戦の鉄則   作:並木佑輔

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第57話 夢

4年前…雲一つ無い晴天の下、孤児院カモミールにて稽古が行われていた。

 

師であり創設者である橘茜の指導の下、子供達は妖怪達から己の身を守る術を学び、鍛錬に励んでいた。

 

妖怪への特効力がある霊能力と、体術を主に鍛錬していた。

 

子供達は皆今日という日を生き抜く為、自分達の夢を叶える為に日々懸命に励んでいた。

 

その中でも一人だけ異彩を放つ子供がいた。

 

名は怪童。幼少から実母に戦士として生きるよう虐げられ、妖怪に実母を殺されながらも単独で生き延びてきた兵。

 

ビュンッと風を切って放つ拳が、蹴りが、吐く息までもが、子供だけでなくその場に居合わせた橘茜すらも魅了させ、そして戦慄させるほどのものだった。

 

当然、怪童の組み手の相手など誰もするはずがなく、今日も今日とて師の橘茜が組み手の相手をする事になった…と、その時。

 

「怪童ッ!!」

 

声の鳴る方へ振り向くと、人志の姿があった。

 

「今日こそはぜってぇ勝ってやるッ!!」

 

人志は他の子供との組み手を終えて既に汗だくになっているにも関わらず、休み無しで怪童に挑んだ。

 

そんな人志に、怪童はフッと笑みを浮かべて返す。

 

「いいぜ、今日も完膚なきまでにボコしてやる」

 

そう言った後、両者共にすぐさま構えを取る。

 

人志の無謀な挑戦に、子供達は大いに盛り上がって野次を飛ばす。

 

「おお!!今日もまた人志が無謀な挑戦するぞ!!」

 

「いけー脳無し人志ッ!!もし怪童に一発でもかます事が出来たら俺の昼飯の分奢ってやるぜえ!!」

 

皆が野次を飛ばす中、陽菜だけは人志を心配しながら見ていた。

 

「人志…」

 

やいやいと野次が飛び交う中、橘茜は向かい合う二人の間に入り組み手の合図をし始める。

 

「二人とも、準備はもう出来てますね

それでは、始め!!」

 

始めの合図と共に上げた手が振り下ろされ、二人の少年はぶつかり合った。

 

決着は早かった。開始数秒の間に怪童の拳が人志の顔面を捉え、終了した。

 

「そこまで!!勝者、怪童!!」

 

分かりきった決着に、子供達は人志を嗤った。

 

「いやあ惜しかったな人志!ナイスファイト!」

 

「バーカちっとも惜しくねえよ!顔面パンチ一発で瞬殺だったじゃねえか!」

 

午後16時過ぎ。一通りの稽古を終えた子供達は悔しさで崩れ落ちている人志をよそに、汗で濡れた体を清める為にシャワー室へと足を運んだ。

 

「ちくしょう…ちくしょうチクショウッ!!」

 

涙で顔を濡らし、人志は床に何度も拳を叩いて悔しがっていた。

 

そんな人志に、陽菜はタオルを人志の頭に被せた。

 

「ほら!早くそれで汗拭いて、シャワー浴びて体綺麗にしよう人志!いつまでも下ばっか向いてたら首痛くするよ!」

 

頭に被せられたタオルを手に取り、人志は陽菜に反論するように言う。

 

「あともう少しだったんだよ…」

 

「はあ…?」

 

「あともう少し!あともう少し俺の左ストレートが伸びてりゃ、あいつの顔面に届いてたんだよ!!そうなりゃ今頃勝ってたのは俺なのにい!!」

 

悔し涙を流しながら負け惜しみを口にする人志に、陽菜は半ば閉じた目でボソッと口を零す。

 

「だっさあ」

 

「んだとおッ!」

 

人志と陽菜のじゃれ合いを見下ろしながら、怪童は人志にダメ出し気味のアドバイスをする。

 

「人志 前にも教えたはずだぜ?打撃の際はインパクトの瞬間まで常に脱力しとけって

いつも力みすぎなんだよお前は」

 

怪童は笑みを溢しながらアドバイスをした後、稽古場を後にしシャワー室へと歩いた。

 

終始余裕をこく怪童の背中に、人志は眉間に皺を寄せて叫んだ。

 

「おい怪童ッ!!俺はぜってぇ諦めねえぞッ!!次こそはぜってぇ勝ってやるからなあッ!!」

 

遥か格下の叫びに、幼い戦士は足を止めた。

 

「ちょっと人志!まだやる気なの!?もうやめときなさいよ!あんたと怪童じゃ何もかも違いすぎるんだから!」

 

「うるせえ!俺がやるっつったらやるんだッ!横から口挟んでんじゃねえぞ陽菜ッ!」

 

誰もがその幼き戦士の強さに恐れ慄いていた。しかし、一人の少年だけはその圧倒的な差に恐れる事無く果敢に挑んだ。

 

そんな非力な挑戦者に、少年は満面の笑みで振り向き挑発する。

 

「そんなに勇むんじゃねえよ…俺は逃げも隠れもしねえ

いつでもかかってきな」

 

見下ろす者と見上げる者…二人の少年の間には、友情や絆という言葉では片付けられないほどの何かが芽生えた。

 

稽古を終えた二人の顔には、紛う事無き笑みでいっぱいになっていた。

 

この時、人志・陽菜・怪童が12歳の頃であった。

 

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そして4年後…現在に至り、遂に二人の差は縮まった。

 

右腕を失い中身の無いワイシャツの袖で怪童の目を捉え、隙を生じさせ渾身の一撃を人志は打ち込みダウンを奪った。

 

「おいッ!!いつまで寝てんだよッ!!

