浮笹に発破をかけられたおかげで、ようやく紫乃に会う気になった俺は、さっそくあいつの部屋に向かった。どすどす廊下を進み、角を曲がって後少し、のところで浮笹と出くわす。
「っと、浮笹」
「おや、若様。紫乃のところへおいでになるのですか」
「あぁ……まぁな」
せっつかれてすぐ、いそいそ女のところへ行くところを見られるなんて、かっこいいもんじゃねぇ。頭をかいて歯切れの悪い返事を返すと、浮笹はうふふ、と含み笑いを漏らした。
「何だよ」
「まぁまぁ若様ときたら、これから求婚しに行く殿方とは思われぬ凶相。若様に気の利いた台詞など期待してはおりませんから、せめて笑顔になられませ」
「……悪かったな、凶相で」
そりゃ俺は目の覚めるような色男顔じゃねぇし、女が喜ぶような世辞も言えねぇけどよ……。渋面になる俺に、浮笹は小首を傾げて微笑する。
「そう難しい顔をなさる必要はありませんよ、若様」
「あん?」
「紫乃は色々と思うところがあるようですけれど、決して若様を嫌うているわけではございませんもの」
「そ、そうなのか?」
ちょっとばかり自信が無くなっていたので、探るような声音で問うと、浮笹はもう一度唇に笑みをためて、
「女は目と目を合わせて思いを計るもの。若様が心の丈を打ち明けられれば、きっと紫乃も喜ぶでしょう。お気張りあそばせ、若様」
そう言い残して立ち去った。
「……」
一人廊下に残った俺は、ため息をつき、がりがり頭をかいた。
母親の浮笹がいうのなら、紫乃は俺を嫌ってないのかもしれねぇ。結婚して良いと思うくらい好いてるかどうかは別だろう。
紫乃が俺に惚れてるなら、義峰が最初に伝えた時点で快諾しそうなもんだ。だが、そもそも俺は紫乃と顔つきあわせて、口説いたわけじゃねぇ。兄貴伝いに話を決めようなんてこすい真似したのがいけねぇんだ。浮笹の言うように、本人同士で話をすりゃ、案外うまく事が進むかもしれねぇな。
だが、面と向かって断られた日にゃ、俺ぁどうすりゃいいんだ……なんてぐだぐだ考えながら、さっきまでの勢いが嘘みてぇにのろのろ歩を進めた俺は、紫乃の部屋の前で足を止めた。
……えぇい、ここまで来たんだ。今更ぐずぐずしてどうする! 俺は長曾我部元親、この世で一番イケてる男だ!
「アニキー!!」と俺を励ます手下どもの幻聴を聞きながら、俺は戸の前で唾を飲み込み、すー、はー、すー、はー、と深呼吸をした。そして声をかけるべく口を開……いた時、
ガラッ!
いきなり戸が開いたので、「うおっ!?」と変な声をだしちまった。驚いたのは向こうも同じだったらしく、
「きゃっ!」
部屋の中で紫乃が小さく悲鳴をあげて後ずさった。
「も……元親?」
目を丸くして硬直し、か細く俺の名を口にする。
「よ、よう、紫乃。何だ、どっか出かけるのか」
応えた俺の声があほみてぇに裏がえった。くそ、不意打ちはよせよ、びびるじゃねぇか!
「あ……う、うん」
紫乃もまだ驚いてるのか、胸元をおさえて小さく頷いた。ちら、と俺を見上げ、すぐに視線を下げる。
「えっと……元親のところへ、行こうと、思って」
「あん? 俺のところに?」
「あの、ちょっと、話があって。……元親は?」
「へ。あ、あぁ、俺もお前に話してぇことが、あってな」
「そ、そう。……じゃあ、どうぞ?」
何ともぎこちない会話を交わした後、俺は紫乃に続いて、部屋に入った。
円座に腰を下ろすと、紫乃と向かい合わせに座る形になって、……落ち着かねぇ。
これまで恋だの何だの話したこともねぇのに、いきなり結婚について語らうなんざ、どういや良いんだ。今更だが、唐突すぎるだろ。
それにこの部屋に来ると、否が応にもあの夜のことを思い出して、肩身が狭いというか、妙な気分になるというか……。
どう口火を切ったものかとそわそわする俺と同じように、紫乃も緊張してるみてぇだ。
いつもなら真っ直ぐこっちを見て、気持ちが良いくらいはきはき物を言うのに、今は俯いてもじもじしている。普段あんまり見ねぇ仕草に、ちっと可愛いなと場違いな事を考えた時、
「あの……」
紫乃の方が、先に口を開いた。
「元親……あの、私の縁談の事、なんだけど」
「お、おう」
いきなり核心だぜ。俺は背筋を伸ばし、引きつった返事をした。
(縁談が嫌なんだってな、相手が俺だからか、他に好いた男でもいるのか、あるいは他にわけがあるのか、そもそもお前は俺の事をどう思ってるんだ)
勢い込んで息を吸い込んだが、聞きたい事がありすぎて、かえって声が出ない。唾を飲み込んでようやく、
「お前、結婚したくねぇのか。元は自分から言い出した事なんだろ」
一つ目の質問を口にすると、紫乃はかぶりを振った。着物の上でさらさら、と髪が揺れる。
「結婚、したくないわけじゃないの。ただ兄上が、あんまり急に言い出すものだから、びっくりして」
「お、おう?」
じゃあ何か、結婚する事自体は良しとしてるのか、嫌ってわけじゃねぇのか。紫乃はこっちを見上げ、膝の上で小さな拳をぎゅっと握りしめた。あの、と桃色の唇を開く。
「元親は、どう思う? 私が、嫁いだら……嫌?」
「っ!?」
頬を染めた顔で上目遣いに見上げられて、一瞬息が止まりそうなくらい、心臓が跳ね上がった。俺の理性に挑戦してんのかこいつは、そんな顔でそんな事聞くなよ!
