くま クマ 熊 ビクトール 作:真なる熊の紋章
「――いでで。くそっ、どこだぁ? ここは」
ビッキーのうっかりテレポートに巻き込まれたビクトールが、打ち付けた腰を押さえながら周囲を窺う。
目を開けた瞬間――正確に言えば目を開ける前から感じていた違和感の正体を認識し、頭を抱える中年熊。
「……太陽はバッチリ昇ってやがるし、杉林から森の中に移動しちまってるし。マジかよ、おい……」
つい先ほどまでは月明かり漂う夜だったというのに、目を開ければ真っ昼間。ビッキーの
ビッキーのテレポートを幾度となく利用し、数回ではあるが失敗して見当違いの場所に転移させられたこともある彼には分かる。
――今回はただの失敗ではない。未知の事態だ。
"やべぇ、間違いなく厄介事に巻き込まれた"と痛む頭を堪えながら、己の現状を把握しようとするビクトール。
「フリック! ビッキー! あとついでに星辰剣! 誰かいねぇのかーー!!」
見かけ相応の大声で周囲に呼び掛けるが、帰ってくる返事は静寂のみ。どうやら近くに人はいないようだ。
現状を確認できないことを落ち込むべきか、説明困難なビックリ超転移を誰にも目撃されなかったことを安堵すべきか。
そんなことを思考の隅で自問しつつ、荒事慣れしているビクトールは慣れた手つきで装備や持ち物を確認していく。
ビッキーは抜けているし、よく失敗もする。だが、決して責任感が無いわけではない。
なので、即時帰還手段の無い人を転移させてしまった場合は必ず迎えに行くし、そうでない場合も後でちゃんと謝罪している。
だから、通常であればその場で大人しく待っていればいいのだ。……
(なんつーか、このままここにいても解決しねぇ予感がするんだよなぁ)
ビクトールは自身の予感に従って行動に移ることにしたのだ。
さて、野宿時は常に身につけている防具、それから腰の簡易道具袋の中身も問題なし。
旅の必需品やらなんやらを詰め込んでいる大型の道具袋も、転移時に慌てて立ち上がった時に足に引っかかっていたのか共にある。不幸中の幸いだ。
だが、ビクトールという
「マズイな……! 星辰剣いねぇし、武器が
一応、道具袋の中に小型ナイフはあるが、戦闘用ではない。というか、使い慣れない種類の得物を使用するくらいなら体術のみの方がはるかにマシである。
現状確認を終えたビクトールはしばし思案し、最優先目標を武器の調達に定める。
フリック達も心配ではあるが、自分の身すら満足に守れない現状ではどうすることもできないからだ。
「はぁ~……仕方ねぇ、とりあえずは適当に歩くか」
森を出なければ話にもならないと結論付けたビクトール。
警戒しつつ森の中を歩いていると、
ヒゲを撫でながらなんとなしに拾ってはみたものの――
「……ダメだな、こりゃ」
加工を一切していない木の棒なんて、彼が全力で殴っただけで折れてしまうだろう。解放軍および同盟軍でトップクラスの怪力を誇った
武器としては話にならないと断じ、ポイっと投げ捨てる。すると――
「ふさっ!?」
「うおっ!?」
木の棒を投げ捨てた場所からポコンという音と共に悲鳴のような声がした。
その声に聞きおぼえがあったビクトールは即座にファイティングポーズを取り、膨れ上がる怒気と対峙する。
森の木々の隙間を縫い、特徴的な赤目で彼を睨みつけながら現れたのは――
「ハッ、やっぱ《ふさふさ》だったか!」
――ふさふさ
その名の通り、青いふっさふさの剛毛で全身を覆った毛玉のモンスター。ピンとこない人は帽子とリボンを取っ払った青いヒゲじいを思い浮かべてもらえばいいだろう。
本来であればふさふさなどビクトールの敵ではない。先手必勝で斬りかかってしまえば一瞬で片が付く相手だ。
が、今は徒手空拳で戦うしかないうえ味方もいない。そのため、慎重に相手の出方を窺うことに。
「ふっさふさー!」
「ほっ! ――オッラアア!!」
「ふじゃッ!!?」
気合一番、吶喊の声と共に蛇行しながら滑るように突っ込んでくるふさふさ。そう、ふさふさはその剛毛が衝撃を和らげてしまうにもかかわらず、体当たりしか攻撃手段を持たない悲しいモンスターなのだ。
