戦の鉄則   作:並木佑輔

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第61話 またな

 

人間を弄び喰い殺す魑魅魍魎共が蠢く魔都・東京から、しばらく離れたところにある丘。

そこにはかつて、一つの施設があった。

妖怪の細胞を入れられた改造人間にして人間兵器である橘茜が、妖怪との全面戦争で生じた人間の孤児達を守り、導く為に、木造の孤児院を設立した。

 

孤児の数は、およそ67人。

両親を妖怪に喰い殺されたり、担保の為に両親に売られたりなど、様々な事情を持つ子ども達を橘茜は救い導いてきた。

孤児院の名は、カモミール。

どんな逆境にも負けずに生き抜く強さを求めて、師と教え子は脆弱ながらも懸命に生きていた。

 

────────────────────

 

「この戦いは……お前の勝ちだ……」

 

血で赤黒く染まり、焼け焦げた丘の草原の上で、怪童は確かにそう言った。

 

「……は?何言ってんだよ…お前にはまだ…武器が残されてんだろ…?俺の武器はもう…さっきのでぶっ壊れちまったんだぞ…?さあ、終わらせろよ…その空いた手でよ…」

 

人志は表面上では笑いながらも、胸の奥では言葉では言い表せられないほどのざわめきを抱えていた。

敗者である自分の肩に手を置き、自分と同じ目線に合わせる為に膝をつき、幼少の頃と変わらぬ優しい顔を見せながら殺す権利を手放した勝者に。

そんな親友の姿に、人志は心底苛ついていた。

 

「…………いつまでやってんだよ………早くやれよ……」

 

人志は乾燥でカサついた唇を動かし、声を震わせて静かに言う。

戦いの果てに掴んだ勝利を自ら手放す親友を前に、人志の胸中は沸々と湧き上がる。

そして、沸々と湧き上がる"それ"は、必然的に言葉となって表れた。

 

「ふざけんのも大概にしろよテメェッッ!!これは俺とテメェの戦いなんだぞッッ!!!」

 

乾いた怒りは風となって、丘の草木を震わせた。

二人の少年の戦いは、文字通り全能力と全存在を懸けたものだった。

そんな戦いを、眼前の傷だらけの親友は最後の最後で手を抜いた。

しかもその上掴んだ勝利を自ら手放し、それを敗者である自分に譲ってきた。

人志が怒るには、十分すぎる理由だった。

 

しかし、それでも怪童は表情一つ変えずに、壊れる前のあの頃と変わらぬ優しい顔つきのまま言葉を返した。

 

「さっき言った通りだ…あのぶつかり合いでお前に打ち負けて…俺は、心の底から本当に嬉しかった…

炎の華を纏っただけのあんな小さな拳が…俺の闇を晴らしてくれた…

打ち負けて嬉しいと思った時点で、俺の勝ちはない…」

 

欠損した右腕の断面から色濃い血をボタボタと丘の草地に零しながら、怪童は優しい顔と優しい声色で言った。

数え切れないほどの艱難辛苦を乗り越え、不撓不屈の精神を持つにまで至った親友を、心から祝福するように。

 

「本当に、強くなったな」

 

怪童は傷と血に塗れた笑顔で、親友の成長を祝い、喜んだ。

 

「………何だよそれ……ふざけんなよ………………かっこつけやがって………」

 

人志は声を震わせながら、瞳の奥に押し殺していたものを、言葉と共に解き放った。

親友からの澱みの無い目と、偽りの無い言葉を受けて。

 

一番の親友であり、目標でもある傷だらけの親友に、ついに認められた。

その事実に、人志の中に沸々と湧き上がる怒りは消え失せ、かわりに別の感情が湧き上がった。

嬉しみ、喜び、憧れ、達成感。

様々な感情が入り混じった涙の粒を散らしながら、人志は壊れた拳を握り締めて親友の顔面にぶつけた。

 

「気取ってんじゃねえ馬鹿野郎ッ!!」

 

先の怪童との拳のぶつかり合いで、人志の拳は皮膚と肉が焼け落ち、骨身が剥き出しになっている。

当然、ダメージは人志自身に跳ね返った。

 

