ「もう夜ですよ。寝ましょう」

 

「私の家どこお」「そこですよ。お名前書いてありますよ。見に行きますか」部屋のネームプレートを突き付けると。「違うわ」と謎の返答、「ここですって」「違う」「合ってますって」「お前はええ。近づかんでええ。幽霊やし、嘘つき」

 謎にキレられた。時間喰われるパターンだ。

 

 ピンポンピンポン、さっきのジイさんがコールを連続している。規則上、行かなければならない。「ちょっとこっちに来ましょうか」バアさんにいうものの、テコでも動こうとしない。

 

 仕方ない。引き返してコール連打しているさっきの春川のジイさんの部屋へ。「お前、名前はなんだ」「寒河江です。おやすみなさい」

 

 フロアに戻ると、さっきのお婆さんが尻もちついていた。事故報告書の仕事が増える。立ってもらい、そのままなんとか部屋に誘導完了。

 

ジェノ「和子さん 、着替えましょう。ね?」

「イイイヤアアアアアア!」

 

 金切り声をあげられる。「彼女とやればええやろ!」誤解だ。力のない足で蹴られ、細い腕で殴られ、歯のない口で噛みつかれる。慣れたものだ。慣れてはいけないのだろうけども、職員に対しての暴力暴言セクハラなぞよくあることではある。

 認知の人との意思疎通は難しいのだ。

 

ジェノ「少し離れるか……」

 

 布団にもぐっているのを確認して、フロアに戻る。そそくさと事務仕事を五分間だけ行っていると、和子さんが出てきた。シルバーカーを引いてフロアの外に出ていこうとしている。ゆっくりと歩み寄って、正面に立ち、膝を曲げる。

 

ジェノ「もう夜中なので旦那さんは迎えに来ませんよ。明日の朝です」

 

「青い服と白い服、ばあと若い男や」

 ガラスに移るこの二人のことだろう。

 

ジェノ「長生きすると幽霊が見えるっていいますものね。ところで今日は平日の木曜日です。旦那さんは今、仕事場で鉄砲の弾を作っていますよ」

 

「兄さんが戦争に出てってから、戻ってこん」

 この人の兄さんは兵隊として満州に行って戦死したと聞いている。「今は満州にいますから。でも明日は手紙が届く日じゃなかったでしたっけ」「そうやったか。木曜だもんなあ」嘘八百ならぬ方便八百を駆使する。よし、部屋に戻ってくれた。

 

ジェノ「家族を愛しているんですもんね。明日の朝になれば迎えが来ます。寝坊したらあかんとですよ」布団をかぶして「おやすみなさい」

 

 落ち着いた頃にコールが鳴ったのでさっきのジイさんの部屋へと向かう。

 

 誕生日プレゼントとして送った花束が引きちぎられ、ゴミ箱に捨てられている。サービス残業までして作ったのにな。こういうのがもっとも精神的に来る。

 

 それを見つめていると、葬儀会社の人が開けっ放してある扉の向こうから「ご供養させていただきます」とあいさつをいってきた。もうなにも思わなくなってきていた。ひどい時は感情が凍結する。

 

「ねえお兄ちゃん、聞いてよ」

 

 自走式の車椅子に乗ったお婆さんの愚痴が始まる。要約すると、入れ歯を渡したはずなのに、なぜか紛失して、ベッドの隙間に落ちていたとのことだ。

 

「泥棒が入ったわ。私がそんなところに落とす訳ないでしょ」

 

「そうですね。きっと誰かが間違えたんですよ。次からは僕が直接、受け取りに行きますね」実はあなたが日中に入れ歯を持ってベッドに移るのは4回も目撃してるんだ。最近、認知が進行してる。なにかもっとしてあげられたのならいいんだけど。

 

「誰かあ!」

 今日は考える暇もないよ。

 

 部屋に直行。和子のばあさんが背中が痒いとのことで、暴れている。

ジェノ「薬を持ってきますので」と背中を撫でて落ち着ける。その後、隙を見てかゆみ止めを取りにゆく。「あ」とジェノは声を出した。今度は「痛いわ!」と叫び声をあげている。そりゃ暴れまくって自分の顔を殴れば痛いよな。少し腫れているが、とりあえずかゆみ止めを塗りながら、顔を確認した。皮めくれだ。

 

ジェノ「やっちゃった……」

 

 また今度、あの家族に謝罪しなければならない。前に虐待を疑われたことあるが、さすがに犯罪者扱いは心が堪える。

 

 フロアの薄型テレビではちょうど介護福祉士による入居者殺人の報道をやっていた。こういう理不尽が細かく重なっていき、やがて爆発するんじゃないだろうか、とジェノはなんとなく加害者の犯行動機を予想し、反面教師として学んでおくとした。

 

 コールを鳴らしているジイさんの部屋に向かう。

 

 ただただ疲れた状態で「なにか用ですか」と耳元でいった。

 

 なにも用はない、とジイさんがいったので、フロアに戻ろうとした時だ。

 

「しっかりやれ」

 ごつん、と杖で殴られた。ジイさんは、腰を入れないで杖を振り回したせいで、バランスを崩していた。ジェノは足と手を滑り込ませて、ジイさんの体を支える。

 

ジェノ「大丈夫ですか」

 そう声をかける。

 