立てよッッ!!こっからが本当の戦いだぜッッッ!!!」

 

人志は目の前の越えるべき壁を己の手で倒した実感と達成感を胸中で必死に押さえつけながら、今もなお草地に倒れ伏している怪童に叱咤する。

 

怪童は倒れながらも驚愕した。

 

踵落としによるダメージで倒れた事よりも、自分に地面を這いつくばらせるにまで至った人志の成長振りに、心底驚愕した。

 

「フ…フフフ…」

 

ダメージは決して小さくは無い…上空からの渾身の踵落としが脳天に直撃したにも関わらず、怪童は笑った。

 

笑いながら両手で地面を押し上げ再び立ち上がる怪童の姿は、まさに不撓不屈の戦士にして怪物そのものであった。

 

「フフフフ…人志、お前本当に強くなったな…一つ一つの技のキレが良い…タイミングもばっちりだ…よくぞここまで成長してくれた…」

 

脳天直撃のダメージを物ともしないような笑みを見せながら、怪童は続けて言った。

 

「おかげでやっと俺も本気を出せるってもんだぜ…」

 

「へっ まあそりゃあ、お前が今まで俺相手に本気出した事なんてねえもんな…」

 

怪童の狂気にも似た闘志の笑みに、人志は不敵に笑いながらも心臓の鼓動が早まった。

 

ザクロと戦った時も、キングと戦った時も、凍哉と戦った時も、オニタケと戦った時も、バサラと戦った時も、ヒスイと戦った時も、橘茜と戦った時も、後藤博文と戦った時も。

 

人志は今までの怪物との死闘を乗り越えてなお、感じた事の無い胸のざわめきをひしひしと感じていた。

 

頬をつたる緊張の汗が止まらず、体温がどんどんマグマのように煮えたぎる感覚に見舞われた。

 

だが、人志は不思議と恐怖を感じていなかった。

 

(何でだ…目の前にこんなやべえ奴がいるってのに、緊張で身体がかつて無いほど熱くなってやがるのに…不思議と怖さを感じねえ…

いや、全く怖くねえわけじゃねえ…俺自身見てみてえんだ…あいつの本気ってやつを…)

 

かつて無いほどの緊張・鼓動・熱気に襲われながら、人志は今一度呼吸を整え構えを取り直した。

 

冷たく静かな風が二人の身体を撫でるように吹き始めた。

 

この命のやり取りの場に更なる緊張を醸し出す…嵐の前の静けさのように。

 

そして、痺れを切らした怪童が闘志の赴くままに動き出した。

 

「ッッ!?」

 

刹那、人志は信じられないものを見て動きが固まった。

 

両手を下げ振り子のようにブラブラと揺らし、顔からもまるで覇気が無いほど脱力しきった怪童の姿があった。

 

それはどの武術や格闘技の構えにもない。いや、そもそも構えとは呼べないほどの滅茶苦茶な立ち方だった。

 

誰の目にも見て取れる相手を侮辱するような立ち方。だが、人志にはこの立ち方が怪童特有の構えだとすぐに悟った。

 

「何だよそれ…!?そんな構え、俺は知らねえぞ…」

 

「そりゃあそうだ…この構えを取ったのは、今までの俺の戦いの中でこれが初めてだからな」

 

「何…!?」

 

「人志、お前は誇っていい…人妖史上最強最悪のこの俺にここまで本気を出させた事を…そしてこの構えが、お前の生涯の最後に見る光景だ…」

 

不敵な笑みを浮かべてそう言った次の瞬間、怪童は忽然と姿を消した。

 

「ッッ!!?」

 

戦闘中の瞬きはそのまま死に直結する行為…人志はこの命のやり取りの場において、一切瞬きなどしていない。

 

それなのに怪童は消えた…いや、目で捉え切れなかった。

 

(落ち着け…目で追うんじゃねえ…殺気を捉えるんだッ…!!)

 

動揺した心を鎮める為に深呼吸を挟み、人志は陣取って構え直す。

 

左足を軸にし、左腕を前に出して構える。いつも通り構えは変わらないが、人志は更に炎の生命エネルギーの能力を加える。

 

己を中心とした半径5mの炎の円。その円に侵入すれば半自動的に炎で迎撃出来る攻守兼備の構えに変貌し、より強固になった。

 

人志は汗を流しながらも草地を強く踏み締め、カモミール跡地にどっしりと構える。

 

いつでもかかってこい…と言わんばかりに人志の目は、先生と子供達の魂が眠るこの墓標の地に、言葉以上に語りかけていた。

 

(さあ来やがれ…獲ってやるッ!!)

 

臨戦態勢に入っている人志に応えるように、さっきまで静かだった風が突如突風となり、人志の身体を叩いた。

 

それとほぼ同時に炎の円が"何か"に反応し、向かってくる"何か"を迎撃せんと激しく炎上した。

 

(来たッッ!!)

