「……どうしてこうなったの」
到着した姉の職場。そのレジ付近で僕は立っていた──従業員の制服に身を包んで。
「あははー、ごめんね鮮。まぁでもひとつ頼まれてよ!今頼れるの、鮮だけなのよ」
無事に到着した僕を待っていたのは家の鍵ではなく満面の笑みを浮かべながら申し訳なさそうな顔をした器用な姉と、今着ているこの店の制服だった。
『鮮!ちょうどいい所に!ちょっとお願いしたい事があるんだ!!』
と言われ引き受けたものの、いきなりの事に未だに特心より困惑の方が優っている。
「別にいいですけど、今後はもう少し早く連絡して下さいね、まりな姉さん」
「あはは「姉さん?」…はい、ゴメンなさい」
笑って誤魔化そうとしているまりな姉さんに釘を指しておく。その辺はきちんと言っておかないとこの人はすぐ同じことを繰り返す。
「むむっ……なんだか鮮に馬鹿にされてる気がする」
「気がするんじゃなくて、若干馬鹿にしてます」
「えぇ………」
鍵を忘れたのは僕のせいなので、こうなった原因の大半は僕にあるのだがそれでも早く帰ってベッドに飛び込んで惰眠を貪ろうと計画していた事もあり少し機嫌が悪くもなる。
だから少しくらいなら悪態を吐いても良いのではなかろうか。それにまりな姉さんは──例え血の繋がりがなくとも──家族なのだから。
「鮮も少し変わったよね。三年前までは私の事絶対に姉さんなんて呼ばなかったもんね〜。あ!なんなら今からでもお姉ちゃんって」
「呼びませんからね、絶対」
「あら残念」
よくある物語のように、人は誰かとの出会いがなければ変われないなどというが、確かにその通りだった。だが、それでも僕の方から能動的に動いたという自覚も自負もある。
人は動かねば変われない。それは間違いようのない事実だ。
人付き合いを少しずつはじめてみたのだ。最初はネットゲームの中、そして内職の面接、おじさんとおばさんとの会話……という風に少しずつ自分の他者との接触面を増やしていった。
逆に言えばそれだけだが、それだけでも日常的に人と会話ができるようになった。本多先生の大声など、数年前の僕なら聞いただけで萎縮し、帰宅していただろう。
「ま、それはそうと少しの間店番お願いね鮮!」
言うが早いか、まりな姉さんはさっさと昼食を食べに行ってしまった。寝坊して弁当を用意する余裕がなかった日のまりな姉さんは昼食を外で済ませたかったらしいが、今日に限って他のスタッフが風邪で休んでしまい誰もおらず途方に暮れていたとの事であった。
顧客の名簿に目を落とし名前を覚える作業に没頭していると声が掛けられた。どうやら集中しすぎてて外に注意が向いていなかったらしい。
「あのすみません、スタジオの予約をしていた者なのですが……?」
「あ、はい。少々お待ち下さい」
チラリと声をかけてきた女性の方に顔を向けるとその人は目を見開いて驚いたような顔をしていた。僕とこの人に接点は無かったはずだが……と言うより初対面の筈なのだが。
「月島君……ですよね?今日うちのクラスに転入してきた」
「はい。僕は月島ですが……クラスメイトの方ですか?ごめんなさい。まだ顔と名前を全く覚えられていなくて」
「いいえ、私もまだ名乗ってすらいませんから……私は氷川、氷川紗夜です。これからよろしくお願いしますね、月島君」
「ああはい、ええっと……こちらこそ?」
何故か疑問形になりながら差し出された手を握る。ひんやりとした少し冷たい手だった。微笑む彼女と目を合わせると、不思議と胸が強く脈打った。綺麗な瞳に吸い込まれるかのような錯覚を覚える。今まで感じたことの無い強い感情に思わず手を振りほどき名簿に目を落とした。
今は、早く彼女と距離を置きたかった。
そして手早く氷川紗夜の名でスタジオを予約していることを確認する。
「あの……」「予約しているのは確認が取れましたのでどうぞ。奥のスタジオはもう開いていますのでご利用下さい」「……はい、分かりました。ありがとうございます」
何やら続けて僕に話しかけようとしている彼女の言葉を遮って矢継ぎ早に言葉を発する。一瞬だけ目を細めて氷川さんは歩き去っていった。
氷川さんの姿が見えなくなったのを確かめてから受付の椅子に深く腰掛け溜息を吐き出した。
「何だったんだよ、今の……」
短距離を全力疾走で走った時の如く脈打ち続ける心臓と熱い頬に戸惑いが隠せない。初対面の異性相手にあそこまで戸惑ったのは生まれて初めてだった。
あの感覚、はっきり自分で認識できる程度には異常だと感じられる。
「……だめだめ、今は集中しないと」
流れとは言え、今は職務を全うすべきだろう。オーナーには僕もまりな姉さんもお世話になっているし、ここで姉さんの弟の僕が評判を貶めるわけにはいかない。
改めて気合を入れて立ち上がった僕が書類整理を終え、近くの机を拭いていると二人の女性が来店する。少し慌てて受付に戻って応対すると、そのうちの片方が不思議そうな声を上げた。
「あっれー、今日はまりなさんじゃないんだ〜」
そのうちの片方、茶髪をした所謂ギャルと呼ばれる人種へと属していそうな人が先に僕に話しかけてきた。内心このタイプは苦手だと思いつつも営業スマイルを張りつけながら答える。
「はい、アレは今昼食に出ておりますので、代わりに私が応対しおります。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「はいはーい、今井 リサです!」