 皺だらけの呆けたジイさんの顔としばし、見つめ合う。

「大丈夫か」オウム返しにされた。

 

ジェノ「大丈夫です」

 

 大丈夫ではない。あなたの暴力で痣が結構ある。このジイさんに殴られて貴重な先輩職員が一人辞めてたっけな。思い出した。瞼の上に裂傷、全治三週間だった。先輩は治療費は自分持ちなのが納得いかず、抗議した。上の結論は、危機管理が不十分なために起きたミスとして処理された。不満だったようだ。

 

 他の元軍人の老人は知らないけども、認知の人が強い過去の記憶で行動するのは珍しくない。鉄拳制裁も珍しくなかったのだろうし、上下関係が絶対の世界なのは、なんとなく分かる。それがこの春川のジイさんの世界のルールなのかもしれない。

 

「明日、お前はまた来るか」

ジェノ「来ますよ」

 と返事をして、ベッドに臥床してもらう。

 

ジェノ「敵はいないんだよね」

 生き方を呪文のように唱える。

 

 仕事が終わり、家路についた。

 施設が見えなくなった時、

「サファリパークみたいだった」

 そんな仕事に疲れた夜の日の叫び。

 

 もっとも、やりがいはある仕事だ。政府は自宅介護を勧めているが、仕事をしながら介護ではあの人達の面倒を見ることは難しいだろう。彼等が徘徊すれば、絶対に事件を起こす。それに、あの人達は悪くない。歳を取れば誰でもああいう風になっていくのだ。

 

 ――誰も悪くない。

 介護は好きでも、心身的に堪える仕事なのは確かだ。

 服の袖に便がついていた。今日はマジでクソだった。

 

 

2

 

 

亜斗「佐々木さん、次に胸を揉んだら飯抜くぞー」

「おう、老人虐待やってみい」がっはっは、と嫌味のない顔で豪快に笑う。

 

亜斗「ああもう。ジェノっち、人がいなさすぎて風呂入れられるの私しかいねえの」

 

ジェノ「僕が来るんだから午後に回せばよかったじゃん……あー、そういえば今日は午後からこの人は出かけるのね。明日は僕休みだし、回せないか」

 

亜斗「ジェノっちもよくばあさんに身体を触られているけど大丈夫?」

 

ジェノ「最近は察知して回避できるようになった。亜斗ちゃんも耐性あるよね。あれか。前の仕事は動物園の飼育員やってたんだよね。ゴリラとかに触られてたのか」

 

亜斗「ゴリラはおっぱい千切れるわ。じゃあ、飯食ってくるよ」

 

ジェノ「ありがとね」

 

亜斗「いいってこと。私、結婚したら介護辞めるからー」

 

 気遣いだろう。今の母の状況はすでに会社に報告してあるので、同僚にも伝わっている。あえて手のかかる利用者の世話をやってくれたのだ。ちなみに亜斗は毎年、結婚したら辞めるとかいっているけども、高望みが祟って白馬の王子様を見つけられない模様。

 

 気遣いも上手。その背の低さと童顔からして頬に赤ペンでぐるぐる巻きを描いて、ペロキャンを持たせるのが似合うほどに可愛らしい女性である。本人のコンプレックスらしい。

 

 今日はテレビの前にやけに人が集まっている。海外のアニメを放送していた。夢の国のやつだ。「フフフフー」と声真似してみると、婆ちゃんが「似てる」と笑う。適当にネットでそのキャラの画像探して数枚、プリントアウトし、色鉛筆とともに差し出した。

 

「あのー、寒河江さあん」

 

 去年の春に入った新卒の女の子だ。杖を突いてのろのろと歩いているばあさんの三歩ほど離れた後ろを歩いている。ばあさんの尖った唇を観れば分かる。なにか気に喰わないことでもあったのだろう。

 

「赤ちゃんがいないって部屋にお戻りになったんですが、いなくて。多分、午前中に面会にいらっしゃった娘さんが赤ん坊を連れていたので、帰ったことを忘れてるんだと思います」

 

「帰ったことを教えたのですけども、嘘をついているっていわれちゃいましてえ……」

 

ジェノ「なるほど、電話をかけるから。そっちの電話にね」耳元で声を出してみる。

 

「娘さんとお孫さんは帰ったそうですよ」といっても納得しないのだろう。なので夢島さんの持っている電話にかけた。「はい、繋がってます」

 

 耳元にピッチを寄せると、フロアの済みに移動した夢島さんが演技を始める。それでようやく納得したようだが、ふて腐れた顔のままだったので、よく会話している他の婆さんのもとへと連れていって会話してもらう。30分もすれば不穏も収まるだろう。

 

「寒・河・江えええ!」

 

 みんなテレビ観てるのに急に叫ぶな。

 

ジェノ「ちょっと待ってくださいよ。今、この人のトイレ手伝っているから手が離せないんですって。ああ佐々木さん、今は午後三時です。昼ごはんはそうですね、食べてないんですか。今、準備してくるから大人しく座ってて。ね?」車いす押しながら認知の対応。

 

「だってかまって欲しいんだもおおおん!」

 

「うるせえな。殺すぞクソババアが!」

 

ジェノ「春川のじっちゃん、殺すはダメ」

 

