戦の鉄則   作:並木佑輔

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第56話 壁

「ここしか無えだろ…俺とお前がサシでやり合うにはよ」

 

妖怪という捕食者達が蔓延る魔都・東京から数百里離れた、墓標が列ねる丘。

 

この世にまだ蔓延っている妖怪達を皆殺しにするべく動いている怪童を止める為に、人志はこの地を決闘の場所に選んだ。

 

先生や仲間達とのたくさんの思い出が詰まったこの学び舎を。

 

怪童は辺りに列ねる先生と子供達の墓標を見渡す。

 

すると突然、怪童の口から笑みが零れた。

 

「フフ…フフフフ…」

 

何故笑みが零れたのか、その答えは一目瞭然。

 

一基だけ墓が荒らされていたのだ。先生の墓だけが。

 

「一基だけ荒らされているな…それも先生の墓だけだ…ひでえ事しやがる…」

 

何故荒らされていたのか…その答えは人志のみ知っていた。

 

「後藤の野郎が荒らした…茜先生の死体を使って俺にけしかける為にクローンとして再利用しやがったんだ…」

 

人志の口から事実を聞かされた怪童は、数秒間黙り込んだ。

 

そして、再び言葉を発した。

 

「…そうか

そんで、今度は俺達が墓を荒らすというわけか…フフフ…」

 

顔を下に向き手を顔に添えて、怪童は笑っていた。

 

そして顔を空に向けて、怪童は笑い続けた。

 

「フフフフフ…ハハハハハハハハハハハハハッ!!

アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

虚空に向けて笑いを放つ怪童を見て、人志は思った。

 

こいつは、本当の己を押し殺す為に必死で非情を取り繕っていると。

 

未だ怪物を演じている傷だらけの少年に、人志は親友として笑って接する。

 

「ありがとな、今まで俺と陽菜を助けてくれて」

 

笑いが止まった。

 

かつて同じ屋根の下で共に学び共に過ごした一番の親友から発せられた感謝の言葉によって、怪童の虚勢が去った。

 

唖然としている怪童を前に、人志は続けて言う。

 

「俺がバサラから陽菜を奪い返す時も…後藤をぶちのめせたのも…みんなお前が助けてくれなきゃ成し遂げられなかった…いや、それ以前にも助けられていた

お前が"妖怪殺し"として妖怪達を相手に戦ってくれたおかげで、陽菜は以前のバサラの時のように妖怪達に付け狙われる事が少なくなった…」

 

これまでの怪童の行動とそれに伴った感謝の言葉を、人志は口にし続けた。

 

そして、人志はワイシャツの右の袖を掴んで更に言い続けた。

 

「俺の右腕を引きちぎったのも、俺に拭いきれない恐怖を植え付けて自分から遠ざける為にやった…そうだろ?」

 

4年前、全てを失ったあの日に親友に持ってかれた右腕。

 

ぶらぶらと風に揺られているワイシャツの袖を掴みながら、人志は怪童に感謝を伝えた。

 

親友の感謝を受けた怪童の顔は、嘘のように狂気が消え去り黙り込んでいた。

 

「返事が無えって事は間違っちゃいねえって訳か…」

 

冷たい風が傷だらけの二人の少年を撫でるように、静かに吹いていた。

 

「なあ、もういいだろ?そろそろ、自分を許しちまってもよ…」

 

未だに戦士としての使命と失った傷みに悶え苦しむ傷だらけの親友に、人志は憐れむような目で言った。

 

だが、怪童は虚飾を保ち続け笑って返す。

 

「フ…フフフフ…驚いたよ…お前みたいな能無しでも考えられる頭があった事にな…」

 

丘の草木を揺らす冷たい風はまるで嵐の前の静けさのように、二人の間にひりついた空気を表していた。

 

怪物へと変わり果てた傷だらけの少年に、人志はまだあの頃と変わらない親友として優しい目で見つめていた。

 

そんな親友に、傷だらけの少年はまだ怪物を演じ続ける。

 

