くま クマ 熊 ビクトール 作:真なる熊の紋章
内心、無一文であることに頭を抱えているビクトールの都合などお構いなしに、《クリモニアの街》と外とを隔てる門の前に到着する。
考える時間を稼ごうにも、ウルフの解体というカードは既に切ってしまっている。
実はフィナの「ここまで来たらもう安全ですよ」という助言があり、そこで解体を済ませてしまったのだ。
渡りに船とばかりにその提案に飛びついたはいいものの、未だに立てない状態にもかかわらず、とんでもない手際で解体を終わらせてしまったフィナ。
その頭を、内心では白目をむきながら撫でていたのが数分前の出来事である。
ああ無情、無一文からは逃げられない。
そしてもう一つ、
「き、貴様! その
「あわ、あわわ……」
「……やれやれだぜ」
ビクトールとフィナの姿を認めた瞬間、ビクトールを睨みつけながら槍を突きつけてくる門兵。
今のビクトールの見た目は山賊の親玉(もしくは熊)にしか見えないうえ、数時間前に言葉を交わした少女が荷物よろしく背中に縛りつけられているのだ。
よほど冷静な人間でなければ勘違いしてしまうのも致し方ないだろう。
「あー、少し落ち着いてくれや。フィナも。おまえさんから説明してやってくれ」
「あ、はい」
その後、荷物を下ろしてから手を上げて大人しくしていたビクトールと、フィナ自らの言葉で説明したことで誤解は解けた。
しかし、見た目は早急になんとかしなければ、と自覚するのに十分な出来事であったのか、なんとも難しい表情のビクトールであった。
「いやぁ、勘違いして申し訳ない。まさかおまえさんに驚いて腰を抜かしているとは思わなんだ」
「構わんさ。ま、見た目を気にしてなかった俺にも非はあるし、腰を抜かした人なんて滅多に見られるもんじゃねぇしな、(普通は)」
「……はぅぅ」
恥ずかしそうにしているフィナの頭を後ろ手で撫でてやりながら、"普通は"と心の中で付け加えるビクトール。
悲しいことだが傭兵を生業とし、数多の戦場を生き抜いてきた彼にはそこそこ見慣れている症状だったりする。新兵にはよくあることなのだ。
「それで、おまえさんは何者なんだ?」
「旅人、になるのかねぇ」
「なんだその自信なさげな態度は。ともかく、入るなら身分証を見せてくれ」
(きたか。さて、どうしたもんかね……)
中に入るのは住民なら無料。住民以外は税金として銀貨が一枚必要。事前にフィナから聞いていたことだ。
だが、今の彼は一文無し。転移前の世界の通貨《ポッチ》ならそれなりに持ち合わせているが、この世界では無価値である。
身分証が無いことを伝えると多少驚かれはしたものの、犯罪歴が無ければ街に入ることは可能のようだ。
異世界から転移したばかりの彼に犯罪歴など残されているハズもなし。やはり問題となるのは入街料か。
(となると…………うし、あの手でいくか)
「なぁ、アンタ。酒は好きかい?」
「酒? いやまあ、それなりに嗜むが……?」
「そうかいそうかい! ならば……こいつ! こいつをアンタに売ってやるよ!」
そう言いながらビクトールが道具袋の中から取り出したのは――――半分程度に減った、呑みかけの紹興酒である。
「って、呑みかけじゃねーk――――ん?」
(かかった!)
容器の中を覗き込んでいた門兵が目を見開き、くんくんと匂いを嗅いでいる。
その様子を見て、ニヤリと笑うビクトール。
この紹興酒、半年前に旅に出る際にレオナという仲間の女性が店主を務める酒場から、何種類かくすねてきた高級酒の一つである。まあ、実は彼女にはバレバレであり、餞別代わりに見逃されただけなのだが。
さて、この世界の酒事情なのだが、お世辞にも発展しているとは言えないものだ。庶民にはエールや安物の果実酒が精々であり、アルコール度数は数パーセント程度。
そんな世界に突如として現れた独特の香りを放つアルコール度数二十パーセント弱の暴力。一般吞兵衛が耐えられるハズもなし。
ダメ押しとばかりに試飲させてみれば、門兵はカッと目をひん剥き――
「か、買った! いくらだ!?」
「へっへっへ、まぁ呑みかけってのも考慮して……銀貨十枚ってとこか」
「たけえ!? ま、待て。今はそんなに持ち合わせが……」
「別に一括で払わんでもいいさ。とりあえずは銀貨二枚ありゃ……なんとかなるか? フィナ」
「…………まあ」
一連のやり取りをじとーっとした目で眺めていたフィナがしぶしぶ頷く。
吞兵衛どもはその冷たい視線にビクつきながらも交渉を再開する。
「分割ならなんとか……だが、十枚は……! 五枚……いや、六枚にまけてくれ!」
「……八枚」
「うぐッ……! ろ、六枚半、いや……七枚だッ!」
「…………いいだろう。交渉成立だぜ!」
「しゃあああ!!」
(うわぁ……)
ビクトールが門兵の肩をポンと叩いて酒を渡すと、酒を両手で愛おしそうに天に掲げる門兵。これには天使様もドン引きである。
二人はがっちりと握手すると門兵が銀貨を二枚ビクトールに渡し、そのうちの一枚を返す。これにて通行税の支払いは完了だ。
その後は犯罪歴照合用の水晶がある兵舎でビクトールの犯罪歴を調べ、当たり前だが難なく通過。
ビクトールにはよく分からないシステムだが、街に入れるなら別にいいかと納得して背中の少女に声をかける。
「よし、待たせたなフィナ。んで、これからどうすりゃいいんだ?」