「痛ッッッッッてえええええええええええええ〜〜ッッ!!!」

 

あまりの苦痛に、人志は眉間に皺を寄せて情けなく叫んだ。

さっきまでの狂気にも似た決意と覚悟に満ち満ちた顔が、嘘のように消え去った。

 

「おいおい…あんま無理すんなよ…ったく…お前は相変わらず無鉄砲だな…」

 

親友の変わらぬ無鉄砲さに、怪童はクスクスッとスカしたように微笑む。

人志はそんな怪童に苛ついたのか、眉間に皺を寄せて歯を食いしばり、剥き出しの骨の拳を握り締め怪童の鳩尾に叩き込んだ。

 

「グオォォッッ!!?」

 

ドグォッ!!と、衝撃が内臓にまで響いたような音を立て、骨の拳は怪童の腹筋を易々と貫いた。

既に使い物にならなくなった拳のはずなのに、さっき放った一打目とは比べ物にならない威力だった。

想定外な一撃に、怪童は片手で腹を抑えながら狼狽える。

人志はそんな怪童などお構いなしに、拳による更なる連撃を仕掛けた。

 

「ちょッ!!ちょおまッ!!待てッ!!それ以上やったらお前冗談抜きで死ぬぞッ!!やめろッ!!」

 

「うるせえッ!!負けた奴に勝ちを譲るとかいう舐め腐った事をしたてめえが100パー悪いわッッ!!何が"打ち負けた時点で俺の勝ちはねえ"だッ!!クールキャラ気取りやがってッ!!きもいんだよこの拗らせ野郎ッ!!頭もオールバックにしてやがるしよッ!!しかも似合ってねえ上にクソダセエしなッッ!!ほんと何から何までクソバカだなてめえはよおッッ!!!」

 

「分かった分かったッ!!ごめんよッ!!俺が悪かったッ!!悪かったから殴るのはやめてくれよッ!!痛えッッ!!普通にめっちゃ痛えしッッ!!」

 

焼け焦げて真っ赤に染まった草花の丘で、二人の少年は幼き日と同じように戯れ合った。

戯れ合う二人の顔は、今まで背負ってきたものが全部消えたかのように、年相応の少年のように爽やかな顔つきになった。

 

─────────────────

 

時間にして1分15秒後。

二人の少年は遂に疲れ果て、丘の草原に背を預けて仰向けになって倒れた。

 

「………疲れた」

 

「………俺も」

 

ゼェッゼェッと、二人は息を荒げる。

時間にして30秒か40秒か、二人は息を整える為に深呼吸をする。

そして、漸く息を整えた後、二人は互いにぷっと吹き出す。

 

「プッ…ハハハハ…ハハハハハハッ…アハハハハハッ…!!」

 

「フフフフ…アハハハハハハハッ…!!」

 

雲一つない茜色の空を見上げて、二人の少年は清々しいくらい大笑いした。

さっきまで苛烈な命のやり取りを演じたとは、到底思えないほどに。

 

「あーーーあッ!クッソ疲れたッ!死ぬほど疲れたッ!マジで疲れたッ!」

 

死闘を繰り広げた鬼気迫る顔が跡形も無く綻び、屈託の無い笑顔で人志はそう言った。

そんな人志を喧しく思ったのか、怪童は微笑みながら小言を言う。

 

「フフッ…さっきから疲れた疲れたうるせえなあ…駄々こねたガキみてえにはしゃぎやがって」

 

「誰のせいだと思ってんだよ馬鹿野郎ッ!散々俺らに迷惑かけといてよッ!」

 

焼け焦げた草原に背を預けたまま、二人は満面の笑みで互いに小言を言い合った。

 

────────────

 

「なあ人志、お前は…怖くねえのか…?」

 

小言を言い合いながらはしゃぎ、15秒程息継ぎをした後、傷だらけの少年は笑顔を崩して親友に聞き出した。

 

「あ?何だよ急に」

 

と、隻腕の少年は素っ頓狂な顔をして、隣にいる親友の方へ視線を移らせる。

傷だらけの少年は視線を向かせる親友に見向きもせず、そのまま茜色の空を見上げながら話し続けた。

 

「こんな救いようのない弱肉強食の世を…安息なんて一切ないクソみたいな世を…お前は生きるのが怖くねえのか…?