「だからどうなんだよ?俺の行動原理が今更分かったところで、俺が今までやってきた事が全部帳消しになるわけねえだろうがよ

俺は今までこの右手で数え切れねえほどの命を殺してきた…今でもこの右手には、奴らの肉と骨を抉った不快な感覚がまだ残っていやがる…

分かるか?俺はもう手遅れなんだよ…妖怪共から人間を守る戦士でもねえ…お前と陽菜の傍に立つ親友の資格もねえ…

正真正銘の怪物だ…人の皮を被った怪物なんだよッ」

 

少年は偽りの狂気を見せ声を震わせながら話す。

 

口角は上がってはいれど、その目は今にも涙が零れ落ちそうになるのを懸命に堪えている。

 

だがそれでも、怪童はただひたすら演じ続ける…"怪物"を…。

 

「この場に俺を誘き寄せたお前の選択肢は二つに一つ

最凶最悪の怪物であるこの俺を殺して英雄となるか、それとも俺に殺されてこいつらと同じ負け犬になるかだッ!!」

 

もはや退くことは出来ない…怪童は己が望むままに"怪物"を貫き通す。

 

それがどんなに惨たらしい末路を辿る事になっても…怪童は止まらない…。

 

「フフフ…」

 

眼前に映る怪物は、怪物と言えるほどの恐ろしさや狂気は一切感じられない。

 

ただ無理矢理、自分を絶対悪に仕立て上げようと必死になっている一人の友がいるばかり。

 

だから人志は笑った。

 

「…何が可笑しいんだてめえッ……」

 

怪童は眉間に皺を寄せて言った。

 

その笑いが、己を見下し愚弄するかのような笑いに聞こえたから。

 

「へへへ…何が可笑しいかって?怪物とやらになって妖怪共を皆殺しにする理由が、その実生き残った俺らを生かす為だってんだからよお

そりゃ笑うに決まってらあ…ハハハハハハハッ」

 

明らかに怒りを露わにしている怪童を前に、人志は変わらずに笑いながら言う。

 

共に学び競い合い馬鹿をやった親友(ダチ)として、変わらずに言い続ける。

 

「怪童 お前は怪物でも、ましてや戦士でもねえ…あの頃と何も変わらねえ…無理ばっかしまくって自分をひたすら追い込み続けて、泣きそうになってんのを堪えてばっかいるだけの…

ただの俺の親友(ダチ)だ…」

 

人志は今までの死闘を通して、"怪物"とは何かを熟知している。

 

"怪物"とは、単に強さや力の有無に限らない…己の意思・本能・欲望のままに、己以外の全てを貪り踏み躙る者の事。

 

純粋に己が力を研き全ての生態系の王に君臨しようと、野望と殺戮の限りを尽くした暴風の"怪物"。

 

過去の因縁から一輪の氷の華だけを常に欲し続け、歪んだ愛と執着の限りを尽くした狂愛の"怪物"。

 

己が夢の実現の為に己以外の生きとし生けるもの全てを犠牲にし続けた、夢に魅入られた"怪物"。

 

そして今、人志の眼前に聳え立つは過去の二度の喪失による罪悪と自責に苛まれ、同じ生き残りの親友を生かす為に己の全てを犠牲にし、必死に"怪物"になろうとしている人間が一人。

 

怪童と今までの"怪物"達には、決定的に違う。

 

己の欲望のままに他を殺したか、己の大切な者の為に他を殺したか、そこに決定的な違いがある。

 

その事を、人志は怪童よりも深く理解している。

 

「お前が背負い込んでいる罪の意識も…お前が抱え込んでいる傷も闇も…全部残さず俺がぶち壊してやる」

 

さっきまでの不敵な笑みが言葉と共に失せて、真剣な顔になった。

 

"妖怪殺し"と謳われた稀代の怪物…己より遥か格上の親友を、人志は本気で越えようと真っ直ぐ見つめている。

 

右足を退き、左足を軸にし、左腕を前に出して構える。

 

目の前の聳える巨大な壁を幾度も乗り越えようとする度に、己の弱さと限界から逃げずに向き合い乗り越える度に、人志はこの構えを取ってきた。

 

袂を分ったかつての親友の揺るがぬ決意と覚悟を見て、怪童も構えを取った。

 

双方、奇しくも同じ構えであった。

 

「そういやガキの頃から組手でお前に一度も勝った事ねえからなぁ…

今日こそは勝たせてもらうぜ…怪童よぉ…」

 

