星になったタシュケントちゃんとデバフのジェノくん。 作:光蜥蜴
タシュケント「ようやく星になったはずだったのに!」
その場にうずくまり、頭を抱える。
タシュケント「終わりを迎えたはずなのに!」
疑問が多すぎて、逆に言葉に詰まる。焼却炉に人がいたのか。いや、そんな馬鹿な。彼女は火傷しているようには見えない。本当に建造とかいう行程で人が産まれた。
タシュケント「三度目の開戦……!」
両手で顔を覆う。
朝霜「タシュケント!」
朝霜の声をかき消すように、鼓膜を切り裂くような爆音が鳴る。
ジェノ「あ、このうるさいバイクの音は……」
大晦日の今日に暴走族が暴走しているようだ。このバイパスを通り抜けていくのだろう。時計を確認する。ちょうど日付変更時の午前零時だ。改造された暴走車のマフラー音が近づいてくる。
タシュケント「うるさいなあ……」
彼女は柵を軽い動作で跳躍し、向こうの鋼業社の敷地へと入った。キイが入ったままの二トントラックの運転席へと乗り込んだ。
トラックが加速していく。
運転席には可愛い顔達をしている彼女がいた。改めてみると、中性的で性別の判断に迷ったが、長い茶髪からして女性のようだ。歳の頃は十代にしか見えない。
今のこの状況、疑問しか湧かないが、なにより印象的なのは、
――あっはっは!
満天の星空を見つめながら、一点の曇りもない満面の笑みを浮かべていることだ。少女はハンドルを切らずに目前の公道に頭から突っ込んでいく。誰かが制止の声を出したが、車は止まらない。暴走族はすぐそこまで来ている。
「止まれ!」暴走族かな。そんな大声が聞こえた次の瞬間だ。
トラックの車体に高速で突っ込んだバイクの車体と人間の体が、立て続けに宙を舞った。喧騒が静寂に包まれ、対向車線を走り抜けてゆく車の音と、後続車の急ブレーキの音が聞こえる。
空色の少女は運転席から降りてきた。まだ浮かべている笑顔にもはや狂気しか感じない。暴走族の青年の一人が起き上がろうとしていた。さすが元気がありあまっているだけあって丈夫。
タシュケント「つくづく思うよ」
ブーツの靴底でその少年の頭を足蹴にした。現場は騒然だ。スリップしたのは四車だが、一人が重傷なのか、ぐったりとしている。周りの仲間がスマホで警察と救急車を呼んでいた。
タシュケント「こんな連中を守る為に生を賭したの……か」
身体を丸めて少年たちは、背中を丸め、瞳孔が開き、飛び出した黒い目玉といい、陸に転がったエビのようだ。なんだろう、心底、意味が分からない時って、頭も体も思うように動かないものなんだな。今の自分も目を見開いて、立ちながら呆然としている。
タシュケント「粛清に例外なし」
頭蓋骨が砕ける音を始めて聞いた。頭を踏んでいるブーツの底が地面についた。
タシュケント「世のため、平等に殺す。君達みたいな犯罪者が清廉潔白に生きる者より幸福になることは許されない、というより、癪なんだよ」
サイレンの音がする。パトカーがやってくるのだ、と思うと安堵で思考が回るようになる。
民家から頭一つ抜けた警察署に視線を移した。いつもは煩わしいだけのサイレンの騒音も今や救いの音色だ。理想的な流れはこれ以上の被害を受けず、この少女が警官に捕まること。
タシュケント「無駄にこの身体は性能がいいや」
タシュケント「遠くから世界で一番反吐が出る愛の歌が聴こえる」
タシュケント「あなたがいたから」
タシュケント「あなたのおかげで」
タシュケント「あなたがいなければ」
タシュケント「なんて自虐風自慢の歌だ」
そんなつぶやきの後、「こっちにはあなたなんかいた試しもないんだよ、独りで苦しみながら生き抜いたあたしのほうが……」
タシュケント「裁き」