 春川のジイさんがキレだした。春川のジイさんは不穏になると暴力激しいから、一番ヤバいんだって。「大きな声出さなくてもいいでしょ、泰造ちゃん!」机の上のものを振り払う。まあ、新聞くらいしかないけども、踏んだら滑ってこけるので預かっておく。

 

「なんでその人の相手して私は無視するの!」

 クッションを投げ飛ばすな。

 

ジェノ「亜斗ちゃん早く帰ってきてくれないかな」

 

 正直、人に優しくできる余裕が日に日になくなってきている。いや、相手を人として認識できているだけ、まだ余裕はあるかもしれない。「あいつら人権持った動物だ。施設っていうのは檻だろ。俺らが相手してるのは猛獣より厄介な怪物だ」そう吐き捨て、去った人間を知っている。コントみたいな誤解の末に殺されかけて、正当防衛が認められず、刑務所に入った介護士を知ってる。

 

 人手不足な上、人の入れ替わりが目まぐるしい背景の裏にあるのは、恐らく認識の祖語だと思う。例えばお年寄りに寄りそう。それは綺麗な表現だ。理不尽な罵倒暴力セクハラは基本的にまず耐える。対策を練って、相手がそのような言動を取らないよう『コントロール』し、封殺するのだ。

 

 認知の進んだ家族を自宅介護している人はさぞ大変だろう。介護疲れで悲しい事件が起きるのも仕方ない、と思うこの頃だ。かといって施設に入れるのも金がかかる上、激務で安月給なので人は集まらず、リーマンみたいに給料あがっていかない。基本、年金暮らしの高齢者から金は取れないうえ、金持ちは施設に入らないことも多いからだ。

 

「ちょっと君」

 うわあ、と声が出そうになった。面倒な家族が面会に来ていた。

 

「うちの会のじいさんが腰に傷が出来ているんだが」

 

 春川のじいさんところに疑いの目を向けられている。昨日もテレビで介護士の老人虐待のニュースやっていたし、心配ごとなんだろう。むしろ僕が杖で後頭部をブン殴られて流血したんですけど、といい返したいが、堪えて、事務所の人に連絡を取って投げた。

 

 確認してみたが、ただのかき傷だ。寝ている時にかくだけ。

 

 日は暮れ、夜がやってくる。

 

 地獄の就寝時間に、惨劇は起きた。

 

 

3

 

 

「あのお、あのー、どうしよう!」

 と隣のユニットの夢島さんから連絡が来た。すすり泣きの声がする。事情を聞いたところ、婆さんが転んで頭を打って倒れたまま動かないらしい。現場に急行した。

 

 フロアのフローリングの上には赤い血が溜まりがある。

 声かけすると、意識はあるのか、返事があった。呂律もおかしくない。

 

 記憶からマニュアルを掘り起こして対応する。人を呼んで救急に連絡し、足を動かしながら看護師にも連絡した。やってきた救急隊員に個人情報を保険証を渡す。付き添いを頼まれたけど、断った。介護士が現場を離れると、また同じことが起きかねない。一日、自由にさせただけで誰かが死にかねない現場だ。

 

 後は病院に任せるのみ。

 

 こういう時、人がいればなあ、とジェノは思う。不穏になって手がつけられなくなった挙句、ああいうことが起きる。一人しかいない状況で同時に歩行不安定の人達が何人も歩き出した時、分身の術を使えれば、と本気で思う。夢島さんにこうなる前に誰かを呼べ、というのも今更酷だ。なぜそうしなかったか、とその後悔の涙の前でいえる訳がない。みんなクソ忙しいからな。真面目でお人好しの夢島さんが誰かに仕事を押し付けることを躊躇う気持ちも分かる。

 

 夢島さんは泣きながらいう。

 

「どうしよう。私、人を殺しちゃったかも……!」

 

 そして大事な仲間の心が潰れてゆく。

 

ジェノ「僕がもっと早く気付いてあげられたら良かった」

 

 慰める。こういう時、亜斗ちゃんがいればいいのだけども、と思う。亜斗ちゃん、一年目で蹴り飛ばしてきたジイさんに堪忍袋の緒が切れて放置した老人を転倒させて死なせちゃっている。ということで亜斗ちゃんに連絡を入れておいた。

 

 今日は仕事が休みなのもあって、施設でその子を慰める為に居残った。

 

亜斗「例の家族が来たぞ」

 

亜斗「なんか事務所の相談員、電話を取らないし、こんな時に限って使えねえ! ジェノっち、あの家族に気に入られていただろ。対応してくれないかな!」

 あいよ。

 

亜斗「それと夢ちゃん、川下のばあちゃんは無事だってさ。命に支障はないし、検査したらすぐ戻ってこられそうだって。額が切れただけみたい」

 そりゃ吉報だ。

 

 一階に降りて家族と会った。事情を説明するが、怒っている風だ。「何の為に預けているんだ」とか「ここの管理体制はどうなっているんだ」とかの声が飛んでくる。事細かに事情を説明した。春川のジイさんのところのように理解のない家族ではない。 

 ただ今この声を夢島さんが聞くと、心が潰れてしまうので、ここで止めなければ。

 

 30分の会話戦闘の後、ようやく収まった。民事訴訟とか絶対負けるし、このパターンは下手したら裁判で何千万の損害を食らう。施設長が来たので事情を説明し、パスした。

 

 夢島さんはまだ元気がなかったので、亜斗ちゃんに頼まれ、この事件の記録を代わりに残しておいた。

 

