笑顔を浮べる二人の大人。優しい笑顔だ。そして僕の手を引くように歩いていく薄ピンク色の髪を持つ女の子。きっと僕も同じ色の髪をしているのだろう。
でも、気がついてしまった。これは夢だ、と。
僕はとっくに彼らに捨てられた。その事実が鎌首をもたげた直後、その景色は粉々に砕け散った。
僕はいらない子供だった。ならば、何故生まれてきてしまったのだろう。
一度『何故』と問うてしまうと、取り留めも脈絡もなく感情が溢れだしてくる。
何故、選ばれたのは僕じゃなかったのだろうか。
どうして捨てられたのは僕だったのだろうか。
暗く重い何処かで、僕は何度も何度もその問いを繰り返し続けた。
…………………
…………
…
重い瞼を開く。そして喧しく朝を告げるスマートフォンを黙らせながら椅子に深々と掛けていた体を起こす。いつものように濡れた目尻を拭いながらぼんやりと眩しい光を放つディスプレイへと目を向ける。
「あぁ……寝落ちしたのか…」
ため息混じりに呟いた。そこに映されているのはGAMEOVERの文字。今回はオフラインのゲームで助かった。FPSなどをやろうものなら戦犯として吊し上げをくらっていただろう。
カレンダーを確認すると『高校生活一日目』の文字がしっかりと刻まれている。姉さんに無理矢理書き込まれたそれは何度見ても変わらない。
再度深くため息を吐き出してから封を切ったばかりでパリッとしている制服に手をかける。
首元がまだ固いワイシャツに苦戦しながらも着替え終えると、僕はそのまま家を出た。朝ごはんは食べない派だ。
「………行ってきます」
午前六時半、まだ誰も起きていないがなるべく顔を合わせぬようにしているので丁度いい時間だろう。音を立てないようにドアを閉めながら心の中でボヤいた。
──憂鬱だ。
新しい高校に今日から通うわけなのだが、はっきり言って家から出たくなかった。
通信制の高校に一年間通い最低限を除いて不要な外出を控えていた僕にとって全日制の高校というのは馴染みがない。
僕にとって『他者とコミュニケーションを取ることが必須とされる環境』に入ること自体が初めてなのだ──尤も、小学校と中学校は共に頻繁に休み、行事には一度も参加しなかったツケでもあるのだが。
「はぁ………帰りたい」
したがって、そのような願望を抱くのも当然だろう。少なくとも僕にとっては当然のことだ。
とてつもなく重いペダルを漕ぐこと約15分。校舎が見えてきた。
私立花咲川学園。最近まで女子校として有名だった名門校だ。が、昨今の少子化により共学化を余儀なくされたという。共学化された今でも名門校と呼ばれている辺り、伝統を感じさせられる。
「本当にこんなところに編入するのか………」
非現実的な事に若干所ではなく大層気が引けるが、到着してしまったものは仕方がない。元々、僕の本心は置いといてここに来ている。今更嫌だなんだと言う資格はない。
──おじさんとおばさんをこれ以上心配をさせるわけにはいかないのだ。
「それと、まりな姉さんも……か?」
あの人は大分自由人だからなんとも言えないが、兎も角だ。
里親として僕を扶養してくれている人達に頼み込まれてしまっては、断るわけにはいかなかった。
感謝と、それ以上に深く強い申し訳なさが僕の心に存在するから。
自転車を駐輪場に止め、ついでにこれまでの思考も止め、昇降口に向かう。ここまでで時間は大体七時。まだ他の生徒が来るには早い時間なので心にも多少の余裕がある。
「…失礼します。編入される事になっている月島で──『おお!入ってきていいぞ!!』っ…………はい」
職員室の扉を叩き入室の許可を求めようとすると、セリフが途中で遮られ大きな声が返ってきた。
反射的に身を竦めてしまうが、平静を取り繕って中へ踏み込む。早い時間だというのに多くの先生達が仕事をしているようだった。
「……失礼します」
「おう、よく来たな月島!俺は担任の本多だ。よろしく頼む」
本多先生は背が高く、がっしりとした体つきの先生だ。ラグビーの選手と言われても違和感がない。
「……はい。よろしくお願いします」
「にしても早いな、楽しみで早く起きちまったのか?」
全然違う。寧ろ寝不足で今すぐにでもベッドにダイブしたい、などと言えるはずもなく曖昧に笑いながら答える。
「まあ、そんな所です。元々通信制でしたから不安の方が大きいですが」
「そうかそうか。そうだよなぁ」
うんうんと頷く先生。僕の家庭事情などこの人は何も知らない。ならば、波風を立てないよう適当にやり過ごすべきか。
「ま、ここで二年も過ごせば心から信頼できる奴の一人や二人くらいできるだろうさ!この学校の生徒はみんな優しい子達だからな」
「そう、だといいですね」
「はははっ、そんな辛気臭い顔すんなよ、これでも飲んで落ち着いときな月島。移動は八時半頃だ。今からそんな緊張してちゃ身体がもたねぇぞ」
そう言って、先生は缶コーヒーを渡してきた。有難くそれを頂きながら職員室全体を眺める。緊張している訳では無いが、落ち着かないのは確かだし。
先生達は各々談笑しているが、その間にも仕事をする手を止めていない。やはり名門校なだけはあって、先生達もとても仕事のできる人達ばかりなのだろう。