少女のまくれた服の袖から、水色のスライムのようなものがグジュグジュと蠢いて、奇妙な形を創った。長方形の箱に細長い銃身のようななにかがついたモノだ。次の瞬間には轟音、その小さな砲塔のような筒からは煙があがっている。
遠くにある警察署、国家権力の建物が吹き飛んだ。
2
驚いたのは、彼女が下した自称裁きの破壊が完全に修復されたことだった。
まるで何事もなかったかのように、暴走族は行動を駆け抜けていき、パトカーの音がその騒音を追いかける。遠くの瓦礫の山となった警察署は健在している。夢か現かの判断ができない。
朝霜「この世界で世話になってるよそ者の身だぞ。建造そうそうなにしてくれてんだ」
朝霜「手前なら原理を知っているはずだろ。この力の根源は」
タシュケント「星の命だろ。誰よりも手品の種は把握してる」
タシュケント「星の寿命と引き換えの現実の書き換え能力、そんなことより」
タシュケント「あたしの建造主はどっちの彼だっけ?」
あの惨劇を見せつけられた後に名乗り出る勇気はない。
彼女の視線が向いたのは泉山という男のほうだ。
タシュケント「無関係な人には書き換え作動だし、死んだほうが当たりか」
朝霜「させるか!」
不意打ちで襲った朝霜の拳をなんなく止めたぞ。
タシュケント「効果紋がある程度で」
続いて泉山が左のジャブを放つ。
泉山「あ……」
タシュケントの全身が流れるような動作を始める。一撃、二撃、ボクシングの攻撃動作と比べると、直線的な動きがほとんどない。タシュケントの拳がピンボールのように自然に跳ね、攻撃している。ハイキックが朝霜の側頭部に直撃だ。あれ、システマじゃないのか。
タシュケント「うん? 虹色の効果紋?」
泉山の右腕がゴリラのように毛深く、太くなった。タシュケントの首をつかむと、今度はワニのような頭で豪快に噛みついた。その歯が彼女の首に食い込んだ時、ジェノは目を覆い隠した。
泉山「なんとか」
その声が聞こえた時、恐る恐る両手をどける。
胴体から噛み千切られた彼女の首が地面の上にある。
ふう、と泉山と朝霜は胸を撫で下ろしている。
この二人もなんなんだよ。今の一連の騒動、地面の上でさらされている生首を見て、安堵できる要素がジェノには全くなかった。目を白黒させるだけの光景の連続でも朝霜と泉山という男に取り乱した様子はない。
タシュケント「なんか君、殺し方が豪快な割に手慣れているね」
生首の彼女が微笑んだ。
泉山の次は速く、大きな一歩で跳躍し、なにかの動物の足で生首を踏みつける。その後すぐにガキン、と金属音がした。彼女の胴体が起き上がり、右腕からすうっと空色の金属の刃が伸びていた。その刃を阻んでいるのは、鉄の塊の化物だ。
攻撃を仕掛けた彼女は、溶鉱炉の中の時と同じく、首が再び形成されてゆく。完全に頭部を取り戻した彼女は「深海日棲姫の艤装か」その鉄の塊に備わる砲塔のほうをじいっと見ながら、右腕を空に向かってすうっと伸ばす。
泉山「あなた、本当に艦娘ですか?」
タシュケント「君、昔は猿だったって本当かい?」
泉山「私に限り、違うと思いますよ」
泉山の放った蹴りが、タシュケントの細い首に直撃した。血しぶきが舞い、大きな骨が折れる鈍い音が確かにこの耳まで届いた。タシュケントの体は、水面を跳ねる平石のように地面の上を転がって、石垣の壁に衝突する。今までの威力とは桁が違う暴力だった。
泉山「怪物ですね……」
忌々しそうに舌打ちをかます。
この人に怪物とかいわれちゃうとかよっぽどだけども、実際あのタシュケントの異常性は一目瞭然だった。文字通り、頭部は首の皮一枚でつながっている。首から血を噴きだして、脛骨が直にこんにちわしているが、声を発し、笑う。
ジェノ「水色。赤、そして黒?」