 よし、帰ろう。すでに起床の時間でフロア内は慌ただしい。

 

「寒河江さん、頼みがある。少し付き合ってくれ。あの人には話してある」と早番の人を指さした。「だから春川さん、寒河江っち仕事終わってるから」

 

ジェノ「いいよ。すぐ戻ってくるから」

 

 春川のじいさんの意を決したような表情は初めて見た。

 

 

4

 

 

 屋外の喫煙スペースに誘導して、座る。

 

春川「お前も一本、吸え」色々と問題があるのだが、この人に限っては施設から許可が下りている。この一件で手に負えなくなること、本人の強い希望があったこと、身元の支援会からもお願いされたこと、色々だ。

 

 朝日がのぼっていた。

 社会人や学生が行きかう正面の道路を眺める。

 

春川「俺、この世界の人間じゃねえんだよ」

 突拍子もない意味不明な話は聞き手に回って受け流すに限る。

 

春川「そんでよ、鉄片が生き物になった世界だった」

 

ジェノ「初耳です。その世界では鉄が生き物なんですね」

 

春川「船だよ船。人間の見た目でも、もとは軍の船だ。ずいぶん酷えことをした。俺の時はもう炉の解明が進んでいたんだけどよ、当時、その生物はな、ひでえ扱いだった」遠くを見るような眼で訳の分からない話を続ける。「人権を取り上げられたんだ」

 

ジェノ「人権って人の権利と書くやつですよね」

 

春川「軍艦だぞ軍艦。人権を認めたら生まれつき大量殺人者になっちまうから政治周りの謀略で面倒になるのが透けてた。都合が良い実験もやりやすかったからな」

 

 今日の春川のじいさん、ずいぶんと調子良さそうだな。これは少なくとも、本気で過去だと本人は思っているパターンだ。過去の強い記憶は知っておくと役立つので、完全に聞き手に回るとした。

 

春川「世界が滅びそうだった時によ、こっちに来たんだが」

 

春川「俺はいちかばちか研究途中の理論を完成させて、成功例を作った。それでよお、平和な世界を見て思ったんだわ。深海棲艦もあの娘どもも存在しない歴史のこの世界ならあいつらは幸せになれたんじゃねえのかなって」

 白煙を吐きながらいう。

 

ジェノ「へー」

 ただでさえ疲れている。もう億劫だ。

 

春川「複数の軍艦の鉄片を資材として投げ入れたら。深海棲艦を解体して得た資材を投げこんだら。人間や妖精を資材としたら。妖精や深海棲艦は改造できるのか」

 もうついていけなかった。春川のじいさんが心配になってきた。

 

春川「建造炉で兵士が生まれる過程でよ、基本値が設定されるんだわ。いじくりまわす技術を入手して人間を兵士に敗けないよう、強化した。バフとかデバフとかエンチャントとかヒールとか。人間が作戦以上の力を持ったから、大層、海軍人どもは喜んだ」

 

 急にFRPGの単語が出てきたが、その話に引き続き黙って耳を傾ける。

 

 例えばヒールなんかは入渠のシステムから創り上げたものだとか、バフはその建造炉の数値をいじくって身体と艤装能力をあげるとか、デバフは数値を下げるとか、エンチャントは炎上などの熱を利用した追加効果とか、聞けば聞くほど理解が遠のいてゆく。

 

春川「ひでえことをしやがるよ。深海棲艦が艤装とひっつく力を解明して、仲間の死肉を喰らわせ続けたり、生きたまま建造炉に放り込まれたり、絶対に勝てねえ戦いに何度も突撃させたり」また自嘲的な笑みだ。「生まれた時から彼女らはなぜか俺らを脅威から守るからよ、そこまで理不尽な目に遭って『なんでそもそも人間を守らなきゃいけないの』っていう不満も吹き出すわな。中には盲目的な子もいたが、決まって良い子らだったのも」

 

春川「残酷だった」

 

ジェノ「春川さんもひどいことしたんですかね」

 

春川「ああ。それが最期に幸福につながると見た。彼女が報われる為には『使える得物』になるしかなかった。全ての脅威をぶっ壊しちまうくらいに、だ。切れねえナイフは廃棄されるのがオチだろう。だから俺は研ぎ澄まし続けたよ」

 

春川「俺らの希望の星になるまで」

 

 短くなった煙草を受け取り、火を消した。なんだか眠くなってきた。ふわあ、とあくびをした時にいった。「寒河江さんは俺が見ている限り、見どころがある。俺も良い性格してねえからよ、職員の皆さんには良いように思われてねえだろ。分かるんだわ」

 

 言葉に困るな。事実ではある。調子に乗る人なので、そんなことないですよ、という気遣いが裏目に出たら誰も得をしない結果になってしまうかもしれない。

 

春川「寒河江、お前は俺がなにしてもよ、お前からはなんというか一度も敵意を感じたことねえんだよな。こういうのって心のありようの問題だからお前さんの才能だ」

 よく分からないが褒められたようなので、礼をいっておく。

 

ジェノ「昔のことが関係してるんですよ」

 結局、春川のじいさんがなにをいいたいか分からずしまいだ。

 

春川「だろうな。信念すら感じるぜ。なんか寒くなってきたな。戻るか」

ジェノ「ですね」

 顔をあげたと同時に、陰が覆いかぶさってくる。

 