(まあ、あまり僕に関係ある話ではない……かな)
溜息を一つ吐いてから鞄から文庫本を取り出し、僕はその世界の中に身をやつした。
「……さて、説明は以上だが何か質問はあるか?」
「特にありません。生徒手帳には一通り目を通してありましたから」
それから一時間ほどの後、僕は先生に校則の概要を説明されていた。なんでも『編入生には担任から改めて確認をするように』というマニュアルがあるらしい。
「そうか。それじゃあ、教室に行くぞ!恐らく編入生の話でもちきりだろうからな」
「そうなんですか?」
「まあな。あの試験をほぼ満点で合格したんだ。結構な有名人だよ、お前は」
良かったな、誇れるぞなんて言って心底愉快そうに先生は笑った。が、僕に誇ることなど何もない。
「誇るも何も、マーク式じゃないですか。運が良かっただけです」
「謙遜……してるわけじゃなさそうだな。あのテストはこの学校でお前と同級生になる生徒全員が受けたテストで、お前は学年二位の生徒に大差をつけて学年一位だ」
「そうですか。どちらにせよ、運が良かっただけです。次同じようにやれと言われてもできませんよ」
常に同じ力を発揮できないなら、それは実力とは到底言えないだろう。『運も実力のうち』などという言葉は大嫌いな僕だ。確実な物以外の何が実力だというのか。
「………それならそれで構わんが、他の上位陣にはあまりそういうこと言うなよ?」
「当たり前です。そのくらいのTPOは弁えています」
ならいいが…といって先生は階段を昇っていく。その後ろに着いていきながら、ふと窓の外を眺めると一本の木に目が止まった。
今年は早咲きだったのでもう桜はほとんど散ってしまっているのだがその木は満開に咲き誇っている。
「お、気づいたか?あの木」
「はい、もう他の桜は散ってしまっているのに………と」
「この学校の七不思議の一つなんだよなぁ。あの桜。他の桜の花が散ってから咲き始めるんたよ」
「そうなんですね……」
僕と同じだ、などと思ってからその思考に至った自分の頭を嘲る。
(何が同じだよ……僕とは似ても似つかないのに)
合わせられないのとそもそも合わせる気がないのは全くの別物だ。僕は後者で、あの桜は前者だろう(果たして桜に者って使い方があっているのかわからないけれども)。
「…っとと、見とれてる場合じゃない。早く教室に行こう、月島」
「……そうですね」
先生は少しの間桜に見惚れていたようだ。慌て気味にまた歩き出した先生の背中に僕はついて行った。
「ねえねえ、転入生の話聞いた?」
「あー、聞いた聞いた!確か春休みにやったテストを受けてほぼ満点だったんだよね?」
第二学年の初日の朝、新しい教室はその話題でもちきりだった。
「あーあ、転入生は男かー…実は美少女とかだったりしねぇかなあ」
「まあまあ、部活の勧誘出来るやつが増えたって思おうぜ」
私、こと氷川紗夜はそれをまるでホームドラマの様に聞いていた。
(……転入生が来ようが何も変わらないでしょうに)
そして本当は誰もそこまで転入生に興味はないだろうに、彼らは今日の話題についていくことに執心しているようだ。
(下らない)
そう短く呟いた私はまた文庫本に目を落とす。頭の中には一昨日の苦い記憶がチラチラと蠢いているので文章は全く頭に入ってはこないがフリだけでもしていれば近づいてくる人はそういない。
(私は──私は間違っていない)
あの時だって、私は正論を言ったはずだ。やるなら本気で、遊びでやっているわけじゃない。だってプロになるつもりなのだから。
それなのに、だというのにどうして私が孤立したのか?いや、別に一人でいることに今更虚しさや寂しさを感じる歳ではないが、それでも何故と考えてしまう。
何故、この世界は正論が正しくないのだろうかと。
(いえ、そんな事はもうどうでもいい)
理解者は得られた。ならば何も変わらない。
無理やり思考を断ち切って再び本に目を落とすと、今度は前の扉が引き開けられた。それと同時にチャイムが鳴る。入ってきたのは保健体育の本多先生だ。今年の担任はあの先生らしい。
別に誰が担任でも関係無い。私は私のやるべき事を果たすだけ。
「おし、皆揃って──ないな。一名足りないが朝のHRを始めるぞ。さて、早速だが皆が知っている通りこのクラスに編入生が来る。高校で編入というのは物珍しいと思うが、普通に接してあげてくれ……入っていいぞ!」
「……………はい」
扉を開けて入ってきた生徒は一番後ろの私がわかるほど整った顔立ちをしていた。だが、私の目を引いたのは彼のただ一点。
(あの瞳は……)
この場の全てを写していて、しかし何も写していない彼の瞳はここでは無いどこか遠くを見ているかのように虚ろで──寂しげだった。
「………月島 鮮です。どうぞ宜しく」
つきしま、あきら。噛み砕くように彼の名前を心の中で呼びながらそんな自分にとても驚いた。そして狼狽える。胸の奥に締め付けられるような痛みと共に燃えるような熱が体を支配していく。
(私はどうしてしまったの……初めて会った人の名前を覚えようとしたことなんて今まで一度もなかったのに…?)