目の前で弱者が強者に次々と喰い殺されて犯される光景…命も夢も尊厳も残さず潰される光景…うんざりするほど味わった…

俺は、正直言って怖いし…辛いし…耐えられねえ…」

 

茜色に煌めく空を見上げたまま、傷だらけの少年は胸の奥に押し殺していた本音を語る。

同じ艱難辛苦を共に味わった親友だからこそ、存分に語る。

 

「なあ、教えてくれよ…何でお前は、そんなに強く生きられる?何でそんなになっても、目に光を持ったまま戦えるんだ?」

 

傷だらけの少年は茜色の空から目を離し、黒く濁った瞳のまま親友へと視線を向けて問うた。

親友を生かす為に怪物として演じてきた覇気のある顔つきが、年相応の弱々しい齢16の少年のそれに戻った。

その証拠に、黒く濁った瞳の奥には確かに涙があり、体外に流れ出まいと必死に押し殺されていた。

 

必死に弱さを押し殺している親友の顔を見て、人志は微笑みながら返した。

 

「何言ってんだよ?そりゃ誰だってこんな世の中生きるの怖いに決まってんだろ」

 

その笑みには、決して侮蔑の意は込められていない。

悩んでいる友人の相談に軽く乗るような、日常的でどこにでもある光景だ。

 

「けどよ…やられっぱなしのまま何も出来ずに大人に守られてばかりで、一生日陰でびくびくしながら生きるってのは…妖怪に喰い殺されるより嫌だ」

 

その優しい笑みの奥には、計り知れないほどの哀愁や傷が込められている。

怪童の目から見ても、それは火を見るよりも明らかだった。

 

「お前の言う通り、この世は完全な弱肉強食で救いや容赦なんて一切ねえ…化け物共に怯えながら日陰で生きるのも地獄、反骨精神剥き出しで化け物共に歯向かうのも地獄、現状に絶望して自殺すんのも地獄…どっちを選んでも碌なもんじゃねえ…

だから俺は足りねえ脳味噌で死ぬほど考えた…同じ地獄でもよ、自分で選んだ地獄なら…そんなに悪い気分はしねえんじゃねえかなってさ

それにどうせ死ぬんならよ…単に力が強えだけで見下して悦に浸っているクソ野郎共を目一杯ぶちのめしてから死にてえ!何せ俺は、救えねえぐれえの負けず嫌いだからよ!」

 

身に余るほどの運命を背負わされた少女と、呪いにも似た使命を実母から与えられた傷だらけの少年。

たった二人の親友を救うくらい、この隻腕の少年にとってはなんてことない。

誰に言われたわけでもない、その身に使命や呪いを与えられたわけでもない────他でもない、自分の意志で始めた戦いなのだから。

だからどんなに傷つき果てても、後悔など、ましてや誰かを憎むようなことは絶対にありえない。

 

傷だらけの少年は、改めて思い知らされた。

こうして共に草原に背を預けて肩を並べている親友が、今日まで自分以上に過酷な戦いを乗り越えて生きてきたことに。

この残酷な現実や、自分の弱さから何一つ目を背けずに生き抜いてきた親友と比べたら、自分はまるで何もかも足りていなかったことに。

そのことに傷だらけの少年は親友から目を背けず、罪悪感を重く感じ、涙ながらに謝罪した。

 

「……ごめん……本当にごめんな……」

 

「おいおい、何も泣くことはねえだろ…俺が今こんなザマになってんのも、元はといやあ俺が勝手にやったことだぜ?お前が謝ることなんてねえよ」

 

「違う…俺のせいだ…お前をそんなにしちまったのも…陽菜を余計に悲しませちまったのも…母さんや先生や子供達を死なせちまったのも…全部…全部ッッ…!!」

 

瞳の奥に必死に押し殺していた弱さは頬を伝い、まるで決壊したダムのように焼け焦げた草地にぼたぼたと流れ落ちた。

 