 

「『寒いかな。今朝は雪が降るほど温かいのにさ』」

 

 

「懐かしい異国のジョークが聞こえる」春川のじいさんは手を叩いて笑う。

 

朝霜「っていうかね、あいつなら」

 

朝霜「一度目は船か。二度目は艦娘で、まさか暁の水平線の向こうに次があっただなんてマジで笑えねえよ。この三度目で最後にすんよ。死ぬか勝つかの二択だ」

 

春川「おう」珍しく笑った。

 

朝霜「久しぶりだねえ。幸せに歳を取ったみてえで世の中の不公平さを痛感するよ」

 

 おっと、しばらく放心してしまった。服装は短パンとTシャツと目だし帽とこれといった特徴はないのだが、冬であることを考えると変だし、やけにボロボロだ。白い色の髪が風で翻る、白髪の内側が紫だ。鮫のようなギザ歯も目を疑う。

 

「すげえ怒ってるな。心当たりが多すぎる」

 

朝霜「要件はただ一つだ」

 

春川「消す方法はねえ。この星と心中できるのなら話は別だが」

 

春川「隣の寒河江に渡せ。こいつとあの娘は相性が良いと思う」

 

春川「他の誰かが建造しちまう前に建造しちまえ。軍関係者は無論だが、権力者にも渡すな。絶対的な上下関係が生まれないこういう一般人でこそ、あいつの制御に向いてる」

 まるで話についていけない。

 

朝霜「ぶっちゃけ宇宙にぽいっとしちまうのが良い気もするんだが」

 

朝霜「このガキに渡せば管理妖精を倒せるんだな」

 

朝霜「今までの手前の罪を全て赦す。だから、正直に答えてくれ」

 

朝霜「もうあたい、疲れた」

 そういった少女の顔は笑っている。

 

春川「全て俺の嘘偽りのねえ考えだ。今更、欺くかよ」

 

 白髪の娘は眉間に皺を寄せ、腕を組んだ。しばらくして、バッグの中から鉱物を取り出した。手の平サイズの金属の光沢を放つ物質だ。今日の空模様と同じ色をしている。「受け取れ」と投げられる。「ふぐっ」腹に直撃した。うずくまる。

 

春川「寒河江さん、お前を男と頼んで頼みがある」

「なんなんですか」

春川「こいつは昔の俺の馴染みだ。今日一日だけ一緒にいてやってくれねえか」

 

 春川のじいさんは身よりがなく、後援会が身元引受人になっている。昔の馴染みというのは少女の背丈的に真っ赤な嘘だろうが、今のらしくない感じが気にかかる。

 

春川「礼に亜斗ちゃんにセクハラする佐々木をシメといてやるからよ」

 止めて。それこっちの責任問題に発展するから。

 

朝霜「こいつで本当にいいのかよ。なんかなよなよしてるぞ」

 

春雨「俺のほうがいいのか。この老いぼれになにができる」

 

朝霜「ま、初めての司令の最後の命令だと思うかね」

 少女は苦笑いだ。その笑顔からは確かに春川のじいさんとの近い距離を感じさせる。

 

朝霜「あたいもコイツんところに着任しようかね」

 

春川「軍人どころか関係者でもねえ。ただの一般人だ。そこにお前らが生まれた瞬間から持っていた絶対的な上下関係も、人間を守る役割もなにもなく、対等だ」

 

 そこで亜斗ちゃんがやってきて、「飯食いに戻りますよっと」と春川のジイさんの車いすを引いていく。「ちっす。ジェノ君の知り合い……?」そこで転んだ少女を助けて少ししゃべっていたとフォローしておいた。朝霜という女の子は「おう」と合わせた。

 

朝霜「積もるほど話があるな。あたいらも飯食いに行こうぜ」

 妙な展開になっちゃったな。

 

 せっかくの休みまで入居者のお願いで潰されてしまうが、春川のじいさんの過去の情報は仕事に大いに役立つので、ジェノは軽い気持ちで彼女に付き合うとした。

 

 

5

 

 

朝霜「介護士君か。へへ、あのジジイの世話は大変だろ」

 

ジェノ「難しい気質の人ではあると思う」

 

 ファストフード店に行っても、意外と周りの視線は奇天烈な容姿をしている彼女に向けられていなかった。白髪の内側は紫ががっていてギザ歯で片目隠しの子がいたらガン見してしまうと思うのだが、個性に富んだ今なら意外とこんなものなのかも。

 

朝霜「良い世界だよ。深海棲艦も妖精も好戦的じゃねえ。食いもんはたくさんあるし」

 ちょくちょく出てくる単語は春川のジイさんから聞くものと同じだ。ハンバーガーに「うまい」と笑顔でかじりつく彼女を観ていると、子供特有の純粋さを感じてちょっと頭を撫でたくなってくる。そんな愛らしさがあった。

 

ジェノ「君もあの艦の娘さんとか深海棲艦とか意味不明な話をよく聞いていたの」

 

朝霜「本当の話だ。異世界から来たっつっても信じねえよな」

 冗談でいっているようには見えない。ヤバいやつなのか、と警戒心が強まる。

 

朝霜「その片鱗だけ披露しておくか。順を追うことは大事だよな」

 少女は右肘をテーブルに乗せた、腕相撲の要求だろうか。

 