 

目を大きく開眼させ拳は緩く握りながらも炎を纏わせ、人志は目にも映らぬ速度で突風と共に真っ直ぐ向かってくる"何か"に、更に迎撃を加えんとしていた。

 

そして次の瞬間人志は炎を纏わせた拳をインパクトの瞬間強く握り締め、ドゴンッと大砲のような音と共に拳がクリーンヒットし、確かな手応えを感じた。

 

見事命中…かに思えたその時。

 

「なッ…何ッ!!」

 

人志の頬が突如として切れた。それはまるで鋭利な刃物でばっさりと切ったかのように、頬の肉の切り口がぱっくりと断裂していた。

 

(でも手応えは確かにあった…次で完璧にカウンターぶちかましてやるッ!!)

 

断裂した頬の切り口から血が一滴ずつ草地に零れ落ちる中、人志は怪童の次の攻撃に備えるべく再び深呼吸を挟む。

 

人志の呼吸に合わせるかのように、どこにいるかも分からない怪童は再び突風と共に駆け出した。

 

炎の円は自動的に怪童を迎撃するもあまりの速度と膂力に一瞬で掻き消され、その魔の手は遂に人志へと届いた。

 

必殺の右手が人志の身体を抉ろうと振り下ろされたその時、人志は上半身を使ってある技術を駆使した。

 

上半身を左斜めに構え右肩を出し、怪童の全てを抉り殺す右手をその右肩で受け流したのだ。

 

これはショルダーロールという肩で相手の攻撃を受け流す、ボクシングの高等防御技術である。

 

訓練や応用次第で防御から攻撃に転ずる事が出来る。

 

人志はワイシャツの上ごと右肩を多少抉られながらも怪童の右手の軌道をずらす事に成功し、炎の拳で顔面へのカウンターを直撃させた。

 

だが、怪童もカウンターに負けじと空いた左拳で人志の顔面を捉えた。

 

バァンッ!!と森林の木の葉が揺れるほどの打撃音が鳴り響き、激しい血飛沫と共に両者は吹き飛んだ。

 

相打ちという結果に終わりながらも互いに草地をブレーキに使い、二人は墓標に留まる事となった。

 

「へっ どうした!てめえの本気はこんなもんかよ怪童ッ!!」

 

顔面への反撃を喰らった人志は潰れた鼻を指で押さえてブーッと血を抜き、いつもの不敵な笑みを見せた。

 

対して怪童は鼻血が出てる以外何ら目立った外傷は無く、ただ平然と立ち尽くしていた。

 

そして続け様にこう言った。

 

「やはりこの程度のスピードじゃ殺すに至らないか…」

 

「あぁ?」

 

人志は表面上は不敵に笑ってはいるが、あれでまだ本気じゃねえのかよ…と内心激しく驚愕していた。

 

「人志…ギアを上げるぞ…最大までな」

 

怪童は言葉通りに、言葉のままにトップギアで大地を駆けた。

 

土煙を一切上げずに全速力で駆け抜ける怪童に、人志はまた炎の円を展開してカウンターで迎え撃とうと構えた。

 

だがその矢先に、人志は信じ難くも拭い難い圧倒的な差を見せつけられた。

 

「な…!!何ッ!!」

 

瞬きする暇も無く、一瞬で何体もの怪童が眼前に現れたのだ。およそ数千にも及ぶ数だった。

 

その殆どが怪童の圧倒的神速による残像そのもの。人志はその事をいち早く察知し、そして青ざめていた。

 

身長195cm体重100kg超えの巨躯が、超音速を誇る伊達恭次郎のスピードをも遥かに凌駕する事に。

 

(伊達さんが戦っているのを見る度にとんでもねえスピードだと思っていたッ!!だけどこれは…これはもうッ…この世の生き物が出していいスピードじゃねえッッ!!)

 

数千の怪物に全方位逃げる隙も無く囲まれ、人志は青ざめながらも覚悟を決めて叫ぶ。

 

「行くぜぇッッ!!!」

 

螺旋状に舞い上がる炎の生命エネルギーを身に纏い拳を硬く握り締めて、人志は自ら怪物の巣へと駆けた。

 

その覚悟に応えるかのように、数千の怪童も一斉に人志を殺そうと動いた。

 

 

 

結果は火を見るより明らか。圧倒的強者の数の暴力に、人志は当然為す術無く倒れ伏した。

 

人志が隻腕の身の上、多対一の戦いが不得手だという事を理解している怪童は残像が数千にまで及ぶ圧倒的速度で、眼前の挑戦者を見事に平伏させた。

 

結果だけを見れば文句無しに怪童の圧勝なのだが、怪童は倒れ伏している人志を見下ろしながら焦燥に駆られていた。

 

(何故だ…何故こんなにも心が落ち着かない…)

 

数多の怪物を殺してきた。数多の格上を超えてきた。そんな己の強さがただ誇らしかった。

 

怪童は文句無しに最強の能力者であり怪物だ。それなのに、心が異様にざわついていた。

 

今まで殺してきた怪物達は、圧倒的な存在や膂力を見せつけながらも最終的には全て超越し、そして殺してきた。

 

そう、怪童は今日に至るまで大妖怪という圧倒的な怪物とばかり戦ってきた。己より格下、あるいは人間と戦った経験は大妖怪との戦いに比べれば遥かに経験値が少ない。

 