「あの時と同じだ…お前はここでまた俺に敗れて死ぬ…

今度は腕一本じゃ済ませねえッ…」

 

二人は互いに同じ構えを取り、徐々に間合いを詰めて行った。

 

軸足から徐々に詰めて行き、共に拳が当たる間合いへと侵入した。

 

二人の少年から繰り出される拳や蹴りは、幾多の戦を経て電光石火・一撃必殺の領域にまで昇華している。

 

制空圏に侵入した今、いつどのタイミングで放たれてもおかしくない…。

 

静寂の中、人志と怪童の間にはヒリヒリと、チリチリと熱く重い空気が流れ込んでいた。

 

緊張で張り詰めた空気が二人の圧に耐えきれず、そして突風によって流された。

 

刹那、二人の拳が交差し互いの顔面を深くめり込ませた。

 

今、最後の死闘の火蓋が切られた。

 

互いの顔面に拳をめり込ませながらも、二人は止まらない。

 

衝撃に仰け反り血飛沫を撒き散らしながら、二人は攻めの手を繰り出していく。

 

拳、蹴り、手刀、頭突き、様々な攻め手を出し喰らいながらも両雄止まらず。

 

全霊を込めた一撃の数々…防ぐ事は一切せず、互いの攻撃を真正面から受け止めながら戦う。

 

ぶつかり合う二つの衝撃は、まるで戦車の大砲の撃ち合いのように強大で苛烈。

 

その衝撃に大地が振動し、空気が重くなり、自然の生物達が直ちにその場から立ち去ろうとしていた。

 

 

そして、その衝撃はカモミール跡地から数百理離れている魔都・東京にまで響き渡っていた。

 

「な…何だこれは!!今までに感じたことの無い圧がッ!!」

 

人志に陽菜を任された樹は、冷や汗をかきながらも眠っている彼女を抱き抱えて懸命に守っている。

 

伊達と愛菜も樹同様、連戦に次ぐ連戦で疲弊し切った身体を休める為に地面に座って、ただ人志の帰還を待っていた。

 

「フッ どうやらあのガキどもおっ始めたらしい…」

 

「なあ伊達さん…あいつ、本当にあの化け物に勝てるのかな…?」

 

「…おいおい、あんだけエールを送った後に今更不安がるのかよ…」

 

「べ、別にあいつが負けるなんて1%も思ってるわけじゃねえし!ただ…無事に帰ってこれるのかが、心配なだけだし…」

 

大妖怪を超越した怪物を更に超えるような"怪物"の強さを目の当たりにした愛菜は、心の奥底で不安を抱えていた。

 

そんな愛菜に、伊達はいつも通りの沈着冷静な態度で話した。

 

「俺の見立てでは、今の怪童とやり合える奴はあの馬鹿餓鬼以外いねえと思ってる…現にあの化け物の蹴りを真っ正面から受け流してカウンターかましやがったからな…

へっ 生意気にもあの馬鹿餓鬼の技巧は俺を一枚上回ってやがる…」

 

「確かに…じ、じゃあ…人志なら本当に勝てるんじゃッ…!!」

 

「さあな、そこまでは俺にも分からねえ…ただ一つだけはっきり言えることがある

あいつで駄目なら…この世は本当に終わりだ」

 

三人は今まで人志と共に戦い切磋琢磨してきた中で、彼の技巧や勝負強さを重々理解している。

 

だがそれ以上にあの傷だらけの怪物の底知れなさが、それを覆い被さるように感じている。

 

樹・愛菜・伊達は三者同様に、ただ信じて待つしかない。

 

今その"怪物"と命を燃やして戦っている、隻腕の少年の生還と勝利を…。

 

 

墓標が列ねる敗北の丘にて、二人の少年はただひたすらに眼前の壁をその拳で穿つ。

 

勝つ為に、そして二度と負けない為に命を賭して研いてきたその力を、二人の少年は存分に奮う。

 

たとえ相手が、共に苦しみと喜びを分かち合った"親友"であっても。

 

「グッ!!」

 

壮絶な撃ち合いの中、先に限界が来たのは人志だった。

 