魑魅魍魎共が支配する世に生まれ落ちて16年、母から叩き込まれた戦士の教えで弱さを曝け出すことを一切禁じられて生きてきた。

人に害なす化け物を殺す戦士の子供として生まれた────たったそれだけの事実が、少年の全てを侵食していた。

16年…言葉にすれば短いが、少年にとっては永劫にも似た、苦痛と内罰と犠牲に塗れた人生。

だが、そんな一筋の光も届かない少年の人生も、ようやく救われる。

逆境に打ち勝つ花の名を冠する孤児院で共に学び競い合った、たった一人の親友の手によって。

 

「そういう何でもかんでも自分のせいにして勝手に苦しむの、昔からホント変わんねえよなあお前」

 

人志は身体の内側から灼けるような苦痛に見舞われながら、くしゃっとした笑顔で一本の腕を親友の胴へと伸ばし、優しく拳を突き立てた。

皮と肉が焼け落ち、骨が剥き出しているその拳には、もはや温もりは一切感じられない。

だが、今の怪童にとってはそんな骨の拳が、どんなものよりも力強く、どんなものよりも温かく感じた。

 

(俺は大馬鹿だ…何も俺が全部背負わなくても…"

助けてくれ"ってただ一言言えば…

いつもそうだ…ほんと、気付くのが遅すぎるんだよなあ…)

 

頬を伝って止めどなく零れ落ちる涙と共に、怪童は目を閉じて静かに微笑んだ。

そう───自分が何もかも背負う必要など、どこにもなかったのだ。

手を差し伸べてくれる親友が、こんなにも近くにいるのだから。

 

「あっ!そうだ!」

 

人志は親友との会話に一段落付かせた後、何かを思い出したかのようにハッとした。

4年前、12歳の時分───星々が輝く夜空の下、三人で交わし合った約束。

決して忘れてはならない事を。

 

「おい怪童!立て!いつまでもこうしちゃいられねえぞッ!!」

 

人志は焦りの色を見せながら、背を預けた草原から瞬時に飛び上がるように起き上がり、まだ草原に仰向けになって寝ている親友に急かすように言った。

 

「……何だいきなり…?何をそんなに焦ってんだ…?」

 

「決まってんだろ!陽菜のところに戻るんだよッ!忘れたのかよ!俺ら三人で色んなもの見に行く事をさ!もう全部決着付いたんだ!早く一緒に行こうぜ!な?」

 

果たされていない約束を果たす為に、人志は激痛に歯を噛み締めながら親友に手を差し伸べる。

だがそれでも、怪童は頑なに立ちあがろうとせず、全てを諦めたような覇気のない顔をしながら起き上がり、あぐらをかいた。

 

「…無理だ……合わせる顔が無い……俺は、お前らを裏切ったんだ…裏切って、てめえのやりたい事を散々やってきたクズが…今更のこのこと…どの面下げて会いに行くっていうんだ…」

 

怪童は親友の眩いほどの光に充てられて、顔を下に向けて掠れた声で言った。

 

人志と陽菜────親友以上の、家族以上の二人を生かす為に、二人を裏切った。

本当の自分すらも裏切って、怪物を演じてまで、自ら定めた鉄則の下に二人に害なす怪物共を殺し尽くしてきた。

その選択に、怪童は今でも何の迷いも悔いもない。

だが、その胸中には罪悪感がいつまでも消えないままでいた。

母から授かった呪いにも似た名前と戦士の教え────それらに蝕まれていたが故に、本当の自分を否定し捻じ伏せた。

その時点で、怪童は崩壊していた。

 

ポタ…ポタ…と、夕陽が差し込む焼け焦げた丘の草に、雫が一滴ずつ零れ落ちる音が微かに聞こえる。

罪の意識と本音が、嗚咽とともに虚飾を剥ぎ取っていく。

 

人志は見下ろしながらも、うずくまって泣き崩れる一人の親友のもとへ歩み寄る。

だが、その足取りは苦難と死闘の数々を乗り越えたばかりで重く、いつ倒れ伏してもおかしくない。

親友のもとまで、距離にして三歩分。

一歩ずつ、一歩ずつ、意識が朦朧としながらもバランスを崩さぬよう丁寧に前へ進んでいく。

倒れてしまえば、もう二度とは立ち上がれないから。

 