風紀委員という仕事柄、マニュアル的に淡々と人の名前を覚えてきた私にとって自分から名前を覚えたのは彼が初めてではないだろうか。
(どういう事なの……どうして私の胸はこんなに高鳴っているの……?)
その疑問に答えられる人は誰もいない。そんなことはわかり切っていながらも私は繰り返し自らに問わずにはいられなかった。
初日なのもあり午前だけで学校は終わり放課後になった。早帰りなのは正直コミュニケーション力が圧倒的に足りていない僕にとっては大変助かる。というのも……
「なんであんなに僕なんかに興味を示すんだか……」
端的に言えば質問攻めにされた。特に男子からの。やれ『運動部に入らないか?』とか『今まで何人と付き合ってきたのか?』だのといった遠回しな勧誘とか野次馬とか『今の社会はおかしいと思いませんか?』みたいな唐突な問いかけまで様々だった。一つ目は丁重に断ったし二つ目も0人だよって答えたら露骨にホッとしていた。三つ目に関しては適当にお茶を濁しておいた。
最後の人は目が据わっていてちょっと怖かった。
ともあれ、こうして一日を(半日授業にせよ)終えてみれば思っている程辛くなかったのは事実だった。
少なくとも、初日から鼻つまみモノ扱いされることは無かったらしい。
(まあ、それも時間の問題かもね……)
どうしてもそんな不安は拭えないのだが、それは自分で慣らしていくしかないのだろう。どんな時でも、最後に頼れるのは自分だけなのだから。
そんな事を考えながらポケットから家の鍵を──
「あっ………家の鍵忘れた」
できれば今日はもうこれ以上外に出ず、家の中で残りの半日をゲームに費やすつもりだったのだがそうは問屋が卸さない。家の目の前で鍵を取り出そうとして、部屋の机に鍵を置きっぱなしであることに思い至った。
家の鍵を家の中に置きっぱなしなのを忘れていた。そこでまずい、と思い至る。叔父さんは出張中だし叔母さんは夜中まで帰ってこないと言っていた。姉さんなら夕方には帰ってくるだろうが──今は生憎と時間を潰せるだけの金銭を持っていない。
ゲームセンターにせよ、カラオケにせよ、ファミレスにせよお金がかかってしまう。だがどうせ半日だしと財布すらも部屋に置いてきてしまった。
目的のものは全て目と鼻の先だというのに手に届かない苛立ちともどかしさを感じながら僕は再び先程停めたばかりの自転車に跨った。目的地は僕の姉である月島まりなの職場だ。
「…………」
結局、彼と話をする機会は得られぬまま学校は終わってしまった。何とも言えないモヤモヤを胸に抱きつつ帰路についていた私は、ふと彼の瞳を思い出す。その刹那、再び顔が熱を帯びてくるのを感じ私は戸惑った。
「…………そもそも、なぜ私は彼のことを思い出したのでしょうか?」
上手く言葉に形容できず、胸が締め付けられるのに不思議と不快では無いこの感覚の正体が私にはわからない。
「はぁ……」
鍵を開け家に入る。自室に入り手早く服を着替え、ギグケースを担ぐ。ゼリー系の栄養剤を喉に流し込むとゴミ箱にそれを投げ込み家を出る。練習前はいつもこうだ。ガッツリとした食事をとるのはどうしても性にあわない。
「彼の事で悩んでも仕方ありません。今それは置いておいて早く行きましょう」
先程まで自分の中に燻っていた悩みは一先ず保留にし、私は練習場所であるCiRCLEへの道を少し早歩きで進んでいった。
また次回おあいしましょう。お気に入り登録や感想、評価などお待ちしております
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