人志と怪童…二人の間には戦いの経験や才能の差もあるが、それらよりもはっきりと見えるのは負傷の差だった。

 

人志はここ数日の間にヒスイ、橘茜、後藤博文、Beyond、そして怪童と怒涛の連戦で身体の負傷と疲弊が溜まりに溜まっている。

 

対して怪童は一度後藤に殺され能力も肉体も全て奪われたが、その後Beyondの完全再現でクローンを造られ新品同様の肉体を手に入れたばかり。Beyond達との戦いである程度のダメージは負ったが、本人にとっては蚊に刺された程度のダメージでしかない。

 

つまり、この戦いは初めから人志が圧倒的に不利なのだ。

 

だがそれでも、人志は不敵な笑いを浮かべながら、倒れないように足に力を入れて踏ん張る。

 

それがどうしたと言わんばかりに、人志は拳に生命の炎を纏わせて鳩尾に放つ。

 

「ッッ!!」

 

放たれた炎の拳は、どんなものよりも硬いとされる怪童の腹筋をめり込ませるほどの威力だった。

 

怪童は今再び、どんなものよりも熱く激しい小さな拳を受け止めた。

 

しかし受け止めた上でなお、幾多の死闘を乗り越えたその巨躯は揺るがない。

 

ならばやるべき事は一つ…一撃で駄目なら二撃。

 

「グッ!!」

 

炎を纏わせた中段足刀で更に追い討つ…が、これでもまだ揺るがない。

 

三撃目、今度は飛び膝蹴りで顎を捉える…すると、怪童の膝が僅かながらガクつき始めた。

 

その僅かなダメージを見逃さず、人志は続く四撃目で怪童のふくらはぎに目掛けての右下段蹴り…カーフキックを喰らわせた。

 

人間がバランスを保つ上で重要な筋肉であるふくらはぎへの蹴りをまともに喰らい、怪童は遂に草地に膝をつき始めた。

 

人志はそれを決して見逃す事はなく、いよいよとどめに移ろうとする。

 

とどめの四撃目は人体の急所の一つである人中(鼻の下から上唇にかけての溝の部分)を、尖ったナイフのような一本拳で穿った。

 

必殺の一撃を当て勝負は決した…かに思えたその時。

 

人中に当たる寸前に、一本拳は片手で容易に止められた。

 

「なッ!?」

 

「良い攻撃だったぜ…お前の成長、しかと感じ取れた

途中まではな」

 

そう言った後、怪童は人志の一本拳をキャッチしたその片手に握力を込め、骨に亀裂を生じさせた。

 

「グッ!ァァッ!!」

 

「最後の四撃目 急所を穿つならさっきまで執拗に攻めた丹田やふくらはぎ、何なら金的や目を狙った方が遥かに効率が良かった

にも関わらず、お前は四撃目まで一切目もくれなかった人中を穿とうとした…それがミスだ」

 

怪童は戦いながら人志のミスを的確に、丁寧に指摘していく。

 

幼少期からずっと地獄を潜り抜けてきたこの男には、赤子の手を捻るほど簡単なものだった。

 

「丁度良い 今からお前に見せてやる…急所の打ち方の手本って奴を」

 

目には目を歯には歯をと言わんばかりに、怪童は人志の軸足を踏んで身動きを封じ、拳を握り締めて急所を穿った。

 

それは奇しくも同じ、一本拳による丹田打ちであった。

 

「グブッッ!!」

 

今までに感じたことの無い圧だった。

 

自分以上に鋭く疾く重い一本拳に、人志は白目を剥き出しながら堪えていた。

 

胃の中の物や血が食道を通って出口を彷徨う中、人志は一秒も速く死のエリアから逃れる為に生命エネルギーの性質を炎に変化させ放出し、怪童の身体を燃やした。

 

だが、それでも怪童は止まらず人志のヘソを一本拳で執拗に打ち続ける。

 

「ガブッッ!!」

 

堪えていた口の中の物が全部出てしまうほど悶絶しながらも、人志は噛み締めて更に出力を上げる。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

 

自身の本来持つ炎の性質と、師の伊達を模倣した雷の性質を掛け合わせた力 炎雷(ほのいかづち)を存分に放出した。

 