その上に相手はかつて袂を分った親友。"怪童には絶対に敵わない"という拭い切れない現実と恐怖を、右腕を引き千切ると共に植え付けたはずの隻腕の親友。

 

それが異様に己に食い下がる。だから怪童は、如何ともし難い焦燥に駆られていた。

 

倒れ伏している隻腕の親友の頭を掴み上げ、怪童は問う。

 

「何故だ…何故お前はそんなになってまで俺に構っていられる…!何故お前は戦い続けるッ…!!」

 

眉間に皺を寄せ声を震わせる怪童に、人志は打撃で腫れまくった顔を見せて笑って言い返す。

 

「へっ んなもん決まってんだろ…俺が大の負けず嫌いだからだよッッ!!」

 

幼少の頃と同じ…いやそれ以上の負けん気と意地が、怪童の瞼の奥に焼き付いた。

 

圧倒的実力差に怯む事無く、人志は爆炎を身に纏うと共に牙を剥き出す。

 

如何ともし難い火力に怪童は人志の頭から手を離し、人志は間合いを取る事に成功し再度構えを取った。

 

「それによ、叶えてえ夢があるからなッ!俺とお前と陽菜!三人で色んなとこ行って色んなもの見るって夢がよッ!!」

 

夜空の下、三人の少年少女が夢を語り合ったかの日。

 

あの頃の星々と平穏を、二人は今でも鮮明に覚えている。

 

「夢だとッ…」

 

怪童は"夢"という言葉を耳にした途端険悪な顔で人志を見つめ、そして顔面を殴り抜けた。

 

その言葉は傷だらけの少年にとって、拭い難い辛酸だからだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

4年前、12の時分。カモミールの教室にて。

 

「はぁい皆さん。今から紙を配りますよ〜。」

 

橘茜は子供達の机に一枚の紙を配り始めた。

 

「今日の授業は"皆さんの夢について"です。今から皆さんにはこの紙になりたい自分や夢をイメージしてもらって書いてもらいます。

出来たら各々私に提出してくださいね。時間は制限しませんので、自分のペースでよく考えて書いてみてください。」

 

子供達は、先生の言う通りに机に向かって筆を立てる。

 

一方、人志・陽菜・怪童の三人だけは机に向かうも一切筆を立てる事無く、ぼーっと紙を見ていた。

 

一時間後、怪童・人志・陽菜を除く子供達は橘茜に提出を終え、教室を後に雑談していた。

 

「なあ、お前ら何書いた?」

 

「漫画家」

 

「へえ、俺普通にリーマン」

 

「あたしパン屋」

 

「お医者さん」

 

「美術家」

 

「オレ横綱」

 

皆が廊下を歩く中、人志は相変わらず怪童に付き纏い話しかける。

 

「なあ怪童!お前将来の夢決まった?」

 

そんな人志に、隣の席の陽菜は眉を顰め強い口調で注意する。

 

「ちょっと!人が書いている最中に話しかけないでよ!気が散るじゃない!」

 

「何だよ別におめえに話しかけてねえだろ〜」

 

「じゃああんたはもう書けたの?」

 

「……まだ」

 

「じゃあ話しかけんなカス!」

 

「そんな言い方しなくていいじゃねえかよチビ陽菜〜」

 

人志と陽菜のじゃれ合いが始まった。怪童にとって二人のじゃれ合いは、カモミールに来てからもはや当たり前の日常の象徴と化している。

 

戦士としての使命を背負わされている怪童にとって、二人の存在は騒がしく鬱陶しくも眩しい。

 

「先生…小蝿共がうるさくて集中出来ないから他所で書きます」

 

怪童は涼しい顔で橘茜にそう言った後、一人で集中するべく紙を持って教室を後にした。

 

「こ…小蝿ッ!!?」

 

想い人に小蝿呼ばわりされた陽菜は、ショックを受け涙目になった。

 

「ギャハハハ!!小蝿だってよ!!遂に嫌われちまったなチビ陽菜!!」

 

「黙れ馬鹿死ね!!全部お前のせいだッ!!」

 

「あらあら、二人とも喧嘩するほどの仲になったんですね!」

 

笑いながら煽る人志、顔を赤くして怒る陽菜。橘茜はそんな二人を微笑ましく見ていた。

 

教室を後にし外に出た怪童は、野原の上で今日も今日とて鍛えていた。

 

妖怪の幻影をイメージし拳や蹴りを突き出しながら、怪童は己の夢について思い悩んでいた。

 

(正直、なりたい自分や夢なんて俺には分からねえ…妖怪共が支配する以前からこの世は弱肉強食…至ってシンプルだ

夢なんて儚いもんは、現実に殆ど喰い潰されちまう)

 

夢を叶える過程で必ず当たる壁、それを乗り越えられる者はほんの一握りの強者だけという現実に、怪童もまた苦悩していた。

 

苦悩が拳や蹴りにも表れ、更に早い速度と鋭い威力を出力させながら怪童は胸中で叫ぶ。

 

(だからこそ、俺はもっと強くならなきゃならねえ…せめてあいつらの夢を守れるぐれえッ!

もっと強くッッ!!)