七秒後、人志はようやく親友に手が届く距離にまで到達する。

そして、人志はそのまま骨の手を親友の頭へ伸ばし、優しく触れる。

目の前の親友に喝を入れる為に、全ての苦痛を置き去りにして。

 

「この情けねえ面下げて会いに行くっつってんだよ!」

 

ニカっと、歯を見せて屈託の無い笑顔で人志は言い放った。

曇り一つない、影一つないその笑みに、怪童の涙は一瞬で止まってしまった。

 

「ほら、わかったらさっさと帰るぞ!早くしねえと、あのチビ陽菜がギャンギャン泣き喚きだしてめんどくせえ事になるぞ!」

 

16歳の年相応の明るい笑顔のまま、人志はその手で親友の手を掴んで引っ張る。

指一本動かすだけで、骨と内臓が悲鳴をあげる。

もはやいつ倒れてもおかしくない、その蠟燭の火はいつ消えてもおかしくない────人志の状態は、今まさにそれだ。

それでも、その歩みは決して止めることはない────親友の手を握ったその手は、決して離すことはない。

 

「お前はさあ、独りの時間が長すぎたんだよ…だからそうやってすぐ卑屈になっちまうんだよな」

 

人志は掠れた声で親友を励ましながら、手を引っ張って恩師と子供達が眠る丘を後にする。

もう少し、あともう少しで、あの日交わした約束を果たすことができる。

そのはずだった。

 

「ッッ!!」

 

怪童の強靭な足が、まるで灰のように簡単に崩れた。

 

「怪童…お前ッ…!!」

 

怪童の奥の手"戦々恐々"────己の心臓を供物に捧げて内なる世界をこの世に顕現させ、喰い殺した相手の生命と能力を奪う。

ただし、相手に逆に殺されるか内なる世界を破壊された場合、その代償を支払わなければならない。

両足の灰化に続いて、親友に引かれた手も灰化────崩壊は遂に四肢にまで達した。

生まれ落ちて16年と4ヶ月────親友と大切な人を生かす為に己の全てを犠牲にし、数え切れないほどの命を殺し尽くしてきた。

今、そのツケがまわってきたのだ。

 

手の中に確かにあった親友の手は、まるで夢から覚めたかのように露と消えた。

振り返ると、あんなに強く威厳さえあった親友の姿が、今となっては四肢が無くなり無様に倒れてしまっている。

人志はこの如何ともしがたい現実を受け入れられず、丘の焼け焦げた草地に前のめりに倒れている親友を、ただ黙って見下ろすことしか出来ないままでいた。

 

「……おい…………嘘だろ…………」

 

非情にして残酷、覆しようのない現実が少年達を捻じ伏せた────。

 

「おい怪童…………なあ……冗談だろおい……」

 

さっきまで希望に満ちた隻腕の少年の目は光りを失くし、冷たい風に撫でられたまま立ち尽くす。

しかし流石は数多の地獄を潜り抜けた能力者というべきか、隻腕の少年は絶望に打ちひしがれながらも倒れた親友に寄りかかる。

頭ではもう手遅れと理解しつつも、目の前の親友を助けることを諦めない。

 

「ふざけんなよ…こんなとこでくたばるタマかよてめえはッ…!!さっさと立てよッ…!!てめえを助けんのに俺らがどれだけ苦労したと思ってんだよッ…!!くたばるなら俺らの約束を果たしてからにしやがれクソバカッ…!!オラッ!!わかったらさっさと起きろよッ!!起きねえと木陰で告白の練習したこと陽菜にチクるぞッ!!」

 

隻腕の少年はオールバックに刈り上げた親友の頭に左手を置き、己に残された僅かな生命を譲渡せんとする。

眉間に皺を寄せ、黒い瞳の奥に涙を溜めて、年相応の少年のように覇気のない声で、人志は必死に叫びながら命のガソリンを注ぎ込む。

しかし、死力を尽くした今の人志に瀕死の親友を救う力はおろか、傷を癒す力も残されてはいない。

無駄な足搔きは承知の上で、愚かにも助けんとする。

 

