空が青く、高い。
その色を映し出す瀬戸内の海は、波穏やか。
眠気を誘うほど涼やかな波音はしかし、威勢良く響く男たちの胴間声や、固い金属音にかき消される。
「……は~あぁ」
普段はそれらを、誇りと愛情をもって聞き入る元親だったが、しかし気の抜けたため息をついた。
外国(とつくに)の技術者を捕まえて図面から書き起こし、国がかたぶくほどの予算を割いた巨大兵器がいよいよ完成するというのに、浮いた気持ちになれないのはなぜか。そのわけを考えるだけで気が滅入ってくる。
腑抜けた自分に舌打ちして砂場で横になり、忙しく立ち働く部下たちを肴に杯を進めていると、
「おや、元親様。ご気分が優れないので?」
建設の指示を出していた男、義峰(よしみね)が手ぬぐいで汗を拭きながら元親のところへやってきた。普段ならおぉこいよ義峰、と機嫌良く手招きしただろうが、今日は決まりが悪い。
「何でもねぇよ、気にすんな」
歯切れの悪い口調でそう返したが、義峰はどかり、と腰を下ろし、顔の半分を占めるほど大きく口を開けて笑った。
「聞きましたぞ。我が妹が元親様になにやら無礼を働いたとか」
今一番聞きたくない話だ。頬杖をついて元親はそっぽを向いた。
「…………紫乃は悪かねぇさ」
「いやいや、仮にも主(あるじ)を箱枕で殴るなど言語道断。本来ならお手打ちになされて当然のところ、不問に処していただくとは……。この義峰、元親様の寛大なご沙汰に感激しておりまする」
真顔で尤もらしい事を言うが、義峰の唇の端が今にも笑い出しそうな形にゆがんでいる。元親は口をへの字に曲げて起きあがった。
「からかうな、馬鹿野郎が」
「ははは、元親様はまだ、紫乃に敵いませぬか」
「そんなんじゃねぇよ。いつの話をしてやがる」
色白で書を好む大人しい性格であったが故、幼少の時分、元親は家臣達より姫若子などと不名誉なあだ名をされ侮られていた。家臣の子らにつつかれてすぐ泣いてしまうほど弱々しかった元親をかばい、守ってくれたのは乳兄弟の義峰とその妹、紫乃だ。
義峰は子供の頃から体格が良く、そこに有るだけで威圧感を与えるに十分な用心棒役。
紫乃はか弱い少女ながら、大層口が回り、見かけこそ屈強だが性根穏やかな兄や元親が口汚く罵られる時にしゃしゃり出、小賢しく言い返して相手を負かしたものだった。
この二人、その父の忠義(ただよし)、母の浮笹は、元親が生まれた時から共にあり、歴然とした身分差こそあれ、ほとんど家族のように親しくしていた。
特に性根の似た紫乃と元親は実のきょうだいのように仲が良く、紫乃が裳着を済ませて大人の仲間入りをするまでは、手を取り合って屋敷を抜け出し、街を遊び歩いたほどである。
「あれも近頃はずいぶん淑やかになったと思っていたのですが、まだまだじゃじゃ馬で敵いませぬな」
実の兄も、口では愚痴めいたことをいっているが、妹がかわいらしゅうて仕方がない、といいたげに頬が緩んでいる。その表情にますます罪悪感を覚え、元親はあぐらを組んだ足の間にがくり、と頭を落とした。
「紫乃の枕投げなんざ可愛いもんさ。俺がしようとした事を思えばな」
「と、申しますと?」
「あー、だから、その」
いざ口にしようとすると、恥ずかしい。顔が熱くなってきたのを感じながら、元親はもごもご呟いた。
「俺はあいつを、何だ、……抱こうとして、だな」
「……な。何ですと!?」
普段鷹揚に構えている義峰もさすがに仰天したらしい。がしっと元親の肩をつかみ、主君を殺気だった目で睨み付けてくる。
「それはまことにござりますか。し、紫乃が元親様のお手つきに……!」
「ま、待て落ち着け、何もしてねぇ、その前にあいつにぶん殴られた!」
ぎりり、と肩の手に痛いほど力がこもったので、慌てて言葉を足すと、義峰はしばし元親をじぃっと見つめた後、ほー、と全身の力を抜いて安堵した。
「……なるほど、紫乃の狼藉はそういったわけでしたか。いや驚きました、まさか元親様が紫乃に、そのような事をなさるとは」
「昨日の宴でしこたま酒かっくらってから、あいつの元へ行ったからな。酔ってたんだよ」
正直今も二日酔いで頭が重い。気分が乗らないのは、そのせいでもある。
「確かに昨夜はずいぶん聞こし召しておられましたな。だから途中でお止め下さい、と申し上げたものを」
説教めいた口調で戒め、あぁしかし驚きました、と義峰は息を吐き出した。妹大事とは言え、妙に大げさなその様子に、元親は眉根を寄せる。それに気づいた義峰は言葉を足した。
「いえ、紫乃も縁談を控える身。ここで元親様お手つきとなれば、他の者に嫁がせるわけにはいきませぬゆえ」
「! 紫乃に縁談があるのか」
「えぇ。父上が亡くなり、兄妹、いつまでも独り身ではおれませぬ。私は無骨故、嫁の来手などなかなかありませぬが、紫乃は兄の目から見てもなかなかの器量よし。十分な持参金も用意できます故、引く手あまたでございますよ」