 

拳や蹴りだけでなく、黒い瞳の奥にある確かな熱を秘めている。

 

汗だくになって鍛錬を終えた怪童は、一枚の紙を書き終えて橘茜の教卓へ提出した。

 

その紙にはこう書かれていた。

 

今よりもっと強くなる、と。

 

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だが結局、そんなものは悉く喰い潰された。

 

妖怪の手で創られた完全実力主義の世界、その現実によって。

 

「まだそんな事言ってんのかてめえはッ…!!」

 

青筋を立て声を震わせながら、怪童は右拳で人志の顔面を殴り抜けた。

 

首から上が吹っ飛ぶほどの拳を人志の顔面に叩き続け、怪童は叫ぶ。

 

「夢なんてありゃしねえんだよォッッ!!この世のどこにもォッッ!!あるのはたった一つだけだッッ!!実力だけがものを言う紛いの無い現実がなッッ!!!」

 

人志が自分の拳の威力で吹き飛ばないよう、怪童は左手でワイシャツの胸ぐらを掴みながら顔面をひたすら殴り続ける。

そして、今まで抑えに抑えていた感情を吐き出した。

 

「結局夢を叶える事が出来るのは、ほんの一握りの強者だけだッッ!!弱者にはハナから夢を叶える事以前に夢を語る権利も資格もありゃしねえんだッッ!!

それが分からねえてめえにはッ!!一生俺に勝つ事なんざ出来ねえんだよおォォッッッ!!!」

 

意識どころか命をも完全に断つ勢いだった。

人志は顔面にその凶拳を喰らい続け、遂に吹き飛ばされた。

ビリビリに引き裂かれたワイシャツを捨て、怪童はボロボロの親友を見下ろして言った。

 

「…じゃあな人志…お前は本当に強かったよ…ここまで戦い抜いてきた己を誇りながら、存分に眠りな…」

 

さっきまでの怒りが冷たい風と共に吹き去り、哀しい顔をして怪童は重い足でカモミール跡地を去ろうとした。

 

だが隻腕の挑戦者は勝ち逃げを許さず、ゆらゆらと燃え上がる蝋燭の火のように立ち上がった。

 

「へ…へへ…何だぁ…?さっきまでの余裕が…露と消えちまったな…特に…俺の口から出た…夢っていう単語をきっかけによお…?」

 

何度叩きのめされようとも立ち上がってくる隻腕の挑戦者に、怪童は眉を顰めて身体ごと振り向かせる。

 

「本当に…しつけえ野郎だな…いいぜ…そんなに殺されてえなら、今すぐに殺してやるよッ…!!」

 

クレーターが出来るほど大地を激しく蹴り、怪童は人志に目掛けて巨拳を突き出す。

 

繰り出される巨拳。掠っただけでも致命傷になりえる攻撃を、人志は闘牛士のように軽く手で払い除けると同時に間合いを詰め、炎を纏わせた拳を鳩尾に放った。

 

(合気ッ!!)

 

練度の高い人志の合気に怪童は少し驚きながらも、すぐさま落ち着きを取り戻し炎の拳を正面から受け止めてみせた。

 

人志の技術は幾多の死闘を経てほぼ完成されている。だが、心・技・体全てが規格外のこの男の前ではまるで赤子と大人。

 

弱者が強者に対抗する為に編み出された技術という名の小細工すら物ともしないほどの如何ともし難い怪物性。

 

「こんな物なのか…お前の強さは…」

 

冷酷な目を向けると共に、凶拳は人志の鳩尾を貫いた。

 

腹に風穴が空いたかの錯覚と衝撃に見舞われ、人志の身体は数十センチも空に浮いた。

 

だが人志はへこたれない。渾身の一撃を喰らった事により、炎は更に勢いを増した。

 

拳を喰らい吹っ飛んだ刹那、人志は足を使って後ろに勢いをつけて思い切り跳躍。これでダメージを出来る限り最小限にまで抑える事に成功する。

 

「おいおい、どうした?拳の質が落ちてきてるぜ?」

 

人志の曇り一つない不敵な笑みに怪童は怒り、殺意にも似た丸太のような右足の回し蹴りを放つ。

 

皮膚に触れた時点で死が確定する一撃を、人志は紙一重で回避し足に炎を纏わせ強化し、反撃の後ろ回し蹴りを上段に喰らわせた。

 

怪童は、両手で脳をシェイクされたような感覚に見舞われながらも反撃の拳を人志の顔面にお見舞いし、互いに森林をドミノ倒しのように破壊しながら吹っ飛んだ。

 

二人の一撃はまさに命を断つに相応しい至高の領域だった。だが二人はまだ死んじゃいない。やり遂げなければならない事、果たさなきゃならない事。

それがボロボロの少年達の魂を燃やしている。

 

怪童は仰向けになりながらも、人志の不屈の魂を感じていた。生半可な一撃ではあの炎は消せないと。

あの渾身の一撃で親友の命を絶つ事が出来ない己の弱さに、歯噛みしながらも大地を殴り抜くと同時に立ち上がった。

 

だが、見上げると傷だらけの挑戦者の姿がもう目と鼻の先にあった。

 

挑戦者の黒い目の奥にはギラギラと鈍く光るものが、残った片腕の先にある拳には紅く輝く命の炎が確かに存在していた。

 

怪童はこの瞬間、初めて人志に恐怖を抱いた。

それと同時に、ある一種の憧れさえ感じていた。

 

「何がそこまでお前を支えている…?意地か?プライドか?正義感か?使命感か?