それに対し、ビクトールは攻撃を余裕をもって回避し、返す
吹っ飛んだふさふさは運の悪いことに木に顔面から衝突し、呆気なく絶命した。
「おっし! さてさて、壺持ってて壊れてなけりゃいいが」
ふさふさには何故か壺の収集癖があり、その剛毛の隙間に隠し持っていることが多い。
その壺のほとんどがガラクタではあるが、稀に高価な壺を持っていることもあるので侮れないモンスターなのだ。
「お、見っけ。壊れてもいないが鑑定しないと分からな……くもねえな。《しっぱいのつぼ》だわ」
全体的に歪み、初見では壺とすら認識できない可能性すらあるガラクタ。それが《しっぱいのつぼ》である。
"まあ、それもいつものこと"と納得し、ふさふさの死体を地面に埋めるために穴を掘っていく。スコップ代わりの人面剣がいないから少し苦労したものの、どうにか埋め終える。
そして最後に、ふさふさが後生大事に抱えていた壺を、墓標を兼ねた
面倒だが他のモンスターの餌にするわけにはいかない。大切なことだ。
ふさふさ討伐からしばらく、たまに方向を変えながらドスドス歩いていたビクトールの耳に、絹を裂くような女性の悲鳴が飛び込んできた。
「きゃああッ!? だ、だれかたすけてええッ!!?」
「悲鳴!? チッ、あっちか!!」
反射的に悲鳴が聞こえてきた方向へ全力ダッシュするビクトール。木々の隙間を縫うように走ると少し開けた場所に出る。
そこには腰が抜けているのか立ち上がれない様子の少女と、その少女を取り囲んでいる三匹のオオカミ型の魔物がいた。
どうやら状況はかなり切迫しているようで、魔物達は辛抱たまらんとばかりに涎をだらだら垂らしている状態である。
(やべえ! このままじゃ間にあわねえ!)
そう判断したビクトールは大きく息を吸い込み――
「グオオオオオオッッ!!」
「――ひっ」
本人が否定している森のくまさんよろしく、威嚇の声を全力で上げる。
すると、一瞬だけビクッとしたウルフがビクトールの方を向き、威嚇を返し始めた。
野生動物にしろモンスターにしろ魔物にしろ、基本的には我が身が一番大事なことに変わりはない。背後から迫る脅威を放置して獲物を優先することはまず無いのだ。
ちなみに少女は顔を青ざめさせ、絶望の表情を張り付けて震えている。とても救援が現れた際の反応ではないような気がするのは気のせいだろうか。
少女の反応はともかく、おおよそ狙い通りの展開にニヤリと嗤うビクトール。
あとはどうにかして少女の下へと辿り着きたいところだが……そうはさせじと二匹が襲い掛かってきた。残りの一匹は少女の監視をするようだ。
ビクトールはファイティングポーズを取り身構えるが――
(――ハッ、なんだこいつら!)
「遅えし動きが単調すぎるんだよ! オゥラアア!!」
「ギャイッ――!?」「キャウン――!?」
先に飛び込んできたウルフの攻撃をサイドステップで躱し、そのがら空きのどてっ腹を蹴り上げる。
いい感じの高さまで浮いてきた手負いウルフの後ろ脚を掴み、続いて飛び込んでこようとしていた二匹目に全力で叩きつける。
"ベキッ"という音と共に確かな手ごたえを感じたビクトールは、結果を確認することもなく突然ダッシュ。
その行動に驚いたのか、尻尾を巻いて後退ってしまったウルフの横を悠々と通り、少女に近づいていく。
一歩、また一歩と進む度に何故か少女の震えが大きくなっていくが――
(こんなに震えちまって可哀想に……だが、もう安心だぜ)
少女を少しでも安心させようと微笑み、彼女に背中を向けて仁王立ちするビクトール。
だが、ついに巨大熊が目の前に辿り着いてしまったことに泣きだす少女。それを安心したからと受け取るビクトール。
ビクトールは戦意を抑え、生き残ったウルフを見据えてシッシッと手で払う。
「ほれ、さっさと失せな。俺の目的はこの子の安全確保なんだから、今なら見逃してやるぜ?」
そう告げるとなんとなく理解したのか、狼のくせに脱兎の如く逃げ出していく。戦闘終了である。
「やれやれ、災難だったなぁ、嬢ちゃん。大丈夫かい?」
ビクトールは振り返り、黒髪の少女に優しく問いかける。