「…………」
それを聞いて、元親は頭を抱えた。
確かに、紫乃は無骨な父よりも母に似て、梨の花のように可憐な姫になった。元親は未だ妻を持っていないが、遊びを知り数多く女を見てきて尚、紫乃の美しさには敵うまいと思う。身内のひいき目があるにしてもだ。そしてその紫乃の美貌を伝え聞いた男達が、目の色を変えるのも無理はなかろう。
しかし。しかし、他の男が紫乃の、あの細い体を抱きしめて愛撫するなど、考えただけで。
「義峰」
「は」
「酒の勢いを借りなきゃ出来ねぇ事って、あるよな」
「は。…………は?」
相づちを打った後、元親の言葉に不穏を覚えたらしい。義峰が訝しげに元親を見、そしてハッと息を飲んだ。まさか、と再度元親の肩に手を置き、
「まさか、元親様。酔いに任せずとも、紫乃を抱きたいと願われておいでなのですか」
「…………」
きっぱり、はっきり、明らかな言葉で己の欲をつかれ、元親は顔に血が音を立てて上ってくるのを聞いた。思わず、わざとらしいほど顔を背けてしまう。
「元親様、お答え下され」
力を込めて振り向かせようとしても、頑として答え(いらえ)を拒む元親に根負けした義峰は、ははぁ、と気抜けした声を漏らす。しばし沈黙が二人の合間に落ち、それを補うように金槌で釘を打つ高い音と波が絶え間なく鳴り響いていく。
「…………なるほど」
その居たたまれぬ沈黙を先に破ったのは義峰の方だった。元親が顔を横にそらしたまま、目だけ向けると、義峰は改まった様子で正座をした。
「そのようなご意向なのでしたら、話は早い。元親様、我が妹・紫乃をお側に召し抱えていただけませぬか」
「……何だと?」
今度は元親が呆気にとられる側だった。言葉を理解して後、今度は耳まで真っ赤になって慌てる。
「ま、待ちやがれ義峰! 俺ぁ、別にそんなつもりで言ったわけじゃなくてだな!」
「では、どのようなおつもりだったと言うのです。酔いの戯れで一度きり、と?」
「違ぇ!」
確かに酒の助けで、ああまで強引に紫乃を抱き寄せはしたが、戯れのつもりは無かった。義峰に向き直り、元親は片方だけの目でしっかと見据えた。
「義峰。俺とお前と紫乃は、ずっと一緒に居た」
「えぇ」
「俺にとっちゃ義峰は本当の兄貴みてぇで、いつかお前みたいにでけぇ男になるんだ、とガキの頃から決めてた」
「それはそれは」
「紫乃だって本当の妹みたいに可愛がってきてやったつもりだ」
「あれは元親様を弟と思っているようですが」
「んな事ぁどうでもいい。とにかく、俺はおまえらと本当の家族みてぇに思って、大事に大事にしてきたんだ」
「光栄にござりますな」
「……なのに」
なのに、ともう一度繰り返し、元親は砂浜の上で拳を握りしめた。爪と砂が手のひらに食い込み、ちくちくしたが、それくらいでは痛みが足りない。奥歯を噛み、ぎりぎり腕に力を込めて、元親は低く、低く唸った。
「俺ぁお前も紫乃も傷つけたくねぇ。なのに何でだ」
「…………元親様?」
異様な雰囲気に、義峰の声音が慎重になった。腫れ物に触れるようなその口調に、理不尽と思いながら苛立ちが募る。元親は拳を手応えのない砂浜に打ち付ける。
「紫乃が欲しい。欲しくて欲しくてたまらねぇ。滅茶苦茶に抱いて、紫乃が俺の名だけ呼んでりゃいいと思う」
あの瞳に自分だけを映し、自分だけのために啼く紫乃が欲しい。
「……海賊は奪うのが流儀、そう言ったって、駄目だろ、これじゃ」
幾度となく描いてきた心の中の紫乃を打ち消した元親は、ふ、と脱力して苦笑した。
「俺は、紫乃を傷つけたくねぇ。てめぇの好きに抱いてはき出して、それで俺は満足だろうが、あいつはどうなんだ。
……俺はあいつに、幸せになってもらいてぇ。あいつがいつでも笑って、楽しくしてくれてりゃそれで良いんだ。俺みてぇに自分勝手な野郎は、あいつを傷つけて泣かせるしかねぇ。そんな奴に、紫乃を幸せになんて出来ねぇ。
なぁ、そうだろ、義峰」
「…………」
義峰は半眼になって元親をにらみ据え、そしてため息をついた。
「姫若子の名はまだ、返上されるべきでなかったやも知れませぬな」
「あ?」
「元親様。あなたは今、紫乃の事を思って悩んでおられるのではない。あなたは今、己の中の獣に怯えておられるのだ」
「な……」
「紫乃の縁組み、しばし止めておきましょう。元親様は今一度、ご自身の心を見直されると良い」
義峰はすっくと立ち上がり、手ぬぐいを額に巻いた。口の端が上がる。
「私自身で言えば、元親様が不肖の妹を貰うて下されば、非常に喜ばしく思いますぞ?」
「……義峰」
太陽に似た開けっぴろげな笑顔を残して、義峰は作業場へと戻っていく。赤銅色に焼けたその背中を見つめ、元親はぼりぼり、と頭を掻いた。冴えない気分はより、酷くなっているような気がしてならなかった。