それともくだらねえ夢の為か?いずれにせよ、お前がどんなに頑張っても俺を超える事は出来やしねえよッ!」

 

驚異的な粘りを見せつける挑戦者に、人妖史上最強を冠する怪物は声を震わせて問う。

 

それとは対照的に、人志は不敵に笑って落ち着いて返した。

 

「おめえもそのくだらねえ夢ってやつを守りたかったんだろ?ここに眠っている奴らの夢をよ」

 

その言葉を耳にした途端、怪童の"何か"が壊れた。戦士としての致命的な"何か"が。

 

「黙れえええええええええええェッッ!!」

 

怒りのままに怪童は拳を振るう。たとえ立ちはだかる相手が親友だろうと情け容赦などない。

 

命を絶つほどの暴力が人志を襲う。人体という名の血の袋を叩く鈍い音と骨という骨が折れる嫌な音が混ざり合い、そして間合いを突き放した。

 

戦況は圧倒的に怪童が有利。なのに、怪童の表情には常に陰が覆っている。

 

あと一撃…右手で頭を掴んで抉ればそれで全て終わるのに、手が出せない。

 

幾多の戦を超えてきた傷だらけの怪物をずっと支えてきたもの。

技術・膂力・経験・自信・度胸・覚悟・狂気。

それら全てを総動員させ、人智を遥かに超越した怪物共を幾度も殺してきた。

そうして盤石にして絶対的な強さを獲得した。

 

だがここに、夢想だにしない壁が現れた。

ちょっと一押しすればすぐに壊れる壊れかけの分際なのに、何度でも何度でも立ちはだかってくる。

バサラやヒノマルのような怪物性も、ヒスイや後藤のような特質性も無い。

 

消えかけの命を燃やしている片腕の親友が、眼前にただ一人。

故に、"怪物"は崩壊した。

 

「何でだ…何でそこまで強くなっちまったんだッ…ガキはガキらしく頼れる大人の元に行ってほとぼりが冷めるまで守られりゃ良かったのにッ…!!

何で特別な人間でもねえお前が、そんな今にも死にかけの身体で戦えるんだよッ…!!」

 

さっきまで怪物の顔にあった狂気と悪辣が、今この瞬間に消え去った。

皺だらけで泣きじゃくるその顔は、まるで少年時代を彷彿とさせるような弱々しく情けないものに変わった。

 

目を逸らさず真っ直ぐ見つめる親友。

怒りや憎しみや敵意もなく何の雑念も無い純粋な光に当てられ、怪童は遂に演じる事をやめてしまった。

"戦士"も"怪物"も全てを自ら放棄し、少年は親友に本音をぶちまけた。

 

「全部俺に任せてッッ!!お前は陽菜と一緒に何処へでも行って夢の続きでも見ればよかったじゃねえかアアァァッッ!!!

どうして俺についてきたッッ!!?

何でお前まで戦ってんだよオオォォォッッッ!!!」

 

"妖怪殺し"と謳われた少年の魂は、とっくに限界に達している。

どんなに鍛え抜かれた肉体でも、どんなに怪物と畏怖される強さを持っていたとしても。

一度壊れた魂は、二度と元に戻らない。

 

自我が崩壊し号泣する親友に、人志は昔と変わらない気楽で優しい声で話しかける。

 

「何度も言わせんじゃねえよ馬鹿野郎

俺は誰にも負けたくねえんだ…てめえ自身にもな」

 

手を親友の鳩尾にゆっくりと差し伸べ、鍛え抜かれた鉄の腹筋に指を二本立てた。

 

刹那、とてつもない衝撃が怪童の胃腸を襲った。

 

「グウゥッッ!!?」

 

寸勁(すんけい)。

中国武術における技の一つで、相手との距離が1インチ(約2.54cm)ほどの密着状態から繰り出すパンチである。

無論この技は密着状態にて効果を発揮する技で実戦ではほぼ使いものにならず、主に瓦割りや煉瓦割りに使われる演武用の技である。

 

今の冷静さを取り乱した怪童には、それが効果抜群だった。

 

「グゥッッ!!ウウゥゥッッ!!!」

 

怪童はこみ上げる血反吐を堪えて呑み直し、反撃の右足刀蹴りを人志の鳩尾に放った。

 

風前の灯火同然の人志にはこれを捌き切る体力は残っておらず、もろに直撃し空を舞った。

だが、蝋燭の火はまだ消える事はない。

他でもない人志自身が"それ"を許さない。

 

孤児院カモミール跡地。

先生と子供達の墓標が列ねる敗北の地での二人の戦いは、遂に佳境へと突入した。

 

吹けば消えそうな命の火を燃やし続ける隻腕の少年と、心身共に不治の傷を負いながらも最強の怪物として君臨している少年。

二人の少年の間には差がありながらも、個としての強さの極致に達している。

 

だがこのままぶつかり続ければ差は広まる一方。

人志はもうあと一発喰らえば確実に死ぬという、文字通り消えかけの蝋燭の火。

 

怪童はそんな今にも消えそうな火を絶やす事が出来ずに、構えを取る事も無くただ立ち尽くしていた。

 

「なあ人志…もう充分だろ…?」

 