少女の年の頃は十歳前後――半年前まで身を寄せていた拠点の食糧事情の一端を担っていた、ユズという少女と同じくらいだろうか。
さて、本人の自己採点では文句なしの百点満点のナイスガイな笑顔で少女に語りかけたビクトール。
だが、結果は――
「…………」
「……あり?」
助かったというのに未だに青ざめた顔でガタガタと震えている少女。
この反応でちょっと焦り始めるビクトール。ふとフラッシュバックするのは青い腐れ縁の最近の忠告。
(「熊呼ばわりがイヤならヒゲぐらい定期的に剃れ。行く先々で怯えられてかなわん」)
(……あー、マジか。話半分にしか聞いてなかったが、ここまで怯えられるほどなのか……)
ズーンという効果音と縦線を何本も背負ってしょぼくれている熊男。そんな彼を見て少し恐怖が和らいだのか、意を決したような表情の少女がおずおずと話しかけてくる。
「あ……あ、あのぅ」
「……ん? あー、嬢ちゃん。その……怖がらせちまって悪かったな」
「い、いえ……わたしの方こそ助けていただいたのにお礼もせず。あ、ありがとうございます?」
「疑問形かよ!?」
「ひぅっ!? た、たべないでくださいぃ……」
「たべねーよ!?」
「くまさんは……くまさんですか?」
「それ、もう熊だって確信しちゃってるよなぁ!?」
自分のヒゲやボサボサの髪をうっとうしそうに触るビクトール。獅子だの何だのと言い、満更でもなさそうだった彼はもういないようだ。
しかし、着脱式ではない以上、今は我慢してもらうしかないだろう。
「わーったわーった。落ちついたら見られるようにするからそんなに怯えないでくれや」
「あ、はい」
ビクトールのあまりに人間らしい反応が功を奏したのか、徐々に落ちつきだす少女。
これなら情報収集可能と判断し、話を聞いてみることに。
「嬢ちゃんは一人なのかい?」
「あ、はい。お母さんが病気で薬草を探しに来たんです」
「……この辺りが危険だと承知で?」
「…………はい」
「…………」
「……お金が、ないんです。だから、街では薬草買えないから……森に採りにきたんです」
近くに街があるという、今のビクトールにとって値千金の情報が出てきたが、彼の思考の片隅に追いやられている。
彼は所詮赤の他人。それに、世の中には子どもの命を天秤に乗せてでも護らなければならないものもある。
実際、彼は過去に僅か六歳の女の子を戦場の最前線に連れていき、その娘をその場に置き去りにすることで自軍の旗頭を救ったことすらあるのだ。
その辺りは弁えているから決して口には出さないが、年の割に聡明な少女には分かってしまう。目の前で視線の高さを合わせてくれている、見かけとは真逆の優しいおじさんが何を言いたいのかを。
「ごめんなさい……でも、わたし達にはお母さんが……ぐすっ」
「……ああ、そうだなぁ。ほれ、泣くな泣くな」
優しくも温かい無言の叱責が少女に届き、その心を激しく揺さぶる。
堪らず、すんすんと鼻を鳴らし始めた少女の頭を武骨な手が大雑把に撫でてゆく。
その男性特有の硬い手に、薄れつつある今は亡き父親の記憶が呼び覚まされ――――少女の嗚咽が激しくなってしまう。
慌てたビクトールが手を放そうとすると、それを察知した少女自ら彼の手を掴み、己の頭に押し付けてくるではないか。
その思いがけない反応に目を見開いたビクトールは、"やれやれ"と内心でひとりごち、彼女が泣き止むまで困ったように撫で続けたのであった。
「――し、ししし失礼しみゃした! わたしったら初対面の恩人になんということを――、~~~~っ!?」
「お、おう。構わんから少しは落ちつきなよ、嬢ちゃん」
ようやく落ちついたと思ったら再び思い出してしまったのか、顔を耳の先まで真っ赤にして手で顔を覆ってしまう少女。
"見ないでください!"という無言の意思表示に従い、そっぽを向いたビクトールが少女に問う。
「嬢ちゃん。ちょいと手間ぁかけちまうが街まで案内してくれねぇか?」
「はい。それは構いませんが……おじさんは旅のお方ですか?」
少女が少し離れたところに転がっているビクトールの道具袋を見て、そう予想する。