タシュケントの身体から流れる赤い血とは別に、空色の液体と、その赤と空色が濃厚に混ざり合い、夜空のような黒色になっている。それらの液体が混ざり合い、タシュケントの肉を接合していく。朝霜が「いつ見ても頭おかしいよな。入渠とか高速修復材の回復効果の域を出てるよ」項垂れてそういった。
ジェノ「僕は腰が抜けているんだけど、君は加勢しないのか」
朝霜「裏切り認定されたらと思うと、怖えよ……」
泉山はタシュケントに向かって、門数の異なる主砲塔を一斉掃射した。土埃と粉と化したコンクリが突風によって霧のように舞う。
泉山「死んでない、と」
空色のスライムがタシュケントの右腕にグジュグジュと蠢いている。弓、ナイフ、鎌、様々な武器に形態を変化させ、固形化している。狩りに使いそうな得物ばかりだ。
気になるのは、先ほどから空に向かって突き出した左手から空色の鉄の支柱がすうっと如意棒のように夜空に向かって伸びていることだ。意味もなくあんな真似をしているとは思えない。
泉山「実質、砲撃が効かないのですか……」
タシュケント「砲撃ってさっきの豆鉄砲のことか」
彼女が右腕をトリガーのように引いた。
タシュケント「孤独に研ぎ澄ました星の砲撃を見せてあげよう!」
あ、と思わず声が漏れた。
あれは少なくとも一万センチはある。
夜空を割ったのは巨大な鉱物の塊だ。対処不可レベルな突然さを考慮すると、砲撃ではない。
星が降り注ぐ災害――――隕石。
あまりのスケールに声も出なくなった。彼女は「星になれ」といって笑う。
やらない、といえるか? いえない。
彼女は本当にこの世界を破壊するつもりだ。
朝霜「溶鉱炉内臓後期型成功作と戦って勝てるわけねえとは知ってたし、殺されても鉄片になるだけで死にはしねえから。その鉄片が木っ端みじんになったら死ぬけどさ」
ジェノ「殺されても死なないことが傷ついて良い理由にはならないと思う」
ジェノ「僕はまだ死にたくないし、あきらめたくはないよ」
朝霜「ならタシュケントを介護してやってくれ」
ジェノ「ねえ! なんでもするから助けてくれ!」
タシュケント「イヤ」
声かけ失敗。
ジェノ「あ、これ……」
左手の甲に文字が浮かびかけている。あの泉山という男のような力、朝霜との会話を思い出すと、効果紋というやつなのだろうか。
どうしたら使えるんだ?
そう頭を悩ましたところで、頭の中で弾けるような衝撃が生まれる。一瞬、視界がブラックアウトする。左手に生ぬるい熱を感じる。ぽたぽたと鼻血が垂れていた。「分かる」とジェノはぼそっと呟く。未知の知識がインストールされたかのようだった。
空から文明即死級の範囲攻撃が降ってきている。
タシュケントの体に黒いエフェクトがかかる。
タシュケント「――へ?」
素で驚いた彼女の顔は造形通りに可愛げがある。
空の災害が雲散霧消し、
朝霜「いたっ」
こつっと彼女の頭上に空色の小石が落ちた。
*
「御覧の通り、本物を資材に混ざると建造結果を狙い撃ちが出来ますよ」
「溶鉱炉。ここから艦娘も深海棲艦も制御できる。艦娘は資材を溶鉱炉に放り投げて建造するでしょう。艦娘はドロドロの状態ですでに生命としての存在は成立している。人間の形をしているのは、すでに『改造』されているから、というのが真実です」
喋り相手のお偉いさんの位はよく知らない。
この説明は初見の相手には必ず行う。要は、人間じゃないんですよ、との念押しだ。
人の形をしていることなので非人道的だという輩がいまだ数多く存在する。一時期の政権が人権を付与したが、燦々たる結果といってもいい。こいつらが前世で与えた苦痛だの歴史だのといって他国からの外交圧迫が続き、しまいには、解体しろ、などというのは海で戦っている最中では妄言もいいところだ。
そういうのは戦いが終わってからだ。