「そ、そ、そりゃぁお前、い、良いに決まってるじゃねぇか」
俺は勝手に熱くなる顔を慌てて右手で隠した。声がみっともねぇくらいうわずっていたので、咳払いする。
「お前が嫌じゃなけりゃあ俺は、いや俺だけじゃねぇ、義峰も浮笹も皆喜ぶだろうさ。可愛い一人娘の輿入れなんだしよ」
浮かれ上がりそうな気持ちを抑えるために他の連中の事も口にすると、紫乃は瞬きした後、
「……そう……」
小さく呟いた。そうして深く俯いたので髪が肩から滑り落ち、顔を影に隠す。だがすぐ顎を上げて、紫乃は口の端をきゅっと持ち上げて笑んだ。
「分かった。元親がそういうなら私、結婚するわ」
「……ほ、ほんとか?」
「えぇ。元々そのつもりだったし」
頷く紫乃の顔を穴が開くほどじいっと見つめる。今にも「なんてね、嘘よ」と言い出すんじゃねぇかと思ったが、紫乃は俺の視線に「……何?」たじろぎつつ、訂正するつもりはねぇようだ。
……嘘じゃねぇのか。本当に、本気で、紫乃は俺と結婚する気なのか? ……何だ、あっさり話が決まったじゃねぇか!
「そうか! なら決まりだな、紫乃!」
「きゃ!?」
冗談じゃなさそうだ、とやっと確信した俺は嬉しさのあまり、思わず紫乃を抱きしめた。だが腕の中でびくん、と大きく紫乃が震えたのを感じて、慌てて身体を離す。いけねぇ、前と同じ過ちを繰り返すところだったぜ。
「悪ぃ悪ぃ、嫁入り前の娘に悪さするつもりはねぇよ」
笑いながら紫乃を見たら、耳まで真っ赤になって硬直してやがる。おいおい、何て初(うぶ)い反応だ。その顔を見て急に腹が疼き、今すぐ前言撤回したくなったが、そこはぐっとこらえて、俺は紫乃から手を離した。
途端、紫乃は自分の身体を庇うように両手を回して、睨み付けてくる。何か言おうとしたのか口を開き、だが思い直したように視線を避けて、
「……そうよ。子供じゃないんだから、もっと立場を弁えて頂戴」
厳しい声音で言って顔をしかめる。まずい、調子の乗りすぎたか。ここで拗ねられちゃ、また話がこじれちまう。
「ま、ま、そう怒るなって紫乃、つい嬉しくってよ」
「……」
「もうしねぇよ、指一本触れねぇ!」
結婚するまではな。
必死で言い繕いつつ、心中で呟いた俺の台詞が聞こえるわけもねぇが、紫乃は呆れたようにため息をつく。だが、しょうがないわね、と言いながら苦笑する様はまんざらでもなさそうだ。
(……あぁくそ、今すぐ海まで走っていって叫びてぇぜ、こいつは俺の嫁だってよ!)
ここしばらく、俺らしくもなく悶々としていた分、想いが叶った喜びは、言葉に出来ねぇくらいでかい。俺は顔中でにやけちまいそうなのを必死で我慢して、
「じゃあ義峰と打ち合わせなきゃならねぇな。善は急げだ、とっとと話進めちまおうぜ」
せいぜい格好良く見えるように、笑ってみせる。紫乃は少し首を傾けると、
「……えぇ、そうね。早く、そうしなきゃ」
穏やかに、落ち着いた、静かな声でそう答えたのだった。