「厳密に言えば違うが、その認識でいいぜ。ああ、それと――」
「はい?」
よっこいせと再び少女に向き直ったビクトールに、少女が首を傾げる。
「遅くなっちまったが俺の名前はビクトールだ。おじさんでもいいっty「はい! ビクトールおじさん!」――――おう……」
"おじさんでもいいっちゃいいが、できれば名前で呼んでくれ"と告げようとしたビクトール。目の前の満面の笑顔に何も言えなくなる。
前大戦の英雄の義理の姉に"おっさん"呼ばわりされた時は即座に訂正させたが、下手をすると自分は少女の両親よりも年上なのだ。おじさん呼びも致し方あるまいと納得する。
「あ! わたし、フィナです。よろしくお願いしますね、ビクトールおじさん」
「おう! よろしくなあ、フィナ」
話は決まった。後はちゃっちゃと死体の後始末をしてしまおうとすると、フィナがためらいがちに声をかけてくる。
「おじさん。そのウルフ達、埋めちゃうんですか?」
「ん? なんか問題でもあるのか?」
「勿体ないですよ。ウルフの毛皮も肉も売れるし、魔石も安いけど売れるんです」
(はあ!? オオカミの肉なんて喰えたもんじゃ……あと魔石ってなんだおい)
ビクトールは内心の動揺を悟られないように会話を続ける。
「そうなのか。そんじゃ、担いで持っていくとするか」
「? ここで解体していった方がいろいろとお得ですよ?」
「……解体できるのか?」
「はい。できます」
「そうかい。……だが、ここではダメだ」
「どうしてですか?」
「ここいらはさっきのヤツらの勢力圏なんだろう? 血の匂いでおびき寄せちまうかもしれんし、挑発と受け取られかねねぇ」
「――あっ」
地球でも血の匂いが肉食獣をおびき寄せてしまう事はよく知られているし、同族の解体ショーを見せつけようものなら怒り狂った大群に押し寄せられても文句すら言えないだろう。よって却下である。
実際、ビクトールがこの場にとどまっていたのは二匹のウルフが運良く骨折か何かで息絶えたおかげで、ほとんど出血をしていなかったからだ。
もしも、大量に出血していようものならフィナを抱え上げてでもこの場からさっさと離脱していただろう。
忘れてはいけないことだが、今の彼は
フィナが納得したところでいよいよ出発だ。
まず、未だに腰を抜かした影響で立ち上がれないフィナをビクトールが背負い、ロープで固定する。
あとは右肩に道具袋、左肩に二匹のウルフを乗せて準備完了である。
「うわあ♪ たかーい! すごーい!」
「こらこら、あんまりはしゃぐなよ? あと薬草はちゃんと持ったな?」
「はい。大丈夫ですよ」
「おーし! そんじゃ、出発だーー!」
「わーー♪」
ここまで目線が高くなったのは久しぶりなのだろう。ウッキウキで道案内し始めるフィナ。
しかし、それとは対照的なのがビクトールだ。
というのも、道中フィナから情報収集を続けていたのだが、自分はどれだけ遠くまでテレポートされたんだと頭を抱えたかったからである。
まず、それなりに博識のハズの彼が知っている国や街が話の中に一切出てこないのだ。
それだけではない。先ほど話題に出た《魔石》、《市民証》に《ギルドカード》に《冒険者ギルド》?
――――な ん だ そ れ は ??
オマケに自分達の常識である《紋章》やら《ハルモニア神聖国》やらを会話の中にしれっと混ぜ込んでみたが、フィナはきょとんとするばかり。
"マジか……マジなのか……"と心の中でつぶやくだけで態度に出さなかった彼は褒められてしかるべきだろう。
ここまで情報が揃えば《異世界》という概念さえあれば正解に辿り着けたであろうが、ビクトールがこの事実を知るのは当分先の話となる。
まあ、彼が知っている《異界》はよく分からない怪物の世界なのだ。そこに人間が暮らしているなんて発想が無い以上、さもありなんというやつであろう。
ともかく、いろいろと考えなければならないことは数多くあれど、それらについて考えるのは直近に迫る大問題を片付けてからだ。
(街に入るのに
漢、ビクトール三十三歳。無一文確定の瞬間であった。
次話は3/14(土)です