幼年時代と同じような気さくな話し方で、怪童は親友に話しかけた。

 

「お前は陽菜を救った上に元凶も倒してみせた…俺の背中ばかり追っていたあのガキの頃とは比べ物にならねえほど成長した…

お前は本当に凄えよ…一人の人間として尊敬に値する…

だからよ、さっさと退いてくれよッ…俺はもうこれ以上…お前と拳を交えたくねえッ…!!」

 

嘘偽りなど一切無い。心から漏れ出した言葉だった。

 

親友の言葉を確かに受け取った人志。

全身の至る部位に打撲傷と骨折…そして自分の返り血で塗れている。

風前の灯火同然の身体を、足腰の力と魂が支えている。

 

意識が朧げながらも、その黒い目の奥には燃ゆる意志がある。

まるで消える前に勢いを増す蝋燭のように。

 

「俺はよ、怪童…お前みてえに強くなりたかったんだ…」

 

「何…?」

 

「ガキの頃から、俺の目にはお前が凄く輝いて見えた…俺を含めた他の奴らとは決定的に違うオーラを醸し出してるっつうか何つうか…上手く言語化出来ねえけど…とにかく凄かった

"誰よりも強く生きてやる"っていう気概がさ…」

 

幼年時代…孤児院カモミールで共に学び育ったあの頃と変わらぬ優しい顔で、隻腕の少年は言い続ける。

 

「あの頃のお前の怖え目付きとか仕草からさ、何となくその気概が感じ取れてさ、周りの奴らはお前の事怖がって化け物とか何とか陰口ばっか叩いていたけどさ、俺には凄えかっこよく見えた…

怪物だらけの地獄の世界の中で誰にも負けねえように自分を追い込んでいる姿が…何も無え俺には凄え眩しく感じた…」

 

「……お前………」

 

「だからさ…俺、お前に憧れてお前の真似事ばっかしてた…筋トレやら型やらシャドーやら…色々やってよ…へへ…!

お前みてえに、強くてかっけえ人間になりたかったんだッ…!

でもやりすぎて茜先生にこっ酷く怒られちまったけどな…!へへへっ…!」

 

千切れて失った右腕と潰れた右目に、幾多の地獄を乗り越えてボロボロの身体。いつ死んでもおかしくないほど命の火はゆらめいている。

そんな状態なのに、あの頃と変わらない笑顔で少年は親友に話している。

 

「……めろッッ……!!」

 

最強の怪物を冠する少年は親友の温かな眼差しに当てられ、遂に下を向いた。

自分にはその目を合わせる資格は無いと、他でもない怪童自身が一番理解しているから。

 

「でも…そんなお前でも勝てねえ相手がいるって分かった時には、ほんとに絶望感半端なかったなあ…!そこらの妖怪共はともかく、バサラとかザクロはほんとに半端ねえくらい強かった…!

あの時、何にも出来ねえ自分がとにかく情けなくってよお…!稽古でお前に何回もボコられて、何回も練習したってのに…結局クソの役にも立ちゃしなかった…」

 

「……やめろッ…!!」

 

「今でもあの日の事は昨日のように思ってる…先生がザクロの超重力で殺された事、仲間達が妖怪共に骨の髄まで喰い殺された事、お前が罪悪感のあまり狂って皆の墓を建てた事

んでもって…俺がお前にーーーー」

 

「やめろっつってんだろうがあッッ!!!」

 

土を見ながら悲痛の叫びをあげた後、怪童は涙に濡れた顔を上げて言葉を返す。

 

「今更そんな思い出話に浸ってどうすんだよッ…!!この期に及んで傷の舐め合いでもしようってか…?それともこうして喋っている内に体力の回復でもしてんのか…?

いずれにせよ無駄だ…どんなに足掻こうがてめえは今日ここで死ぬんだッ…!!

てめえはまたここで俺に負けるッ!!最期はこの土の下で眠っている負け犬共のお仲間になってなッッ!!!」

 

如何ともし難い悲しみで顔を濡らしながら、怪童はあくまで"怪物"を演じ切ろうとしている。

 

人志は怪童の他を圧倒する強さに見事喰らい付いてはいるが、怪童の喉元には一歩及びはしない。

このままではジリ貧の一方、まず根負けする。にも関わらず、人志は不敵の笑みを崩さない。人志はまだ出し切っていない。

己の全存在さえ燃やし尽くす"炎の極致"を。

 

「へへへッ…確かによぉ…今のままじゃまたあの時の二の舞になっちまうなあ…

"今のままじゃ"よお…」

 

「あぁッ…!?」

 

「おめえがあの頃と比べ物にならねえぐれえ強くデカくなったように…俺の炎も強くデカくなったんだよ…

おめえを負かすぐれえのなッ…!!」

 

「今のお前にハッタリ抜かす元気があるとは意外だったぜ!じゃあ今すぐ見せてみろよッ!その炎とやらで俺を負かしてみろよッッ!!」

 

眉間に皺を寄せて息巻く怪童に、人志は変わらず笑みを崩さない。

その片手を胸に置き、胸筋と胸骨を貫いてその奥に秘蔵されている心の臓に届かせ、宣言する。

 

「しっかり目ん玉の奥まで焼き付けとけよ…

これが俺が掴んだ…俺だけの炎

気炎万丈だッ!!」

 

人志の宣言に、自然全体が激しく揺らぎ始めた。

森林の木の葉は全て舞い散り、大地は地震のように揺らぎ、山は噴火と共に火山灰を撒き散らし、空は雷雲を覆って稲光を鳴らした。

しかし、そんな森羅万象の全てを一気に吹き飛ばすような炎がまだ奥底で眠っている。

 

ドクンッ!ドクンッ!ドクンッ!ドクンッ!