朝霜「ジェノって呼ぶな。ジェノは両手で良い」

 

 同じく右手をセットして腕相撲の体制だ。朝霜の掌は期待を裏切らず、柔く小さい少女の手だ。「よーいドン、全力で来いよ」といっても小学生高学年かいいところ中学生の娘相手には躊躇われる。じょじょに力を入れていくとした。

 

朝霜「力は思ったよりあんだな。両手でやってみ」

 

ジェノ「マジか。びくともしない」

 両手で対抗してみるが、一ミリも動かない。

 大きな岩を動かそうとしているかのようだ。右手の甲がテーブルにつく。全力でやって敗けた。

 

 しばらく放心していると、朝霜は十円玉を指で包んだ後、「このくらい海防艦でもできるけどさ、『あり得ない』を一つ受け入れられたか」ピンチ力だけで硬貨が折り曲がっている。

 

朝霜「ところであたいの朝霜って名前、初めて聞いたかよ。今朝と霜焼けの霜だ」

 

ジェノ「ま、まあ、初めて聞いたけど……」

 

朝霜「一度目のあたいは存在しているはずだけども、知らねえのはいいことだ。戦争で名を挙げたもんの名前なんざ平和な今の時代にゃ不必要だが、スマホで検索してみ」

 検索してみると、軍艦の名前で朝霜がヒットした。

 

朝霜「今の時代じゃ擬人化で伝わっかなー……」

 

朝霜「二度目は別の世界で今のこの姿だ。艦娘っていってな、艤装っていう装備を使って海で深海棲艦っていう化けもんから人間を守ってた。第三勢力が現れてそいつらに敗けちまったんだ。だから、今が三度目だ」

 

ジェノ「さすがに信じるのは無理だよ」

 

 馬鹿げた力を見た今では、全く信憑性がない訳ではない。

 

 しかし、だとしたら春川のじいさんがいっていたことがただの妄言ではなくなる。

 

朝霜「落ち着いてるな」

 多分、疲れてるだけ。

 

朝霜「あたしは初期官向きじゃねえんだけどなあ。お前が渡したその鉄片を炎で一定時間、炙ればあたいと同種が生まれる」頭をぼりぼりとかいた。かったるいといわんばかりの仕草だ。「んで、その鉄片を一定以上の深度のある海に沈むと、変質して深海棲艦っつう怪物になる。そいつらとあたいは戦っていたのが二度目の生だった」

 

 その話は聞けば聞くほど春川のじいさんと共通点が見つかってゆく。

ジェノ「春川のじいさんいわく、なんか妖精がどうのこうのと」

朝霜「管理妖精」

 ガチン、とギザ歯を噛み合わせる。

朝霜「とりあえず艦娘と深海棲艦の話から」

 

朝霜「艦娘から深海棲艦、深海棲艦から艦娘に変質を繰り返し、無限製造される上、生まれた時から知能は低くても15歳以上な上、心っつうもんがある」

 

朝霜「生まれた時から前世の動機だけで命令に従ってりゃ不満もたまるんだ。人間の暮らし、隣の芝生が青い効果も相まって」

 

朝霜「人間は知能の牙を持つ獣だ。それで戦う為にはあたいらと違って十数年の時がかかる。あたいと深海棲艦が戦うにつれて最も致命的被害を受けていったのは人間だった」

 

朝霜「あの戦いはどちらが勝っても、人間はかなり減っていたはずだ。それが管理妖精が用意したシナリオだったんだと思う。司令……春川のジジイが建造炉を究明しちまうまではな。あたい達は資材から生まれてから人の能力を得ているみたいでさ」

 

朝霜「人間に適応する。そこを利用して逆に、あたいらの力を人間に適応させることが可能だという理論を構築した」

 

朝霜「あたいらはゲームのキャラみてえに性能が一定だった。あたいは朝霜でステイタスは決まってる。練度、レベルアップの成長もな。だけど」

 

朝霜「後天的にあたいらの戦闘能力に変動を起こす力を技術化した」

 

朝霜「『効果紋』っていう。バフとかデバフとかヒールとかいえば分かりやすいだろ。もともと似たような力をあたいらはシステムとして持っていた。例えば夜戦だと火力が高くなったり、入渠は回復効果みてえなもんだし」

 

ジェノ「戦況が激変してめでたしめでたし、じゃないんだよね」

 

朝霜「効果紋持った奴が深海棲艦と手を組んで厄介事持ち込んだこともあったけど、あたいら達は効果紋の性能のおかげで一年の見通しで決着がつくと見込まれていた。バフかけられりゃ突出した性能がないあたいでも姫や鬼の装甲をブチ抜けた程だし」

 

朝霜「もともと溶鉱炉は妖精が管理していた。あいつらは炉の力を熟知していたんだ。その領域に人間が踏み入ったことであいつらの癇に障るなにかがあったんだろうよ。人間にケンカ売ってきた。あたいらも完全に解明し切れていない炉の力をフル活用だ」

 

朝霜「その力はあたいらの世界でもファンタジーだ。どうして火が海で延々と燃え広がるのか、何トンもある体重のくせにあの翼で空を飛べるのか、全く分からない」

 

朝霜「ああ、こりゃ終末期の話だ」

 

朝霜「あたいは途中で殺されて復活しなかったけど、人間が滅んだみてえだぜ」

 へえ、そうなんですか。

 