「……湊 友希那」
えっと湊さんと今井さん……へぇ、時々来る手伝いの時に見た事は無かったけれども湊さんは常連客のようだ。氷川さんと連番で予約している人なのを忘れなかった為それほど確認に時間は要さなかった。
余談だが、このライブハウスのスタジオは部屋ごとに値段が決まっている為何人で利用しても構わない。
「予約が確認できましたのでスタジオへどうぞ。氷川さんはもう来ておりますので」
「ええ、ありがとう」
湊さんは頷くとそのまま真っ直ぐスタジオの方へ向かっていった。さて、僕も机を拭く作業に──
「ねえ、店員さん。名前を聞いてもいい?あんまり見ない人だからさ」
何故か、まだ今井さんが居てこちらをじっと見つめていた。
「……月島ですが」
「まりなさんと同じ名字なんだね?姉弟?」
「ええ、まあ。そんな事より、スタジオに行かなくて良いんですか?」
「いいのいいの、練習時間が始まるまではどうせ暇なんだから。紗夜も友希那もそろそろ私を介さなくても意思疎通できるようにならないとね!」
そこまで人付き合いに難アリなのか、あの二人……。でもまあ、僕もそこまで人の事は言えないが。
「それで、暇なら月島君のことを教えて欲しいんだけど」
「……僕仕事中なんですけど」
「どうせ暇でしょ?」
閑散とした店内を見渡しながら指摘されたらどうしようもない。この強引なペースの今井さんに引っ張られ、しばらく雑談をすることになってしまったのだった。
「ふうん、月島クンは紗夜と同じクラスなんだ〜」
「ええ、そうですね。転入したのは今日ですからまだ話したこともありませんけど」
「えー、あんな可愛い子なのに?もっとガツガツ言っちゃいなよYOU!」
「ノリがウザイ……そもそも僕はあの学校に転校したばかりですし初対面の相手にそんなに話しかけられるわけないでしょう」
つまんないのー、なんて言いながら唇を尖らせる今井さんを適当に流しながら嘆息する。
「大体、バンド活動に集中しなくていいんですか?湊さんはそんなに緩くは無いのでは?」
「ありゃ?友希那の事知ってるの?」
「ええまあ、姉の仕事柄もありますからね。湊さんは中々面白い人だと思いますよ」
「え!ほんと?!」
ガタッ、とこちらに身を乗り出す今井さん。顔がいきなり近づきフワリと不快に感じない程の甘い香りが鼻腔を突く。自分の友人の話だからか、随分と嬉しそうにこちらに聞いてくる。
「アマの界隈では有名でしょう。孤高の歌姫、湊 友希那。本物をみたのは今日が初でしたが」
ただまあ、孤高というよりも人見知りに近いような気がしたのは言わぬが花だろう。
「それと氷川さんについては小耳に挟んだ程度ですが『幾つものバンドの中に入りながらも実力が突出しすぎて長く一箇所に留まらない放浪のギタリストがいる』という話で間違いないでしょう。僕自身はあまり興味無かったですが、結構ネットでは有名です。まさか彼女がそれだとは思いませんでしたが、湊さんとその例のギタリストがバンドを組んだ、という話からして間違いないのではないでしょうか」
「……何だか、そのネット情報厨二病?」
「…………」
ネッ友からの情報なのでそれにはノーコメントだ。
「それでそれで?私のことは?」
「何も知りません。湊さんがベーシストと組んだなんて話は聞いたこともありません」
背中に背負っている
「まあ仕方ない、か……友希那と違って私は別に凄い人間って訳でもないしね!それじゃ、改めて自己紹介しよっかな」
カウンターに寄りかかるのをやめ、今井さんはこちらに手を差し出してきた。
「改めて、湊 友希那の親友、今井リサです。技術的にはまだまだあの二人に着いていけないけど、そこはまあ努力と気合でカバーするって事で、ヨロシクね!」
「月島 鮮です。どうぞよろしく」
またもや差し出された手を握るが、先程の様に心臓が裂けるような痛烈な心拍の増加は起こらなかった。その後、時計を確認してから少し焦ったかのようにまたねー!なんて言い残して今井さんはスタジオへ走っていった。
数時間後、ぐったりとして僕はベッドにダイブしていた。あの後は普通に接客をしていたのなのだが、やはり慣れない仕事は疲れるものだ。しかも何をしていたのか、まりな姉さんが戻ってきたのは午後3時を過ぎてからだった。
「体が重いな……」
取り敢えず着替えるべきだろうか、とネクタイを外しているとパソコンがメールの着信を伝える。差出人は今井さんに厨二病を疑われてしまったネッ友だ。
内容は……ああ、レイド戦の誘いか。今日はそんな気分でもない。残念だが断らせてもらおうかな。
そう言ってスマホを手に取った時、メッセージアプリに通知が届く。はて、誰だろう。家族意外と交換した覚えは無いのでその誰かだと思って開くと意外な人だった。
『氷川紗夜です。突然のメッセージ失礼します。月島君のアドレスはまりなさんからいただきました。クラスの連絡事項などの伝達もありますし、ご迷惑でなければ追加していただけると幸いです』
「姉さん……」
ニマニマと笑みを浮かべているであろう姉の姿を思い浮かべながら、僕は追加のボタンを押したのだった。
厨二病の知り合い、一体どこの宇田川さんなんだー(棒)
はい、もうネタバレにならないレベルのネタバレならしてもいいでしょと、次回はあの二人が登場予定です
頑張ります、はい。せめて年内にもう一話は……書けたらいいなぁ(願望)
それじゃ皆様、お元気でノシ