「ええと……とりあえず、ギルドにウルフを売りに行きましょうか」
特に異論はないビクトールはフィナの案内に従い、冒険者ギルドへの道をのっしのっしと歩いてゆくが――
「うぅ、わたし達、ものすっごく見られてますね……」
「いやその……なんかすまんな」
道中、周囲の人々の視線が彼らに刺さりまくる。少しでも不審な行動や態度をしようものなら即通報されんばかりの厳しい視線だ。
ビクトールとフィナは作り笑顔を浮かべ、会話を途切れさせないことで通報という事態だけは免れたが、目的地に着く頃には注目に慣れないフィナが疲れ切ってしまっていた。
そして、辿り着いたのは冒険者ギルドの横にある建物。フィナ曰く、ここで買取をしてくれるようだ。
フィナがカウンター奥にいた男に声をかけ、ビクトールが解体済みウルフの一部をカウンターに置く。
だが――
「フィナ!? な、なんだ!? いったい何があったってんだ」
男はフィナと知り合いなのか、目の前の光景に動揺しているようだ。ただ幸いなことに今までのようにビクトールを敵視したりはしないようである。フィナの様子をちゃんと見ているからなのだろう。
困惑しつつもフィナの説明を聞いていた男は途中で表情を険しくし、彼女を真摯に見つめる。
「おまえ、森に行ったのか!」
(……へぇ)
男に好感を抱いたビクトールは黙って成り行きを見守る。
どうやらフィナの母用の薬草は前々から男――名をゲンツ――が足りない分を幾度となく用立てており、そのことを申し訳なく思っているフィナは以前から森に入っていたようだ。
しかし、今日はなかなか薬草が見つからず、普段よりも奥に入ってしまったところをウルフに襲われたというのが真相らしい。
(これは平行線だろうなぁ……)
ビクトールの予想通り、フィナは迷惑をかけたくないと言い、ゲンツの「森に入るな。俺を頼れ」という言葉になかなか頷かない。
ビクトールからすればゲンツの肩を持ちたいくらいなのだが、責任感が強く心優しい子どもが折れないこともよく知っている。
実際、ビクトールの脳裏に二人の少年の顔が浮かぶ。どちらも運命と紋章に翻弄され、一軍の旗頭となって戦争へと身を投じざるを得なかった少年達。彼らもまた己の背中よりも大きな責任に幾度となく潰されかけていた。
ビクトール達大人にできたのは――――寄り添い、潰されないように背中を支えてやることだけだった。
「――おまえさんありがとうな。フィナを助けてくれて」
「ん? ああ、あんなん不幸中の幸いにすぎんさ。助かったのはフィナが諦めなかったからだ」
「そうか。礼はしたいが仕事だから買い取り金額はちゃんとさせてもらうぞ?」
「ま、当然だわな」
「えーと、ウルフの毛皮と魔石。この量だと、こんなもんだな」
肉が無いのはビクトールの道具袋に突っ込んであるからだ。後で腐らせない程度の量をフィナの家に分け、残りはビクトールのものとなる。
未だに半信半疑なのだが、焼いてみて問題なさそうなら自分で食べるつもりだ。大食漢の彼なら問題ない量である。
ちなみに肉をほぼ独り占めする分、売却したお金は全てフィナのものとするように説得済みだ。なかなか首を縦に振らなかったが。
お金を受け取ったフィナは大切そうにしまい込み、ゲンツと別れる。
「フィナ、どこかいい宿知ってたら案内してくれ。寝る場所さえ確保出来たらおまえさんの家まで送ってくからな」
「はい。帰り道に評判のいい宿がありますので案内しますよ」
再び注目を集めながら歩を進めるビクトール。
案内された宿は換金場所から歩いて
「ここです。ご飯もおいしいらしいですよ」
「お~、そりゃあいい。持ち込み可ならなおいいんだがなぁ」
日も沈みかけた夕食時、宿からは食欲を刺激する良い匂いが漂ってきている。
匂いにつられた熊のように宿の中に入ると、十代半ばくらいの少女が二人を見て目を見開いた。
「い、いらっしゃい、ませ……?」
少女の目に困惑と――――微かな疑惑の光が宿る。
「泊まりてぇんだが部屋は空いてるかい?」
「はい。大丈夫ですが……お二方は親子、ですか?」
少女の目がスッと細められ、雰囲気に剣呑なものが宿りつつある。返答次第では、といったところか。
ビクトールとフィナは顔立ちは似ても似つかないが、髪色と瞳の色だけはかなり似ている。この事実がなければ即通報されていたかもしれない。
「泊まるのは俺一人だ。この娘は後で家に送り届けるから安心しな。……宿だから警戒するのは分かるが、流石に
「? ビクトールおじさん??」
「……おじさん、ですか。なるほど、これは大変失礼いたしました」
誤解は解けたのか、それはもう深々と頭を下げる少女に苦笑いするビクトール。既に片手は空いているのだからフィナは物みたいに縛らずに手で抱えるべきだったと後悔するも、もう遅い。
フィナはよく分かっていないのか疑問符を浮かべつつも少女の頭を上げさせようとしている。
「さて、当宿は朝夕の食事付きで銀貨一枚です。食事なしだと半銀貨になります」
「あー、ここは食材の持ち込m「あ! それなんですが、おじさん」――ん? どうした、フィナ?」
食材の持ち込みの可否を問おうとしていたビクトールの言を遮ったフィナに訝しげな視線を送る。
「おじさん。どのみちわたしの家まで送ってくれるのなら、今日のお礼代わりに
その提案は、ビクトールにとって渡りに船とでも呼べるものであった。