 彼女は本気でいっているようだけれども、仕事柄、理解不能の話をかわすクセがついている。彼女に対して認知の人と同じ対応を始めてしまいそうだが、意味不明な話を始めるじいさんばあさんも本気で語っていることは分かるので、その姿勢で聞いておく。

 

朝霜「炉がヤバい代物なのはちょっとくらい分かったか?」

ジェノ「人間を滅ぼすことくらいヤバい代物だってことは」

 

 そのレベルの兵器を放置していたなんて人間にしては間抜けすぎないか。

 

 異世界人の知能が低いのか、止むを得なかったのか知らない。

 あくびを噛み殺した。忙しかったせいか、段々と眠気が瞼を重くしていく。

 

朝霜「起きろ、ここからが重要だ」

 紙コップの水をぶっかけられた。服の袖で拭う。

 

朝霜「終末期、なりふり構っていられなくなった時、春川のジジイは一つの実験をした。姉妹艦が建造されていない艦娘を使って管理妖精に対抗する兵士を造った」

 

朝霜「艦娘は炉で建造されるだろ。その炉自体を丸ごと兵装化しちまおう」

 

ジェノ「人間なら生まれた子供が母親を内蔵しちまおうっていうくらい不可解」

 

朝霜「炉自体は人間じゃねえし、ただの無機物だけどな。艤装っつう兵装に取り込むことができたんだよ。慎重に行っても、かなり突貫な面が発生、おまけに建造時間が数か月単位だ。平行していくつか仮想実験を行ったが、四名中、成功といえたのは一名だけだ」

 

朝霜「炉の力を利用し、金属の形状を自由に作り変えることができた。対管理妖精の化物だ。建造された時点ではあたいらの希望の星だったよ。そいつの双肩に人類の命運は委ねられたんだから」

 

朝霜「タシュケント」

 

朝霜「それがその空色の鉄片に眠る兵士の名前だ」

 

ジェノ「ロシアの船?」

朝霜「ソ連だけど、知ってんのか?」

 

ジェノ「君が今朝は雪が降るほど温かったってアイツならいうだろうなっていったろ。それはロシアジョークだから、そうなのかなって思った」スマホで検索したら、ソ連時代の艦船と都市名がヒットした、けっこう戦時に活躍した軍艦なようだった。

 

朝霜「青年にゃやっぱりこういう話のほうが面白いかな」

 

朝霜「茶髪の二つ結びに琥珀色の瞳をしている。容姿でいえば超がつくほど可愛いと思うし、スタイルもいいよ。加えて笑顔が素敵な奴だ。性格は……」

 

ジェノ「なぜ言い淀むんだ。そこが一番大事でしょ」

 

朝霜「ま、いつも明るく笑っていて感情表現がストレートだったかな。けっこう無頓着で明け透けなところもあるから異性間の壁もあんまり作ってはいなかったかなあ。ただちょっと共産的な思想の持ち主だったけど長所でもあったな。みんなに分け与えてくれる」

 

朝霜「性格は欠点が思い浮かばねえほど」

 可愛くてスタイル良くて非の打ちところがないほど性格も良い。ファンタジーか。

 

 彼女はタシュケントという子と深く観ていなかったのかもしれない。誰しも長所と欠点があるはずなのだ。軍艦ならけっこう数がいるはずだし、艦娘もそうなのなら関わりの薄い仲間がいても無理のないことなのかもしれない。

 

ジェノ「君は生き物が好きなの。バッグから図鑑が見えるけど」

 

朝霜「まあ。種は問わずに。妖精は小人で羽が生えた可愛いで固定されていたけど、東洋じゃ怪物とか妖怪も該当するんだな、とか。なら管理妖精どものあんな風に怪物化したのもなんか納得したかも、とか、あたいなんて人間よりゴーレムのほうが近いな、とか」

ジェノ「もとが資材ならそうかもね。質問が一つある」

 

朝霜「有能かよ。一つで済むとか」

 

ジェノ「僕が君になにをしてあげられるんだ」

 

 そういうと、朝霜はぽかんとした顔になって、その後、苦笑した。

 

朝霜「管理妖精は艦娘および深海棲艦を廃棄処分しようとしてっからな。中には管理妖精に牙向いて殺処分されるやつも出てくるだろうが、動機は様々だろ。かたき討ちもあるかもな。ただ管理妖精をぶっ潰す目的は同じのはずだ」

 

朝霜「船の部分を消し去る『人間改装設計図』がドロップするから」

 

朝霜「タシュケントを建造して効果紋を宿し、管理妖精をぶっ潰すの手伝ってくれ。あたいが鉄片化して建造過程で効果紋も宿すことは可能だけども、あたい経由じゃ大した効果紋は得られねえと思う。あたいは兵士としてもそう強いほうじゃねえし」

 

 あのバカげた力で強いほうじゃないのか。人間改装設計図、というのも名前からして意味は伝わる。一度目は大戦時の船で戦い、二度目は艦娘として完敗を喫し、三度目の戦いである今回の最終章でエンドロールを流したいのは伝わる。

 

ジェノ「僕はケンカもしたことないし、見ての通り軟弱な男だ」

 

朝霜「あたいはメリットの話をしてねえけど?」

 