「複数の軍艦の一部を資材として投げ入れたら。深海棲艦を解体して得た資材を投げこんだら。人間や妖精を資材としたらどうなる。妖精や深海棲艦は改造できるのか。偶然の産物である融合炉後期型は深海棲艦でも適合するだろうか」
素朴な疑問は真っ先に試された。
様々な試行錯誤を積み重ねた。政府がこれらに対しての扱いを早急に、といいつつ、予定を遅らせていたのは面倒な規定を決定する前に研究結果を出す為、といえばいいのだが、結果的には良い方向に転んだ。
この娘どもはどちらかといえば軍艦だ。
軍艦に人間の体を『ENCHANT』されている。
そちらを基礎に仕上げられているために強力なのだ。昨今は人間も様々な無機物を体に埋め込むが、ここまでの完成度は神の叡智に触れたといってもいい。
「設定される基本値――ステイタスの過程を弄る技術を発見しました。人間で例えるのなら先天的な才能ですかね。近代化改修は生産を終えた後の努力に過ぎず、生産した直後から莫大な数値を設定しておけばいいだけ。この技術はリクエストを実現し――」
「後天的に兵士を強化する『人間』のみが扱える力となります」
つくり方が違うだけで、遺伝子構造は人間と同じだった。つまり、この炉の研究が進めば最低でも、人間の身体でもこの娘どもと同レベルまで強化してゆける。人間と改造される過程、ドロドロの構成過程の途中、人間は『そこ』へ近づける。
その結果、神の意表を突き、効果紋の力となるのだ。
「建造途中ですが、ほら、人体が形成されかけているでしょう。一旦、止めましょう。間違ってもこの行為を中絶だなんて例えてはなりませんよ。さあ、彼女の兵士性能、人間としての基盤が出来上がったところで、建造中止しました。ほらこの時です――」
「決して溶鉱炉は除きこまないでください。顔は見ないでください。あえての例えですが、母親の腹の中で感情や知識を手にし、中絶される赤ん坊の表情こそ恐ろしいものはありません。さあ、溶鉱炉の中へその手を入れてください。彼女の魂の形が、あなたの個性と同期し、大まかに分けたタイプのいずれかとして刻まれます」
船と人が結合合成されるその時、人間が介入する余地が出てくる。彼女達の船の力の源泉がそこに新規に投げ入れた人間という資材にも流出し、影響する。タイミングを過ぎてしまえばその手が持っていかれてしまうが、幸い「熱っ」と人間は勝手に手を引っ込める。
提督の左手の甲に焼かれたのはBUFFの文字があった。基礎ステイタスを上方修正する力だ。「倍率にもよりますが、駆逐でも姫鬼の装甲を一撃で砕けますよ」
はいずるように炉の中から実験体が出てくる。タシュケントがちょうど建造完了した。
「タシュケント、ちょうど良い。中佐殿の相手をしてやってくれ」
タシュケント「うん……」気は進まないようだ。
そうしていつものチュートリアルが始まる。春川は実験結果を記録しながら、片手間で書類を片付け始める。中佐殿はタシュケントと互角に近接戦闘をやっている。バフの力は人間に影響を及ぼすもので、人間から艦娘へ、の他にも、人間から人間へ、人間から深海棲艦へ、の影響が可能であり、艦娘や深海棲艦では効果紋を宿せない。人間専用武装だ。
「馴染むの早いですね。効果紋は艦の娘どもが外付けの艤装を手足のように扱う感覚と同じなはずですよ」
中佐は身体能力が同じであれば、技量的に土台のある自分が有利であることを把握したのか、タシュケントをねじ伏せた。満足そうだった。
言ってしまえば作戦なんか別に人間じゃなくても立てられる。それしかできることのない人間のマウンティングに過ぎないのだ。力関係的に彼の面子の問題もあったが、それは効果紋が払拭したといってもいい。
「ご苦労さん。あの中佐の満足そうな顔を見たかよ」
軍人が去った後、春川はそういった。
タシュケント「同志は守られていたばかりだったから、気持ちは分かるよ」