丘一体を覆い被さるほどの真っ赤な稲妻が放たれ、流石の怪童も麻痺し怯み始めた。

 

不動の巨躯が揺らぐ瞬間を人志が見逃すはずがなく、掴まれた拳から炎の剣を具現化させ放出し、怪童の胸を貫く。

 

そして踏まれた軸足が解放され、人志は空いた右後足で怪童の腹を蹴り距離を取った。

 

「ガフッ!!ハァッ…ハァッ…!!」

 

死の間合いから遂に脱出する事に成功した人志は、吐血し悶絶しながらも呼吸を整えすぐに構えを取った。怪童の次の攻撃に備えるべく。

 

炎の胸で風穴を開けられ紅蓮の炎に包まれた怪童は、何ら変わりない顔をしながらただ立ち尽くしていた。

 

そして、両足を広げ両腕を交差させスウウウッと、まるで身体全身を風船のように膨らませるまで息を吸い始めた。

 

「コオオオオオオオオオオッ!!」

 

肺活量の限界まで息を吸って吸って吸い続けた後、吐く息はまるで猛獣の威嚇のよう凄まじいものだった。

 

風船のように膨らんでいた腹は、息を吐くと同時にどんどん萎みもう限界まで吐き切ろうとしていたその時。

 

「コッッッ!!」

 

と、息を吐き切ったと同時に己が身を燃やさんとしている炎を掻き消し、丘の草木と墓標をも激しく揺らした。

 

これは「息吹」と呼ばれ、気の流れを整え精神を集中させ筋肉の柔軟性を上げる、古来から伝われる空手道の呼吸法である。

 

怪童はそれを実践し、身体に包まれた炎を掻き消すだけでなく貫かれた胸の完全止血をやってのけた。

 

その差は歴然。人志はまだ呼吸を整えているにも関わらず、怪童はさっきの息吹で既に呼吸を完璧に整えていた。

 

「ハァ…ハァ…へへっ やっぱ凄えなお前はッ!やる事為す事、昔から全く衰えてねえッ!

どうりであのBeyond共も簡単に蹴散らせるわけだぜッ」

 

人志は怪童との戦闘経験と肉体性能の差を思い知らされ、今更ながら苦笑いを浮かべる。

 

「あんな名ばかりのカス共と俺を比べるな…同じ"超越者"でもあの吸血女の方が幾分かマシだったぜ」

 

息吹で状態を整えた怪童は、人志の目には以前よりも格段に隙が無くより完璧に近いものへと映った。

 

人志もこれまでの死闘の数々を経て確かに成長した。数え切れないほどの傷を負い失いながらも、確かに強くなった。

 

だがそれでも敵わない。眼前に聳え立つ幾千幾万の地獄を乗り越えてきたこの巨躯には、それでもなお届かない。

 

「人志、お前本当に強くなったな…俺の背中をただ追いかけて喚くしか脳が無かったあの頃とは雲泥の差だ…大したもんだ、本当によく頑張ったと思うよ…」

 

怪童の目には確かに映った。幼少期から共に同じ屋根の下で学び競い合い育った親友が、己と同じ幾多の逆境を乗り越えて成長を遂げた姿が。

 

だがそれを踏まえた上でなお、怪童ははっきり言う。

 

「でも俺には敵わねえ」

 

親友だからこそはっきりと声に出た非情の言葉。

 

それをしかと受け取った人志は、それでも不敵に笑って返す。

 

「だから何だってんだ」

 

能力、肉体、技術、経験。何一つとして隻腕の少年は、この一騎当千の怪物を倒すには足りていない。

 

足りないものは、意志で補っている。

 

「そうか…なら、すぐに終わらせてやる」

 

一騎当千の怪物の眼前に立ちはだかるは、頂点に立つ己とは比べ物にならないほどの遥か格下の隻腕の挑戦者。

 

この挑戦者は本来戦える身体ではない…そのはずなのに、異様に目をギラつかせまだ諦めていない。

 

迷いの無い目をしてはいるが手はもうフラフラ、立つ事すらままならないまで状態は悪化している。

 

怪童はこの戦いが不毛だと決めつけ、いよいよ全てを終わらせようと大地を駆けた。

 

依然人志は脱力、フラフラの状態。今まさに魔の手が迫っているにも関わらず、窮地から脱しようとしない。

 