「クソッ…クソッ…クソッ…ふざけんなッ…!!ふざけんなちくしょうッッ…!!」

 

怪童は視界が黒ずみ意識が朦朧としながらも、四肢を失くした己を助けんと必死になっている親友の顔を見た。

もう助かる余地はないというのに、僅かな命の火を燃やす親友に、怪童は不甲斐なさとやるせなさを痛いほど感じた。

 

「いいんだ人志…もう、いいんだ…」

 

今にも死にそうなしわがれ声が、隻腕の少年の救助をいとも簡単に制止させた。

 

「これは、俺が今まで好き放題やってきたツケだ…そのツケを今、払っているだけにすぎない…ただ、それだけの事なんだ…」

 

肌を刺激するほどの冷たい風が、木の葉を乗せながら二人の少年を優しく撫でる。

鮮血のように色濃く鮮やかな夕焼けが、覆しようのない現実に立たされている二人の少年を照らす。

 

「………やめろよ……そんなこと言うな………頼むよ………あと少しだけ………あとほんの少しだけでいいんだ………」

 

黒い瞳の奥に必死に押し殺していた涙は、頬を伝って焼け焦げた草の葉に流れ落ちた。

齢16の少年に似合わぬ身長195cmの筋骨隆々の肉体が、四肢を初めとして灰となり崩壊していく。

その崩壊の伝播が、やがて全身を蝕み消滅するのは、もはや時間の問題である。

末路は、決して変える事はできない。

その事を、怪童は誰よりも重く理解している。

だから、全てをあるがままに受け入れる。

親友としての僅かな時間を、享受できるように。

 

「人志…陽菜を…友人たちを大切にしろよ…」

 

「は……?」

 

「お前の新しく出来た二人の友人たち…緑髪の霊能力者と半妖の女だったか…名前は分からんがあいつらは強かったな…戦ったからわかる…勝ち目のない戦いでも、臆する事も逃げる事もなく戦い抜こうとする力が、実力以上に感じられる…あいつらはこの先もっと強くなる…

良い友人を持てたな…」

 

「………………やめろ………それ以上喋るな………」

 

「俺は今まで一度も…お前や陽菜に友人らしい事は一つもしてやれなかった…あの時お前達の説得を無視して、無理矢理自分のエゴを貫き通してしまった…その結果がこのザマだ…笑える話だろ…俺のしてきた事は、所詮────」

 

「やめろっつってんだろオオォッッ!!」

 

しわがれた叫びが、傷だらけの少年の言葉を遮った。

親友としてそれ以上、自分を否定させない為に。

 

「友人らしい事は一つもしてやれなかっただぁ…?馬鹿言ってんじゃねえよ…ガキの頃、俺に組手とか勉強を教えてくれたじゃねえかよ…調理実習の時、不器用で下手くそな陽菜に刃物の扱い丁寧に教えていたじゃねえかよ…自分だって死ぬほどきつくて大変だっていうのに…俺達を化け物共から守ろうと戦ってくれたじゃねえかよ…

周りの奴らから化け物と疎まれて、そんなお前のことを好んで友達になろうと近づいた俺と陽菜の事を、お前は受け入れてくれたじゃねえかよオォッッ!!!」

 

身体の内側に張り詰めた激情が、突き破られた。

幼少の頃に三人で交わした約束を果たせない己の情けなさと、目の前の親友を救えない己の非力さで、人志の顔は皺だらけになっている。

 

齢16、人間社会でいうところの高校1〜2年生。

本来なら、学び舎に通って同学年の子供達と交流を深め合って共に学んだり、部活に入って仲間や先輩や後輩に囲まれたり、夢や目標に向かう道程で成功の喜びや失敗の苦しさを味わい、その過程を経て少しずつ大人になっていく。

誰しもが通る道だ。

 

だが、二人の少年の道は、否、今を生きる人々が通る道は、地獄や理不尽なんていう言葉では片付けられないほどのものだった。

妖怪や鬼、吸血鬼といった人に仇なす怪物達が支配する、完全な能力主義の妖怪社会。

老若男女問わず、全ての人は怪物達に飽きるまで玩具として弄ばれて壊されるか、生きたまま骨まで余すことなく喰われるかの二択しかない。

そんな世界で生きる為には、たとえ同じように追い込まれている弱者を蹴落としてでも、誇りと尊厳を捨てて媚びを売ってでも、怪物達に能力を証明し続けなければならない。

そんな血と臓物と骨に塗れた道を、この世界に生きる人々は一人の例外もなく通っている。

 