ジェノ「春川のじいさんへの打算だよ。怒ると手がつけられなくなることもある。精神病棟行きの話も出てるんだ。そうなると更新時期に施設退去になるかもしれないけど、僕としては嫌なんだよ。借りを作っておくことであのじいさんが大人しく施設で過ごしてくれるのなら仕事がはかどる」

 

 残りを口の中に押し込んで咀嚼した。

 レジで店員と柄の悪い男が揉めている。飲食店なら理不尽で暴力的な客は出禁にしてしまえばいいものの、介護は上が入所させたら世話をしなければならない。あの理不尽な男にクレームをつけさせない対応がケアとなる。

 

 大事になる前にコントロールしなければならない。

 

 

6

 

 

 自宅の平屋で大晦日を過ごして、紙切れを眺める。風水的な方角で保管している年末ジャンボの宝くじだ、大晦日は二千万分の一を夢見て庶民の夢が溢れる日である。

 

 せっかくの年末なので、大掃除でもしておくとした。要らないモノをかき集め、縁側から表へ出る。

 

 庭先の焼却炉に空色の鉄片と少量の紙を放り込んだ。

 

朝霜「いや、お前さ、モノを燃やすついでに建造って」

 

ジェノ「ダメなの?」

 

朝霜「構わねえけど、トラウマもんだから覗かねえほうがいいよ」

 冬の寒空に凍えて、燃える炎のそばで暖を取る。

 

ジェノ「つっかれたなあ」とため息をつく。

 

 今年で23歳になったか。未来のことを考える。何十年も先まで働くのは億劫だな。毎年そう思う。意味もなくスマホを眺めていたら《ちょっと早いけど、あけましておめでとうございます》そんな通知がスマホに来た。気立て良く社交性もあり、可愛らしい子だ。

朝霜「誰?」横から画面をのぞき込んできた。

 

ジェノ「彼女……いや、もう友達みたいなもんか」

 

朝霜「大晦日だけど、会わないのか?」

 

ジェノ「東京にいるからね」

 あけましてめでとう。僕もなんとか生きてるよ。と返しておいた。

 

 子供の頃、お昼の短いドラマに出ていた子役の子で、女優の夢を追うといって都会に出て行った。そんな彼女は今やけっこう有名な女優で邦画のドラマにも出演するくらいだ。

 

 いつの間にか有名人と付き合っていることになったけども、意外と大変だ。

 

 パパラッチの記事を見た時は仕事が手に就かなかった。今はもう時間の問題だな、とも考えている。お互い、別れの話を切り出さないだけで、なあなあ、の関係だ。メディアの中で輝きを増し、段々と遠く、今では手の届かないあの空の星のよう。

 

ジェノ「もう冷めた遠距離恋愛も、年末の機に分別しておくかな」

 

 そのほうが彼女の為になるんじゃないか、と素直に思った。なので思い切って、ただのファンに戻る、とそう連絡すると、「分かった!」と返事が来た。僕なりに真剣に考えたんだ、と送っても、それきり返信はなしだ。こんな関係が延々と続いている。

 

 強い言葉で伝えても、友達関係に戻り、いつもと変わらないこういった会話が繰り広げ、お互いがお互いをキープしているような状態が続くのだ。好きではないけど、嫌いでもない。それが別れる理由にはならない。なにか一つ決定打に欠けるのだろう。上手く行っているのとは違う。

 

朝霜「なんだよ泉山。またあたいにケンカを売りにきたのか」

 その朝霜のドスの利いた声で空を見上げるのをやめる。

 

 門から一人の男が不法侵入してきている。見たことのない顔だ。中肉中背、身体のどの造形にも個性を感じず、特徴がないのが特徴のような男だった。

 

泉山「やっと見つけました。あなたとの話を伝えたら、相棒にこっぴどく叱られたんですよ。タシュケントは絶対に建造させてはならない、と。眉唾ものの戦闘力を語られました」男は苦笑いを浮かべ、「まだ信じられません。繁殖に成功したのは虫ですし、数が多いのは細菌で、全生物において最も生殺与奪の権利を獲得したのが人間。一世代の単一個体なんてたかが知れてますって」

 口を開くと外見に反して個性的だ。

 

泉山「建造中、ですか。その一般人にしか見えない青年を建造主に?」

 

朝霜「ああ。あいつなら戦力になるよ。あの頃の性格のままなら……」

 

 二人の視線が焼却炉に向けられた。

 つられてジェノも目を向ける。

 

 

 焼却炉の中で、琥珀色の瞳と目が合った。

 

 轟々と燃え盛る炎の様子を伺う。

 

 資材がドロドロと融解し、なにか形を作っていた。思わず目をぱちくりする。炎の中で燃える琥珀色の瞳が、こちらをじいっと見つめていた。揺らめく炎の幻想ではない。その瞳から感じるのは背筋を撫でていく極寒の怖気だ。

 

ジェノ「人が中にいる!」

 

 パニックを起こしたジェノが取った行動は、春川のジイさんが転倒しかけた時と同じだった。無意識に助けようとした。伸ばした手をガシっとつかまれ、左手に鋭い熱が走る。反射的に手を振り払い、引っこ抜いた。

 

 チリチリとした火花と、

「――誰かな」

 氷を思わせるような冷えた声とともに、

 

「三度目の開戦にあたしを呼びやがったのは」

 

 空色の少女が、炉から現れた。

 

 

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