対等以上になったからには、タシュケントはもう人間を超越した存在ではなく、普通の娘といっても過言ではないが、あの嬉々としての暴力の振るいようだ。結局のところ、人間は心のどこかで艦の娘どもを差別している証拠といえた。
「つうかお前もお前だよな。俺を殺したくならねえのか」
よく耐えている。姉妹艦の存在する兵士だと色々と厄介になる。タシュケントは建造されてからずっとその存在を公表されているものの、艦の娘との交流は微々たるものだ。道具に近かった。
タシュケント「先生は道を作っている。暁の水平線への近道だ」
よくやるよ。艦娘にも痛覚はある。これまで様々な悪逆非道をこの少女に施した。殺されても復活する彼女を生きたまま炉に放り込んだこともあったし、彼女が「行くところのない友達だ」といって鹵獲してきた深海棲艦もモルモットにした。
深海棲艦は艦の娘の鉄片、核が深海に沈む影響によって存在が確立される。艤装を艦の娘よりも体の一部とする彼らは艤装を喰らうことで、身体が強化されることも知った。つまり深海棲艦はもともと建造された艦娘から変化するもので、炉を再び経由しない。
まさか深海棲艦が強くなるためならば、仲間の死肉を嬉々として延々喰らうほどの生物だとは思わなかったし、軽蔑したものだが、タシュケントが悲しそうに眼を伏せたのを覚えている。
「俺は他の提督みてえにお前らを好きにはなれねえわ」
タシュケント「あたしは良い反面教師を観ているからね」
タシュケント「決して憎まないし、決してあなたのような大人にはならない」
タシュケント「なにをされたって、気強く生きてゆく」
恐らく失敗すればタシュケントに殺される。その時、その覚悟を持ち、研究に望んだ。別に死は怖くない。感情論的に自分は殺されても文句はいえる立場ではない、と納得していた。それでも艦娘は良いやつらばかりだから、すぐに人間を許すはずだ。被害者のほうから差し出された友好の手を加害者がつかまぬ理由も特にない。
タシュケント「戦いが終わればきっとみんなもあたしもその功績を認められて、報われるはずだ。みんなが仲睦まじく過ごしている時間も鎮守府の縛りから解放される」
夢見ているのは、人並みの当然だ。
隣の芝が青く見えるんだろうな。
タシュケント「いつかきっと」
真っすぐな瞳をしてそんなことをいわれても、春川はすでに炉の虜であった。
そういうのはすでに副産物だった。
深海棲艦のいない海への景色は、効果紋が明け透けにした。もはや奴らとの決着は時間の問題といってもいい。
ただ春川は違うタシュケントとは違う景色を見ていた。
「嬢ちゃん、最強に興味あるか」
春川はすでに次段階の構想に着手している。効果紋はあくまで艦娘の力を人間に流し込むものに過ぎず、そこで生まれた艦の娘どもはその力の申し子といえる。
艤装は建造炉から生まれる。艦娘に付随する全ての性能は炉が発端だ。例えばややこしいヒールの仕組みも、入渠システムと同じ原理が作用しているのも判明した。数値の上げ下げをするバフデバフも、人間を付与するエンチャントも炉の力といってもいい。
その炉を丸ごと艦娘に取り込んじまおうという発想を煮詰めた強化研究だった。
この研究が完成し、上手く行けば、一か月後には暁の水平線が拝める。
そして成功、したのだ。一年後だった。
予想はしていたが、戦況に大きな変化はなかった。すでに効果紋が猛威を振るい、残る深海棲艦の勢力は100にも満たなかったからだ。それでもタシュケントのお披露目は通った。初めての抜錨し、戦闘報告を聞いたが、その力は次元が違った。
建造炉内臓型艤装、深海棲艦の艤装と肉体の融合現象を利用した結果だ。エンチャントは無理だったが、理論上のバフ、ヒールを扱え、資材すら内臓しておける彼女は文字通り最強だった。