早くも戦いが幕を下ろされた…かに思えたその時。

 

「何ッ!?」

 

怪童の目の前から突如として人志が姿を消した。

 

人志は連戦に次ぐ連戦で既に死に体…怪童の目には一切の澱みが無い。

 

にも関わらず突然姿を消した事に、怪童は唖然としながらも辺りを見渡す。

 

「おい、どこに目ぇ付けてんだよ!」

 

数秒後、声の鳴る方へと後ろへ振り向いた。

 

「俺はここだぜ」

 

満身創痍でありながらも、人志は不敵な笑みを浮かべて余裕を持って言う。

 

そんな人志を目の前にして怪童はあくまで表面上は冷静を装ってはいるが、内心は違和感と驚愕でいっぱいだった。

 

(こいつ…どうやって俺の背後に回った!?今まで後ろを取られた事など一切無かった!

しかもただの回避行動じゃねえ…さっきのはまるで俺をそのまま透り抜けるかのような、そんな動きだった!

こいつ、一体どこでそんな技能を身につけた!?)

 

揺らいだ心を鎮め、怪童は今一度殺しに行った。

 

これまでの殺し合いで培ってきた力・技・経験を、かつての親友に遠慮なく全てぶつけて行った。

 

ビュンと風を切り飛び交ってくる拳・蹴り・掌の数々は、掠っただけでも死に至るほどの比類なき威力と速度。

 

そんな代物を人志は一つずつ、一つずつ、一つずつと丁寧に回避する。

 

出来る限りギリギリに、紙一重で避けていく。

 

人志の視界には怪童の姿はおろか、繰り出してくる攻撃一つ一つがぐにゃ〜と歪んでいて、全く捉えきれていない。ましてや片目。

 

今までの戦いの負傷・失った寿命から、死の間際まで追い詰められている。

 

「腕一本失くしてその上片目も潰れちまったてめえなんぞに、今更何が出来るッッ!!」

 

親友からの情け容赦の無い言葉すら、今の人志には響かない。止まらない。

 

何故なら人志には、この最悪のコンディションが一番望ましい状態だからだ。

 

 

幼少期、物心ついた時から周りに散らばっているのは常に人間の死骸だらけだった。

 

残党処理の名目で戦災孤児達の新鮮な血肉欲しさに目をギラつかせている妖怪達から凌ぐ為に、恐怖・飢餓・劣等・非力・孤独を抱え込みながら生き延びてきた。

 

腐臭のする死骸を隠れ蓑にし、腐った死肉を喰い漁り、とにかく手段を選ばなかった…橘茜に拾われるその時までは。

 

戦いとは不合理なもの…どれだけ最善を尽くしても常に"最悪"が付き纏うもの。

 

人志は本能的にそれを理解している。

 

"最悪"との付き合いに慣れ切っている。

 

 

一発も当たらない。幾多の壁を打ち破ってきた怪童の拳が、蹴りが、いよいよ掠りすらしなくなった。

 

ならばと、怪童は人志の頭部に上段回し蹴りを放った。

 

脳震盪目的の蹴りと見せかけ、フェイントをかけてすぐさま下段へと変更。目にも映らぬ変則蹴りが、見事にクリーンヒットした。

 

「ッ!!」

 

パァンと何かが爆ぜたかのような音が鳴り、人志はダウンを余儀なくされる。

 

その瞬間を怪童は待っていた。膝を突き倒れ伏す人志の顔めがけて、必殺の右手を振り抉ろうとした。

 

僅か0.5秒もの瞬間、人志にはこの瞬間が何十秒何百秒もの時間を感じていた。

 

今まさに死がそこまで迫っている間際、人志は言った。

 

「なあ怪童…お前さっきこう言ったよな?

"腕一本失くしてその上片目も潰れちまったてめえなんぞに、今更何が出来る"ってよ」

 

「何ッ…!?」

 

そう言った刹那、人志は怪童の右手の軌道に合わせて反時計回りに身体を回転させた。

 

左足を軸にしながら目まぐるしく回る様は、まるでコマのようだった。

 

キュキュキュッと、草地に立っているのにまるで体育館の中のバスケの試合中によく鳴るシューズの音のように、摩擦熱で火を吹きながら音を立てている。

 

(さあ気やがれッ!!次に繰り出すものがどんなものだろうが全て捩じ伏せて、お前を殺すッッ!!)