そして今、人の身で怪物の境地にまで達した一人の少年の道が、いよいよ崩壊する。

肉体の灰化は遂に腰の辺りにまで進行し、黒い靄が視界の全てを覆いつくした。

体温は氷のように冷え切り、黒い靄だらけで何も見えなくなり、ギザギザした丘の草地の感触も感じられなくなり、死闘の果てに残った血の臭いまでも消え失せた。

だが、親友の泣きじゃくる声と寂しい風の音だけは唯一感じ取れた。

そんな状態の中、怪童はいよいよ自分の死期が迫ってきたんだなと、心の中で悟っていた。

 

「ふふふ………相変わらずお前は、本当に優しいな………」

 

ぴくっと、傷と血に塗れた口角を小さく上げて微笑んだ。

目は一切見えなくても、皺と涙で塗れた親友の顔が、6歳~16歳までの10年の間柄である故、容易に想像できるからだ。

 

長いようで短かった16年の犠牲と内罰の歳月が、遂に幕を閉じる時が来た。

怪童の内には今、二つの感情が渦巻いていた。

一つは、能力のデメリットであと10秒も経たぬうちに全身が灰になるという、避けられようのない現実を前にした恐怖。

もう一つは、怪物に成り下がった今の自分の有様を見ても、幼少の頃と変わらぬまま、親友として見てくれる隻腕のヒーローへの感謝。

そのどれもが、筆舌に尽くし難い。

 

死への恐怖と、親友でもありヒーローでもある隻腕の少年への敬意と感謝。

相反する感情を内に抱きながら、怪童は眼前の泣きじゃくる親友に秘めた想いを言の葉に乗せる。

 

「生まれ落ちて…16年…俺の中には…常に汚れがこびり付いていた…落としようにも落ちない…黒ずんだ汚れが……それは、今もまだ俺の中に残っている……

けど、茜先生に拾ってもらって…カモミールでお前らと出会って友達になって……楽しかった………あの木の家と丘は、これ以上無いほど居心地が良い…素晴らしい孤児院だった………それでも、この汚れは落ちる事はなかった……」

 

身体の奥底から来る死の冷たさに耐えながら、怪童は震えた声で必死に想いを伝える。

その想いを受けて、人志の顔から皺は消え失せ、雨のように草地に降り注ぐ激情はピタっと止んだ。

 

「でもな、人志………今この瞬間だけは、俺の中の汚れは落ちたんだ……完全に落ちたってわけじゃねえけどな……

好き放題暴れまくって世の中をめちゃくちゃにして………最悪の怪物に成り下がった俺の事を………お前だけは、親友として見てくれた………今の俺には、それだけで充分だ………

ありがとう人志……俺の親友になってくれて………

それと、あの時お前の制止を振り切って、お前の右腕を引きちぎっちまって………本当にごめんな」

 

怪童の身体の灰化は、腰から上半身にかけて進行している。

全身の灰化まで、猶予はもうほぼ残っていない。

だから、この傷に塗れた哀れな少年は、これまで以上に必死に想いを乗せた言の葉を親友へ伝えようとした。

思い残すことがないように。

 

「馬鹿野郎………今更かよ………本当に、いい迷惑だったよ………馬鹿野郎が………」

 

怪童の腹の底から出た想いを受けて、人志はまた涙を流しつつもくしゃっとした笑顔で返した。

人志も、この時間が自分たちにとって最後に残された時間だという事を重々承知し、噛み締めていた。

だから、この幾多の地獄を乗り越えた隻腕・隻眼の少年は、これから来る人生の終わりに思い残す事のないように、笑顔で親友との最後の時間を共にする。

 

「嗚呼………どうして俺はこんなに………生きるのが下手くそなんだ………

あの時………お前や陽菜に“助けて”って言えば………」

 