世間が騒ぐ中、春川は新たな炉の可能性を発見していた。
建造炉内臓型を完成させた時、質量変化も可能にした。もともと建造する資材の重量に対して建造される艦の娘は極めて軽量だったので、その論理を使用した。
まあ、そうだよな。物理法則が捻じ曲げる炉の中は特異点といってもいい。
プログラムされたゲームの世界、彼等は客観的に命と呼ばれてはいないものの、プログラムすることにより、命を持った生物達のゲームの世界を構築できるのではないか。この炉の技術の先に、人間は神話の所業に手が届く。
「今なら」と春川に新たなる野心が芽生える。
今の解明レベルなら、
別世界の存在の有無を立証できるのではないか。
――――そこが我々の観察限界ですよ。
「あん?」そんな声が聞こえた。そこにいる二等身の妖精の制止の声が聞こえた気がしたが、いつもと変わらない。固定された笑みを浮かべているだけだ。
タシュケントの笑顔とよく似ているな、と思った。
*
ジェノ「う、今の春川のじいさんと君か?」
唐突に映像や心情が流れ込んできた。頭痛に襲われ、同時に吐き気を催す。
タシュケント「桜、色――」
まばゆい輝きが下方から発されている。視線を落とすと、左手の甲が桜色に輝いていた。『S』の英文字が見えたけども、字体がぶれるように変化する。
やがて【DEBUFF】の文字の羅列に落ち着いた。そのままの意味通りなら弱体化の効果なのだろう。
だとしたら、さっきの映像は一体、なんなんだ。それにさっきと文字が違う。デバフにSの文字は見当たらない。その文字列を見つめていると、朝霜が「効果紋は、あたいらが建造時点で艤装を使えるのと同じだよ」とのよく分からない説明をした。
朝霜「文字列が消えたり、現れたりしてるうえ、記号まで見えた。効果紋の烙印に時間がかかり過ぎてるぞ。あたいも初めてみる現象でなにがなんだか分からねえけど」
泉山「文字列が消えたり現れたりしていますね。私の時は数秒で烙印されたのですが、これはあれじゃないですか。あなた達も建造時間は個々にズレがあるんでしょう」
異常は視界にまで広がっている。
夕雲型16番艦朝霜とか、練度80とか、だ。朝霜の姿を眼で捉えた時、彼女の名前とよく分からない指数が数字として出ている。その隣の泉山の数値はなにも表示されていない。既存の知識にあてはめると、名前とレベルだよな。
ジェノ「名前と、練度」
泉山「ああ、映っているのは名前と、熟練の度合いを示す練度」
タシュケント「頭が」
彼女は先ほどから頭痛がするのか頭を抱えうめいていた。口元から涎が地面に糸を引いている。
彼女の数値は朝霜とは次元が違う。
『タシュケント級一番艦駆逐艦タシュケント』
『練度400』
説明の通りなら熟練の度合いは朝霜の5倍もある。
ジェノ「タシュケントの練度400だ」
ジェノ「君は確か彼女の性格は非の打ちどころがないっていっていたはずだよね。本当に彼女で合ってるの……?」
朝霜「限界突破しすぎ」
目を見開く。そのリアクションからして、彼女の予想外だったのだろう。
朝霜「あたいが知っているタシュケントの練度は150辺りだったぞ。こいつは最後まで人の為にその能力を捧げていた兵士だった」
朝霜「おい、タシュケント」彼女のほうに目をやると、恐る恐るといった風に訊ねた。「この練度、溶鉱炉内臓後期型の手前ならあり得ねえ数値ではないけど、あまりにも時間がかかりすぎる」
朝霜「手前、あの終わった世界でどのくらい生きてたんだ……?」
タシュケントは答えず、四肢を地面に突き立て、起き上がってくる。ただその上げた面の、とてもかつての仲間に向けられるものではない鋭い怒りの眼光で物語っていた。
朝霜「その目はなんだよ。建造されたんだから基本知識はインストされてんだろうが」
