「元親……あなた、いつまでそうしてるつもり?」
亥の刻も過ぎた頃。それまで幾重にも重ねてきた我慢がとうとう尽きて、私は苛立たしく声を荒げた。対する元親といえば、
「あぁん? 何怒ってんだ、紫乃(しの)。せっかくの美人が台無しだぜ」
大きな杯を一気に干し、上機嫌で戯れ言を口にする。悪びれないその様子に呆れてしまった。
宴の帰りに寄った、と久しぶりに顔を見せたものだから、つい部屋に上げてしまったけれど、忘れていた。お酒が入ると元親は長っ尻になるのだ。
「こんな遅くまで居座るなと言ってるのよ。あなたが帰らないと私、いつまでも眠れないわ」
「おいおい何だよ、つめてぇなぁ。親父さんが死んで寂しくしてんだろうと思って来てやってんのによ」
辛辣な言葉にわざとらしく傷ついた顔をする元親。それは有り難いけど、と私はため息をつく。
私の家系は代々長曾我部家に仕えており、母上が兄上を産んだ時、ちょうど時期が合ったものだから、元親の乳母をつとめた。だから兄上と私、元親は幼い頃から一緒にいた幼なじみ、という事になる。
下級武士の娘である私が一国の長にこんな気安い口をきけるのも、先の戦で亡くなった父上を元親が悼んでくれるのも、その縁あっての事だ。大雑把に見えて、細やかに情をかけてくれる元親の心遣いは、確かに有り難い。
けど、だからといって、こんな遅くまで、娘の部屋にいていいわけがないでしょう。
「私のところに来るのなら昼間にして頂戴。子供の頃とは違うのよ、元親」
「へぇ。何が違うんだ」
とうとう徳利の最後の一滴まで飲み干した元親は、だらしなく足を組んでへらへら聞いてくる。
「何がって……」
聞かずとも分かりそうなものを、こいつは。
私も元親はもちろん、とうに元服、裳着をすませている。元親は一日も早く妻を娶り跡継ぎを、と周囲からせっつかれているし、私も父上が亡くなった事で、親戚筋から縁談を山のように持ち込まれている。
「そんな事分かってるはずよ、元親」
お互い軽々しい事はすべきではない、そう続けようとしたら、不意に元親がぬっと腕を伸ばしてきた。避ける間もなく手を掴まれ、何を思う間もなく引き寄せられる。
「きゃっ!」
どさ、と勢いよく元親の胸にぶつかって悲鳴が出た。鼻がつぶれて痛い。何するのと文句を言うために顔をあげたら、存外元親の顔が近くて、ぎくりとした。
お酒を飲んでいるせいか、濡れたように光る目が私を見下ろし、酒気を帯びた熱い息を漏らす唇がにぃ、と笑みを形作る。背中に回された腕がぐいと私の肩を掴んで押さえつけ、着物越しでもはっきり熱が伝わるほど、体が密着する。
「なら、紫乃よ」
硬直する私を楽しむように、元親は低く、少し掠れた声を耳に吹き込んだ。両腕で私の体を抱き込んで、囁く。
「ガキの時分にゃ出来なかった事でもするか」
「……っ!」
ぞくり、と背中を得体の知れないものが駆け抜けて、私は一瞬気が遠くなりかけた。
男にこんな風に抱きしめられた事なんて初めてで、しかも相手が良く見知ったはずの元親だから余計に混乱し、けれど元親が私の顎を掴んで持ち上げ、かすめるように唇を寄せてきた時、
「――!!」
その熱で我に返った私は、ばたばた手足を振った。
「おっと」
唐突な動きに驚いたのか、元親の力が弱まる。その隙に伸ばした手に何かが触れたので、私はそれを掴んで、
「この、うつけもの!!」
ガィン!!
手加減なし、満身の力を込めて、怒鳴りつけながら元親の頭を殴りつけてやったのだった。