「それが言えないぐらい、お前は追い詰められてたんだろ」

 

茜色に輝く夕陽が、徐々に陰りを見せて沈んでいく。

肌を刺すような冷たい風は、依然変わらず吹き続けている。

まるで墓標の丘と二人の少年を、嘲るように。

 

怪童の肉体の灰化は、既に胸の辺りにまで進行している。

蝋燭の火が消える瞬間は、もうすぐそこまで来ている。

そんな時、怪童の脳内にあるものは、依然変わらない。

 

「陽菜に、伝えておいてくれ………あの時の約束………守れなくってごめんな…ってな」

 

唇を震わせながら、か細くしわがれた声で、怪童は親友に伝えた。

それを受けた人志は、コクっと頷いて

 

「………ああ」

 

と、静かに返事した。

その返事を受けて、怪童は最後のメッセージを伝える。

脆弱で、未熟で、愚鈍で、哀れで、惨めで、泥臭く、血生臭い16年の幕に、有終の美を飾る。

 

「────────またな、人志

お前と親友になれて、本当によかった────────

ありがとう───────」

 

冷たい風が、木の葉と言の葉を乗せて静かに吹いた。

風に肌を撫でられながら、人志は声を震わせて

 

「────────ああッ」

 

と、雫を零して震えた声で確かに返した。

 

“言いたい事は、全部言えた。

もう、何も思い残す事はない。

これで、いい────。”

 

傷だらけの少年はそう心の中で呟いて、微笑みながら灰となった。

返り血と泥に塗れた黒い下ズボンを残して、灰は冷たい風に運ばれて散っていった。

 

────────────────────

──────────────

──────────

 

一人の少女が、涙を流し息を荒げながらけもの道をひたすら走る。

けもの道を抜けたその先で死合っている、かけがえのない二人を止める為に、足が千切れるほど奔走する。

 

「人志ッ!!怪童ッ!!」

 

二人の名を叫んだと同時に、少女は暗いけもの道を抜ける事が出来た。

だが、その先で少女が見たものは、希望が失われた赤黒い丘だった。

 

「…………人……志……」

 

「陽菜…………やっぱ来ちまったのか…………」

 

冷たく静かな風は、戦いが終わった今でもまだ、この場に居合わせている二人の少年少女の肌を刺激している。

陽菜は呼吸を少しずつ整えながら、血をたくさん吸った赤黒い丘の草を踏み抜いて、座り込んでいる人志にゆっくり近づいていく。

およそ15秒後、座り込んでいる人志の頭に手が届くほどの距離にまで近づいた陽菜は、未だ姿が見えない怪童の所在を聞き出す。

 

「人志………怪童…………怪童は………………?怪童は……どこ………?」

 

人志の目と鼻の先に無造作に落ちてある怪童の黒ズボンを見て、陽菜は内心察していた。

察してはいるものの、聞き出さずにはいられなかった。

 

「あいつは、最後の最後までクソバカだったよ………残ったのは、この血と泥に塗れた汚え黒道着のズボンだけだ……」

 

人志は顔を上げて陽菜の目を逸らさずに、そして包み隠さずに怪童の死を伝えた。

その言葉を確かに聞いた陽菜は、まるで重石を背負わされたかのように崩れ落ち、唇を震わせながら雫を零した。

そして、残された黒いズボンを手に持ち抱えて、とめどなく零れる雫で黒いズボンを濡らし、

赤く暗い夕空に向かって慟哭をあげた。

 

暗い夕空を見上げて泣き叫ぶ少女の声が丘に虚しく響き渡る中、隻腕の少年は風と共に天に旅立った親友の灰を、静かに想った。

どうか、せめてあの世に逝けるようにと、天に祈った。

 

“またな、親友──────俺も、すぐそっちに行くからよ───────”

 

2022年5月14日、午後17時53分。

全ての元凶、後藤博文とその一派の未曾有のテロ─────そして、“妖怪殺し”怪童の復活と大量虐殺。

その全てが今、この暗く沈む夕陽と、血と臓物の海と化した東京と、二人の少年の血を余すことなく吸った赤黒い丘と共に。

ここに、あらゆる決着が終わりを告げた。

 

 

 

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