朝霜「管理妖精をブッ倒してドロップする人間改装設計図があれば、溶鉱炉内臓型も解体できるんだ。この意味の事の大きさが理解できない手前じゃねえはずだ。大勢の仲間を失っちまった。使命は果たせず人は滅んだけど、クソみてえな輪廻から解放される」
つらつらと述べる彼女には溢れ出る感情が、声や動かした両手の仕草から感じ取れる。
タシュケント「その夢はどこで見た」
タシュケント「その希望は誰と見た」
タシュケント「いつも未来はあたし達を置き去りにする」
眼光の鋭さは変わらないままだった。
朝霜「いいてえことは分かる。あたいだって割り切れているわけじゃねえけど、生き残っちまったなら、進むしかねえよ。夕雲型のみんなはあたいがここで死ぬことを望んでいるわけがねえってのはわかんだよ。みんなでお手々つないでゴール思想はやめろ」
タシュケント「イヤだ! みんなで死のう!」
タシュケント「残念ながらそれが最善だ。この話は終わり」
冗談でいっているようには見えず、シャットダウンするような切り方だ。
朝霜「終わらねえよ」
タシュケント「最初は、深海棲艦と戦っていた時のあたし達はうまくやっていたんだ。でも炉で生まれるあたし達はこの形になっても、生物学的に人間倫理的に人との溝は埋まらなかった。上官が、提督が、あたし達にかけた温かい言葉の全てが張りぼての嘘だった」
また顔を覆う。情緒不安定の極みだ。今度は涙腺を潤ませ、声を震わせている。
タシュケント「戦況が悪くなるほど、その扱いも比例して悪化していった」
タシュケント「いくらやっても勝てないから、更に重い訓練を課したの。クリアしないと罰を受ける。今日も良い子にして、あたし達は命を賭けて時間を作り続けた。あの女、あろうことか、その時間で不倫相手と逢引してた。大破し、敗北したあたしにいった」
タシュケント「『子供も産めない女ってだけで国益を損なう存在なんだから』」
タシュケント「『容姿が優れている分、女としては詐欺よね』」
タシュケント「ひどすぎるよ。あんまりだ」
指の隙間から大粒の涙を零し始める。
その悲哀の深度こそ察せずとも、彼女が本気で泣いていることは人の感情を探る仕事をしているジェノにはなんとなく分かったのだった。それに虐げられたという点では少しだけ自分の過去と被る部分もあったし、こうなるともう『僕は君になにをしてあげられる』の心理状態だった。いや、本当になにをしてあげられるんだ。
ジェノ「か、管理妖精を倒そう」
朝霜「待て。いってなかったけど、こいつに嘘をつくと怖いぞ」
タシュケント「もう遅いよ。言質を取った。その超倍率のデバフさえあれば可能性はある」
けろっと泣き止んで笑顔になってる。
ジェノ「本気で泣いてたよね。感情の切り替えが神がかり的だ……」
タシュケント「本気で泣いてたよ。じゃ、これは?」すぐさま顔を両手で覆うと、「にこっ!」と声を発して、再び笑顔になった。
ジェノ「それは誰でも作り笑いだと思うけどな。本気の感情の伴う表情っていうのは声や仕草が伴うんだ。声にも仕草にも、表情があるから」思ったことをいう。
タシュケント「あたしの名前はタシュケント。イタリア生まれのソ連艦だ」
ジェノ「僕はイタリア生まれの日本人の寒河江ジェノだ。介護士やってる」
タシュケント「介護士君、嘘をつけばその首を革命の鎌で刎ねるよ」
タシュケント「行こう。本当の絶望に殺されに行く」
タシュケント「勇者と自殺志願者は似て非なるもの」
タシュケント「されど紙一重なんだよね」
腕を引っ張られる。デバフの効果が効いているのか、そこまで力がなかったが、それでもジェノよりも力があり、押し敗ける。
逃げろ、と頭が警鐘を鳴らしている。今ついていったらひどい目に遭う。
強引に焼却炉の中に投げこまれる。
まさか家の焼却炉から異世界に行けるのか?