「いらっしゃい」
今日もドアベルが乾いた音を立てる。
夜が深くなり、そろそろ店を閉めようかと思っていたところだ。
「やあ、久しぶり。まだいけるか?」
「大丈夫だよ。今日はもう閉めようかと思っていたところだけどね」
「ん、そうなのか。日を改めようか?」
「いやいや、せっかくのお客様にそんなことはさせられないさ。ちょっと座って待っててくれ」
そういうと、店を出てOPENの表示をくるりと裏返し、戻ってくる。
「なんだ、やはり閉めるのか」
「もうお客さんも来ないだろうし、表向きは閉めておくからゆっくりしていくといい」
「ほう、粋な計らいだな店主」
微笑みだけで応えて、今日のお客と向き合う。
「さて、久しぶりだね武蔵さん。今日はどうする?」
「ふむ。島風から聞いた、と言えば伝わるか?」
島風かー。そうなるとあのお客さんに合わせて出すドリンクのことだろうか。
どれだけ広めたんだあの娘は。少しむずがゆくなり、後ろ頭を搔く。
「もしかして武蔵さんもソレかい?」
「まあそれもいいかとも思ったんだが、今日は飲みたいものにするよ」
「ん、それじゃあ注文は?」
にやり、と武蔵さんが笑い、
「獺祭で」
そう言った。
――
山口県にある旭酒造から出される日本酒の名前だ。日本で最も有名な日本酒ブランドの一つだと言える。
獺祭というのは『獺の祭』、つまり『カワウソのお祭り』という意味からきている。カワウソは獲った魚を岸に並べて置く習性があり、それが供物を捧げる儀式のように見えたことから、獺祭という言葉が出来たといわれている。ただ日本酒の獺祭は、蔵のある
「獺祭か、いいね。どれにする?」
「んー、じゃあ50で」
「50……は、もう売ってないよ。今は45だね」
「おや、そうなのか。じゃあそれでいいよ」
……日本酒は米から作る酒だが、その米をどれだけ削るかで価値が変わってくる。その度合いを精米歩合というが、50なら50%削ったもの、30なら70%削ったもの、という意味になる。中心の方が雑味が無く一般的に美味しいとされているため、基本的に精米歩合の数値が下がれば下がるほど値段が高くなり、すっきりと美味しくなる。
ちなみに獺祭は大きく分けて、45・39・23がある。
「ここには獺祭23も置いてあるけど、45でいいのかい?」
「ああ。私はすっきりとしたものより、コクがある方が好きだからな」
というように、割と好みが分かれるのも一つの特徴と言えるだろう。
ならば、と細長いグラスに入れて目の前に置いてやると、武蔵さんはすこし驚いたような顔をした。
「日本酒をグラスで出すのか」
「最近はそういうとこも多いよ。それに獺祭は香りがとてもいいからね。グラスの方がより楽しめるだろう」
武蔵さんはグラスを傾けて香りを楽しむと、少しだけ口に運び、ゆっくりと微笑を浮かべた。
「今日はただお酒を楽しみに来ただけかい?」
「ん? それではだめだったか?」
いや、とかぶりを振る。
「最近お悩み相談室の様相になっててね。もしかして、と思っただけだ」
「……なるほど、じゃあ私もなにか相談に乗ってもらおうかな」
「……いいけれど、大したことは言えないと思うよ」
そうだなぁ、と武蔵は中空を見つめる。
大した話はできないから、相談内容も大したものでなければいいのだけれど。
「獺祭で思い出したんだが……最近な、……鎮守府内で未確認生物がいたるところで報告されていてな」
「え、恐い話なの?」
「その姿がカワウソに酷似しているんだが、間違いなくカワウソじゃないんだ」
「え、獺祭のカワウソの話からそんな話になるの?」
「一体何なんだあれは」
「聞いてよ」
青い顔でぶつぶつ言っている武蔵もなかなか恐いが、そのカワウソも恐すぎる。UMAってやつじゃないかそれ。
「……そのカワウソなんだがな、遭遇した艦娘からの報告によると、ボクカワウソ、と言いながら出現するらしい」
「恐いな」
「恐いだろう?」
「……」
「……」
「……」
「で、相談なんだがこれを解決してくれないか」
「嫌だよ」
なんでボクカワウソと言いながら出現する不思議生物を相手にしなければならないのか。
「だよなぁ。どうしよう」
そう言いながら片肘をついていじける武蔵さんはあまり見ないもので、少し笑ってしまった。
それを見咎めた武蔵さんに文句を言われながら、今日も夜は更けていく。
ちなみに後日、武蔵さんが息せき切って駆け込んできて、また未確認生物が、今度は海上に出たと言った。
どんな感じのものだと問うたら、少し考え、こう言った。
「キリン改二」