 

一定のリズムで繰り出される心臓の鼓動と共に、血潮は血管の中を伝って身体全体を激しく巡り抜く。

身体の奥底までどんどん熱くなり、赤と黒の入り混じる炎が人志の周りで螺旋のように渦巻く形で燃え上がる。

 

やがて炎は隻腕の少年を抱擁するかのように包み込む。

己が放出し練り上げた生命の炎に抱かれ、人志は目を瞑ってこれまでを振り返る。

 

死肉を喰い漁って妖怪達から逃げ続けた非力な幼少時代を。

橘茜に拾われカモミールで仲間と共に学び暮らしたあの日々を。

大妖怪の手で全てを踏み躙られた雪辱の日を。

墓前で誰にも負けないという誓いを胸に、鍛錬に次ぐ鍛錬を重ねたあの頃を。

新しい戦友と出会い、切磋琢磨したあの日々を。

磨きに磨き上げた己の極致で、過去の雪辱を果たしたあの瞬間を。

大妖怪をも超越した未曾有の脅威を前にし、また戦友を失った悲しみを。

戦友の力と遺志を受け継ぎ元凶を倒し、過去のしがらみから大切な人を解き放ったあの達成感を。

 

そして今、眼前に聳え立つ最大最強の壁を乗り越える為に、人志は己を解き放つ。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」

 

咆哮と共に生命の炎は螺旋状に燃え上がり、空を突き抜けるまでに高く上がった。

揺れ動く大自然はたった一人の少年の魂の叫びに気圧され、まるで嘘のように完全に収まった。

 

怪童は酷く戦慄していた。

弱く儚いただの人間が、ここまでの境地に達したという事実に。

非力で頼りなかった炎が、ここまで大きく強くなった事実に。

 

空を突き抜け焼き尽くそうとしている炎を、人志は腕を横に払った。

指揮するような身の素振りに炎は従い、やがて人志の身体を優しく包むのように収まった。

 

変わり果てた人志の姿に、怪童は目を大きくし驚愕した。

 

長くなった黒髪に、より鋭くなった黒い眼光。

より大きくなった肉体に、心臓の位置する胸に焦げた穴が空いている。

さっきまで螺旋のように激しく渦巻いていた赤と黒が入り混じった生命の炎が、人志の身体を優しく抱擁するかのようにコンパクトに収まっている。

 

怪童は見ただけで悟った。

こいつは今、俺を殺すに充分な領域に達しているという事を。

 

「時間かけちまって悪りぃな怪童

これが気炎万丈…俺の極致だ」

 

人志からさっきまでの不敵な笑みが消え失せ、刃物よりも鋭い目で怪童を真っ直ぐ捉えている。

今度は逆に、怪童から笑みが溢れていた。

 

「フ…フフフフ…なるほどなあ…それがお前の極致か…

いかにもお前らしい…成れの果てって奴だな…」

 

バサラとの戦いにて発現した気炎万丈。

ヒスイとの死闘にて完成に達したその姿は、まさに成れの果てと言える凄惨なものだった。

 

気炎万丈は大妖怪の力を凌駕するもの。

それを身につける為に人志は残りの寿命を犠牲に手に入れた。

だが、大妖怪をも上回る者達との戦いではこれでは不十分。

よって、人志はこの力を真に完成させる為、更に犠牲を重ねた。

 

いずれ辿り着く未来。何十年もの時を踏み倒した己の姿。

余命幾ばくかの命と未来の全てを捧げた、まさに成れの果ての姿。

 

人志は誰に言われずとも自分が今置かれている状況を、誰よりも把握した上で覚悟を決めている。

この戦いを機に、自分の火は潰える事になる事を。

 

「覚悟しろよ怪童…俺の炎は火傷どころじゃ済まねえ

芯の奥底まで燃やし尽くすのさ」

 

そう嘯いた後、人志の手には炎の剣が既に握られていた。

それはどんな殺意よりもドス黒く、どんな鮮血よりも赤く燃えていた。

剣を握っている腕を上げ、変わらぬ目で眼前の壁を見据えている。

その様は人妖史上最大最強の怪物に、今までにない緊張を与え構えを取らせている。

 

 

そして刹那、一つの言葉と共に剣は振り下ろされる。

 

「気炎万丈"焔威"」

 

巨きく分厚い縦状の炎の斬撃が目にも映らぬ速度で、大地を斬り裂きながら怪童を襲う。

既に構えを取っていた怪童は、その右手で炎の斬撃を掴み無力化させ抉り殺そうと試みた。

だが生命の炎は留まる事を知らず、逆に怪童の右手を焼き尽くす勢いで更に燃えている。

 

「グウッッ!!グアアッッ!!」

 

今までに感じた事の無い熱さと威力に、怪童は右手ごと焼き殺される予感を悟りながら、それを手放さずにいた。

最強の矜持が、それを許さなかった。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」

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