 

怪童はすぐに構えを取り、人志の次の攻撃に備える。

 

拳が来ようが、蹴りが来ようが、能力が来ようが、いかなる攻撃に対処出来るほど怪童の構えは洗練されている。

 

そして繰り出される人志の攻撃は、全くの想定外であった。

 

それは、袖だった。

 

「ッッ!!!」

 

拳でも、蹴りでも、はたまた生命の炎でもない。

 

かつて自分が袂を分った時に引きちぎった親友の右腕…中身の無いフラフラと揺れるワイシャツの袖が、怪童の目を捉えた。

 

べチンッッと、まるで鞭に打たれたかのような鼓膜に響く音が立ち、怪童はよろけた。

 

人志はずっと機を伺っていた。風前の灯火同然の自分に、怪童が勝ちを急いで殺しにかかってきてくれるのを。

 

優勢である事と勝ちは似て非なるもの。分野がどうであれ、成功した者はその事をよく理解しているから皆異様に勝ちたがる。

 

それは怪童も例外ではない。妖怪という人智を遥かに超越した生物達との幾度のせめぎ合いを経て、今日まで勝ちを積み重ねてきた。

 

そんな戦いのエキスパートとは比べ物にならないレベルのクズが、執拗に食い下がってくる事に怪童は我慢ならなかった。

 

だから早く殺したかった。故に、隙が生まれた。

 

「打撃の際はインパクトの瞬間まで脱力…そうする事で威力も速度も精度もグンと上がり、相手に見切られにくくなる

お前が最初に教えてくれた技術だぜ、怪童」

 

相手は隻腕だという思い込み…心理的盲点を突いたこの一打で、人志は一歩前進する。

 

左拳に生命の炎を纏わせ、腰を入れて深く鋭く怪童の丹田に叩き込む。

 

勿論、インパクトまでの脱力も込めて。

 

「グッ!!ゴバッッ!!!」

 

遂に吐血し明確なダメージを与える事に成功。だがまだ攻めの姿勢を緩めない。

 

否、もともと締めるとか緩めるとか、そういう次元に人志はもういない。

 

限界という名の壁をその傷だらけの拳で壊し、ただ進むだけ。

 

その先にある未来…あの頃のようにまた3人で肩を並べ笑い合える日を掴む為に。

 

そして回転の際に摩擦熱で燃えた足に加えて、更に己の能力で極限にまで燃やし、大地を蹴って高く飛んだ。

 

空高く飛び上がり、空中で更に縦回転を加えて怪童の頭上目掛けて落ちる。

 

紅蓮に燃ゆるその右足を以て、怪童の脳天にぶち当てる為に。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」

 

喉が潰れるほどの咆哮があげられた。火花飛び散る最中、人志の踵落としはものの見事に怪童の脳天に命中した。

 

「グウゥゥッッッ!!!」

 

脳天割りの文字の如く、本当に脳が割れるかのような感覚と衝撃に見舞われた怪童は、遂にダウンを許してしまった。

 

草木や森や山といった自然全てを揺るがすほどの凄まじい轟音と共に、牙城は遂に崩れた。

 

「ハァッッ!!ハァッッ!!」

 

限界の壁を超えた人志は辛うじて立ち尽くしながらも見下ろし、そして痛感した。

 

幼少の時分…親友と幾度も組み手を交わし倒されてきた自分が、今度は逆に倒してみせた事を。

 

この難攻不落にして一騎当千の最強の漢から、遂にダウンを獲った事を。

 

だが、それでも人志はまだ構えを解かない。

 

優勢の内は、まだ勝った事にはならない。

 

「ハァッ…!!ハァッ…!!へへッ!おい!いつまで寝てんだよッ!」

 

人志は倒れた怪童を見下ろし、不敵に笑って挑発する。

 

鋭く鈍く光る黒い眼と、狂気にも似た意志を胸に秘めて、人志は叫ぶ。

 

「立てよッッ!!こっからが、本当の戦いだぜッッッ!!!」

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